人間牧場

〇葬儀明くる日のお寺参り

 前日叔母若松カヤ子の葬儀や、初七日の法要を無事滞りなく済ませましたが、一夜明けた昨日は親族が揃って、串本村の景徳寺にお寺参りに出かけました。伯母の家は奥西にある長楽寺の檀家なのですが、長楽寺の住職さん、息子さん、奥さんが近年相次いで亡くなり、無住寺となっているため、兼務住職の景徳寺さんへお参りするという、何とも風変わりなお寺参りで、親父の時ほどではないにしてもやはり少し違和感を感じました。

DSCN1473DSCN1475 慶徳寺は眼下に瀬戸内海の海を一望する、串本村の集落の中ほどにあります。山口住職さんも住職の奥さんもご立派な方で、住職さんとは史談会の同じメンバーだし、奥さんは更生保護女性会の会長さんをしているので、子ども体験塾のボランティアスタッフとして協力をしてもらっていて、いつも頭の下がる思いをしています。読経やお茶をいただきながら雑談をして、40分ほどでお暇しましたが、お寺参りで葬儀の心のモヤモヤも晴れ、少しスッキリした気分になりました。

DSCN1476 昨日はあいにく双海町の秋祭りの日と重なってしまいました。町内の辻々には祭りの幟が立てられ、神輿や獅子舞も繰り出して、爽やかな秋晴れの元、賑やかなお祭り行事が行われたようですが、今年は親父が亡くなって喪に服していることから、神輿が自宅へ入る事もなく、わが家では少し淋しい秋祭りとなりました。息子も若嫁も仕事だし、私たち夫婦も叔母の葬儀や仏事があって、祭りどころではない一日でしたが、孫希心だけは仏様と神様のお許しを得て、子ども神輿の神輿守に朝から夕方まで参加していました。

 このところ2週間ばかり雨も降らず、過ごし易い穏やかな天気が続いていますが、今日は二十四節気の一つ霜降(そうこう)で、暦の上では霜が下り始めるころとされています。寒いのが苦手な私にとって、これから始まるであろう寒さに備え、万全な冬支度をして乗り切ろうと心に誓い、何はともあれ寒さに負けない体力をつけるため、目下のところ一日一万歩のウォーキング目標を達成するため、努力をしています。ただ今パソコン内蔵のデジタル時計は5時33分を差しています。外はまだ夜が明け切らず真っ暗ですが、そろそろ準備をして朝のウォーキングに出かけようと思っています。

  「葬儀後の お寺参りに 親族が 揃って出かけ 読経懇ろ」

  「檀家でも ないのに別の お寺行く 心の隅に どこか違和感」

  「顔見知り 住職さんの 説教は 何度聞いても 納得しきり」

  「霜降と 聞いて寒さを 意識する これから先は しかと身構え」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇スケジュールの突発的変更

 私はリタイアして11年目になるというのに、妻が驚くほど何がそうするのか、相変わらずの急がしさで、愛用のWriting Calendarには毎日のように、講演や会議、人に会う約束などなどの藪用が、所狭しと書き込まれています。ゆえに昨日の葬儀のように、変更しようとしても変更できない突発的な出来事が起こると、相手には悪いのですが断腸の思いで直前になって、お断りの電話を入れなければならないのです。

 今回は講演のキャンセルと視察の変更の2件でした。講演のキャンセルは無理を言い、相手の了解を得て代役を立て事なきを得ましたが、広島県三次市三和町の坂田尚也さん一行が、人間牧場へ研修にやって来るスケジュールは変更することができず、そのお相手を親友の浜田さんと公民館の隅田さんにお願いしてしまいました。お二人には随分迷惑をかけたので、その罪滅ぼしをしなければならないと深く心に刻みました。

 坂田さん一行9人は、広島からスーパージェットで瀬戸内海を松山へ渡り、列車で双海町入りです。下灘駅に12時24分に到着した一行を、浜田さんと隅田さんに迎えてもらい、人間牧場へ案内してくれたようです。人間牧場では私に替わって浜田さんがレクチャーをしてくれました。その後翠小学校や、留守ながら私の海の資料館海舟館と私設公民館煙会所を見てもらい、シーサイド公園を見学した後、上灘駅から宿泊先の松山へ送るというスケジュールでした。

