人間牧場

〇年末の墓参り

 昨日は急な思いつきで、妻の実家のお墓参りに出かけました。妻は八幡浜出身ですが、結婚が決ったころにはまだ夜昼峠のトンネル工事中で、八幡浜へ行くのに曲がりくねった峠道を越えなければあなりませんでした。それでも結婚式には夜昼峠のトンネルが完成し、妻は結婚衣装に身をまとってトンネルを越え、私の元へ輿入れしてきたのです。今は三崎半島を縦断するゴゼヶ峠を貫通するトンネルができ、海岸国道を走ってこのトンネルを抜ければ、八幡浜まで50分以内で行けるのですから隔世の感です。

大法寺山門の紅葉
大法寺山門の紅葉
大法寺山門
大法寺山門

 臨済宗の大法寺は飛行機を発明した二宮忠八ゆかりの寺で、妻の実家のお墓もこの境内裏山にありますが、山門の紅葉もまだ綺麗で、急な石段を登って山門をくぐり、水場で水桶に水を汲んでお墓まで行き、持参したシキビを墓地内の墓前花立に差し込んだり、掃除をして線香を手向け、祈りを捧げました。私は墓地から見える八幡浜湾の眺めが大好きで、左手に諏訪崎、右手に耕して天に至ると形容される向灘のみかん山が見え、別府航路のフェリーが大分へ向けて出港する姿が見えました。

八幡浜湾の眺望
八幡浜湾の眺望

 八幡浜の市街は戦争中空襲に遭っていないため、市街はそんなに高いビルディングもなく、細い路地が連なって長閑な風景を醸していました。妻と結婚してから40年余り、お墓参りの度に何度この風景を見てきたことでしょう。この街の人はこの街が、余り発展しないと嘆いているようですが、その逆の意味もあって変らないこともいいのではないかと思ったりします。よそ者の考えと暮らしている人の考えは違うので、余り口を挟むことではありません。

 妻の実家に立ち寄りました。妻の兄も兄嫁もガンの闘病生活中で、早くよくなって欲しいと心を痛めていますが、今のところ経過もいいようなので少し安堵しているところです。長浜に住んでいた妻の妹も、急逝して早一年があっという間に過ぎました。途中誘って一緒にお墓参りをした思い出も蘇りました。私たち夫婦は何とかそれなりに元気でいます。1ヶ月前妻は膝に肉離れを起こし、歩くのも難儀でしたが、通院のお蔭で快方に向い、やっとこさ実家のお墓までの石段を登ることができてホッとしていますが、はてさてこの坂道を登ってお墓参りができるかどうか?、これから先が少し心配なお墓参りでした。

  「海岸の 国道通り 八幡浜 お墓参りに 夫婦で出かけ」

  「飛行機王 二宮忠八 ゆかり寺 急な坂道 登って参る」

  「寺裏手 八幡浜湾 眺望は 私気に入る 絶景ポイント」

  「坂道を 登ることすら 難儀する 妻の姿を 気遣い歩く」

 

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人間牧場

〇年末恒例の人間牧場での餅つき(その4)

 今回の餅つきにはわが家の内孫2人、松本さんの娘さん1人の計3人が子どもたちが参加しました。内孫2人はやんちゃ盛りで、餅を丸めると言いつつ餅とり粉で洋服を真っ白に汚し、餅をつきたいと言っては餅つきに割り込み、存分に邪魔をしましたが、これもお愛嬌でした。松本さんの子ども小春ちゃんも暫く見ない間にすっかり大きくなって、最初は多少恥ずかしがっていましたが、その内馴れて可愛い仕草がみんなのアイドルとなりました。

餅つき子ども 餅つきは準備を含めると3時間にも及びましたが、12時過ぎにやっと一段落しました。私は急いでかまどを片付け、妻が用意してくれていた食材を使ってご飯1釜と味噌汁1鍋を作りました。この作業は私にしかできず、皆さんが餅つきの後片付けをしている間に、手早くやりましたが、12時30分にご飯も味噌汁も炊きあがり、水平線の家の板間の上に、持参した漬物と共に置いて配膳し、みんなが車座になって同じ釜、同じ鍋のご飯と味噌汁を食べました。作った本人が言うのですから間違いありませんが、手前味噌ながら、ご飯も味噌汁も最高の味で大好評、ハガマも鍋も底が見える完食の手合いでした。

