人間牧場

〇高知県四万十市幡多農業高校での講演(その2)

 幡多農業高校の大原先生から送れれてきた講演依頼のメールには、次のような趣旨が書かれていました。
 「生徒一人ひとりの社会的、職業的自立に向け、自らの生き方を選択するために必要となる、能力や態度を養うことを目的とします。あなたのこれまでの功績をはじめ、まちづくり活動の進め方や地域の活性化など、生徒と社会の架け橋のツールやヒントとなる言葉を聞きたい」でした。いつもアドリブで話す私ですが、今回もアドリブながら大まか次の7つのことについて話そうと思いました。

 

体育館での講演風景
体育館での講演風景
いただいたシクラメン
いただいたシクラメン

 1、青年団活動で手に入れた①仲間、②主張、③ふるさと、④感動、⑤夢という5つの道具は、人間が生きて行く上で大切な道具である。この道具を使えば人生が豊かになる。
 2、23歳の時に作った人生の生活設計には①結婚、②子ども4人を生み育てる、③30歳でアメリカへ行く、④60歳で人間牧場を造る、⑤85歳まで生きるなど様々な夢を書き込んだが、今にして思えば「夢はドリームではなくターゲット」であった。
 3、仲間と共に作った21世紀えひめニューフロンティアグループで、①ふるさとを空から見る運動、②無人島に挑む少年のつどい、③丸木舟建造と瀬戸内海航海、④モウモウ塾、⑤10年で40回のフロンティア塾、⑥千本桜の森づくりなどを、仲間とともに楽しくやり、ボランティアとして社会に貢献してきた。

幡多農業高校の玄関先に立つ浜田さん
幡多農業高校の玄関先に立つ浜田さん
屋外に展示していた四万十川川底から発掘した、アカガシの埋もれ木(室町時代)
屋外に展示していた四万十川川底から発掘した、アカガシの埋もれ木(室町時代)

 4、どこにでもある夕日を地域資源にして、①夕焼けプラットホームコンサート、②シーサイド公園など3つのプロジェクト事業、③観光客ゼロからの出発、④日本一小さな課長だけの課での奮戦、⑤新しい発想(じゃこ天、夕日の望遠鏡、夕日日コーヒー、夕焼けソフト)によるものづくりと第三セクターの経営、⑥12年間にわたる朝5時から3時間の海岸清掃などのまちづくり活動をやった。
 5、人間牧場での地域での恩返し活動として、①10年間で1千万円の貯蓄による資金調達達成、②標高130mの場所選び、③中心施設水平線の家建設、④ロケーション風呂の設置、かまど小屋・ピザ釜の設置、⑤ツリーハウス・作業小屋の建設、体験農場の開設などを行なってきた。

 6、人間牧場で、①毎年40人程度の子どもを募集して子ども体験塾、②塾生を募り私
   塾年輪塾を開講し、この10年間活動してきた。特に年輪塾は先人に学ぶべく2年
   間を一区切りとして、宮本常一、二宮金次郎、ジョン万次郎、中江藤樹を先人と
   して学んでいる。先人の示唆に富んだ言葉、宮本常一の記録しないものは記憶さ
   れない、二宮金次郎の経済のない道徳は寝言である、ジョン万次郎のロマンとは
   考えを形にする行動力である、中江藤樹の五事を正すは心を揺さぶっている。
 7、これからいかに生きるか、小さなことでも凡事も徹底すれば非凡になることを考
   生きることである。ポール・J・マイヤーの「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心か
   信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事もついには実現する」の言葉通
   り、「新しい発想で生きようと結ぶ。

 幡多農業高校は黒潮鉄道古津賀駅近くの鉄橋の下をくぐると、四万十川を見下ろす高台にありました。校長室に案内され色々なお話を下あと、体育館で400人の生徒及び教職員の前でお話をさせてもらいました。体育館の壇上から見た限りでは、まあそれなりに熱心に聴いてくれたようです。お土産に学校で栽培しているシクラメンを2鉢いただいて帰りました。

