人間牧場

〇思い出の小さい頃の写真

 年老いた人間の、月日の経つ下り坂と思える人生も早く感じられますが、子どもの成長はさらに早いもので、この間生まれたばかりの孫たち4人も中一、小二、小二、保育所年長とそれぞれが、まるで雨後のタケノコのように大きくなり、私と口相撲が取れるまでになってきました。3日前娘のマンションに立ち寄った時、中一になっている孫朋樹の幼いころの珍しい写真を2~3枚見せてもらい、思わずそのほほえましさにみんなで大笑いしてしまいました。私はこんなスナップ写真は撮った記憶はありませんので、多分長男息子一心が撮ってプリントアウトしたもののようでした。

孫朋樹の小さい頃の写真
孫朋樹の小さい頃の写真
人間牧場のロケーション風呂をかき混ぜる小さい頃の孫朋樹
人間牧場のロケーション風呂をかき混ぜる小さい頃の孫朋樹

 孫朋樹は娘である母親が助産師で日勤・深夜・準夜の3謹交代だったため、しょっちゅう預かり、しょっちゅう色々な経験をさせてやりました。虫が怖いと泣く孫を人間牧場へ連れて行って遊ばせたりしましたが、その孫朋樹も今ではカブト虫など虫大好き人間になっているのですから、子どもの思考は分らないものです。この写真は人間牧場のロケーション風呂を沸かし、風呂を楽しんだ時の写真ですが、風呂のお湯をかき混ぜ棒ででかき混ぜている姿もさることながら、風呂に入りながら大好きだった牛乳を身を乗り出して飲んでいるようです。

 ブログ記事にせよ写真にせよ、こうして記録すると記憶となって残ります。残念ながらこの写真のように写真は撮ったが保存の仕方を間違うと、どこへ終ったか、どこを探せばいいのか迷います。これからは自分につながる記録の整理の仕方を考えなければなりません。デジカメでこれまで闇雲に撮ってきた写真の数々、ブログや原稿書きなどこれまた闇雲に書いてきた原稿もその在りかが気になるところです。要らなくなったり使わなくなったデジタル情報もこれからは「捨てる」作業もしなければなりません。考えただけでも憂鬱になってしまいます。

  「面白い 孫の小さい 頃写真 手に取り思わず ほほえましくて」

  「ロケ風呂が 出来て間もない 頃写真 見ながら孫の 成長思う」

  「色々な 写真撮ったが 今どこに 保存や活用 そこが問題」

  「爺ちゃんの ブログの写真 このように すれば見つかる 孫の手ほどき」

 

 

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人間牧場

〇家から見える夕日は間もなく見納め

 さすがにお盆を過ぎると、日中はまだまだ残暑が厳しいものの、朝晩は幾分しのぎやすくなってきました。家の下の田圃の稲も稲穂がたわわに実り、少し黄色く色づき始めたようです。最近は健康志向を反映して減農薬栽培が徹底して、この頃になるとうんかの発生を抑えるため、夕暮れころ真っ白い粉を撒き散らしてた農家の人の姿もすっかり見なくなりました。

色づき始めて田圃の後ろのわが家
色づき始めて田圃の後ろのわが家
わが家から見える夕日
わが家から見える夕日

 秋の訪れは太陽の高度や位置にも変化が現れ始め、上灘川に沿って開けた谷筋に位置するわが家では、家から夕日を見ることができるのが二百十日ころまでなので、そろそろ終わりに近づいていきました。今年の二百十日は9月1日なのでもう一週間もすれば太陽は西の端に沈んでまた来年の四月下旬まで海に沈む夕日を見れるのはお預けとなるのです。昨日は台風16号の接近等微塵も感じさせない良い天気に恵まれました。

 久しぶりに夕方の散歩を終えてから家の裏山に登って、沈み行く夕日を一人観賞しました。家の前の庭先の広場で息子と孫がキャッチボールをしていましたが、夕日を背にした親子のシルエットシーンも中々のものでした。そういえば息子が言うのには「お父さんと僕はキャッチボールなどした覚えがない」そうです。若いころは公民館活動に明け暮れ、その後は夕日によるまちづくりに情熱を燃やし、家庭の子ども等にかまってやれる時間は殆どありませんでした。

