人間牧場

〇忙がしい一日でした

  4時00分  起床 
  4時10分  書斎にてアメーバブログを書き始める
  5時00分  ワードプレスブログを書き始める
  6時00分  ウォーキングに出発する(約6千歩歩く)
  6時50分  昨日大掃除した親父のゴミを一輪車で3回往復して出す
  7時20分  朝食
  8時00分  届いたハマチ9匹を3枚に下ろす
  8時40分  残飯処理を終える
         菜園でホウレンソウの種蒔き
  9時00分  農協へ消石灰を二袋買いに行き畑に撒く
  9時30分  式服に着替えて木戸さんの葬儀のためルミエールへ行く
 10時30分  木戸正さんの母親の告別式参列
 11時40分  告別式終了
 12時00分  妻と自宅で昼食
 13時00分  家庭菜園でトマトの残菜片付け
 16時00分  下灘へ魚を貰いに行くトロ箱2箱
 17時00分  孫奏心保育園お迎え
 17時20分  西岡さんと宮栄さん宅へ魚をお裾分けに出かける
 17時50分  魚の下処理
 18時50分  魚の下処理終了
 19時00分  NHKニュース視聴
 19時30分  夕食
 20時30分  休憩・facebookチェック
 21時00分  風呂
 21時30分  メール返信・原稿校正
 23時30分  就寝

 まあざっと一日を振り返っただけでも、こんなことをして過ごしました。サンデー毎日といいながら、私はまるで駒鼠の様に動いています。ゆえに気がつけば、ポケットに入れている携帯電話内蔵の万歩計は、1万3千歩も歩いているのですから驚きです。明日は人間牧場へお客さんがやって来る予定なので、多分急がしい一日となりそうです。 

  「一日を メモ書きすると 何とまあ あれやこれやと 忙しい一日」

  「明日もまた サンデー毎日 返上し あれやこれやと 思いつくまま」

  「気がつけば 1万三千 歩も歩く 携帯内蔵 万歩計見る」

  「忙しい 言いつつ日々を 面白く 過ごせば人生 面白いかも」

 

 

 

 

 

 

 

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人間牧場

〇白く可憐なニラの花

 15年前に亡くなった母ちゃんが、「道端の草花にも足を止め、綺麗だと思えるような人間になりなさい」と言っていました。今は人間牧場になっている土地は元々サツマイモや大麦を植える畑でしたが、その後みかんの苗を植えてみかん畑になっていました。当時は新道車道はあっても、車のなかったわが家では、サツマイモも麦もみかんも全て細長い山道を背負子に背負って家まで運んでいました。

ニラの花
ニラの花

 子どものころは、私たち子どもも重要な労働力として駆り出され、私専用の背負子で汗をかきつつ母親の後をついて働きました。道端に腰をかけて一休みする場所は決っていて、そこには季節の草花が沢山咲いていました。この頃になると初秋の風が漂い、真っ青な空色のような露草、ナデシコ、ススキ、萩などなどがいっぱい咲いていましたが、母ちゃんと「綺麗綺麗」といいながら眺めたのを思い出すのです。

 子どものころのような重労働の合間ではありませんが、毎朝夕ウォーキングする道端にも、その気になって見れば沢山の草花が咲いています。昨日ウォーキングの帰り道で、わが家の畑の隅の足元に、真っ白いニラの花を見つけました。餃子やニラ雑炊に欠かせないニラの葉っぱはスーパーなどで売っていますが、道端にも種を落とした野生のニラも結構生えていて、この時期花を咲かせるようです。薄紫のラッキョウの花とはまた少し違った趣ですが、野生ゆえに美しさを感じました。

 花の種は自分がはじけて居場所を作りますが、野鳥も啄ばんで糞に落としてもあちこちに広がります。今年は正露丸のような黒い実を結んだら種を取って、畑の隅に播いてみようとよこしまな考えになりました。何はともあれ母ちゃんが教えてくれた言葉通り、ニラの花の美しさを楽しもうと思い、しゃがんで花の美しさに見とれました。母ちゃんは天国のどのあたりで今年逝った父ちゃんと出会っているのでしょうか。

