人間牧場

〇忘れちゃいけない12の法則

 最近は歳のせいでしょうか、よく忘れることがあります。「今日は何日で何曜日だったかな?」や、「俺は今何をしようとしていたのだろう?」何てこともサンデー毎日ゆえしばしばです。その度に「ああ俺もやっぱり歳だな!!」と、歳のせいにしてその場をやり過ごしているますが、私のように講演等を頼まれ、そのことを忘れることがあると、これはもう笑い事では済まされないのです。

DSCN2680 携帯電話が普及して、いつでもどこでも電話が繋がる時代になりました。車の運転中に電話に出て、会話することはご法度だし、会議中も電話に出ることはできません。また外で活動中に講演依頼や面談の電話が入ると、スケジュール予定を確認できず、メモをすることもできないので要注意です。これまでにも何度かそんな痛い目に遭って難儀をしたり、相手に迷惑をかけたことがあるので注意をしていますが、また一つ講演と講演の移動時間が詰まり過ぎて、「どうしたものか」気を揉んでいることが一件あるのです。

 「忘れちゃいけない」といえば、先日友人がfacebookに、「忘れちゃいけない12の法則」なるものをアップしていました。「感謝することを忘れるな」から始まって、「大切な人を忘れるな」まで、12の項目の一つ一つを読みながら、どれもこれもなるほどと納得しました。これに「スケジュールを忘れるな」や「自分の名前や歳を忘れるな」「今やっていることを忘れるな」を加えれば完璧でしょうが、人生時には忘れたいことだってあるし、覚えている用量の決っている私のような凡人は、忘れることによってしか新しい入力スペースができてないのですから、忘れることもまたよしと心がけましょう。でもこの「忘れちゃいけない12の法則」は名言なので、プリントアウトして、書斎の板壁に貼り付けました。拳拳服膺です。

  「忘れずに おきたいことも あるけれど 忘れたいこと 幾つもあって」

  「スケジュール 忘れてダブリ 痛い目に あった記憶が 脳裏をかすめ」

  「凡人の 私忘れる だからこそ 空きスペースでき 覚えれるのだ」

  「いい言葉 書斎板壁 貼り付けて 拳拳服膺 肝に銘じる」

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人間牧場

〇それなりとそれ以上

 私には四人の子どもがいます。それぞれそれなりに成長して、それなりの人生を歩んでいますが、この歳になって思うのは長男の存在です。長男は工業高校を卒業後大大阪の建築専門学校を出て、建築設計関係の仕事を松山へ毎日通ってしています。結婚後暫くは松山のマンションに住んでいましたが、子どもが保育園に入るのを機に帰郷し、念願の同居を始めました。長男夫婦が家を継いでくれることは私の念願だったので、孫たちと一緒に住める喜びを味わいながら、日々を楽しく暮らしています。取り立てて優秀でもなく、私と妻を足して2で割ったくらいな極平凡な、それなりの息子ですが、優しさは抜群で亡くなった親父にもそれなりに優しく接してくれました。

水平線の家で洗いものをする息子
水平線の家で洗いものをする息子

 年老いて一番の安心は同居して家を継いでくれる息子がいるということで、跡継ぎがいない隣近所の人から羨ましがられていますが、この点だけはそれ以上の嬉しさです。さて息子はやはりカエルの子はカエルで、若い頃から社会活動をしている私に似て、色々な社会活動に積極的に参加して、毎日楽しくやっているようです。特に伊予市中心市街地のまちづくりに関心を示していて、仕事の合間を縫って朝早く掃除に出かけたり、映画会や100円市に関わっていることを風の噂に聞いています。親子は同じような社会活動をしないのが普通ですが、それなり以上に興味を持っています。

