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大洲市田処ほたる祭り(その4・熊野神社の藤縄神楽)

 私たち年輪塾の一行は、ほたる音楽会が終ると、近くの熊野神社まで歩いて藤縄神楽を見に行きました。石段のあちこちにはまるで道しるべのように灯籠が置かれ、神社の境内広場には松明が焚かれて幻想的でした。薄暗い拝殿では既に神楽が始まっていて、大太鼓の腹に染みるような音と、小太鼓のリズミカルな音が交錯する中を、薄青色の袴を履いた踊り手が、拝殿を縦横無尽に動き回って、息の合った舞が披露されていました。

 もう10年近くも夜神楽を見学しているので、神楽社中の人とも顔見知りで、促されて拝殿の最前列の座布団に座り見学をさせてもらいました。やがて「月・日の舞」という演目が始まりました。月と太陽をあしらった丸いお盆を手の上に乗せ、器用に舞う社中の人に盛んに拍手が送られ、いよいよ体験神楽が始まり、一番手として私が指名され、二つのお盆を持って見よう見真似でお盆を落さないよう、注意しながらくるくる回りました。残念ながら今年も多少目が回って、観客の笑いを誘いましたが、いい経験をさせてもらい、その模様は同行した松本さんがfacebookに動画を投稿してくれていて、恥の上塗りといったところです。(大笑い)

 舞のお礼にお餅をいただき8時半ころ神社を後にして川沿いを飛ぶほたるを観賞しながら、旧田処小学校まで戻り、調理室をお借りして、ハープとギターの演奏者を交えた交流会に参加しました。地元の人たちが作ってくれた山菜中心の料理を美味しく食べながら、呑むほどに酔うほどに賑やかな楽しい交流会となりました。 
 例年私は田処のほたる祭りには妻と一緒に参加して泊まることなく、交流会が終った深夜に帰っていました。今年は午前中鳥取の藤原さんの対応もあって、泊まる覚悟で出かけましたが、水本先生が双海経由で帰る便に便乗させてもらい、自宅まで送っていただきました。鳥取の友と出会いに加え、年輪塾の夏学習を行い、ホタル音楽会、夜神楽見学、交流会とまあ凄くハードなスケジュールでしたが、とても充実した一日でした。

  「川沿いを 仲間連れ添い 神社まで 灯篭明かり 頼りに歩く」

  「境内に 松明焚かれ 薄明かり 太鼓の音に 合わせて神楽」

  「促され 見よう見真似で 神楽舞う 目が舞いヨロリ 爆笑さそう」

  「四部構成 思えるほどの 一日を 過ごしわが家へ 深夜に帰る」

 

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〇楽しかったホタル音楽会(その3)

 昨日は恒例の大洲市田処のホタル祭りでした。毎年このイベントには、愛媛県指定無形文化財藤縄神楽と講演会などがジョイントされていますが、今回はアメリカで活躍しているハーピスト古佐小基史さんとギタリスト笹島明夫さんをお迎えして、農村活性化センターでホタル音楽会が開かれました。ギターの演奏はこれまでにも何度か聞いたことはありますが、ハープの演奏は初めてなので、興味深々といったところで、とても楽しみにしていました。

ハープ演奏会1ハープ演奏会2 そもそもこの音楽会のきっかけは、元愛媛県警察本部長だった岸本さんや私の口つきで、特に岸本さんは現在九州産業局長の要職にありながら、わざわざ会場まで足を運んでもらう熱の入れようで、その熱意に報いようと、西田さんと亀本さんを中心に連日連夜実行委員会で準備を進め、今回の音楽会にこぎつけました。当日は満席になるほどお客さんが訪れ、初めて聞くハープの演奏に聞き入りました。田舎に住んでいる人たちににとって、ハープやギターの生の演奏を聴くことは滅多になく、知らない曲が殆どでしたが、みんな満足の手合いでした。

 今の若者たちはスマートフォンを利用して、様々な音楽を日常的に聴いています。一方古くなった昭和生まれの私たちは、音楽等たまにテレビで見聞きしたりカラオケで歌う程度で、音楽と暮らしは完全に遮断されているのです。古佐古さんの演奏の途中に挟んで話すトークを聞きながら、音楽が人間の健康にとって、とても大切だということを初めて知ることができました。かく言う私も残念ながら、ハーモニカの下手糞な演奏や、ハーモニカの演奏が入ったCDを聴く程度でお茶を濁していますが、これからはもう少し音楽にも興味を持ちたいと思いました。