  「道端の 草花見ても 綺麗だと 母ちゃん教え 思い出しつつ」

  「ニラの花 畑の隅に 人知れず 露を含んで 綺麗に咲いて」

  「ニラの種 今年は取って 増やそうと よこしま考え 頭に過ぎる」

  「秋近し 道端そこそこ 野の花が いっぱい咲いて 散歩楽しい」 

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人間牧場

〇適当なお湿りで発芽は順調です

 やけっぱちに鳴いていたセミの声もいつしか遠のき、朝晩はすっかりしのぎやすくなりました。これから一雨毎に季節は秋に向って進んでいくようです。今日は常識だと東寄りに進むとばかり思っていた台風18号が中部地方に上陸したようで、そんなに大きくはない台風でも台風は台風で、その方面では雨や風が強くなったようでした。

仲良く芽を出した大根
仲良く芽を出した大根

 大根の種を播く210日~220日ころは毎年のように台風がやって来て、折角伸び始めた芽を風が揉むので心配していますが、今のところは種を播いてから2~3日で順調に芽を出していて、昨日は畝間に牛糞を筋状にやりました。昨晩から今日にかけてそれほど強くない小雨が降って、牛糞も土に馴染んだようです。

 今日は隣りの野菜作りの達人であるおばあさんに、ホウレンソウの作り方を教えてもらいに行きました。おばあさんの言うのには、ホウレンソウの種は播く前に水に浸して発芽を促すのがコツだと言われました。早速少し大きい目の深皿に種を入れ、水に浸しました。この時期の気温だと明後日が播き時だそうです。別れ際「お節介だけどくれぐれも石灰を撒くように」と、節介=石灰を掛け合わせ、トンチの効いた助言を受けました。

 私が野菜を作るようになって5年が経ちましたが、ホウレンソウだけはまだ一度も満足の行く結果が出ていません。今年こそはリベンジをと思っています。隣のお節介なおばあさんは早速お節介ついでだと、腰をかがめながらわが家まで現地視察にやって来ました。ホウレンソウの種の浸し具合をみたり、畑の様子を見て「よく頑張っている」と誉めてくれました。お礼に私が作った自慢の枝豆を差し上げ大層喜んでもらいました。

  「ホウレンソウ リベンジ誓い 聞きに行く 隣のばあさん 懇切丁寧」

  「お節介 だけど石灰 忘れるな 隣のばあさん 頓知効かせて」

  「お湿りで 大根貝割れ 芽を出して 仲良く並んで 豊作予感」

  「台風が 来ないで欲しい 名古屋では 雨風強く 人事でなし」

 

 

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人間牧場

 

みんな楽しそうでした
みんな楽しそうでした

〇通学合宿夕焼け村

 今年で16回目を迎える通学合宿夕焼け村が、潮風ふれあいの館で日曜日から始まりました。初日は秋雨前線の影響であいにく雨のスタートだったため、初日に予定していた私の夕日の話は、昨日に順延してもらいました。昨日は雨も上がってまずまずの天気だったため綺麗な夕日は望まなかったものの、まあそれなりの夕日に子ども対も満足の手合いでした。

夕日夕焼けをバックに夕日の話しをする私
夕日夕焼けをバックに夕日の話しをする私

 夕日の話は毎年私の担当です。昨日は夏休み明けで子どもたちの学校行事もかなりスケジュールが詰まっているようで、学校から宿泊所入りしたのは午後5時半頃でした。子ども立ちは急いで着替え、ご飯を炊いたり昨日の献立であるロコモコ丼を作ったり、かなりタイトなスケジュールをこなしていました。昨日の日没は午後5時28分なので、食事準備を途中で中断し、午後5時15分に館の前の広場に集まり、長い電柱ベントに腰掛けさせました。

 私は「双海町の夕日のことだったら若松に聞け!!」と言われるようになりたいと思って、「夕日の質問箱」という50の設問を作っていますが、昨日はその中から思いつくまま10ほどの設問を用意して30分弱の短い時間でしたが子どもたちに話してやりました。子どもたちもそれなりに絡んで、最期はハーモニカを吹いて締めました。子どもたちの双海町という自分の住んでいるふるさとを意識させることは、とても大切な夕焼け村の目標の一つです。

 子ども教室の実行委員長を長年務めている私は常々、ふるさと教育の必要性を説いています。子ども体験塾も、子どもおもしろ大作戦も、勿論夕焼け村もその一環です。昨日は嬉しいことに高校生や中学生のジュニアリーダーも沢山集まってくれ、また婦人会の皆さんが料理指導や準備万端をしてくれました。また中尾先生や冨田さん、大学生のボランティアも加わり大人数でとても活気がありました。