 葬儀場清浄園から浜田さんに電話を入れ、シーサイド公園にいた坂田さんとも電話で会話し、事なきを確認して少し肩の荷を降ろさせてもらいました。予定していたロケ風呂での足湯のサービスや、私の話はまた次の機会にということで、お茶を濁してしまいましたが、心残りの一日となってしまいました。親父の葬儀で講演と年輪塾の修学旅行をキャンセルした、3ヶ月前の苦い出来事といい、また春先には若嫁の父親の葬儀の際の講演キャンセルといい、諺の如く「二度あることは三度ある」でしたが、もうこんなことはないよう祈っています。

  「叔母急逝 どうしようもない 理由にて キャンセル相手 戸惑いすまぬ」

  「代役で 昨日はどうにか 乗り切った 大きな借りを 作ってしまう」

  「二度ならぬ 今年三度目 もうこんな ことのなきよう 心に祈る」

  「このような 時を女時と 言うそうな 男時ばかりじゃ ないこと知った」  

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇何げなく幸せな遠足弁当

 今日は同居の孫奏心の遠足です。保育園の年長組なので色々な行事が保育園最期だと、いつも言いつつ出かけています。今朝は奏心が私の書斎にやって来て、「今日はアンパンマン列車で菊間まで行くんよ。列車の中には遊び場もあるし、列車の下がガラス張りになって見える所もあるんよ」と、目を輝かせて話してくれました。

母親が作った孫奏心の遠足弁当
母親が作った孫奏心の遠足弁当

 奏心は朝晩冷え込むようになったこともあって、ここのところ微熱と咳が出るようですが、「お熱があって咳が出るんだったら遠足には行けないだろう?」とカマをかけて問いかけると、「大丈夫、咳は気がつかなかったら出ないし、熱も下がって平熱だし」と、遠足に行けない理由を打ち消して説明してくれ、思わず大笑いしてしまいました。

 「おじいちゃん、お弁当が出来たので写真を撮ってください」と、いつものように私を台所へ連れて行ってくれました。ダイニングの机の上には3つの小さなメルヘンタッチのお弁当箱に、若嫁の作った弁当が並べられていました。いやはやご立派なお弁当でした。「帰ったら遠足のお話をしてくれる?」「いいよ、お土産も持って帰ってあげるからね」と会話を交わし、先ほど元気に出かけて行きました。

 孫に「遠足のお話をして欲しい」と頼み2つの約束をしました。「楽しかったことを帰ったらおじいちゃんに話すこと」、「列車の窓から見えたことを帰ったら、日記に書くこと」でした。「ぼく日記がない」と言うので、「今日帰るまでにおじいちゃんが用意をしておく」ことにしました。今頃はアンパンマン列車の車内で楽しく過ごしていることでしょう。

  「わが書斎 孫奏心 やって来て 遠足行くと 楽しく話す」

  「遠足に 行くため 熱・咳 自重する 偉いもんだね 子どものくせに」

  「メルヘンな 弁当箱に 三つ重ね 写真撮ってと 孫にせがまれ」

  「帰ったら 話一杯 聞く予定 帰るまでには 日記を買って」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇叔母の急死は悲しい

 12人兄弟姉妹の長男だった親父が亡くなって、早くも3ヵ月半が経ちました。それでも12人兄弟姉妹の威力は凄いもので、まだ連れ添いを含めると9人(叔父3人叔母5人)が健在です。しかし9人は私たちと同じように確実に一年に一つずつ歳をとって高齢化しつつあり、深夜等に電話の呼び出し音が鳴ると、最近親父のことがあっただけに、「もしや」と叔父叔母の安否が気になるのは当然の成り行きなのです。

 昨日まちづくり集会を終えて帰宅し、風呂に入ってテレビを見ていると11時前、一本の電話がかかってきました。妻が電話口に出ると不安的中で、下灘の叔母が搬送先の大洲の病院で亡くなったという知らせでした。叔母は最近痴呆が進み、体力も弱ったので、止む無く中山の特養施設に入って余生を送っていましたが、昨日容態が急変し帰らぬ人となってしまいました。夫に先立たれ、息子を海難事故で亡くして人生の辛酸をなめ、気丈にも余生を生きてきましたが、ここにきてついに力尽きたようです。