  「振り返りゃ この一年も 音楽を 聴いていないと 深く反省」

  「若者は 耳にイヤホン 差し込んで 音楽聞きつ 歩いています」

  「若者が 口ずさむ歌 私には 理解し難い 時代が違う」

  「知らぬ歌 ばかリだったと 不満顔 無理もないです 田処サンソン」 

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〇新聞スクラップ

 このところ忙しくて止めてた新聞スクラップを始めてみようと思い立って、新聞を広げると新聞の見方読み方が少し違ってきたような気がします。私の新聞スクラップは、自分の住んでいる町に関することが殆どですが、時には色々な人が言っているためになる言葉もあって、結構楽しいものです。

img733img732 数日前の新聞に載っていた、下灘駅の開業80周年記念事業は、チラシや友人の松本さん、浜田さんからの情報に加え、わが息子も参加していたのである程度知っていましたが、下灘駅は私が始めて夕焼けプラットホームコンサートをやった思い出多い駅だけに、郷土史「双海町誌」を開けて読み返したりしました。

 また数日前の新聞の「単眼複眼」欄に載った「完熟トマト?」という松山の高橋文雄さんの投稿も興味があってスクラップしました。それらは全て机の下の資料カゴに無造作に入れていますが、若い頃から切り抜いた新聞や雑誌の記事は段ボール箱に入れられ、日の目を見ることもなく倉庫の隅に積まれていますが、そろそろ整理をしてみたいとも思っています。

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〇男と女の違い

 田舎に住んでいると、人恋しいのか港や集会所の近くで、何人かのお年寄りがたむろして集まり、世間話に耳を傾けています。たまたまそこを通りかかると、「進ちゃん元気か?」などと、好む好まざるにかかわらず声がかかります。立ちどまってたむろした輪の中に入り話をしますが、話している世間話は他愛のないことが多いようです。お年寄りになると自分の事はさて置いて、他人のことが気になるようで、人の不幸も噂話のまな板に乗せられてしまうのです。

 昨日は男と女の違いが話し合われていたようです。要約すれば「女は人生を諦める歳になると下ネタを連発するようになり、男は人生を諦める歳になると下ネタを言わなくなる」とのことでした。私も一応人間で自分では若いと思っていて、まだ人生を諦めてはいませんが、「進ちゃんはまだ若いから下ネタは興味があるだろう」と、いきなり矛先を向けられました。「はい私はまだ女性の胸の膨らみを見るとドキドキします」とやり返すと、「ええなあ。私らはもうミニスカートの女性を見てもビクともせん」とおじいちゃん。隣にいた人生を諦めていると思しき初老のおばちゃんは、「私らは下ネタの話を聞いても顔が赤くなることがなくなりました」と納得の手合いでした。

 昔シーサイド公園にじゃこ天の店を造った折、竹輪が売れないので「夕日の望遠鏡」と名前をつけたら爆発的に売れた話を思い出しました。「某水産の竹輪は3本200円のおじん竹輪、わがじゃこ天のお店の1本300円の竹輪は私と同じような若者竹輪でピンピンです」とか、「植えてはいけないとJRから反対されたけれど、エプロンにポケットを作り粗く縫ったポケットから種を落とし野良這えの菜種畑を作りました。参加したエプロン会議のおばちゃんはお乳も全員下向きです」と、面白おかしく講演したことを思い出しました。そういえば当時の私は歳も若く、人生を諦めてはいませんでした。他愛のない田舎の井戸端会議の笑い話でした。

  「下ネタを 話す間は まだ若い 世捨てる歳に なると話さず」

  「世を捨てた 女性は周り 気にせずに 下ネタ話 大いに語る」

  「若い頃 女性の胸の 膨らみを 見ては心が ときめきました」

  「下ネタと 下仁田ネギを 間違えて それに気付かず 笑いを誘う」 

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〇トマトの収穫

 梅雨に入り足繁く雨が降るため、草引き等家庭菜園での野良仕事ができなくなり、ちょっとしたストレス気味な毎日です。雨の恵みを受けて野菜も雑草も育ちの勢いを増していますが、キューリに加え4~5日前からトマトが色づき始め、収穫を楽しんでいます。今年は大トマト、フルーツトマト、チェリートマト、ロケットトマトと4種類を植えていますが、今のところは順調に育っていて、成長の早いロケットトマトは私の背丈ほどに伸びていて、少し油断すると脇芽を欠くのが間に合わないほどです。

