人間牧場

〇朝寝は時間の出費である

 秋も深まり夜明けは遅く、夕暮れが早くなって、夏タイムで動いていた体内リズムや家庭内の暮らしぶりが少し崩れかけています。私たち大人は毎年のことなので上手く調整できますが、孫たちはそんな暮らしに慣れていないため、特に朝などは外が暗いこともあって、小学校2年生の孫は朝ご飯を食べたり、学校に行く準備に時間が足りなく、アタフタしているようです。

 妻は今年の9月の誕生日で70歳になりましたが、今でも近所の歯科医院へパートに出て働いています。もうそろそろと本人も思っていますが、田舎の歯科医院ゆえ中々辞め切れず、ズルズルと足を引っ張っています。妻は7月に亡くなった親父の世話を長年しっかりやってくれていましたが、その心労がなくなり楽になっただろうと思いきや、長年の習慣は恐ろしいもので、生活のリズムが狂ったのか、少し体の不調を訴えるようになりました。

 それでも妻には家事という大事な仕事があるので、休む暇もなく働いています。私は毎朝4時に起きますが、妻は毎朝6時まで布団を温めています。私の妻の生活時間には朝だけでも2時間の開きがあるのです。私はその時間を自由時間としてブログを書いたり、早朝ウォーキングを楽しみます。まさに早起きは三文の得ならぬ「2時間の得」なのです。アメリカの実業家カーネギーが「朝寝は時間の出費である。しかもこれほど高価な出費はない」と言っていますが、まさにそのとおりであると実感するのです。

 一日2時間はどおってことはありませんが、これが一週間続くと2時間×7日=14時間、12日で一日分の24時間となるのですから驚きです。私が子どものころ祖母が「朝起きの悪い人に金を貸すな」という言葉を言っていました。つまり一概には言えないけれど朝早く起きて働くような律義者は、「稼ぎに追いつく貧乏なし」で、お金を借りても直ぐに返せれるのです。おっと、知らない間に妻の悪口になってしまいました。まあ妻はどうであれ、私は私の生き方として、これからも早朝4時に起床して、しっかりと生きて行こうと思っています。

  「毎朝の 朝寝時間は 出費だと 先人戒め なるほど納得」

  「朝既に 一仕事して 今日もまた かくてありなん 歳老い人生」

  「このころに なると布団の 温もりを 貪りたいが 思い切り起き」

  「12日 2時間早起き これだけで 一日分の 時間を稼ぐ」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇かくてありなん文化の日

 昨日11月3日文化の日でした。最近は国民の祝日も「成人の日」のようにその年によって変り、一定の日でないものもあって、中々読み取れませんが、文化の日は不動のため各地で文化祭等が行なわれているようで、下灘地区では公民館祭りだと有線放送で報じていました。息子は若嫁が仕事のため、休日で遊びに来ていた娘家族の子どもを誘って、下灘の港付近へ釣りに出かけたようで、パットライスの実演をしていた松本さんとも出会い、ドン豆をお土産に持って帰ってくれました。

隅田さんが送ってくれた昨日の夕日写真
隅田さんが送ってくれた昨日の見事な夕日の写真

 午前11時に島根県出雲に住む親友南さんがやって来るというので、家庭菜園に出てタマネギを植える準備をしながら、到着を待ちました。やがて20分ほど前に南さんは家族5人でやって来ました。前回来た時は親子4人でしたが子どもができ、その子どもも早10ヶ月で、伝い歩きができるほどに成長していました。南さんと出会ったのは私が島根県西ノ島町に講演に出かけた時ですから、もうかれこれ7~8年にもなります。会わせてくれた町議会議員(後の議長)だった角市さんも既に他界していますが、その後役場職員だった南さんは島根県庁へ出向し、そのことがご縁で県庁職員の女性と結婚したり、役場を退職して出雲生姜を生産する農家に転職しました。

