人間牧場

〇今朝の穏やかな空海

 昨夕「人間牧場へ泊めてください」と何のアポもなくいきなり連絡があり、「宿泊施設ではない」とお断りをしたのですが、「どうしても行く当てがない」と懇願され、2人の夫婦を車に乗せて人間牧場まで連れて行き、泊めることにしました。昨晩はそのことが気になって中々眠れませんでした。早朝4時に起床し、ブログを一本書いたところで軽四トラックを走らせ、おにぎりと味噌汁を持って行きました。

本尊山辺りの朝焼け
本尊山辺りの朝焼け
人間牧場の朝焼け
人間牧場の朝焼け

 夫婦は既に起きていて、私の用意した粗末な食事を食べた後、私の車で下灘駅まで送ってあげ一件落着です。そんなに持ち合わせもないであろうことは、その様子を見れば粗方分るので、これもご縁と思って余り詳しいことも聞かず、夜露をしのいでもらいましたが、別れ際私に向って手を合わされ、少し涙ぐんでいるようでした。地域づくりを長年やっているとこんなことはよくあることで、路銀を貸して欲しいとか、泊めて欲しいとかよく言われます。私の眼力のなさから騙されたこともありましたが、これも仕方のないことと諦めています。

 今朝は唐崎で急にトラックが飛び出し、思わずブレーキを踏んで間一髪交通事故にはなりませんでしたが、冷や汗物でした。ドキドキした心を静めようと、唐崎の路側帯に車を止めて振り返ると、双海町のシンボル本尊山の付近が朝日に染まり始めました。人間牧場では同じ朝焼けも違ったアングルゆえ、違った趣があり、空や海の穏やかな景色に心が癒されました。昨日は好天に恵まれ県内でも、大洲で32度を越える高温だったようで、初夏といえどもう夏のような暑さでした。さあ今日も心を引き締めて頑張らずに頑張りましょう。

  「一夜宿 泊めて欲しいと 頼まれて 懇願の末 意味も分らず」

  「朝早く おにぎり味噌汁 軽四で いきなりトラック 心臓パクパク」

  「朝焼けの 空海眺め 癒される ああ今日もまた かくてありなん」

  「生きている 証拠でしょうか 日々暮らし メリハリ付いて 今日も楽しく」 

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人間牧場

〇後片付けは大事です

 人間牧場での子ども体験塾が終わり、ホッと一段落しました。今年度は申し込みが41人とこれまでで最も多い上、事務局の赤石さんが異動して隅田さんに替わり、加えて実行委員である小学校の教頭先生が3人とも替わる等、フレッシュと思えばフレッシュなのですが、馴れていないゆえ少し気を引き締めてかかりました。

楽しかった今年の子ども体験塾野外活動
楽しかった今年の子ども体験塾野外活動

 こうした野外活動は昼を挟んで食事を伴うため準備も相当なもので、余ったり足らなかったりも多少ありましたが、まあ何とか事故もなく子どもたちの感想文を見た限りでは心に残るいいプログラムでした。何よりも嬉しいのは宇津さんや中島さんを中心にしたジュニアリーダーたちが、しっかりとプログラムをフォローしてくれたことです。

 野外活動の一番の大変は後片付けです。利用した人間牧場の諸施設は私の持ち物なので私がやれば済むのですが、使った食器や機材等は、運んだり借主に返したりしなければなりません。本当は使った食器などは子どもたちにやらせたいのですが、人間牧場は水が少し不便なため結局事務局が持ち帰り洗うしか方法がないのです。

 昨日事務局の隅田さんから、食器を洗ったので人間牧場の食器ストッカーに返却したい旨の連絡があり、今日の午前中二人で人間牧場へ出かけ、食器類を元の所へ収納したいと思っています。人間牧場には私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループが無人島キャンプをしていた頃使っていた食器を60人分譲り受けて使っていますが、この食器類の保管や管理も中々です。

 もう直ぐ来月末には次のプログラムである防災キャンプ、7月には底引き網体験航海などが迫っています。既にプログラムの企画や検討に入っていますが、事務局、スタッフ、リーダーが一体となって準備を進め、その都度後片付けをしなければなりません。後片付けの良し悪しがいいプログラムにつながることを肝に銘じて、しっかりと対応したいと思っています。

