人間牧場

〇松下政経塾生の来訪

 私の友人に兼頭一司さんと小野晋也がいます。いずれも東大出身の秀才で、二人は松下政経塾の卒業生らしく、小野晋也さんは国会議員を永らく務められ大活躍をされました。また兼頭一司さんも愛媛県上島町に入り島の会社を起こし、何かと話題になっている人です。松下政経塾の卒業生は小野晋也さんのように政治を志す人が多いのですが、兼頭さんのようにコミュニティビジネスを志す人もいて、随分様変わりしてきたようです。松下電気の創業者松下幸之助さんが84歳で、理想の社会を実現するために、リーダーの輩出を目指して1979年に設立した政経塾では、今も多くの人が日々新たな気持ちで学んでいるようです。(偶然でしょうか。昨日いただいた松下政経塾の2015年版パンフレットに、先輩塾生として兼頭さんと小野さんのメッセージが掲載されていて驚きました。)

松下政経塾の皆さん
松下政経塾の皆さん

 昨日4人の松下政経塾の塾生が私の元にやって来ました。私のような一線を退いた人間の話など、秀才揃いの塾生には取るに足らないと思うのですが、請われるまま言われるまま、シーサイド公園の事務所横の一室で、1時間半ほど面談させてもらいました。今回のテーマは「観光」でした。既に午前中内子を見学されたようだったし、私や双海町のことはインターネットで調べて事前知識を持っていることを予測し、むしろ煙会所や人間牧場でやっている活動に軸足を置いてお話しましたが、はてさて私の話は参考になったかどうか・・・。

 私の元へは今も沢山の人が何故か勉強と称してやって来ます。多分夕日という物体現象を地域資源にして、地域づくりをやった奇抜さが物珍しいのでしょうが、100人のうち99人までが首をかしげたり反対した過去を思うと、熱く語る物語はいっぱいあって、喋りだしたら止まらないのです。今の私には第二ステージとなった双海町のまちづくりを後押しする程度しかできませんが、それでも自由に語り合える空間・広場として、煙会所や人間牧場を使って若い世代に、既得権益を譲る心構えでやっています。夕焼け京都塾の塾頭山折哲雄さん(元日本国際文化センター所長)は、①出前の精神、②手作りの気分、③身銭を切る覚悟の三つのことを言っています。拳拳服膺肝に銘じて生きて行きたいと思っています。松下政経塾の塾生来訪はそのことを再確認する機会となりました。

  「秀才の 呼び声高い 塾生が 名もなき吾を わざわざ訪ね」

  「何のため 吾は生きてる 自問しつ 今日も明日も 牛歩の歩み」

  「若いのに 既に悟りを 開いてる 私なんぞは 足元及ばず」

  「凡人は 非凡ぶっても 化けの皮 剥がれるゆえに 普通に話す」

 

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人間牧場

〇ホダ木に椎茸が沢山生えました

 去年の春、人間牧場で行われた子ども体験塾開講式の折、ジャガイモの収穫作業と並行して、大洲市田処の親友亀本さんの指導を受けて、椎茸の植菌作業を行いました。植菌は手間の要る作業で、前もって親友井上さんの協力を得て原木となるクヌギの木を伐採して、軽四トラックに積んで人間牧場まで運び、1ヶ月ほど木陰に寝かせた原木に、ドリルで穴を開けて椎茸の種駒を打ち込むのです。

DSCN1418DSCN1419 種駒を打ち込んだホダ木を牧場下の往還道まで降ろし、竹で作った支柱に行儀よく並べて休眠させ、1年半が経ちました。今年の秋にはそろそろ椎茸が生えるかも知れないと、植菌指導した亀本さんから連絡が入りました。先週人間牧場10周年記念事業の準備で出かけた折、ホダ場を観察すると、ホダ木に立派な椎茸が10個ほど生えていて、早速持ち帰り、つけ焼きにして試食しましたが、新鮮ゆえにとても美味しく頂きました。

 その折ホダ木に無数の白い椎茸の芽を見つけていたので、もうそろそろ出ているかもしれないと期待しながら、昨日は下灘保育園児が、人間牧場へ遠足に来た対応ついでに覗いてみました。ホダ場に通じる道はイノシシの獣道なので、そこここにイノシシが遊んだ生々しい赤土の痕跡が残っていて、草と草、草と木の間には大臣グモがクモの巣を沢山張り巡らせ、容易に踏み込めませんでした。

