人間牧場

〇人間牧場開設10周年(その2)

 人間牧場を造ってからこの10年の間には、色々なことが沢山ありました。幸い私が健康だったため、過酷とも思える草刈り作業も運営も無難にこなして来ましたが、気がつけば私も昨日で71歳です。車に乗って人間牧場へ作業や活動に行くためには、おおよそ80歳くらいが限界かなあと想像していますが、だとするとあと10年程度で息子にバトンタッチをしなければなりません。息子はただいま42歳です。仕事に熱中しなければならない年代なので、そうそう私の満足するような手助けはできませんが、そろそろ色々なことを伝授し始めないと、私の身が持ちません。

建前当時の人間牧場
建前当時の人間牧場
水平線の家の屋根葺き作業風景
水平線の家の屋根葺き作業風景

 幸い息子は人間牧場の諸施設の設計を担当したので、折に触れウッドデッキに防腐剤を塗ったりしながらメンテナンスもやってくれています。10周年記念事業をするに当たって息子は、外壁のあちこちにキツツキによって無数に開けられた穴を、見苦しいからと大工さんに頼んで潰してもらっていたようです。また少し不具合のあった囲炉裏の蓋も修復してくれていました。さらに昨日は10年前水平線の家のウッドデッキを造った際、若嫁の協力を得て防虫ネットで作った蚊帳を、ステンレス製パイプを取り付けた上に被せて、交流会の雰囲気作りや藪蚊対策をしてくれたお蔭で、とてもいい雰囲気の交流会が持てました。

 私と激しくぶつかったロケーション風呂も、息子の意見を通して2階建てにしたところ、豊田漁港の眺望とともに足湯ができる設計は、来訪者に大好評で、息子に軍配が挙がりました。またツリーハウスも息子が「樹に付加を掛けることは如何なものか」と対立し、息子の意見で樹を抱かかえるようにしたことも今にして思えばもっともなことでした。ツリーハウスは私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループが資金面のスポンサーになってくれ、素敵な施設となりました。その後増えたかまど小屋やピザ釜を加え、今年の春自分でブロックをついて造った腐葉土ストッカーも来年はカブト虫の養殖場として生まれ変わる予定です。

 10周年を迎えたつい最近、多くの人から「あなたの人間牧場での次の目標は難ですか?とよく聞かれます。資金があればまだまだやりたいことはいっぱいありますが、気力と体力の衰えつつある年齢のことを考えると、そろそろこれが限界かな?とも思っています。息子は貪欲で時々、「お父さん〇〇をしたらどう?」と持ちかけられますが、息子と私のブレーキ役はもっぱら妻と若嫁の女性群で、「これ以上造るとお父さんの体の健康が心配だ」と二人の前に大きく立ちはだかるのです。人間牧場を氷に例えるなら私の理想とする人間牧場にまだ10パーセントしか出来上がっていません。親父が存命中作ってくれた作業小屋もそろそろ手狭になってきました。

  「オーナーの 私が資金 息子ただ 知恵出すだけで 汗まで私」

  「親よりも 子どもの意見 最もと 今頃気付く 愚かな親父」

  「これ以上 やらないように 妻が言う 若嫁までも 立ちはだかって」

  「あと10年 車に乗れなく なる日まで 一生懸命 頑張り抜いて」

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人間牧場

〇誕生日のプレゼント(その2)

 昨日は今日開く予定の、人間牧場10周年&年輪塾公開セミナーの準備で慌しい一日でした。午前中鼎談の組み立てや準備物をチェックして軽四トラックに積み込み、午後2時に地域事務所で落ち合った清水塾頭、松本小番頭、浜田筆頭塾生と私の4人で、人間牧場へ向かいました。

今日の講師中江彰先生
今日の講師中江彰先生

 昨日は爆弾低気圧で吹き荒れた風雨も収まり、少し風は強かったものの、ウッドデッキに張っていたブルーシートも多少めくれてはいましたが、吹き飛ばされず残っていました。みんなでブルーシートを片付け、早速準備に取り掛かりました。掃除をしたり2階の倉庫から50枚もの全ての座布団を取り出し、ウッドデッキで枚数を数えながら風を入れました。