  「五十歳 以上も歳の 離れてる 若者相手 中々でした」

  「アドリブで 話したゆえに 内容を 覚えてなくて 回顧に苦労」

  「実業の 高校どこか 活気あり DNAが どこか似ている」

  「これからは 少子化ゆえに 学校も 生徒集めに 受難の時代」 

 

 

 

 

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人間牧場

〇蝶ネクタイの二人の孫

 昨日は若嫁の親類の人の結婚式だそうで、花嫁に花束をプレゼントするエンゼル役を頼まれていたわが家の内孫たちは、朝から何やら楽しそうに準備をしていました。前日理髪店に行って、髪を切ってもらってさっぱりしていましたが、やがて私の書斎に「おじいちゃんどう?」と見せに来てくれました。二人は何と何と蝶ネクタイを結んでまるで子役スターのように、ダンディーな姿になっているではありませんか。

 

蝶ネクタイの孫
蝶ネクタイの孫

「よっ、格好いい!!」と声をかけてやると嬉しそうに両親に連れられ、松山で行なわれる結婚式会場へ出かけて行きました。若嫁のお父さんは今年の春先、病気で亡くなりましたが、存命中は写真が趣味で孫たちの成長はその被写体になっていたので、二人ともこれでもかというほど、沢山の写真を撮ってもらっています。早速私も手持ちのタブレットで、若嫁のお父さんほど上手くはありませんが、見習って一枚撮ってやりました。

 夕方結婚式から家族が帰って来ました。「どうだった?」と尋ねると、上手く行ったようで、孫二人はお祝儀までいただいてホクホク顔でした。若嫁に聞けば結婚式の後、正装しているのでその足で写真屋さんへ出かけ、家族写真を撮ったようです。お父さんの影響もあって息子たちは、一年に一度は必ず家族の集合写真を撮っているようで、やがてダイニングには昨日取った新しい写真が飾られることでしょう。

 そういえば私たち家族はそんなきちんとした集合写真は撮ったことがないようです。それぞれのスナップ写真が沢山あり、特に毎日のように出歩く私などは、これでもかというほど写真が残っていますが、夫婦で撮った写真は結婚式はおろか殆どないことに気がつきました。近々撮ってみようと思いましたが、多分照れくさいと妻に言われ、拒否されそうです。元気なうちにそれもありかも知れません。

  「孫二人 結婚式に 頼まれて エンゼルサービス すると張り切る」

  「蝶ネクタイ まるでスターの ようでした 写真一枚 記念にパチリ」

  「息子たち 一年一度 写真屋で 家族の写真 撮ってるようだ」

  「私たち 夫婦の写真 ありません 自慢にならぬ 撮ってみようか?」

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人間牧場

〇東予地域ミニフォーラムin別子山(その2)

 ミニフォーラムは過去3回の別子山の未来を描くワークショップを経て、愛媛大学名誉教授の藤目先生の指導のもと、みんなの英知で作り上げた3つのアクションプランの発表があり、そのプランにコメンテーターの私たちが質問する形式でした。プランは次の3つでした。
  ①別子山全員参加の映画作り
  ②企業組合の設立と地域産業育成
  ③別子の果までイッテQ(交流人口の拡大と経済活性化)

DSCN1570

当日のプログラム
当日のプログラム

 藤目先生をファシリテーターにして私と梅錦社長の山川浩一郎さんの二人が色々な質問を投げかけました。記憶は定かでありませんが、私の走り書きメモには次のようなポイントを書き残しています。
  新居浜の関さんが発表したアクションプラン①について
   ・記録は過去・現在・未来の3本立てが望ましい
   ・人口動態から見た別子山の盛衰
   ・村出身者の声
   ・今を切り取って未来を考える
   ・映画作りに関わるスタッフを募る
   ・日本一小さな村の再生というキーワード

 

