人間牧場

〇五行歌一月歌会

 先日松山五行歌から一月歌会の報告書が届きました。松山五行歌歌会に所属しながら、まだ一度も歌会に出席した事のない、まるで幽霊会員の私なので、さてどうしたものかと、新しい年を迎え身の振り方を思案しつつ、封書を開けました。今回も出席歌20人、欠席歌14人の作品が紹介されていて、興味深く拝読させてもらいました。

 私の作品は欠席歌中最後尾の14番目でした。あいうえ順とも思えなくもありませんが、、受付順ならば私はいつも締め切る前日、しかも督促対応なので最後尾に乗せてもらっただけでも喜ばなければなりません。他の人の作品と比較するほどの出来でもなく、いつもながらの駄作に〇×△▼・・・って感じですが、ままお遊びのつもりで・・・・。

 私の作品は次のとおりです。
  今年は申年
  六回目の年男
  何かいいこと
  ありそな予感
  いやきっとある

 私の作品に添えられた選者の講評です。  
 ☆六回目の年男というと72歳ですね。4~5行目のフレーズが前向きで気持ちがいいです。言い切っているのが、福を呼び込んでくれそうで楽しくなりました。同じように年女というひともあり、わたしもこのように言い切ってみようという声が。新年にふさわしいめでたい一首となりました。

 ちなみに出席歌一席は紅梅さんの次の一首でした。
  大きめの湯のみに
  熱めのお茶
  両手で包んでゆっくりまわす
  今日の嫌なことは
  これでおしまい

 ちなみに欠席歌一席は不徳竹さんの次の一首でした。
  一年を丸めて
  ぐしゃっと潰して
  屑箱に入れる
  さっぱりした
  すっきりした

  「入会を したけどいつも 不義理して まだ一回も 顔覗かさず」

  「どの歌も みんな正岡 子規のよう 私の歌は いつも見劣り」

  「もう少し 川の流れに 身を委ね 流され行くも いいかも知れぬ」

 

 

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人間牧場

〇孫はアナログ私はデジタル?

 昨日は建国記念の日で、孫たちは学校や保育園が休みとあって、朝から家の中が何かと賑やかでした。そのうち孫二人は息子に連れられて長く伸びた髪を切りに散髪屋や出かけたようですが、息子は帰りに2年生の外孫を連れて帰って来ました。聞けば先週の土曜日が登校日だったので金曜日が振り替え休日で4連休だそうで、わが家へ泊まりに来たようでした。

日記を書く孫尚樹
日記を書く孫尚樹

 息子は帰る途中孫3人を連れて松山城に登ったり、孫たちのリクエストに応えて回転寿司で昼食をしたようでした。ところが夕方になって外孫尚樹の様子がおかしくなり、腹痛を訴えました。松山に住んでいる母親と連絡を取り、少し様子を見ることにしましたが、昨晩は私と妻の布団の間に入らせ寝かせたものの、少し熱も出て冷えピタを張ったり置き薬を飲ませたりして朝を迎えましたが、今のところ熱も下がり快方に向かっているようです。

 この外孫は学校の先生の指導で毎日日記をつけています。これは文字ではなく符号だ思っていた汚かった文字も、毎日日記を書くようになって、見違えるよう綺麗になっていました。何よりも大きな成長が日記を書くことによって、日常の暮らしの中で気付きの部分や言葉の表現力が高まっているようです。私も「shin-1さんの日記」というブログを毎日書いていますが、自分自身では気づかないものの、毎日日記を書いているお陰で、孫と同じように少しだけ成長をしているようです。

 私と孫の根本的な違いは、孫は鉛筆で文字を書き、私はパソコンのキーボードで文字を打っているのです。若い孫がアナログ、年老いた私がデジタルとは間逆な感じもしますが、私はキーボードを打つ速度が幾分か早くなる程度の進歩で、文字が綺麗になることはないのです。ましてやデジタルで文字変換するので、漢字を覚えることもなく、時々変換ミスを見逃してしまうことだってあるのです。孫の日記帳に見習い、私も少し進化しなければならないと、糸口を探していますが、はてさてその糸口は見つかるのでしょうか?。