 それでも21世紀えひめニューフロンティアグループというボランティアグループを結成し、無人島に挑む少年の集いやモウーモウー塾、丸木舟瀬戸内海航海、竪穴式住居造りなどなどを行い、自分の子どもを含めた巻き込みをやったお蔭で、4人の子どもたちもそれなりに成長しているのですから良しとしなければなりません。こうして初秋の夕日を見届け、平凡ながら平和に暮らせることに感謝して、これからも生きて行こうと思っています。

  「盆過ぎて アカネトンボと ヒグラシが 一緒に初秋 演出をして」

  「秋が来た 家から夕日 見納めと 裏山上り 一人観賞」

  「息子と子 夕日の照らす 中庭で キャッチボール シルエットなる」

  「家の前 田圃の稲も 黄ばらんで 早くも秋が 来たよと告げる」

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人間牧場

〇私の人生に大きな影響を与えた一冊の本(その3)

 私のような凡人は、他の人のように知識を得るため難しい本を沢山読んだ訳ではありませんが、その少ない本の中でも「大学」という本は、私の人生に大きな影響を与え続けています。陽明学の始祖といわれる中江藤樹は、11歳の時この本を読んで感動し、立派な人間になろうと志を立てたそうですが、私は恥ずかしながらこの本を読んで目覚めたのはつい最近のことです。

大阪梅田の古本屋で買い求めた古書大学)
大阪梅田の古本屋で買い求めた古書大学)
二宮金次郎像が読んでいる本に書かれた大学の一節
二宮金次郎像が読んでいる本に書かれた大学の一節

 「大学という本には様々な教えが書かれています。「天子自り以て庶人に至るまで、壹に是れ皆身を修むるを以て本と為す」。つまり天子から庶民に至るまで自分の身を治めることが基本であり、自分を修めるという根本を疎かにして家庭や国家は治められないというのです。また「物に本末有り、事に終始有り、先後する所を知れば、則ち道に近し」は事には必ず終始があって、何を先にし、何を後にするかをわきまえ実行すれば、人の道を踏み外すことはないとも説いています。

 最近中江藤樹を書いた本の中に「当下一念」という言葉を見つけました。今やろうとしている一念を続けるという意味ですが、人の心は弱いもので初志を貫徹しようと思っても、世情や人の言葉に惑わされて心が揺らぎ、ついには何もしないまま終ることが多いのです。大学の本を読んで開眼した中江藤樹も二宮金次郎も当下一念の人であり、その言葉に触発されて人生を生きた人も当下一念の人なのです。

 私たちは文明の世の中に生きているゆえ、大学という本も安易に手にすることができるし、その教えを分りやすく解読した資料だって手に入るのですが、知っているだけでは何の意味もなしません。むしろその教えをどう日々の暮らしの中で具体的に実行に移すかが大事なのです。願わくば実行によって勝ち得たプロセスと成果を多くの人に話し、心の扉を開いて実行に移し成果を得る「知行合一」の人間を育てるような人になりたいものです。

  「大学と いう本手に入れ 朝夕に 読み方解説 紐解きながら」

  「知っている だけでは何の 価値もない 自分の生き方 変える努力を」

  「自分だけ 実践よりも 他の人の 心手足を 動かす人に」

  「鏡見る 写った顔は 本物と 同じだけれど 実は虚像だ」

 

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人間牧場

〇中国の古書「大学との出会い(その2)

 陽明学の始祖として名高い中江藤樹が、「大学」を読んで感動したのは11歳の時です。私が下灘小学校の校庭にあった二宮金次郎の銅像の、左手に持って読んでいる本は何?と不思議に思って台座の上に上がったのは、小学校2年生の時です。小学校2年生といえば8歳なので、私は中江藤樹よりもさらに3年も早く大学の本を読んだことになります。しかし凡人の私はその意味不明な26文字の漢字を読むことができなかったばかりか、「馬鹿たれ。あそきにはいろはにほへとと書いている」と、私を諭すことなく台座に上がったことを叱るだけの凡人校長との出会いで、大学という本との出会いは潰えたかに見えました。