 早速草刈機で草や木を刈り払いホダ場に着くと、まあ凄い数の椎茸が生えていました。早速公民館の隅田主事さんに連絡し、運よく近くまで来ているとのことだったので、午後一隅田さんが来るのを待って二人で収獲しました。小さいものは10月24日の収獲祭まで残し、開いたものは全て収獲して段ボールに入れました。椎茸は持ち帰って冷蔵庫に入れ、収穫祭に使う予定です。それにしても凄い数の椎茸に、二人とも少し興奮をしてしまいました。願わくば来年の春もホダ木を確保して植菌したいものです。

  「一年半 ホダ場に置いた クヌギの木 ホダ木となりて 椎茸無数」

  「椎茸が 無数に生えた 往還道 さすがイノシシ 食べずに通る」

  「キノコ狩り しているような 錯覚に なりて二人で 収獲作業」

  「10日後に 子ども椎茸 収獲を させてやりたい 気持ちになりて」

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人間牧場

〇タブレットの故障かも?

 3日前の夕方、夕日に染まった綺麗な本尊山を写真に撮ろうと、デジカメでなくタブレット端末を取り出し、スイッチを入れ庭から本尊山に向けて撮ろうとすると、画面が黒くなって撮影ができなくなりました。「エッ?!!」と信じられない感じがしました。充電は充分しているはずなのにです。撮影を諦め色々いじくりましたが、私の浅はかな知識では復旧することも出来ず、「×〇▲■」的憂鬱な気分になりました。

私のタブレット端末亜アンドロイド
私のタブレット端末アンドロイド

 早速こんな時、必ず助け船を出す娘婿にメールを送りました。「バックライトが暗くて画面が見えません。故障でしょうか?」と問い合わせたところ、早速返信メールが届き、懇切丁寧な対処方法を分りやすく説明してくれていました。娘婿は愛媛大学の先生をしていて、パソコンやタブレットにトラブルが発生すると、これまでにも再三再四対応してくれているのです。指示通り薄暗い画面の中ほどにある歯車のようなキーを二度押すと、バックライトの明るさを調整する画面が現れ、タブレットはものの見事に復旧することができました。

 私にとってパソコンもタブレットも、使いこなせるほどの有能な能力は残念ながらありません。ましてや今回のようにトラブルが発生すると、もうお手上げでどうすることもできないのです。故障と思っていたのに、ちょっとした操作でタブレットが使えるようになり、憂鬱は一転爽快になりました。人間の気持ちなどいい加減なものだと思いながら、昨夕も充電の終ったタブレットで、夕焼けに染まった西の空を写しました。

 スマートフォンを持たない私の携帯電話はガラ系です。タブレットは一ヵ月1100円の定額使用料契約です。年金暮らしのこの歳になると、無駄な出費は極力抑えた生活をしなければ日々の暮らしが成り立ちません。タブレット端末は今も使いこなすことはできませんが、ヤフー検索とアメーバブログ、ワードプレスブログを旅先で書いたり、facebookを使ったり、写真を撮ること、それに親友冨田さんが電子図書化してくれた「夕日徒然草」全編を集録していて、いつでもどこでも落伍の修業ができるのです。さあ歳をとっても私なりに進化を続けましょうか。

  「タブレット バックライトが 消えかかり 助け船出し 早速対応」

  「ハプニング 会うと私は お手上げで グリコの看板 みたいになりて」

  「故障だと 思っていたが 操作ミス 何のことなく 元に戻りて」

  「これからも 積極的に 生きようと 思っているが 限界近づく」

 

 

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人間牧場

〇舞たうん126号掲載

 えひめ地域政策研究センターの季刊雑誌舞たうんがこのほど手元に送られてきました。表紙には先日創風社30周年記念レセプションで、久しぶりにお会いした柳原あや子さんが、JR下灘駅で行なわれた結婚式の様子を画いていました。私は22・23ページに特選ブログshin-1さんの日記というコーナーに、「婚活あれこれ」というタイトルでVol.33の記事を書きました。

 浅学菲才な私ゆえ、毎号僅かな2000文字程度の短い記事ですが、「今度はどんな記事を書こうか?」と少し頭を悩ませます。それでも早書きの私ゆえ、いつも余程のことがない限り、締切日に遅れることなく書いてメール便で担当者宛に送っていますが、33回も回を重ねると、少しだけ地域づくりの最前線にいるので、書く話題には事欠かないものの、「読者はどんな気持ちで読んでくれるのだろう」と、不安のようなものが頭を過ぎるのも事実です。

