人間牧場

〇鳥取県から視察団

 私の親友に鳥取県に住む藤原一輝さんがいます。藤原さんとは鳥取で開かれた地域づくりの研修会で知り合いましたが、男の私が憧れるほどダンディな風貌なので、さぞかし女性にもてるだろう(失礼)と思いながら、交遊を続けています。彼は紅茶に精通しているようで、いつかその手ほどきを受けて、人間牧場に自生している藪茶でもできるという、本格的な紅茶作りをしてみたいと思っています。

DSCN2903 さて前置きが長くなりましたが、昨日はその藤原さんに連れられて西日本最高峰の鳥取県大山の麓にある江府町から「小さな拠点視察団」が人間牧場へやって来ました、一行は9人ほどの小さな視察団で昨日の午後1時30分に、道の駅ふたみシーサイドで待ち合わせて、マイクロバスに乗せてもらい、途中閏住の菜の花畑、JR下灘駅を見学しながら、山道を縫うように人間牧場へ向いました。

DSCN2904 昨日は春霞で自慢の遠望は利きませんでしたが、暑くもなく寒くもない穏やかな春の天気に恵まれ、水平線の家の観音開きのサッシ戸を全開し座布団に座って、少しの間私の想いを話させてもらいました。一行は中山間地域の人らしく、穏やかで熱心に私の話を聞いてくれました。メンバーの中には役場の職員と地域おこし協力隊の隊員もいて、質問もそれなりに突っ込んで来ました。

DSCN2905 双海町での滞在時間は僅か2時間半ほどでしたが、前日出発し高知県四万十町~道の駅とおわ~八幡浜道の駅みなっと~内子道の駅からりを経て、双海町は最後の訪問地で、高速道路を走って江府町へ帰るという急ぎの旅だったので、16時に道の駅ふたみで一行とお別れしました。藤原さんには昨年鳥取へ招かれ、今年は愛媛へと交遊が続いていますが、またの出会いが楽しみです。

  「鳥取の 江府町から 視察団 人間牧場 ひとり案内」

  「中山間 地域に住んでる 真面目人 どこか通じる あったか人々」

  「親友が 取り持つ縁で やって来る 視察の人と 名刺交換」

  「牧場は スモモの花が 満開で 今が一番 気候的には」

DSCN2906

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shin−1さんの日記

◯人事異動の季節

 3月も20日を過ぎると、県内のあちこちでは人事異動の内示が発表され、その殆どは内示と言いながら新聞紙上に公表されるのです。私のようにリタイアして10年も経つと、知人もだんだん減り昇進昇格よりも、どちらかというと退職者の欄に目が行き、「あああの人も退職か」と、サンデー毎日の仲間が増えることを内心喜んでいますが、60歳で定年退職しても今頃は直ぐに年金が出ないので、再任用や再就職をしなければ、現職当時のような豊かな暮らしはできないため、私のように即自由人として、社会活動やボランティア活動をする余裕などない人が多いようです。

 人事異動の原案を役場で何度か作ったことのある経験からすれば、順次決済修正が加えられるにせよ、一担当者の思いつきから始まる人事異動は、その性格から秘密のベールに覆われていて、内示で自分の異動を知った時の驚きは、想像以上だと自分の過去を振り返りながら懐かしんでいます。

 同じ庁舎内の異動なら机が変わったり、部屋が変わる程度なら簡単ですが、広域的に動くとなると、家族を巻き込んでそれはもう大変で、人生をも変化させることになるのですから、笑い話では済まされないのです。意にそぐわない傷心の異動もあれば昇進昇格といった異動もあり悲喜こもごもですが、異論があっても従うしかないのもまた異動の辛さです。まあ割り切って強く生きて欲しいと願っています。

 余談ですが、この春退職された皆さん、長い間ご苦労様でした。退職時の役職に応じて再就職先が用意されたり、再雇用もされないまま、社会の荒波に船出しなければならない人など様々ですが、これまでがこれからを決めるのではなく、これからがこれまでを決めるということをくれぐれもお忘れなきようお励みください。