久しぶりに出会った山川社長さん
久しぶりに出会った山川社長さん

 地域おこし協力隊の大江さんが発表したアクションプラン②
   ・まちづくり会社の設立(いのちと暮らしを守る総合商社)
   ・パロディーで村の組織を復活させる
   ・プロモーターとなるよそ者、若者、馬鹿者集団を作る
   ・会社設立に多くの出資者を募る
   ・損益分岐点をはっきり認識する
  

  地域おこし協力隊の馬見さんが発表したアクションプラン③
   ・日本一小さな村の挑戦
   ・日本一大きなパーゴラの藤を切りブドウを植えて1万房つける大胆発想
   ・ブドウの収穫と天空の村ぶどう酒を作る
   ・パーゴラに白いブランコを吊るし恋人の聖地にする
   ・翠波高原とマイントピア別子をつなぐルート開発
   ・話題と物語を作る
   

 最期に私と山川さんが励ましの言葉を述べました。結局のところ、いいプランが出来ても、「誰がするのか」というところでつまづきます。また「どんな成果を望み、何が出来たか」その検証もしなければなりません。始める活動、続ける活動、高める活動へとスキルをアップしていく、プロセスを楽しみたいものです。昨日は久しぶりに藤目先生やえひめ地域づくり研究協議会のメンバーとも出会い、また新宮の大西さんとも親しく言葉を交わしました。こじんまりとしたいい集会でした。会場で別れた松本さんは川之江回り、私は新居浜回りを選びましたが、帰宅はどちらが早かったのでしょうか(笑い)。

  「別子山 これからどうする 考えた アクションプラン それぞれ発表」

  「誰がする 行きつくところ そこ一番 スキルアップし やるしかないな」

  「よそ者と 馬鹿者たちが 発表す 茶々入れ私 質問浴びせ」

  「小さいが 日本で一番 オンリーワン 目ざし頑張る 協力したい」 

 

 

 

 

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人間牧場

〇私はまだまだ未熟・半熟

 先日一週間前の土曜日、人間牧場で子ども体験塾の収穫祭を行ないました。好天に恵まれそれなりの成果もあって、子どもたちもみんな満足の手合いでした。赤石さんからバトンタッチを受けた事務局である公民館の隅田さんも、初めてのことばかりなので戸惑うことも沢山あったと思うのですが頑張ったお蔭で、それなりに事故もなくホッと一息といった感じです。

 2015収穫祭2 2015収穫祭1 2015収穫祭32015収穫祭4一昨日公民館の窓口へ隅田さんを訪ね、次のプログラムについて相談をしましたが、隅田さんは収穫祭の反省点を私に尋ね熱心にメモをしていました。そういえば総花的に成功だと思っていても、一つ一つのプログラムを点検してみると、反省点や改善するべきことがいっぱいあることに気がつきました。赤石さんと7年間やったプログラムの反省がジュニアリーダーを育てたり、子ども什の約束を生んで今を作っているのですから、反省は十分にして次につなげなければなりません。

2015収穫祭5 当日私はどちらかというと準備やプログラムサービスの側に回らざるを得ないため、子どもたちが下灘コミセン前に集合して山道を歩いて登る、道中状況は知る由もありません。またプログラムの渦中にあるため子どもたちがどんな様子なのか、客観的に見えない部分もあるのです。今年は芋飯を炊く作業を担当したため、料理の献立や出来具合も気にはなっていても詳しくチェックできませんでした。ましてや子どもたちが全ての行事を終えて下山する姿も、後片付けや掃除で現場に残らなければならないため見えないのです。

 幸い同行の冨田さんがリアルタイムに配信してくれたfacebookや、後日隅田さんから送ってもらったメール写真でその粗方を知りましたが、私は実行委員会の実行委員長なので、共催の公民館長さんと二人で、起こった出来事の全責任を負わねばなりませんし、説明責任も果たさなければなりません。そのことを考えれば心もとない話です。若いころから無人島に子どもたちを連れて行ったり、丸木舟で瀬戸内海を航海したり、様々な活動を行け行けドンドンでやってきましたが、森の外からそれぞれの木々を見つつ、木々の働きに心配りをしなければ、一人前の指導者とはいえません。まだまだ未熟だと悟りました。