 しかしその後、私と「大学」という本との出会いは意外な方向へと発展して行きました。たまたま出張で北陸へ行った帰り道、夜行高速バスに乗るため大阪梅田のバスセンターに立ち寄った際、待ち時間を利用して近くにある梅田の古書街古書店の入り口に並んだ古書の中に、ノジの抜いた古ぼけた「大学」という袋綴じの本を見つけたのです。値札には1万円の値札がついていました。早速店の中へ入り店番をしていた若いバイトの女性に話しかけ、「私は四国の田舎から出てきました。あいにく持ち合わせがないしどうしても欲しいので3千円にして欲しい」と頼みました。その女性は「お客さん1万円を8千円にして欲しいというのなら分りますが、3千円では話しになりません。社長に叱られますので駄目です」と突っぱねられました。

 「じゃあ中を取って5千円でどうでしょう」と再び話を持ちかけると、「仕方がありません。中を取るということで5百円上乗せし、5千5百円ならお売りしましょう」と商談成立です。私は嬉しさを噛み殺し、新聞に包んでくれた店員の女性の華奢な白い手の平に5千5百円」を手渡し、バスに乗り込みました。その夜はバス内の読書灯の灯りを頼りに、朝まで読めないのに「大学」の本を興奮しながら朝までなぞりました。以来古本の「大学」は手元に置き、金次郎像が読んでいる「一家仁一國仁興~」を反芻し続けていますが、難解な漢文ゆえ読み方も定まらず、ましてや意味などまったく分からなかったのです。のちに私が塾長を務める私塾年輪塾での学びのテーマを二宮金次郎(後の尊徳)、さらには中江藤樹を選んだこともあって、大学は塾頭によって輪読用のルビをつけた台本まで出来、また意味も解説文をつけてネット配信してもらい、念願の「大学」という本の全容が明らかになってきました。

  「校長が いろはにほへとと 言ったこと 手っきり私 信じていたが」

  「北陸へ 行った帰りに 大阪の 梅田古書街 大学見つけ」

  「一万円 値切り倒して 5千円 5百円だけ 上乗せ買って」

  「金次郎 銅像読んで いる本の 一節何度も 繰り返し読む」

 

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人間牧場

〇虻に刺される

 田舎に住んでいるとハチやムカデは勿論のこと、蚊やブトなどの吸血小動物に刺されることはしょっちゅうです。最近はマダニという恐ろしい吸血小動物に刺されて命を落す人さえいるのですから、気をつけなければなりません。今年の夏はやたらと虻が発生しているようで、草刈の最中などは人間の汗と体温が好きなのか、虻が沢山うるさいくらいまとわり付き、作業の邪魔をするのです。

吸血小動物虻
吸血小動物虻

 虫が亡くなると書いて虻と呼びますが、私がそうであったように虻が吸血動物であることは余り知られていないようです。調べてみると血を吸うのはメスの成虫だけのようですが、虻は衣服の上からでも平気で刺すから厄介です。先日半袖半ズボンの軽装で庭の草むしりをしていると、足首に虻が止まりチクリと刺されました。それくらいのことはしょっちゅうあることなので、そのままにしていると、夕方少し腫れて熱を持ちましたが、風呂から上がってかゆみ止め程度の軟膏を塗って寝たものの効き目がなく、腫れは段々酷くなりました。

 ほおって置くこともできず、化膿止めの少し強い塗り薬を塗るとやっと快方に向いつつありますが、足首ゆえ歩くとズボンの裾で擦れるため、歩行もいびつになるなどとんだ災難でした。近所の人に聞くと今年は虻が例年より多いようだと言っていました。また別の人は「台風が沢山来る年は虻が多い」という話を古老から聞いたことがあるそうでした。この70年間生きて来て虻は身近にいる小動物なのに、何も知らず何の疑いもなく生きてきたことを思うと、私も相当いい加減な人間だと思わざるを得ないのです。

 「虻蜂取らず」という諺があります。「虻蜂取らず」の次の言葉に「鷹の餌食」とか「蚊の餌食」と続くようですが、そのことすら余り知りませんでした。虻と蜂の二つを取ろうと欲を出しても、結局は両方逃げられてしまう例えですが、私は今蜂を飼い蜂蜜を収獲して楽しんでいます。蜂に気を取られている隙に今回は虻に刺され、思わぬ結果となりましたが、虻は人間にとって害虫なので、これからは気をつけようと思っています。

