人間牧場

〇東予地域婦人教育研修会での講演

 このところ連鎖反応とでも言うのでしょうか、すっかり東予づいていて、新居浜や西条などなどへ足繁く出かけています。場所も相手も年齢構成もまったく違うため、余り気にすることもないのでしょうが、インスピレーションで話す私ゆえ、動物的本能であれこれと心の引き出しから、幾つかの話を見繕って引き出して話していますが、こうも頻繁だといくら図太い私でも多少気になりますが、まあいいかと割り切っています。

DSCN3907 昨日は東予地域婦人教育研修会に招かれ、西条市丹原文化会館へ出かけました。この文化会館は丹原町が西条市と合併する以前に建てられた、900人収容の立派過ぎるほど立派な文化会館で、私も何度かこのステージに上がったことがあり、久しぶりの訪問でした。「12時ころ来て一緒に昼食を食べましょう」との案内だったので、桜三里を越え猛暑の中を、ほぼ時間どおり会場に到着しました。皆さんは既に昼食を食べている最中で、私も促されてその輪の中に入り雑談しながらお弁当をいただきました。

 その後銭太鼓や旧町音頭などのアトラクションがステージで賑やかに繰り広げられ、私も前列で見させていただきましたが、さすが婦人会と思える迫力ある演芸を堪能しました。私の出番は13時20分から90分間が予定されていて、ほぼ時間どおり「新しい発想で心豊かに生きる」をテーマにお話をさせてもらいました。マイクの性能も参加者の反応も抜群で、終始笑いの絶えない講演会となりました。

 最近どこの地域へ行っても、「婦人」という名称が古いと思われるのか、「婦人」を「女性」と変更しているようですが、この日の研修会は愛媛県連合婦人会が県教委と地教委との共催で開催しているので、久しぶりに「婦人」を冠にしていて、懐かしい感じを受けました。会場が広いので余り気付きませんでしたが、昨日は270人もの参加があり、東予地域の婦人パワーの凄さに驚き、いい余韻を引きずりながら会場を後にしました。来週には同じような南予地域の研修会での講演も予定されています。さてどんな話をすればいいのでしょう。

  「足繁く まるでゲリラと 思うほど 連日出かけ 講演活動」

  「900人 収容ステージ 身に余り 270人 まばらな感じ」

  「最近は 婦人冠 姿消し 女性に変更 同じ人でも」

  「凄かった 婦人のパワー さすがです 調子に乗って 舌好調だ!!」 

 

 

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人間牧場

〇ただ今満席

 観光列車伊予灘ものがたりでもビールトロッコ列車でもない、人間牧場の蜂の巣箱の物語です。先日コンニャク芋畑の草引きに出かけた折、コンニャク畑のすぐ上の杉の木の根っこ付近に置いている、蜜蜂の巣箱が何やら騒がしいことに気がつきました。少し近づいて観察すると、巣箱の前面に蜜蜂が群れをなしてたむろしているようでした。

ただ今満席原因分らず
ただ今満席原因分らず

 梅雨の中休みで太平洋高気圧の勢力が強くなって急に猛暑日がやって来て、巣箱の中の温度が上がったため、外に出て温度を下げているか、巣箱の中が満杯になりつつあるためなのかはよく分りませんが、とにかく凄い数の蜜蜂でした。その数に圧倒されて、巣箱の底板の掃除もせぬまま引き下がりましたが、近々この状態が続くようだと、一度完全防備して中を確認したいと思っています。

 この巣箱は高知県馬路村のおっちゃんに頼んで作り置きしたものをいただいたもので、私の持っている巣箱の中ではこれまで一度も空き家になったこともなく、また置いた場所がいいのか毎年1升瓶3本程度を採集してきた優良巣箱なのです。今年もキンリョウヘンの手助けを得ることもなく、少し遅れはしましたが知らず知らずのうちの自然入居でした。

 今年は気候のせいでしょうか分蜂が大幅に遅れて、家の裏の巣箱にはこれまでで最も遅い7月1日の分蜂が確認されています。ゆえに蜜集めが間に合わず夏を越し秋を迎えるだろうと余り期待もできないので、採蜜作業は大幅に遅らせて初秋の頃になるだろうと腹をくくっています。はてさて人間牧場の蜜蜂騒動を起こしている巣箱はどうすべきか、思案しどころといったところです。