 転職については結果的に出向元へ背を向けることになるので、多少私も自責の念に駆られていますが、まあ仕方がないことと諦め、農業や生姜を使った商品開発に非凡な才能を持つ彼の前途を応援しているので、今回も高知県馬路村や四万十などを家族で巡る研修小旅行を、馬路村の木下さんと共に楽しみにして待ちました。昨日は少し肌寒かったので、ゲストハウス煙会所での対応を止めて、リフォームの終わった親父の隠居へ初めてお客さんとして迎え、積もる話をして12時ころ帰って行きました。

 息子たちは釣が終った後、ふれあい公園の広場へ凧揚げに出かけたようです。息子は500mの長いタコ糸を用意し、タコに小型カメラを搭載して天高く上げたようですが、ドローンならぬタコによるカメラ撮影は、息子の当面のテーマのようです。写した動画を見せてもらいましたが、風ブレでまだまだといっていました。
 夕方ラーメンが食べたいという孫4人のために、私たち夫婦も胴元として声がかかり、豚太郎へ出かけました。折りしも昨日は綺麗な夕日がダルマ現象で落ちた様子が、伊予市街へ向う車の後方に見え、カメラを持参しなかった後悔をしていると、高野川の路側帯で夕日を撮影している、見覚えのある人を発見しました。公民館の隅田さんでした。携帯で電話を入れましたが、隅田さんもスマホのカメラしかなかったようでしたが、有難いことに夕方そのリアルな写真を、わざわざ私のパソコンに送信してくれました。昨日もかくてありなん、いい一日でした。

  「文化の日 風は強いが 好天に 恵まれ秋を みんなで満喫」

  「島根から 親友家族 やって来て リフォーム隠居 初めてお客」

  「釣り・祭り 凧揚げ等を 満喫し ラーメン食べたい 孫リクエスト」

  「カメラなく 自慢の夕日 撮り損ね 仲間頼んで メールで届く」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇高知県四万十市幡多農業高校での講演(その2)

 幡多農業高校の大原先生から送れれてきた講演依頼のメールには、次のような趣旨が書かれていました。
 「生徒一人ひとりの社会的、職業的自立に向け、自らの生き方を選択するために必要となる、能力や態度を養うことを目的とします。あなたのこれまでの功績をはじめ、まちづくり活動の進め方や地域の活性化など、生徒と社会の架け橋のツールやヒントとなる言葉を聞きたい」でした。いつもアドリブで話す私ですが、今回もアドリブながら大まか次の7つのことについて話そうと思いました。

 

体育館での講演風景
体育館での講演風景
いただいたシクラメン
いただいたシクラメン

 1、青年団活動で手に入れた①仲間、②主張、③ふるさと、④感動、⑤夢という5つの道具は、人間が生きて行く上で大切な道具である。この道具を使えば人生が豊かになる。
 2、23歳の時に作った人生の生活設計には①結婚、②子ども4人を生み育てる、③30歳でアメリカへ行く、④60歳で人間牧場を造る、⑤85歳まで生きるなど様々な夢を書き込んだが、今にして思えば「夢はドリームではなくターゲット」であった。
 3、仲間と共に作った21世紀えひめニューフロンティアグループで、①ふるさとを空から見る運動、②無人島に挑む少年のつどい、③丸木舟建造と瀬戸内海航海、④モウモウ塾、⑤10年で40回のフロンティア塾、⑥千本桜の森づくりなどを、仲間とともに楽しくやり、ボランティアとして社会に貢献してきた。

幡多農業高校の玄関先に立つ浜田さん
幡多農業高校の玄関先に立つ浜田さん
屋外に展示していた四万十川川底から発掘した、アカガシの埋もれ木(室町時代)
屋外に展示していた四万十川川底から発掘した、アカガシの埋もれ木(室町時代)