  「振り替えで 四連休の 孫が来た 毎日日記 書いているよう」

  「年寄りの 私デジタル 幼な孫 どういう訳か アナログ世界」

  「日記帳 書いたお陰で 孫の字が すっかり綺麗 見違えるよう」

  「日記帳 気付きと表現 効果あり 私もブログ 少しは成長」  

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人間牧場

〇2001年2月10日

玉井さんから送られてきた手紙
玉井さんから送られてきた手紙

 先日私の大先輩の玉井恭介さんからお手紙をいただきました。玉井さんは絵も書けるマルチ人間で、時々こうしてお便りをいただきますが、手紙には筆まめな玉井さんらしい文章の他、様々なえひめ丸に関する資料のコピーが添えられていました。中には始めて聞くようなえひめ丸事故の顛末話もあって、興味を引かれ一気に読みました。

宇和島水産高校の前庭に立つ慰霊碑
宇和島水産高校の前庭に立つ慰霊碑

 私にとって2001年2月10日は一生涯忘れられない日です。もう15年も前の出来事なので、普通の人は2月10日と言われても、思い出すことさえ出来ないようですが、私の母校愛媛県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸が、アメリカ海軍の原子力潜水艦とハワイ沖で衝突して沈没し、尊い9人の命が失われたのです。

えひめ丸事故の顛末
えひめ丸事故の顛末

 あの日私は、「昇る夕日でまちづくり」という自著本の出版記念パーティを、南海放送本町会館でやるべく、会場に飾る菜の花を摘みに、近くの特養施設夕なぎ荘の近くへ出かけていました。車に二抱えほど菜の花を摘んで自宅に戻り、竹を切って作った花立てに玄関先で差し込んでいると、近所に住んでいる姉悦子が息せき切ってやって来て、「えひめ丸がハワイ沖で沈没したというニュースをテレビでしている」というのです。

 直ぐに家の中に入りテレビをつけると、現場の生々しい様子が画面に映し出されていました。高校3年生の時初代愛媛丸に乗って珊瑚海まで遠洋航海に出た時のことが昨日のことのように頭を過ぎり、立っていられなほどの衝撃を受けました。250人ほどの知人友人を迎えて出版記念パーティーをする予定でしたが、その中にはマスコミ関係者も多数いて、取材や対応のため止む無く欠席の連絡も相次ぎましたが、止める訳にも行かず気持ちの整理もつかぬまま、パーティは予定通り行ないました。

 明くる日朝イチで、混乱している宇和島水産高校へ弔問に訪れ、玄関先に飾っている航跡をつないだ4隻の歴代愛媛丸(えひめ丸)を悲しい思いで見ました。あれから15年、私の大先輩である玉井さんの努力で学校とハワイに慰霊碑が建立され、鎮魂歌もできましたが、15年の時の流れは風化してはならないと言いつつ、そっとしておいて欲しいという関係者の思いもあって、一時代の終わりを感じる今日この頃です。それでも私は2月10日のことを一生心に刻んで生きることでしょう。

 「寒い冬 2月10日が 来る度に 思い出したく ないけど思う」

 「愛媛丸 よりにもよって 私の 出版記念 重なる奇遇」

 「先輩の くれた手紙に 色々な 顛末秘話が そっと添えられ」

 「一時代 終った感じ するけれど 心に刻み 決して忘れじ」

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〇寒いけれども夕日が綺麗

昨日の夕景
昨日の夕景
夕日に照らされた閏住の菜の花斜面
夕日に照らされた閏住の菜の花斜面

 昨日は北西の強い季節風が吹き荒れ、とても寒く感じる一日でした。夕方親類の叔父さん宅へおでんをお裾分けに出かけました。叔父さん宅は叔母さんが少し認知症を発症して、伊予市内の特養施設へ入所しているので、息子と二人の男所帯なので、時折こうして妻の気配りで惣菜を差し入れしてあげています。本谷付近に差し掛かったところ、パトカーや事故処理車が出動して、どうやら事故処理の最中でした。

