人間牧場

〇72回目の誕生日

 昨日は私にとって72回目の誕生日でした。さすがにこの歳になるとバーズデーパーティもバーズディケーキも無縁ですが、昨日の朝起きると妻が「お誕生日おめでとう」と言ってくれ、若嫁や内孫・外孫・子どもからも電話や言葉で祝意が寄せられました。若嫁からは自分の実家の喫茶店で出している、私の大好きなパンプキンショートケーキを贈られ、facebookでの沢山の祝意とともに、この上ない一日となりました。

誕生日に今年も贈られた花籠
誕生日に今年も贈られた花籠

 昨日は毎年の事ながら嬉しい出来事がありました。所用で外出し自宅へ帰ると玄関先にとても立派な花篭が、メッセージを添えて届いていました。送り主は伊方町瀬戸に住む緒方二三子さんと松山市南吉田に住む西岡真由美さんからでした。お二人のことについては昨年もブログに書きましたが、私が現役でシーサイド公園を立ち上げた時、サプライズで誕生日の花束を贈ってもらったことがきっかけで、もう20年以上に渡って誕生日にお花を贈ってくれるのです。

 それはそれとして涙が出るほど嬉しいのですが、贈られるさしたる理由もないので丁重にお礼やお断りをしていますが、私が元気なうちはと今年も届けてくれました。お返しをすることも出来ずご厚意に甘んじていますが、はてさてどうしたものか思案しています。留守中だったので早速お礼の電話をかけましたが、緒方さんはあいにく留守だったもののご主人が電話口に出ていただき、西岡さんには直接お話をすることができました。

 私のような取るに足らない田舎者にまで、お天道様は光を当ててくれていますが、私もそのことに感謝して人様に恥じぬよう強く生きなければなりません。と同時に社会への恩返しもしようと心に決めて生きています。昨日の朝、若い頃青年団活動でお世話になった福井眞男先生が亡くなったという訃報を、親友の冨田さんが知らせてくれました。今日は広島県尾道市へ出張する予定が入っているため、葬儀に参列できないので、昨晩ルミエールで行なわれた通夜式に参列してお別れをしましたが、先生も「人のため社会のために働け」と激励してくれたような気がした一日でした。

  「今年も 誕生祝い 花籠が 玄関先に 置かれ感激」

  「20年 越えて毎年 届きたる プレゼント主 二人の女性」

  「この上は しっかり生きる 覚悟して 残りの余生 人や社会に」

  「母親の 今日は命日 仏壇に 線香手向け 決意を誓う」

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人間牧場

◯孫たちの釣果

 昨日は久しぶりに晴れた日曜日でした。このところのぐずついたお天気で、孫たちも何となく不完全燃焼といった感じだったので、息子は休みを利用して、3人で釣りに出かけたようでした。夕方3人が「釣れた釣れた!」と言いながら帰ってきました。孫二人はクーラーボックスの蓋を開けて中を見せてくれましたが、釣果はゼンゴ30匹と小鯛、それに小さなモイカでした。

孫たちの釣果
孫たちの釣果

 これまでにも何度か釣りには連れて行ってもらっている孫たちですが、釣果はその度さっぱりだったので、まあすごい自慢で、「これは僕が釣った」と大騒ぎでした。いつものように若嫁から下調理を頼まれましたが、昨日は親類から沢山の魚を頂いて下調理を終えたばかりだったので、丁寧に断りました。若嫁はその後ゼンゴは素揚げにして南蛮漬け、モイカは煮付けにして食卓に出していました。

 その味は格別だったようで、何はともあれ楽しい家族団らんでした。私たち夫婦は叔母の法事で頂いた、折り詰めの残り物に、菜園で収穫した小松菜のおひたし、それに親類から頂いた鯛の刺身でお茶を濁しましたが、若かった頃に比べ食がだんだん細くなって、しかも肉類は殆ど食べない食生活に変化しているようです。