 4、どこにでもある夕日を地域資源にして、①夕焼けプラットホームコンサート、②シーサイド公園など3つのプロジェクト事業、③観光客ゼロからの出発、④日本一小さな課長だけの課での奮戦、⑤新しい発想(じゃこ天、夕日の望遠鏡、夕日日コーヒー、夕焼けソフト)によるものづくりと第三セクターの経営、⑥12年間にわたる朝5時から3時間の海岸清掃などのまちづくり活動をやった。
 5、人間牧場での地域での恩返し活動として、①10年間で1千万円の貯蓄による資金調達達成、②標高130mの場所選び、③中心施設水平線の家建設、④ロケーション風呂の設置、かまど小屋・ピザ釜の設置、⑤ツリーハウス・作業小屋の建設、体験農場の開設などを行なってきた。

 6、人間牧場で、①毎年40人程度の子どもを募集して子ども体験塾、②塾生を募り私
   塾年輪塾を開講し、この10年間活動してきた。特に年輪塾は先人に学ぶべく2年
   間を一区切りとして、宮本常一、二宮金次郎、ジョン万次郎、中江藤樹を先人と
   して学んでいる。先人の示唆に富んだ言葉、宮本常一の記録しないものは記憶さ
   れない、二宮金次郎の経済のない道徳は寝言である、ジョン万次郎のロマンとは
   考えを形にする行動力である、中江藤樹の五事を正すは心を揺さぶっている。
 7、これからいかに生きるか、小さなことでも凡事も徹底すれば非凡になることを考
   生きることである。ポール・J・マイヤーの「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心か
   信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事もついには実現する」の言葉通
   り、「新しい発想で生きようと結ぶ。

 幡多農業高校は黒潮鉄道古津賀駅近くの鉄橋の下をくぐると、四万十川を見下ろす高台にありました。校長室に案内され色々なお話を下あと、体育館で400人の生徒及び教職員の前でお話をさせてもらいました。体育館の壇上から見た限りでは、まあそれなりに熱心に聴いてくれたようです。お土産に学校で栽培しているシクラメンを2鉢いただいて帰りました。

  「五十歳 以上も歳の 離れてる 若者相手 中々でした」

  「アドリブで 話したゆえに 内容を 覚えてなくて 回顧に苦労」

  「実業の 高校どこか 活気あり DNAが どこか似ている」

  「これからは 少子化ゆえに 学校も 生徒集めに 受難の時代」 

 

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇蝶ネクタイの二人の孫

 昨日は若嫁の親類の人の結婚式だそうで、花嫁に花束をプレゼントするエンゼル役を頼まれていたわが家の内孫たちは、朝から何やら楽しそうに準備をしていました。前日理髪店に行って、髪を切ってもらってさっぱりしていましたが、やがて私の書斎に「おじいちゃんどう?」と見せに来てくれました。二人は何と何と蝶ネクタイを結んでまるで子役スターのように、ダンディーな姿になっているではありませんか。

 

蝶ネクタイの孫
蝶ネクタイの孫

「よっ、格好いい!!」と声をかけてやると嬉しそうに両親に連れられ、松山で行なわれる結婚式会場へ出かけて行きました。若嫁のお父さんは今年の春先、病気で亡くなりましたが、存命中は写真が趣味で孫たちの成長はその被写体になっていたので、二人ともこれでもかというほど、沢山の写真を撮ってもらっています。早速私も手持ちのタブレットで、若嫁のお父さんほど上手くはありませんが、見習って一枚撮ってやりました。

 夕方結婚式から家族が帰って来ました。「どうだった?」と尋ねると、上手く行ったようで、孫二人はお祝儀までいただいてホクホク顔でした。若嫁に聞けば結婚式の後、正装しているのでその足で写真屋さんへ出かけ、家族写真を撮ったようです。お父さんの影響もあって息子たちは、一年に一度は必ず家族の集合写真を撮っているようで、やがてダイニングには昨日取った新しい写真が飾られることでしょう。

 そういえば私たち家族はそんなきちんとした集合写真は撮ったことがないようです。それぞれのスナップ写真が沢山あり、特に毎日のように出歩く私などは、これでもかというほど写真が残っていますが、夫婦で撮った写真は結婚式はおろか殆どないことに気がつきました。近々撮ってみようと思いましたが、多分照れくさいと妻に言われ、拒否されそうです。元気なうちにそれもありかも知れません。