  「友人が 配信している 写真見て 未熟さ悟る いい歳こいて」

  「人間は 自分目線で 何事も 見る癖ありて 違う目線で」

  「人撮った 写真の中に われ見つけ 思わずハッと 目線をそらす」

  「人間は 知らないことが 多過ぎる だから幸せ なのかも知れぬ」

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人間牧場

〇日めくり今日の言葉

 25歳の時、近所のおばさんに勧められて、たった5分間の見合いをしました。その5分間に出会った相手が、自分の人生に寄り添う妻であったのですから驚きです。明くる年の昭和46年5月5日子どもの日に、私たちは自宅で結婚式を挙げ、披露宴は近くの農協の2階を借りて、200人ものお客さんを呼んで大宴会となりました。勿論当時は披露宴の料理も田舎らしく、3日間もかかって親類総出で手づくりした、心温まる宴会でした。

DSCN1566 あれから44年があっという間に経ちましたが、私の人生において昭和19年10月3日の自身の誕生日とともに、昭和46年5月5日は忘れられない思い出の一日となりました。その日から始まった二人の人生もいつの間にか子ども4人、娘婿1人、若嫁2人孫4人に膨れ上がりましたが、残念ながら祖母・母・父を亡くし淋しくもなりました。幸い配偶者である妻は、大した病気もせずに今も元気に働いてくれています。

 時には考えの違いから険悪な夫婦喧嘩もしましたが、親と同居して祖母・母・父の面倒を見てくれてあの世に送り、亭主関白と思える私のわがままと付き合いながら夫唱婦随、どうにかここまでやってこれたのは妻のお蔭と、感謝しても感謝しきれず、私のブログを妻は読まないことをいいことに、あることあること書き綴っているのです。今朝日めくりを一枚はがすと、30日「今日の一言」に、「人の持つ一番の財産は共感してくれる配偶者である」(ギリシャの詩人エウリピデス)と書かれていて、思わず納得してしまいました。

 最近は歳をとったせいでしょうか、若いころのような行き違いで衝突するようなことも殆どなく、私の体を気遣って暑さ寒さや日々の食事にも気を使ってくれ、何の不足もなく毎日を過ごしています。この歳になってもまだ全国を飛び回り、家にいればいたで人間牧場や煙会所で好き勝手なことをしていても咎めもせず、むしろ「今日の一言」のように共感してくれる妻の存在は、自他共に認める財産なのです。これからの幸せは二人が心身ともに健康であることが一番です。今日は3ヶ月に1回の定期健康診断の日です。日課のウォーキングをしたらそろそろ準備をして出かけましょうか。

  「五分間 見合いしただけ 配偶者 決めてあれから 44年」

  「日めぐりを めくって今日の 言葉には 妻が財産 書いていました」

  「縁あって 同行二人 人生を 共感歩む 妻に感謝す」

  「幸せは 夫婦元気で 過ごすこと 残り少ない ゆえに気を付け」  

 

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人間牧場

〇秋を楽しむ

 収獲の秋、芸術の秋、食欲の秋などなど、秋を楽しむ方法はいっぱいあります。現代人はそれらにお金を出してわざわざ遠出をしているようですが、私の住んでいる田舎では、その気になれば朝のウォーキングの途中でも、目いっぱい秋を楽しむことができるのです。昨日はウォーキングに出る時、何を思ったのか無意識のうちにタブレット端末をポケットに入れて家を出ていました。

カラスウリ 野菊つわぶきの花 私のウォーキングコースは少し急な坂があって、杉や桧の林、雑木の林の中を通ります。むしろ野生的な山歩きって感じのコースです。雑木の林に通じる路沿いにはツワブキや野菊が、今が盛りと美しく咲いています。ツワブキの黄色い花も、野菊の白い花も海沿いに面したわが町のあちこち、至る所に咲いていますが、これらの花を愛でる人は殆どないようです。私は顔に似合わず行く秋を惜しむが如く咲くこの花々が大好きで、毎日のように一人楽しんでいます。