 息子と気が合いながらも、反目するのはやはり人間牧場の存在です。人間牧場を造る時、諸施設の設計を息子にやってもらいました。勿論オーナーは私なので資金は私が出しましたが、随所に息子らしい私以上のアイディアを出してくれたし、今も日々の運営や今後のあり方について議論と衝突を繰り返しているのです。いずれは人間牧場は息子に譲る予定なので、それもまたありと思っていますが、ここにきて10年の時の流れで老朽化し始めた施設の補修に、少し金がいることを巡ってバトルを繰り返しています。それでも息子は昨日のような人間牧場を使ったイベントにも積極的に参加し、陰ながら手伝ってくれていて、有難いことだと口では言いませんが感謝しています。
 それなりにしか育てることができなかった息子ですが、それ以上の働きをしてくれていると思わないと罰が当たりそうです。親と子は反感反目しながら、時には共感・共鳴・共有して生きて行くもののようです。

  「それなりの 息子と同居 それなりに 楽しく暮らし 過不足もなし」

  「いつの間に おんなじ道を 歩んでる 親子はやはり 似ているようだ」

  「それ以上 求めはしない 思いつつ いつの間にやら お互い求め」

  「ああこれが 人生というもの なのかしら 親子の反感 反目もあり」

 

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人間牧場

〇3回目の切り干し大根作り

 昨日は昼過ぎまでかなり激しい雨が降りました。午後から出かける予定があったので、とりあえず前日ジャガイモの植え付けをするため引き抜いていた、大根を水洗いして切り干し大根を作りました。雨に濡れるといけないので、東屋へ大根を持ち込み、タワシで擦ったり水洗いをした後、雨に濡れない東屋で切り干し大根用のカンナで、次々と短冊状に削って行きました。

今年3回目の切り干し大根作り
今年3回目の切り干し大根作り

 前2回と同じ量の少し小さかったりいびつな青首大根でしたが、削った大根をサナに広げながら2時間ほどで作業を終えました。雨が降るので東屋のあちこちにサナを広げ、とりあえず陰干しといった感じでした。今朝は昨日の雨が少し残って、濡れるほどではありませんでしたが、外に干すこともできず、そのままにして、子どもおもしろ大作戦に出かけました。お昼に帰宅した折天気も回復したようなので、脚立を伸ばし外干しをしていますが、少し肌寒い風が吹いているので、夕方までには粗乾きするものと思われます。

 今年は切り干し大根用の削り器を買ったお陰で、昨年までのような苦労もなくなり、随分早く、しかも品質も揃った切り干し大根が造作もなくできたようです。今日の昼過ぎ親友の稲葉さんが茹でて干した切り干し大根と、味付けして干した切干大根を2袋持って来てくれました。見た目も美しく、私の生干しなど比ではありませんが、この際食べ比べてみようと思っています。

 とりあえず今年の切り干し大根作りは無事終りました。3回の作業で一年分とまではいえませんが、まあ自給自足できるほど確保をすることができました。私は退職後様々な自給活動を試みていて、ヒジキ、天草、ワカメ、切り干し大根に加え、サツマイモや里芋、干ししいたけ、梅干し、梅酒、それに蜂蜜まで保存自給が出来るようになりました。さて次の作戦は、家の横の果樹園に沢山実をつけている甘夏みかんを使ったマーマレード作りです。既に実験済みなので上手くできることでしょう。

  「三度目の 切り干し大根 雨の中 多少濡れつつ すこぶる順調」

  「あれやこれ 自給作戦 楽しくて 妻も一緒に 喜んでくれ」

  「さて次は 甘夏みかん マーマレード 食べることより 作る楽しさ」

  「自然食 安心安全 基本なり もう少い元気 確保するため」

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人間牧場

〇新聞のお悔み欄

 新聞のお悔み欄には毎日毎日、沢山の人の訃報が載っています。意識的に載せない人もいるので、どれほどの人が亡くなっているのかは分りませんが、訃報の数ほどそれぞれの人や家庭に悲しみがあるのです。わが家は昨年7月に親父が亡くなった葬儀の折、沢山の弔問を受けているので、礼をしなければならず、妻と私は見落とさないように、毎日新聞紙面のお悔み欄に目を通すのです。