子どもたちからプレゼントされた書斎椅子
子どもたちからプレゼントされた書斎椅子

 受付や当日の運営を確認したり、イノシシに荒らされた畦畔の土を跳ね上げる作業で汗を流しました。私と清水さんはその足で、今日の講師である滋賀県から招聘した中江先生と打ち合わせをするため松山に向い、市駅に程近い蔵という居酒屋で簡単な夕食会を持ちました。私は6月に実施した年輪塾の修学旅行と親父の死が重なったため参加できず、中江先生とは初対面なので、同席した清水さんの力を借りてお話をしました。

 食談会を終えて松山から帰宅してみると、私の書斎机の前が何やら違っていました。椅子が新調されているのです。これまで使っていた椅子は次男が初めての給料で買ってくれたものでしたが、安物?だったのか破れて少しくたびれていました。子どもたち4人がお金を出し合って私の誕生日に合わせプレゼントしてくれたのです。

 この椅子に座り、これからも私は様々な空想を張り巡らせ、パソコンを使って文章を書いたり読書にふけることでしょうが、私の知的コンテンツはまだ伸しろがあるのでしょうか?。椅子に座ってみましたが、座り心地も満点で大いに満足しました。願ってもない誕生日のプレゼントに、ルンルン気分で71歳の誕生日を迎えた朝でした。

  「今日の日の ために仲間が 集まって 準備おさおさ 怠りなきよう」

  「松山の 小さな居酒屋 3人で 食事を囲み 打ち合わせする」

  「帰宅して 書斎に入り 机前 椅子プレゼント されて嬉しや」

  「今日からは 気を引き締めて 頑張ろう 決意も新た 71歳」

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人間牧場

〇カボチャ・かぼちゃ・また南瓜

 「ああ、今年もそんな時期が来たのか!!」と思わせるように、先日北海道佐呂間町のパンプキン武田こと武田温友さんから、今年も沢山の観賞用カボチャが宅配便で届きました。早速孫と一緒に荷を開けると、中からまるでオモチャの玉手箱のように、沢山のカボチャが出てきました。孫は「僕に頂戴」とお気に入りのカボチャを一個選び、さっさと自分の部屋に持って行き机の上に飾っていました。

北海道から送られてきた珍しい観賞用カボチャ
北海道から送られてきた珍しい観賞用カボチャ
カボチャでおどける孫奏心
カボチャでおどける孫奏心

 さてこのカボチャは、毎年道の駅のじゃこ天のお店の店先に飾った後、10月の下旬に人間牧場で開かれる子ども体験塾の折、ウッドデッキに展示して、最期は子どもたちとジャンケンゲームで競り市をする予定です。毎年のことなので子どもたちもそのことを楽しみにしているようで、先日子ども体験塾の子どもたちに会ったら何人かから、「今年もカボチャをくれるの?」と聞かれました。

 はてさて今年は明日、人間牧場10周年の記念事業があって、沢山の人がやって来る予定なので、今日の準備に合わせて人間牧場へ持って行き、棚に展示をしてはどうかと思案をしています。珍しい形や色のカボチャなので持ち帰られる危険性もありますが、折角北海道から送ってもらったカボチャなので、ディスプレイに使う方が話題性があるのかも知れません。そうしようと急に思いつきました。

 北国の北海道はもう紅葉の秋も進み、高い山では初冠雪があったと報じられています。春が遅く冬が早い厳しい自然の中で大切に育てられたに違いないカボチャを見ながら、武田さんの顔を思い浮かべました。武田さんとは私が佐呂間町へ講演に出かけた時、たった一度しかお目にかかっていません。しかし世の中は便利になったもので、静止画像ですが見ようと思えば、facebookで武田さんの温和な顔はいつでも見ることができるのです。武田さん、今年も沢山のカボチャありがとうございました。

  「今年も 観賞カボチャ 宅配で 届いて嬉し 孫も喜ぶ」

  「段ボール 箱の中から 次々と カボチャ出てきて まるで玉手箱」

  「このカボチャ 明日のイベント ディスプレイ 使いたいけど 危ないかもね」

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人間牧場

〇別名「夕日花」と名付けた「酔芙蓉」の花

 晩夏から初秋にかけて咲く花の数はそんなに多くありません。ゆえにその季節に咲く花を植えると話題になるかも知れない?と、考えついて植えたのが芙蓉の花です。芙蓉の花には色々な種類があるようですが、シーサイド公園周辺に植えているのは一重咲きのピンク、白、八重咲きの白い酔芙蓉の概ね3種類です。海岸国道にバイパスができた折、法面に何の花を植えるか、当時まちづくりで花咲くまちづくりを推進していた私に、土木事務所の担当者から相談があり、是非芙蓉の花を植えて欲しいと頼みました。長い法面に芙蓉の花を植えるのは予算的に無理があると難色を示しましたが、強く要望した結果ピンク系の芙蓉の小路が誕生したのです。