 「3月は 異動の季節 新聞に 毎日名前 メガネ必要」

 「昇進や 昇格示す ◯印 中にはそっと 退職の欄」

 「退職後 今は年金 出ぬゆえに 給料減らされ 任地赴く」

 「再雇用 されず寂しく 去る人も いるということ 忘れぬように」

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人間牧場

〇スランプとブログ病

 毎日ブログを書いて10年になります。私のブログは日々の暮らしがテーマなので、雑学・たわごとの域を脱しません。ゆえに毎日の暮らしの中で起こったこと、思ったことを自分流に平易な気持ちで「記録」として書くので、「よく毎日書くことがあるなあ」と仲間内から感嘆とも呆れとも取れる言葉をかけられますが、当の本人は「続ける事」にこそ意味があると思いながら書いています。

今朝もパソコンの前に座ってブログを書いています
今朝もパソコンの前に座ってブログを書いています

 しかし凡人ゆえの悲しさで、時々「これでいいのだろうか?」とか、「今日は何を書こうか?」と迷うこともしばしばで、ああこれを「スランプ」というのだろうか?」と、筆ならぬキーボードを打つ手先と思考がバラバラになり悩むことがあるのです。それでもこの習慣は続けることに意味があり、「修業」だと思って多少無理をしてでも書いていますが、それは一種のブログ病だと息子に言われてしまいました。

 私は毎朝4時に起床して、約2時間で2本のブログを書き上げます。1日2時間×365日として単純計算すると、ブログを書くのに1年に730時間費やした計算になります。これも単純計算ですが、1日24時間で730時間を割ると30日となるのです。電卓を叩きながらその時間の多さに驚きますが、この時間妻は夢の世界なのです。妻と私の夫婦でさえ時間の使い方がこうも違うものなのかと時々思いますが、このブログ書きに要した時間を見る限りは息子が言う「ブログ病」は当たらずも遠からじといったところです。

 さすがに初老のこの歳になると物覚えが悪く、記録したことすら思い出せません。ゆえに余計記録しないと記憶として残らないのです。日々を記録することは悪いことではありません。今まで程ではなく少し量を減らしてでもこれからも、「shin-1さんの日記」というブログだけは書こうと思っています。最近は書いたブログが、facebookに自動的にアップされるようになり、沢山の方々とコメントのやり取りができるようになりました。また新たな楽しみができました。

  「ブログ病 息子に言われ ハッとする どこの病院 かかればいいか」

  「一日に 2時間書くが この時間 集計すると 30日も」

  「脳内の 記憶装置は 傷んだが 記録で補い 今を生きてる」

  「スランプと 思えるような 日々ありて 何を書こうか 正直悩む」

 

 

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人間牧場

〇休みたいけど休めない妻

 連休もやっと終わりに近づいて来ました。今年の3月連休は昨年7月に亡くなった親父の新彼岸のため、親類縁者が仏壇を拝みにやって来るので、誰かは家にいるよう気を配らなければならず、結局は妻が家にいて来客対応をしてくれましたが、妻は彼岸の入りから彼岸明けまでの一週間、毎朝お料具膳を作る仕事もあって、気の抜けない連休となりました。

 加えて新彼岸ということを口実に、娘家族も泊り込みでやって来たので、その食事の世話や寝具の準備など、傍で見ているだけでも目の回るような忙しさです。昨日は妻の手を少しでも休めようと、お昼に町内の魚吉というレストランに、家族みんなが出かけて妻の財布で昼食を食べたようでしたが、私はあいにくまちづくり学校双海人の摘み菜行事に参加して留守でした。

 妻は私より一つ歳下の70歳ですが、旦那である私の甲斐性がないからか、未だに近所の歯科医院へパートで働きに出ています。ゆえに土曜日の午後と日曜日、祭日は家の細々もせねばならず、休むべき日なのですが、それも出来ず結局は休みたくても休むことなく、明日はまた朝から仕事に赴くのです。女・妻・嫁・母・姑・職業人と手の指でも数え切れない八面六臂の大活躍なのです。

 もうそろそろ無理の出来ない年齢に到達しているので、近々子どもたちにそのことを話し、少しでも妻が楽できるようにしたいと思っています。多分この話を切り出すと、「お母さんに一番苦労をかけているのはお父さんだから、もう少し優しく・・・」何て言葉が返ってくるようです。そのとおりなので少し心を入れ替えて、亭主関白だけは辞めようと殊勝にも思った連休最後の夜でした。