  「孫二人 結婚式に 頼まれて エンゼルサービス すると張り切る」

  「蝶ネクタイ まるでスターの ようでした 写真一枚 記念にパチリ」

  「息子たち 一年一度 写真屋で 家族の写真 撮ってるようだ」

  「私たち 夫婦の写真 ありません 自慢にならぬ 撮ってみようか?」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇東予地域ミニフォーラムin別子山(その2)

 ミニフォーラムは過去3回の別子山の未来を描くワークショップを経て、愛媛大学名誉教授の藤目先生の指導のもと、みんなの英知で作り上げた3つのアクションプランの発表があり、そのプランにコメンテーターの私たちが質問する形式でした。プランは次の3つでした。
  ①別子山全員参加の映画作り
  ②企業組合の設立と地域産業育成
  ③別子の果までイッテQ(交流人口の拡大と経済活性化)

DSCN1570

当日のプログラム
当日のプログラム

 藤目先生をファシリテーターにして私と梅錦社長の山川浩一郎さんの二人が色々な質問を投げかけました。記憶は定かでありませんが、私の走り書きメモには次のようなポイントを書き残しています。
  新居浜の関さんが発表したアクションプラン①について
   ・記録は過去・現在・未来の3本立てが望ましい
   ・人口動態から見た別子山の盛衰
   ・村出身者の声
   ・今を切り取って未来を考える
   ・映画作りに関わるスタッフを募る
   ・日本一小さな村の再生というキーワード

 

久しぶりに出会った山川社長さん
久しぶりに出会った山川社長さん

 地域おこし協力隊の大江さんが発表したアクションプラン②
   ・まちづくり会社の設立(いのちと暮らしを守る総合商社)
   ・パロディーで村の組織を復活させる
   ・プロモーターとなるよそ者、若者、馬鹿者集団を作る
   ・会社設立に多くの出資者を募る
   ・損益分岐点をはっきり認識する
  

  地域おこし協力隊の馬見さんが発表したアクションプラン③
   ・日本一小さな村の挑戦
   ・日本一大きなパーゴラの藤を切りブドウを植えて1万房つける大胆発想
   ・ブドウの収穫と天空の村ぶどう酒を作る
   ・パーゴラに白いブランコを吊るし恋人の聖地にする
   ・翠波高原とマイントピア別子をつなぐルート開発
   ・話題と物語を作る
   

 最期に私と山川さんが励ましの言葉を述べました。結局のところ、いいプランが出来ても、「誰がするのか」というところでつまづきます。また「どんな成果を望み、何が出来たか」その検証もしなければなりません。始める活動、続ける活動、高める活動へとスキルをアップしていく、プロセスを楽しみたいものです。昨日は久しぶりに藤目先生やえひめ地域づくり研究協議会のメンバーとも出会い、また新宮の大西さんとも親しく言葉を交わしました。こじんまりとしたいい集会でした。会場で別れた松本さんは川之江回り、私は新居浜回りを選びましたが、帰宅はどちらが早かったのでしょうか(笑い)。

  「別子山 これからどうする 考えた アクションプラン それぞれ発表」

  「誰がする 行きつくところ そこ一番 スキルアップし やるしかないな」

  「よそ者と 馬鹿者たちが 発表す 茶々入れ私 質問浴びせ」

  「小さいが 日本で一番 オンリーワン 目ざし頑張る 協力したい」 

 

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇私はまだまだ未熟・半熟

 先日一週間前の土曜日、人間牧場で子ども体験塾の収穫祭を行ないました。好天に恵まれそれなりの成果もあって、子どもたちもみんな満足の手合いでした。赤石さんからバトンタッチを受けた事務局である公民館の隅田さんも、初めてのことばかりなので戸惑うことも沢山あったと思うのですが頑張ったお蔭で、それなりに事故もなくホッと一息といった感じです。

