人間牧場

〇持て余し気味なタブレット端末

 旅先でブログ記事が書けるようにと、大学に勤める娘婿に相談してタブレット端末を買って1年近くが経ちました。この歳になってタブレットを使うのは、自分でいうのも何ですが、かなり勇気がいることなので随分思案しました。「使いこなせるようになるには使いこなすこと」と自分では分っていても、そんな暇も勇気もなく、「故障したらどうしよう」という不安が先に立って、一年経ったというのにまだ使いこなせていないのです。

DSCN2189 私のパソコンやタブレットはこれまでにも、度々故障や疑問にぶち当たって来ましたが、その都度娘婿と息子に助け船を出し、何とか書く、受ける、送る、保存するといった最低限の使い方は出来ていますが、突然エラーが出たりするとパニックになって、娘婿や息子の忙しさも分らず、自分中心の相談を投げかけてしまうのです。タブレットもやっと旅先でアメーバブログが打てるようになり、facebookやメールの処理、調べ物もできるようになりましたが、ワードプレスブログが思うように打てず、一昨日わが家のクリスマス焼肉パーティにやって来た娘婿に、タブレットの使い方を伝授して貰いましたが、情けない話です。

 アンドロイドという私のタブレットは優れもののようですが、まだその全容は分らず使いこなせていません。一昨日の伝授で一歩前へ進みましたが、まだまだ不安だらけです。そんな中、内孫二人は私のタブレットと同じような大きさのゲーム機を買ってもらい、クリスマスにサンタクロースから貰ったと信じきっているゲームソフトを使って、どんどん前へ進んでいるようで、その内追い越されるような雲行きです。ゲーム機を使って遊ぶことも音楽を聴くこともできない私は、完全に時代遅れな人間になってしまいました。間もなく孫に教えてもらう日が来ることでしょう。嘆かわしいことです。

  「タブレット 買ったはいいが 曲者で 一年経っても 使いこなせず」

  「時々は グリコの看板 両手上げ お助け頼む 情けないったら」

  「孫二人 たった3日で クリアする ゲーム機さえも 使えぬ私」

  「この私 時代遅れの レッテルを 貼られ消沈 これから不安」

 

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人間牧場

〇ウィークリーえひめリック掲載記事

 日本銀行松山支店内にある愛媛県金融広報委員会から頼まれて、小さなコラム記事を書きました。このコーナーは私を含めた愛媛県金融広報アドバイザーの皆さんが、毎月1回持ち回りで書いていますが、他のアドバーざーのように金融知識もないことから、毎年適当な記事を書いてお茶を濁しています。しかも今回は事務局から頼まれていた原稿締め切りの日をすっかり忘れていて、「締め切りですが・・・」と督促メールが入り、慌てて僅か40分ほどパソコンに向って、思いつくまま書いた原稿なので、まったく自信がありませんでした。

img789 暮れも押し迫った昨日、金融広報委員会から12月24日付の掲載新聞が送られてきました。12面に「一・十・百・千・万・・・・」というタイトルで書いた記事を見つけ、読み返してみましたが、今となってはあとの祭りなのでどうしようもありません。まあ松山市内を中心に無料で配るミニコミ紙だし、20ページ仕立の12ページなので、他の記事に埋もれて、私の記事など読む人もいないだろうと鷹を食っていたら、読む人は読むもので、早速メールにて「出とった」「読んだ」と何人かから反応がありました。「あ~あ」でした。

 さて私が書いた記事は一=一日一回のお通じ、十=毎日十人の人に会い会話する。百=毎日百文字書く。千=千文字読む、一万=毎日一万歩歩くです。10万からは添付しておきますので読んでみて、宜しかったら実践してみてください。私は毎日この数字を目標に暮らしていますが結構楽しく、それでいて心と体にいいようです。私のような凡人は大それたことはできませんが、これくらいな凡事を徹底することだったら、少し頑張ればできるようです。さあ皆さんも挑戦してみましょう。

  「コラム記事 締め切り忘れ 大慌て 急ごしらえで 書くには書いたが」

  「掲載の ミニコミ新聞 届いたが 拙文ゆえに お恥ずかしくて」

  「見てないと 鷹を食ったが 読んだ見た メールが届き 赤面しきり」

  「今年も 原稿沢山 書きました 拙文そしり まぬかれながら」 

 