かまど飯2 今年も人間牧場には年間千人を越える沢山の人を迎え入れ、かまどで何度ご飯や味噌汁を炊いて振舞ったことでしょう。人間牧場では極力残飯を出さないよう配慮した環境教育の一環として、かまどご飯と味噌汁、漬物と梅干し以外は出さないというシンプルな料理に徹していますが、まさにシンプル・ザ・ベストといった感じで、日ごろおご馳走に馴れている現代人ゆえに、こうしたシンプルさは大受けなのです。それでも使う食器、使った食器を洗ったり片付けたりする手間は毎回大変で、昨日のように夕方次男息子の新居転居日と重なったりすると、片づけが明くる日の今日に残ってしまうことも度々です。今日は中世の安久寺城郭調査に午前中同行したあと、しっかりと片づけをしようと思っています。

 

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人間牧場

〇年末恒例の人間牧場での餅つき(その2)

 下準備が一段落したころ、朝が峠の向うに住んでいる亀本さん一行が、セイロにかけたもち米が蒸気を吹き始めたころ、メンバー10人余がそれぞれ、人間牧場にやって来ました。浜田さんは注文していた餡子を持って現れ、田処から一足先にやって来た女性陣が餡子を適当な大きさに丸めてくれました。重い臼を倉庫から一人で動かし、亀本さんが臼や杵を綺麗に水洗いして準備をしてくれたので、早速間髪を入れず餅つき開始です。

 4年前までは臼取りは全部私の担当でしたが、その後水本先生が、また昨年からは兵頭さんがそれぞれやってくれるようになったので、私は亀本さんと二人でかまどに専念することができ大助かりでした。餅米を蒸す、蒸した餅米を臼に入れる、入れたもち米を小突く、小突き終わるとつく、ついた餅を餡子を入れたり平にちぎって丸める、丸めた餅を引っ付かないようセイロに並べて冷ます、冷ました餅をパックに詰めると、それぞれがそれぞれの役割にしたがってかいがいしく働きました。

 餅臼の数は16臼とまあ気の遠くなるような多さと忙しさでしたが、2時間余りで何とかつき切りました。臼取りも餅を杵でつくのも大変ながら、丸めて並べるのも一苦労でした。ついたお餅は皆さんの持ち帰り用と、日ごろお世話になっている近所や知人友人に配るため1パック10個ずつ、60パックも詰めました。餅つき、昼食、年輪塾学習会、後片付けが終ってから、私はそれらを30軒も配って回りました。正月を前にした今の時期はお餅が恋しい季節なので、みんな珍しがったりして喜んでくれました。

  「餅つきは 準備が大変 今年も 私担当 多少お疲れ」

  「参加した 人の手使い 遊ばさず しっかり使う 私の役目」

  「ついた餅 パックに詰めて お裾分け みんなそれぞれ 喜んでくれ」

  「かまど守 お湯を足したり 薪を入れ 時には杵を 持って餅つき」 

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人間牧場

〇投稿記事についホロリとしました

 今日の朝4時55分、いつものように書斎の窓から新聞配達のおじさんから、新聞を手渡しで受け取りました。毎朝「今日は寒いねえ」とか、「〇〇さんが亡くなったらしい」とか、季節の移ろいやご近所の話題を短い言葉で話すのですが、時々私が出張でいなかったり、休刊日だったりして何日か顔を見ないと、何となく食腸気味になってしまうから不思議です。