 昨日山歩きの途中カラスウリを見つけました。真っ赤に熟れたカラスウリは野山では一際目立つ存在です。私が子どものころはカラスウリのことをカラスコベと呼んでいましたが、カラスウリも秋を演出する代表選手のようです。一昨日は通称やまぜという南西の風が吹き荒れました。昨日は一転して北西の風でした。一年収めの大相撲九州場所が始まると秋もさらに深まり、寒い冬将軍がやってきます。そろそろわが家も用意したストーブに火を入れ冬支度です。

  「ウォーキング 途中に見つけた 花々を 一人愛でつつ 秋を楽しむ」

  「ツワブキや 野菊の花は 美しい 人に見られる ことなくひっそり」

  「カラスウリ 真っ赤に熟れて 見て見てと 言ってるようで 思わず足止め」

  「わが町の そこここ見える 風景に 深まる秋を 感じて歩く」 

 

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人間牧場

〇綺麗にリフォーム終えた親父の隠居

 親父が亡くなって4ヶ月が経ちました。親父の生きた証は倉庫を改造して造った海の資料館「海舟館」に、自らの手できちんと整理展示をしていますが、親父が長年暮らしてきた隠居は、別棟平屋建てで三部屋もあり、風呂やトイレ、ダイニングもあって、今からでも生活を始めれる設えになっています。私たち夫婦ももう少し今のままの本宅暮らしをしたいのですが将来のため、とりあえず隠居をリフォームすることにしました。

床と壁クロスを張り替えたダイニング
床と壁クロスを張り替えたダイニング
畳と襖をやり替えた居間
畳と襖をやり替えた居間

 リフォームはダイニングの床とクロスの張替えをすること、居間は親父が押入れを改造して造っていたベッドを元に戻すこと、居間と座敷の畳12枚を入れ替えること、襖を張り替えることなどですが、ついでに祖母が使っていた離れの畳6枚と襖も張り替えることにして、隠居を建ててくれた橋本建設に仕事を頼みました。橋本建設は人間牧場の建設も手掛けてくれた大工さんなので、見積もりも取らず要った費用を支払うことで相談がまとまりました。

畳と障子を張り替えた座敷
畳と障子を張り替えた座敷

 1ヶ月前からその工事が始まりましたが、大工仕事も畳入れ替えも、襖や障子の張り替えもこのほど全てが終わり、私が中心になって大掃除を行い、このほど工事費の支払いも済ませやっと一段落しました。隠居に入ると居間と座敷の畳の匂いが何とも清々しく香り、張り替えた障子から差し込む秋の穏やかな光が、何ともいえない風情を醸しています。これまで匂っていた親父の匂いは完全になくなり、少し寂しい気持ちもしますが、まあこれも時代の流れと割り切らなければなりません。

玄関先も綺麗になりました
玄関先も綺麗になりました

 リフォームを終えた隠居は、当分の間私が少し磨きをかけ、贅沢ながらセカンドハウスとして使う予定です。先日ほぼリフォームを終えた隠居に姉と妹、末の叔母がやって来て見学をしましたが、近所にあるわが家と同じような隠居が、住人亡き後荒れたままになっている姿を見ているので、親父の思い出を少しでも辿り残そうとしている私に共感して、3人とも大層喜んでくれました。近いうちに3人を呼んで、リフォームを終えた親父の隠居で茶話会でも開き、親父や母親の思い出話でもしようと思っています。

  「隠居家を リフォームしようと 思い立ち なけなし財布 はたいて頼む」

  「そこここに 親父の生きた 痕跡が 今となっては 跡形もなく」

  「少しだけ 磨きをかけて 綺麗にし 贅沢ながら セカンドハウスに」

  「近いうち 三人呼んで 茶話会を しようと思う 思い出話を」 

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人間牧場

〇松山市北条浅海まちづくり講演会(その2)

