人間牧場

〇今日は節分です

 早いもので、寒い寒いと言いながら明日は立春です。日が暮れるのが随分遅くなったなあと実感するものの、東の空が明るくなるのを見計らってウォーキングに出かけていますが、夜明けはまだまだ遅い感じがします。それでも2月の声を聞くと空の色や空気までも何だか春が近づいたようで、少しウキウキし始めています。今日は節分です。立春、立夏、立秋、立冬の前の日を節分といいますが、節分が一年に4回あることを知っている人は意外と少ないようです。

オニグイ(タラの木)
オニグイ(タラの木)
オニグイに差し込むパリパリ柴
オニグイに差し込むパリパリ柴

 わが家では節分が来ると裏山に出かけて、オニグイ(タラの木)を切って来て、それを20cmほどに小切りし、縦に四等分します。四等分した一本一本に割れ目を入れ、そこへこちらの方言でパリパリ柴と呼んでいる葉っぱを挟み込んで一丁上がりで、造作もなく出来上がりました。出来上がったものを玄関先・神棚・仏壇・道祖神等に供え、また荒神様・水神様・風呂やトイレなどに置いて安全を願って祈るのです。親の代から続いている年中行事なので、「何故?、どうして?」と言われても説明はつきかねますが、まあこれが田舎の風習でしょうか。

玄関先に飾ったオニグイ
玄関先に飾ったオニグイ

 今晩は家族が揃ったら「鬼は外、福は内」などと言って豆まきをしますが、豆をオニグイを置いた場所に供えた後、自分の歳の数だけ豆を食べます。私は71歳なので本当は71粒食べなければなりませんが、10歳を1粒にして7粒+1粒=8粒食べて、無病息災を祈ります。最近はコンビニの幟旗に刺激されて、恵方巻きを食べるようですが、わが家でも妻が用意した巻き寿司を今年の恵方の南南東に向って、豪快に食べようと思っています。気がつけば私たちもいつの間にか、そんな風習に巻き込まれて生きているようです。

  「年四回 ある節分の 春の巻 オニグイ立てて 邪気を払おう」

  「タラの木と パリパリ柴を 採って来て 見よう見真似で 今年も作る」

  「神仏に タラの木供え 手を合わせ 家族の安全 懇ろ祈る」

  「さあ今日は 南南東の 方を向き 巻き寿司一本 豪快食べよう」

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人間牧場

〇人間牧場に桜が咲いた!!

咲き始めた河津桜の花
咲き始めた河津桜の花

 今年は寒波が厳しく、2月になってもまだまだ「春遠からじ」を予感していますが、昨日人間牧場に出かけてみると、早くも3年前に植えた早生系河津桜の芽が伸びて葉っぱが広がり始めていました。よく見ると枝のあちこちに桜の花が咲いているではありませんか。嬉しくなって川津桜の木の下に行き、よくよく見てみると、枝のあちこちに薄ピンクの花が幾つか咲いていました。

河津桜の木
花を咲かせ始めた河津桜の木

 この桜は私が代表を務めている21世紀えひめニューフロンティアグループが、「千本桜の森づくり事業」を行なった折、人間牧場へ標準木として植えたものです。初年度に植えた枝垂桜は5年間で、根元は太ももほどに大きく成長して枝を茂らせ、見上げるほどに大きく育っていて、梢が大風で折れるハプニングもありましたが、去年は私だけでささやかながら花見も行ないました。

すっかり大きくなった標準木の枝垂桜
すっかり大きくなった標準木の枝垂桜

 植物には早咲き系と遅咲き系があります。気あせらしい現代人は何かと早咲きを好み、勿論私も出来ることなら少し早めに春が来たことを実感したいと、河津桜を一本だけ植えていますが、やはり本流の吉野桜には及ぶべきもありません。それでも早咲きの河津桜が花を咲かせ始めたことを素直に喜びたいと思っています。

 早速facebookにアップして、一足早い春の便りを私のfacebook仲間に届けたいと思い、デジカメで写真に撮りました。伊予路に春を呼ぶのは椿さんかも知れませんが、わが町の閏住の菜の花もそろそろ見ごろを迎えようとしています。今年は爆弾低気圧が折角咲いた菜の花の花びらを吹飛ばしてしまい、幾分見劣りしていますが、そのうち挽回してくれることでしょう。2月4日は立春です。