シーサイド公園の法面に咲く酔芙蓉の花
シーサイド公園の法面に咲く酔芙蓉の花
私を訪ねてきた二人の女性
私を訪ねてきた二人の女性

 それに呼応するように、シーサイド公園と国道の間の法面に酔芙蓉を植えました。実はこの花は越中富山の盆踊りで有名な町を紹介した、小説に出てくる珍しい花なのです。何が珍しいかといえば、朝真っ白い花を咲かせますが、時間が経つと昼過ぎから花がピンクになり、夕方真っ赤になって萎むのです。まるでその名のとおりお酒に酔った人の顔に似ていることから、私はこの花を別名「夕日花」と名付けました。小さな苗木を植えましたが、今は枝葉が繁り、この季節になると立派で綺麗な花を沢山咲かせて通りかかる人の目を楽しませてくれるのです。この花が何という名の花であるかや、花の色が一日のうちで変化することなど知らない人もいますが、この花を愛でたり写真や絵で表現したりする人もいるから驚きです。

 昨日シーサイド公園に、お店を構えるじゃこ天の松本部長さんから電話が入り、「私を知っている人がお店に訪ねてきているのでお声でも!」とのことでした。家で野菜の苗の植え付けをしていた私は手を休め、5分ほどでその人に会いに行きました。2人の中年の女性でした。その素早い対応に驚いた様子でしたが、聞けば県の女性総合センターで私の話を聞き、数年前バス一台で私の家にまで見学に来たとのこと、また一日三枚のハガキを書いている話を私がしたので、ハガキを送ったところ、私からも返信が届いたらしく嬉しく、忘れることができない思い出のようでした。雑談や四方山話をして、次回は人間牧場で再会しようと約束をしお別れしました。帰宅途中酔芙蓉の花を散策しながら一人で愛でました。美しい花も今が盛りで、そろそろ終わりに近づいているようでした。

  「バイパスを 造った時に お願いし 芙蓉の花を 沢山植える」

  「酔芙蓉 朝は白だが 昼ピンク 夕方真っ赤 萎んで落ちる」

  「酔芙蓉 その名のとおり 酒飲んだ 人のようだと 実感しつつ」

  「酔芙蓉 この花々にも 物語 語れば長い 曰く因縁」 

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人間牧場

〇久しぶりに鬼北町を訪ねました

 70市町村が平成の大合併で20市町になると、どの町がどの町と合併して何という名前の町になったか分らないという人もいますが、長年地域づくりに関わっている私には、70市町村も20市町も全て足を運んでいるので、そんなに違和感はありません。前回いつ訪ねたかとなると、「え~と?」と首をかしげてしまいます。広見町と日吉村が合併してできた鬼北町へは、高知県へ行く途中何度も通ってはいるものの、多分ここ3~4年ご無沙汰しているような感じがするのです。

 

公開講座のチラシ
公開講座のチラシ

DSCN1188DSCN1189 今回は愛媛県老人クラブ連合会と鬼北町老人クラブ連合会の共催による、健康づくり大学校の公開講座での講演です。海岸線を長浜まで、肱川沿いを大洲まで走り、大洲から三間インターまで高速を走ると、かつては遠かった高知県境の鬼北町へは造作もなく到着します。講演に先立ち来春宇和島で開かれる福祉祭りの打ち合わせをしたいと連絡があったものですから、会場の隣りの公民館ロビ-をお借りして、宇和島市社会福祉協議会の山本さんと酒井さんの3人で一時間ばかり大笑いしながらお話をしました。山本さんとはかなり古い付き合いですが、女性ながら課長職を務める立派な方になっていて、懐かしい話も飛び出しました。

 会場には100人を越える人が集まり、中には顔見知りの人も多く、「心豊かに生きる」という演題で90分間楽しい話をさせてもらいました。中には11月16日、お隣の三間町で講演するメンバーも来ていて、わき合いあいでした。参加者の中に宇和島水産高校の同級生平丸弘さんがいました。前日私が講演に行くというのでわざわざ電話を入れてくれて、会場で会うのをお互い楽しみにしていました。平丸さんは県の漁業取り締まり船の船長さんでしたが、既に退職し地元で公民館長や民生委員などをしながら悠々自適の暮らしをしています。

