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〇ビールもどき

 私は三度の飯より好きだったビールを15年前、胆のう摘出手術をしたのを機会にきっぱり止めました。今でも友人が美味しそうに呑んでる姿や、真夏大汗をかいた後などは正直言えば呑みたい気持ちはありますが、そこは意志の強い私ゆえ一度決めたことは何が何でも意地を通しています。最近わが家で親父が亡くなり、葬式や仏事が続いていますが、妻が車を運転する人のために、ノンアルコールのビールを沢山買って来て、冷蔵庫に常時冷やしているのです。

ビールもどきのノンアルコールビール
ビールもどきのノンアルコールビール

 仏事の後の食事会になると「亭主三杯客一杯」という言葉どおり、私もノンアルコールのビールをコップ一杯嗜む程度呑んでいます。これまでにも年輪塾の会合やまちづくりの呑み会等では酒を呑まない私のために、松本さんや浜田さんが気配りをしてくれ、ノンアルコールのビールを呑んでいましたが、家で呑むことは殆どなかったので、ちょっとした寝酒風です。ところがこのビールもどきのノンアルコールビールは、泡もホップの味も本物のビールと殆ど変らず、酔った雰囲気になるのですから不思議です。

 どんな製法で作られているのか知る由もありませんが、酒を止めた私にもし本物のビールとノンアルコールのビールで目隠しテストをされても、舌や喉が昔のビールの味を忘れていて、私は見破ることさえできなくなってしまっているのです。
 昔は「酒を呑まないでまちづくりを語ることはできない」と言っていた私も今は、「酒を呑まなければ語れないようなまちづくりは本物ではない」などとうそぶいているのですから、そのいい加減さに呆れています。でも酒を止めただけのせいではありませんが、13kgも体重が減りながら、今もどうにか元気で過ごせているのは、酒を止めたからだと、自分を納得させています。

  「アルコール ゼロのビールが 登場し 昔のように ビール呑む真似」

  「ゼロだけど 酔った気分に なりにけり 車運転 少し心配」

  「近頃は 酒を呑まない こと知って 友人ゼロの ビール気配り」

  「呑まないと 決めて早くも 十五年 強い意志力 妻だけ誉める」

 

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〇花火大会の是非

 何といっても有名なのは東京隅田川の花火ですが、夏といえば花火と形容されるほど、全国各地で花火大会がこれでもかというほど行なわれています。特に今年は平成の大合併があって新しい街が誕生してから10周年を迎えたこともあり、花火大会に「合併10周年」という冠名をつけているところも少なくないようです。

墨田の花火 先日ある町の議会で「合併10周年花火大会」に1千万円の予算が計上され、賛否両論のホットな議論があったようです。この財政難の折、1千万円のお金が一夜のうちに消えてなくなるのですから、「はいそうですかと」と認める訳にいかないと難癖をつけた議員の質問はもっともな素朴な疑問です。また「合併十周年を機に町民が一致団結して未来を目指す足がかりにしたい」という町長さんの答弁もそれなりに納得するのですが、この議論は意外な方向に向かいました。

 再質問した議員は、「この花火大会が中央でやられることに問題がある。活性化のためにやるのだったら合併で支所化した旧町村でもやるべきだ」と我田引水を始めたのです。向こう意気荒い議員の質問に、来年は是非予算を組んであなたの出身地でもやりましょう」となだめようとしました。それを聞いた別の地区の議員が「それだったら私の地区でも」と相乗りし、結局合併した旧町村5地区で5年間に5千万円の花火大会の予算をつけることになってしまいました。

 5年間で5千万円といえば1億円の半分とはいえ大きな予算です。5千万円あれば活性化のためにもっと別のことを考えられるのに、こんなお粗末なやり取りしかできない理事者や議会が日本の各地に今なお存在しているのです。議会って一体どういう役割を持っているのでしょう。選挙で選ばれたといいながら「わしは議員だ文句があるか」と言わんばかりに、僅かな日数で高い報酬を受け取り、胸にバッジをつけ誇らしげな姿はどこか滑稽にも見えます。地方自治とは一体何なのでしょうか?。私には分りません。

  「一千万 合併記念 予算付く たった一夜で 口開け消える」

  「中央で やるのだったら おらの地区 我田引水 ドブ板議員」

  「来年は あなたの地区で やりましょう 町長約束 お粗末話」

  「合併は 見栄無駄省く ためにした これじゃあ賛成 浮かばれません」

 

