〇いただいた一幅の掛け軸(その2)
先日年輪塾の塾頭を務める親友の清水和繁さんがわが家に見えられました。先日行なわれた年輪塾の修学旅行で、中江藤樹のふるさと近江小川村を訪ねた時、同行してもらった大洲藤樹会の辻喜千治会長さんが自ら画いて6年前、中江彰先生に差し上げていた一幅の掛け軸を、辻会長さんも了解され、年輪塾にいただいて帰ったと報告を受け、塾長である私が受け取ることにしました。
私はこれまで生きた70年間に、自分の生き方を決める様々な場面に出くわし、それらを手に入れてきました。小学校2年生の時下灘小学校の校庭にあった二宮金次郎像の上に上がって、時の校長に叱られたことがきっかけで、金次郎の読んでいる本が中国の古書大学であることを後に知りましたが、大阪梅田の古本屋で大学という古本を手に入れ、年輪塾では尊徳翁夜話を学び、金次郎の七代目の子孫中桐万里子さんにも出会うことができました。また私の金次郎狂いを見て、愛媛大学名誉教授の讃岐先生から二宮金次郎のブロンズ像まで頂きました。
昨年末、大洲藤樹会の辻会長さん直筆の「五事を正す」という桐板に書いた掲額をいただき、今回は藤樹に縁の深い「孝経」の一節を書いた掛け軸までいただいて、この上ない喜びでした。無知文盲に等しい私が曲がりなりにも人の道を外さず生きてこれたのは、こううした多くの人を巻き込んだ人間ドラマだったような気がするのです。辻会長さんの書かれた掛け軸は中江藤樹の坐像絵まで添えられ、孝経の一説が分り易く書かれています。
「仲尼閒居したもう。曾子侍坐せり。子曰く参先王至徳要道有って、以いて天下を順にす。民は用いて和睦す。上下怨みみ無し。女之を知るや。曾子席を避けて曰く、参敏からず。何ぞ以て之を知るに足らん。子曰く、それは孝は徳の本なり。教えの由って生する所なり。復り坐れ。吾女に語げん。身体髪膚は之を父母に受けたり。敢えてそこない傷らざるは孝の始めなり。身を立て道を行い名を後世に揚げて、以って父母を顕すは孝の終わりなり。それ孝は親に事えるに始め、君に事えまつるに中ごろし、身を立つに終る。大雅に云く。璽の祖を念うこと無からんや。厥の徳を聿べ修む。」
これから少しずつ学習に励み、詳しい孝経の教えをしっかりと学習し、人に語れるようにしなければなりません。今回私は在宅介護をしていた親父の介護のため、そして死期が近づく予測の中、断腸の思いで予定していた修学旅行を断念しました。結果的にはその判断が正しかったようで、修学旅行中に親父は亡くなり、死に目にも会うことができました。満足の行く孝行はできませんでしたが、孝行とは何かを考えるいいきっかけとなりました。清水さん、辻さん、中江さんの深いご配慮に感謝します。
「塾頭が 一幅掛け軸 持参して 孝行談義 花を咲かせる」
「大学や 金次郎像 掲額に 掛け軸増えて 嬉しい限り」
「世の中にゃ 徳高き人 多くいて 浅学この身 恥ずかしきかな」
「また一つ 石段の上 見つけたり 歳を重ねて 身の程知らず」