 講演後自宅が会場の近くであるため立ち寄るよう進められ、ほんの少しだけ立ち寄らせてもらいました。奥さんも在宅中でお互い懐かしい思い出を振り返りました。私の遊学した宇和島水産高校はその性格から、私や平丸さんのような特業科の卒業生は、船乗りが殆どなので、同級会などまだ一度もしたことがなく、出会いも殆どないのですが、平丸さんは毎年趣味で育てた洋ランの花をあしらった年賀状を届けてくれる律義者です。奥さんもどこかで私の講演を聞かれているようでした。この歳になると昔のことが懐かしく思い出されます。青春時代を宇和島で過ごした思い出は、私の原点なのでいい出会いに感謝の一日でした。そうそう親友二宮美日さんもお土産を持って駆けつけてくれました。

  「合併で 誕生した町 鬼北町 久々訪ね 懐かし顔々」

  「船乗りが ゆえに久々 同級生 50年前 昨日のように」

  「高齢者 100人越えて 集う会 思いを込めて 楽しく話す」

  「県境の 遠い町だが 高速の お蔭であっと いう間到着」

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人間牧場

〇女心と秋の空

 「女心と秋の空」という言葉の意味が色恋に鈍感な私には中々分りません。多分変りやすい女心ことを言うのでしょうが、一昨日や昨日の晴れ渡った秋の空を見ていると、そんな言葉をまったく感じさせない雰囲気でした。昨日は中秋の名月を楽しむためにシーサイド公園の恋人岬で観月会が催されましたが、私もその準備のお手伝いをするために会場に行き、久しぶりに夕闇迫る秋の夕日夕やけを堪能するほど見ましたが、「女心と秋の空」とはこんな様を言うのかも知れないと思うほど、ゆっくりと変化していました。

綺麗な秋空
綺麗な秋空
恋人岬のモニュメント
恋人岬のモニュメント

 秋の空は夕日夕やけの美しさもさることながら、空いっぱいに広がる雲はとても美しく、持っていたデジカメを使って移り行く自然の情景を何枚も写真に収めました。本当は子どもたちが買ってくれた一眼レフのカメラを使って撮影したいのですが、お粗末ながらカメラを5月のゴールデンウィークに買ったというのに、まだ一度も使わず書斎の棚の隅で埃をかぶっているのです。今はブログを書くためにデジカメを日常的に持ち歩いていますが、そろそろ使いこなせるようにしたいものだと思っています。

タンデム飛行する高木さんのパラグライダー
タンデム飛行する高木さんのパラグライダー

 秋分の日を中心にしたこの時期は、恋人岬のモニュメントの穴に綺麗な夕日が入るのが見えます。勿論この仕掛けは私が造ったものですが、昨日は砂浜に下りて様々な角度から観察してみました。昨日は親友の高木さんが山の上からパラグライダーでタンデム飛行(二人乗り)して砂浜に着陸する瞬間にも出会いました。高木さんはもう20年を越えて双海町の空をパラグライダーで飛び続けていますが、最近はパラグライダーで飛行しながら空中写真を撮り続けているようで、見せてもらいましたが、中々の腕前でした。近々パラグライダーに乗せてもらう約束をしました。

西の空の小焼け雲
西の空の小焼け雲

 穏やかな瀬戸内の海、美しい双海の夕日夕焼け、恋人岬に集う人々、空の変化など、どれも素晴らしく、生きていることの実感を感じさせてくれました。昨日空を見ていると中年の女性がモニュメントを見ながら涙ぐんでいました。聞けばモニュメントに掘り込んだ少年の像が、重度の身体障害で若くして亡くなった、息子の姿に似ているというのです。それから約20分間、私は見知らぬその女性の苦労話を聞かされる羽目になりましたが、この女性のように癒しを求めてやって来る人もいるのです。また一時間以上も手をつないだまま移り行く秋の情景に身を委ねているカップルもいました。この施設を造った張本人としてはこんな嬉しいことはなく、冥利に尽きました。

「秋の空 雲それぞれに
西東 見飽きず口開け ポカンと過ごす」

「大空に 突然飛行 物体が パラグライダー 砂浜降り立つ」

「この景色 癒されたくて やって来た 見知らぬ女性 涙流して」

「モニュメント 穴にスッポリ 夕日入る 造った本人 感動見入る」

 

