人間牧場

〇グループの全員集会

 私が代表を務めている21世紀えひめニューフロンティアグループは、昭和56年9月に(1981年)に結成したので、もうかれこれ35年が経ちました。若かった私も間もなく72歳になりますが、メンバーもそれぞれ歳を重ねて今を迎えています。「今やれる青春」「1年1事業」「社会への揺さぶり」の三つのテーマを掲げていたものの、それら全てが危うくなりつつあるようで、そろそろ潮時かもと時々考えますが、昨年長年お世話になっている94歳の関さんと90歳の藤原さんに激励され、再起動したこともあって、少し頑張る気風が生まれています。

dscn4714dscn4715dscn4716dscn4717 そんなこともあって昨日の夕方、大野事務局長さんの事務所会議室をお借りして、久しぶりに全員集会を持ちました。全員といっても今治の仲間は参加できず、7~8人の集まりでしたが、それでも予定している世界遺産を巡る旅や、私が中心になって人間牧場でやっている、フロンティアがらみの取り組みについて報告したりしましたが、中心議題は世界遺産を巡る旅のことでした。グループではこれまで原爆ドーム、安芸の宮島、石見銀山、姫路城、飛騨高山合掌造り、屋久島、京都奈良の世界遺産、日光、熊野古道などを巡って来ましたが、今回は奥州平泉を目指しています。

 暇も金も好奇心もあるはずの年齢です。しかし全てにおいて必ずしも満足ではないようで、特に健康不安も垣間見えますが、全員の力で頑張ろうと言う話になり、一番忙しい私のスケジュールに合わせて11月10日~12日までの3日間、阪急交通社のツアーに申し込むことにしました。集会を終って帰宅し、妻にそのことを話しましたが、「もう若くはないのだから、そろそろ播く引きを提案するのもお父さんの役割かも」と助言を受けました。「あの頃みんなは若かった」と、無人等キャンプや丸木舟航海、竪穴式住居製作、フロンティア塾などに青春をたぎらせた過ぎし日々を回顧しつつ、いかんともし難い加齢というお荷物とどう向かい合って生きるのか、考えさせられる一言でした。

  「久しぶり グループ総会 皆元気 欠席会員 近況聞きつ」

  「あの頃は みんな元気で 無人島 朝まで飲んで 夢を語った」

  「10年前 世界遺産を 巡る旅 始めあちこち みんなで訪ね」

  「幕引きを 誰がするのか そりゃあなた 妻の助言を 頷きながら」

 

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人間牧場

〇舞たうん130号

 東京などで発行している雑誌類は、10月1日発行といえば大体1週間前確実本屋に届き、発売日には店頭に並んだりアウトラインは先行して告知されていますが、行政や団体が発行する雑誌類は、発行日が過ぎてもアタフタして、酷いのは一ヵ月遅れのものまであるようです。私が連載記事を書かせてもらっているえひめ地域政策研究センター発行の舞たうんという雑誌が、早々と一週間前の昨日届きました。半官公庁らしく「まだ発行日が来ていないのでそれまでは」と前置き文章が添えられていました。

 今号は「皆が力を合わせ暮らしやすいまちづくりのために」という「協働」がテーマのようです。さて私も26~27ページに「協働の地域づくり」という記事を書いています。10月1日の発行日が過ぎたら、いつものとおり舞たうんを愛読してもらっている何人かに、「読んでください」と手渡ししようと思っていますが、いつもの事ながらとりあえず妻に渡し読んでもらい批評をしてもらいました。妻は文章を書くことなどは殆どしませんが、読んだ感想を述べるくらいなことは出来るのです。「まあまあじゃね」の感想の後に、「よくもまあ毎号書くことがあるねえ」と感心しきりでした。

 皆さん、間もなく届く舞たうん10月号(130号)を読んでください。ちなみに私の記事は「特選ブログshin-1さんの日記」Vol.37です。

 