友人の投稿した新聞記事
友人の投稿した新聞記事

 昨日の朝一本のブログを書き終わったところへ、いつものように新聞配達のおじさんが単車でやって来ました。昨日の朝は突風が強く吹き荒れ、車庫上の発電用風車も音を立てて回っていました。「今日は特に寒い」と新聞を私に渡したおじさんは、足早に単車に乗って隣へ向いました。私は受け取った新聞を一通り縦読みして、いつものようにウォーキングに出ました。寒い北西の季節風をまともに身体に受け、約40分歩いた後少し早足で帰宅して、新聞をダイニングの持って行き、食事をしながら新聞を読みました。

 目に留まったのは投稿欄の「へんろ道」という囲み記事でした。若いころからよく知っている、伊方町三崎二名津の金森一臣さんの投稿記事でした。風の噂ですが金森さんの奥さんは若年性認知症で、いつかの投稿欄にも奥さんのことを書いていたので、風のうわさといいながら薄々そのことは知っていました。早速食事をしながら横に座っている妻に、この記事を声を出して読んで聞かせてやりました。書いた金森さんをよく知っているだけに、また認知症という病気がどういうことか知っているだけに、読みながら少し声がつまりました。

 認知症の奥さんのリハビリを兼ね、手をつないで田舎の道を散歩する初老の夫婦の姿を頭に描きながら、自分の身に置き換えました。この一ヵ月妻は、膝に肉離れを起こしたことが原因で、少しいびつな歩き方をしています。それでも仕事や家事を休むことなく、また私もそんなに手助けもせず今に至っていますが、金森さんのような優しい心遣いには遠く及ぶべきもないのです。夫婦の絆は長年積み重ねて出来上がるものです。これまで祖母、母、父の世話をして順番にあの世へ見送ってくれた妻の世話を、今度は私がする番だと思っていますが、逆に妻に迷惑をかける訳にはいかないので、せめて自分の健康は自分で守る気概で頑張りたいものです。

  「新聞の 投稿欄に 友人が 書いた文章 妻読み聞かせ」

  「冬日和 田舎の道を 手を繋ぎ 歩く姿は ほほえましいなあ」

  「私には とてもじゃないが できないと 友人誉める かくありたいと」 

  「老いの坂 そこまで迫り 他人事じゃ ないと実感 新聞読んで」 

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人間牧場

〇横野柿を使って干し柿作りをしました

 今年は外気温が暖かかったため、干し柿にカビが生えたりした人が多かったようですが、わが家はそんなことを見越して、少し遅めに干し柿を作ったのが功を奏し、琥珀色の立派な干し柿ができました。干し柿が大好物の私はこのところ、毎日ウォーキングから帰ると、干し柿をちぎって食卓の皿の上に乗せて、朝食のデザートにして美味しく食べています。

井上さんが送ってくれた渋柿横野柿
井上さんが送ってくれた渋柿横野柿
皮を剥きサナに並べ干し柿づくり
皮を剥きサナに並べ干し柿づくり

 干し柿を作った様子をfacebookに写真つきでアップしたところ、沢山の人がいいねボタンを押してくれたり、コメントを書き込んでくれました。その中に親友井上浩二さんもいました。井上さんは元小松町役場職員で、退職後は西条市議会議員に当選し、政治の道に進んでいますが、先日行なわれた人間牧場10周年の集いにも駆けつけてくれました熱心な方です。

 井上さんは私が干し柿に使った円錐形のあたご柿ではなく、横野柿という富有柿そっくりの、丸い柿を使って美味しい干し柿を作ったそうで、2日前早速10k箱にいっぱいの横野柿という渋柿を送ってくれました。早速その夜妻と二人でテレビを見ながら、ピューレーを使って皮を剥きました。ヘタに紐で吊るす小枝が残っていないので、さてどうするか?思案しましたが、串刺しにするのをやめ、天草やヒジキを干すサナに並べて天日乾燥することにしました。

 上手く行くかどうかは分りませんが、井上さんが味は抜群と太鼓判を押してくれた横野柿なので、今から干し柿のできるのを楽しみにして、雨に当てないよう気をつけながら見守りたいと思います。昨日は幸運にも北西の季節風が吹き始めました。ところが夜になって不運にも雨風の強い嵐になり、東屋の木陰に干していましたが、少し雨が振り込むようになったため、夜中に懐中電灯の光を頼りに、雨の当らない所へ移動をしました。少し先が思いやられるようです。