  「三連休 本当は妻を 休ませて やりたいけれど 結局できぬ」

  「三連休 彼岸重なり 目の回る ような毎日 やっと終わりぬ」

  「お父さん あんたが一番 手が掛る 言われ納得 するだけましだ」

  「明日から いや今夜から 始めよう 妻の手助け その気になりて」 

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人間牧場

〇ジャガイモの芽吹き

 先月2月21日、家の横の家庭菜園に黒いビニールマルチを掛けて植えた、ジャガイモのビニールの中央が、少し持ち上がっているのが確認され始めたので、昨日は雨上がりで畑がぬかるんでいましたが、思い切って畑に入り、ハサミで持ち上がった場所を手で触りながらビニールを切って穴を開けると、ジャガイモの新芽が出てきました。

マルチの穴から地上に出たジャガイモの新芽
マルチの穴から地上に出たジャガイモの新芽
一畝は全て出揃いました
一畝は全て出揃いました

 三寒四温でまだまだ朝晩は少し肌寒く感じますが、土の中では早くも春本番で、ジャガイモの新芽が日増しに大きくなって、春の訪れを告げているようです。今年は北海道の友人から送ってもらった食用のジャガイモを、半分だけ食べずに残し種芋にしたものと、キタアカリ、男爵という3種類の品種を約10キロ植えましたが、昨日ビールを切ったのは北海道から貰った種芋です。

 残りはまだ膨らみが少ないようなので、時期を見計らって日中の気温上昇で、蒸れて新芽が痛まないよう気をつけながら、ビニール切りをしたいと思っています。地上に顔を出したジャガイモの新芽はこれから伸びるにしたがって、新芽の元気なものを2~3茎だけ残し、後は芽欠きをする予定です。この作業を怠るとジャガイモの数は多いものの大きなジャガイモが期待できないのです。

 これまでは一畝に二列ずつ植えていましたが、今年はより大きなジャガイモを作るために、一畝に一列ずつ植えました。まだまだ私の百姓も素人ゆえ試行錯誤の段階です。さて上手く行くかどうか楽しみです。今日は雲ひとつない上天気なので、水が引いたら畑に入り、昨日水口農園から妻がいただいて帰ったキャベツやブロッコリーの苗を、植える準備をしたいと思っています。

 「春が来た マルチビニール 押上げて 地上顔出す ジャガイモ新芽」

 「地中では 早くも春の 営みが 私も負けず 元気働く」

  「朝晩の 楽しみ増えて 忙しい 脇芽を欠いて 見よう見真似で」

  「やることが いっぱいあって 生きている ことを実感 毎日楽し」

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人間牧場

〇新彼岸

 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、この2~3日はすっかり暖かくなり、いよいよ春本番といったところです。2日前春の彼岸に入りましたが、わが家では昨年の7月に亡くなった親父の新彼岸のため、居間へ移動式祭壇を出して親父の位牌や遺影を飾りました。彼岸の入りから一週間は妻が毎朝お料具膳を作って供えなければならず、仕事に出かける前寸暇を惜しんで忙しそうに振る舞っています。これも長男の嫁の大切な仕事なのです。

今朝のお料具膳
今朝のお料具膳

 新彼岸ということもあってこの2~3日親類の叔母たちが彼岸見舞いを持って、わが家へやって来ます。昨日はあいにく家族全員が留守をしていたため、不義理をしたのではないかと心配していますが、今日から3日間は妻も家にいて来客の対応をする予定です。昨日は講演先の広島県竹原市忠海で、お土産にいただいた地酒2本を、若い頃からお酒が大好きだった親父の祭壇にお供えし、在りし日の思い出話を妻とお二人でしましたが、思い出話を話すことこそ供養だと、和尚さんから聞いていたので、特に彼岸の間はしっかりと話したいと思っています。

 ところで、このところ毎朝精進料理のお料具膳を炊く時、少し余分に炊いてもらって、干ししいたけ、人参、揚げ豆腐、カボチャなどの煮物を食べていますが、これが質素ながら結構美味しく、白いご飯のおかずに最適なのです。ああこんな物を美味しく感じるような歳になったのかと、納得しながら食べています。彼岸の入りの17日から彼岸開けの23日まで、せいぜい精進料理を楽しみたいと思っています。