  「牧場の 杉の根元に 置いている 巣箱今年も 入居賑やか」

  「暑いから? それとも満席? 蜂に聞く 応えてくれず どうしたものか」

  「今年は 気象のせいで 大幅に 蜜蜂分蜂 遅れに遅れ」

  「今年は 諦めかけて いたけれど それでも7つ いつの間にやら」 

 

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人間牧場

〇ブルーベリーが色づき始めました

 わが家の裏の家庭菜園の北東側は、ほぼ一直線のかなり高い石垣が長く続き、下はご近所さんの田圃です。昔は杉の防風林でしたが、それらを私が一本一本切ってその後に挿し木で増やした平戸つつじを植えました。春のゴールデンウィーク頃、これらの平戸つつじが咲く様は圧巻で、近所の人が綺麗綺麗と誉めながら通るのです。

綺麗に刈り込んだ山茶花の生垣
綺麗に刈り込んだ山茶花の生垣
実をたわわにつけたブルーベリー
実をたわわにつけたブルーベリー

 親父の隠居の窓下に小さな猫の額ほどの畑があります。かつてはキウイの棚があった所に大きな植木鉢に植えたブルーベリーを置いていましたが、私の仕事が忙しく夏の水やリが滞ってしまうので、思い切って鉢から抜いて露地植えにしました。ご承知の通りブルーベリーは強酸性の土地を好むため露地栽培は難しいとされている植物で、案の定適地適作条件に合わなかったため、2~3本枯れましたが、それでも生き延びたブルーベリーが居場所を得て何とか持ち堪え新梢を伸ばしています。

収穫した熟したブルーベリー
収穫した熟したブルーベリー

 昨日はブルーベリーを植えている横に山茶花の生垣が伸び放題で見苦しくも暑苦しくなっているので、思い切って剪定をすることにしました。脚立に登って芯枝を大型の剪定ハサミで切ったり、外内に飛び出した枝を鋸で思い切って切り落とし、菜園横の焼却場まで汗だくで運びました。すっかり明るくなったブルーベリーの木には、今年も沢山の実がついていて、中には黒く熟している実も沢山ありました。早速台所からホーロー容器を持ち出して収穫しました。

 ブルーベリーはアントシアニンが豊富で目に良いそうなので、収穫したブルーベリーを妻に渡すと大層喜んで、早速冷蔵庫に入れて冷やしていたようです。人間牧場にも玉川の友人から貰った苗を植えていますが、野鳥の格好の餌になっているようで、特にカワセミによく似た鳥が、人の目を盗んで狙っているようです。網を被せて餌食になるのを防ぐよう用意をしていますが、スイカやトウモロコシ、トマトの餌食防止の方に気と手が向いて、その暇がありません。孫たちも最近ブルーベリーが熟れたのを目敏く見つけ、摘んで食べているようです。

  「鉢植えの ブルーベリーを 露地植えに 適地適作 目指しているが」

  「山茶花の 生垣剪定 したお蔭 すっかり綺麗 ブルーベリー摘む」

  「カワセミに 似た鳥人目 忍んでは 虎視眈々と 熟した実狙う」

  「ブルーベリー アントシアニン あるそうな 目にいいからと 妻は信じて」

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人間牧場

〇アジサイの花摘み

 人間牧場のウッドデッキ下の斜面に、アジサイの花を植え始めて三年目になりました。ご近所からいただいたアジサイの枝を、発泡スチロールのトロ箱に鹿沼土を入れて挿し木して増やす計画ですから、なんとも気の長~い話です。それでも挿し木は順調に根と芽を伸ばし、移植後も草刈機で草刈りの途中で切ってしまうハプニングもありましたが、まあそれなりに育ち、今年は見事な花を咲かせ、訪れた人の目を楽しませてくれました。

摘み落とし斜面に捨てたアジサイの花
摘み落とし斜面に捨てたアジサイの花
全ての花殻を落としたアジサイ園
全ての花殻を落としたアジサイ園

アジサイの特徴は夏の花ながら咲き始めてから約1ヶ月間も、長~く花を楽しむことができるのです。特に雨に濡れたアジサイの花は趣があり、雨で沈みがちな心を癒してくれるのです。本当はもう少し花を楽しめばいいのでしょうが、アジサイのことを思い、来年のことを思うと、少しでも早く花を摘み取るのが一番と自分自身に聞いていたので、昨日思い切って花摘み剪定をすることにしました。