白波の立つ時化た海岸
白波の立つ時化た海岸

 事故処理のため片側通行で、警察官が通行車両の整理を行なっていましたが、事故現場を横目に見ながら通ると、車は原型を留めないほど大破していて、事故のすさまじさを垣間見て背筋が寒くなりました。事故に遭った人の安否を気遣いましたが、今朝の朝刊新聞によると、どうやらはみ出し運転していた人はお亡くなりになったようでした。帰りに現場を通ると既にレッカーが到着して事故車を吊り上げていました。

昨日はダルマの夕日でした
昨日はダルマの夕日でした

 昨日は大風で水平線近くの雲が吹き飛ばされたため、夕日もダルマの夕日となっていました。帰り道レストラン魚吉近くの歩道に車を止めて海岸に降り、少し寒い中で一人夕日を観賞したり、たまたま首にぶら提げていたデジカメで夕景を撮りましたが、潮風とともに潮水の飛末が飛び、カメラレンズを濡らすようだったので、早々に引き上げました。3日目のシーサイドでの夕日といい、最近は夕日に関してラッキーが続いているようです。

  「惣菜を 叔父のお家へ お裾分け 交通事故の 現場たまたま」

  「原型を 留めぬほどの 事故現場 背筋に寒さ 追い討ちかける」

  「大荒れの 水平線に 陽が沈む ダルマの夕日 一人観賞」

  「最近は 首にデジカメ ぶら提げて お蔭様にて シャッターチャンス」

 

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〇10年後の自分への手紙

 何年か前ある所である人から、「若松さん、10年後の自分に手紙を出しませんか!!」と言われました。その時は深い意味も考えず、「ああいいですよ」と了承し、その場で10年後の自分への手紙を書き、お金を払って依頼主に託しました。多分費用は千円程度だったと記憶していますが、その後何年も経っているので、そのことすらすっかり忘れていました。

 ところがところがです。先日私宛の手紙の中に見覚えのある私の字で、しかも差出人が私というあの時書いた「10年後の手紙」が私の元へ届いたのです。ハサミで丁寧に切り、中から手紙とともに10年前の懐かしい匂いも取り出し、「拝啓若松進一様」で始まる自分への手紙を読み返しました。書いたのは今から10年前の双海町役場を退職して間もない平成18年でした。

 文面には「退職して自由人となったからには、もとともっとやりたいことをいっぱいやって、楽しく暮らしたい」とか、「夢に描いている人間牧場構想を完成させたい」とか、「とにかく健康でいたい」「これまで苦労をかけた妻を楽にさせてやりたい」などと書いていました。振り返れば10年という時の流れはあっという間だったような気がしまが、「これまで苦労をかけた妻を楽にさせてやれなかった」ことを除けば、まあパーフェクトといった感じです。

 ある人に聞けば「10年後の手紙」で男性が書くのは妻のことが一番多いそうですが、女性が書くことで一番多いのは「10年後も美しく輝いて生きていたい」という自分のことだそうです。男性と女性のこの落差が何を意味するのかは分りませんが、できることなら71歳になったのを機に、もう一度「10年後の自分への手紙」を書いて見ようと思いました。

  「宛先も 差出人も 自分という 世にも不思議な 手紙が届く」

  「ピンときた あああの時の 手紙だと 10年経って やっと手元へ」

  「妻に楽 除けば全て パーフェクト そこが問題 妻には内緒」

  「もう一度 10年あとの 自分宛 手紙を書こう 何を書こうか」

   

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〇21世紀えひめニューフロンティアグループの総会

 昨日は私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの、年に一度の総会でした。例年だと総会は、この数年今治に住むメンバー河上和夫さんの自宅を借りて泊り込みで総会をしていましたが、河上さんが少し体調を崩しているようなので、私の人間牧場を使うことになりました。総会といっても出席者は僅か8人、しかも8人の中の1人が急に来れなくなり、7人だけの開催となりました。