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人間牧場

〇スズメバチの襲来

 わが家の裏には私がやっている養蜂のための蜜蜂の巣箱が5~6箱置かれています。蜂蜜を採集し終えた今頃から来春4月まではシーズンオフなので、別にすることもないのですが、普通の年だと空き家状態になっている巣箱に、今年は蜜蜂が2~3箱残っていて、蜜蜂が冬越しの準備をしています。蜜源の少ないこの時期なのでシーズンのような飛び方はしていないものの、慎ましやかに出たり入ったりしているようです。

ツマアカスズメバチ
ツマアカスズメバチ
ミツバチの巣箱の前に陣取って蜜蜂を狙うスズメバチ
ミツバチの巣箱の前に陣取って蜜蜂を狙うスズメバチ

 ところがつい最近、黄色スズメバチに加え大スズメバチがやって来て、巣箱の前に陣取って、蜜を抱えて帰ってくる蜜蜂を狙い、空中捕獲して食べてしまうのです。スズメバチは肉食であることは知っていますが、遠目でよく見ると捕獲は俊敏で、一瞬の隙を突いて捕獲して飛び去るのです。ところがそのままほおっておくと味を覚えたスズメバチが次から次へとやって来て、ついには巣箱の入口までかじって中へ入り、蜜蜂を根こそぎ食べてしまうのです。

 私はスズメバチを見つけたらその都度100円ショップで買った虫取り網で掬いとって殺していますが、取っても取っても追いつかないというのが正直なところです。3日前には私の留守中息子が私の代役を務めて捕獲しようとしたところ逆襲に合い、頭の天辺を刺されてしまいました。スズメバチは刺し所が悪いと死に至ることだってあるので注意をしなければなりません。昨日夕方テレビを見ていると、九州壱岐対馬辺りではツマアカスズメバチという韓国系の新たなスズメバチが繁殖しつつあるそうです。

 このスズメバチは日本の在来スズメバチとは様子が異なり、どう猛で刺された人が紹介されていましたが、普通の蜂は一度刺すと死んだり二度と刺しませんが、ツマアカスズメバチは何度でも刺す悪どい蜂のようで、既に九州のあちらこちらに繁殖しつつあるようで、蜜蜂世界の生態系を壊す原因となるかもしれないと危惧しているようです。私もスズメバチに何度か刺されましたが、養蜂をしているだけに気をつけなければなりません。考えてみれば蜜蜂の世界から見ると、私も含めた人間は蜜蜂がせっせと集めた蜂蜜を横取りするのですから、一番の天敵かもしれないようです。

  「この時期に なると必ず スズメバチ 巣箱陣取り 蜜蜂食べる」

  「百円で 買った虫取り 網掬い 蜂を捕獲し 天敵を駆除」

  「わが息子 頭の天辺 刺されたと 出張先へ 電話が架かる」

  「ツマアカと いう名の蜂が 九州で 勢力拡大 間もなく四国」 

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人間牧場

〇愛媛大学農学部での講義

 今日は愛媛大学農学部で、地域マネジメントスキル修得講座と地域活性化論の合同講座が開かれました。修得講座は21名、地域活性化論復修は農学部16名、他学部22名計38名ですから50人程度への講義です。地域マネジメントスキル修得講座は毎年人間牧場で開講していましたが、今年は農学部や他学部の学生と合同の講座なので、大学の多目的ホールを使って行なわれました。

DSCN1111 DSCN1109 農学部のある松山市樽味へは自宅から車で約1時間ほどかかるので、7時30分に自宅を出て自家用車で向いましたが、日曜日の朝は道も空いていて、8時30分には到着しました。大学構内は数年前農学部客員教授をしていたころ、毎日のように出勤していたので、迷うことなく3階の多目的ホールへ入り、担当の笠松先生が私の前もって提出していたレジメのプリントアウトと、パワーポイント起動もしてくれていて大助かりでした。

 私に与えられたテーマは「地域活性化論」と「双海町での地域づくり」についてで、午前中いっぱいかけて3時間じっくりとお話をしました。受講生や学生の反応も良く、私もかなり落ち着いて話をしたので、まあ80点くらいの出来だったと思います。講義が終わり修得講座の受講生と名刺交換をしたり、記念撮影をせがまれたりしましたが、帰宅後何人もの受講生から、感想やお礼のメールが入り、嬉しい限りでした。