  「イベントが 終れば直ぐに 次が来る 後片付けを する暇もなく」

  「片づけが できる人ほど できる人 肝に銘じて やってはいるが」

  「片付けは みんなの力で やりたいが 水が不足し 洗うに洗えず」

  「片付けを これも修業と 言い聞かせ 汗し働く 心落ち着く」 

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人間牧場

〇久しぶりに母校の宇和島水産高校を訪ねました

 昨日、近畿大学水産研究所の宮下所長さんの講演を聞くため、久しぶりに母校の宇和島水産高校を訪ねました。そもそものきっかけは、宇和島水産高校の先輩である玉井恭介さんから、「講演を聞きに行かないか?」とお誘いがあり、運よく午前中の日程が空いていたのでお言葉に甘えての同席となりました。待ち合わせていた学校の玄関先で所長さんと名刺交換した後、えひめ丸事故の慰霊碑に冥福の祈りを捧げました。

えひめ丸の慰霊碑の前で
えひめ丸の慰霊碑の前で
私が乗船した初代愛媛丸の展示模型
私が乗船した初代愛媛丸の展示模型

 玄関入口には宇和島水産高校の歴史を物語るように、初代から五代までの実習船愛媛丸・えひめ丸の模型が展示されていました。その中に私が在校していた時乗船した初代愛媛丸もありました。現在のえひめ丸は500tクラスですが、初代の船は半分にも満たない」214.5tの小さな船でした。この船で赤道を越え南太平洋の彼方珊瑚海まで遠洋航海に約3ヶ月間も出かけたのですから、驚く他はありません。

 この航海で私の価値観は大きく変わりました。それまでは生まれ育った双海町から殆ど出ることのなかった私に、地球が丸いことを実感させたのもこの航海でした。案内された校長室で先生たちと談笑したあと、講堂で宮下所長さんの話を生徒さんとともに1時間余り聞きながら、過ぎ越し人生が昨日のことのように思い出されました。私の原点ともいえるこの学校にもし50年前遊学しなかったら、私の今はなかっただろうとしみじみ思うのです。

 宇和島もこの50年間で大きく様変わりをしました。宇和島湾の奥まった所にある水産高校の周辺のレンコン畑は埋め立てられ、対岸の予科練跡も工場などが立ち並び、学校の直ぐ上を高速道路の高架橋が走っていますが、鬼が城の山並みや鶴島城、九島の見える遠望は昔のままの姿をとどめていました。遠い遠いいつまでも歳をとらない青春の頃の記憶が鮮やかに懐かしく蘇りました。

 

  「何年か ぶりに母校を 訪ねたが 周囲すっかり 様変わりして」

  「玄関に 展示模型の その中に 50年前 乗った船あり」

  「この船で 珊瑚海まで 実習に 青春思い出 昨日のように」

  「もし私 この学校に 遊学を しなくば今の 人生なかった」

 

 

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人間牧場

〇足湯は天国(その4)

 5月23日土曜日、子ども体験塾の第1回目の学習会が人間牧場で行なわれました。41人の子どもたちと30人近くのリーダーやスタッフがそれぞれの活動を楽しくやりましたが、少し曇っていた天気も味方して、最後は降り出した雨の中を少し濡れながら下山したものの、暑くもなく寒くもなしといった状況でした。

気持ちよい足湯を楽しむ子どもたち
気持ちよい足湯を楽しむ子どもたち
足湯をする子どもたちの足
足湯をする子どもたちの足

 今回はジャガイモ堀りとサツマイモのツル植えという農作業をしたため、息子が子どもたちのために足湯のサービスをしてくれました。しかも普通は灯油ボイラーでお湯を沸かすのですが、今回は五右衛門風呂の下から薪を燃やし本格的でした。41人を6班に分けていたので、サツマイモを植えながら各班毎に4~5分の足湯をしてやりました。

 靴下を脱ぎズボンを脛まで捲し上げて車座になって足をつけましたが、みんな「気持ちいい~」を連発していました。昨日別の用件で参加した子どものお母さんから電話が入りましたが、このお母さんが言うのには、「子どもが帰って足湯の話をしてくれました。足湯は気持ちよくてまるで天国へ行ったみたい」と言ったそうです。「天国へ行ったこともないのに」と家族で大笑いをしたそうです。