DSCN2510 私は11時からの開会なので、9時30分に自宅を出てじゃこ天のお店に頼んで作ってもらった昼食弁当を受け取り、人間牧場へ10時20分に到着し、早速薪ストーブに火を入れました。マッチ一本で火をつける裏技を身につけているので、難なく火がつき、暫くするとストーブに乗せたヤカンも、シューシューと音を立ててお湯が沸き始めました。玄関先を箒で掃き清め、板間は掃除機をかけて綺麗に掃除をしていると、一行全員が10分前に集まりました。

 ストーブの周りに車座に座布団が敷かれ、暖を取りながら私の代表あいさつに続き事業報告や会計報告、予算案や事業計画案などが報告され、原案の通り承認されました。21世紀えひめニューフロンティアグループは結成が昭和56年なので、今年で35年を迎えています。逆算すれば私が36歳の時に始めているのですから、色々ありましたがよくもまあ長く続いているものです。結成時の3つの約束、①今やれる青春、②社会への揺さぶり、③一年一事業こそ少し色あせていますが、まあそれなりの満足です。

 ストーブを囲み、弁当を食べながら積もる話をしましたが、メンバーである愛南町内海の北原さんは64歳になるというのに、4月から群馬県にある大学に2年間遊学するようだし、みんな何とか元気で健康寿命を謳歌しているようです。かく言う私がグループの最長老で71歳、でも負けず劣らずみんな元気で頑張ってくれています。今年もまた世界遺産を巡る旅も続けようと約束し、午後2時頃散会しました。皆さんには息子が瓶詰めしてくれた蜂蜜を少しながらお土産に差し上げました。

  「一年に 一度のグループ 総会を 今年は人間 牧場開催」

  「赤々と 燃えるストーブ 囲みつつ 積もる話を 楽しく話す」

  「千円の 豪華弁当 味噌汁を つけて美味しく いただきました」

  「今年も 世界遺産を 巡る旅 楽しみにして 頑張りましょう」

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〇ペットボトルの水やお茶は何故腐りにくい?

昨日は学びのコミュニティ研究会の廻し人(インタビューダイアローグのインタビュアー」を頼まれて、参加者50人弱のステージに、パネラー3人とともにステージに上がりました。肩書きや名前を知らせる張り紙もないということは、参加者が私やパネラーの名前を知っているのだろうと、「私の名前や顔を知っている人手を挙げて下さい」と言ったら、殆どの人の手が挙がりました。長年やっていると私もそれなりに覚えてもらっていることを実感しました。

昨日いただいたミネラルウォーター
昨日いただいたミネラルウォーター

 いつ頃からこうなったのかよく覚えていませんが、最近はどこへ行ってもペットボトル入りのお茶や水がつきもので、昨日も壇上に上がっている人の座っている机の上には「四国カルスト天然水」と書かれたペットボトル入りのミネラルウォーターが置かれていました。ファシリテーターなのでタイムキーパーもも務めなければならず、水を飲む暇もなくキャップを開けただけで、90分があっという間に終りましたが、キャップを開けた水は自分が処理するのが常識なので、そのまま木のカバンに入れて持ち帰りました。

 今日昨日の整理と記録のつもりでブログにを書きながら、持ち帰ったペットボトルの説明書きを見ると、「四国カルスト(細石)の間から湧き出してくる弱アルカリイオン水で、加熱処理していない天然の湧き水です」と書かれていました。普通天然の水やお茶は汲んで置いておくと腐るのに何故腐らないのか?、いつも疑問に思っています。「衛生的に処理している」といえばそれまでだし、特にお茶などは沢山の茶葉をブレンドして作られていて、だのに僅か100円ほどで出来て売っている不思議も、私たちはそのことに何の疑問も持たず飲んでいるのです。