  「今号は どういう訳か 届くのが 早過ぎ多少 戸惑い隠せず」

  「まず妻に 読ませ批評は まあまあと 言われ次号に よしやる誓う」

  「何年も 書いているのに 上達も せずに執筆 甘んじなら」

  「書く・喋る 実践するを モットーに これから先も 修行修業だ」

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人間牧場

〇婚活

 昨日の夜は月に一度のまちづくり学校双海人の定例会でした。早めに夕食を済ませ会場となっている地域事務所3階のホールへ出かけました。定例会はゲストのレクチャーとワークショップがセットになっていて、今月のテーマは「婚活」でした。話題提供者は事務局の神東さんで、日ごろはおとなしいタイプの神東さんですが、この日ばかりは見違えるように饒舌で、今日まで独身を貫いている自分自身の経験を、楽しくも分り易く解説してくれました。

地域おこし協力隊のお二人
地域おこし協力隊のお二人
神東さんの意味深長な言葉
神東さんの意味深長な言葉

 その後独身である双海町地域おこし協力隊の渡部さん、鬼北町地域おこし協力隊の久保さんの婚活をテーマに、婚活イベントについてワークショップをしました。久保さんは来年の3月で3年間の任期を終える予定ですが、すでに赴任地鬼北町で就農しながら定住する構想を着々と進めていて、とても頼もしく思いました。渡部さんはまだ1年目なのでじっくりこれからといったところのようです。はてさてこの2人に今活イベントによって良きパートナーが見つかるのか、パートナーになる女性から見れば、条件的に不透明な部分が多く、二の足を踏むかも知れないと思いました。

 でも久保さんの熱意ある話を聴く限り、もし私が当事者の女性だったら、選びたくなるような力強さでした。私たちが若い頃は「家付き、カー付き、ババー抜き」などと揶揄され、長男や3K仕事従事者(きつい、汚い、金にならない)が敬遠されたりしましたが、今も多少そのような傾向は無きにしも非ずですが、現代は「本人次第」志向は強いようです。神東さんの話を素材にして4つのグループに別れワークショップをしましたが、中々面白い婚活イベントがありそうです。

 私たちのグループでは、「おせっかいおばさん・おじさん」をテーマに農家の長女に婿入りして、「花嫁・家・農地・仕事・財産・経済」を一気に獲得する作戦を思いつきました。家業を絶やしたくないものの跡継ぎがいない農家は結構あるので、おせっかいおばさんにそれらの情報を集めてもらい、例えば私がコーディネーターとなって橋渡しをするような作戦も、悪くはない話です。そのためには相手の女性に好かれるような、自分自身の自己改革も必要では・・と提案し拍手をいただきました。婚活は地域づくりの永遠のテーマなのかも知れませんね。

  「婚活を テーマの例会 盛り上がり ワイワイガヤガヤ 他人事肴」

  「若い頃 家付きカー付き ババー抜き 言われたけれど 何とか結婚」

  「幸せは 本人次第 いつの世も その点二人 合格点だ」

  「婚活は 地域づくりにゃ 永遠の テーマですから みんな頑張ろう」

 

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人間牧場

〇ミョウガの甘酢漬け

 昨日の夕方、台風の雨と風もどうにか収まりました。毎年この時期になると野生の秋ミョウガが出るので、もしやと思い、長靴を履いて裏山に分け入りました。ミョウガの茎の根元をよく見ると、ミョウガのありかを示すように、乳白色の花が沢山咲いていました。手を突っ込んで一つ一つ丁寧にもぎ取り、持っていた小さなバケツに入れましたが、10分ほどでバケツいっぱいになりました。

裏山に自生しているミョウガ収獲
裏山に自生しているミョウガ収獲

 家の裏山から湧き出ている清水の水場に持って行き、花をちぎったり水洗いをして妻に渡しました。妻は早速8リットルの漬物用広口瓶を倉庫から持って来て水洗いし、お湯を沸かして熱湯消毒した後、私が渡したミョウガをもう一度丹念に水洗いしてザルに上げ、水気を取って広口瓶に入れました。後はラッキョウを漬ける要領で、二杯酢を沸かしてミョウガの入った広口瓶に注ぎ込みました。

ミョウガの酢漬け
ミョウガの酢漬け

 これで一件落着です。余熱が取れたらしっかりと蓋を閉め、1~2日で美味しいミョウガのカリカリ漬けが出来上がるのです。色素も入れないのにミョウガの中から、ピンク色のポリフェノール色素が溶け出して、目にも鮮やかな何ともいえない色あいになります。昔から「ミョウガを食べると物忘れがひどくなる」と言われていますが、私たち夫婦の物忘れのいいのは歳のせいではなく、ミョウガのせいかもしれないと笑いながら話しました。

