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〇夫婦の会話

 昭和45年5月5日に結婚した私たち夫婦は、早いもので今年で結婚45年目を迎えました。妻は見ず知らずの見知らぬ家に嫁ぎ、長男ゆえ家族と同居を強いられ古い習慣や慣習、また田舎ゆえ濃密過ぎるほどの親戚近所の付き合いに戸惑いながら、何とかその時々を貧乏ながらも知恵を出し、かいくぐってくれました。その間子ども4人を育てて自立させ、祖母や母をあの世に送りましたが、やっと肩の荷が降りるであろうこの歳になって、親父の在宅介護や同居孫たちの世話等、新たな重荷がのしかかっているのです。

 私は若い頃からどちらかというよりは、殆ど外向きの仕事や生き方をしているため、家庭のことは殆ど妻に押し付け、私につながる人間関係までも妻に片棒を担がせてきました。ゆえに早く楽をさせてやりたいという心は持っているし感謝しているものの、そのことを言葉や態度で表すことができない、古いタイプの人間なのです。 
 昨日新聞の一面下の広告欄に、「夫婦はぜったい仲良くなれる!!、賢い人の言い方・伝え方」という本の紹介広告が載っていました。興味があって書いていることを反省しながら読みました。

 互いの言葉で傷ついている夫婦が多い!、●妻の心と夫の心、何故こんなに違うの?-あの言葉は絶対に許せない-、「いつもあなたはそんなことしか考えてないの」/「愛しているかって?愛しているはずないじゃない」/「お前は何もわかってない」/「俺でなくても頼る人がいるんじゃないか?」/「何のために結婚したかわからない」/「離婚するわよ」●夫婦の心が近づく10ヵ条★本来、女はおしゃべり、無口と認識しておきましょう。★互いの名前に「さん」を付けて読んでみましょう。★妻が言葉をかけるときは少し高めの明るい声を心がけましょう。★ほめ言葉、感謝の言葉を多くしてみましょう。★語尾をちょっとていねいにしてみましょう。★最後の結論や決定を相手に任せる言葉遣いを大切にしましょう。・・・・など。「普通に会話ができる夫婦になることがこんなに難しいとは・・・」、楽しい会話がよみがえる5つのステップ。

 読んで書き出しただけでもなるほどなるほどと頷きましたが、はてさて妻は別として、私はこんな歯の浮くような言葉を、妻に言ってないことに気がつきました。毎日毎日妻と顔を合わせれば、阿吽の呼吸で分ってくれるものだとばかり思って、何の気配りもせずに「飯、風呂、着替え」と言う単語を命令口調で喋っている自分も、これからは妻に対する言葉遣いを少しだけ変えてみようと思いましたが、上手く行くかどうか?は疑問です。私たち夫婦はお互い70年生きて来て、しかも45年間夫婦をしていますが、もっともっといい夫婦になって余生を生きたいと思いました。

  「結婚し 早45年 共暮らし しているけれど 会話となると?」

  「飯や風呂 単語を言って 毎日を 暮らしていたが 今日から改心」

  「話し方 次第で夫婦 上手く行く ちょっとした 気配り大事」

  「妻以外 頼る人なし 肝命じ 言葉遣いを 大事にしたい」

 

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〇戦後の記録は面白い

 一昨日私が所属している双海史談会の6月定例会が、地域事務所2階の会議室で開かれました。事務局の中尾さんから届いた通知を見て、前回の総会で私が副会長になったことをお粗末ながら初めて認識しましたが、今回は武智利博先生が、戦後間もない昭和24年から発刊されていた上灘町文化協会弘報を、「上灘文化協会広報集成」という一冊の本にしているものを、みんなで素読するというテーマでした。

 当時の地方自治体である上灘町には、今でいう行政広報なるものはなく、またこの弘報が発刊し始めたこの頃は、戦後間もないこともあって、アメリカナイズな民主主義による新しいふるさとづくりが模索され始めた時期でもあり、今の公民館の前身である文化協会の果たした役割は大きかったようです。さて中尾さんが資料としてコピー印刷してくれた資料の中身は中々面白く、少し時間をかけて読みたくなるような内容でした。