  「久方に 親子で釣りに 出かけたが 釣果それほど それでも自慢」

  「おじいちゃん この鯛僕が 釣ったから 刺身にしてと 真面目にせがむ」

  「美味しいと 南蛮漬けの ゼンゴ食べ 家庭円満 賑やかでした」

  「わが家では 頂き物の 鯛刺身 隣に負けぬ 食卓ご馳走」 

 

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人間牧場

〇扇子

 今年の夏は雨が降らず干ばつでした。ところが秋になると一転、今度は秋雨前線の影響で雨・雨・雨、家庭菜園のお世話も大変で、毎日ため息をついています。昨日から10月になったというのに、日中の気温は25度以上の夏日が続き、扇風機も未だに終わず風呂上りには大活躍をしています。涼を求めるために木になるカバンに入れて持ち歩いている「五事を正す」の扇子も手放せず、行く先々で風流にも使っていますが、書斎の横棚にも田処のほたる祭りで手に入れた扇子が一本置いています。

dscn4745 年輪塾でお世話になっている大洲藤樹会の辻先生が、書を絵を画いている扇子を開けると、どちらか表か裏か分りませんが、中江藤樹の絵をあしらった「孝」と漢文、もう一方には論語の漢文が書かれています。いずれも凡人ゆえスラスラと読むことは出来ませんが、「子曰く、学びて時に之を習う。亦説(よろこ)ばしからずや。朋有り、遠方より来る。亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。」と続いています。現代語に訳すと、「孔子は言いました~。」で始まるのです。

dscn4744 「孔子はいいました。習ったことを機会ある毎に修復し身につけていくことは、なんと喜ばしいことでしょう。友人が遠方からわざわざ私のために訪ねて来てくれることは、何と嬉しいことでしょう。他人が自分を認めてくれないからといって、不平不満を言うことはありません。何と徳のある人でしょう。」。扇子を広げ仰ぎながらてな調子で読み、意味を噛みしめていますが、「論語読みの論語知らず」と言われるように、読むことさえも意味さえも、お恥ずかしいことに解かりかねています。

 ましてや渋沢栄一の書した「論語と算盤」という本など、思いつくまま時々乱読していますが、奥が深くて意味の理解が出来ずにいます。渋沢栄一は論語と陽明学、武士道を考え方のベースにしてこの本を書いていますが、①個人の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべし、②目の前の成功とか失敗というだけを見ずに、天地の道理を見て誠実にひたすら努力し、自分の運命を開くべしと説いています。中江藤樹の「知行合一」、二宮金次郎の「経済と道徳」、渋沢栄一の「道徳経済合一説」は時代やいい方こそ違え、考えは一緒だと思いながら、今朝もウォーキングで汗ばんだ身体に、扇子で論語の風(かぜ)を吹かせ当てました。

  「扇風機 今年は10月 なったのに 終わず使い お風呂上りに」

  「暑かった 今年の夏は それぞれの 扇子を使い 分け使う」

  「また一つ 生き方学ぶ 論語風(かぜ) 道徳経済 合一大事」 

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人間牧場

〇大学生がやって来た

 「進ちゃん、午後から空いている?」と、昨日の朝雨の中、道の駅シーサイドふたみで来訪者を待っていると、漁協女性部長の松本さんから午後のスケジュールを聞かれました。「多分空いている!!」と言うと、「愛大の竹ノ内先生が生徒を連れて午後1時にやって来るので、付き合ってくれない」とのことでした。いつも急に言われ、いつも気安く引き受ける癖がついているので、12時にわが家で来訪者を見送り、急いで食事を済ませ再び道の駅へ、トレードマークの木になるカバンを提げて午後1時きっかりに到着しました。

dscn4748 昨日は雨の中松山商業高校の生徒がバス2台に乗って遠足に来ていて、イベントホールは全て占領されてしまっていたので、ミュージアムの室内を借りて、竹ノ内先生、鈴木先生に付き添われた大学生宇都宮さんを相手に、じゃこ天のお店を開いた経緯やその後の足取りについて、途中松本部長さんも加わり聞かれるまま、20年間の出来事を一気に話しました。今回は大学生宇都宮さんの卒論用の聞き取り調査らしく、宇都宮さんは聞きたいことを箇条書きにしてくれていたので、大助かりでした。