 剪定バサミで花首を切り落とす作業は、少し可哀想にも思いましたが、一つも残さず全て切り落としました。切った花殻はキャリーに詰め込んでロケ風呂横の空き地に運び処分しました。かなりの量の花殻なので捨てた斜面はまるで花のジュータンのようでした。本当は花を切り落とした後花木を剪定もすればいいのでしょうが、まだもう少し木を大きくしようと思っているので、とりあえずこれで一件落着です。

 花を切り落としたアジサイ木は殺風景ですが、アジサイの木を「よく咲いてくれた」と誉めてやり、「来年もきれいに咲かせて」と願いつつ、お礼肥をたっぷりやりました。草刈り作業の面積を少しでも少なくしようと、単純な気持ちで始めたアジサイ植栽計画でしたが、目論みは大きく外れ、草刈り作業はかえって面倒くさくなりました。それでも人間牧場は約1ヶ月間アジサイの花が一面に咲いて、訪れた人の目を楽しませてくれています。今年も20本ほど挿し木して根付いた苗を移植する予定です。

  「一ヶ月 アジサイの花 見事咲き 訪れる人 綺麗と誉める」

  「挿し木して 増やす計画 息長い いつまで生きる? 自問自答し」

  「花殻を 首から落とし キャリー入れ 斜面に捨てる まるでジュータン」

  「お礼肥 ご苦労さんと 又咲いて 願いを込めて 根元振り撒く」

 

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人間牧場

〇舞たうん129号が届きました

 昨日外出先から帰って書斎に入ってみると、少し重たい封書が机の上に置かれていました。いつも見慣れた宅配郵便の封を切ると、真新しい印刷インクの匂いとともに、129号の舞たうんが出てきました。ゲラ刷りの時表紙をチラッと見ていたので驚きはしませんでしたが、今季号の表紙絵は鬼北町の道の駅森の三角ぼうしに設置している真っ赤な鬼の像で、柳原あや子さんの迫力ある筆使いに感心しました。

 今季号の特集テーマは「南予の魅力とその情報発信力」です。3月26日から11月20日まで、南予一円で繰り広げられている南予博がテーマのようで、南予系中予の伊予市も加わっているようです。既に連載ナンバーが36になった私の特選ブログshin-1さんの日記も、拙文で恥ずかしながら22~23ページに掲載されていました。連載記事を書き始めて早くも9年が過ぎたようですが、筆は一向に上達しないようです。

 私が今回取り上げたテーマは「南予博十連ポスターの波紋」です。会議で宇和島地方局に立ち寄った折、佐伯局長さんにいただいた十連ポスターは、わが人間牧場の板壁に所狭しと張っていましたが、欲しいという県外組来訪者に有無を言う間もなく持ち逃げされて既にありませんが、私も十連ポスターを使ってささやかながら南予博への誘客にいささかの貢献をすることができました。これを機会にもう少し売り込もうと思っています。

   「舞たうん 雑誌連載 早9年 書きも書いたり あれやこれやと」

  「よくもまあ 書くことあるねと 妻が言う 書いた本人 同じ思いで」

  「人の記事 読んで自分の 浅はかさ しみじみ思い 恥もかきます」

  「書く喋る 実践するを 肝命じ これも修行と 思って挑戦」

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〇わが家ではトマト三昧の日々

 今年もわが家に夏がやって来ました。夏といえばトマトやスイカを連想します。スイカは長雨の影響で花は咲いても実が止まらず、収穫はまだまだ先のことながら、多少落胆していますが、トマトは春先家庭菜園内に造ったビニールハウスのお陰で露地物が出回る前から、木なり完熟トマトを食べ始め、露地物が収穫できるようになった今は、両方のトマトが競うように熟れて、毎日まるで主食のようにこれでもかというほどトマトを食べています。