 酢の殺菌効果でしょうか、ミョウガの酢漬けは常温でも1ヶ月くらいは保存が効くようで、これから当分はお茶漬けの添え物として楽しみたいと思っています。歳をとるとあれやこれやの漬物類が口に合うようになりますが、健康のためには漬物類で塩分過多にならないよう注意をしなければなりません。幸いミョウガの酢漬けは塩分ゼロなので、その心配はないようです。食欲の秋です。新米の美味しい季節となりました。徳島県佐那河内村の原さんからスダチも届き、秋の味覚を満喫しています。

  「田舎ゆえ その気になれば いくらでも タダの恵みで 食卓豊か」 

  「裏山に 分け入りミョウガ 収獲し 今年も酢漬け 明日は食べれる」

  「物忘れ いいのはミョウガの 食べ過ぎと 口を揃えて 笑って食べる」

  「ピンク色 ポリフェノールの 色素出て 何とも綺麗 何とも美味い」

 

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人間牧場

〇八幡浜市日土を訪ねる(その3)

あらし山山荘
あらし山山荘
玄関先で行儀よくお客を迎える福助さんの置物
玄関先で行儀よくお客を迎える福助さんの置物

 退職をしてから松山のマンションと、八幡浜市日土の生家の二居住地を、程よく使って暮らしている親友の清水さんから、月見がてら年輪塾をやるので来ないかと誘われました。清水さんは既に他界した両親が暮らしていた生家を、最近リフォームしたようなので、興味もあって仲間とともに喜んで出かけました。日土は急峻な地形ながらみかん所で、清水さんの家はミカン畑の中に、まるでお城の石垣のようにせり出すように建っていて、折からの台風余波の南風が窓からもがり笛を立てて吹き込んで、残暑を吹飛ばしていました。

観月演奏会
観月演奏会

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 リフォーム工事で板張りフローリングをしたようですが、そこここに古民家の風情が残り、特に玄関の上がり口に、すすけた「福助」さんの置物が座布団の上に行儀よく座って、私たちに無言の教えを示していました。神様や仏様を大事にする篤農家らしい落ち着きがあり、そこここに清水さんの人徳を育んできた足跡を感じました。この日は2時間ばかり清水さんを中心に年輪塾の学びをしたあと、庭先に出て観月会が行なわれました。あいにく月は殆ど見えない曇りでしたが、集落の向うにはまるで北斗七星と見紛うほど行儀よく並んだ、人家の明かりがぼんやりと霞み、とても印象的でした。

一芸もここまでくると凄いこと
一芸もここまでくると凄いこと

 やがて清水さんと近藤さん、兵頭さんの3人がギターやバンジョウ、バイオリン、コカリナなどを使って演奏を始めました。雨ニモマケズ、KINJIRO SONG、私の子供たちへ、私に人生と言えるものがあるなら、おおスザンナ、琵琶湖就航の歌、故郷、カントリーロード、若松一家だバカボンボン、野に咲く花のようにの、計10曲を披露しました。この日のために毎週集まって練習しただけあって、見事な演奏でした。私もご指名を受け手持ちのハーモニカで即興宜しく、月の砂漠と高校三年生の二曲を披露しましたが、お恥ずかしい限りでした。3時間近くに及んだ楽しい交流会も、ぱらつき始めた小雨で水入り中締めとなり、私と松本さんはお暇して帰路につきました。

 いい仲間との語らいは楽しいものです。年輪塾の塾生は一芸に秀でていて、私のような下手糞なハーモニカで、お茶を濁す無芸な人間は、少し肩身の狭い思いがしますが、それでも次までに練習して少しでも腕を磨いておこうと、心を新たにしました。年輪塾で私が提唱する「処」ともいえる「あらし山」が、日土の山奥にできました。また一芸もそれぞれがグレードを高めつつあります。私はこの日清水さんを通じて、辻さんに頼んでいた「二宮金次郎の教え」である、「至誠・勤労・分度・推譲」という掲額を受け取り、雨に濡らさぬよう大事に持ち帰りました。中江藤樹の「五事を正す」とともに大切に使い、日々の暮らしの誡めにしたいと思っています。