 早速実家近くの叔母方へ妻と二人で行き、亡骸の帰宅を待ちましたが、搬送車の手配に手間取り、帰宅は午前2時を回っていました。死んでわが家へ帰るのは淋しいもので、穏やかな死に顔はしていても、さぞ悔しかっただろうと、察して余りあるものがありました。息子は木材や建材などを販売する会社を経営していて、最近立派な自宅を新築しましたが、先日叔母を連れて帰り、家族水入らずの幸せな時間を過ごさせてあげたことが、何よりの親孝行のようでした。

 実は今週末の土日を利用して、親族一同で京都方面へ旅行に行く計画がまとまって、みんな楽しみにしていましたが、叔母の死でこの計画も急遽取り止めることとなりました。私はあいにく子ども体験塾のプログラムが予定されていて、欠席の予定でしたが、また次の機会には是非参加したいと思っています。早朝3時に一旦帰宅し仮眠を取って通夜式会場へ叔母を送り出すため、11時に再び叔母の家に行き、生まれ育ち嫁いで長年暮らした下灘の地を後にする叔母を見送りました。

  「突然に 深夜届いた 叔母訃報 親父に続き 寂しさ募る」

  「ああ悲し 早朝2時に 無言にて 叔母の亡骸 ふるさと帰る」

  「人間の 一生何て はかなきか 85才 生涯閉じる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇自然の恵み椎茸収獲

 わが家の裏は他所の土地ながら、杉と桧の木が植えられています。虫の目になって近くで見ると一本の木ですが、少し離れて人間の目線で見ると林になり、もっと離れて鳥の目になって遠望すると、森に見えるのですから不思議です。木・林・森と木を増やして書く漢字も実に理屈にあっていると、いつも感心しながら書いていますが、森になると木という個の存在が見えにくくなることも承知しなければなりません。

自分の顔と同じ大きさの椎茸を採って喜ぶ孫希心
自分の顔と同じ大きさの椎茸を採って喜ぶ孫希心
蜂に刺されないようおばあちゃんの作業帽を被って椎茸を採る孫奏心
蜂に刺されないようおばあちゃんの作業帽を被って椎茸を採る孫奏心

 林というべき杉木立の中へ、椎茸の種ゴマを植菌したクヌギのホダ木を、30本ほど置いていますが、このところの朝晩の15度を下回る冷え込みを察知したのか、椎茸が生えてきました。暫く気がつきませんでしたが、昨日の朝長男息子が、子ども二人を連れて収獲をしたようです。大きく傘の開いた椎茸を幾つも見つけた孫たちは大はしゃぎで、嬉しかったのか喜色満面で、さも自分が作ったような言い草で、私たちのダイニングへもお裾分けを持って来てくれました。

 椎茸は付け焼きにしたり料理に加えて食べますが、健康自然食品なのでこの時期は妻の手料理宜しく、よく食卓に上ります。私も大好物なので植菌が人工的とはいいながら、自然の恵みに感謝して、新米のご飯とともに食欲の秋を満喫しています。昨日は孫が収獲した椎茸を、松前に住む若嫁の母親への届けるんだと、孫たちは張り切っていました。そういえば人間牧場の椎茸も、先日公民館の隅田主事さんと段ボール箱に一杯収獲しましたが、その後見に出かけていないのでどうなっているか気がかりです。3日後人間牧場で開く、子ども体験塾の収穫祭に、子どもたちが収獲体験できることを願っています。

  「わが家裏 杉の林に 置いたホダ 気温下がりて 椎茸ニョキリ」

  「孫たちは 生えた椎茸 もぎ取って 僕が作った 言わんばかりに」

  「田舎ゆえ しいたけ収獲 体験が できる幸せ 噛みしめながら」

  「3日後に 迫った秋の 収穫祭 椎茸採って 喜ぶ姿」

   