 一週間親元を離れ、学校と宿泊所を往復するプログラムは、格好の親離れ子離れのチャンスでもあるのです。家庭教育の基本は子どもが親に寄りかかることを不必要にする教育です。過保護とも思える、また物の豊かさの中で育っている親と子が距離を置いて、目に見えない形でその存在感を確かめることは大きな意味があるのです。たった一週間ですが子どもたちは必ずや大きく成長することでしょう。

  「今年も 通学合宿 始まった 家庭離れて 親子に距離を」

  「今年も 秋雨晴れ間 ちょい見つけ 夕日の話 私の担当」

  「親離れ 子離れさせる 作戦は みんなの協力 あるからできる」

  「ロコモコ丼 ハンバーグの上 目玉焼き 乗せてタレかけ 中々メニュー」

これが噂のロコモコ丼
これが噂のロコモコ丼

 

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人間牧場

〇大腰筋ストレッチ

 「お父さん、歩く姿が少し猫背になっているようよ。気をつけてね」と数日前妻に言われました。そういえばこの4~5日、雨模様を心配しながら畑作業に汗を流したため、「農作業による足腰の疲労がピークに達している」ことを実感していて、外の窓ガラスに写った自分の姿を見ると、少し猫背になっているような感じがしてハッとしました。早速2~3日前のウォーキングから、そのことに注意をして歩くように心がけたり、毎朝書斎の机に向ってブログを書く時も、椅子に座る姿勢に気をつけ始めていますが、ちょっと油断すると楽な姿勢になってしまうのです。

 私のウォーキングコースはかなりきつい坂のアップダウンがあるため、この時期でもウォーキングが終わって自宅に帰ると、朝晩涼しくなったといいながらシャツを着替えなければならないほど汗をかきます。登る時と下る時使う筋肉は違うことを実感しながら、最近は大腰筋を鍛えるストレッチもやっています。ストレッチといっても、腰に両手を当てて胸を張りながら足を前に踏み出すだけの動作を、何回か繰り返すだけなのですが、これが意外と腰の運動になるようで、特に農作業をした後の腰のケアーに役立っているのか、若い頃は年に2~3度発症していたぎっくり腰も、この2~3年すっかり影を潜めているようで、嬉しい限りです。

 腰という漢字には「要」という文字が使われています。腰が悪いと背筋が曲がって猫背になったり、腰痛になったり、肩こりだって起こるので、腰はまさに体の要だと実感しています。私の体も70年間使い続けているので、そろそろ曲がり角のようです。人間の体は骨と筋肉と内蔵や血管、それに脳などでできていますが、いずれかが悪くなるといずれかに反応して病気になります。数日前本村の松村さんが亡くなったということを風の噂で聞きました。松村さんとはかつてお互いに松山工業高校のPTA役員をしたこともあって、私より三つ年上ながら度々ご一緒しました。お酒も呑まないのに朗らかにして陽気な性格で、誰からも「一亀さん」と慕われていました。最近心臓の調子が悪かったそうですが、畑で倒れて帰らぬ人となったことを、旅先で知りました。先月亡くなった同級生の谷岡さんといい、身近な人の訃報は身体に堪えます。ご冥福を祈りながらもう少し元気でいようと心に誓い、今朝もウォーキングと大腰筋ストレッチをしました。

  「お父さん 少し猫背に なっている 身近な妻の 指摘にハッと!!」

  「早速に 窓に写った 自画像を 見ながら是正 誓って歩く」

  「大腰筋 鍛えるための ストレッチ も少し長く 生きたい思う」

  「同年の 人が朝刊 訃報欄 いよいよ順番 来たこと実感」

 

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人間牧場

〇次男息子の家の地鎮祭

 昨日は松山に住む次男息子が、新しく購入した土地に家を建てるため、地鎮祭をするので来て欲しいと頼まれ、夫婦で出かけて行きました。土地を購入する時相談があって、現地を見ていたので土地勘はありましたが、幹線道路からどのくらいの位置か、また学校や病院、買い物といった日常の暮らしに関係のある場所は遠いのか近いのか、確認しながら現地に到着しました。

 