 さて今回のテーマは婚活でした。若い頃から537組もの結婚披露宴の司会をした経験を持っているので、それなりのことは書けると思っていましたが、最近の婚活事情となると筆を進めるのに中々苦労しました。舞たうんは126号というロングセラーの季刊誌であり、県内各市町の役所や機関に送られるので、愛読者がかなりいて読者の方から毎回読んだ感想が、メールやハガキで送れれてきます。幸せなことに批判や反対意見はこれまでまだ一度も届いたことはありませんが、その人たちの顔を浮かべながら書くこともしばしばです。

 舞たうんはえひめ地域政策研究センターの出向研究員が持ち回りで担当するため、編集会議で決るテーマも様々ですが、担当者が変るのでマンネリが防げているのかも知れません。次号127号の執筆依頼はすでに届いていて、そろそろ暇を見つけて取り掛かろうと思っていますが、記事を書くには地域づくりの第一線ならぬ第二線くらいで頑張らなければなりません。舞たうんが人と情報のネットワークであることを肝に銘じて、次号も頑張りましょうか。

  「舞たうん 季刊雑誌に 頼まれて 記事33回 書きも書いたり」

  「早書きは 私の得意 締め切りの 期日気にせず あっけらかんと」

  「舞たうん 送られくるなり メール等 感想文が 毎号届く」

  「もう少し 地域づくりの 第ニ線 頑張らなければ 記事など書けぬ」

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人間牧場

〇煙会所へやって来た親子連れ

 昨日は季節の変化を感じさせる、肌寒い天気でした。それでも地元小学校の運動会が開かれたので、午前中家族みんなで小学校二年生になる孫希心の運動会の参観に出かけました。少し早い昼食後、私は来客予定があったので帰宅し、テレビを見ながら午後1時30分の約束時間を待っていると、時間通り親子連れはわが家へやって来ました。お父さんは私の長年の親友A先生です。先生は地元の中学校の先生ですが、地元高校に通う高校3年生の息子さんが受験のようで、受験のヒントになればと私を訪ねてきたのです。

 

高校生と囲炉裏を囲む
高校生と囲炉裏を囲む

私の元へは毎年この時期になると、2~3人の高校生が受験のためにやって来ます。昔のように偏差値一辺倒の受験でなく、最近は学校から推薦を受けて、面接やプレゼンテーションで受験する方法を採用している大学もあり、特に地元の大学では地域活性化に貢献するべく、地域づくりについてのコースもあり、年々その傾向が強くなっているようです。私の話など余り役には立たないかも知れませんが、これまでは私の援助も少しは役に立ったのか皆さん合格して、一生懸命学んでいる学生もいるのです。

 A先生は地元の学校に勤めているゆえ、自分の子どもを例え優秀であっても、ただでさえ生徒数の少ない地元の高校を足蹴りにして、他市町の高校へ通わせることはできず、地元の高校へ進学させていますが、将来は家業の農業を継ぎたいという希望もあって、農業系の進学を目指しているとのことでした。四畳半の囲炉裏の部屋に囲炉裏を囲んで三人で座り、積もる話を2時間ばかりしました。50歳以上も年齢が離れている私の話が、18歳の高校生の心の扉を開くことができたかどうかは疑問ですが、生徒会長も務める礼儀正しい立派な高校生は、必ずや目標を掴み取ることができるものと期待しています。

 人は誰でも何がしかの目標を持ち、私の人生がそうであったように、その目標に向ってチャレンジするものです。時には辛いこともあるでしょうが、しっかりと前を向いて生きていって欲しいと願っています。私の4人の子どもも学業を終え、社会人としてそれなりの人生を、もがきながらも歩んでいるようです。親は助言や手助けはできても結局その難関を切り開いて行くのは本人しかできないのです。さあもう一分張り親も子も頑張ってください。陰ながら応援しています。