 秋も深まり陽の落ちるのが早く感じられるようになった昨今ですが、昨日は松山市北条浅海地区のまちづくり講演会に出かけました。北条の夕日を見ようと少し早く家を出たため、会場の浅海公民館へは1時間も前に到着してしまい、電気の消えた公民館前の駐車場で暫くの間、会場が開くのを待ちました。少し前西の空に綺麗な夕日を見ましたが、今度は東の空にそれは見事な十三夜の月が見え、何か得をしたような気持ちになりました。

講演会風景
講演会風景

 やがて何人かの人がやって来て玄関の戸が開けられたので、釣られて中に入り和室の別室で、浅海地区区長会長の前田さんと副会長の高橋さんと四方山話に花を咲かせました。高橋さんという女性の副会長さんは、かつて青年時代青年団に所属して、私と一緒に四国一周青年バス乗ったそうです。私は青年団活動8年間で、①仲間、②主張、③ふるさと、④感動、⑤夢という5つの道具を手に入れました。今もこうして心身ともにすこぶる健康的に生きているのは青年団のお蔭なのです。

お月様も綺麗でした
お月様も綺麗でした

 相次いでやって来た高橋事務局長さんは若いころ、県民文化会館で開かれた防災全国大会でパネラーを務めた時ご一緒したそうで、縁の不思議を感じました。また通称「てっちゃん」と呼ばれている元気のよい人も現れ、控室の話がそのまま地域づくりの話になり大いに盛り上がりました。やがて午後7時30分きっかりに講演会は始まりました。それから約一時間思いつくままアドリブで話をさせてもらいましたが、反応も上々だったようで、まずは一安心でした。

 昨日の講演会はまちづくり協議会の発足に向けての準備会の主催でした。市民参画まちづくり課の課長さんや職員の方も沢山見えられ、いい方向に進みつつあることを実感しました。「てっちゃん」が言うように、時代の流れの早いこの時期に、余り様子を伺い過ぎると、時機を逸してしまいます。またまるで振り子時計のようにああでもないこうでもないと堂々巡りをしていると、熱が冷めてしまうこともあるのです。浅海には人罪ならぬいい人財が沢山いるので、もう一押し一歩前へ、さらに前へ、もっと前へ進んで欲しいと思いました。

  「懐かしい 青年団の 思い出を 持っている人 沢山ありて」

  「いつまでも 流れの早い この時期に 振り子時計で いいのかどうか」

  「わが町と よく似た 海沿い 風景に 何か出来そう 予感がしつつ」

  「一歩前 さらに前へと もっと前 まるでトイレの 看板みたい」

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人間牧場

〇元役場職員のOB会

 私は平成の大合併で旧双海町となった役場に35年間勤めました。合併して双海町という自治体は地図上から消えましたが、退職して10年があっという間に経ちました。旧職員にその後市役所を退職した職員も加わって、OB会が組織されていますが、年に一度総会と称して呑み会が行なわれます。昨日は割烹灘という近くの小料理屋であるという案内を受けていたので、酒を呑みませんが自転車で出かけました。

 昨日はお世話をしてくれている地域事務所の日山所長さんと武田さん、米湊課長さんも出席して、15~16人のこじんまりした会でしたが、呑むほどに酔うほどに多いに盛り上がり、近況を報告して親交交遊を温めました。退職した人たちは田舎らしく家業の農業や商業を手伝っているようで、かなり日焼けした顔の人もいましたが、みんな元気なようでした。話題はむしろ欠席している人に集中して、既に亡くなった人や病気で病の床に伏せっている人もいるようでした。

 35年間役場に勤め、ある時は同僚として、ある時はある意味競争相手として、またある時は呑み友だちとして、時を同じゅう過ごした先輩・同僚・後輩は数多いのですが、何故か退職後は付き合いが少なく、「何故だろう?」と不思議な感じがしました。私は今もまちづくりやボランティア活動で地域と深く関わっていますが、他の人はそんなに地域活動や地域貢献するでもなく、これもまた七不思議のひとつで、むしろ役所の仕事の内容をよく知っているがゆえに、クレーマー的存在の人もいるほどです。