 昨日は隣町長浜でパン屋を営むTさんの奥さんと、町内のNさんのお母さんの訃報を新聞で見つけました。Tさんの奥さんは既に前日葬儀を終えているようでしたが、夕方香典を用意して出かけました。Tさんは体調が優れず入院中で、亡くなった奥さんは80歳でした。予期せぬ突然の私の弔問を息子さんは大いに喜び、一室に飾られた祭壇に案内されて線香を手向けた後、少しの間お話をさせてもらいましたが、悲しみは募るばかりのようでした。

 その後今度はその足で、午後6時から始まる町内のNさんのお母さんの通夜式に出席しました。葬儀は今日ですがスケジュールが詰まっていて、運悪く葬儀に出席できないため、自宅での通夜に臨みました。お坊さんの枕経や説教、それに友人何人かが集って鐘と鈴を鳴らしながら唱える物悲しいご詠歌を聞きながら、93歳で亡くなったお母さんの冥福をお祈りし、焼香してお暇をしました。

 最近新聞のお悔み欄を見ながら気がつくことは、亡くなった人の年齢が80歳や90歳はザラで、中には100歳を越えた人までいて、超高齢化社会になっていることを実感するのです。しかし自分と同じ位の年齢で亡くなった人の訃報を見つけると、「いよいよ自分の番かも?」なんて、少しテンションの落ちる気分になるのです。私も既に男性の平均健康寿命である71歳に達していて、これからがいよいよ正念場といったところです。

  「新聞の お悔み欄に 目を通す 毎日まるで 日課のように」

  「お悔み欄 知人友人 繋がりを 見つけ対応 昨日は二つ」

  「亡くなった 人より残った 人思う 自分に置き換え これから色々」

  「同じ歳 なくなりし人 ちらほらと いよいよ自分 順番来たか」

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人間牧場

〇地域包括支援センターでの講演

DSCN2638DSCN2637 昨日は愛媛県身体障害者福祉センターへ出かけ、地域包括支援センターからの依頼で介護支援者に講演をしました。いつもは何げなくお話をするのですが、高齢者に「人生で最も航海していることは何ですか?」と訪ねたら7割の高齢者が殆ど同じ回答をしたという、ネットで紹介されていた「人生を終える時に後悔する20の項目」についてお話をしました。

 20の項目は次のとおりです。
 ①他人がどう思うか気にしなければよかった。
 ②幸せをもっと噛みしめて生きるべきだった。
 ③もっと他人のために尽くせばよかった。
 ④くよくよ悩まなければよかった。
 ⑤家族ともっと時間を過ごせばよかった。

 ⑥もっと人に優しい言葉をかけていればよかった。
 ⑦あんなに不安を抱えながら生きるべきではなかった。
 ⑧もっと時間があればよかった。
 ⑨もっと思いきって冒険をすればよかった。
 ⑩自分を大切にすればよかった。

 ⑪他人の言うことよりも自分の直感を信じればよかった。
 ⑫もっと旅をすればよかった。
 ⑬もっと沢山の恋愛をすればよかった。
 ⑭もっと一瞬一瞬を大事に過ごせばよかった。
 ⑮子どもたちに好きなことをさせてやればよかった。

 ⑯言い争いなどしなければよかった。
 ⑰もっと自分の情熱に従うべきだった。
 ⑱もっと自分のために頑張ればよかった。
 ⑲もっと自分の本音を言うべきだった。
 ⑳もっと目標を達成すればよかった。

 最期に人生で最も後悔していることは「チャレンジしなかったこと」と言っているようです。味わい深い言葉だと話しながら、介護支援者自身がこうした反省のないような人生をどう送るか持論を述べ、高齢者に寄り添って欲しいと話しました。