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〇五行歌7月の歌

 私の所属している松山五行歌会から7月歌会の結果が送られてきました。私の今月の歌は次のとおりです。
  朝顔の花
  ヘチマの花
  ゴーヤの花
  窓辺に涼しく
  グリーンカーテン

 次のような講評が添えられていました。 
 ☆「近所にもこの歌のとおりの緑のカーテンがあるんだよ。」「色々あったら涼しいだろうなあ。」「お世話するのが楽しいです。」ゴーヤは今や人気の食材ですが、ヘチマも食用になるんだよ・・・・というトリピアも飛び出して楽しい作品でした。

 今月の出席歌一席は高市範子さんの次の歌でした。
  雨もいいなあ
  南堀端の街灯は
  ぼんやりと
  市内電車は
  交差点をゆっくりと

 今月の欠席歌一席は和子さんの次の歌でした。
  何をしても
  楽しい頃
  何をしても
  身に付く頃
  今、何をしても疲れる

  「今月も 私の歌は 駄作なり 人の歌見て いつも納得」

  「いいんです オンリーワンを 自認して 次の月にも 駄作を送る」

  「友人に 入らないかと 勧められ 入ったけれど その人脱会」

  「歌会に 一度も出席 せず経過 進歩するには それしかないかも」
 

 

 

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〇葬儀後の住所録整理

 親父の葬儀が終って2週間になります。今でも毎日のように、葬儀が終って知ったという人がわざわざ自宅まで弔問にやって来るので、私が主になって対応に追われていましたが、二週間が過ぎやった終った感じです。この2~3日前から、いただいた香典や生花、盛籠、弔電などの相手を一つ一つ調べて、パソコンで住所録を作る作業をし始めました。

 最近はパソコンに住所録のソフトがあるため何かと便利で、名前を打ち込み郵便番号を打ち込めば、郵便番号検索が働いて、住所が居ながらにして出てくるのですから意外と楽です。また葬儀の受付で弔電には受け付け名簿を書いてもらっているので、大助かりです。しかし田舎の人は知っているつもりで、その名簿に名前だけ書いて住所も郵便番号も、ましてや電話番号などは書かずじまいの人が多く、いちいち電話番号簿で調べて打ち込まなければならず、かなりハードな作業となっています。

 私は現職を退職し、兄弟もそれぞれリタイアしているので、葬儀に来てもらう人はそんなに多くはないだろうと、予測をしていましたが、その予測は的外れとなり返礼ハガキやお返しの品が足らなくなり、葬儀当日は急遽追加する大失態もあり肝を冷やしました。香典に書かれた名前を見ながら、あの人もこの人もと顔と名前が浮かび、ご厚誼に感謝しながら作業を進めています。何せその数が半端ではないのでやり終わるのには4~5日かかることでしょうが、正直かなり疲れる作業のようです。

 15年前母が亡くなった時、この作業はパソコンでなくワープロでした。今はランダムに名前を打ち込んでも、パソコンの力で名前があいおうえお順に並べ替えてくれるのでこれからの検索に大助かりです。住所録は49日の法要までに作業を終えればいいので少しのんびりゆっくりやろうと思っていますが、せっかちな妻は私の苦労を知ってか知らずでか、毎日のように「どこまでできた?」「もうできた?」と聞いてきます。梅雨明け間近の馴れない猛暑に大汗をかきながら、少し憂鬱な毎日を過ごしています。

  「退職後 10年経って 交遊も 少ないだろう 大きな誤算」

  「香典を 一つひとつと めくりつつ 名前と顔を 思い出しつつ」

  「住所録 田舎の人は 名前だけ 電話帳にて 調べ直して」

  「猛暑にて 少し憂鬱 住所録 作る作業が 当分続く」

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〇四国も遅ればせながら梅雨明けです

 今年は夏の太平洋高気圧の張り出し勢力が弱く、また7月としては珍しい3つの台風の影響で、四国より北や東の関東や甲信越、近畿に加え中国地方まで梅雨明けしたというのに、四国や北九州が置いてけぼりのようでしたが、昨日やっと四国地方が梅雨明けした模様だと、気象庁より発表がありました。前々日が暦の上の大暑だったし、昨日は土用丑の日という願ってもない日と重なったため、喜びも一入だったようです。

夕日に照らされた自画像
夕日に照らされた自画像
昨日の綺麗な夕日
昨日の綺麗な夕日

 梅雨が明けると待っているのは農作業です。雨が降ることを理由に農作業を休んでいたし、今年は在宅介護していた親父が7月11日に死亡し、家の中が今でもゴタゴタしているため、それどころではなかったため、作業が大幅に遅れてしまいました。今年に限っては仕方のないことと諦めるしかないようですが、それでも最低限のことをしないと来年につなげれないし、美観を損ねて周りに迷惑をかけるので、重い心を奮い立たせ、昨日は家庭菜園横の斜面の草を刈り大汗をかきました。