  「煙会所 囲炉裏囲んで 三人が 思いつくまま 人生語る」

  「高校生 受験の季節 やって来た 将来見据え 夢に向かって」

  「五十歳 以上も開き ある私 若者心 扉を叩く」

  「住む町に 思いを寄せて 生きてゆく これから先も 田舎誇りに」

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人間牧場

〇地域教育実践交流集会実行委員会

 昨日は午後3時から松山市道後の友輪荘で、第3回目の地域教育実践交流集会実行委員会が開催されました。私も実行委員をしている松本さんを途中で誘い、出かけて行きました。昨日は文部科学省のコンファレンス担当者も見えられるというので、いつになく人数が多く、会議室は満席状態となりました。愛媛大学名誉教授の讃岐先生が実行委員長を務め、私は副委員長を暗黙のうちに務めているので、いつも讃岐先生のそばに座らなければなりません。

実行委員会
実行委員会
食談交流会
食談交流会

 12月5日と6日の二日間、国立大洲青少年交流の家で開かれる予定の集会の要綱は既に決っていて、昨日は微細な取り決めを、仙波事務局長の進行でどんどん決めて行きました。予定されていた目覚ましトークは、全国の発表事例が多く集まったため変更され、特別企画のインタビューダイアローグも、私の横槍で2部構成になったため、私もその一翼を担うことになってしまいました。役割が重過ぎて今年も少し憂鬱気味で参加することを余儀なくされてしまいましたが、まあ仕方がないことと諦めています。

久しぶりに会った篠原議員さん
久しぶりに会った篠原議員さんと井門さん

 私の閉会あいさつで会議を綴じ、久しぶりに懇親会に望みました。いつもながらお酒を呑まない私は、もっぱら出された美味しい秋の味覚料理に舌鼓を打ちながら、隣に座った新居浜の篠原議員さん、松山の本田議員さん、それに松山市役所の鍵山さん、前に座った徳島大学の馬場先生、井門さんと和やかな会話を交わしました。特に篠原さんと本田さんとは議会の一般質問について多いに盛り上がり、健康寿命に話が及ぶと、手持ちの木になるカバンから資料を持ち出し、失礼ながらホテルのカウンターで資料をコピーしてもらい、手渡す等してしまいました。

 人に会って交流を深めると色々な話題が飛び出します。私もつい最近人間牧場10周年事業や、テレビ愛媛の「い~よ」というテレビ番組に出たりして、少し露出が多かったり、ブログやfacebookで紹介したため、皆さんからその活躍ぶりを羨ましがられました。話題が共有できると会話がどんどん進みます。それだけ日常の活動ができている証拠だと納得しながら、2時間の交流会を終えました。呑み会予定のある松本さんを一番町付近で降ろし家路を急ぎましたが、酒を呑まなくなった私には松本さんのように、その後の発展もなかったようです。昔を懐かしみなら残~念でした。

  「行く場所が 歳の割には 多過ぎる 妻も飽きれて カバンに財布」

  「いつの間に 重責椅子に 座らされ いつの間にやら 役割重し」

  「このところ 露出が多く 皆さんに 頑張ってるね 声をかけられ」

  「一番町 仲間を降ろし 独り身に 昔は二次会 勝負に行った」 

 

 

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人間牧場

〇やるやる・くれくれ

 先日人間牧場で開いた10周年記念事業は、多くの人に集まってもらい盛大に実施することができました。それもこれも集まってもらった人は勿論のこと、準備から運営まで微細に取り計らってくれた塾頭・大番頭・小番頭・筆頭塾生のお蔭だと感謝しています。前日の準備や当日の準備、それに後片付けまで私もそれなりに関わりましたが、特に当日は朝早くから明くる日の朝まで、24時間という長丁場だったため、鉄人自認の私でもさすがに疲れて、未だにその心地良さと疲労の後遺症を引きずっています。

明け方まで多くのことを話し合った10周年の集い
明け方まで多くのことを話し合った10周年の集い

 当日は話し足らなかった友人がお泊りして深夜から朝方まで話し込みましたが、酒を飲まない私は酒を呑んでボルテージの高くなった友人の話の、もっぱら聞き役に回りましたが、みんな一言ある人なので役に立つ金言を聞くことができました。昨日蜜蜂の師匠である井上登さんが、自分のメール書き込みで、岡崎直司さんの言った「やるやる・くれくれ」について質問をしていました。眠い目をこすりながらのうろ覚えなので私も「?」的ですが、岡崎さんのお母さんが話していた言葉のようでした。