 例えば面白いのは~昭和24年3月1日発行のP8の「◎ラヂオ放送!!」という記事です。
 こちらは上灘町文化協会自然科学部物象諜であります。
 町民の皆様お宅のラヂオには故障がありませんか?
 あら金ちゃんの御家にはラヂオが無いの、気の毒ねでは文化協会の方からお父様におねがいして買ってもらうことにしよう。「よしよし、そんなに易く買えて後の責任をもって下さる御店が本町にあるとは知らなかった、ラヂオは必要だと言う事はわかっていたが・・・・でが月賦三回拂で・・・・・おまかせします」
 近代的なよくわかったお父さまですね。「森田のおっさん居られますか」
 いよいよ上灘駅前松山中央放送局指定の森田ラヂオ店を訪れました。店頭には新しいラヂオが山ほどつんであります。「矢張りおすすめしたいのはマグネチックよりは此のダイナミック四球型ですね」
 おっさんは上手も何も言わない正直一てんばりの技術屋です。それだけに本町文化向上のため少しでもよいラヂオをおすヾめしたいとの熱意にもえて居ます。
 青年技手二名を引きつれて下灘、上灘、中山の三ヶ町村のラヂオ相談の責任者としてその技術を十分に発揮されています此の店、此の技術を大いに利用してラヂオの普及をはかりましょう。
 ラヂオのある家明るい家族ラヂオ囲んで坊やも踊る 上灘駅前 森田ラヂオ店 松山放送局指定

 いやあじつに面白い、しかも長閑な田舎の風情ではありませんか。テレビも無い戦後間もないラヂオさえもまだ普及していない時代の明るい話題に感心してしまいました。

  「史談会 戦後間もない 弘報を 思い起こしつ 振り返り読む」

  「テレビない 時代のラヂオ こんな風 駅前の店 跡形もなく」

  「昨日今日 変化気付かぬ ことばかり 70年は 驚く変化」

  「広報を 弘報と書く 面白い 誤植じゃないか 見紛うほどに」

 

 

 

 

 

 

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〇花の咲く美しい小路

 若嫁の父親が亡くなって当分の間閉店していた喫茶店が、母親と若嫁の手によって復活開店して、1ヶ月余が経ちました。若嫁はその喫茶店に勤めていますが、再開店当時の忙しさもやっと落ち着いて、昼前に出勤夕方帰宅といった日常に戻っているものの、土曜日出勤、夕方帰宅が少し遅れるため、このところ私が孫2人のお迎えを引き受けています。夕方5時頃保育所へ孫奏心を、その足で学童クラブへ孫希心をそれぞれ迎えに行くのです。

花の小路1花の小路2 自宅から保育所までの裏道は500mほどしか離れていませんが、その道には今が盛りと花が咲き、とても綺麗な花咲く小路なのです。土地の持ち主は最近まで牛乳屋さんを営みながら、この土地でお米を作っていましたが、機械類の故障と高齢を理由に耕作を止めました。以来花好きなご夫婦は広い田んぼ一面に様々な花を植え始めました。バラ、アジサイ、ゼラニューム、タチアオイ、ショウブ、菊などまあ凄い量の花々で、傍を通るだけで何か幸せ感に浸れるほどです。

 こんな便利な場所なのに、花畑の道を挟んだ隣りの田圃も同じ頃休耕地となりましたが、持ち主が病気がちらしく、雑草に覆われ資材なども煩雑に置かれているため、花畑との対比に、どうにかしてあげたいけれどそれもできず、何とも心が痛みます。 
 孫と手を繋ぎ、花畑の花を愛でながら、時には歌を歌いながら歩いて帰る光景はまさに絵になる光景です。わが家の裏庭には蜜蜂の巣箱に7箱蜜蜂が入居していますが、わが家の蜜蜂たちもこの花畑の花の蜜を寸借ならぬ盗み取りしているかも知れないと思うと、多少心が揺らいでいます。花さんありがとう。孫と二人でそういいながら歩きました。