鍬入れする息子たち夫婦
鍬入れする息子たち夫婦
玉ぐしを捧げる次男息子
玉ぐしを捧げる次男息子

 敷地には既に隣りの敷地との境界にブロック塀も作られ、土台となる場所が分るようにテープで目印がつけられ、その上に地鎮祭のためのテント内には祭壇の準備が整えられていました。近所の出雲系神社の宮司が祝詞を読み上げ、息子夫婦が小高く持った砂山に「エイ、エイ、エイ」と掛け声をかけて鍬入れを行いました。その後宮司、施主に続いて私たちも玉ぐしを奉奠し、二礼四拍手一杯して神事を終わりました。

地鎮祭終了後の記念撮影
地鎮祭終了後の記念撮影

 発注先はミサワホームだそうで、会社の人の話によると材料のプレカットなどは全て工場生産で、9月に着工すれば年末に完成し、今年中に引渡しされて入居できるそうで、いやはや工事の早さに驚きです。わが家を新築した40年前には建前をしてから完成まで1年間もかかりました。今の家は土壁でもなく耐震設計のため、屋根に重い日本瓦を乗せるでもないので、一事が万事まるで張子の家のようです。

 地鎮祭終了後、道後のふなやというホテルに会場を移し、息子夫婦と私たち夫婦、それに若嫁の両親の6人でささやかな祝いの席が持たれました。みんな車を運転して出かけているので、アルコールゼロのビールで乾杯し、次々と出てくる和風コース料理をいただきながら歓談しました。次男息子も間もなく40歳です。私が家を建てたのが30歳ですから私たち夫婦に比べると少々遅い思いつきですが、息子にとっては一世一代の大仕事だと思うのです。

 息子の親である私たちと若嫁の親が、ささやかな財政的援助をしてやったようですが、それでもこれから銀行ローンを毎月返済して行かなければなりません。若いということは借金ができる力があるということでもあります。今の気持ちを忘れず健康に充分注意し、温かい家庭を築いて欲しいと願っています。

  「わが息子 土地を求めて 家建てる 計画ありて 地鎮祭する」

  「土地と家 うん千万の 大事業 ローンを抱え これから大変」

  「年季で 暮らしているので ささやかな 援助だけしか できぬ苦しさ」

  「若夫婦 マンション家賃 だと思い これから先は 多少苦労が」

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人間牧場

〇蜜蜂を食べるスズメバチ

 夏から秋に変わるこの時期になると、どこからともなく大スズメバチや黄色スズメバチがやって来て、蜜蜂の巣箱の前に陣取り、蜜蜂を空中で抱かかえるようにゲットして食べるのです。その行動は素早くあっという間で、スズメバチは蜜蜂の天敵なのです。家の裏に置いている巣箱の入り口は、私たち夫婦のダイニングからよく見えるので、蜜蜂に比べればかなり図体の大きいスズメバチがやって来ると一目瞭然で、直ぐに虫取り網を持って急いで巣箱に近づき、虫網で生け捕りにするのです。

大スズメバチ
大スズメバチ
黄色スズメバチ
黄色スズメバチ

 生け捕りにしたスズメバチは可哀想な感じもしますが、養蜂をしている人間にとっては招かざる客なので、刺されないよう注意をして足で踏み潰して殺すのです。家の裏には入居している巣箱がまだ4箱残っていて、スズメバチたちはこの4つの箱を渡り飛びながら、餌となる蜜蜂を捕食して食べていますが、友人はバトミントンのラケットで、ハエ叩きのように叩き落すのだそうです。またある友人はペットボトルで、入れば外に出られないような地獄を作り、撃退しているようです。

 さて地獄の中に入れる誘引液体の作り方を知人から教わりました、調合割合はお酒1.8ℓ、酢600cc、砂糖750gだそうです。私も一昨年一度だけ作って試してみましたが、地獄の作り方が悪かったのか、液体の作り方が悪かったのか、余り効果は上がらなかったので、直接捕獲する方法で撃退しています。今年はもう既に50匹以上捕獲して殺傷処分をしましたが、これも蜂蜜を集めてくれる蜜蜂への恩返しだと思ってやっています。昨日は蜂蜜を採った後の蜂の巣をナイロン袋に入れて外に置いたところ、どこからともなく沢山の蜜蜂が集まってきて、残った蜂蜜を群がって食べていました。私の養蜂も今年は後一箱を残し16升と予想以上の成果を収めました。採蜜後も今年は残存率が高く、いつになく気持ちの良い秋を迎えています。

