人間牧場

〇人間牧場10周年年輪塾公開セミナー&10周年の集い(その6)

 年輪塾公開セミナーと人間牧場10周年の集いは、私の夕日亭大根心の新作落伍独演会で目出度く幕を閉じました。渡辺さんの祝辞に始まり、河野さんの絵の贈呈、井上さんのほら貝披露、塩崎さん、和田さん、亀本さん、溝渕さん、松本さん、門田さん、西川さん、梅村さんの心に染みるショートコメント、それに息子一心の話、水産高校の大先輩玉井さんの話も余韻を引き継ぎました。

蚊帳の中での交流会
蚊帳の中での交流会
蚊帳を張ったウッドデッキはまるで源氏物語の世界です
蚊帳を張ったウッドデッキはまるで源氏物語の世界です

 さあ楽しい交流会の幕開けです。まずウッドデッキに特製の大蚊帳が、多少戸惑ったものの息子の指導で張られました。蚊帳を張ると先ほどの研修風景とはまた違った異空間が生まれました。5つのテーブルを置き、周りにみんなが座って早速乾杯しました。テーブルの上には松本さんが注文用意してくれた美味しそうな料理が並び、皆さんがお祝いに持ち寄ってくれたお酒類を呑みながら楽しく食懇談しました。呑むほどに酔うほどにボルテージが高まったところで、馬路村の木下さんがマジックを披露してくれました。木下さんのマジックも今では玄人並みで会場を大いに湧かせてくれました。

バームクーヘンを使った6段飾りのバーズデーケーキに孫たちもビックリ仰天
バームクーヘンを使った6段飾りのバーズデーケーキに孫たちもビックリ仰天
松本さんが用意してくれたオードブル
松本さんが用意してくれたオードブル

 やがてこれがサプライズというのでしょうか、大きなケーキが会場内に運び込まれました。何と何とバームクーヘンの支柱を組み立てた6段飾りのバーズデーケーキでした。実はこの日10月3日は私の71回目の誕生見でした。ゆえに年輪に見立てたバームクーヘンを歳の数71本を使ったようですが、その奇抜なアイディアには、さすがの私も驚ろきあっけにとられてしまいました。やがて灯りが消され71本のローソクではなく、7本のローソクが灯され、誕生日の歌を歌った後、一息でローソクを消しました。私はこれまで70回誕生日を迎えていますが、こんなのは勿論初めてでした。

楽しかった宴会
楽しかった宴会

 その夜は帰る人、泊まる人に別れ、泊まる人も借りていた池久保集会所と水平線の家に別れ、私は深夜2時まで15人を越える泊り客の相手をしました。酒を飲まない私と酒を呑み過ぎるほど呑む仲間たちとの波長は、合うはずもなく苦慮しましたが、これも私のために駆けつけてくれた仲間たちへの、ささやかな大サービスだと心に決めて対応しました。15人の仲間はそのうち酒と睡魔でダウンし雑魚寝と相成りましたが、まあ凄いいびきで、結局私はウトウトしたものの一睡もできませんでした。朝6時みんなを起こし後片づけをしてそれぞれがそれぞれの目的地に、何事もなかったように帰って行きました。

  「交流会 ウッドデッキに 蚊帳を張り 異次元世界 始まり始まり~」

  「呑むほどに 酔うほどみんな ボルテージ 最高潮で 賑やか酒宴」

  「サプライズ 私のために 特製の バームクーヘン ケーキを準備」

  「虫の音に 負けずに仲間 いびきかく 凄過ぎ私 一睡できず」

 

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人間牧場

〇人間牧場10周年記念年輪塾公開セミナー&10周年の集い(その4)

 講義と鼎談を終え、15時からは南向きにしていたステージをがらりと替え、馬路村産魚梁瀬杉の切り株台座をウッドデッキに運び出し、北向きにしました。南向きは私の蔵書が雑然と置かれた学習風情でしたが、北向きは瀬戸内海の海と青空がバックです。前と後をセットし替えただけで、こうも雰囲気が変るものなのかと思わせるほどの驚きでした。10周年の集いはセレモニー、人間牧場での活動報告、リレートーク「人間牧場主を語る」、夕日亭大根心師匠の新作落伍と4本立てでした。