  「保育所に 孫を迎えに 行く帰り お花畑の 花を楽しむ」

  「花畑 道を挟んで 片方も 不耕作になる どこか淋しい」

  「この花の 花蜜蜜蜂 盗み取り 花に感謝の 言葉をかける」

  「花を見つ 孫と2人で 手を繋ぎ 歌を歌って 帰宅も楽しい」 

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〇収集した面を飾る

 新聞のお悔み欄に、私と同年代の人の訃報が載っているのを見る度に、自分自身の寿命のはかなさを思い、少しずつ身辺整理をしておかないと行けないような気分になります。昨日は書斎の棚にこの2~3年間収集したまま置いていた能面を、海の資料館海舟館に飾ろうと思い立ちました。100円ショップに行ったついでにホームセンターへ立ち寄り、真鋳の金具を買って帰り、早速始めました。

能面1能面2 いつの頃よりか?、また何でか?はもう昔のことなので忘れてしまいましたが、少なくとも20~30年前から私は、能面などの人面を趣味で集めるようになりました。旅行に行ったついで、出張のつでなどに買い集めたり、私が面を収集していることを知って友人がくれたりしたものが、50個近くになりました。その殆どは親父が海の資料館海舟館の板壁面に飾ってくれていますが、親父の手助けができなくなったので、不器用自認の私ですが、思いをめぐらせながら、海舟館の壁面に飾りました。

 面の裏の小さな穴へ吊り下げるようにタコ糸を通して縛り、ネジ金具を差し込んで順番に展示をしましたが、まあ出来栄えは程々といったところです。先日親父に替わって海舟館の大掃除をしたところなので、2~3日前軽トラ市で買って砥石で研いで油拭きをした珍しい包丁と山中塗の漆器も収め、全体の展示物を少し時間をかけてゆっくり眺めました。少し時間ができたらそれぞれの展示物の一覧表や説明を、来訪見学者のために整理したいと思っています。

  「書斎棚 収集したまま 置いていて 面の数々 海舟館へ」

  「紐をつけ 金具差込み 次々と 面を壁面 飾って展示」

  「よくもまあ こんなに沢山 集めたと 感心しつつ 一人見入りす」

  「展示品 一覧表や 説明を 整理したいと 思っているが」

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〇今月の五行歌

 3日前松山五行歌五月歌会の結果が、主宰の見山あつこさんから送られてきました。先月の私の作品はあいも変わらず督促でやっと間に合った程度の駄作なので恥ずかしいのですが、記録のつもりで紹介します。 
  薬を飲んでいる友
  胃を半分切った友
  杖をついて歩く友
  みんな調子が悪い
  私はまだまだ元気

 この歌の後に講評が書かれていました。
  ☆年を重ねると、いろいろなところに故障が出てきます。こうして文字にしてみて
   も、年を取るということはなかなか大変なことだなあと、あらためて感じます。
   でも皆さん、元気で生きていきましょね。五行目の「まだまだ」からは、元気な
   ことに感謝している気持ちが読み取れ、読者も最後は明るく読み終えることがで
   きました。

 ちなみに出席歌一席は塚田三郎さんの次の歌でした。
  ちょっと選択を
  間違えたが
  まあいい
  人生を大きく
  変える程のことでもない

 ちなみに欠席歌一席は寒川国子さんの次の歌でした。
  砂糖と塩
  性格の違う
  兄弟みたいなもの
  どっちも
  取り過ぎにご用心

  「人生の 機微五行歌に 織り込んで 作品送る いつも督促」

  「毎度だが 何かが足りぬ 首かしげ やり過ごすから 上達もせず」

  「一席の 歌を読みつつ なるほどと 相槌を打つ 自分と比較」

  「何事も 奥が深いと やってみて 思う私は やはり凡人」 
    

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〇親父の元気は私の元気

 寒かった冬が去り、春も急ぎ足で駆け抜けました。隠居に取り付けたエアコンのお蔭でしょうか?、冬から春にかけて96歳の親父は一度も風邪を引かず、確実に衰えや認知は進んでいるものの、まあそれなりに暮らしています。親父の世話はもっぱら妻の役割でしたが、パンパースが必要となったため、その役割やトイレの掃除などはもっぱら私の仕事になっています。