収穫したハウス育ちの中玉アイコ
収穫したハウス育ちの中玉アイコ
今朝も美味しくトマトジュースを飲みました
今朝も美味しくトマトジュースを飲みました

 妻はどこで聞いてきたのか、私も含めた男性高齢者の前立腺肥大にトマトがいいらしいという話を信じ、やたらとトマトを使った料理を食べさせてくれています。元々トマトが大好物な私ですから、嬉しいには違いありませんが、大きな声では言えないまでもさすがに少々?といった感じも拭えません。聞く所によると売っている市販のトマトは少し色が来ると青いままで収穫、流通過程で追熟させて消費者に届くようにしているらしく、あまり美味しくないのは当然らしいのですが、わが家はまさに樹上完熟なので、トマト特有の匂いも甘さや香りも満点で、「美味しい」ことを実感しています。

 トマトには色々な種類があって、わが家でも大玉桃太郎、中玉アイコ、小玉ロケット、小玉チェリーなど4種類の苗を植えていますが、品種それぞれの趣があって、皮の厚くて固いロケットはジューサーで皮ごとスムージーやジュースにして飲んでいます。今ではわが家の夏の飲み物第一位の人気ぶりです。私が子どもの頃は冷蔵庫もなく、母親が畑から持ち帰ったトマトを水洗いしてタライ桶に入れ、流しっぱなし冷や水で冷やしてかぶりついていました。冷えたトマトに少し塩を振りかけて食べると、トマトの甘味が口いっぱいに広がり、涼や幸せを感じたものでした。

 今朝、ビニールハウスに水遣りに入った折、真っ赤に熟れたアイコを4個収穫し、若嫁に手渡してやりました。若嫁は早速息子や孫たちの食卓に出したようですが、息子も孫もトマトは大好物でよく食べてくれます。野菜を作る者にとって、家族の「美味しい~」という言葉はたまらなく嬉しい反応です。今朝もトマトを食べている孫たちが、「トマト大好き、美味しい」と言ってくれました。

  「梅雨だけど トマト沢山 収穫し 朝昼晩と 三昧の日々」

  「ロケットは トマトジュースに して飲んで 大玉中玉 そのまま食べる」

  「前立腺 トマトがいいと 聞いて来た 妻はせっせと 私のために」

  「『美味しい』の 一言嬉しく なりにけり 今日もせっせと 菜園作業」 

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〇松山五行歌6月歌会報告

 昨日松山五行歌代表の見山あつこさんから、毎月1回届く6月歌会の報告が届きました。届いた封書は配達の途中で雨に濡れたのでしょうか、表書きの住所と私の名前を書いたインクがかなり滲んでいました。早速封を切り出席歌、欠席歌の順で目を通しました。勿論いつも歌会に欠席、いつも駄作しか作れない私の歌は、欠席歌の11番目にありました。

  真っ赤な夕日
  海の上に
  金色の道
  いつか誰かと
  歩いてみたい

 講評の欄に次のように書かれていました。
  『☆あるある!、見たことあります。こんな光景。海に面した四国ならではの特典  ではないでしょうか。「夕方など予讃線の電車に乗っていると、海岸沿いでこんな光景によく出会います。」「誰かと歩いてみたいというワクワク感が伝わってきてたまりません。」「黄金の道の先に何がるのか想像すると楽しいですね。」「沈む夕日がたちどまる町」といわれる遺書氏双海町。その町おこし人の作者です。夕日とは切っても切り離せない関係なんですね。』

 ちなみに出席歌一席は「まあこ」さんの次の歌でした。 
  仕合せだった
  頃の
  思い出が
  生きる力と
  なっている

 ちなみに欠席歌の一席は久我正明さんの次の歌でした。
  あめんぼう
  泳いでいるつもり
  走っているつもり
  いえいえ
  飛んでいるつもり

  「五行歌の 歌会報告 雨に塗れ 名前と住所 滲んで届く」

  「わが歌は いつも駄作の レッテルを それでも講評 丁寧誉めて」

  「上手いなあ 人の歌読み 感心し ヒント得たような 感じになりぬ」

  「締め切りが 近づきました 添え書きに 書いて警告 お忘れなきよう」 

 