人間牧場10周年を報じた昨日の愛媛新聞朝刊
人間牧場10周年を報じた昨日の愛媛新聞朝刊
活動報告をしてくれた冨田さん
活動報告をしてくれた冨田さん

 筆頭塾生の浜田さんが進行役を務めましたが、かつて私も代表運営委員を務めたえひめ地域づくり研究会議の渡辺浩二さんがお祝いに駆けつけ、祝辞を述べていただきました。その後人間牧場での活動報告では、双海子ども教室スタッフの赤石雅俊さんが、子ども体験塾を中心に話をしてくれました。赤石さんは前年度まで公民館主事として7年間子ども教室の事務局を担当しました。異動で福祉課へ移っていますが、子どもの成長もさることながら赤石さん自身も人間牧場で多くのことを学んだようでした。地域おこし協力隊の冨田さんは都会からやって来て、慣れない異郷の地で大いに活躍してくれ、このほど4年間の任期を終えました。現在は双海町日喰に民家を借り受けて定住し、元気い~よプロジェクトを立ち上げ、活発に活動していますが、自分のこれまでの活動を総括しながら、人間牧場や私とのかかわりを話してくれました。

 リーレートーク「人間牧場主を語る」では、浜田さんが参加者の中からピックアップした人が次々前に出て、私の犬も食わず猫も見向きもしない悪口(大笑い)を、大いに言い合ってくれました。歯が浮くような美辞麗句を並べられると喜ぶ人もいますが、私にとっては嬉しいトークとなりました。気がつけば退職して早10年、だけどたかが10年されど10年、多くの人に生かされて生きていることを、実感するようなお話でした。私はこれからも目標としている85歳まで行き続けなければなりません。よりよき人生を生きるためには、私の人生の窓口である青年団活動で得た、①仲間、②主張、③ふるさと、④感動、⑤夢という5つの道具を使わなければなりません。とりわけ大事な多くの仲間と共に、楽しい学びと交流を続けたいと心に誓ったひと時でした。

  「10周年 色々あった 出来事を 振り返りつつ 生き方探る」

  「悪口を ジョークに替えて 話す友 胸にジーンと 込み上げてくる」

  「目標は 85歳と 人生を 決めて生きてる 後は字余り」

  「牧場に 愉快な仲間 集まりて ワイワイガヤガヤ 蜂の巣のよう」

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人間牧場

〇人間牧場10周年記念年輪塾公開セミナー&10周年の集い(その2)

 人間牧場で開いている私塾年輪塾は、ただ今四期目を迎えています。宮本常一、二宮金次郎、ジョン万次郎と続いた先人の学びを、四期目は近江聖人中江藤樹としています。今年の夏年輪塾の修学旅行に出かけた青木晴美さんから、お土産に全紙タイプの和紙に書かれた藤樹書院発行の、「近江聖人中江藤樹先生の教え」をいただきましたので、おさらいのつもりで紹介しておきます。

 近江の国(滋賀県)でお生まれになった中江藤樹先生は、郷土の人や藤樹書院に集まってくる人々と共に、人間として大切な道を学び、その道を実行し、近江聖人とたたえられました。先生は次のようなことを教えてくださっています。

青木晴美さんから年輪塾修学旅行のお土産にいただいた藤樹先生の教え
青木晴美さんから年輪塾修学旅行のお土産にいただいた藤樹先生の教え

 致良知(ちりょうち)
 人は、だれでも「良知」という美しい心を持って生まれています。この美しい心は、だれとでも仲よく親しみ合い、尊敬し合い認め合う心です。ところが人々は、次第にみにくい、いろいろな欲望が起きて、つい良知をくもらせてしまいます。私たちは、自分のみにくい欲望に打ち克って、良知を鏡のようにみがき、その良知に従い行いを正しくするよう日々努力することが大切です。

 孝行(こうこう) 
 私たちの心や体は、父母からうけたものであり、父母の心や体は、先祖からうけつがれたものであります。それはもともと、大自然から授かったものです。孝行とは、父母を大切にし、先祖をとうとび、大自然をうやまうことです。そのためには自らの良知をみがき、身体をすこやかにし、行いを正しくし、家族やまわりの人々と仲よく親しみ合うことが大切です。さらに、子どもをあたたかい心でしっかりと育てることも孝行です。