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇夕日の綺麗な季節

 長年夕日でまちづくりをしていると、夕日にまつわる色々な人や情報が集まってきます。ゆえに居ながらにして夕日に関してさらに詳しくなるのは当然ですが、中には遅まきながら夕日でまちづくりをしたいという物好きな希望者もいて、一昨日も1人の青年が飛び込みで私のところへやって来ました。その青年は長崎の離島に住んでいて、現在ある役場に勤めているとのことで、インターネットで夕日に関することを調べているうちに「若松進一」にヒットし、居ても立ってもおれず私の元へ、アポイントも取らずやってきたと言うのです。私の若い時とよく似た境遇と行動力だと思いつつ、2時間ばかり私設公民館煙会所で彼の話を聞きました。

DSCN1194 DSCN1204 DSCN1207 聞けば夕日で町おこしをしようと、町内の人に話を持ちかけても全然相手にしてくれないというのですが、これもまた私が夕日で町おこしをしようと思い立った頃と良く似ていました。その青年は私の話を熱心にメモを取りながら聞いていましたが、納得の手合いでした。今朝帰郷した彼から長々のメールが入り、私の話を聞いた後シーサイド公園やJR下灘駅で夕日夕焼けを堪能するほど見て感動したそうですが、自分の夕日に対するスキルと実行力を高めなければ周りを説得できないことを学んだようです。メールには「何のために」「誰と」「何を」「どうするのか」、まさに5W1Hの発想で、自分の前に立ちはだかる1年・3年・5年・10年の壁を乗り越えたいと決意を述べていました。

 「双海町の夕日が綺麗」と思っても、「それがどしたん!!」と言われ、返す言葉も出ないようだったら、そこから先へは進めません。最近双海町の夕日も随分知られるようになってきました。しかし綺麗と思っているだけで何もしなかったら、ただそれだけで終ってしまいます。4年余り前この町に地域おこし協力隊の隊員として赴任し、退任後もこの町に住んでいる冨田さんは、折につけfacebookなどで、双海の美しい夕日を紹介してくれていて、この町に住み続けていても何もしない人の多い中で、頭の下がる思いがしています。これからも折に触れて夕日に関する情報を発信したいものです。

  「わが町の 夕日が綺麗と 言いつつも 何もしないと 何にもならぬ」

  「ある島の 若者飛び込み やって来て 夕日ノウハウ 盗んで帰る」

  「夕日見に 行きたいけれど いつ綺麗? 聞かれる度に 来る日が一番」

  「夕日見て 綺麗と思う 瞬間を 情報発信 親友偉い」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇魔法の薬

 「老化を抑え、糖尿病や肥満を改善し、ガンのリスクを下げ、認知症やうつ病も防げる『魔法の薬』がある」という書き出しで始まった昨日の愛媛新聞朝刊地軸のコラム記事が目に留まりました。書き出しに書かれた老化・糖尿病・肥満・ガン・認知症・うつ病は、私こそ今は発症していないものの、現代人が最も恐れている病気の数々で、老化もガンも認知症も、やがては自分や妻の身に降りかかってくるだろうことを予測すれば、「そんな万病に効く薬があったら早速私も・・・・」と思うのは当然です。

 その薬の名前は「一日30分のウォーキング」と書かれていて、「なあ~んだ!!」と思ったのは私だけではないと思いますが、これが英国のれっきとした科学的根拠に基づいているというのですから、これは信じて実行するしかないのです。私は毎日一万歩を歩く」ことを目標に、「一日30分のウォーキングどころか、毎日たっぷり約一時間も歩いています。ウォーキングの特徴はランニングと違い、その気になれば誰にでも出来るし、周りの自然を楽しみながらだってできるのです。しかしこんなささやかなことでも毎日続けるとなると、「言うは易く行なうは難し」で、雨の日も寒い日も、体調の悪い日もありますから中々大変です。

 私がウォーキングパラダイスと名付けているコースは、山坂のある少しハードなコースで、5月から9月までの夏季には大汗をかき、朝からシャワーを使わねば人に迷惑をかけたり、汗疹の原因になったりするほど歩いています。よく山登りをした折気付くのですが、坂を登る時もしんどいですが、坂を下る時も脛が笑うという表現がぴったりするほどしんどいものです。つまり上り坂と下り坂は使う筋肉が違うようで、最近そのことにやっと気がついたお粗末さです。