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人間牧場

〇私の今年の10大ニュース(その3)

 ⑨11月28日、この日は甥の木下真佐夫さんの結婚式でした。ごく内輪だけのこじんま
  りした結婚式に夫婦で出席しましたが、妹に頼まれ何とこの歳で結婚披露宴の司会
  をすることになりました。もう歳だからと固く辞退したものの聞いてもらえず、結
  局やる羽目になりました。私はこれまでに537組もの結婚披露宴の司会をしていま
  すが、538組目の司会に多少戸惑いましたが、何とか無事大役を果たすことができ
  ました。披露宴会場である全日空の担当者が、私が大学で教えた女性であったこと
  にも驚きました。貰ったお祝儀は孫たちがリクエストしたお寿司となり、胃袋に収
  まりました。

 ⑩12月6日、国立大洲青少年交流の家で、恒例の第8回社会教育実践交流集会があり、
  特別企画インタビューダイアローグの司会を昨年に引き続きやりました。綿密な
  計画も立てずアバウトな司会でしたが、全国から集めたパネラーの発言も、フロア
  -の反応も良く、最高の出来栄えでした。発つ鳥跡を濁さずです。もうそろそろこ
  の辺で「おあとがよろしいようで~」と、終わりにしたいと思います。

 (その1)(その2)(その3)と、今年の10大ニュースを述べましたが、私にとってこの一年は、親父の死を筆頭に余りにも多くの出来事がありました。とりたてて目ぼしいことのないであろう初老のご隠居さんにしては、見ようによっては活き活きと輝いて生きているようにも見えますが、少し張り切りすぎた感じもした一年でした。日々の暮らし方の目標として定めている、「1・10・100・1000・10000」も、多少のデコボコはあってもそれなりに達成できて、健康寿命を延ばしていますが、来年は年明け早々家庭菜園に念願の小さなハウスを建てる予定で、人から見れば他愛のない夢が膨らんでいます。さあ今日から新しい年を迎える準備に取り掛かりましょうか。

  「今年も いろいろあった 来年も 色々あるだろう これが人生」

  「一番は 何はともあれ 健康で 夫婦長生き これが目標」

  「コツコツと 凡事徹底 これ以外 やる以外なし この歳なりて」

  「この一年 わが家の自給 また増えた やればできるの 信念持って」
   

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人間牧場

〇私の「今年の10大ニュース」(その2)

 ⑤9月26日、テレビ愛媛「い~よ」で人間牧場が放送されました。人間牧場はこれ
  までにもNHK「西日本の旅」や南海放送「もぎたてテレビ」などで度々紹介され
  ていますが、今回は双海町を紹介する1時間番組で、人間牧場以外にも色々な話題
  満載でしたが、1時間番組のメインは煙会所や人間牧場でした。人気アイドルひめ
  キュンフルーツ缶5人組も人間牧場へやって来て、風呂を沸かしたりかまどご飯や
  味噌汁作りに挑戦して、秋本ディレクターの努力でいい番組に仕上がり放送され好
  評を博しました。

 ⑥10月3日、私の誕生日に合わせ、人間牧場10周年記念事業や年輪塾公開セミナ
  -を行ないました。70人もの参加者があり、これまでで一番の盛り上がりを見せ
  ました。この日はウッドデッキに蚊帳を張ったりして、夜を徹した泊り込みの研修
  となりましたが、楽しい一夜でした。私もこの日のために「夕日徒然草・心の書」
  30話を執筆し、参加者全員に「人でも仕事でも愛する所に集まって来る・若松進
  一」というサインを入れて配布しました。いい年輪塾の仲間がいて幸せを噛みしめ
  ました。

 ⑦10月8日、パラグライダーで大空を飛びました。私はこれまでに2度パラグライ
  ダーに乗って大空を飛びましたが、その証拠がないので、インストラクターの高木
  さんにお願いして、タンデムで跳ぶ姿を高木さんが自撮り棒で撮影してくれまし
  た。71歳での飛行は危ないと妻は大反対でしたし、私自身も少し腰が引け肩に力
  が入りましたが、高木さんが素敵な写真を連写してくれ、大感激でした。幾つにな
  っても少年のような冒険心を持って生きている自分に乾杯です。