収穫したトマト
収穫したトマト
トマトの栽培実験中の5鉢
トマトの栽培実験中の5鉢

 今年は庭の片隅に大きな植木鉢を置いて「トマトの実験」を孫たちとしています。牛糞2鉢、豚糞2鉢、無肥料1鉢と、それぞれの条件でミニトマトを作っています。このトマトは脇芽を欠かなくてもいい品種だそうで、伸びたい放題にしていますが、いくら何でもと支柱だけは立ててやりました。まあ凄い勢いで、実のなりもこれでもかという程の量です。早いものは色づき始め、2~3粒収穫して試食してみましたが、味は今一の品種のようでした。それでも孫たちは実を沢山つけた植木鉢トマトを毎日楽しみに見に来ているようです。今のところ牛糞・豚糞・無肥料の格差ははなく甲乙つけ難いところですが、折角の実験なので、根の張り具合等詳しく観察したいと思っています。

沢山実をつけたトマト
沢山実をつけたトマト

 果皮の薄いチェリートマトは雨が降ると土中の水分を吸って果肉が破れ腐ってしまうのです。そのためこれからは足繁く収穫をしなければなりません。雨除けを持たない露地栽培のトマトは、長雨になると病気にかかり立ち枯れしたりトマトの実が腐ってしまうのが難点ですが、他の野菜は雨の恩恵も受けなければならなし、難しいところです。今年は野菜類の苗を植えて間もなく南西の強い突風が吹き、何本かは苗が折れるなどの小さな被害に遭いましたが、何とか持ち直しています。 
 私も妻もトマトは大好物なので、そろそろ朝のスムージーにトマトを使おうかと話し合っています。完熟した生のトマトのスムージーを飲んで、今年も夏バテしないよう過したいと思っています。

  「梅雨に入り 連日の雨で ストレスが 少し溜まって 少しイライラ」

  「四月末 植えた野菜が 収穫を するようなりて 俄然張り切る」

  「実験中 庭の隅では 鉢植えの トマト沢山 実をつけました」

  「取れたての トマト使って スムージー 作って呑んで 夏を乗り切る」 

 

 

 

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〇ジュウヤクの白い花の咲く頃

 周囲3キロを飛んで蜂蜜を集めるという蜜蜂が、蜜源となるみかんの花もとっくに終わったというのに、わが家の裏の巣箱に盛んに出入りして蜂蜜を集め帰っています。昨日巣箱の底板にスムシが付かないよう掃除をするため、蜂を驚かさないよう慎重に巣箱を動かしてみましたが、5月の連休頃に入居してまだ一ヶ月余りしか経っていないのに、重さの手応えは十分あるようで、今のところ蜂蜜採集への期待が持てそうです。 

ジュウヤクの花
ジュウヤクの花
くちなしの花
くちなしの花

      家の周りにはジュウヤクの白い花が一杯咲いています。手につくと苦い匂いのするジュウヤクですが、どちらが別名か分らないドクダミの花は、その名に似つかわしくないほど可憐で、一輪挿しに差しても清楚な風情が漂ってきます。同じ白い花のクチナシも庭の隅で花を咲かせ始めました。こちらは芳香剤のような香りのする香木で、ご存知「くちなしの花」という歌にも歌われていますが、花に鼻を近づけるととてもいい香りがして心が和みます。

 家庭菜園のあちこちにはキューリ、ナス、トマト、カボチャ、スイカ、インゲンなどの野菜に数多くの花が咲いています。実をつけるために咲く野菜の花は素朴ですが、何ともいえない味わいがあります。蜜蜂やチョウチョもやって来て、自然受粉のお手伝いをしてくれています。そう思って見渡せばこれらの花が蜜源となって、蜜蜂たちが盛んに飛び回って蜂蜜を集めることができていることに納得しました。アウトドアー派な私にとっては、暑いけれど大好きな夏がやって来ました。

  「庭先に 白い可憐な ジュウヤクの 花が咲いてて 思わず見とれ」

  「クチナシの 白い花見て 口ずさむ 私も古い 人間のよう」

  「蜜蜂は 周囲3キロ 飛び交って 蜂蜜集め 休むことなく」

  「花はない 思っていたが そこここに その気で見れば 沢山ありて」

 

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〇人は何ために生きるのか?