  「牧場に 植えた桜に 花が咲く 春が来たよと 告げてるようだ」

  「早咲きの 河津桜が 咲きました facebookで お裾分けする」

  「立春を 先取りするよう 桜咲く 花を見つけて 心ポカポカ」

  「寒かった 冬を乗り越え 桜咲く 自然は偉い そう思いつつ」

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人間牧場

〇パソコンと私

 早いもので、あっという間に1月が終わり、今日から2月です。1月は正月に暖かい日が続いて暖冬を思わせましたが、大寒頃になると日本列島に次から次へと寒波が押し寄せ、滅多に見ることのない雪まで積って、少し混乱したようです。私は今年申年の歳男なので、今まで以上に性根を据えて日々を過ごそうと、決意を新たにしているお陰で、余り後悔することのない一ヶ月でした。

 でも一週間ほど前から、パソコンの調子が今一で、多少混乱をしています。エプソンのプリンターのインクの出が悪くなり、プリントできなかったり、タブレット端末に親友の冨田さんが自炊して入れてくれた、自著本「夕日徒然草」が不具合で、ただ今使用不能となっています。また底をつきかけた名刺をギノー味噌さんにお願いして、作る作業をする過程で、送ってもらったはずのメールが届かなかったり、清水さんに送ったはずのメールが届いていなかったり、もう散々で多少混乱をしています。

 今朝もパソコンがトラぶり、朝ブログ記事を書くことができず、夕方になってやっと復旧した始末です。妻が「お父さんはパソコンを酷使し過ぎ、壊れるのは当たり前」と手厳しく言われました。パソコンの苦手な私ゆえ、パソコンが故障するとまず自分で治すことは殆ど不可能なので、イライラが募るばかりか、嘆かわしいことですが自分の生活のリズムまで狂ってしまうのです。ふと、大嫌いだったはずのパソコンがこうまで私の暮らしの一部になってしまっていることに驚きながら、2月最初の日をを迎えました。

  「パソコンが 大の苦手な 私だが いつの間にやら 暮らしの一部」

  「最近は どういう訳か パソコンが トラブル続き どうにもならぬ」

  「今朝早く 起きたはいいが パソコン不具合 仕事にならぬ」

  「壊れるは 使い過ぎだと 妻曰く 自分も納得 どうしたものか」

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人間牧場

〇今年最初の軽トラ市

 天気予報ではこの一週間、雨や曇りの日が多いと報じられていましたが、軽トラ市のお世話をしている元地域おこし協力隊の冨田さんがfacebookで、「天気予報の降水確率が40パーセントまで下がったので、今年最初の軽トラ市を予定通りやります」と書き込みがありました。雨で中止とてっきり思っていたものですから、「エッ?」と思いましたが、晴れ男冨田さんの前向きな決定を密かに喜びました。

いつもの場所にいつものお店が出店していてホッとしました
いつもの場所にいつものお店が出店していてホッとしました

 北東の季節風がかなり強く吹いてあいにくの肌寒い一日でしたが、軽トラ市は予定通り行われました。土曜日の昨日は果樹の生産者大会と、中予地区剣道大会が同じ場所で同時に開かれていて、臨時駐車場となったグランドには、空いた駐車スペースを探すのに一苦労するほど車が集まっていました。私も人間牧場に出かけて薪割りをした帰りの12時前に立ち寄りましたが、冬のイベントにしては客足が多いようでした。

 昨日は暦によると「友引」のようでした。その名のとおり軽トラ市は友を引きます。にわか通りを歩くと、そこここで知った懐かしい顔々に出会い、立ち話の輪があちこちで出来ていました。物を売ったり買ったりすることもさることながら、出会いの場所や機会が少なくなった現代では、こうした人と人の出会いは嬉しいもので、大いに声を掛け合い安否を確認し合いました。

 私は出店のお店を一通り見て回った後、先日ご主人を亡くしたお米屋さんで十穀米を買い、はるばる久万町からキッチンカーで来ている馴染みの田村さんのお店で、プリンと大福餅を妻へのお土産に買いました。シイタケを売っている袋田さんのお店では、店番の浜田さんと面談しポンカンをご馳走になり、外気は寒くても心はポカポカでした。「枯れ木も山の賑わい」という言葉があります。西下さんや西岡さんと「参加することに意義がある」と話ながら、次の予定があるため会場を後にしました。