 知行合一(ちこうごういつ)
 人々は、学ぶことによって、人として行わなければならない道を知ることができます。しかし、学んだだけで、それを行なわなければ、ほんとうに知ったことにはなりません。物事をよく理解し、実行してこそはじめて知ったことになります。

 五事を正す(ごじをただす)
 五事とは「貌言視聴思」を言い、それを正すことは、なごやかな顔つきをし、思いやりのあることばで話しかけ、澄んだ目でものごとを見つめ、耳を傾けて人の話を聴き、まごころをこめて相手のことを思うことです。ふだんの生活やまわりの人々とのまじわりの中で、自ら五事を正すことが、すなわち良知をみがき、良知に到る大切な道です。

                              藤 樹 書 院

  「親友の 女性旅行の お土産に 和紙に書かれた 藤樹の教え」

  「おさらいの つもりで四つ 教え読む 良知・孝行 知行合一」

  「五事正す 加えた四つ なるほどと 心に刻み 毎日実践」

  「四百年 前に生きたる 先人の 教え陳腐化 せずに斬新」 

 

 

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人間牧場

〇人間牧場開設10周年(その2)

 人間牧場を造ってからこの10年の間には、色々なことが沢山ありました。幸い私が健康だったため、過酷とも思える草刈り作業も運営も無難にこなして来ましたが、気がつけば私も昨日で71歳です。車に乗って人間牧場へ作業や活動に行くためには、おおよそ80歳くらいが限界かなあと想像していますが、だとするとあと10年程度で息子にバトンタッチをしなければなりません。息子はただいま42歳です。仕事に熱中しなければならない年代なので、そうそう私の満足するような手助けはできませんが、そろそろ色々なことを伝授し始めないと、私の身が持ちません。

建前当時の人間牧場
建前当時の人間牧場
水平線の家の屋根葺き作業風景
水平線の家の屋根葺き作業風景

 幸い息子は人間牧場の諸施設の設計を担当したので、折に触れウッドデッキに防腐剤を塗ったりしながらメンテナンスもやってくれています。10周年記念事業をするに当たって息子は、外壁のあちこちにキツツキによって無数に開けられた穴を、見苦しいからと大工さんに頼んで潰してもらっていたようです。また少し不具合のあった囲炉裏の蓋も修復してくれていました。さらに昨日は10年前水平線の家のウッドデッキを造った際、若嫁の協力を得て防虫ネットで作った蚊帳を、ステンレス製パイプを取り付けた上に被せて、交流会の雰囲気作りや藪蚊対策をしてくれたお蔭で、とてもいい雰囲気の交流会が持てました。

 私と激しくぶつかったロケーション風呂も、息子の意見を通して2階建てにしたところ、豊田漁港の眺望とともに足湯ができる設計は、来訪者に大好評で、息子に軍配が挙がりました。またツリーハウスも息子が「樹に付加を掛けることは如何なものか」と対立し、息子の意見で樹を抱かかえるようにしたことも今にして思えばもっともなことでした。ツリーハウスは私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループが資金面のスポンサーになってくれ、素敵な施設となりました。その後増えたかまど小屋やピザ釜を加え、今年の春自分でブロックをついて造った腐葉土ストッカーも来年はカブト虫の養殖場として生まれ変わる予定です。

 10周年を迎えたつい最近、多くの人から「あなたの人間牧場での次の目標は難ですか?とよく聞かれます。資金があればまだまだやりたいことはいっぱいありますが、気力と体力の衰えつつある年齢のことを考えると、そろそろこれが限界かな?とも思っています。息子は貪欲で時々、「お父さん〇〇をしたらどう?」と持ちかけられますが、息子と私のブレーキ役はもっぱら妻と若嫁の女性群で、「これ以上造るとお父さんの体の健康が心配だ」と二人の前に大きく立ちはだかるのです。人間牧場を氷に例えるなら私の理想とする人間牧場にまだ10パーセントしか出来上がっていません。親父が存命中作ってくれた作業小屋もそろそろ手狭になってきました。

  「オーナーの 私が資金 息子ただ 知恵出すだけで 汗まで私」

  「親よりも 子どもの意見 最もと 今頃気付く 愚かな親父」

  「これ以上 やらないように 妻が言う 若嫁までも 立ちはだかって」

  「あと10年 車に乗れなく なる日まで 一生懸命 頑張り抜いて」

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人間牧場

〇誕生日のプレゼント(その2)