  「山奥の あらし山なる 山荘に 仲間が集い 観月楽しむ」

  「処を造る 仲間の想い 凄いこと 田舎に住んでも 心は錦」

  「一芸を 披露するため 集って 練習積んで この日に備え」

  「茫漠と 過ぎ去る日々に 少しだけ 味付けすれば 悔いなく過せ」

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人間牧場

〇砂浜Tシャツ展

 17日から今日までの3日間、道の駅ふたみシーサイド公園の砂浜で、恒例のTシャツ展が開かれています。この3日間はあいにく雨が降ったり止んだりの天気でしたが、雨が小休止することもあって、かなりの人が見学に訪れていたようです。わが家でも孫2人が書いた絵をTシャツにプリントして出店しているので、家族みんなが見学に出かけたようです。私も準備の穴掘りや支柱立てにボランティアとして参加したので、松山へ出かける前に気になり、立ち寄り見学しました。

砂浜Tシャツ展
砂浜Tシャツ展

 実行委員会も実力をつけていて、ファーストフーズのお店も沢山出て、砂浜周辺も今年は昨年より出品枚数も多く、200点を越えているようで、子どものスペースは網で仕切られたり、防波堤の上に展示されたりして見応えのある展示でした。当初目指している500枚の目標にはまだまだ届きませんが、来年が楽しみです。シーサイド公園には他の道の駅にない450mもの砂浜や暖傾斜護岸等がありますが、まだまだその利用は未知数なので、みんなで知恵を出し合って盛り上げて行きたいものです。

いい作品がずらりでした
いい作品がずらりでした

 私も急ぎ足ながら全てのTシャツに画かれた写真や絵、文字を一つ一つ見て回りましたが、それぞれのTシャツに主張があって、とてもいい雰囲気でした。見学者が審査して表彰もされるようですが、孫たちも海の町に住んでいるだけあって、お魚の絵を上手に書いていました。孫たちは隣に用意された空気の入った遊び道具に夢中になったらしく、汗と雨とで泥んこになって帰り、お昼ご飯も外のウッドデッキで食べて楽しそうでした。今年私は出展しませんでした。今朝も雨が降っています、多分展示したTシャツは雨に濡れて洗濯物を干したようになっていることでしょう。まあそれもまた良しです。

「目標は 500枚だと 胸を張る 少しずつだか グレードアップ」

「砂浜を 上手く使って 芸術の 秋を表現 とても爽やか」

「孫たちも 絵を書きプリント してもらい 自画自賛して どうだとばかり」

「今日も雨 まるで洗濯 干し場です 少しだけでも 晴れるといいな」 

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〇八幡浜市日土を訪ねる(その2)

 私が日土の清水さん宅を訪ねるのはこれで3度目です。前回訪ねたのはもうかれこれ5年前ですから、どの道を行けばいいのか少々不安でした。妻が所用でどうしても自家用車を使うため、私は軽四トラックを使うことにしました。午後1時30分にしもなだ運動公園前で松本さんと待ち合わせして、海岸国道378号線を走りました。ゴゼヶ峠の長いトンネルを抜けて保内町へ入り、若松蒲鉾店辺りから谷に沿って日土を目指しました。途中日土東地区に立ち寄ったため、清水さん宅到着は集合時間5分前となってしまい、清水さんを含めた10人ほどの会員は既に到着して、改装なった古民家母屋の畳の間で早速、年輪塾あらし山塾が始まりました。

年輪塾の学習
年輪塾の学習
生きることの意味を話す清水塾長
生きることの意味を話す清水塾長

 まずそれぞれが持参した中国の古書「大学」の素読を順番に行い、清水塾頭が解説する方法で2時間ばかり学習しました。尊徳翁夜話の中から59話、1話、80話、100話、114話、218話、21話、142話、38話、39話、207話、176話、42話をそれぞれ読み出し、さすが塾頭だけあって大学と夜話の相関をたっぷり解説してくれて堪能しました。大学も夜話も難しいと思えば先に進めませんが、自分たちの暮らしに置き換えると案外理解しやすいようです。そのあと宮沢賢治の「農民芸術概論要綱」について議論を深めました。その冒頭に「おれたちは農民である。ずいぶん忙しく仕事をしてつらい。もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい。われらの古い祖父たちの中にはそういう人も応々あった。」とか、「曾つてわれわれの祖父たちは乏しいながら可成楽しく生きていた。そこに芸術も宗教もあった」と述べられています。