  「彼岸入り 妻は毎朝 料具膳 作って仏壇 供えて懇ろ」

  「料具膳 作るついでに 余分目に これが中々 バランスよくって」

  「長男の 嫁の仕事は 数多く 彼岸やお盆 次から次と」

  「亡くなった 親父今頃 どの辺り 思い出話 妻と二人で」

 

 

 

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人間牧場

◯広島県竹原市忠海ヘ

広島県竹原市忠海には忠海公民館の館長をしていた竹本英子さんが住んでいます。広島県であった私の講演会で知り合い、その後忠海公民館に講演に招かれたり、人間牧場へ仲間を連れて来られるなど、長年に渡り行ったり来たりの親しい交流を続けています。

今回もそんな深いご縁をいただき講演に招かれました。忠海へは双海〜今治〜しまなみ海道〜尾道〜三原〜国道185号線を通るルートを走りますが、昨日広島県東広島市の高速道路トンネルで大きな事故があったとニュースで報じられていて、妻からもくれぐれも気をつけて運転するよう注意をされたため、少し緊張の面持ちで運転しました。

今日は朝から春らしい暖かい雨が降って、瀬戸内も海も凪いではいるものの墨ではいたように霞んで見えるあいにくの天気です。昼前に現地に着けばいいので、高速道路を降りたら、のんびりと地道を地道に走っています。予想より早く間もなく見慣れた忠海の町に到着します。

沖合に浮かぶ大久野島ヘ向うフェリー乗り場
沖合に浮かぶ大久野島ヘ向うフェリー乗り場
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人間牧場

◯人間牧場に春が来た!!

 自宅から10キロ離れた標高130mの海を見下ろす高台にある、人間牧場に春がやって来ました。久しぶりに訪ねてみると、スモモやアジサイの芽も大きく膨らんで、今にも開きそうな感じです。早咲きの川津桜は既に柔らかい葉っぱが沢山出て、若草色の衣を着ているようでした。

 人間牧場の下の往還道に下りてみると、このところの雨でクヌギの原木に、シイタケが沢山生えていました。去年の秋から本格的に生え出したシイタケですが、お陰で春の恵みが毎日食卓を賑わせ、至福の時を過ごしています。間もなくツワブキも収穫して、山菜も楽しみたいと思っています。

 ただ残念なことは、リタイア後11年も経ってサンデー毎日のはずなのに、3月はあれやこれやと忙しい日々が続き、ゆっくりと人間牧場で春の移ろいを楽しむことができないのです。冬の間に割って天火乾燥している薪も片付けなければならず、少しお尻に火がついたって感じです。

 「待っていた 人間牧場 春日和 だけど毎日 覗くことさえ」

 「いい気候 背もたれ椅子に 寝転んで うとうとしたい だけどそれさえ」

 「ウグイスの 鳴き声すっかり 上手くなり 春は一気に やって来ました」

 「今でしょう 春を満喫 する時は 早くしないと もう直ぐ桜」

若草色の川津桜
若草色の川津桜

 

 

 

 

 

 

 

芽の膨らんだアジサイ
芽の膨らんだアジサイ
沢山生えたシイタケ
沢山生えたシイタケ

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人間牧場

〇今年度最後のまちづくり学校双海人

 昨晩は毎月第3火曜日に開かれる、まちづくり学校双海人の定例会の日でした。今年度最期とあってさしたる学習も予定せず、ワンコイン会費の謝恩会ということで、みんなが色々な食べ物を持ち寄り、賑やかな食談交流会となりました。私は家で妻手づくりの料理で夕食を済ませていたので、食べるに食べられず、アルコールゼロの缶ビールを一缶用意をしてもらい、皆さんの会話の輪の中には入りました。

楽しかった謝恩会
楽しかった謝恩会
袋田さんに貰った黄色い水仙を持って記念写真
袋田さんに貰った黄色い水仙を持って記念写真

 まちづくり学校双海人も3人いた地域おこし協力隊の皆さんが昨年1人、今年度で2人満期退任するようで、ちょっぴり淋しくなりますが、役員改選で浜田さんを校長に、冨田さんを教頭にそれぞれ選んで、校務員、用務員も再任され、それぞれ引き続き活動するようです。勿論私もメンバー会員として加わり、勉強を重ねたいと思いますが、今では双海町のまちづくりを牽引する重要な役割を担っているだけに、手を抜かず頑張らなければなりません。