  「友人が 富有柿そっくり 渋柿を 宅配便にて 私の元へ」

  「あれこれも facebookの お蔭です 早速妻と テレビ見ながら」

  「ピューレーで 渋柿皮を 丁寧に 剥いて干しサナ 並べ軒先」

  「不運にも 冬の嵐が 吹き始め 急いで夜中 懐中電灯」

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人間牧場

〇名残の秋と春の足音
 昨日カーラジオを聞いていると、高松地方気象台では梅の花の開花宣言が、例年より1ヶ月以上も早く出されたようで、思わず「えっ」とわが耳を疑いました。確かに最近は外気温の暖かい日が続き、師走だというのに周囲の山々には紅葉が残り、ウォーキングをしている道端には、春の代表選手といわれるスイセンが早くも清楚で可憐な花を開かせているのです。

ツバキの花 「何かが可笑しい」と実感はしても、それが何の影響か、またそれがどんな影響を及ぼすのかは知る由もありませんが、日本の各地でひんぱんに起こっている天変地異の出来事は、異常気象としか言いようがないようです。いつもの年だとこれからが最盛期のブロッコリーが、成長が進んであっという間に菜花に変身し、黄色い花を咲かせて食べられなくなりました。また例年だとこれからが旬の白菜も葉っぱが黒くなりはじめ、春までもちそうにない雲行きです。

ブロッコリーの菜花DSCN2107 私の家の家庭菜園さえそうですから、日本中では押して計るべしで、大根などは1本80円と信じられないような安さで消費者主婦を喜ばせていますが、方や大根農家は豊作貧乏で出荷しても採算が合わないため、畑にブルドーザーで穴を掘り、泣きの涙も出ないと嘆きながら埋めている様子がテレビで放映されていました。いつの時代もお天道様相手の第一次産業は豊作貧乏大漁貧乏、不作貧乏不漁貧乏という貧乏くじを引かされているのです。

 良く似た花に山茶花とツバキの花があります。山茶花は冬迎えの花、ツバキは冬終わりの花ですが、このところの気温で山茶花とツバキが同時に咲いています。山茶花は花びらを散らし、椿は花ごと落ちるのですが、どうやら花散らしまで同時に進行するようです。それでも季節を愛でようと、スイセン2~3本とツバキ一枝を切って来て、一輪挿しに挿してダイニングに飾りました。いい香りいい雰囲気です。

 

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人間牧場

〇ハードルの高さ

 「ハードルが高い」という言葉を時々耳にします。乗り越えにくい出来事や目標の高さをいうのでしょうが、私の人生を振り返ればその時代、その年齢、その役職などにおいてハードルの高さを実感し、ハードルを倒したり足を引っ掛けたり、時には再挑戦したりしながら、何とか今日まで乗り越えてここまで来ました。振り返えれば多少悔いは残っているものの、自分の非力さや能力のなさを考えれば、まあままの人生だったと納得するのです。

ハードル 人間は得てして若いころには高いハードルを設定しがちです。できもしない夢や理想を掲げますが、世の中はそんなに甘くはなく、時には立ち上がれないほどの失敗や反対に遭います。それでも「夢よもう一度」と再チャレンジできるのも若さの特権なのです。しかし私のように年齢を重ねてくると、自分のレベルと周りの状況を比較しながら、ハードルの高さを自分で飛び越えれるレベルに調整し、「こんなものだ」と納得しながら生きて人生を終えるのです。

 ハードルの高さを自分の飛べる高さに設定し始めるとそれに馴れて、体力・気力・知力の低下と共に自分の人生は次第に萎んでしまいます。それが普通なのでしょうが、私の場合はこれまでの経験から、ハードルの高さを少し高めに設定するように心がけています。人から見れば他愛のないことでも私にとっては挑戦ですから、「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事もついには実現する」と言った、ポール・J・マイヤーの言葉通りハードルを越えることができるのです。