 数日前愛南町柏に住む親友のKさんから電話が入りました。Kさんは元教師でしたが55歳で突然教師を辞め、この9年間自宅で山羊や牛を飼ったり野菜作りを楽しむ等、羨むほどなアウトドアー派自由人として、人生を謳歌している人です。奥さんも学校の現職教師なので食うに困ることもなく、私のような貧乏人からすればまさに羨ましい限りです。

 Kさんとはもう40年も前に知り合いました。第十回総理府派遣青年の船にお互い乗船した折、偶然にも同郷ご縁で付き合いが始まりました。私は班長だったので青年の船での活動はそれほど密接ではありませんでしたが、帰国後私が中心になって結成した21世紀えひめニューフロンテアグループというボランティアグループにも会員として加わり、無人島に挑む少年のつどい等の活動を一緒にやって来て、今は会員が高齢化して左程の活動はしていませんが、年に一度の世界遺産を巡る旅にも参加して、交遊を温めているのです。

 話は飛びましたが、Kさんが私に電話してきた用件は、「これからの生き方」へのアドバイス依頼のようでした。私とKさんとは年齢が7つ開いています。Kさんは退職して9年、私も退職後10年が過ぎました。Kさんと私の重なった9年間の生き方には大きな差があるようです。根本的に違う点といえばKさんは退職後デジタル情報手段を捨てていますが、私はお粗末ながらもデジタルを使って書いたり交流をしたりしています。「それがどうした」といえばそれまでですが、まずそのことに挑戦すべきだと思うのです。また自分が家族の一因であることをしっかり自覚する、特に夫婦の人間関係をしっかり見つめなければならないのです。

 Kさんは奥さんと7つ歳が離れているようですが、平均寿命と健康寿命の差を考えれば、老いはもうそこまで来ています。一番の幸せは夫婦健康で長生きですが、その保証はどこにもありません。人生の最後を介護施設に入って終える時代の中で、これからの人生をどう生活設計していくのか、夫婦で相談ししっかりと考えるようアドバイスしました。Kさんが愛南町内海の田舎でこのまま埋もれるように、老いを迎えることに疑問を感じ、今できることをしておきたいと思うのは当然のことかも知れません。その糸口として大学でもう一度学びたいという希望もあるようです。「何のために学ぶのか?」という、私の問いかけに明確な言葉は返ってきませんでした。

 「人は何のために生きるのか」、63歳のKさんが感じている心の悩みは、私もまったく同じです。自分の筋を通して生きるのも生き方、家族の一員として生きるのも生き方です。これまでの人生がこれからの生き方を決めるのではなく、これからの生き方がこれまでを決めるのだと思って、社会に順応しながら反発し、多少悔いは残っても悔いない人生を歩んで欲しいと願っています。頑張らずに頑張ることも必要かも知れません。「多少心の雲が晴れたようだ」と言って、ゲストハウス煙会所での話を切り上げKさんは帰って行きました。こんな時こそ相談に乗れるいい友だちでありたいと、Kさんの来訪を嬉しく思いました。

  「旧友が 相談したいと やって来た ゲストハウスで 向かい合いつつ」

  「人間は 何するために 生きるのか? 求心すれば するほど難解」

  「無限だと 思っているが 人間の 寿命たかだか 百年足らず」

  「まず夫婦 元気で長生き 寄り添って 平凡だけど 中々非凡」

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〇失ったものとやりたいこととできること

 私はこれまでに色々な怪我や病気を克服し、幸運にも70歳まで生きることがました。その間70歳までに色々なことを折角身につけながら、加齢によってその殆どはまるで着ている服を脱ぐように、一枚また一枚と剥がれつつあるようです。失ったものを探さなければ自分の復元はできないので、時々それらに思いを馳せながら指折り数え失ったものを思い出していますが、これは厄介で思い出すことすらできない年齢に差し掛かってきました。

 失ったものを探しつつ自分にできることを見つけ、毎日意の向くままというよりむしろ進んで、できることに挑戦して暮らしているお蔭で、「毎日何をしようかとふと思う」という同年代の人と違って、随分充実した日々を送ってているつもりです。私は人より少しばかり好奇心が旺盛で、人生にとって「もっとやりたいこと」や、「やれること」があるはずだと思って色々考えを巡らせますが、「やりたいこと」と「やれること」の落差はかなり大きく、それをどう埋め、どう折り合いをつけるか自問自答している昨今です。

 今年の正月、私は書斎の板壁に、「幸せの八習慣」と「不幸にならない五習慣」を目標として貼りました。その中に「やりたいこと」と「できること」のヒントがあるようです。
 ・幸せの八習慣
 ①笑顔
 ②他人と比べない
 ③自分と友達になる
 ④他人に好かれようとしない
 ⑤過去を作り直す
 ⑥ポジティブリアクション
 ⑦心配しない
 ⑧批判に無神経になる