 田舎は色々なものを差し上げたり貰ったりしますが、この話は差し上げないと人はくれなという例えのようです。この言葉は私も同感で、差し上げる人ほど貰う回数は多いようで、「ギブアンドテイク」なのです。貰うことを予測して差し上げることはできませんが、相手のことを思いながら差し上げると、相手もそのことを気遣っていただくことが多いようです。これは何も物々交換だけではなく、私のように人の集まることに深く関わっていると実感することです。つまり出かけておかなければ人はやって来ないのです。

 よく人が来ないと嘆く人の、嘆き節を耳にしますが、そういう人に限って出かけることが少ないようです。「やるやる・くれくれ」は「行く行く・来る来る」と同じで、行かないと人は来てくれないものと心得ることです。今年オープンした伊予市の片岡さんのブルーベリー園は多くの人を集めたようだと風の噂で聞きました。わが息子たち家族も2~3回お邪魔したようですが、片岡さんはシーズンオフにはあちらこちらに顔を出し、「行く行く」を実践しています。多分そのことが来シーズンの顧客を沢山呼び込む手立てなのです。小番頭の松本さんも暇さえあれば小まめに県内外を飛び回っていて、私もそのお零れにあやかっています。酒の席でしたが岡崎さんからいい教えを聞きました。

  「やるやると くれくれ母の 教えだと 友人語る なるほど相槌」

  「やるやるを 繰り返すれば くれくれが 転がり込んで 丸く収まる」

  「やるやるは 行く行く同じ やがて来る 人はこうして 交流するもの」

  「この教え 拳拳服膺 肝命じ ギブとテイクを 使いこなそう」

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人間牧場

〇友遠方より来るありまた楽しからずや

 私は18歳で青年団に入団して以来これまで約50年間、様々な社会活動をしてきました。そのお蔭でしょうか、町内はもとより県内県外に多くの友だちを持っています。中には伊方町三崎井野浦に住む塩崎満雄さんのように、青年団活動時代から50年近くも付き合っている人もいるほどです。また県外においても大分県旧大山町の緒方英雄さんのように一年に一度も会わなくても、会えば思い出話に花を咲かせることができる旧知の人もいます。

ギノー味噌本社の玄関先にて緒方さん、田中社長を囲んで
ギノー味噌本社の玄関先にて緒方さん、田中社長を囲んで

 先日私の名刺CMのスポンサーである、ギノー味噌の田中正志社長さんから、「近々緒方英雄さんが、商談のためギノー味噌本社に来られるので、ご一緒しませんか」とお誘いの電話が入りました。その時はスケジュールも空ていて快諾したものの、その日の朝親類の叔母が転んで、腕首の骨にヒビが入るちょっとしたハプニングが発生し、約束の午前10時に間に合わなくなってしまいました。社長さんからメールをいただき慌てて車を走らせ、結果的には一時も遅刻をしてしまいました。

 緒方さんは大分県日田市の響きの里の専務さんをしていますが、相変わらず現役で頑張っているようでした。商談に入るほどの関係ではありませんが、緒方さんとギノー味噌のご縁の橋渡しをしたこともあって、多いに話が弾みました。その後味芳という割烹料理店で、昼食をともにさせてもらう幸運にも恵まれました。緒方さんとは年齢も一緒だし、役場に勤めて同じような仕事を長年してきたこともあって、私など比でない超一級の人物なのに、今も親しくつき合わせてもらっていて感謝しきりです。

 「縁は異なもの味なもの」で、私が教育委員会で社会教育を担当していた頃、わが町の人づくり10年計画、つまり日本一の町へ毎年10人の青年を派遣して、日本一を体験した青年を、10年間で100人育てるという遠大な構想を打ち上げ、第1回目の研修先に選んだのが、当時日本一のコミュニティの町大山町でした。その研修受け入れを担当してくれたのが教育委員会の緒方さんだったのですから、凄い出会いをしたものです。「人は人によりて人となる」の言葉通り、私は緒方さんから多くのことを学び、時には競い合いました。古くても長い付き合いのできる人には、優れた人間力があります。私ももっともっと人間力を磨かなければと思った嬉しい再会でした。

  「私には 県内外に 友ありて 音信今直 途絶えず嬉し」

  「青年を 連れて大分 乗り込んだ あの時以来 お互い意識」

  「裏が味噌 CM名刺 ご縁にて 豊予海峡 越えて結び目」

  「お互いが 老域戸口 いい歳と 言いつつ握手 温もり感じ」

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人間牧場

〇人間牧場10周年記念年輪塾公開セミナー&10周年の集い(その8)