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人間牧場

〇大雨で広島県尾道での講演会中止

 前日の夜、広島県尾道市役所から電話が入り、「雨が強く降りそうで、水防本部が設置されたり避難所が開設された場合は、予定している講演会を中止せざるを得ないので、そのつもりでいて下さい」とのことでした。昨日の朝になって「今のところ雨は降っているが夕方には小康状態のようなので、講演会は予定通りやります」との連絡を受け、身の回りの細々をしながら準備をしていると、担当者から再び電話が入り「水防本部や避難所が設置されたので、講演会は中止することになりました」とのことでした。

 こればかりはどうしようもないことなので、昨日一日はぽっかり空いた時間を有効に生かすべく、書斎にこもり締め切りの迫っている原稿書きを始めました。原稿用紙10枚程度の少し長めの原稿なので、いつもやるように4~5本柱立てをして、とりあえず2~3枚程度ずつ書き進めました。尾道の中止決定が正解だと納得し、降る雨を窓越しに眺めながらパソコンに向って集中した結果、まあそれなりですが、夕方までにかなりの部分の荒書きを終えることができました。

 実は今日も最初ラジオ番組の出演が予定されていましたが、これも向こうさんの都合で急遽中止になり、今日も人に会う予定キャンセルで、スキルダウンといった感じです。私は妻から「まるでマグロのような人間」だと言われています。つまり動き回ると元気が出て、休むと元気を失うようなのです。マグロは生まれてから死ぬまで動きを止めることなく泳ぎますから、的を得た表現だと納得し、「マグロ類似人間」にして「マルチ人間」を目指して生きています。原稿書きは体は使いませんが、能力に乏しい私は脳をかなり使います。

 降って湧いた色々な雨による中止のお陰で、晴耕雨読ならぬ晴耕雨書になりました。しかし午後3時頃、大雨警報が出たというので小学生の孫2人が少し早めに学校から先生に連れられて帰って来て、家の中が急に蜂の巣をつついたように賑やかになり、原稿書きどころの騒ぎではなくなりました。まあこれも雨の日の恵みでしょうか。今日も天気予報は午前中雨、午後曇りのようなので、畑にも出れず雨書を行い、原稿を書き上げたいと思っています。そうそう最近孫が植木鉢皿5個をウッドデッキに並べてせっせと雨水を集めています。どうやら集めた雨水を世話している朝顔にやるとよく育つという話を何処かから聞いてきたようで、雀の涙ほどのほほえましくも温かい施しに、目を細めめながら見ています。

  「大雨で 講演会が 中止だと 電話連絡 二転三転」

  「今日予定 ラジオ番組 出演も 相手の都合 中止連絡」

  「雨降って 晴耕雨読 出来ぬゆえ 晴耕雨書で お茶を濁して」

  「降る雨を 窓越し眺め パソコンで 少し長めの 原稿を書く」

 

 

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〇街路灯の点滅

 私が役場に在職してまちづくりを担当していた頃、町内の小学生や中学生に「明るいまちづくり」について作文募集をしたことがありました。応募のあった中に「明るいまちづくりをするには町内に電気をいっぱいつけたらいいと思います」というのが何件かあり、審査会で子どもの単純にして明快な発想に大笑いをしましたが、実はこれがきっかけとなって、町内が暗いことに気付き街路灯の設置が進んだのです。

点滅し始めた家の入口付近の街路灯
点滅し始めた家の入口付近の街路灯

 私の住んでいる双海町はド田舎ほどではありませんが田舎を自認しています。ゆえに夜になると街がかった所は別ですが、端々の集落に行くと街路灯も殆どなく、暗くて懐中電灯無しでは歩けないのです。都会からお嫁に来た人が最初に驚くのは屋外の暗さで、嫁いで来た不安を更に倍化させたとわが妻も、当時を振り返って述懐していますが、結婚して45年も経つとそれが当たり前になって、夜道でも平気で歩くのですから不思議といえば不思議です。

 数日前から家の敷地に入る前に立てられている街路灯の水銀灯が、賞味期限が切れたのかまるでネオンサインのように、一晩中点いたり消えたりを繰り返すようになりました。この街路灯は灘町区が電気代を払って管理しているので、電球が切れると組長さんを通じて区長さんに連絡し取り替えてもらうようになっています。私も区長をしていた頃何度かその連絡を受け、その都度電気屋さんにお願して取り替えてもらった経験をしているので、あいにく組長さんが不在だったので、直接区長さんに電話で頼みました。