  「晴れ男 冬雨さえも 吹飛ばす 天は必ず 良心見方」

  「寒いけど 行き交う人と 声かけて 安否確認 心ほのぼの」

  「友引の 暦そのまま 私など 枯れ木も山の 賑わいですから」

  「私でも ニ千円だが 金落す 雀の涙 集めりゃ何とか」

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人間牧場

〇みつばち高校生という本を読む

 先日久しぶりに出会いを重ねた知人で90歳になる藤原茂さんから、お電話をいただきました。差し上げた蜂蜜のお礼でしたが、蜂蜜を食べながら読売新聞を読んでいると、広告欄に「ミツバチ高校生」という本が発行されていたので、興味があったら読んでみてはとのことでした。早速息子に頼んでインターネットのアマゾンで、注文をしてもらいました。私はネットで買い物をしませんが、息子はいつもネットで買い物をしていて、時折代引きの荷物が届いて、支払いにアタフタすることがあるのです。

DSCN2447 アマゾンは遅くても注文してから2~3日で本が届き便利なため、新聞や雑誌、ネットで面白い本を見つけると、息子にメモを渡して注文してもらうのです。今回の本も3日目に届きました。早速読み始めましたが、ミツバチを飼育している私には内容がよく理解できて、ノンフィクションと一部フィクションの混ざった内容に納得しながら、僅か一日で読み終わりました。今はメモを取りながら再読している最中で、自分の知らなかったミツバチの生態が実によく分る本でした。

 内容は長野県富士見高校の生徒がクラブ活動でミツバチを飼い始め、新しい部を興してから僅か3年間で、農業高校が集まる成果発表甲子園で見事最優秀賞を獲得した話で、心温まるものでした。ミツバチを飼い始めると季節の移ろいや蜂の行動に敏感になり、ハラハラ・ドキドキ、時にはジーンとなることがよくあります。ミツバチのことを殆ど知らずに、ただ飼いたいという一心で始めた私ですが、師匠を持ったお陰で毎年少しずつ上達してきました。でも蜂の生態についてはまだまだ分らないことだらけなので、ある意味バイブルになりそうな感じがしています。

 とりあえず私の採った蜂蜜を、精製して瓶詰めしてくれている息子にも読ませたいと思っています。そういえば長野県富士見といえば私の友人で毎年美味しいリンゴを沢山送ってくれる北村亨さんのふるさとだと、本を読みながら思い出しました。長野県には北杜市清里の観光カリスマ舩木上次さんや木曽福島開田には毎年蕎麦・トウモロコシを送ってくれる大目富美雄さんもいます。懐かしい顔々を思い出しながら夜のふけるのも忘れて読み返しました。

  「新聞で 紹介していた 本を読め 蜂蜜つながり 知人の誘い」

  「メモをして 息子に渡し ネットにて 本を注文 早速届く」

  「この2日 テレビも見ずに 本を読む ミツバチのこと 大いに学ぶ」

  「久しぶり 面白い本 読んだわい メモを取りつつ 再読再読」

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人間牧場

コップの中で「いい湯だな」
コップの中で「いい湯だな」

〇いい湯だな!!

 昨日の夕方、昼間農作業で汗をかいたので、久しぶりに少し早めの一番風呂に入りました。少し熱めの風呂に「いい湯だな!!」「幸せだな!!」と実感して風呂を出て、風呂上りにまだ温もりのある湯呑の湯冷ましを呑もうとすると、中に何やら虫が入っていました。よく見ると確かなことは分りませんが、どうやらコオロギ系のようでした。

 孫たちを巻き込んで、コオロギの入ったコタツ座卓の上の湯呑を囲み、みんなが額を寄せ合いながら、「コオロギは寒いから温泉と勘違いをして入浴しているのかも~」と珍しそうに眺めました。コオロギは秋の虫です。この時期は多分何処かの場所で冬眠をしているため、見かけることも鳴き声も聞こえませんが、暖かい所を求めてやってきたことだけは確かです。

 「そ~っとしておいてやろう」と相談がまとまり、湯呑は片付けることもなくそのままにして灯りを消し、みんなそれぞれの部屋に散って眠ってしまいました。朝起きて湯呑の中を見ましたが、コオロギは部屋を締め切っているので多分部屋の何処かに隠れているのでしょうが、気配さえも感じられませんでした。