 近所に銀行に勤めている人がいます。毎朝犬を連れて散歩していますが、その人のウォーキングの目的は、飼っている柴犬の散歩が目的で、犬に引かれウンコを始末しながら歩いています。「中高年、犬の散歩で 犬が痩せ」はけだし名言で、思わずその言葉を思い出して、まことに失礼ながら含み笑いしてしまいました。
 最近は朝晩かなり冷え込んで、四国でも朝ウォーキングで出会う人が口々に、「寒いですね」と声を掛け合いながらすれ違います。歳をとると寒いのは苦手です。昼と夜の寒暖の差もあって、風邪を引かないようにしなければなりませんが、毎日一万歩を目指したウォーキングのお蔭でただ今健康な日々を送ってます。

  「登り坂 下りの坂と 足腰の 使う筋肉 違うようです」

  「一万歩 目指して今日も 山坂を 歩いて目標 達成しました」

  「中高年 犬の散歩で 犬が痩せ けだし名言 その人に会う」

  「朝と昼 寒暖の差が あるようで 風邪に注意と 妻に言われる」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇手づくりみかんジュース

 最近わが家では、毎朝妻手搾りのみかんジュースか、野菜と果物を使ったスムージーが食卓に出てきます。さすがにこの歳になると、昔のように何を食べても基礎代謝で消費することができ辛いので、身体にいいものを食べたり飲んだりするよう、むしろ私の健康を心配して、妻が心がけてくれていますが、ジュースやスムージーもその一環で、飲むと何処か体が元気になるような錯覚を覚えるのです。

色も鮮やかな極早生みかんの手搾りオレンジジュース
色も鮮やかな極早生みかんの手搾りオレンジジュース

 このところは、知人友人からいただいた極早生みかんを半分に輪切りし、手絞りで生のジュースを作ってくれますが、これがまたオレンジ色の目の覚めるような鮮やかさで、ビタミンC100%を髣髴させてくれます。グラス一杯のオレンジジュースを作るには、水洗いした極早生みかんを5個ぐらい使うようですが、昔のようにみかんを余り食べなくなったことを思うと、搾りかすを除いても、みかんを3個くらい食べた計算になるので、嬉しい健康サービスです。

 最近妻は黒ニンニクに凝っています。自然栽培のニンニクが出回るこの時期に、ニンニクを丸ごと専用の炊飯器に入れ、保温を15日~20日程度すると、黒く焦げた黒ニンニクが出来上がります。皮を剝いて毎朝食前に一かけら食べるのですが、市販の黒ニンニクは割高なので、妻の作った手づくり黒ニンニクを重宝して食べています。しかしこれが体の何にどう効くのか、また食べているがどう効いているのかも分らぬまま、妻の言うとおりやっています。黒ニンニクはニンニク独特の臭みもないようですが、もう少し続けてみようと、今朝もオレンジジュースとともに飲食します。

 

 

  「極早生の みかん輪切りに して搾る 色鮮やかな オレンジジュース」

  「菜園の 菜の葉っぱ スムージー 妻が私の 健康気遣い」

  「最近は 手づくり黒い ニンニクを 食べろと妻に 言われるままに」

  「飲食も 今では妻の なすがまま ゆえに健康 保っています」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇松下政経塾生の来訪

 私の友人に兼頭一司さんと小野晋也がいます。いずれも東大出身の秀才で、二人は松下政経塾の卒業生らしく、小野晋也さんは国会議員を永らく務められ大活躍をされました。また兼頭一司さんも愛媛県上島町に入り島の会社を起こし、何かと話題になっている人です。松下政経塾の卒業生は小野晋也さんのように政治を志す人が多いのですが、兼頭さんのようにコミュニティビジネスを志す人もいて、随分様変わりしてきたようです。松下電気の創業者松下幸之助さんが84歳で、理想の社会を実現するために、リーダーの輩出を目指して1979年に設立した政経塾では、今も多くの人が日々新たな気持ちで学んでいるようです。(偶然でしょうか。昨日いただいた松下政経塾の2015年版パンフレットに、先輩塾生として兼頭さんと小野さんのメッセージが掲載されていて驚きました。)