 通称「ロケ風呂」と呼んでいる五右衛門風呂は、10年も経つと今やすっかり、人間牧場の名物となりました。私も時々息子が沸かしてくれた風呂を楽しみますが、寒い冬もまたよし、暑い夏もまたよし、足湯もまたよしといった感じです。特に沸かしたお湯に体を沈め、眼下に広がる海や漁港を見ながらの入浴は、お金では買えない至福です。近々私もお風呂を楽しみたいと思っています。

  「ロケ風呂を 沸かして子ども 足湯する 気持ちがいいと みんな連発」 

  「天国へ 行ったみたいと 言う子ども 行ったことない 癖にと難癖」

  「風呂に入り 瀬戸内眺望 楽しめる ロケ風呂息子 設計してくれ」

  「春夏も 寒い秋冬 また良しと 風呂を楽しむ 贅沢極み」

 

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人間牧場

〇コンニャク作り(その2)

 私はどういう訳か子どものころから、コンニャクとコーヒーが大嫌いです。勿論今でもコーヒーは飲まないし、コンニャクも食べるのは食べますが、自分から進んで食べようとはしません。なのに何故か人間牧場では小さな畑を耕してコンニャク芋を作り、時折その芋でコンニャク作りをして楽しんでいるのですから可笑しな話です。

こんにゃく1 こんにゃく2こんにゃく3 昨日の子ども体験塾ではコンニャク作りが今年初めてメニューに加わりました。私が手塩にかけて育てた、丸々太ったコンニャク芋を提供し、その芋を使って親友西岡栄一さんにコンニャク作りの指導を頼み、色々と準備をして事に当たりました。西岡さんはグリーンツーリズこんにゃく4こんにゃく5ムでコンニャク作りを日常的にやっているので、コンニャク作りに必要な七つ道具を全て軽四トラックに積んでやって来ました。

 この日は子ども体験塾に参加した4年生以上の高学年を相手に、芋茹で、皮剝きなどはみんなでやりましたが、ミキサーにかけたり、凝固剤を入れて練ったり、型枠に入れて形を整えてから再び湯がく作業は、みんなでワイワイガヤガヤと楽しくやりました。運悪く不安定な机からミキサーを落下させ割ってしまいましたが、幸い私の持っているミキサーを代役にして、何とか作ることができました。出来上がった熱々のコンニャクを薄く切って醤油と山葵で食べると、山河豚といわれる食感のようで、みんな「美味い、美味い」と喜んで食べていました。

 子どもたちには自分たちで作ったコンニャクを一個ずつナイロン袋に入れて、ジャガイモと一緒にお土産に差し上げました。今晩わが家でもお土産に貰ったコンニャクを食卓に並べ妻は美味しそうに食べていました。
 今年も三ヶ所の狭い畑にコンニャクの種芋を沢山植えました。今年の秋口には掘りあげる予定ですが、そろそろ来年は自分でコンニャクを作る技術を、西岡さんに教わってできるようにしたいと思っています。

 

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人間牧場

〇天気が気になる朝

 私は青年団に入団して社会活動を始めた18歳から、正確には青年団長になった23歳頃から、各種の屋外イベントの主催に関わって来ました。屋外イベントにつきものはお天気の心配です。こればかりは自分の力ではどうしようもないのに、天気が悪いと自分の日ごろの行いが悪いからだと勝手に思い込み、自責の念に駆られてきました。

 私はポジティブ人間を自称しているので、「自称晴れ男」です。公民館に13年勤めた時も、まちづくりに20年余りかかわった時も、一度や二度は天気に痛い目に合わされたことはありましたが、まあまあ天気を味方にした方だと振り返るのです。最近は昔に比べ天気予報の精度が格段に上がり、またその情報をいち早く入手することができるようになり、早目早目の対応ができるようになり随分助かるようになりました。

 今日は人間牧場を会場に今年最初の子ども体験塾が行なわれます。農場でのジャガイモ掘り、掘ったジャガイモを使ったカレーづくり、サツマイモの苗植え付けなどなど、盛り沢山のイベントが組まれています。これまで雨男を自称していた赤石主事さんが異動し、替わって隅田主事さんが担当することになりました。隅田主事さんが晴れ男かどうかはまだ分りません。お天気が晴れ男の私に傾くか否か、確実に天気は下り坂のようですが、何とか天気が持って欲しいと祈って、朝の空を見上げています。