 このほど開いた記念事業は、これまでの10年を振り返ると同時にこれからの10年を考えるいいきっかけになりました。人間牧場10年を2本、公開セミナーや集いを7本のブログにまとめてみました。書いても書いても書ききれないくらいの話題がありますが、今日の(その8)で一応終わりにしたいと思います。(その8)はこぼれ話です。

3日後に黙々と掃除をする浜田さん
3日後に黙々と掃除をする浜田さん
辻さんが画いてプレゼントしてくれた年輪塾の誓い
辻さんが画いてプレゼントしてくれた年輪塾の誓い

 ①辻さんが扇子に画いた年輪塾の誓い
 今回の中江藤樹をテーマにした2年間の学習で大きな成果をあげることができたのは、何といっても大洲藤樹会の会長である辻喜千治さんの微細な指導でした。辻さんは元小学校の校長で、中江藤樹についての造詣が深いばかりでなく、軟硬合わせ持った凄い人で、この2年間つかず離れずではなく、離れず離れず指導をしてくれました。辻さんは芳酣という号をもつ書家であり画家でもあるのです。私も五事を正すという中江藤樹の代表的な言葉を桐板に書いてもらいましたが、墨字の素晴らしさに感心しています。また修学旅行の折中江彰さんに辻さんが書いてプレゼントしていた掛け軸を、中江彰さんが私たちにプレゼントしてくれたましたが、いやはや立派でした。
 今回の記念事業に、皆勤で頑張る西田さんと上田さん、それに運営で功績のあった松本小番頭を表彰する事になりましたが、辻さんにお願いし、扇子にその表彰状を書いてもらい3人に喜んでもらいました。また年輪塾の誓いも扇子に私の似顔絵まで書いてプレゼントしてもらいました。

 ②ゴミの分別
 10周年記念事業を終えた明くる日、大量に出たゴミを私のトラックに積んで、いつものことながら処分するためわが自宅に持ち帰りました。ペットボトルやアルミ缶、瓶などは分類してくれていましたが、生ゴミはさらにプラスチックゴミと分類しなければならず、妻は生ゴミの袋を嫌がりもせず開けて、悪臭のする生ゴミを分類しゴミに出してくれました。元来人間牧場ではかまどで炊いたご飯と味噌汁、漬物と梅干し以外は出さないことにしています。環境に優しいことを考えエコ的な振る舞いをしようと思っているからです。しかし今回は10周年ということもあり、少しオードブルや酒類を出すことにしましたが、酒類も驚くほどの空き缶・空き瓶、オードブルも酒を飲む人は余り食べないのか残ってしまいました。

 ③後片付けと掃除
 後片付けと掃除は、施設を持った人間の宿命です。人間牧場の諸施設がまあまあ綺麗に保たれているのは、定期的にワックスや防腐剤を塗ったりするメンテナンスのお蔭だと、あらためて浜田さんの日常的支援に感謝しています。今回の10周年記念事業も、やる前とやった後に浜田さんから後片付けや掃除の申し出があり、その言葉に甘んじてしまいました。記念事業が終った3日後、私と浜田さんは人間牧場へ行き、会場を広くするために倉庫に移動していた食器類を元に戻したり、借りていたホワイトボードを返しに行ったり、また使った座布団を押入れに整理をして終い、掃除気をかけてやっと一段落の作業を終えました。

 ④60枚の座布団
 今回は申込者が60人近くになりました。当日都合でこれなくなった人も何人かいたので、60人分の座布団は何とか自前で賄うことができました。人間牧場の水平線の家にはロフトがあります。収納式の階段を引き出して2階に上がると、左に畳1畳半の細長い屋根裏小部屋があります。ここは私専用の寝部屋にしていますが、普段は奥の方へ座布団や寝具類を入れています。座布団は親友の前神さんたちが20枚、友人の大阪天王寺に住む桜井さんという知人女性から20枚、そして家から運んだのが20枚あり、全部の座布団を使うのは今回が初めてのようでしたが、座学ゆえに座布団が大いに役立ちました。

 ⑤伊勢海老の味噌汁
 私の最も古い友人に旧三崎町井野浦の塩崎さんがいます。青年団活動を通じて知り合ってから40年以上もずっと変らず付き合っていますが、今回も塩崎さんは三崎町特産の伊勢海老を持ち込み、かまど小屋で味噌汁を作って参加者に振る舞ってくれました。塩崎さんは58番札所仙遊寺で永らくお接待を続けている奇特な方で、頭が下がる思いがしました。味噌汁は大好評で大きな鍋いっぱいに作りましたが、鍋の底には一滴の味噌汁も残らず完食でした。