  「高齢者 介護支援を する人に まず自らが 襟を正せと」

  「人生を 振り返る時 遅過ぎる それでも寄り添い 残り火焚いて」

  「項目を 読みつつ一つ 二つあり 反省しきり まあまあ人生」

  「年寄りに 寄り添い生きる 人たちに 私の言葉 聞こえたかどうか?」

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人間牧場

〇孫の嘔吐下痢症

 わが家は昨年7月に親父が亡くなってから、私たち夫婦、息子夫婦、孫2人の6人家族が同じ屋根の下で暮らしています。大家族の一番の特典は、何といっても助け合いと将来への安心感です。助け合いは随所に見られ、長男息子は毎朝それぞれの部屋に置いている灯油ストーブに給油したり、家の一階と二階にあるトイレをしっかりと綺麗に掃除をしてくれる他、私のパソコン不具合対応や乗り物チケット手配、読みたい本のアマゾン購入、蜂蜜精製とまあかゆい所へ手の届くような手助けです。

 姑である妻と若嫁の人間関係もすこぶるよく、それぞれ別々のダイニングを持っているので、家の中でのお裾分けが日常的に行なわれ、まあいい感じで日々を暮らしています。私の家庭内での役割は風呂にお湯を張る程度ですが、家にいる時は働きに出ている若い夫婦の代役として、夕方になると孫二人の出迎えを担当していて、これも同居ならではの助け合いなのです。同居で一番は将来への不安が少ないことです。若いと思っていた私たち夫婦も、既に70歳の域になりましたが、まだ足腰は丈夫だと思いつつ、健康的不安は歳とともに増えてくるのです。

 同居で一番困るのは、孫たちが風邪などの流行病を外から持ち込んで帰ることです。一昨日孫奏心が嘔吐下痢症にかかり、寝れない夜を過ごしたようですが、嘔吐下痢症は早速若嫁が発症し、昨日は孫希心にまでうつりました。幸いまだ息子と私たち夫婦にはうつっていませんが、手洗いとうがいはしているものの、少々不安です。子どもの回復力は早く、ぐったりしていた孫奏心は点滴のお陰で早くもたった一日休んだだけで、元気を回復したようですが、孫希心はひょっとしたら学校を休まなければならないかも知れません。まあみんなが助け合い、みんなが病気にかかるのも一蓮托生だと諦めています。

 「大家族 お互い持てる 力出し 助け合いつつ 日々を暮らして」

 「将来の 安心感は 抜群で これぞ田舎の 良さと認識」

 「嘔吐下痢 芋づる式に うつり行く 時間の問題 今に爺婆」

 「歳とって 小さいながら 役立ち感 あるが生きがい 嬉しいことだ」 

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人間牧場

〇ジャガイモ植えの畝立て

 伊予路に春を呼ぶ椿神社の祭礼は、毎年一年で一番寒い旧暦の1月7日~9日までの3日間です。前日に春一番が吹いて初日の日曜日こそ暖かかったものの、8日も9日もジンクスどおりの寒さでした。毎年椿さんが終るとジャガイモを植える準備に取り掛かりますが、この寒さなので家庭菜園はもう少し様子を見ようと思っています。それでも人間牧場でのジャガイモ植えは、今度の日曜日に予定されているので、昨日急な思いつきで公民館の宮本館長さんと二人で、午後から人間牧場へ畝立てに出かけました。

DSCN2633DSCN2635DSCN2636 昨日は小雪を伴ったみぞれがぱらつくあいにくの荒れた天気でしたが、早速芋畑に入り平鍬で畝立てをしました。宮本さんは奥大栄の農家の出身だし元農協職員なので、こうした農作業は得意で、私が2畝立てる間に広い方の畑に7畝も立てる凄さで、1時間も経たないあっという間に作業を終えました。この畑は既に私が雑草取りや小石を拾う畝立て前の作業を行っていて、思った以上にスムーズに作業が進みました。今度の日曜日には子どもたちと一緒にジャガイモを植える予定です。