 ペットボトルのお茶が出回ったお陰で、お茶汲みは女性の仕事と長い間決め付けていた日本の社会では、ペットボトルのお茶が女性の差別解消に大いに役に立ったと喜ぶ反面、自宅で主人が奥さんに「おーいお茶」と言うと、暖かいお茶ではなくペットボトルに入った「お~いお茶」が出てくるのだそうです。夫婦で温かいお茶を飲みながら団欒する姿も段々少なくなりつつあるようです。「ペットボトルの水やお茶は何故腐りにくいの?」、そんな疑問を持っているのは私一人でしょうか。

 「壇上に 上がって机 置かれてる ミネラルウォーター なぜに腐らぬ?」

 「今の世は 水とお茶さえ 買って飲む 時代変わった 私は古い」

 「おーいお茶 奥さん『はいはい』 言いながら ペットボトルの お~いお茶出す」

 「お茶汲みは 女性の仕事と 言われてた ペットボトルが 女性解放」 

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人間牧場

〇日本ラン「キンリョウヘン」をいただく

 数日前野村町に住む私のミツバチ飼育のお師匠さんである井上登さんから、「近々野村町へ講演に来るそうな。その折花芽の見えた日本ラン『キンリョウヘン』を会場へ持参するのでお持ち帰り下さい」とパソコンにメールが入りました。井上さんは私より多少年上ですが、都会暮らしが長かったせいかセンスもよく、また東京農大出身だけあって博学で、色々と学ぶことの多い実直は人です。

車のトランクに入れて持ち帰った日本ラン
車のトランクに入れて持ち帰った日本ラン
キンリョウヘンとシンピジウム・ミスマフェット
キンリョウヘンとシンピジウム・ミスマフェット

 私が井上さん出会ったのはそんなに古くはありません。多分地域づくり人養成講座の懇親交流会で出合い、蜜蜂を飼って蜂蜜を採りたいと話を持ちかけ、既に養蜂をしていた井上さんに懇願して指導を頼みました。以来私は井上さんをミツバチの師匠と仰ぎ、今も色々なご指導をいただいているのです。私の養蜂もどきがここまでやれているのは井上さんのお蔭なのです。

 ミツバチを飼う者にとって、ミツバチを誘引するために使う日本ランの一種であるキンリョウヘンは、とても貴重なもので、キンリョウヘンの花がなければ養蜂も成り立たないくらいです。井上さんは毎年分鉢の時期になると、キンリョウヘンの切り花を持って人間牧場へやって来ます。最近は私も少し馴れて蜜蝋塗りや蜂蜜採集はどうにか一人で出来るようになりましたが、井上さんからいただいたキンリョウヘンも10鉢ほどに分株して育てているものの、まだ花芽をつけるところまでには至っていないのです。

 昨日井上さんはキンリョウヘンとシンピジゥム・ミスマフェット合計5鉢を、手土産に持参して、私の車のトランクに入れてくれました。5鉢とも既にバルブの横に大きな花芽が覗いていて、さすがだと思いました。昨年も花芽のついたものを2鉢いただき、ダイニングで大事に育て、少し早めの蜂の誘引に成功しましたが、今年も朝夕加温するダイニングの台の下に置いて、大事に育てたいと思っています。ミツバチと触れ合う春はもう直ぐです。楽しみがまた増えました。

  「ミツバチの 誘引使う 日本ラン 師匠に貰い わが家嫁入り」

  「日本ラン フェロモン出して 蜂誘う 不思議植物 ホスピタリーかも」

  「早速に ダイニング入れ キンリョウヘン 今日から毎日 しっかり育て」

  「寒いけど 蜜蜂遊ぶ 春近し 思い出す度 どこかウキウキ」 

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人間牧場

〇大根の首切り

 冬は大根の美味しい季節です。わが家では家庭菜園で青首大根と聖護院大根を作っていますが、今年は聖護院大根は発芽したものの、害虫に食われて全滅したため、青首大根のみとなり、その青首大根も春の訪れとともに、いよいよ終わりに近づいてきたようです。もう少し大根を長く楽しむ手立てとして、毎年この時期になるとわが家では、大根の首切りをやります。