 昨日は今日開く予定の、人間牧場10周年&年輪塾公開セミナーの準備で慌しい一日でした。午前中鼎談の組み立てや準備物をチェックして軽四トラックに積み込み、午後2時に地域事務所で落ち合った清水塾頭、松本小番頭、浜田筆頭塾生と私の4人で、人間牧場へ向かいました。

今日の講師中江彰先生
今日の講師中江彰先生

 昨日は爆弾低気圧で吹き荒れた風雨も収まり、少し風は強かったものの、ウッドデッキに張っていたブルーシートも多少めくれてはいましたが、吹き飛ばされず残っていました。みんなでブルーシートを片付け、早速準備に取り掛かりました。掃除をしたり2階の倉庫から50枚もの全ての座布団を取り出し、ウッドデッキで枚数を数えながら風を入れました。

子どもたちからプレゼントされた書斎椅子
子どもたちからプレゼントされた書斎椅子

 受付や当日の運営を確認したり、イノシシに荒らされた畦畔の土を跳ね上げる作業で汗を流しました。私と清水さんはその足で、今日の講師である滋賀県から招聘した中江先生と打ち合わせをするため松山に向い、市駅に程近い蔵という居酒屋で簡単な夕食会を持ちました。私は6月に実施した年輪塾の修学旅行と親父の死が重なったため参加できず、中江先生とは初対面なので、同席した清水さんの力を借りてお話をしました。

 食談会を終えて松山から帰宅してみると、私の書斎机の前が何やら違っていました。椅子が新調されているのです。これまで使っていた椅子は次男が初めての給料で買ってくれたものでしたが、安物?だったのか破れて少しくたびれていました。子どもたち4人がお金を出し合って私の誕生日に合わせプレゼントしてくれたのです。

 この椅子に座り、これからも私は様々な空想を張り巡らせ、パソコンを使って文章を書いたり読書にふけることでしょうが、私の知的コンテンツはまだ伸しろがあるのでしょうか?。椅子に座ってみましたが、座り心地も満点で大いに満足しました。願ってもない誕生日のプレゼントに、ルンルン気分で71歳の誕生日を迎えた朝でした。

  「今日の日の ために仲間が 集まって 準備おさおさ 怠りなきよう」

  「松山の 小さな居酒屋 3人で 食事を囲み 打ち合わせする」

  「帰宅して 書斎に入り 机前 椅子プレゼント されて嬉しや」

  「今日からは 気を引き締めて 頑張ろう 決意も新た 71歳」

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人間牧場

〇カボチャ・かぼちゃ・また南瓜

 「ああ、今年もそんな時期が来たのか!!」と思わせるように、先日北海道佐呂間町のパンプキン武田こと武田温友さんから、今年も沢山の観賞用カボチャが宅配便で届きました。早速孫と一緒に荷を開けると、中からまるでオモチャの玉手箱のように、沢山のカボチャが出てきました。孫は「僕に頂戴」とお気に入りのカボチャを一個選び、さっさと自分の部屋に持って行き机の上に飾っていました。

北海道から送られてきた珍しい観賞用カボチャ
北海道から送られてきた珍しい観賞用カボチャ
カボチャでおどける孫奏心
カボチャでおどける孫奏心

 さてこのカボチャは、毎年道の駅のじゃこ天のお店の店先に飾った後、10月の下旬に人間牧場で開かれる子ども体験塾の折、ウッドデッキに展示して、最期は子どもたちとジャンケンゲームで競り市をする予定です。毎年のことなので子どもたちもそのことを楽しみにしているようで、先日子ども体験塾の子どもたちに会ったら何人かから、「今年もカボチャをくれるの?」と聞かれました。

 はてさて今年は明日、人間牧場10周年の記念事業があって、沢山の人がやって来る予定なので、今日の準備に合わせて人間牧場へ持って行き、棚に展示をしてはどうかと思案をしています。珍しい形や色のカボチャなので持ち帰られる危険性もありますが、折角北海道から送ってもらったカボチャなので、ディスプレイに使う方が話題性があるのかも知れません。そうしようと急に思いつきました。