 人間牧場でのジャガイモ栽培は早くも5年近くが経ちました。他の作物に比べジャガイモは約3ヶ月で収穫できる利点があります。立てた畝に穴を掘り、肥料を入れた上にジャガイモを埋め込み、その上に黒いビニールシートを被せるマルチ栽培を予定していますが、外気温が上がり始めると一気に芽を吹き、ビニールシートを新芽が押上げるのです。押上げた場所を手探りして、カッターでシートを切って穴を開け新芽を地上に出すのです。5月の終わりに来年度のふるさと体験塾の開講が予定されていて、その折ジャガイモ堀りとサツマイモ植えを同時にやるのです。

 1年の巡りは早く、間もなく草木が芽を吹く待ち遠しい春を迎えます。6年生は卒業してジュニアリーダーとなり、新しい1年生が入ってきます。今年もどんなドラマが展開されるのでしょうか。楽しみです。

  「小雪舞う 人間牧場 芋畑 たった二人で 畝立て作業」

  「馴れている 鍬の腕前 二人とも あっという間に 作業を終える」

  「日曜日 ジャガイモ植えて マルチ掛け 五月収穫 春は駆け足」

  「さあこれで 準備完了 子どもらの 歓声間近か ワクワクしつつ」

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人間牧場

〇猫に小判の展示品

 シーサイド公園の中庭にモアイ像3体とともに、一隻の丸木舟が展示されています。いずれも夕日のミュージアムを造る時、私がイメージを膨らませてアイデアを出し、モアイ像は石の産地香川県安治の若手石材グループに金がないから安くと懇願して造ってもらいました。三体のモアイ像は一番北寄りに沈む夏至の日、真西に沈む春分秋分の日、一番西寄りに沈む冬至の日をそれぞれが向いて建っている夕日の守り神です。

埃を被った親父製作の丸木舟
埃を被った親父製作の丸木舟

 丸木舟は双海町東峰遺跡から出土した3万年前の土器とともに見つかった矢じりが、大分県姫島産黒曜石であったことから、古代人がどのようにして黒曜石を運んだのか立証するため、丸木舟の建造を思いつき、実際に瀬戸内海を航海したものです。今ではダッシュ島として有名になっている由利島まで航海した後、国立大洲青少年交流の家に展示していたものをシーサイド公園まで持ち帰り、親父に頼んで屋根を付け屋外に展示しているのです。

 その時親父に頼んで2隻の丸木舟模型を作りました。一隻はわが家の海の資料館海舟館に展示していますが、もう一隻は夕日のミュージアムの中に展示していました。その後展示を終えた模型は倉庫の片隅に埃を被って忘れ去られようとしていますが、親父に懇願して作ってもらったものだけに、何とか保存したいと思い関係者に打診したところ、元々個人の持ち物の借与だし、何の未練もないようなので引き取ることにしました。

 昨日はシーサイド公園で外国人との懇談があって出かけた折、倉庫に入って少し重い展示ケースごと引き出しました。埃を被っていましたが埃を雑巾で拭くと、まだ何とか展示に耐えれるようなので、近々知人友人数人にお願して、トラックで持ち出し移動しようと思っています。こうした古い展示品も興味のない人にとっては、「猫に小判」といったところです。まあ一時代が終ったと思えば腹も立たず、親父の亡くなった明くる年に里帰りする訳ですから、むしろ喜ぶべき出来事とポジティブに捕らえています。

  「一時代 終った感の 展示品 親父の遺品 思えば思える」

  「展示品 遺跡出土の 矢じりなど 大分姫島 黒曜ロマン」

  「展示品 埃拭えば まだまだと 言ってるようだ 近々移動」

  「展示品 心なければ 猫小判 ただのガラクタ ゴキブリさえも」  

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人間牧場

〇0.01%の積み重ね論理

 歳をとると一年の巡りが早く、しかも日々が何となく過ぎ去るような気がします。そんな胸の内を妻に打ち明けると、「あなたはもう十分働いたので、少しスピードを落として、ゆっくり過ごしたら」と言われ、その度に「ああこのままでいいのか」と思う反面、元気で活躍している同年代の人を見ると、「このままでは駄目だ」という焦燥感も頭を持ち上げ、複雑な気持ちになるのです。