 孫が「あのコオロギはどこへ行ったの?」と聞くので、「今日は温泉にでも行ったのかも知れん」と言うと、「ぼくも温泉に行きたい」と会話が続きました。下北半島の温泉で猿が温泉を楽しんでいる様子をテレビが報じていました。ことの外寒い今年の冬は人間だけでなく、どうやら寒さに弱い虫たちにとっても耐え難いようです。

  「湯上りに 湯冷まし飲もうと 湯呑見りゃ 中にコオロギ いい湯だ気分」

  「この寒さ 人間様も 耐え難い まして虫たち もっと寒かろ」

  「北国じゃ 猿が温泉 楽しむと ニュースで報じ 虫も同じ」

  「近頃は 珍しきこと ある度に カメラカメラと シャッターチャンス」

 

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人間牧場

〇薪づくり

 こう毎日寒い日が続くと、暖かいストーブが恋しくなるものです。友人の中にはエコな時代を反映して、薪ストーブを購入して楽しんでいる人も沢山いますが、いざ自分の家に薪ストーブを入れるとなると、色々なことを考えなければなりません。最近はネットオークションで自分の懐具合にあったストーブを、見つけ買うことができますが、まず何といってもストーブに使う薪をどう確保するか考えておかなければなりません。

剪定残材も薪にして楽しんでいます
剪定残材も薪にして楽しんでいます

 薪は買えばいいし、薪の要らないペレットストーブだってあるのですから、「薪の確保など必要ない」と思う人もやってる人もいるようですが、薪ストーブを使うのは室内といいながら、折角なら薪を確保する、アウトドアーな作業をするのも楽しみの一つなのです。私の場合は友人のクヌギ山に分け入り、チェンソーでクヌギの木を切り倒して、持ち運び易いようにその場で薪の長さに切り、軽四トラックに積んで人間牧場まで運び、暇をみつけて大きなマサカリで割るのです。生のクヌギの木は面白いように割れ、その場で自然乾燥をします。

 一ヶ月も経てば立派な薪が出来ますが、それを薪小屋へ収納して順次使うのです。薪面を揃えて綺麗に積んだ薪はまるでインテリアのような味わいを見せてくれるのもこれまた楽しみです。最近はクヌギに限らず、陰切りしたり剪定した雑木の残材も、余すことなく薪にして、家の納屋の軒先に積み上げ、ヒジキやワカメ、タケノコ茹で、時には先日のように、おでんまで大鍋で炊いて来訪者をもてなし喜ばれました。薪ストーブの難点は煙とともに小灰が埃のように付近に飛散して、掃除をしないと見苦しく感じることです。

 まあこのように、いいことだけではありませんが、赤々と燃える薪ストーブの近くに背もたれ椅子を置き、薄い毛布でも一枚身体に乗せて、本を読みながらウトウトするのも楽しみの一つです。私が人間牧場に薪ストーブを入れたのは、たまにやって来る来客を暖かくもてなすこともさることながら、そんなささやかな楽しみを味わうためなのです。今年はことの外寒く、薪ストーブのご厄介になることが多いようですが、薪で炊いたかまどご飯、薪で炊いた五右衛門風呂を、薪ストーブとともに思う存分楽しんでいます。

  「ストーブや かまどに使う 薪作る 少々難儀 作業も楽し」

  「最近は インターネットで 調べれば 薪のストーブ 手ごろにありて」

  「ちょっとした 工夫で日常 楽しくて ストーブ赤々 背もたれウトウト」

  「薪面は まるで田舎の インテリア どこか懐かし ふるさと風景」

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人間牧場

〇竹とんぼの思い出

 先日、日ごろからお世話になっている元県教育次長だった藤原さんに出会いました。90歳という高齢にもかかわらず今なおかくしゃくとして、車を運転する等お元気なご様子でした。その折私が何年か前に差し上げた竹とんぼのことが話題に登りました。竹とんぼといえば普通は竹コブターのことですが、私が藤原さんに差し上げた竹とんぼは、当然のことながらトンボの形をしています。私が町の教育長をしていた頃、上灘中学校の校長先生をしていた窪田さんと一緒に400匹もの竹とんぼを作って、地区別人権教育大会に参加した全ての人に、配った逸話は今も語り草になっていますが、その後も退職した窪田先生に頼んで作ってもらい、その裾分けを藤原さんに差し上げていたのです。