 2~3日中に電球を交換するとのことでしたが、正直なところ街路灯が点滅するまで余り街路灯の明るさの存在に気がつきませんでした。私たちの暮らしはそのようにあるものが当たり前に思うのでしょうか、有難く感じないようです。空気も水も電気も、食べているご飯もそれを作ってくれる妻の存在さえも当たり前といった感じです。街路灯の電気がどんな経路を辿ってここまで届けられ、私たちに明るさの恩恵をもたらしているのかなどは知るよしもないのです。そんな中伊方原子力発電所がいよいよ発電再会するようで、折りしも参議院議員選挙が告示され、原子力の是非が議論になっています。さて私の意見は・・・・。

  「街路灯 2~3日前から 点滅し 賞味期限が きたこと知らせ」   

  「小学生 明るい町を 作るには 街灯沢山 凄いアイディア」

  「田舎ゆえ 夜は暗くて 歩けない 平気で歩き 時たまこける」

  「この町に 嫁いだ頃は 暗いこと 言ってた妻も いつの間に馴れ」

  

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〇どっちがどっちなの?

 一昨日、市民が主役のまちづくりを考える「地域力パワーアップ大会」が松山市文京町の松山大学カルフールホールでありました。今回で第2回目を迎える大会ですが、私も松山市のまちづくりアドバイザーとして参加しました。今年のテーマは「~若者の力で地域をおこす~」でした。野志市長さんのあいさつに続いてオープニングでは「まちづくり10年の歩み」が紹介され、まちづくり協議会が19地区、準備会が2地区に増えたことも紹介されました。

地域力パワーアップ大会の様子を知らせる新聞記事
地域力パワーアップ大会の様子を知らせる新聞記事

 第一部は、①堀江地区から「子どもにだってできるまちづくりはある」、②清水地区から「学生が地域と関わる」、③NPO法人松山大学学生地域創造研究所MESEから「六つの志~夢を追いかける私たち」というテーマで事例発表がありました。休憩を挟んだ第二部は、発表者と私を含めた3人のアドバイザーが壇上に上がって議論をしましたが、まちづくりにおける若者の力の捉え方と活動に多少戸惑いを感じました。松山を含めた日本全国のまちづくりの現場で、若者の顔が殆ど見えない現状を思うと、松山のように大学や専門学校があり沢山の学生が暮らしているのですから、このヤングパワーをまちづくりに生かせないものかと思うのは当然ののことです。

 若者も少数ではあっても何とかお役に立ちたいと、まちづくり的な活動をしてはいますが、それらの殆どは若者だけの活動で、地域のコミュニティーに根ざした活動には程遠いようです。私たちが若者に本当にやって欲しいのは、地域住民の輪の中に入り、地域とともに地域を興すことなのです。若者から言わせれば地域には「手つなぎの鎖のような封建的な古いしがらみ」があって、若者が入るのを拒んでいるように見えます。一方地域の住民も「今の若者は」の言葉に代表されるような若者に危険レッテルを貼っているようにも思え、こうしたボタンの掛け違いが両方の間に深い溝を作っているようです。

 「若者がいないから歳をとっても頑張るしかない」と思っている人たちがリードせざるを得ない地域と、「歳をとった人がいつまで経っても中心になるから若者が主役になれない」と思っている若者の意見は、どっちがどっち?、どっちもどっちです。さて皆さんはどう思うでしょうか。宗教学者で夕焼け京都塾塾頭の山折哲雄(元日本国際文化センター所長)さんは、「若い世代に既得権益を譲れる心構え」を説いていますが、私もある意味同感です。しかし若者がふるさと意識を持たず、まちづくりに興味を示さないのも事実です。地域が若者の力を求めてもどこに若者がいるのか、またどこへ言えばいいのか分らない現状もあります。悪く言えば仲を取り持って介在する口入れ屋的存在が不在のようです。

  「まちづくり 若者不在 このままじゃ 勿体ないと 思うけれども」

  「若者の 言い分聞いて まちづくり やろうじゃないか 心広げて」

  「古い人 一歩下がって 輪の中に 若者入れて 未来語ろう」

  「口入れ屋 あればお互い 繋げるが 今は残念 見当たりもせず」

 

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