96歳の親父が選定をしてくれたクロガネモチの木
96歳の親父が剪定をしてくれたクロガネモチの木

 この2~3日外の陽気に誘われたのか、親父がまるで蓑虫のように隠居の部屋から外に出て、敷地内を散歩するようになりました。杖をつきまるでロボットが歩くような出で立ちで歩いていますが、昨日は何を思ったのか朝早い5時頃から、庭木の剪定をし始めました。私が若い頃山取りして育てたクロガネモチの木は、かなり大きくなって畳2畳、しかも4段に刈り込まれていますが、杖がないと歩けない親父が、何と何と大きな鋏で一時間もかけて剪定をしてくれました。

 その間、薮蚊やブトが顔や首筋を刺されたのが分らないのか、所々赤く腫れてうっ血も見られ、かゆみ止め虫刺されの薬を塗ってやりました。「蚊やブトもわしの枯れたような体を刺しても美味しくなかったのでは?」と、冗談を言っていました。昨日はディサービスに行く日だったので、9時に迎えの車に乗せて見送りました。剪定屑を熊手で掃いて片付けましたが、キャリー4杯もある枝や葉っぱを片付けながら、いやはや大きな驚きを禁じ得ませんでした。庭の辺りを見渡すと、松の木の剪定や庭の草引きもいつの間にか終えていました。

 親父は信じられないことを時々やります。前日も隠居の台所の水道栓を締め忘れ、半日も垂れ流しにしたと思えば、自分の杖が少し短く感じたのか、杖の先に5cmほどの木を削って差し込み、起用にもまるで玄人のようなこともやります。でも去年と今年では確実に老いの速度が進んで、世話がやけるようになりました。在宅介護の難しさを感じながら、わが行く道と肝に銘じつつ、これからも面倒を見ようと思っています。

  「わが身すら やっとの親父 庭に出て 庭木剪定 驚きました」

  「蚊とブトに 刺されて赤く 腫れ上がる 薬を塗って 作業に感謝」

  「わしの血は 吸っても美味く ないだろう 冗談言いつ 明るく振る舞う」

  「在宅で 介護するのは 難しい できることしか できぬもどかし」

 

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〇佳境に入った天草晒し作業

 天草取りをしたのは今月の中ごろ17日と、18日の2日間でした。以来出張して家にいない時を除けば殆ど毎日、朝と晩外に干し広げた天草を水につけたりサナに広げたりの晒し作業を、腰が痛いほど繰り返して来ましたが、その間雨が降ったのはたった一日だけで、このところの好天ですっかり綺麗になり、仕上げ作業に入っています。

晒されて白くなった天草
晒されて白くなった天草
採った時はこんな茶褐色でした。
採った時はこんな茶褐色でした。

 天草の根元に着いたカキ殻や別の海草を小まめに取り除く、気の遠くなるような作業でしたが、茶褐色だった天草の色がだんだん白く脱色して、この分だと明日の雨に打たすこともなく終わりそうで、そろそろナイロン袋に入れて、ヒジキ、ワカメ、切干大根とともに、食料品倉庫に収納する予定です。

 晒した天草を使って今年の夏も、妻がトコロテンとフルーツゼリーを作ってくれる予定です。特にフルーツゼリーは絶品で、わが家では「おばあちゃんのスイーツ」として人気が高く、孫たちも毎回心待ちにしているようです。勿論私もフルーツゼリーは大好きで、食後のデザートとしてよく食べるのです。