  「蜜蜂の 巣箱の目に 陣取って 空中捕獲 上手いもんだね」

  「スズメバチ 百害あって 一利なし 私身勝手 殺傷処分」

  「スズメバチ 虫取り網で 捕獲して 刺されないよう 殺傷処分」

  「スズメバチ どこで暮らして いるのやら 秋口なると どこからともなく」

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人間牧場

〇役割を終えたウォーキングシューズ

 毎日一万歩を歩くことを目標にして始めてから、早くも10年があっという間に過ぎました。平凡なことしか出来ない平凡な男のやることですから、大した意味もなく「出来なかったら出来なかったでいい」くらいな、軽い気持ちで始めたものの、毎日一万歩の目標は、今にして思えば中々難易度の高い目標であることに気がつくのです。毎日のことゆえ雨の日も風の日も、体調が優れない時もありますが、雨の日には傘を差して長靴で、体調の優れない時は無理をせずやっていますが、その効果でしょうか、体調はすこぶる良く、快食・快眠・快便といったところです。

駄目になった5足目のウォーキングシューズ
駄目になった5足目のウォーキングシューズ

 私の一万歩を陰で支えてくれているのは、妻が買ってくれたウォーキングシューズです。この10年間で4足駄目にして新しいのと交換しましたが、今朝5足目のシューズに穴が開き、靴底から道の水分が入り始め、履いている靴下が濡れていることに気がつきました。表面はまだ綺麗なのに、靴底には私の体重を支えながら地面の凹凸を踏みしめ、何の文句も言わずただ黙々と役割を果たしてくれていたのです。私の足は左足の親指が内に曲がる外反母趾です。祖母も外反母趾で難儀をしていたので、多分遺伝ではないかと思うのですが、詳しい原因は分りません。

 もう一つ私は田舎者特有の歩き方をしているようで、靴底の後ろの部分が両足とも均一にちびず、外側が極端に磨り減っているのです。靴が新しい時は親指に力を入れて正しい歩き方をしようと試みますが、直ぐに正しい歩き方を忘れてしまうのです。私は靴に余りお金をかけない貧乏性な性格なので、靴屋さんに出かけても安売りとまでは行かなくても、サイズ25.5cmの靴を履いてみて、合えばそれを買う程度なのです。ウォーキングシューズが傷んできたことを今朝妻に話すと、よそ行きのシューズを下ろして履くよう言われました。明日は新しいシューズを買ってくれるそうです。子どものころ運動会の前の日に新しい運動靴を、母親に買ってもらった嬉しくも懐かしい思い出が蘇りました。

  「この十年 目指す歩数は 一万歩 靴底悲鳴 早くも5足」

  「わが健康 靴のお蔭と 感謝する 水漏れあっさり お払い箱に」

  「わが足は 遺伝でしょうか 親指が 外反母趾で 少し曲がって」

  「ウォーキング 最近何故か 雨多く 長靴代用 それでも歩く」 

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人間牧場

〇人間牧場・水平線の家の大掃除

 数日前親友の浜田さんから電話が入り、10月3日に予定されている人間牧場10周年の記念行事が一ヵ月後に迫っているので、大掃除をしようと相談を持ちかけられ、とりあえず第一回目を9月2日にすることにしました。前日電話で午前9時わが家に集合して出かけることに相談がまとまりましたが、浜田さんは律儀な方で納骨を済ませた親父の墓参りをしたいと言うので、途中わが家の墓地に案内して線香を手向けてから人間牧場を目ざしました。

水平線の家の掃除をする浜田さん
       水平線の家の掃除をする浜田さん
いつまでも歳をとらない私の等身大パネルも虫干し
いつまでも歳をとらない私の等身大パネルも虫干し
昨日の朝は天気が回復したかに見えたので、まず水平線の家の板間に置いている、切り株台座や座布団をウッドデッウキに出し、玄関先のマットも食器入れも外に出し、作業を始めました。私はこの日、まだ採蜜していない最後の蜜蜂の巣箱から採蜜する計画だったので、板間の掃除とワックス掛けを浜田さんにお願いして、雨合羽、長靴、ゴム手袋、防虫頭巾の出で立ちで早速始めました。この巣箱は私の知らない間にいつの間にか入居したおまけのような巣箱なので、余り期待はしていませんでしたが、手応えとしては一升以上はあるようでした。
高座台もお化粧しました
高座台もお化粧しました