 ⑧11月19日、私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの恒例
  となっている世界遺産を巡る旅に出かけました。今回は姫路城と京都の世界遺産群
  を旅しましたが、哲学の道をのんびりゆっくり散策しながら日本の美しい季節の移
  ろいを存分に楽しみました。特に目の覚めるような紅葉に彩られた京都は忘れられ
  ない思い出です。

  「予定表 めくりつ今年 振り返る 訪ねた街や 出会った人が」

  「毎日の ように続けた ブログ記事 指先ポンと 押せば記録が」

  「記録した 出来事すっかり 忘れたが ブログのお蔭 記録記憶に」

  「少年の ような気持ちで 今も生き ハラハラドキドキ ジーンが嬉しい」

  

 

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人間牧場

〇私の「今年の十大ニュース」(その1)

 毎年12月のこの頃になると、年賀状を作るため右往左往していましたが、今年は親父が7月に亡くなり喪に服しているため、年賀状を出すことが出来ません。本来なら喪中のハガキを出すところですが、それも意にそぐわず結局出さないことに決めたことを、ブログを通じでお詫びしたいと思います。

 私の年賀状はもう20年も、その年に起こった自分自身の10大ニュースを、メガネや虫眼鏡で読まなければならないような、少し小さい文字で書き綴ってきましたが、今年はそれもできないことから、ブログを使って10大ニュースを振り返って見たいと思います。
 ①1月16日、東京であった地域人材育成研究会に出席しました。そのついでに日本
  で一番高い東京スカイツリーに登りました。高さ634mは双海町の明神山と高さ
  が一緒で、スカイツリーオープンの年、子ども体験塾で同じ高さの明神山へ登りま
  した。スカイツリーからの眺めは最高でした。

 ②2月15日、今年行った所では一番南の宮崎県綾町の文化講演会に招かれ、10数
  年ぶりに綾町を訪ねました。綾町とは交流が長くて深く、色々なことを学ばせても
  らった思い出の町です。特に今は亡き郷田町長さんとは行ったり来たりの交友を深 
  めていました。日本一高いつり橋や、照葉の森、有機農業、綾城、自治公民館など
  今も忘れることができません。今年はこの他に長崎県や佐賀県、福岡県へ講演に出
  かけ、楽しい思い出をつくりました。

 ③7月6日、今年行った所で一番北の北海道札幌へ、講演に出かけました。北海道全
  土から社会教育委員が集まる研修会での講演でしたが、佐呂間の船木さんはじめ多
  くの仲間と再会を果たしました。老い先短い親父のことを気にしながらの北海道で
  したが、久しぶりの北海道はクラーク博士や新渡戸稲造の生き方にも触れ、心を洗
  われました。

 ④7月11日、親父が96歳の生涯を閉じました。私にとってこれまでの人生で一番
  悲しい日となりました。それでも「自分の家の畳の上で死にたい」と常々言ってい
  た思い通りに、自分の住みなれた家で息を引き取りました。1週間添い寝をして薄
  れつつある記憶を解きほぐし、老衰という最高の死に方をしてくれたので、私もそ 
  れなりに満足しています。14日には葬儀を行い、49日の納骨も無事済ません、
  親父の隠居をリフォームして、私のセカンドハウスにして使っていますが、今でも
  親父が生きているようです。

   「喪に服し 喪中のハガキ さえ出さず 年賀状書く 手間さえ惜しむ」

   「今年は 年賀ハガキに 書けぬゆえ 十大ニュース ブログで紹介」

   「今年も 色々あった カレンダー 記憶残りを ピックアップする」

   「あと6日 すれば正月 やって来る 来年こそはと いい年願う」  
   

 