  「70年 生きているのに 虻のこと 殆ど知らず 刺され驚く」

  「小さいが メスの成虫 人間の 地を吸うそうだ 危ない危ない」

  「蜂取りや 雑草取りに 夢中なる 虻に刺されて 足首化膿」

  「身の回り 危険な生き物 いっぱいで 田舎暮らしも それなり大変」

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人間牧場

〇年輪塾の役員会

 昨晩はわが家の敷地内にあるゲストハウス「煙会所」で、10月3日に迫った人間牧場10周年の記念行事の打ち合わせのため、年輪塾の役員が集まりました。役員といっても塾頭の清水さん、小番頭の松本さん、筆頭塾生の浜田さん、それに塾長である私の4人だけですが、数は少なくても思いの通じる仲間は嬉しいもので、まだ明るい午後6時に集まると直ぐに本題に入って白熱した討議を行ないました。

DSCN0659 DSCN0660 人間牧場10周年と年輪塾の公開セミナーをセットにした研修会の計画は、既にプログラムも出来上がって事務局の松本さんを中心に申し込みが始まっていて、昨日はその具体的な進め方が議論の中心でした。人間牧場でやるイベントは道も狭く駐車場も限られていて、また中心施設である水平線の家に入れる人数も制約があるので、運営する私たちスタッフは大変ですが、これまでにも色々なプログラムをこなして来てきるので、多分大丈夫だと思うのです。

 昨日は集まった皆さんのために、仕事から帰った妻が芋炊きをにわか作りで用意してくれました。皆さん車で来ていたのでアルコールを飲むことができず、下戸な私に合わせ、ノンアルコールビールで乾杯しました。アルコールゼロでも飲んだ雰囲気になり、みんな饒舌になるから不思議です。芋炊きとおにぎりだけの質素な食談でしたが、芋炊きの味も最高でした。松本さんは早速その様子を写真でfacebookにアップしていました。幾つになっても愉快な仲間たちとの出会いはいいものです。さあ私も性根を据えて準備に取り掛かりましょうか。

  「役員と 言ってもたった 四人だけ ゆえに深みの あるある議論」

  「酒呑まず ゼロのビールで 乾杯し 呑んだ気分で 四方山話」

  「何もない 妻が作った 芋炊きと おにぎりだけの 質素な食事」

  「まだまだと 思っていたけど 直ぐそこに 準備万端 心は一つ」

10周年記念事業のプログラム
10周年記念事業のプログラム
松本さんがfacebookにアップした芋炊き
松本さんがfacebookにアップした芋炊き

 

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人間牧場

〇あっ!!またやられたイノシシの悪態

 農校生が研修に来るというので、昨日久しぶりに人間牧場へ行きました。西嶋さん宅の前の農道を通って人間牧場へ通じる私道に入ると、道の両側の様子が何やらいつもと違うことに気がつきました。これが一年に何度か荒されるイノシシの仕業であることは容易に想像つきましたが、それにしても酷いもので、まるで耕運機でも掛けたように、雑草はなぎ倒され、土は掘り返されて道にほおり出し無残な姿になっていました。

大汗をかき土のけ作業をする私
大汗をかき土のけ作業をする私
イノシシが無残に荒らした畦畔
イノシシが無残に荒らした畦畔

 さてどうしたものか?と思案をしたものの、農校生が来る時間が近づいていたので、目をつぶって通ってもらう以外ないと、腹をくくりました。2時間ばかりして農耕生が帰ったので、私は倉庫からスコップを持ち出し、コンクリート舗装した道の上に落ちた土を掬って、道の両側に跳ね上げる作業を始めました。昨日の午後は幸いなことに曇天で熱射は余り強くありませんでしたが、それでも湿度が高いのでたちまち大汗が吹き出て、たった一時間弱の時間でしたが、まるで濡れ鼠のようになりました。

 近所の西嶋さんたちもイノシシを捕獲するため鉄砲や罠で対抗したり、電気柵で防備をしているようですが、イノシシは人間が眠っている間の夜に夜襲を仕掛けてくるので、最後は人間の根負けといったところです。この場所は比較的土が柔らかく、イノシシの餌となるミミズがたっぷりいるので、絶好の餌場となっているようで、今年は同じ場所をもう三度もやられ、その都度汗をかきながら補修を繰り返していますが、老骨には中々骨の折れる手作業です。これまで10年間続き、これからもずっと続くと思われるイノシシとのこうした目に見えない戦いも、そろそろ終わりにしたいものです。