 2015収穫祭2 2015収穫祭1 2015収穫祭32015収穫祭4一昨日公民館の窓口へ隅田さんを訪ね、次のプログラムについて相談をしましたが、隅田さんは収穫祭の反省点を私に尋ね熱心にメモをしていました。そういえば総花的に成功だと思っていても、一つ一つのプログラムを点検してみると、反省点や改善するべきことがいっぱいあることに気がつきました。赤石さんと7年間やったプログラムの反省がジュニアリーダーを育てたり、子ども什の約束を生んで今を作っているのですから、反省は十分にして次につなげなければなりません。

2015収穫祭5 当日私はどちらかというと準備やプログラムサービスの側に回らざるを得ないため、子どもたちが下灘コミセン前に集合して山道を歩いて登る、道中状況は知る由もありません。またプログラムの渦中にあるため子どもたちがどんな様子なのか、客観的に見えない部分もあるのです。今年は芋飯を炊く作業を担当したため、料理の献立や出来具合も気にはなっていても詳しくチェックできませんでした。ましてや子どもたちが全ての行事を終えて下山する姿も、後片付けや掃除で現場に残らなければならないため見えないのです。

 幸い同行の冨田さんがリアルタイムに配信してくれたfacebookや、後日隅田さんから送ってもらったメール写真でその粗方を知りましたが、私は実行委員会の実行委員長なので、共催の公民館長さんと二人で、起こった出来事の全責任を負わねばなりませんし、説明責任も果たさなければなりません。そのことを考えれば心もとない話です。若いころから無人島に子どもたちを連れて行ったり、丸木舟で瀬戸内海を航海したり、様々な活動を行け行けドンドンでやってきましたが、森の外からそれぞれの木々を見つつ、木々の働きに心配りをしなければ、一人前の指導者とはいえません。まだまだ未熟だと悟りました。

  「友人が 配信している 写真見て 未熟さ悟る いい歳こいて」

  「人間は 自分目線で 何事も 見る癖ありて 違う目線で」

  「人撮った 写真の中に われ見つけ 思わずハッと 目線をそらす」

  「人間は 知らないことが 多過ぎる だから幸せ なのかも知れぬ」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇日めくり今日の言葉

 25歳の時、近所のおばさんに勧められて、たった5分間の見合いをしました。その5分間に出会った相手が、自分の人生に寄り添う妻であったのですから驚きです。明くる年の昭和46年5月5日子どもの日に、私たちは自宅で結婚式を挙げ、披露宴は近くの農協の2階を借りて、200人ものお客さんを呼んで大宴会となりました。勿論当時は披露宴の料理も田舎らしく、3日間もかかって親類総出で手づくりした、心温まる宴会でした。

DSCN1566 あれから44年があっという間に経ちましたが、私の人生において昭和19年10月3日の自身の誕生日とともに、昭和46年5月5日は忘れられない思い出の一日となりました。その日から始まった二人の人生もいつの間にか子ども4人、娘婿1人、若嫁2人孫4人に膨れ上がりましたが、残念ながら祖母・母・父を亡くし淋しくもなりました。幸い配偶者である妻は、大した病気もせずに今も元気に働いてくれています。

 時には考えの違いから険悪な夫婦喧嘩もしましたが、親と同居して祖母・母・父の面倒を見てくれてあの世に送り、亭主関白と思える私のわがままと付き合いながら夫唱婦随、どうにかここまでやってこれたのは妻のお蔭と、感謝しても感謝しきれず、私のブログを妻は読まないことをいいことに、あることあること書き綴っているのです。今朝日めくりを一枚はがすと、30日「今日の一言」に、「人の持つ一番の財産は共感してくれる配偶者である」(ギリシャの詩人エウリピデス)と書かれていて、思わず納得してしまいました。

 最近は歳をとったせいでしょうか、若いころのような行き違いで衝突するようなことも殆どなく、私の体を気遣って暑さ寒さや日々の食事にも気を使ってくれ、何の不足もなく毎日を過ごしています。この歳になってもまだ全国を飛び回り、家にいればいたで人間牧場や煙会所で好き勝手なことをしていても咎めもせず、むしろ「今日の一言」のように共感してくれる妻の存在は、自他共に認める財産なのです。これからの幸せは二人が心身ともに健康であることが一番です。今日は3ヶ月に1回の定期健康診断の日です。日課のウォーキングをしたらそろそろ準備をして出かけましょうか。