 今日はその片づけをしなければなりませんが、願うことなら長男息子に手助けの応援を求めたいと思っています。わが家の家庭菜園に隣接した人の畑も、持ち主の人が高齢で体調が思わしくないらしく、放任園化し始めました。他人の畑なので勝手に草を刈ることはできませんが、草刈機のバーが届く範囲で草を刈ってあげているものの、これもいつまで続くか限界のようです。
 昨日は梅雨明けを喜ぶように、前日の夕日夕焼けよりさらに綺麗な夕日夕焼けが見えました。台風から熱帯低気圧になり、再び息を吹き返して台風になった台風12号の行方も気になりますが、そろそろ体力全開で暑い夏に挑戦です。気力と体力が落ちているゆえみんなから「無理をしないよう」に言われていますが、誰も助けてくれないので・・・・。

  「待っていた 梅雨明け宣言 丑の日と 重なりウナギ 精つけ食べる」

  「梅雨加え 家のゴタゴタ 重なって 作業が遅れ 気ばかり焦る」

  「菜園の 横の畑の 持ち主も ついにダウンし 放任園化」

  「無理しない ようにと気休め 言うけれど 誰も口だけ 助けてくれぬ」

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〇梅雨の晴れ間の夕日夕焼け

 周りの地方では梅雨が明けて、連日35度を越す猛暑日が続いているというのに、四国愛媛双海では、梅雨末期の雨が毎日のように降り続いて、昨日暦の上では一番暑い大暑を迎えても、お天道様の顔を見ることができません。それでも梅雨明け間近かを感じさせるように、昨日は雲を押し上げるようにして夕日が顔を覗かせ、夕焼けがとても綺麗に見えました。夕日夕焼けに照らされた周りの景色を見ようと裏山に登り、西の方向を見ると、青島の弁天崎付近に雲の切れ目から、まるでスポットライトのように、夕日が照ら

梅雨雲を押し上げた西の空
梅雨雲を押し上げた西の空
残照
残照

していました。

 デジタルカメラが壊れたつい最近までは、タブレットを使って夕日夕焼けの写真を撮っていましたが、次男息子が不自由だろうからと余り高くないNIKONのデジカメを買ってくれたので、今はもっぱらこのカメラがお似合いとばかりに持ち歩いています。長男息子が音頭を取って今年の父の日にプレゼントしてくれた、少し高めのNIKON一眼レフカメラは、殆ど使うこともなくケースに入れたまま、書棚に置かれていますが、時ならぬ親父の騒動で使い始める時機を逸してしまい、長男息子から「いつ使うのか?」とブーイングが起こっています。

 facebookなどにアップされる友人たちの写真を見て、その素晴らしさはカメラがいいからだと勝手に思い込んでいましたが、どうやら「弘法筆を選ばず」だったようで、私の写真技術の不味さは腕前だったことを、今頃になって痛感しているところです。
 「秋の夕焼け鎌を研げ」「夏の夕焼け川向こう渡るな」という諺があります。秋の夕日は明くる日天気、夏は夕焼けでも急に雨が降って川の水が増水するので、川を渡らない方がいいとの例えですが、昨日の夕日夕焼けは夏ながら、ひょっとしたら梅雨明けの前兆かも知れないと、今朝の久しぶりの青空を見て思いました。

  「梅雨雲を 押し上げ夕日 夕焼けが 見えてすっきり 気分が晴れる」

  「デジカメで 夕日夕焼け 写真撮る 腕の悪さを 自分納得」

  「古老から 聞いた諺 思い出す 夏の夕焼け 川向こう渡るな」

  「梅雨明けの 前兆のよう 昨夕の 夕日夕焼け 綺麗だったな」

 

 

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〇金縛りの大声

 昨日の夜11時30分ごろ、私は寝ていた布団の中で、家の中に響くほどの大声を発したようです。遅い帰宅で食事を終え二階で寝ようとしていた息子もその大声に驚き、二階から降りて来ました。勿論一緒に寝ていた妻も飛び起きて、「どうしたの?、大丈夫?」と心配顔でした。夢の記憶を辿りましたがあいまいで、殆ど思い出ませんでした。でも声を出そうと必死にもがくのに、声が出ない場面だけははっきりと覚えていました。