 北国の北海道はもう紅葉の秋も進み、高い山では初冠雪があったと報じられています。春が遅く冬が早い厳しい自然の中で大切に育てられたに違いないカボチャを見ながら、武田さんの顔を思い浮かべました。武田さんとは私が佐呂間町へ講演に出かけた時、たった一度しかお目にかかっていません。しかし世の中は便利になったもので、静止画像ですが見ようと思えば、facebookで武田さんの温和な顔はいつでも見ることができるのです。武田さん、今年も沢山のカボチャありがとうございました。

  「今年も 観賞カボチャ 宅配で 届いて嬉し 孫も喜ぶ」

  「段ボール 箱の中から 次々と カボチャ出てきて まるで玉手箱」

  「このカボチャ 明日のイベント ディスプレイ 使いたいけど 危ないかもね」

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人間牧場

〇別名「夕日花」と名付けた「酔芙蓉」の花

 晩夏から初秋にかけて咲く花の数はそんなに多くありません。ゆえにその季節に咲く花を植えると話題になるかも知れない?と、考えついて植えたのが芙蓉の花です。芙蓉の花には色々な種類があるようですが、シーサイド公園周辺に植えているのは一重咲きのピンク、白、八重咲きの白い酔芙蓉の概ね3種類です。海岸国道にバイパスができた折、法面に何の花を植えるか、当時まちづくりで花咲くまちづくりを推進していた私に、土木事務所の担当者から相談があり、是非芙蓉の花を植えて欲しいと頼みました。長い法面に芙蓉の花を植えるのは予算的に無理があると難色を示しましたが、強く要望した結果ピンク系の芙蓉の小路が誕生したのです。

シーサイド公園の法面に咲く酔芙蓉の花
シーサイド公園の法面に咲く酔芙蓉の花
私を訪ねてきた二人の女性
私を訪ねてきた二人の女性

 それに呼応するように、シーサイド公園と国道の間の法面に酔芙蓉を植えました。実はこの花は越中富山の盆踊りで有名な町を紹介した、小説に出てくる珍しい花なのです。何が珍しいかといえば、朝真っ白い花を咲かせますが、時間が経つと昼過ぎから花がピンクになり、夕方真っ赤になって萎むのです。まるでその名のとおりお酒に酔った人の顔に似ていることから、私はこの花を別名「夕日花」と名付けました。小さな苗木を植えましたが、今は枝葉が繁り、この季節になると立派で綺麗な花を沢山咲かせて通りかかる人の目を楽しませてくれるのです。この花が何という名の花であるかや、花の色が一日のうちで変化することなど知らない人もいますが、この花を愛でたり写真や絵で表現したりする人もいるから驚きです。

 昨日シーサイド公園に、お店を構えるじゃこ天の松本部長さんから電話が入り、「私を知っている人がお店に訪ねてきているのでお声でも!」とのことでした。家で野菜の苗の植え付けをしていた私は手を休め、5分ほどでその人に会いに行きました。2人の中年の女性でした。その素早い対応に驚いた様子でしたが、聞けば県の女性総合センターで私の話を聞き、数年前バス一台で私の家にまで見学に来たとのこと、また一日三枚のハガキを書いている話を私がしたので、ハガキを送ったところ、私からも返信が届いたらしく嬉しく、忘れることができない思い出のようでした。雑談や四方山話をして、次回は人間牧場で再会しようと約束をしお別れしました。帰宅途中酔芙蓉の花を散策しながら一人で愛でました。美しい花も今が盛りで、そろそろ終わりに近づいているようでした。

  「バイパスを 造った時に お願いし 芙蓉の花を 沢山植える」

  「酔芙蓉 朝は白だが 昼ピンク 夕方真っ赤 萎んで落ちる」

  「酔芙蓉 その名のとおり 酒飲んだ 人のようだと 実感しつつ」

  「酔芙蓉 この花々にも 物語 語れば長い 曰く因縁」 

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人間牧場

〇久しぶりに鬼北町を訪ねました

 70市町村が平成の大合併で20市町になると、どの町がどの町と合併して何という名前の町になったか分らないという人もいますが、長年地域づくりに関わっている私には、70市町村も20市町も全て足を運んでいるので、そんなに違和感はありません。前回いつ訪ねたかとなると、「え~と?」と首をかしげてしまいます。広見町と日吉村が合併してできた鬼北町へは、高知県へ行く途中何度も通ってはいるものの、多分ここ3~4年ご無沙汰しているような感じがするのです。

 