  「五分間 見合いしただけ 配偶者 決めてあれから 44年」

  「日めぐりを めくって今日の 言葉には 妻が財産 書いていました」

  「縁あって 同行二人 人生を 共感歩む 妻に感謝す」

  「幸せは 夫婦元気で 過ごすこと 残り少ない ゆえに気を付け」  

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇秋を楽しむ

 収獲の秋、芸術の秋、食欲の秋などなど、秋を楽しむ方法はいっぱいあります。現代人はそれらにお金を出してわざわざ遠出をしているようですが、私の住んでいる田舎では、その気になれば朝のウォーキングの途中でも、目いっぱい秋を楽しむことができるのです。昨日はウォーキングに出る時、何を思ったのか無意識のうちにタブレット端末をポケットに入れて家を出ていました。

カラスウリ 野菊つわぶきの花 私のウォーキングコースは少し急な坂があって、杉や桧の林、雑木の林の中を通ります。むしろ野生的な山歩きって感じのコースです。雑木の林に通じる路沿いにはツワブキや野菊が、今が盛りと美しく咲いています。ツワブキの黄色い花も、野菊の白い花も海沿いに面したわが町のあちこち、至る所に咲いていますが、これらの花を愛でる人は殆どないようです。私は顔に似合わず行く秋を惜しむが如く咲くこの花々が大好きで、毎日のように一人楽しんでいます。

 昨日山歩きの途中カラスウリを見つけました。真っ赤に熟れたカラスウリは野山では一際目立つ存在です。私が子どものころはカラスウリのことをカラスコベと呼んでいましたが、カラスウリも秋を演出する代表選手のようです。一昨日は通称やまぜという南西の風が吹き荒れました。昨日は一転して北西の風でした。一年収めの大相撲九州場所が始まると秋もさらに深まり、寒い冬将軍がやってきます。そろそろわが家も用意したストーブに火を入れ冬支度です。

  「ウォーキング 途中に見つけた 花々を 一人愛でつつ 秋を楽しむ」

  「ツワブキや 野菊の花は 美しい 人に見られる ことなくひっそり」

  「カラスウリ 真っ赤に熟れて 見て見てと 言ってるようで 思わず足止め」

  「わが町の そこここ見える 風景に 深まる秋を 感じて歩く」 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇綺麗にリフォーム終えた親父の隠居

 親父が亡くなって4ヶ月が経ちました。親父の生きた証は倉庫を改造して造った海の資料館「海舟館」に、自らの手できちんと整理展示をしていますが、親父が長年暮らしてきた隠居は、別棟平屋建てで三部屋もあり、風呂やトイレ、ダイニングもあって、今からでも生活を始めれる設えになっています。私たち夫婦ももう少し今のままの本宅暮らしをしたいのですが将来のため、とりあえず隠居をリフォームすることにしました。

床と壁クロスを張り替えたダイニング
床と壁クロスを張り替えたダイニング
畳と襖をやり替えた居間
畳と襖をやり替えた居間

 リフォームはダイニングの床とクロスの張替えをすること、居間は親父が押入れを改造して造っていたベッドを元に戻すこと、居間と座敷の畳12枚を入れ替えること、襖を張り替えることなどですが、ついでに祖母が使っていた離れの畳6枚と襖も張り替えることにして、隠居を建ててくれた橋本建設に仕事を頼みました。橋本建設は人間牧場の建設も手掛けてくれた大工さんなので、見積もりも取らず要った費用を支払うことで相談がまとまりました。