指先に止まった竹とんぼ
指先に止まった竹とんぼ

 藤原さんはその奇妙な竹とんぼの動きが気に入り、家の玄関先に飾っていたようですが、何かの拍子で地面に落ち、羽根が壊れたそうです。接着剤で修理をしたものの以前のような絶妙な動きを再現することができず、願わくばもう一匹欲しいと言われました。私は早速帰宅後講演道具として終っている古道具の中を探し、2匹の竹とんぼを見つけました。早速明くる日息子の新築祝いに出かけたついでに、衣山の藤原さん宅を訪ねました。愛光学園近くだということだけは知っていましたが、携帯電話の誘導で無事藤原さん宅まで辿り着き、ささやかながら竹とんぼをプレゼントさせてもらいましたが、大層喜んでもらいました。

 終戦時最後の騎馬兵だった藤原さんは、今も自宅にいる時は年中素足で過ごす剛の人で、書斎はきちんと片付いていて、積もる話を顔見知りの奥さんとともにしましたが、それにしても窪田先生が作ってくれたこの竹とんぼは、指先や割り箸の先に止まらせると、まるで生きているような実に見事で繊細な動きをするのです。私はこれまで何度もこの竹とんぼを講演先に持って行き、壇上で「赤とんぼ」という曲をハーモニカで吹きながら、まるで軽業曲芸師のように、集まった人に見せました。始めて見る人は一応に驚き、中には欲しいと懇願される人や、強引に持ち帰る人もいました。今は懐かしい思い出ですが、そうだ次の講演ではこのネタで会場をひとつ笑わせてやろうと思い、書棚の奥から手づくりの竹継ぎ竿と竹とんぼを見つけ出しました。「出番ですよ!!」。

  「その昔 竹のとんぼを 400匹 作って配り 今も伝説」

  「竹とんぼ 欲しいといわれ 探したが 記憶曖昧 二匹見つける」

  「竹とんぼ 竿に止まらせ ハーモニカ 吹いて曲芸 会場沸かせ」

  「またやろう にわかに昔 思い出す 出番ですよと 竹のとんぼに」

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人間牧場

〇水仙の花切り

 私の友人で年輪塾筆頭塾生の浜田さんから2~3日前に電話連絡があり、どうしても水仙の切花が欲しいので、どこかないだろうかと相談を受けました。例年だとまだそこここに名残の水仙が咲いているのですが、今年は暖冬で例年になく水仙が早く咲き、その後一転雪の降る厳冬で、水仙の花や茎が雪や強風で根こそぎなぎ倒されてしまい、無残な姿になっているようなので、期待は出来ないと答えつつ、それでも探して欲しいという話になり、昨日の午前中浜田さんはわが家へやって来ました。

稲葉さんが小作しているわが家の畑
稲葉さんが小作しているわが家の畑
豊田漁港が見える絶景
豊田漁港が見える絶景

 雪がちらちら降る中を、雪道に強い四WDの私の軽四トラックに、包丁やハサミ等の道具を積んで、お目当ての下浜のわが家の畑へ向けて出かけました。昨日は運の悪いことに人間牧場に通じる市道は、舗装工事のため通行止めで、入口でガードマンにそのことを告げられ、歩いて登ることにしました。この往還道は近年まで池久保の人たちの生活道でしたが、今は通る人もなくなり荒れ果てて歩くことさえ出来ない状態になっていて、別の道を迂回しなければなりませんでした。

舗装工事のため通行止めの市道には雪が沢山残っていました
舗装工事のため通行止めの市道には雪が沢山残っていました

 記憶に残る雪の積った急な畑道を二人で歩き、やっと目的地の畑に到着しましたが、お目当ての水仙は無残にも雪の重みと強風で倒れていて、その中から僅かに蕾と葉っぱの痛んでいない水仙を探し出し、包丁を入れて何とか切り花をゲットしましたが、浜田さんが欲しい量にはまだ少し足らないようでした。切った花をコモに包んで元来た道を引き返しましたが、この辺りから見える豊田漁港周辺の眺めは絶景で、手持ちのカメラで写真に収めました。