 私は正直なところ、大学とか行政職員への講義や講演は余り好きではありません。同じ話をしても社会人は良く笑いながら聞いてくれますが、大学生や行政職員は笑ったいけないと思っているのでしょうか、余り乗ってこないのです。話す側にとってこれは致命傷で、「私は間違った話をしているのでは?」と思ったりすることもしばしばです。相槌を打ったり、興が乗れば笑ってくれると、それだけで心が和むのです。その点今日の受講生や学生は阿吽の呼吸とでもいうのでしょうか、とても印象に残る集会でした。

  「大学の 教壇に立ち 3時間 講義をしたが 雰囲気もよく」

  「帰宅して メール開けりゃ 書き込みが これぞまさしく 阿吽の呼吸」

  「乗りがいい 会ほどこちら やり易い 今日は満点 嬉しい一日」

  「利口ぶる 人ほど笑い 少なくて こちらも何か 裃を着て」 

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人間牧場

〇台風が気になる

 秋も少しずつ深まって来ました。昨日はあいにくの雨を予想していましたが、時折日の差す天気に恵まれ、別府から九州横断道路を走って九重長者原から阿蘇山の牧ノ戸まで遠出をして、一足早く高原のススキの風景を堪能しました。佐賀関で親友の渡邊さんや阿部さんに見送られ、フェリーで豊予海峡を渡りましたが、台風の影響でしょうか、海が少し荒れていました。三崎から頂上線を走り、佐田三崎半島付け根を貫通するゴゼ峠の長いトンネルを抜けて、2日ぶりに瀬戸内海側に帰って来ましたが、長浜~双海と自宅が近くなるにつれてかなり激しい雨に見舞われましたが、何とか家にたどり着きました。今日から鳥取ですが台風の行方が気になります。

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人間牧場

○三人との出会い

 昨日は仲間と別府温泉へ三崎港発臨時便13時30分のフェリーに乗るため、自宅を11時に出て海岸国道378号夕やけこやけラインと国道197号潮風メロディラインを走りました。シルバーウィーク最終日だったので、もしや渋滞に巻き込まれるかもしれないと思い先を急ぎましたが、取り越し苦労だったようで、三崎の入口付近で時計を見るとまだ一時間も余裕があるので、急な思いつきで二名津の田村菓子店に立ち寄ることにしました。運よく田村さんは在宅中で、お店のカウンターに座って、接待のために出していただいたお茶とお菓子をいただきながら、積もる話をさせてもらいましたが、いつものことながらしっかりした考えと行動をしていることに感心させられました。

 お店を出て船着場に着き、塩崎さんご夫妻と芝さんご夫妻と合流しましたが、その頃急にかなり強い雨が降り出しました。切符売り場で往復切符を買い求め、雨を予測した私は車のトランクに積んでいた傘を持参することにしました。三崎から大分佐賀関までは僅か50分の船旅です。ニ夫婦と四方山話をしていると、あっという間に東洋一の高い煙突が目印の佐賀関に到着しました。佐賀関の船着場で渡邊さんと奥さん、それに見知らぬ男性一人に出迎えてくれました。とりあえずチャーターしたジャンボタクシーに乗り込み、鶴崎海岸を走るバイパス道を通って、高崎山や水族館を横目にやり過ごしながら、別府タワー近くのホテル望海へ入りました。その名のとおりホテルの横にはふたみシーサイド公園に似た人工砂浜や、別府湾が一望できました。

 昨晩は別府温泉ホテル望海で楽しい交流の一夜を過ごしました。塩崎ご夫妻、芝ご夫妻、佐賀関の渡邉さんと私に加え、今回は渡邉さんの友人安部助さんも就く別参加してくれました。安部さんは40数年水先案内人を勤めたというシップキャプテンです。楽しい方でいっぺんにファンになりました。私は折角別府にやって来たので、おんせん県大分別府に住む縄田さんに電話を入れました。縄田さんは連休なのに来年度の予算編成作業のため出勤していたようで、懐かしい声が聞こえ安心しました。ところが私が電話をしたことを気にした縄田さんは、今朝出勤前の忙しい中、自宅の庭で雨の中採集した大分県特産のカボスを持参し、わざわざホテルまで私を訪ねて来られ、恐縮してしまいました。12月に国立大洲青少年交流の家で開く予定の、社会教育実践交流集会に参加予定だそうで、再開を約束して分かれました。

  「三人に 出会って嬉し 又一つ 思い出重ね 次が楽しみ」

  「両県の 間流れる 潮早く 豊後水道 心を結ぶ」

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