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人間牧場

〇外反母趾

 私の左足は外反母趾です。外反母趾という言葉すら知らなかった若いころ、88歳で亡くなった祖母の足指が極端に曲がって、歩くのにも難儀をしている姿を見て、ばあちゃんの足はじいちゃんに先立たれながら、12人の子どもを産んだり育てたりして一生懸命働き過ぎたことが原因だと勝手に思い込み、殊勝にも「ばあちゃんに楽をさせてあげたい」といつも思っていました。

g外反母趾 私が50歳近くになったある日、風呂上りにふと自分の左足を見ると足の親指が、外反というより内反りになって入るのを見つけました。その後内反りは段々ひどくなり、足の親指が隣の指の上に乗る状態になってしまい、さてどうしたものかと思案しましたが、長く歩いたり走ったりした時以外は殆ど傷みもなく、病院に行くでもなしに今日を迎えていますが、一番困るのは靴を買う時で、つま先の広い靴を選ばなければ窮屈なので、少し時間がかかってしまうのです。

 ばあちゃんの顔や外反母趾でゆがんだ足を思い出す度に、私の外反母趾はひょっとしたら「遺伝」かも知れないと思うようになりました。最近はそんなこともあって仕事で外に出る時は別として、家にいたり農作業をする時は、妻に頼んで5本指と二股の靴下を買ってもらって愛用しています。私は着る物履く物には無頓着で、全て多少文句をいいながら妻が選んで、買って来た物を愛用しています。五本指の靴下は歩いたり仕事をしていると小指が抜けてしまいますが、二股は地下足袋と同じ形状なので足にフィットして、いい履き具合に満足しています。

 これまで私の靴下は殆ど無地でしたが、最近妻が買って来るものは多少お洒落です。少し気恥ずかしい古いタイプの人間なので最初は、「こんな派手なものは履けん」といぶかっていましたが、まあ見えないからいいだろうと履き始めてみると、まんざらでもないのです。昨日私が履いていた靴下を孫奏心が目敏く見つけ、「おじいちゃんの靴下はまるで人間の顔のようだ」と言いました。気がついてよくよく見ると確かにそう見えなくもないのです。

 面白いブログネタだと思って、タブレットで写真に撮ってfacebookにアップしたところ、仲間から楽しくも嬉しい書き込みが多数寄せられました。以外にも「実は私も外反母趾です」と告白があったり、「中々楽しい靴下を履いてお洒落だ」とか、まあ反応は様々です。ふと外反母趾のこのままでいいのだろうか?と、少し不安にもなりましたが、足や手は内蔵の各所にも連鎖していることを考えれば、一度病院で相談してみようか?とも思っています。靴下のマークが思わぬ脚下照顧となった一日でした。

  「二股の 絵入り靴下 履いている 親指顔に 似ている指摘」

  「わが足は 外反母趾で 曲がってる ばあちゃん譲り 遺伝でしょうか?」

  「わが足を 写真に撮って アップした 早速書き込み みんな暇じゃなあ」

  「このままで いいのだろうか 不安なり 一度病院 行ってみようか」

   

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人間牧場

〇冬至の夜は長~い

 昨日は一年中で一番夜の長~い冬至でした。毎年冬至の日の恒例行事となっている、ユズ湯と冬至カボチャを楽しみにしていましたが、ユズは大根の浅漬けを作るために妻が使ってしまい、カボチャも大豊作のシイタケ料理に気を取られたため、結局は食べずに終ってしまいました。まあ目くじらを立てるほどのことでもないので、今日か明日あたりにユズ湯もカボチャも楽しもうと思っています。

葉を落としたモミジの小枝に露の水滴がまるでイルミネーションのように
葉を落としたモミジの小枝に露の水滴がまるでイルミネーションのように

 旧暦暦によると今年の二十四節気は1月6日の小寒から始まり、大寒、立春、春分、立夏、夏至、立秋、秋分、立冬などを経て、昨日の冬至で幕を閉じますが、冬に至る冬至を過ぎると、年末年始があって忘れがちですが、いよいよ本格的な冬がやって来るのです。わが家は上灘川沿いにあり、西に急峻な山を背負っているため、12月中は日中でもまったく陽が当たりません。昨日のように風もなく夜露が強いと、まるで雨上がりのように一日中しっとり濡れて洗濯物も乾きにくいのです。