 私の心の張りは「少し高めのハードル」に向う気概とそれを乗り越えた時に味わえる達成感によって維持されています。始める活動、続ける活動、高める活動の三つを心がけていますが、目下のところ止める活動が中々見つからず、多忙過ぎるのが欠点なので、歳を考え少しずつ止める活動へ移行したいとも思っていますが、一方では折角ここまで続けたり高まったのだから、「もう少しもう少し」という引き戻し心理も働いています。

 最近若い人から色々な夢を聞く機会があります。「夢はどうしたら実現するか」とアドバイスを求められることもあります。「夢はドリームではなくターゲットだ」と叱咤激励すると同時に、相反して「いいこととできることは違う」と冷や水をぶっ掛けることだってありますが、少なくてもハードルの高さを簡単に飛び越えられる高さにしてしまうことだけは止めろと、アドバイスしています。このアドバイスが正しいのかどうかは別にして、少し高いハードルに挑戦しながら私は今日も生きています。

  「ハードルは 飛び越えなければ 意味がない だからと言って 低いは問題」

  「多少無理 すりゃ飛べる 高さまで ハードル上げる これぞ生きがい」

  「跳んだあと 疲労忘れる 達成感 これもまた良し 次のハードル」

  「ああ今日も 少し高めの ハードルを 跳んだ跳んだと 満足しつつ」

 

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人間牧場

〇出来上がった干し柿

 このところ季節の変わり目を感じるように、天候が不順です。師走だというのに3日目には外気温が日中20度まで上がり、その後は低気圧や前線の影響で時ならぬ40mm近くの雨と強風が吹き荒れ、折りしもフランスパリで開かれている環境会議の報道もあって、存分に異常気象を感じさせました。

美味しく仕上がった干し柿
美味しく仕上がった干し柿

 今年は暖かいため、少し遅れ気味で皮を剥いて、物干し場に吊るしていた干し柿も、渋が完全に抜け程好い琥珀色に仕上がりました。早速4~5日前からひとつまたひとつとちぎって、その甘味を存分に楽しんでいますが、このところの気温上昇で虫が一~二匹近寄って来たのを見つけました。さすがにまだカビは来ていませんが、そろそろジッパーつきのナイロン袋に入れて、冷蔵庫に保管したいと思っています。

 

知人友人に送ったみかん
知人友人に送ったみかん

あんな渋味がどうして甘味に変化するのか、凡人の私には分るすべもなく、また分ろうともせずに食べていますが、今年は二人の日本人がノーベル賞を受賞した記念すべき年なので、あちこちでサイエンス流行のようで、私もボケないためにこんな小さな疑問を、真正面からとらえて、勉強してみようかな?と思っていますが、やることが多くて後回しになるようです。

 今年は友人の戸田さんから「紅まどんな」という品種の柑橘を分けてもらい、日ごろ交友している知人友人に送って大好評でしたが、今度はまた違ったみかんを10箱ほど分けてもらい、4日前に全国の知人友人に送りましたが、特にみかんの珍しい北海道や東北に集中して送ったため、大好評で味がいいと喜びの一報が届いています。

 今年は親父が7月に亡くなって喪に服しているため、いつもの年のような年末と少し違って、正月を迎える準備をしなくてもすむため、比較的落ち着いた日々を過ごしていますが、今週末は恒例の人間牧場での餅つきや、年輪塾の学習会があるし、畑の隅に小さな農業用ハウスを建てる準備もしなければならず、相変わらずの忙しさです。気を引き締めて頑張りましょう。

  「干し柿が 程好い甘さに 仕上がって 毎日盗んで 味を楽しむ」

  「訳ありの みかん沢山 あちこちに 送る・届いた 連絡しあう」

  「渋柿は どうして甘く なるのかな? 分らぬままに 調べもせずに」

  「歳の瀬が 近くなったが 年賀状 喪に服してる ゆえに作らず」 

 

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人間牧場

〇かすかな記憶

 朝四時
 遠くで漁船のエンジン音が聞こえる
 港から沖合いの漁場に向けて
 出港する船の音だろう
 外はまだ暗いし寒い
 もう五十年も前
 漁師をしていた私も
 同じように
 暗くて寒い海を
 沖合いの漁場に向って走っていた
 かすかな当時の記憶が蘇る