公開講座のチラシ
公開講座のチラシ

DSCN1188DSCN1189 今回は愛媛県老人クラブ連合会と鬼北町老人クラブ連合会の共催による、健康づくり大学校の公開講座での講演です。海岸線を長浜まで、肱川沿いを大洲まで走り、大洲から三間インターまで高速を走ると、かつては遠かった高知県境の鬼北町へは造作もなく到着します。講演に先立ち来春宇和島で開かれる福祉祭りの打ち合わせをしたいと連絡があったものですから、会場の隣りの公民館ロビ-をお借りして、宇和島市社会福祉協議会の山本さんと酒井さんの3人で一時間ばかり大笑いしながらお話をしました。山本さんとはかなり古い付き合いですが、女性ながら課長職を務める立派な方になっていて、懐かしい話も飛び出しました。

 会場には100人を越える人が集まり、中には顔見知りの人も多く、「心豊かに生きる」という演題で90分間楽しい話をさせてもらいました。中には11月16日、お隣の三間町で講演するメンバーも来ていて、わき合いあいでした。参加者の中に宇和島水産高校の同級生平丸弘さんがいました。前日私が講演に行くというのでわざわざ電話を入れてくれて、会場で会うのをお互い楽しみにしていました。平丸さんは県の漁業取り締まり船の船長さんでしたが、既に退職し地元で公民館長や民生委員などをしながら悠々自適の暮らしをしています。

 講演後自宅が会場の近くであるため立ち寄るよう進められ、ほんの少しだけ立ち寄らせてもらいました。奥さんも在宅中でお互い懐かしい思い出を振り返りました。私の遊学した宇和島水産高校はその性格から、私や平丸さんのような特業科の卒業生は、船乗りが殆どなので、同級会などまだ一度もしたことがなく、出会いも殆どないのですが、平丸さんは毎年趣味で育てた洋ランの花をあしらった年賀状を届けてくれる律義者です。奥さんもどこかで私の講演を聞かれているようでした。この歳になると昔のことが懐かしく思い出されます。青春時代を宇和島で過ごした思い出は、私の原点なのでいい出会いに感謝の一日でした。そうそう親友二宮美日さんもお土産を持って駆けつけてくれました。

  「合併で 誕生した町 鬼北町 久々訪ね 懐かし顔々」

  「船乗りが ゆえに久々 同級生 50年前 昨日のように」

  「高齢者 100人越えて 集う会 思いを込めて 楽しく話す」

  「県境の 遠い町だが 高速の お蔭であっと いう間到着」

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人間牧場

〇女心と秋の空

 「女心と秋の空」という言葉の意味が色恋に鈍感な私には中々分りません。多分変りやすい女心ことを言うのでしょうが、一昨日や昨日の晴れ渡った秋の空を見ていると、そんな言葉をまったく感じさせない雰囲気でした。昨日は中秋の名月を楽しむためにシーサイド公園の恋人岬で観月会が催されましたが、私もその準備のお手伝いをするために会場に行き、久しぶりに夕闇迫る秋の夕日夕やけを堪能するほど見ましたが、「女心と秋の空」とはこんな様を言うのかも知れないと思うほど、ゆっくりと変化していました。

綺麗な秋空
綺麗な秋空
恋人岬のモニュメント
恋人岬のモニュメント

 秋の空は夕日夕やけの美しさもさることながら、空いっぱいに広がる雲はとても美しく、持っていたデジカメを使って移り行く自然の情景を何枚も写真に収めました。本当は子どもたちが買ってくれた一眼レフのカメラを使って撮影したいのですが、お粗末ながらカメラを5月のゴールデンウィークに買ったというのに、まだ一度も使わず書斎の棚の隅で埃をかぶっているのです。今はブログを書くためにデジカメを日常的に持ち歩いていますが、そろそろ使いこなせるようにしたいものだと思っています。

タンデム飛行する高木さんのパラグライダー
タンデム飛行する高木さんのパラグライダー

 秋分の日を中心にしたこの時期は、恋人岬のモニュメントの穴に綺麗な夕日が入るのが見えます。勿論この仕掛けは私が造ったものですが、昨日は砂浜に下りて様々な角度から観察してみました。昨日は親友の高木さんが山の上からパラグライダーでタンデム飛行(二人乗り)して砂浜に着陸する瞬間にも出会いました。高木さんはもう20年を越えて双海町の空をパラグライダーで飛び続けていますが、最近はパラグライダーで飛行しながら空中写真を撮り続けているようで、見せてもらいましたが、中々の腕前でした。近々パラグライダーに乗せてもらう約束をしました。