 清水さんが言わんとしていることは、この宮沢賢治の文章に凝縮されていると思いました。自分の祖父伝来の家をリフォームして、宮沢賢治の生き方に共鳴するように再起動した清水さんの生き方に、自分自身の生き方を重ねながら、さてこれからの人生をどう生きるか考えました。作家童門冬二が小説中江藤樹の中で「処士」について述べていますが、私は「処士」を「処志」と位置づける運動を興そうとしています。つまり「処」は人が集る寄り所となる場所であり、「志」は「こころざし」です。清水さんは私が私設公民館「煙会所」や「人間牧場」を手に入れたように、「あらし山山荘」を手に入れました。他の年輪塾の塾生も、「処」と「志」を手に入れるよう努力して欲しいと願っています。

  「久方に 日土山奥 あらし山 訪ね私塾の 学び大学」

  「田舎住む 人の殆ど ぶつぶつと やらないことを やれない言いつつ」

  「芸術を 持てば田舎に 住むとても 日々の暮らしが 生き生きできる」

  「私塾にて 処志を育てる 運動を 興した矢先 山荘できる」

 

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人間牧場

◯野菜の防虫ネット張り

 昨日は心配された雨も降らず、絶好の農作業日和でした。畑はまだジュルくて長靴を履かないと作業ができないので、長靴を履いて定植したキャベツの上に防虫ネットを掛ける作業をしました。まずプラスチックの曲がった棒を均等に立てて、その上に白い防虫ネットを被せるのです。この作業は慣れていないので意外と難しく、少し難儀をしました。

 キャベツや白菜を定植してから、畑にやたらとチョウチョやバッタが増えました。チョウチョはキャベツに止まって卵を産み付け、青虫になって葉っぱを食べ尽くすのです。バッタはその鋭い口で白菜の柔らかい葉っぱを同じように食べ、網目のようにしてしまいます。消毒しない方針なので、防虫ネットは最高の防衛なのです。

 昨年買い置きしていた防虫ネットを畝の長さに切り、4列張ったところで棒がなくなり、残りは次に持ち越しました。さあこれで自衛できたか楽しみですが、昨年は何度か大風で吹き飛ばされました。今年は洗濯ばさみで止める裏ワザに挑戦してみましたが、上手く行くかどうか・・・です。

  「農薬で 消毒しない 方針は 骨が折れるが 安心安全」

  「昨年は 台風大風 吹き飛んで 何度も苦労 今年は裏技」

  「白いチョウ 平和の使者に 見えるけど 野菜にとっては 害虫ですよ」

  「さあこれで 何とか防衛 したけれど 大根・カブは 苦悩暫く」

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人間牧場

〇メダカの嫁入り

 昨日友人宅へ、頼まれていた盆踊りのビデオテープを届けに出かけました。かつては役場に勤めていたこともあって、町内のあちこちへ出かけていましたが、退職後はそれもなくなったため、集落の隅々までは行く用事もなく、あいにく道を間違えるほどでした。アポも取らず昼過ぎに出かけたので、留守かも知れないと思いましたが、幸いにもご夫婦在宅で依頼のテープを渡し、庭先で立ち話をしました。聞けばこの集落も高齢化が進んでいるようで、どの家もお年寄りばかりだと嘆いていました。この集落では少子化どころか子どもは一人もいないそうで、はてさて急速に進む田舎の疲弊を実感しました。

友人からいただいたメダカ
友人からいただいたメダカ

 帰り際友人の家で飼っているメダカを見学させてもらいましたが、火鉢や発泡スチロールを庭の隅に置いて沢山のメダカを飼っていました。差し上げるという好意を甘んじて受け、小さな発泡スチロールの箱に入れてもらい持ち帰りました。わが家の玄関先には大小2つの水瓶が置いてあって、妻がメダカと鮒金を飼っていますが、水替え程度の世話なので、可もなく不可もなしといった感じです。間もなく仕事から帰った妻はメダカを見て大層喜び、早速水瓶に移し込んで餌を与えました。小さな10数匹のメダカは住む場所を替えられたストレスもなく、水瓶の中を元気に泳ぎながら餌を啄ばんでいました。