 これを金縛りというのでしょうか。妻も息子も親父が死んでまだ10日ほどしか経っていないので、「夫や親父にもしものことがあったら!!」と気が動転して心配してくれたのはもっともなことです。最近人に出会う度に親父へのお悔みの言葉をいただきますが、その折私や妻の心労に対しても気遣いの言葉をかけてもらいます。私に限ってはタフで疲れ等ないと思って鷹を食っていましたが、やはり親父の死亡前後や葬式の騒動が目に見えぬ形で身体に染み付いているようです。

 さりとて49日の法要が済むまでは気を抜くこともできないので、少し体調に気をつけて過ごさねばと、妻と二人で話しました。このモヤモヤした気分に輪をかけているのが、梅雨末期のジメジメした天気です。近頃は毎日のように、昨日も一日中朝から晩まで雨が降って気分がすぐれません。日ごろは寝つきのいい私ですが、最近は寝つきが悪く寝汗をかいたり、時には昨日のような嫌な夢を見ることだってあるようです。昨日の夜の金縛りを教訓に少しリラックスしようと思っていますが・・・・。

  「金縛り 家中聞こえる 大声を 出して家族が みんな驚く」

  「親父の死 身体に相当 堪えてる これじゃいかんと 思いながらも」

  「明けぬ梅雨 モヤモヤさらに 輪をかけて 気持ちが滅入る 今日も雨降る」

  「人に会う 葬式参列 お礼言う 堪えんようにと ねぎらい言葉」

 

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〇親父の戒名

 親父は96歳でこの世を去り、あの世へ旅立ちました。若い頃は小学校しか出ていませんが教師に色々教わり世の中にデビューしました。その後は自らが漁師として働いて生計を立て、老いた後は診療所の先生である医師のお世話になりました。そして死と同時に導師であるお坊さんの導きを受けたのですから、教師、漁師、医師、導師と、師の付く自分を含めた多くの人にかかわりを持ち続けた人生でした。

DSCN0422 亡くなると、お坊さんが戒名をつけてくれます。その折院号か居士か聞かれますが、わが家は代々貧乏だし、歴史に名を残すような社会的地位もないので、戒名代はさておき母親が大姉だったため、一も二もなく居士を選びました。和尚さんは引導を渡すとき、その人の一生を思い出しながら、引導の言葉を述べますが、その総合的な結論を戒名にするのだそうです。

 親父の戒名は「大網栄進居士」です。葬儀の明くる日のお寺参りで、戒名について和尚さんの薀蓄を聞きましたが、「大網栄進居士」という戒名はさすがにいい戒名だと感心させられました。親父は13歳で船頭をしてから70歳を越えるまで、60年近くも漁師をしました。貧乏だったため筆舌に尽くし難い辛酸をなめましたが、往時は腕の良い鯛網漁師として、下灘漁協の年間水揚げ高1~2を争う活躍ぶりでした。

 また5t15馬力の小さな船で県外出漁し、伊豆の下田を基地に遠くは伊豆諸島の三宅島まで出かけているのですから、尋常とは思えない根性の持ち主だったようです。親父の名前は「進」です。戒名に名前の一字を入れてもらったことも大満足です。現段階では親父の生き方を越えていないし、今後も見込めないことから私も、何年か後にあの世に行く時の戒名は、多分親父と同列の居士になる予定だし、そうして欲しいと息子に頼んでおきたいと思っています。「大網栄進居士」という位牌を前に、今朝も線香を手向けて手を合わせました。

  「戒名を 如何しますか 問われたが 母と一緒の 居士に落ち着く」

  「和尚さんに 見てきたような 戒名を つけてもらって 私満足」

  「大網で 鯛を沢山 漁獲した 親父栄進 位牌刻まれ」

  「私にも つけるとしたら 居士似合う 歴史に刻む 功績もなく」 

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〇やっとグリーンカーテンらしくなりました

 書斎の窓に朝日が差し込むので、ブラインドを下ろしたり上げたりして遮光していますが、息子の発案で「グリーンカーテンをしたらどうか」ということになり、大きな植木鉢2個とプランター2個を使ってヘチマ、朝顔、夕顔の苗を約1ヶ月前に数本植えました。その後伸び始めたツルを巻きつかせるため、山から竹を切って来て垣根を作り、そこへ園芸用の網を張りました。