松下政経塾の皆さん
松下政経塾の皆さん

 昨日4人の松下政経塾の塾生が私の元にやって来ました。私のような一線を退いた人間の話など、秀才揃いの塾生には取るに足らないと思うのですが、請われるまま言われるまま、シーサイド公園の事務所横の一室で、1時間半ほど面談させてもらいました。今回のテーマは「観光」でした。既に午前中内子を見学されたようだったし、私や双海町のことはインターネットで調べて事前知識を持っていることを予測し、むしろ煙会所や人間牧場でやっている活動に軸足を置いてお話しましたが、はてさて私の話は参考になったかどうか・・・。

 私の元へは今も沢山の人が何故か勉強と称してやって来ます。多分夕日という物体現象を地域資源にして、地域づくりをやった奇抜さが物珍しいのでしょうが、100人のうち99人までが首をかしげたり反対した過去を思うと、熱く語る物語はいっぱいあって、喋りだしたら止まらないのです。今の私には第二ステージとなった双海町のまちづくりを後押しする程度しかできませんが、それでも自由に語り合える空間・広場として、煙会所や人間牧場を使って若い世代に、既得権益を譲る心構えでやっています。夕焼け京都塾の塾頭山折哲雄さん(元日本国際文化センター所長)は、①出前の精神、②手作りの気分、③身銭を切る覚悟の三つのことを言っています。拳拳服膺肝に銘じて生きて行きたいと思っています。松下政経塾の塾生来訪はそのことを再確認する機会となりました。

  「秀才の 呼び声高い 塾生が 名もなき吾を わざわざ訪ね」

  「何のため 吾は生きてる 自問しつ 今日も明日も 牛歩の歩み」

  「若いのに 既に悟りを 開いてる 私なんぞは 足元及ばず」

  「凡人は 非凡ぶっても 化けの皮 剥がれるゆえに 普通に話す」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇ホダ木に椎茸が沢山生えました

 去年の春、人間牧場で行われた子ども体験塾開講式の折、ジャガイモの収穫作業と並行して、大洲市田処の親友亀本さんの指導を受けて、椎茸の植菌作業を行いました。植菌は手間の要る作業で、前もって親友井上さんの協力を得て原木となるクヌギの木を伐採して、軽四トラックに積んで人間牧場まで運び、1ヶ月ほど木陰に寝かせた原木に、ドリルで穴を開けて椎茸の種駒を打ち込むのです。

DSCN1418DSCN1419 種駒を打ち込んだホダ木を牧場下の往還道まで降ろし、竹で作った支柱に行儀よく並べて休眠させ、1年半が経ちました。今年の秋にはそろそろ椎茸が生えるかも知れないと、植菌指導した亀本さんから連絡が入りました。先週人間牧場10周年記念事業の準備で出かけた折、ホダ場を観察すると、ホダ木に立派な椎茸が10個ほど生えていて、早速持ち帰り、つけ焼きにして試食しましたが、新鮮ゆえにとても美味しく頂きました。

 その折ホダ木に無数の白い椎茸の芽を見つけていたので、もうそろそろ出ているかもしれないと期待しながら、昨日は下灘保育園児が、人間牧場へ遠足に来た対応ついでに覗いてみました。ホダ場に通じる道はイノシシの獣道なので、そこここにイノシシが遊んだ生々しい赤土の痕跡が残っていて、草と草、草と木の間には大臣グモがクモの巣を沢山張り巡らせ、容易に踏み込めませんでした。

 早速草刈機で草や木を刈り払いホダ場に着くと、まあ凄い数の椎茸が生えていました。早速公民館の隅田主事さんに連絡し、運よく近くまで来ているとのことだったので、午後一隅田さんが来るのを待って二人で収獲しました。小さいものは10月24日の収獲祭まで残し、開いたものは全て収獲して段ボールに入れました。椎茸は持ち帰って冷蔵庫に入れ、収穫祭に使う予定です。それにしても凄い数の椎茸に、二人とも少し興奮をしてしまいました。願わくば来年の春もホダ木を確保して植菌したいものです。

  「一年半 ホダ場に置いた クヌギの木 ホダ木となりて 椎茸無数」

  「椎茸が 無数に生えた 往還道 さすがイノシシ 食べずに通る」

  「キノコ狩り しているような 錯覚に なりて二人で 収獲作業」

  「10日後に 子ども椎茸 収獲を させてやりたい 気持ちになりて」

[ この記事をシェアする ]