 最近は天板を外して総取りする方法を身につけたため造作もなく、しかも安全で蜜蜂を巻き添えにして殆ど殺すこともなくできるようになり、収穫後の残存入居率も高いようで、それなりに悦に入ってやっています。私が採蜜作業に夢中になっている間に、浜田さんはワックス塗りを汗をかきながら一生懸命やってくれましたが、私も負けじとかまど小屋の大掃除をしました。やがて雨がポツポツ降り始めたので、ワックスが乾かないのに全ての小道具を板間に入れ、作業を終えました。

掃除終了後の記念写真です
          掃除終了後の記念写真です

 掃除をした日は毎回浜田さんと二人で、潮路というレストランで昼食を楽しみますが、昨日は運悪く定休日だったので、本村のラーメンショップまで足を伸ばし、とんこつネギラーメンを美味しく頂きました。10周年記念事業を1ヵ月後に控えていますが、これから2~3回は倉庫やロケーション風呂、作業小屋、ウッドデッキなどの掃除をする計画です。その都度浜田さんと二人で他愛ない四方山話を楽しみながら、作業は続くことでしょう。少しモヤモヤの晴れた一日でした。

  「何よりも 掃除が大事 口癖の ように言いつつ 二人で掃除」

  「等身大 人型パネル 歳とらず ウッドデッキで 虫干し笑う」

  「蜂蜜の 採蜜作業 最近は 上手になりて 造作もなしに」

  「掃除した ご褒美いつも おご馳走 残念ながら ラーメンでした」

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人間牧場

〇高島屋で開かれた五行歌作品展

 前日私が会員となっている松山五行歌の主宰者見山あつこさんから、メールが入りました。「高島屋で開催されている五行歌の展示会に来ませんか」という案内でした。そういえばこの2ヶ月は親父の終末や葬儀、仏事、後始末に翻弄され、忙しくて他のことが手につかない手合いだったため、失礼ながら展示会のこともすっかり忘れていました。昨日は午前中人に会う約束でしたが、かなり激しい雨に見舞われ警報が出るほどだったため、朝早くキャンセルの電話が入ったため、急な思い付きで展示会に出かけることにしました。

作品展の会場にて
            作品展の会場にて
私の作品の前にて
            私の作品の前にて

 高島屋の開店は10時なので、開店一番に出かければ午後の予定もこなせると思い、きっちり開店の10時に高島屋へ到着しました。早速3階から連絡通路のある2階へエレベーターで降り、南館2階の展示会場へ行きました。すでに顔見知りの会員さん2名が受付にて笑顔で対応してくれました。忙しさにかまけてどんな歌を作って送ったかさえも忘れていましたが、見山さんは私の歌を夕日をあしらった台紙に、2首並べて作品に仕上げてくれていました。しかも見栄えのする場所に展示してもらい、いつものことながらその気配りに感心しました。

私の作品
              私の作品

 先日、展示会場を訪れて私の作品を見たと、何人かの人から電話やメールが入っていました。特に松山に住んでいる次男息子嫁のお母さんからも電話をいただいていたので気を揉んでいましたが、話を合わせることができ、見学に出かけてよかったと安堵しました。私の作品は親父の最期や私の心情を綴った次の2首でした。

   「家の畳の上で
   死にたい」と言ってた
   言葉どおり
   親父は九十六歳の夏
   生涯を閉じました

   六日間
    親父の布団で
   添い寝した
   ささやかながら
   最期の孝行でした

 駄作も駄作で人の前に晒せるような歌ではありませんが、受け受けの女性に聞けば私の歌を見ながら涙ぐむ人もいたそうです。お世辞でも「嬉しい」の一言に尽きますが、五行歌は短い表現ゆえの難しさがあり、やってもやっても奥が深いと実感するこのごろです。

  「高島屋 開店同時 中に入る 展示会場 わき目もふらず」

  「住所録 名前を書いて 作品展 感心しつつ 人の歌読む」

  「わが駄作 夕日あしらう 台紙にて 綺麗にできて 中々のもの」

  「親父詠む 五行歌二首を 出品す 見た人電話 メールで感想」  

   

 

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