 あのいかつい天草がどうして晒せば白くなるのか、晒した天草に水を入れて火に掛け、少しお酢を入れるととろけ、木綿袋で漉して冷ますとゼリー状に固まるのか、凡人の私には説明ができず、まるでサイエンスの世界です。天草は海草ですから体に良く、フルーツゼリーやトコロ天を食べるとお通じも抜群のようです。さあ今年も思う存分天草を楽しみましょう。

  「天草を 水に漬けたり 天日干し 繰り返すうち 白髪のように」

  「二週間 手間暇かけて 晒したが いよいよ佳境 そろそろ収納」

  「天草を 使って妻は スイーツを 作る喜び 私は食べる」

  「天草を 食べるとお通じ いいようだ 自給能力 さらに高まり」

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〇日焼けして真っ黒な顔になっています

 夏の到来を告げるように、野山に真っ白い卯の花が咲いています。今年の5月は気圧配置がいいのかこのところ好天が続き、気温がグングン上がって先日は大洲市で5月にしては珍しい、気温32度を記録したそうです。私も暇を見つけて連日家庭菜園畑に出て農作業をしていますが、暑さのため作業効率が悪く、昨日やっと長ナスの囲いを取った程度のお粗末さです。

日焼けした自画像
日焼けした自画像

 そろそろジャガイモの茎が枯れ始め、掘り頃サインが出始めたので、天気を見計らって今日辺りから始めようと思っていますが、麦藁帽子を被って作業をしているものの、反射日光もかなり強くて、露出している手は勿論、顔もかなり日焼けをしていて、妻から昨日「お父さん、顔が黒くなった」と言われました。鏡に写すと余り感じませんが、食事の時等妻と並んで座り、ガラス戸に写った夫婦2人の顔の色を比較すると、まあ黒くなっています。

 最も日焼け等別に気にならない年齢ですから、馬耳東風聞とき流していますが、たまに外歩きをしていて知人友人に会うと、「日焼けしてお元気そうですね」と言われます。顔の色が青瓢箪のように白いと、「どこか具合が悪いのでは?」と思われ、日焼けすると「お元気そうで何より」と言われるのですから、まあ日焼けは見た目に健康そうなので、これも良しと納得しています

 最近は紫外線だけでなく近赤外線もお肌に悪いそうで、そうした日焼け止めクリームがよく売れているようですが、日焼け止めクリームは女性専用だと思いきや、男性だって日焼け止めを塗って外に出るそうで、時代は変わったものです。私など日焼け止めクリーム等まだ一度も塗ったことことはありませんが、それでも70歳まで元気で生きているのですから、化粧品メーカーの戦術に惑わされることなく、余り気にせず生きた方が気楽で安上がりかも知れません。子どものころ黒ん坊大会に参加して入賞した経験の私なので、どこかでそんな大会があれば出ようかとも思っています。

  「最近は 男性さえも 日焼け止め 塗って外出 時代は変化」

  「窓ガラス 並んで座る 妻の顔 色白見える 私色黒」

  「いいじゃない 黒い顔見て 元気そう 言われるだけで 嬉しい気持ち」

  「黒ん坊 大会あれば 出てみたい 昔入賞 したのですから」

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〇今朝の穏やかな空海

 昨夕「人間牧場へ泊めてください」と何のアポもなくいきなり連絡があり、「宿泊施設ではない」とお断りをしたのですが、「どうしても行く当てがない」と懇願され、2人の夫婦を車に乗せて人間牧場まで連れて行き、泊めることにしました。昨晩はそのことが気になって中々眠れませんでした。早朝4時に起床し、ブログを一本書いたところで軽四トラックを走らせ、おにぎりと味噌汁を持って行きました。