 

雪に埋もれた水仙
雪に埋もれた水仙

私が子どものころ両親に連れられて、サツマイモや麦を背負って汗をかきつつ足繁く通ったころは、綺麗に耕されていた道沿いの畑も、今は作る人や訪れる人も殆どなく、荒れ放題になっていて、少し寂しい気持ちになりました。やがてこの道もイノシシ専用となる運命を辿るのでしょうが、便利さと引き換えに私たちは大切なものを失っているのかも知れません。かつて蒸気機関車が勢いよく走っていた予讃線の線路を、マッチ箱のような小さな一両編成のジーゼルカーが、のんびりと走っていました。

  「水仙の 切り花探し 雪道を 汗をかきつつ 友と二人で」

  「少年の 頃に両親 連れられて 背負い子背負って 登った記憶」

  「ふるさとの 山や畑は 荒れ果てて 間もなくこの道 イノシシ専用」

  「雪の中 水仙探し 切り花を 何とかゲット お手々かじかむ」

  追伸、浜田さんはこの水仙を民俗学者宮本常一の水仙忌に、またその後年輪塾で知り合った二宮金次郎の七代目の子孫中桐万里子さんに送るようです。毎年のことながら律儀に水仙を送り続けている浜田さんの行動に大きな拍手を送ります。年輪塾筆頭塾生である浜田さんの、そうしたお手伝いをすることは、塾長の私にとっては当然の支援なのです。

 

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人間牧場

〇凍った小路でスッテンコロリン

 昨日の夕方外出先から帰る途中、家にいる長男息子から携帯電話が架かって来ました。「今どこ?」「こちらは猛吹雪」「子どもたちが喜んで雪合戦をしている」「気をつけて帰るように」とのことでした。帰路三秋峠に差し掛かると、双海方面から対向する車の中には、まるで雪国を思わせるように、屋根に雪を沢山乗せた車もちらほら、そのうち吹雪のような雪が降り、双海に入るとその勢いは益々強くなりました。

 

寒いのに外で雪遊びをする孫たち
寒いのに外で雪遊びをする孫たち
家の前の庭も雪で真っ白
家の前の庭も雪で真っ白

自宅近くでは道全体に白い雪が積もり、我が家の入り口付近の急な坂道を滑らないよう慎重に運転して、何とか車庫に入れてシャッターを閉めました。雪の珍しい孫二人は寒さをものともせず、「雪だ雪だ」と大はしゃぎしながら遊んでいました。雪は庭木や前庭を白く覆い、1cmくらいはあるかなあと思うほどでした。「この分だと明日の朝は?」と思っていましたが、朝起きてみると木陰を残して殆どの雪は消えていましたが、バケツの中の水は完全に氷っていました。

 昨夜はぐっすり休んだからでしょうか、今朝はすこぶる体調もよく、ブログを書き終わってウォーキングに出ましたが、寒い季節風をものともせず、自然にユックリズムなジョギングになっていました。そこここの濡れた部分は完全に凍結していたので、注意しながら走りましたが、急な小路の終点で凍った路面を見誤り、思わずスッテンコロリンと転んでしまいました。日ごろの一万歩を目指したウォーキングのお蔭でしょうか、ついた手の甲に多少痛みを感じましたが、頭や足腰にも異常がなく、そのうち痛みも取れてホッとしています。

 帰ってそのことを家族に話すと、まず出てきた言葉は「もう歳だから気をつけないと」でした。私は歳だ思ってはいませんが、家族は「気をつけないと」と私のことを心配してくれていますが、「もう歳」と思っているのです。少し淋しい言葉にも聞こえましたが、妻の差し出したサロンシップを痩せ我慢して「大丈夫」と断わって見せました。強がりを言ったり若いと思っても、気力と体力の差は歴然としています。昨日夕方見た雪の中で戯れ遊ぶ孫たちの姿と、凍った小路で転んだ自分を対比しながら、少し考えさせられた朝でした。

  「このところ ここは北国? 思わせる ような寒波に 戸惑うばかり」

  「携帯で 雪は危ない 気をつけて 息子私を 心配してくれ」

  「積もる雪 ものともせずに 孫たちは はしゃぎ回って 羨ましいな」

  「今日の朝 凍った小路 踏み外し スッテンコロリン 歳だと言われ」

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