 もう思っても大それたことなど出来ないこの歳ですから、せめて少しだけでも上や前を向いて歩こうと、0,01%の実践を心がけています。1%にも満たない0.01%など取るに足らない数字ですが、これを一年間毎日続けると3.65%も自分の人生が豊かになるのです。ゼロ金利どころかマイナス金利の時代に3.65%の配当は、国債購入配当より高い利率なのですから、これはもう胸を張れる数字なのです。

 さて私の0.01%なるものには一体何があるのでしょう。まず朝4時の起床です。これは私が漁師をしていた頃の習慣が今に続いているもので、早起きは三文の得を地で行っています。毎朝6時に起床する妻とは朝だけでも2時間の開きがあり、これが私の毎日の原動力となっています。朝早く起きるだけならどおってことはありませんが、この2時間にブログを書いたり読書をしたりして過ごすので、書いた記事、読んだ本は0.01%どころか、とてつもない成果を得ているのです。

 私が最近推奨している1・10・100・1000・10000・10万・百万・一千万・一億という実践も、0.01%の成果になりつつあります。この数字の説明は何度かこのブログで説明しているので書きませんが、0.01%の積み重ねの継続は大きな力になりつつあります。利子には単利と複利がありますが、0.01%の積み重ねは複利といったところでしょうか。文系な人はどちらかというと理系が苦手で、数字で説明できないものが沢山ありますが、0.01%の論理は人生の成功論理でもあるようです。

  「1よりも 低い0.01 目標に 誰でもできる 誰でもできぬ」

  「0.01 今では金利 より高い 胸張り実践 習慣にする」

  「小さいが 複利計算 できるよう 0.01 大きな成果」

  「何となく 自分の生きがい 見つけたり 残りの人生 少し輝く」

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人間牧場

◯天草ゼリーを作る

 「おばあちゃんが作るもので一番美味しいものは何?」と孫たちに尋ねたら、「天草ゼリー」と返ってきました。天草ゼリーは普通冷蔵庫で冷やして食べる夏の食べ物ですが、年中冷菓を食べる孫たちは冬でも天草ゼリーが大好きなのです。妻は孫たちのリクエストに応え、昨日の夕食後早速思いつき、大きな鍋に天草を適量入れて作り始めました。

IMG_20160213_202825IMG_20160213_202858IMG_20160213_203722 天草は独特の海藻の匂いがするので、孫たちも「あっ、おばあちゃんが天草ゼリーを作っている」と、私たちの台所に集まってその様子を偵察です。天草ゼリー作りは熱湯で危ないため、孫たちを居間に移し、木綿袋で絞る所だけ私も協力し、テーブルの上にアルミ製タッパーを4つ並べ、みかんやパインの缶詰果物を入れたタッパーに、天草液とみかんジュースを混ぜて沸かした液を均等に流し込みました。

 これでokです。後は冷めて固まるのを待つだけです。午後9時頃に作業を終えましたが、今朝は妻が昨晩のうちにちゃんと片付けや処理をしていて、今日の昼食後のデザートに出される予定です。私も天草ゼリーは大好きなので、初夏の頃海に出て天草を採り、晒してたくさん保存しているので、楽しみです。

 「孫たちが リクエストした 天草を 使ってゼリー 作る楽しみ」

 「爺と婆 食事を終えて ガサゴソと 天草ゼリー 手間暇かけて」

 「天草を 沸かして溶かし 流し込む 慣れた手つきで 一丁上り」

 「天草を 使ったゼリー 完璧な 仕上がり満足 孫たち満足」

 

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