本尊山辺りの朝焼け
本尊山辺りの朝焼け
人間牧場の朝焼け
人間牧場の朝焼け

 夫婦は既に起きていて、私の用意した粗末な食事を食べた後、私の車で下灘駅まで送ってあげ一件落着です。そんなに持ち合わせもないであろうことは、その様子を見れば粗方分るので、これもご縁と思って余り詳しいことも聞かず、夜露をしのいでもらいましたが、別れ際私に向って手を合わされ、少し涙ぐんでいるようでした。地域づくりを長年やっているとこんなことはよくあることで、路銀を貸して欲しいとか、泊めて欲しいとかよく言われます。私の眼力のなさから騙されたこともありましたが、これも仕方のないことと諦めています。

 今朝は唐崎で急にトラックが飛び出し、思わずブレーキを踏んで間一髪交通事故にはなりませんでしたが、冷や汗物でした。ドキドキした心を静めようと、唐崎の路側帯に車を止めて振り返ると、双海町のシンボル本尊山の付近が朝日に染まり始めました。人間牧場では同じ朝焼けも違ったアングルゆえ、違った趣があり、空や海の穏やかな景色に心が癒されました。昨日は好天に恵まれ県内でも、大洲で32度を越える高温だったようで、初夏といえどもう夏のような暑さでした。さあ今日も心を引き締めて頑張らずに頑張りましょう。

  「一夜宿 泊めて欲しいと 頼まれて 懇願の末 意味も分らず」

  「朝早く おにぎり味噌汁 軽四で いきなりトラック 心臓パクパク」

  「朝焼けの 空海眺め 癒される ああ今日もまた かくてありなん」

  「生きている 証拠でしょうか 日々暮らし メリハリ付いて 今日も楽しく」 

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〇後片付けは大事です

 人間牧場での子ども体験塾が終わり、ホッと一段落しました。今年度は申し込みが41人とこれまでで最も多い上、事務局の赤石さんが異動して隅田さんに替わり、加えて実行委員である小学校の教頭先生が3人とも替わる等、フレッシュと思えばフレッシュなのですが、馴れていないゆえ少し気を引き締めてかかりました。

楽しかった今年の子ども体験塾野外活動
楽しかった今年の子ども体験塾野外活動

 こうした野外活動は昼を挟んで食事を伴うため準備も相当なもので、余ったり足らなかったりも多少ありましたが、まあ何とか事故もなく子どもたちの感想文を見た限りでは心に残るいいプログラムでした。何よりも嬉しいのは宇津さんや中島さんを中心にしたジュニアリーダーたちが、しっかりとプログラムをフォローしてくれたことです。

 野外活動の一番の大変は後片付けです。利用した人間牧場の諸施設は私の持ち物なので私がやれば済むのですが、使った食器や機材等は、運んだり借主に返したりしなければなりません。本当は使った食器などは子どもたちにやらせたいのですが、人間牧場は水が少し不便なため結局事務局が持ち帰り洗うしか方法がないのです。

 昨日事務局の隅田さんから、食器を洗ったので人間牧場の食器ストッカーに返却したい旨の連絡があり、今日の午前中二人で人間牧場へ出かけ、食器類を元の所へ収納したいと思っています。人間牧場には私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループが無人島キャンプをしていた頃使っていた食器を60人分譲り受けて使っていますが、この食器類の保管や管理も中々です。

 もう直ぐ来月末には次のプログラムである防災キャンプ、7月には底引き網体験航海などが迫っています。既にプログラムの企画や検討に入っていますが、事務局、スタッフ、リーダーが一体となって準備を進め、その都度後片付けをしなければなりません。後片付けの良し悪しがいいプログラムにつながることを肝に銘じて、しっかりと対応したいと思っています。

  「イベントが 終れば直ぐに 次が来る 後片付けを する暇もなく」

  「片づけが できる人ほど できる人 肝に銘じて やってはいるが」

  「片付けは みんなの力で やりたいが 水が不足し 洗うに洗えず」

  「片付けを これも修業と 言い聞かせ 汗し働く 心落ち着く」 

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