 私はかつて若い頃、東越という集落で、メダカを飼うために古民家を買い求めてやって来た、川口寿雄さんと入魂となり、メダカの学校づくりや、宇宙メダカに深く関わった時期があるので、メダカについてはかなり詳しいのですが、自分でメダカを買うことはしませんでした。妻はメダカを飼いたいと川口さんから数匹いただいて飼い始めましたが、そのうち熱も冷め多分家で生き延びているメダカはその残党のような感じがするのです。メダカは可愛くて比較的誰でも簡単に飼うことができます。隣のおじさんも卵を産ませて増やしていますが、生き物ゆえに餌をやったり水を替えたりしなければなりません。犬や猫のような世話もないので、せめてこれくらいのことならできるかも知れないと思いました。

  「友人に メダカ貰って 持ち帰る 妻は水瓶 入れて喜ぶ」

  「息子・孫 近くの川で 捕ったエビ 水槽入れて 飼って楽しむ」

  「私など 猫・犬飼わず メダカさえ 飼わず植物 一辺倒で」

  「魚遍 目と高書いて メダカ読む こんな造語を 昔作った」 

 

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人間牧場

〇雨の日のウォーキング

 日本列島の南岸に秋雨前線が停滞しているため、この2~3日ぐずついた天気が続いています。今朝もパソコンのお天気画面や、タブレット内蔵の気象クラウドなどを見ながら、「今日も一日雨かも知れない」と予感しつつ、少し明るくなった5時30分に、長靴・雨傘の出で立ちでウォーキングに出かけました。こんな日は雨に濡れるとやんちゃなためでしょうか、毎朝決ったように出会うウォーキングをしている人にも出会わず、夜明け寸前の薄暗い雨の中を1人歩きました。

長靴に雨傘の出で立ちで雨の中をウォーキング
長靴に雨傘の出で立ちで雨の中をウォーキング

 私のウォーキングコースは山道なので通る車も殆どなく、道の真ん中をわが道を行くが如く堂々と背筋を伸ばして歩きました。道端の草むらからは、秋の虫の低周波音のような鳴き声がどこからともなく聞こえ、季節の移ろいを感じました。やがていつもの目的地で引き返しわが家近くまで帰ると、犬を連れた近所の人に出会いました。私よりひと回りも若いその人は、最近銀行を退職して悠々自適の生活をしているようですが、日課は犬の散歩ながらその犬が年老いて、歩くのもおぼつかないヨタヨタ歩きに見えるのです。

勢いよく流れ出る裏山の清水
勢いよく流れ出る裏山の清水

 故に犬の散歩に付き合い、自分もウォーキングをしているつもりでしょうが、オシッコやウンコに付き合うため、中々先へ進めないようです。「ウォーキング、犬の散歩で犬が痩せ」という川柳そのままではなく、「ウォーキング、犬も主人も太っ腹」てな感じがして、失礼ながら思わず毎朝にんまりして通りすがるのです。最近は犬も室内で飼う人が増えてきました。この犬も室内と室外兼用の柴犬ですが、家の中で犬や猫を飼ったことのない私には、少し疑問符も垣間見えています。

 今朝大きなミミズが、くねりながら道を横切っていました。カタツムリも背中に貝殻を背負い、同じように横切っていました。「早く渡らないと交通事故に遭うぞ」と、声をかけましたが、知ってか知らずでか、のんびりゆっくりでした。最近まで朝のウォーキングのあいさつは、「一雨欲しいですね」とか、「暑いですね」でしたが、昨日今日は「涼しくなりましたね」とか、「もう雨は要りませんね」に変わっています。あれほど欲しがった雨もうんざりの対象のようです。わが家の裏から湧き出ている清水もこの2~3日の雨で、勢いよく出るようになりました。

  「雨の日も 長靴・傘差し ウォーキング 故に体調 すこぶる元気」

  「濡れた道 ミミズくねくね カタツムリ 早く行かねば 車が来るぞ」

  「雨欲しい その癖今度は 雨要らぬ 吾身の都合 あいさつ添えて」

  「老犬に 引っ張られるよう ノロノロと 元銀行員 今朝もお散歩」 

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