目論見どおりグリーンカーテンになりつつあります
目論見どおりグリーンカーテンになりつつあります
ヘチマも大きな実をつけています
ヘチマも大きな実をつけています

 自分で言うのもおこがましいのですが、手前味噌ながら近所の人が羨むほどの出来栄えで、誉めてもらう度に悦に入っていました。数日前台風11号の接近で垣根は強風に揺れていましたが、葉っぱが4~5枚風で吹き飛んだ程度で、傷むこともなく持ちこたえました。いつの間にか垣には大きなヘチマが五個もなり、朝顔も綺麗な花を咲かせ始めました。夕顔もゴーヤもそのうち成長してくれることでしょう。今朝は天気雨というのでしょうか、弱い夏の太陽が顔を覗かせていますが、緑陰効果は抜群で、涼しい風が窓越しに入っています。梅雨明けももう間近です。クリーンカーテンは目論見どおり夏の暑い日差しを遮ってくれることでしょう。

朝顔の花も涼しげです
朝顔の花も涼しげです

 今年はヘチマが順調に育って実をつけているので、夏の終わりにはヘチマ水とヘチマのスポンジを作る計画です。ヘチマ水はヘチマの茎を根元から切り、一升瓶に差しておくとヘチマの水が逆流して瓶に溜まる算段ですが、上手く行くかどうか・・・。ヘチマ水は天然の化粧水になるらしく、美顔の妻の顔がさらにグレードアップするかも知れません。ヘチマの実はスポンジ状にしてお風呂で使おうと思っています。まだ作り方を調べていないので、誰かに聞いてやってみようと思っています。緑陰で楽しみヘチマ水やスポンジも楽しむことができるヘチマは、エコの代表選手のようなものになるかも知れません。誰かスポンジの作り方を伝授して下さい。

  「書斎窓 外にグリーンの カーテンを 腕によりかけ 作り正解」

  「ヘチマ五個 大きな実つけ ぶら下がり 夏を演出 黄色い花も」

  「朝顔の 花も鮮やか 雨に塗れ 蜂やチョウチョも 雨宿り来る」

  「暑い夏 梅雨明け間近か 来る予感 グリーンカーテン 少し涼しく」 

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〇夏の夜の花火

 台風11号の余波を受けて、台風が去った今も天候が不順で、奄美や関東地方では梅雨が明けたというのに、四国はまだ梅雨明け宣言が遅れているようです。家庭菜園の野菜類も長雨や日照不足で少し枯れ始めたものもあるようで、気を揉んでいます。昨日は久しぶりに草でも刈ろうと思い立ち、朝起きると作業服を着て準備をしたものの、結局雨が上がったのは午前10時頃でした。それでも雨に濡れた草は切れ具合が良いので思い切って畑へ入り、草刈機で果樹園や菜園の畦を中心にブンブン草を刈り、すっかり綺麗になりました。

家の庭で花火をする孫たち
家の庭で花火をする孫たち

 昨日はふたみの夏祭りの日です。主会場となったシーサイド公園には朝から大勢の人が訪れていたようですが、私は親父が亡くなってまだ一週間しか経ってなく、喪に服さなければならないので、お祭りのようなハレの行事は極力控えようと思っているので、昨日は気になってはいたものの夏祭り会場へ行くことを遠慮しました。わが家へは前日から娘家族が泊まりに来ていて、内孫2人に外孫2人の男の子が加わり、まあ賑やかな2日間となりました。前夜は若夫婦が花火を買って来て、自宅の庭でほんの小さな花火大会をしました。子どもたちは花火が大好きで、大いに盛り上がったようです。

自宅から見えた夏祭りの花火
自宅から見えた夏祭りの花火

 昨晩は孫たちも親に連れられて夏祭りに出かけ、一旦夕食に帰って再び花火見学に出かけました。私たち夫婦は家で留守番をしていると、午後8時30分過ぎ、外で大きな爆発音が聞こえました。家から全ての花火は見れませんが、山の端に綺麗な花火が、また大きな六尺花火は山の端を越えて見えました。夫婦でささやかながら夏の花火を楽しみました。
 この町の夏祭りを始めたのも私だし、夏祭りを長年運営したのも私です。ゆえに夏祭りといえば血が騒ぎますが、今も多くの人の思いによって、さして楽しみのないこんな田舎でも、ささやかながら夏祭りを続けてくれる多くの関係者いることを、感謝しなければなりません。昨日は多分朝から定まらぬ天気に翻弄され続けたことでしょうが、ご苦労様と労いの言葉を贈りたいと思います。

  「わが家でも 孫が集まり 花火する 夏の思い出 日記に書いて」

  「夏祭り 雨に翻弄 されたはず 昔の自分 思い出重ね」

  「喪に服し 祭りの参加 控えたり 心の中で 血が騒ぎつつ」

  「ド~ンドン 夜空の向こう 山の端で 花火上がるを 自宅から見ゆ」 

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