  「牧場に 続く私道の 両側を イノシシ昨晩 綺麗に耕し」

  「やり放題 被害届を 出す先も ないまま続く 厳しい戦い」

  「イノシシは 人の寝ている 夜活動 ゆえに手立ても 中々なくて」

  「大汗を かいてスコップ 土を跳ね 綺麗になった 何時まで持つか」

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人間牧場

〇家族でバイキング料理を楽しむ

 今年の夏休みは終業式の日に台風接近で警報が出て、終業式を一日繰り上げるという前代未聞の早い夏休みとなりました。年長の奏心は保育園へ元気に通い、小学校2年の孫希心も宿題やラジオ体操に参加しながら元気に過ごしていますが、夏休み前の7月11日に親父が亡くなって家中が、深い悲しみに包まれゴタゴタしたため、お盆休みも外孫たちは泊まりに来るのを少し遠慮したため、静かなお盆となりました。

かき氷で舌を染めた孫尚樹と奏心
かき氷で舌を染めた孫尚樹と奏心

 

満腹の手合いの孫希心と朋樹
満腹の手合いの孫希心と朋樹

そんなこともあって、孫たちをどこへも連れて行くことができなかったため、8月16日の日曜日、「ふきのとう」というバイキング料理の店を予約して、長男息子家族4人、娘家族3人、次男夫婦2人、私たち夫婦2人の合計11人の大軍団で昼食会に出かけました。この店は野菜中心の料理なので、まるで私たち夫婦が日常食として食べているような料理が沢山並び、子どもたちは食べ放題ということもあって、何度も席を立って色々な種類の食べ物を、腹は大丈夫?かと思うほど沢山食べていました。

 私もどちらかというと魚食や菜食嗜好なので、大いに満足して魚料理はなかったものの野菜系の料理を少しオーバー気味で食べました。さすがに子どもたちのように食後のケーキやフルーツポンチ、ジュース、アイス系は食べませんでしたが、大満足の手合いでした。私たち夫婦は料金ほど食べてはいないようですが、子どもたちを含め押しなべてみると料金に見合ったバイキングでした。支払いは勿論年金暮らしである私たち親の財布からですが、店を出る時孫たちが「おじいちゃん、おばあちゃんありがとう」、子どもたちも「おご馳走様でした」とお礼を言ってくれました。

 2年生になる孫希心は先日熱中症にかかり、家を出る時少し体調が悪いようで、どうしたものか心配しましたが、自嘲気味ながら食事も進み一安心といったところでした。夏休みもあと10日ほどになり、孫たちもそろそろ宿題も追い込みのようです。今朝も元気にカードを首にぶら提げてラジオ体操に出かけました。私たち夫婦にとっても今年の夏は親父が亡くなるという青天の霹靂で、夏休みどころではありませんでした。今週末の日曜日には49日の法要もしなければなりません。あと少し頑張って元気で夏を乗り切りたいものです。

  「夏休み 今年はどこへも 行けなくて せめて食事と みんなで出かけ」

  「バイキング 孫たち揃い 大はしゃぎ かき氷食べ 舌が変色」

  「今年夏 晴天霹靂 親父の死 休むどころか ハードな毎日」

  「あと少し 四十九日の 法要を 済ませるまでは 気を抜かないよう」

 

 

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人間牧場

〇蜂蜜の採蜜作業(その2)

 昨日から今年3回目となる蜂蜜の採蜜作業を始めています。プラスチック樽に取り込んだ蜂蜜たっぷりの巣を取り出しながら、高知県馬路村の木下さんに教えてもらった、下に管のついた専用のポリバケツに入れた金網ザルの中へ、細かくちぎりながら入れて行くのです。巣にはまだ生きているミツバチも何匹かいて、これまでにも痛い目に遭って注意をしないと刺されため、厚手の手袋をはめての作業ですが、手袋はたちまち蜂蜜でぬるぬるになりました。

まるで実験装置のような細密道具類
まるで実験装置のような細密道具類
今年もこんな綺麗な蜂蜜が一升瓶13本も採れました
今年もこんな綺麗な蜂蜜が一升瓶13本も採れました

 昨日は前日ほど気温が上がらなかったためそれほど垂れ蜜の落ちるスピードはありませんでしたが、それでも今朝までに1升5合の蜂蜜をゲットしました。今日一日で5合を加えると、今回も何とか2升ほどあり、今年も前回と前々回を加え13升になるようで、ひとまず10升の目標は達成することができました。少し巣箱が軽いので後の三つは時期を待って秋採りしようと思っていますが、今回採蜜した箱も今朝の時点では蜜蜂たちが逃げもせず留まっているようで、ひとまず安心しています。