西の空の小焼け雲
西の空の小焼け雲

 穏やかな瀬戸内の海、美しい双海の夕日夕焼け、恋人岬に集う人々、空の変化など、どれも素晴らしく、生きていることの実感を感じさせてくれました。昨日空を見ていると中年の女性がモニュメントを見ながら涙ぐんでいました。聞けばモニュメントに掘り込んだ少年の像が、重度の身体障害で若くして亡くなった、息子の姿に似ているというのです。それから約20分間、私は見知らぬその女性の苦労話を聞かされる羽目になりましたが、この女性のように癒しを求めてやって来る人もいるのです。また一時間以上も手をつないだまま移り行く秋の情景に身を委ねているカップルもいました。この施設を造った張本人としてはこんな嬉しいことはなく、冥利に尽きました。

「秋の空 雲それぞれに
西東 見飽きず口開け ポカンと過ごす」

「大空に 突然飛行 物体が パラグライダー 砂浜降り立つ」

「この景色 癒されたくて やって来た 見知らぬ女性 涙流して」

「モニュメント 穴にスッポリ 夕日入る 造った本人 感動見入る」

 

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人間牧場

〇スズメバチの襲来

 わが家の裏には私がやっている養蜂のための蜜蜂の巣箱が5~6箱置かれています。蜂蜜を採集し終えた今頃から来春4月まではシーズンオフなので、別にすることもないのですが、普通の年だと空き家状態になっている巣箱に、今年は蜜蜂が2~3箱残っていて、蜜蜂が冬越しの準備をしています。蜜源の少ないこの時期なのでシーズンのような飛び方はしていないものの、慎ましやかに出たり入ったりしているようです。

ツマアカスズメバチ
ツマアカスズメバチ
ミツバチの巣箱の前に陣取って蜜蜂を狙うスズメバチ
ミツバチの巣箱の前に陣取って蜜蜂を狙うスズメバチ

 ところがつい最近、黄色スズメバチに加え大スズメバチがやって来て、巣箱の前に陣取って、蜜を抱えて帰ってくる蜜蜂を狙い、空中捕獲して食べてしまうのです。スズメバチは肉食であることは知っていますが、遠目でよく見ると捕獲は俊敏で、一瞬の隙を突いて捕獲して飛び去るのです。ところがそのままほおっておくと味を覚えたスズメバチが次から次へとやって来て、ついには巣箱の入口までかじって中へ入り、蜜蜂を根こそぎ食べてしまうのです。

 私はスズメバチを見つけたらその都度100円ショップで買った虫取り網で掬いとって殺していますが、取っても取っても追いつかないというのが正直なところです。3日前には私の留守中息子が私の代役を務めて捕獲しようとしたところ逆襲に合い、頭の天辺を刺されてしまいました。スズメバチは刺し所が悪いと死に至ることだってあるので注意をしなければなりません。昨日夕方テレビを見ていると、九州壱岐対馬辺りではツマアカスズメバチという韓国系の新たなスズメバチが繁殖しつつあるそうです。

 このスズメバチは日本の在来スズメバチとは様子が異なり、どう猛で刺された人が紹介されていましたが、普通の蜂は一度刺すと死んだり二度と刺しませんが、ツマアカスズメバチは何度でも刺す悪どい蜂のようで、既に九州のあちらこちらに繁殖しつつあるようで、蜜蜂世界の生態系を壊す原因となるかもしれないと危惧しているようです。私もスズメバチに何度か刺されましたが、養蜂をしているだけに気をつけなければなりません。考えてみれば蜜蜂の世界から見ると、私も含めた人間は蜜蜂がせっせと集めた蜂蜜を横取りするのですから、一番の天敵かもしれないようです。

  「この時期に なると必ず スズメバチ 巣箱陣取り 蜜蜂食べる」

  「百円で 買った虫取り 網掬い 蜂を捕獲し 天敵を駆除」

  「わが息子 頭の天辺 刺されたと 出張先へ 電話が架かる」

  「ツマアカと いう名の蜂が 九州で 勢力拡大 間もなく四国」 

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