 ・不幸にならない五習慣
 ①許す
 ②忘れる
 ③リラックスする時間を持つ
 ④小さい成功を重ねる
 ⑤事実と意見を切り離す

  「失った ものを探して 復元を したいけれども それさえできず」

  「やりたいと できることとは 違ってて 落差このまま 続いていくかも」

  「幸せの ために八つの 習慣を 心がけする それから始め」

  「裏返し 不幸にならない 五習慣 小さな成功 積み重ねつつ」

 

 

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〇好天に恵まれた恒例のほたる祭り

 昨日は前日の入梅雨がまったく嘘のような好天に恵まれ、恒例のほたる祭りが行なわれ、孫を連れて出かけました。息子は相撲大会に出場する内孫2人を連れて既に出かけていましたが、夕方やって来た外孫2人を娘の車に乗せ、家を出て300m行くと双海中学校の正門付近で交通規制に遭い、車の乗り入れを禁止され、止む無くグランドに車を止め、シャトルバスに長い列ができていることから、歩いて行くことにしました。

孫たちも歌って踊ったホタル祭りのステージ
孫たちも歌って踊ったホタル祭りのステージ
今年も沢山の人が集まっていました
今年も沢山の人が集まっていました

 夕暮れの道を3人で少し急ぎ足で3km余り歩き、6時頃に到着しましたが、翠小学校のグランドには溢れるほどの人が集まり、熱気ムンムンでした。会場で息子たちと合流して出店で買い物やゲームを楽しみ、息子が用意してくれていた食べ物を食べながら楽しく過ごしました。孫希心と奏心は相撲大会に出場したものの負けたらしくリベンジを誓いながら悔しそうに話していました。

 奏心はステージの出番があり、歌や踊りを楽しそうに演じていました。息子は伊予市街で開かれていた土曜夜市のお手伝いに出かけるため、孫たちを連れてシャトルバスに乗り込み、早々に引き上げて帰りました。ほたる祭りに出かけてホタルを見ないうちに帰宅したので、外が薄暗くなった午後9時前に近くの上灘川までみんなを連れてホタル観賞に出かけました。自宅から200mほどしか離れていない川沿いには何匹ものホタルが幻想的に飛んでいました。

 もう30年も前に私が現職のころ、まちづくりの一貫としてみんなで始めたホタル祭りも、多くの人の手によって年々歳々彩りを添えながら、こうして続いていることを嬉しく思っています。ただ長年やっているとマンネリと伝統の狭間を見失うこともあるので、ホタルが何故飛ぶのか?、ホタルと環境は?などを自問自答しながら、人間とホタルの共存という目的に向ってやって行きたいものです。

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〇変身~ん「足長おじさん」

 私は短足な日本人を自認する70歳のおじさんです。70歳を越えたので「おじさん」というより「おじいさん」というのが正しい読み方かも知れませんが、若い頃は石原裕次郎のような足の長い人に憧れ、時には高下駄などを履いて気取って見せましたが、足の短さは顔の造りと一緒で直しようが無く、今はむしろ短足を自慢する日本人に

裕次郎顔負けの足長おじさん
裕次郎顔負けの足長おじさん
この日の夕日も見事でした
この日の夕日も見事でした

なっています。

 ところが最近、自分の短い足を長く見せれる術を突然発見しました。発見といっても恐竜の化石を見つけたりするようなビッグニュースではなく、日脚の長くなったこの頃の夕日に照らされると、自分の影が地上に長く伸び、足まで長く見えるのです。影は実像を映しているので本物ですが虚像でもあって、その写真となるとさらに怪しくなるのです。それでも私の遊び心は旺盛で、こんな写真を撮っては楽しんでいる馬鹿なおじさん、いやおじいさんなのです。

 好天に恵まれた数日前、自宅から見える夕日を写真に撮りました。その折海の資料館海舟館と私設公民館煙会所の間の露地に残照が差し込み、私の影も足長に映りました。早速手持ちのタブレットで写真に収めましたが、面白い現象でした。その写真を妻に見せて、「足が長かろう」と自慢すると、妻は呆れ返ったように笑い流されてしまいました。高杉晋作の「面白き こともなき世を面白く すみなすものは こころなりけり」を地で行く私の馬鹿さ加減に、自分自身呆れています。

  「残照に 照らされ自分の 影映る 願望どおり 足はチョー長」

  「長かろう 写真を見せて 妻に言う 馬鹿さ加減に ほとほと呆れ」

  「裕次郎 憧れ生きた 若い頃 思い出しつつ にんまり笑う」

  「面白き こともなき世を 面白く 私はいつも そんな気持ちで」

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