  「よくもまあ 空を見上げて 50年 天気気にして 生きてきたもの」

  「決めている 私は自称 晴れ男 雨が降るのは 気象庁のせい」

  「思っても お天気だけは 動かせぬ いかに対応 出来るか勝負」

  「もう終わり したいけれども まだ終わり 来ないよ多分 これから先も」 

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人間牧場

〇上灘八十八ヵ所巡礼(その2-私設公民館煙会所でのお接待)

 昨日は私が先達を務め、まちづくり学校双海人のメンバー8人で、地四国上灘八十八ヶ所の巡礼を始めました。先達といいながら試験踏査で1回しか回ったことのない私の心もとない案内ですから、時間的な読みも計画も殆どなく、「まあ歩けるところまで歩こう」程度でしたが、区切りがいいことに午前中、双海中学校横の23番石仏まで巡拝を終えて少し疲れが見えてきたようなので、わが家の敷地内にある私設公民館煙会所で昼食を兼ねたお接待をすることになりました。

お接待1 お接待2浜田さんを除けばみんなわが家の煙会所はみんな初めてとあって、海の資料館海舟館も見学したりして食事の準備をしました。途中リタイアした津島さんが自宅で急遽ちらし寿司を作ってくれ、地域おこし協力隊の本多さんにお願いして取りに行ってもらい、賑やかで楽しい昼食お接待となりました。皆さんは煙会所や海舟館の存在や内容にすっかり驚いた様子でしたが、和やかな会話に八十八ヵ所のことなどすっかり忘れたかのように、しばらくの間世間話に花を咲かせました。

 地四国八十八ヵ所を巡拝するにはトイレ休憩や、お接待をどうするかまず考えなければなりません。そのことについても話し合いましたが、幸いコースには幾つもの自治公民館があって、これらを活用すれば地四国巡拝をイベントにできるのではないかという結論に達しました。勿論その途中にあるわが家の煙会所も私個人持ち物ながら、トイレや休憩所などお接待の条件を揃えていて候補の一つのようでした。
 島津さんの作ってくれたちらし寿司はとても美味しく、妻が用意してくれたお漬物や冷えた甘夏柑のデザートも加えて、すっかりのんびり過ごすことができ、みんな大満足の手合いでした。

  「地四国を 歩いて巡拝 昼休み わが家昼食 接待所なる」

  「囲炉裏部屋 急遽届いた ちらし寿司 ワイワイ言いつ 口にほおばる」

  「遍路には トイレと休憩 お接待 さてどうするか 知恵を出し合う」

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人間牧場

〇捨てきれない帽子を捨てる

 今日の夕方松山に住む娘家族のマンションへ妻と二人で出かけました。今日は外に出かけていたので、とりあえずお気に入りの野球帽を被ったままの姿でした。娘のマンションへ入るなり娘に、「お父さん、もうその帽子は捨てたら?」と言われました。私にとってこの帽子は妻と二人で退職記念に出かけた、カナダで買ってきたものだけに、気に入ってずっと使っているのです。

 娘に言われて被っている帽子を見れば、帽子の生地はこの10年間ですっかり色あせて、少しみすぼらしくも感じました。農作業の時には日焼け対策として麦藁帽子を被りますが、日常的に被っている帽子もかなりくたびれていて、それを捨てて、今日被っていたカナダで買った帽子を作業用にしようと思いましたが、これも娘に反対されあっけなく廃棄処分にされゴミ箱行きとなりました。

 替わりに少し格好いい帽子をいただいて帰りましたが、たかが帽子、されど帽子で、帽子一つでも随分顔のイメージが変わるものだと実感しました。私の場合帽子は日除け以上に頭の防護に役立っています。屋外で農作業をする時やアウトドアー活動で、木の枝や横木をくぐる時、急いでいればなお更、頭を打つ回数が多く、その都度帽子が頭や顔の打撲や切り傷から守ってくれるのです。

 今日娘から貰った帽子はこれからも大切にして被りたいと思っていますが、娘に捨てられた帽子と同じく、いつも被っている作業用の帽子も明日の朝ゴミ出しの袋の中へ入れて捨てようと思っています。何かにつけて身辺整理が必要な年齢になってきましたが、勿体ない世代に生まれ育った私は、まだまだ踏ん切りが付かないのが正直なところです。「捨てる?」「捨てない?」「捨てる?」「捨てない?」うーんどうしよう?。