首切りした大根
首切りした大根

 「首切り」とは何とも物騒な表現ですが、このまま葉っぱを残しておくと大根は、種保存の原則で花を咲かせて種を結ぶのです。花を咲かせるために大根は根の部分の養分を使うため、花を咲かせると大根は筋だけ残り食用にならなくなってしまうのです。そのため葉っぱが養分を吸われないよう葉っぱの付け根から切り落としてしまいます。こうすればこれから約1ヶ月間は大根を楽しむことができるのです。

 来月初旬の日曜日には菜の花ウォークが開かれます。閏住の菜の花畑の直ぐ近くに「くじら」というお店を、私の妹が開いていますが、毎年菜の花ウォークには大きな鍋でおでんを炊いて販売して好評を得ていますが、その具材にわが家の大根を提供しています。今年も頼まれているので、首を切らなければならず、今朝はウォーキングから帰って直ぐに畑に入り、片っ端から首を切り落しました。

 首を切られた大根畑は殺風景でどこか寒々としていますが、これも春待ち、冬名残りの風情です。先人は偉いもので、こうした生活の知恵をしっかりと持って生きてきたのです。わが家は上灘川に沿った谷筋にあるため、冬は太陽が殆ど当たりませんが、春分の日を迎えるこの時期になると、裏山の端の方から太陽が覗き始め、春が近づいたことを実感するのです。今年の冬は寒さ一入で、春が来るのが待ちどうしいこの頃です。

  「春間近か 青首大根 首を切る これも大事な 春待ち仕事」

  「首を切る 縁起が悪い 呼び名だが こうしておけば まだまだ楽しめ」

  「大根は なくてはならない 冬食材 あれやこれやと 調理して食べ」

  「太陽が やっと畑に 射すように なって季節の 動くを知りて」

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人間牧場

〇念願のビニールハウス建設準備

 家の横にある家庭菜園の中に小さくてもいい、ビニールハウスを建てたいと常々思っていました。偶然にも昨年末シーサイド公園に商談でやって来ていた、農材スーパー松田の息子さんとじゃこ天のお店で出会い、その話をしたところ資材10万円+ビニール張り3万円程度で出来ると、口頭見積もり説明を受けたので、早速年末に私がハウスを建てたいと思っている場所に設置が可能かどうか見に来てもらいました。

家庭菜園へビニールハウスを建てる水糸張り
家庭菜園へビニールハウスを建てる水糸張り

 メジャーで計って仮パイプを打ち込んでもらいましたが、十分可能だとの事でした。早速年末に邪魔になると思われる畑の隅に植えているつつじを剪定したり、シキビの木を動かしました。剪定も木の移植も一人の力では大変でしたが、しっかりと対応して準備万端できたので、一昨日息子さんに電話を入れると、昨日二人が見えられて、メジャーで測りながら水糸を張ってくれました。

 予定している畑にはキャベツやブロッコリー、カリフラワーなどの野菜がまだ沢山植わっていて、特に高菜は今が旬で、毎日色々な料理に使い最盛期を迎えているため、多少惜しい気もしますが、幸いハウスを建てる工事は今月末になりそうなので、野菜は存分に楽しんで収穫できるようです。ハウスを建てる費用は既に妻と相談して確保しているので何とかなりそうですが、はてさて無加温ながらハウスでどんなものを作ればいいのか、これからじっくりと楽しい夢を見たいと思っています。

  「菜園の 横にハウスを 建てたいと 長年の夢 そろそろ実現」

  「水糸を 張りに二人が やって来た 説明受けて 少し緊張」

  「ビニールの ハウスで苗を 育てたい トマトにキューリ それからえ~と」

  「小遣いを 少しずつ貯め また一つ 小さいながら ビニールハウス」

 

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