 シイタケが大豊作だったので、少し傷んだり開いたりしたものは、サナに広げて干しシイタケを作っていますが、折角乾きかけていたシイタケも、しっとりして乾かず、また数日前西条の井上さんが送ってくれた横野柿を、干し柿にするべくサナに干しているのもまったく乾かず、お手上げの状態です。12月22日の冬至の日に一番西寄りコースを辿る太陽は、冬至の日を境に北寄りへと進路を変えますが、多分これから一月いっぱいわが家では、太陽の光は望むべきもないのです。

 それでも私たち夫婦が食事に使っているダイニングだけは、谷間の木漏れ日が昼間ほんの短い時間ながら差し込むのです。昨日は妻と二人で昼食を取りながら、その木漏れ日が葉っぱを落としたモミジの小枝に着いた水滴が、まるでイルミネーションのような、幻想的輝きを見せていました。思わず二人で見とれてしまいました。人は何故かないものねだりをするものです。冬の太陽の光がないゆえかすかな木漏れ日にさえ感動するのです。もう少しの間燦燦と降り注ぐ太陽の光を待ちましょう。

  「今年は ユズもカボチャも ない冬至 冬を乗りきる 自信もなしに」

  「この時期は 太陽にさえ 見放され 冬の寒さに 身震いしつつ」

  「僅かだが 木漏れ日露に 反射して イルミネーション 見ているようだ」

  「冬の露 まるで大雨 降ったよう 全てを濡らし 洗濯乾かず」

 

 

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人間牧場

〇シイタケの収穫

 今年の初冬は暖かかったり、冬特有の北西の季節風があまり吹かないため、シイタケが大豊作です、ホダ場は家の裏と人間牧場の2ヶ所ありますが、家の裏のホダ場はもっぱら、息子家族が収獲を楽しんでいます。息子も孫もホダ場作りは何もしなかったのに、さも自分たちがやったような顔をしてしいたけを収穫し、私たちの所へ「おじいちゃん、おばあちゃん、これお食べ!!」と言ってお裾分けをしてくれるのです。

シイタケ1シイタケ2 シイタケ3 昨日は前夜から降っていたシトシト雨も午前中で止んだので、土曜日に餅つきをした後片づけが少し残っていたので、昼前人間牧場へ出かけ、使ったはがまや鍋をを洗ったり片付けたりしました。その後見回りのつもりでホダ場に下りてみると、クヌギの原木に沢山のシイタケが生えていました。早速手持ちのデジカメで証拠写真?を撮ったあと、収穫をしましたが、何と何とキャリーにいっぱいもあって、ルンルン気分になりました。

 帰宅途中皆さんに少しずつお裾分けして回りましたが、みんな大層喜んでくれました。前日八幡浜へお墓参りに行った帰りに、ある直売所へ立ち寄りましたが、今は鍋物の時期なのでシイタケが沢山売られているだろうと、店内を見回しましたが品薄な感じで、そのためでしょうか結構いい値段がつけられ、一級品は6個で千円などで売られていました。最近は中国産や菌床栽培のシイタケが多く、ホダ木で栽培されてものは重宝されているようです。

 昨日の夕食は鍋物にシイタケ、煮物にシイタケ、おまけにシイタケの付け焼きまで食卓にのぼり、まるでシイタケ三昧でした。私も妻もシイタケは大好物なので、当分はシイタケ料理を楽しむことができるようです。今朝親友の井上満宏さんに電話を入れシイタケの原木に使うクヌギの木を貰うよう頼みました。人間牧場のホダ木は全て井上さんに貰ったもので、近々チェンソーを持って山に入り、クヌギの木を伐採しようと思っています。伐採したクヌギの木は小切りして人間牧場へ運んで寝かせ、春にはシイタケ菌を打ち込んで1年間、さらに寝かせてシイタケの収穫を楽しみたいと思っています。

  「このところ 温度湿度が 最適で シイタケゾロゾロ 大豊作で」

  「シイタケは 煮て良し焼いて また良しと 料理色々 多いに楽しむ」

  「クヌギの木 チェンソー切って 寝かせ置く 種ゴマ打ち込み 養生一年」

  「原木に 生えたシイタケ 味絶品 これぞ田舎の 贅沢ですらい」 

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