畳と障子を張り替えた座敷
畳と障子を張り替えた座敷

 1ヶ月前からその工事が始まりましたが、大工仕事も畳入れ替えも、襖や障子の張り替えもこのほど全てが終わり、私が中心になって大掃除を行い、このほど工事費の支払いも済ませやっと一段落しました。隠居に入ると居間と座敷の畳の匂いが何とも清々しく香り、張り替えた障子から差し込む秋の穏やかな光が、何ともいえない風情を醸しています。これまで匂っていた親父の匂いは完全になくなり、少し寂しい気持ちもしますが、まあこれも時代の流れと割り切らなければなりません。

玄関先も綺麗になりました
玄関先も綺麗になりました

 リフォームを終えた隠居は、当分の間私が少し磨きをかけ、贅沢ながらセカンドハウスとして使う予定です。先日ほぼリフォームを終えた隠居に姉と妹、末の叔母がやって来て見学をしましたが、近所にあるわが家と同じような隠居が、住人亡き後荒れたままになっている姿を見ているので、親父の思い出を少しでも辿り残そうとしている私に共感して、3人とも大層喜んでくれました。近いうちに3人を呼んで、リフォームを終えた親父の隠居で茶話会でも開き、親父や母親の思い出話でもしようと思っています。

  「隠居家を リフォームしようと 思い立ち なけなし財布 はたいて頼む」

  「そこここに 親父の生きた 痕跡が 今となっては 跡形もなく」

  「少しだけ 磨きをかけて 綺麗にし 贅沢ながら セカンドハウスに」

  「近いうち 三人呼んで 茶話会を しようと思う 思い出話を」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇松山市北条浅海まちづくり講演会(その2)

 秋も深まり陽の落ちるのが早く感じられるようになった昨今ですが、昨日は松山市北条浅海地区のまちづくり講演会に出かけました。北条の夕日を見ようと少し早く家を出たため、会場の浅海公民館へは1時間も前に到着してしまい、電気の消えた公民館前の駐車場で暫くの間、会場が開くのを待ちました。少し前西の空に綺麗な夕日を見ましたが、今度は東の空にそれは見事な十三夜の月が見え、何か得をしたような気持ちになりました。

講演会風景
講演会風景

 やがて何人かの人がやって来て玄関の戸が開けられたので、釣られて中に入り和室の別室で、浅海地区区長会長の前田さんと副会長の高橋さんと四方山話に花を咲かせました。高橋さんという女性の副会長さんは、かつて青年時代青年団に所属して、私と一緒に四国一周青年バス乗ったそうです。私は青年団活動8年間で、①仲間、②主張、③ふるさと、④感動、⑤夢という5つの道具を手に入れました。今もこうして心身ともにすこぶる健康的に生きているのは青年団のお蔭なのです。

お月様も綺麗でした
お月様も綺麗でした

 相次いでやって来た高橋事務局長さんは若いころ、県民文化会館で開かれた防災全国大会でパネラーを務めた時ご一緒したそうで、縁の不思議を感じました。また通称「てっちゃん」と呼ばれている元気のよい人も現れ、控室の話がそのまま地域づくりの話になり大いに盛り上がりました。やがて午後7時30分きっかりに講演会は始まりました。それから約一時間思いつくままアドリブで話をさせてもらいましたが、反応も上々だったようで、まずは一安心でした。

 昨日の講演会はまちづくり協議会の発足に向けての準備会の主催でした。市民参画まちづくり課の課長さんや職員の方も沢山見えられ、いい方向に進みつつあることを実感しました。「てっちゃん」が言うように、時代の流れの早いこの時期に、余り様子を伺い過ぎると、時機を逸してしまいます。またまるで振り子時計のようにああでもないこうでもないと堂々巡りをしていると、熱が冷めてしまうこともあるのです。浅海には人罪ならぬいい人財が沢山いるので、もう一押し一歩前へ、さらに前へ、もっと前へ進んで欲しいと思いました。

  「懐かしい 青年団の 思い出を 持っている人 沢山ありて」

  「いつまでも 流れの早い この時期に 振り子時計で いいのかどうか」

  「わが町と よく似た 海沿い 風景に 何か出来そう 予感がしつつ」

  「一歩前 さらに前へと もっと前 まるでトイレの 看板みたい」

[ この記事をシェアする ]