 こうした地道な活動をボランティアで続けることは大変なことです。まちづくり学校双海人が発案し実行している軽トラ市も、3年目を迎えるようで、冨田さんはじめ運営に携わっている皆さんには頭が下がる思いです。私も参加することぐらいしか出来ませんが、万分の一でもお役に立ちたいとネジを巻き戻しました。昨日は私の席の横に間もなく退任する地域おこし協力隊の本多さんが座ってくれたので、久しぶりに積もる話をさせてもらいましたが、この町に移住を決してくれている本多さんや冨田さんたちのためにも、いい町になるようみんなで努力したいものです。

  「ひと月に 一度の例会 昨晩は ワイワイガヤガヤ 謝恩の夕べ」

  「参加する ぐらいかできぬ この身だが 枯れ木も山の 賑わいなりぬ」

  「移住して この町何とか したい人 いるのですから わしらもやらねば」

  「もう食えぬ 言いつつゼロの ビール飲む 暴飲暴食 気をつけながら」

 

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人間牧場

〇海の資料館展示のリニュアール

 4~5日前の夜、2日続けて親父の夢を見ました。何ということもなく今思い出そうとしても思い出せない他愛のないものでしたが、親父が夢に出たこともあって久しぶりに、親父自らが存命中に倉庫を改造して造った、親父の記念館ともいえる海の資料館「海舟館」に入りました。鍵を開け電気をつけて窓のカーテンを開けると、まだ寒い外の風がスーッと入って、カーテンを揺らしました。

丸木舟展示ケースでリニュアールした第二展示室
丸木舟展示ケースでリニュアールした第二展示室

 「そうだ少し掃除をしよう」と思い立ち、最近戻って来た丸木舟展示用のケースが入って手狭になった、もう一つの既存展示ケースを壊して片づけることにしました。ケースといっても何処かから貰って来たサッシ窓の廃材を利用して、起用に親父が組み立てて自作したものなので、どうしたものかと心が咎めましたが、壊さないと前に進めないので、思い切って分解しました。中には入っている「いさば」という和船帆船と、底引き網漁船、それにフォグホーンを取り出して、狭い展示室の中へメジャーで測りながら押し込み、展示し直しましたが、中々骨が折れました。

坂村眞民さんの掲額を掲げリニュアールした第一展示場
坂村眞民さんの掲額を掲げリニュアールした第一展示場

 バラした展示ケースのアルミサッシを外に出し、丸木舟展示ケースを真中に据えましたが、ケースの高さが幾分気になるものの、まあ何とか丸く収まりました。次に「海」と大書した畳半畳の掲額を、海舟館の玄関内上に飾るべく、母親に関する額縁展示を下ろして、坂村眞民さんの書いた「海」を掲げました。その昔といってもそんなに古い話ではありませんが、私がえひめ地域づくり研究会議の代表運営委員をしていた頃、「海への手紙事業」なるものを考えて活動しましたが、その折久万高原町の渡辺浩二さんが、坂村眞民さんに頼んでシンボル的に書いて貰ったものをその後いただき、臨時的に夕日のミュージアムに、丸木舟模型とともに借与していましたが、最近私の元へ返還されたものです。

 坂村眞民さんの掲額の掛った第一展示室も、丸木舟展示ケースが座った第二展示室も今までとはまったく違った趣の展示にリニュアールし、これまで親父流だった展示を、私流の親父を語る海の資料物語にすることができました。掃除機をかけて雑巾で床を丹念に拭きました。近々暖かくなったら、展示室内掃除や展示物に磨きをかけて、展示物一覧表を作り、写真に収めたり物語を執筆しようと思っています。間もなくお彼岸です。今年は親父の新彼岸なので、親父にまつわる人たちが一周忌、新盆と仏事にやって来る予定です。夢に出てきた親父の言いたかったことは、どうやら海の資料館「海舟館」のことだったのかも知れないと、勝手に思いました。

  「夢に見た 親父私に 何事か 言いたいような 思い出せずに」

  「久しぶり 家の横ある 海舟館 夢に誘われ 部屋に入りぬ」

  「一日を かけて展示を リニュアール 古いケースを 壊して外へ」

  「親父流 今度の展示 私流 近々資料 整理執筆」

 

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