 ⑥追記
 今回も多くの人から様々なご芳志をいただきました。裏が味噌の自作名刺すっかりお馴染みとなったギノー味噌さんからは全員にインスタント味噌汁を頂きました。皆さんありがとうございました。

  「シリーズで 書いたブログに 書き切れず 最後はさわり こぼれ話で」

  「今回も 多くの人に 支えられ 人間牧場 物語でき」

  「いつもだが 掃除と片付け 骨折れる 修業のつもり 小汗流して」

  「さあ次は 早くも月末 収穫祭 子ども沢山 歓声聞こえ」 

 

 

 

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人間牧場

〇人間牧場10周年年輪塾公開セミナー&10周年の集い(その6)

 年輪塾公開セミナーと人間牧場10周年の集いは、私の夕日亭大根心の新作落伍独演会で目出度く幕を閉じました。渡辺さんの祝辞に始まり、河野さんの絵の贈呈、井上さんのほら貝披露、塩崎さん、和田さん、亀本さん、溝渕さん、松本さん、門田さん、西川さん、梅村さんの心に染みるショートコメント、それに息子一心の話、水産高校の大先輩玉井さんの話も余韻を引き継ぎました。

蚊帳の中での交流会
蚊帳の中での交流会
蚊帳を張ったウッドデッキはまるで源氏物語の世界です
蚊帳を張ったウッドデッキはまるで源氏物語の世界です

 さあ楽しい交流会の幕開けです。まずウッドデッキに特製の大蚊帳が、多少戸惑ったものの息子の指導で張られました。蚊帳を張ると先ほどの研修風景とはまた違った異空間が生まれました。5つのテーブルを置き、周りにみんなが座って早速乾杯しました。テーブルの上には松本さんが注文用意してくれた美味しそうな料理が並び、皆さんがお祝いに持ち寄ってくれたお酒類を呑みながら楽しく食懇談しました。呑むほどに酔うほどにボルテージが高まったところで、馬路村の木下さんがマジックを披露してくれました。木下さんのマジックも今では玄人並みで会場を大いに湧かせてくれました。

バームクーヘンを使った6段飾りのバーズデーケーキに孫たちもビックリ仰天
バームクーヘンを使った6段飾りのバーズデーケーキに孫たちもビックリ仰天
松本さんが用意してくれたオードブル
松本さんが用意してくれたオードブル

 やがてこれがサプライズというのでしょうか、大きなケーキが会場内に運び込まれました。何と何とバームクーヘンの支柱を組み立てた6段飾りのバーズデーケーキでした。実はこの日10月3日は私の71回目の誕生見でした。ゆえに年輪に見立てたバームクーヘンを歳の数71本を使ったようですが、その奇抜なアイディアには、さすがの私も驚ろきあっけにとられてしまいました。やがて灯りが消され71本のローソクではなく、7本のローソクが灯され、誕生日の歌を歌った後、一息でローソクを消しました。私はこれまで70回誕生日を迎えていますが、こんなのは勿論初めてでした。

楽しかった宴会
楽しかった宴会

 その夜は帰る人、泊まる人に別れ、泊まる人も借りていた池久保集会所と水平線の家に別れ、私は深夜2時まで15人を越える泊り客の相手をしました。酒を飲まない私と酒を呑み過ぎるほど呑む仲間たちとの波長は、合うはずもなく苦慮しましたが、これも私のために駆けつけてくれた仲間たちへの、ささやかな大サービスだと心に決めて対応しました。15人の仲間はそのうち酒と睡魔でダウンし雑魚寝と相成りましたが、まあ凄いいびきで、結局私はウトウトしたものの一睡もできませんでした。朝6時みんなを起こし後片づけをしてそれぞれがそれぞれの目的地に、何事もなかったように帰って行きました。

  「交流会 ウッドデッキに 蚊帳を張り 異次元世界 始まり始まり~」

  「呑むほどに 酔うほどみんな ボルテージ 最高潮で 賑やか酒宴」

  「サプライズ 私のために 特製の バームクーヘン ケーキを準備」

  「虫の音に 負けずに仲間 いびきかく 凄過ぎ私 一睡できず」

 

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