 昨日NHKテレビ「ダーウィンが来た」という番組を偶然見ました。渡り鳥のクマタカが蜜蜂をエネルギー源にして生きているという話です。日本と東南アジアを行き来するクマタカは、営巣して子育てする時、地面に作ったミツバチの巣を襲い、それを餌として巣立ちまでの一ヶ月間、雛に与えて育てるそうですが、渡りのある時期・ある場所で蜂の巣を襲い、それをエネルギー源にして遠くまで飛ぶという話は、聞いたことがあっても映像といいながら見るのは初めてでした。

 日本蜜蜂と違い木の上枝に営巣する大ミツバチや黒スズメバチの、1mを越す巨大な巣を襲うクマタカの姿や、それを阻止しようと本能的に蜂の巣を巨大化するハチの行き詰る攻防は、さすがNHKって感じでした。それにしてもクマタカより凄いのは矢張り人間です。未熟な私などでも完全防備した雨合羽姿で、あのミツバチの群がる巣箱に平気で手を突っ込み蜂蜜を横取りして、さも自分が蜂蜜を作ったような顔をし採集し食べているのですから驚きです。やはり人間は百獣の王かも知れません。

  「天板を 取って蜂蜜 採集す 息子遠巻き 写真に収め」

  「今回も 2升の蜂蜜 ゲットする 目標超えて ひとまずホッと」

  「クマタカが 蜂の巣襲う 映像を ダーウィン番組 衝撃放送」

  「クマタカも 偉いが人間 もっとだと 蜂蜜横取り する姿見て」 

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人間牧場

〇渡江歌舞伎くずし盆踊り見学(その2)

 渡江歌舞伎くずし盆踊りのルーツは江戸時代に遡る伝統的な民俗芸能です。日本全国で行なわれている盆踊りの殆どは、誰でも盆踊りの輪の中へ入って踊りに参加できますが、この盆踊りは歌舞伎役者に見立てた踊り手以外は、次々に繰り広げられる路上歌舞伎くずしの場面を見て楽しむもののようです。ゆえに少し食腸気味なところもありますが、それ以上に空想の世界をリアルにかき立てられました。

今朝の朝刊に載った渡江の歌舞伎くずし盆踊り
今朝の朝刊に載った渡江の歌舞伎くずし盆踊り

 5分間の休憩を挟んで1部30分、2部30分、3部30分の踊りの3部の中ほどまで楽しんだ私たちは、遠方からの見学なので帰らなければならず、少々後ろ髪を引かれる思いで早々にお暇することにしました。何年か前西予市のおらが自慢グランプリの応募作品審査委員長を2年間務めた私は、グランプリと準グランプリに輝いた各地を訪ねて歩きました。渡江歌舞伎くずしはその時の準グランプリだったので、妻を伴って一度だけ見学をさせてもらい、私も妻も感動の連続でした。ゆえに今回も妻を連れて行ってやりたいと思いましたが、あいにくお盆で親父や先祖の仏事があるため、出かけることができませんでした。

 妻はそのときお世話になった人たちの事を忘れず、出かけに手土産まで用意してくれました。幸いその人たちとも再会し、交遊を暖めることが出来ました。岐路の途中道を一本間違い、とんでもない場所に入ってしまって引き返すハプニングにも見舞われました。また折角持参したデジカメにメモリーカードを入れるのを忘れて撮影できませんでした。幸いタブレットを持参していたので、思い出のスナップ写真だけは何とか残すことができました。浜田さんと道中色々なまちづくり話ができたこともいい機会でした。帰りは宇和インターから大洲インターまで高速道路を走ったお蔭で、11時前には帰宅し浜田さんもその先を帰路に着きました。来年も行きたい見たい民俗芸能でした。

  「宇和海に 面した地区の 盆踊り 仲間と二人 見学に行く」

  「よう来たと 笑顔出迎え してくれた 友と一緒に ジュース乾杯」

  「200年 よくも続いた 盆踊り 感心しつつ 心ほのぼの」

  「ハプニング これもいつもの ご愛嬌 過ぎてしまえば 何のことなし」

 

 

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