  「思い出の 詰まった帽子 くたびれて 捨てよと娘 言うけど何故か?」

  「わが娘 帽子あっさり ゴミ箱へ 捨てた帽子に 今も未練が」

  「勿体ない そんな世代に 生まれ生き 歳を重ねる 度に頑固に」

  「捨てるべき 捨てないべきか 迷ったが 有無を言わせず 娘あっさり」

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人間牧場

〇代役参観日

 昨日は同居している若嫁に頼まれて、小学校二年生の孫希心の参観日に出かけました。若嫁は何かにつけて子ども優先の暮らしをしてくれていますが、昨日は父親亡き後開店して、まだ一ヶ月も経たない喫茶店の仕事が立て込んでいて、どうしても穴を開けることができず、止む無く私に代役参観を頼んだのです。

 参観時間は9時20分からの2時限目からなので、8時50分に自宅を出て学校に到着すると、どうやら私が一番乗りのようで、学校評議員をしていることもあって、校長室に通され校長先生に美味しいお茶を入れてもらい、世間話をさせてもらいました。そのうち2時限目のチャイムが鳴ったので2階の教室に上がり、早速授業参観をしました。昨日の授業は国語の漢字について、電子黒板を使って様々な漢字の組み合わせを習っていました。

 10人ほどの小さな学級だし、孫希心がいつもわが家に連れて来て遊んでいる顔見知りの子どもたちばかりなので、参観もアットホーム的な温かさで、何かと賑やかで楽しい授業でした。孫希心も茶目っ気たっぷりで、私の存在を意識して手を挙げたものの答えが思い浮かばず、「忘れました」などと少し顔を赤らめ戸惑う部分もありましたが、まああんなものと納得しました。

 昨日は孫奏心の6歳の誕生日でした。前日に小学校2年生の外孫尚樹も誕生日を迎えていて、妻はお祝いに大忙しのようでしたが、夕方のお迎えはこのところ若嫁の仕事の都合で、私が代役を務めることが多くなっています。孫もそのことを承知で単車や軽四トラックに乗せてもらうのを楽しみにしていて、当分は育爺たる私も孫育てに一役買わなければならないようです。

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人間牧場

〇カエルの鳴き声が賑やかです

 家の周りの田圃に水が張られ、田植えの季節がやって来ました。わが家には田圃がないので農作業の大変さは分りませんが、最近の田植えは傍で見ていると、「早い」というのが実感です。俳句で田植えという季語は6月と教わりましたが、今は早い所では5月のゴールデンウィークころから始まっていますが、近くの田圃は今が最盛期といった感じです。

 「早い」といえば何といっても早いのは田植えの作業です。田起し、代掻きなどはトラクターに乗ってあっという間だし、苗もまるで箱入り娘のような綺麗な苗を、苗屋さんから持ち帰り、田植え機に乗せられ機械が綺麗に植えて行くのです。その早業はあっという間で終りますが、農家はトラクターや田植え機、さらに稲刈りコンバインなど、とてつもなく高い「早い」農作業のための農機具に、否応なしに投資をしなければならないのです。

 近くの田圃に不耕作地が目立ち始めました。理由は作り手の高齢化と、高い農機具代について行けなくなったからのようです。不耕作地はそのままにしていると美観を損ねるだけでなく、害虫の温床にもなり近所の田圃は嫌がりますが、農地を受委託して他の人に作ってもらう場所も広がりましたが、実情は中々厳しいようで、先が思いやられるようです。

 田圃に水が張られると、カエルの鳴き声が急に賑やかになります。水を得たカエルの喜びの声に聞こえますが、カエルの鳴き声は長閑な山村のイメージにピッタリで、孫たちは虫箱や虫網を持って、カエルを追い掛け回して遊んでいるようですが、青カエルは時々車に引かれたりもして、カエルにとっては手放しで鳴いてばかりはいられないようです。それにしてもカエルの鳴き声はどこか郷愁があって癒されるものです。

  「早いなあ 感心しつつ 見ているが 五月半ばに 田植えは終る」

  「早いなあ 感心しつつ 見ているが 田植えの作業 あっという間に」

  「水張ると 急にカエルが 騒ぎ出す ゲロゲロゲロと 何を思って」

  「カエル鳴く 田舎の風情 郷愁を 感じて声を 心ゆくまで」

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