 朝五時
 遠くで鉄橋を渡る列車の音が聞こえる
 ふるさとの駅から
 松山へ向う一番列車の音だろう
 外はまだ暗いし寒い
 もう五十年も前
 漁師をしていた私は
 ガンで入院していた親父の見舞いに行くため
 一番列車に乗っていた
 その親父も今年の夏逝った
 かすかな当時の記憶が蘇る

 朝六時
 近くで砂浜に打ち寄せる
 波の音が聞こえる
 外はまだ暗いし寒い
 もう二十年も前
 役場に勤めていた私は
 この砂浜で熊手を持ち
 凍える手に息を吹きかけながら
 一生懸命掃除をしていた
 十二年も続けた掃除
 かすかな当時の記憶が蘇る

 朝七時
 傍で赤々と燃える
 灯油ストーブ上のヤカンの音が聞こえる
 外は明るくなり始めたが寒い
 もう十年も前
 定年退職した私は
 この部屋で今と同じように
 パソコンに向って
 ブログを書いていた
 あれから何枚書いたことだろう
 かすかな当時の記憶が蘇る
 
 
 
 
 

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人間牧場

〇近頃の子どもは忙しい

 私たちが子どものころは戦後間もない長閑な時代だったこともあって、野山や海岸を遊び場に、勉強等そっちのけで遊びほうけていました。そのことが知らず知らずのうちに豊かな感性や、人間性を育んでくれていたのですから、感謝しなければなりませんが、今の子どもたちは子どものころから勉強や習い事に明け暮れ、遊ぶ時間や自由時間もないのですから可哀想としかいいようがありません。

キャッチボールをする孫希心
キャッチボールをする孫希心
昨日は強風で車庫上の風力発電用風車もフル回転でした
昨日は強風で車庫上の風力発電用風車もフル回転でした
 両親が外働きしているため、小学校2年生の孫希心は学校の授業が終ると自宅へ帰らず途中地域事務所の2階に開設している児童クラブへ直行します。働く若い親にしてみればそれはそれとして指導員までついて預かってくれる児童クラブはあり難いことだし、孫たちも同年代の友だちが沢山いるので、結構楽しんでいるようです。金曜日の昨日は児童クラブへ立ち寄らず、直接自宅に帰った孫は、着替えと手洗い、うがいを終えておやつをお食べると、外に出てボールとミットでひとり遊んでいました。

 昨日は夜来の大雨も止んでいましたが、かなり強い北風が車庫の屋上に設置している風力発電用の風車を勢いよく回していました。孫に「おじいちゃん、キャッチボールをしよう」誘われ、何年かぶりに孫と二人でキャッチボールをしました。孫はグラブを買ってもらって最近は父親と時々キャッチボールをしているようですが、受けるのも投げるのもまだまだ下手糞で、思うようにはなりませんが、それでも20分余り相手をしてやりました。孫も大層喜び、「おじいちゃん、あしたもしよう」と予約まで約束させられてしまいました。

 子どもは遊びの天才です。孫二人から「冬休みになったらマラソンをしよう」とマラソンの約束もしていますが、やはり遊び相手は同年代の子どもが一番のようですが、残念なことに同年代の子どもとの遊びはゲームばかりで、外で群れて遊ぼううとはしないのです。これも時代の流れでしょうが、「子どもは風の子」なので、折に触れ大人の責任において極力戸外での遊びを身につけさせねばなりません。3人の息子とキャッチボールをする暇もなかった若いころの反省を込めて、孫と遊びたいと思っています。

  「近頃の 子どもは外で 遊ばない ゲーム中心 これでは困る」

  「3人の 息子とキャッチ ボールせず 後悔している せめて孫とは」

  「冬休み 孫とマラソン 約束を 今から楽しみ 体鍛えて」

  「私には 遊び相手に 丁度良い だけどゲームも 時代遅れで」

 

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