 元役場職員というレッテルは多分死ぬまで剥がしようもありません。また役場職員というレベルも多分死ぬまで維持しなければなりません。それはある意味プレッシャーとなっていますが、だからこそ生きる意味があるのです。「あんたは毎日楽しそうでいいなあ。あんたが羨ましい」と、何人かの人に言われましたが、嬉しい言葉として受け取りました。さあもう少し輝いて、人様のお役に立って生きて行こうと思った会でした。

  「元役場 職員集まり 呑み会が 年に一度の 安否確認」

  「来た人は 来てない人の ことばかり 話題に酒を 呑みつつ話す」

  「レッテルと レベルを意識 して生きる これもお努め 拳拳服膺」

  「人様の お役に立って 恩返し 税金貰い 生きたのだから」 

 

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人間牧場

〇人間牧場で子ども体験塾収穫祭(その2)

 子ども体験塾は美味しい手づくりの料理を、腹いっぱい食べれるのも魅力です。今年の食欲の秋と銘打ったメニューは、サツマイモご飯、具沢山の豚汁、野菜サラダ、焼き芋でした。収獲したばかりのサツマイモを水で洗い、サイコロに切ってお米と一緒に炊き込むサツマイモご飯は水加減、火加減を今年は私が担当しました。私も大釜でご飯を炊くのは初めてで、水加減や火加減に苦労しましたが、少し芯が残っているよな結果となってしまい反省しきりでした。

DSCN1518

私が炊いたサツマイモご飯
私が炊いたサツマイモご飯

 イノシシの肉の調達が出来なかったため、イノシシが先祖の豚肉で我慢し、具材にはサツマイモの茎の皮を剝き、収獲したシイタケとともに入れ、具沢山の味噌汁となりましたが、これも味は抜群で、アルミホイルでくるんで焼いた焼き芋とともに、子どもたちは何度もお替りをしていていました。今年はデザートとしてサツマイモを茹でて皮を剥ぎ、潰して味付けしたイモキントンを作りましたが、野菜&マカロニーサラダとともに美味しくいただくことができました。

カボチャ争奪ゲームチャンピオン
カボチャ争奪ゲームチャンピオン

 芸術の秋は、登山中に見つけた木の実や木の葉、草花を絵に書いたりボンドで張り付けたりして、絵葉書づくりに挑戦しましたが、まあそれなりのいい作品に仕上がりました。息子が沸かした足湯のサービスも、北海道佐呂間町の親友武田さんが送ってくれた観賞用カボチャ争奪ジャンケンゲームも、秋編歌声集による合唱も、いいプログラムだったようです。特にカボチャ争奪ジャンケンゲームは、昨日facebookで同行の富田さんが配信してくれた動画を見ると、まるでみんながウッドデッキで踊っているような楽しい雰囲気で、思わず顔がほころびました。

 午後2時過ぎ子どもたちは思い出をリュック一杯に詰め込んで、下山して行きましたが、私と息子と孫奏心は残り、風呂のお湯を抜いたり、水平線の家のトイレや板間を掃除し、後片付けを見届けて下山しました。今年は人間牧場開設10周年を迎え、既に今月だけでも150人を越える人が人間牧場にやって来て、大忙しの毎日でしたが、子ども体験塾でやっと一段落です。今年は忙しくて、ウッドデッキの防腐剤塗りも、木々の剪定もままなりませんでしたが、冬が来る前にそれらの作業やコンニャクイモ堀もしなければなりません。忙しさはまだまだ当分の間続きそうです。

  「収獲の 具材を使い 調理した 料理数々 野外で食べる」

  「芋ご飯 今年は私 炊いてみた 水と火加減 中々大変」

  「車座に 座って足湯 気持ちい~い 子どもの笑顔 忘れられない」

  「芸術と 言えるかどうか 分らない まるでピカソの ような絵を画く」

  「観賞用 カボチャ争奪 ジャンケンで 盛り上がりました 動画で配信」

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