%e3%81%9f%e3%81%91%e3%81%ae%e3%81%86%e3%81%a1%ef%bc%92 質問に答えながら、シーサイド公園を造った経緯や、平成7年3月16日のオープン当時のこと、その後のこと、今後のあり方について色々と考えてみましたが、私も退職後早12年が経ちました。これまでのことは語れても今や未来に口出すすべもなく、私の出番等ないため気楽といえば気楽ですが、造った張本人としては、想いと現実の間に相当の開きやギャップを感じていて、多少心を傷めているのも事実です。先日中庭に置いている丸木舟が来客の導線に邪魔だから、どこかに移転する手立てはないかと、シーサイドから相談を持ちかけられました。

 シーサイドには恋人岬のモニュメントや、中庭のモアイ像、屋上のストーンヘンジ、園内路の童謡の小路、日没地図、幸せの手形、愛の鐘、階段式護岸などなど、夕日に関する物語を仕掛けとして沢山造っていますが、これも使わなければ宝の持ち腐れです。丸木舟も想いのない人にはただの邪魔な置物にしか過ぎないのです。中庭の池もいつの間にか潰され、夕日のミュージアムに飾った絵画や書もなくなり、倉庫と化しています。これも時の流れとして諦めなければならないのでしょうか。

  「大学生 卒論書くため やって来た 思いつくまま 当時を喋る」

  「頑張って いるは唯一 じゃこ天の お店だけだと 寂しく思う」

  「あれやこれ 造った宝 持ち腐れ 想いなければ ただのガラクタ」

  「ああ時代 変わったものと 諦める どうすりゃいいの どうなるのだろう」

 

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人間牧場

〇雨の中の草刈り作業

 このところ雨続きで、人間牧場の草刈りも気になりながら延び延びになっていました。昨日は松山工業高校の運動会が雨のため順延となり、午前中は手持ち無沙汰だったため、小雨の中で先日枯れて切り倒し、焼却場まで運んでおいた極早生ミカンの枯れ枝を、焼却処分することにしました。少し濡れて火点きが悪かったため、段ボール箱を入れて種火を作ったお陰で、思った以上によく燃えて一段落しました。

 汗をかいたのでシャワーを浴び昼食を終える頃になると、雨も小休止となり時折薄日が差し始めたので、倉庫から草刈機を取り出し、軽四トラックに積んで人間牧場へ向いました。久しぶりの人間牧場は至る所草が伸び放題となっていました。早速エンジンをかけ手当たり次第草を刈り始めました。雨に濡れた草は面白いように切れましたが、そのうち周辺に霧が立ちこめ雨が降り出し、そのうち本降りとなってしまいました。

 あいにく雨合羽も持ち合わせていなかったし、もう少しもう少しと思って作業を続けた結果、藪蚊に刺されないよう腰にぶら提げていた蚊取り線香も、雨に濡れて消え万事休すです。草刈機タンクのガソリンが切れたところで、ずぶ濡れになったことに気付き、草刈り作業を終えました。軽四トラックの座席が濡れないようタオルを敷き、自宅へ帰ると風呂場に駆け込み、熱いシャワーを浴びてホッと一息つきました。

 草刈りを何故急いだのか、それは今日の午前中人間牧場へ来客があるからです。人間牧場を綺麗に見せる必要はさらさらありませんが、周辺の片付けや室内の掃除は、最低限やらなければならないこだわりだと思っています。ゆえに来客がある緊張感が人間牧場をそれなりに維持できているのです。私設ながら1年間に千人もの人が訪れる人間牧場も、そろそろ息子に譲ることも考えなければなりません。息子もそのつもりで保守や運営に関わってくれていますが、建設して10年が経ち、ほころびも目立ち始めました。いよいよ正念場のようです。

  「人が来る 最低限は やらねばと 雨でずぶ濡れ 草刈り作業」

  「雨に塗れ 風邪でも引いたら どうするの 妻の注意も 馬耳東風だ」

  「この10年 おおよそ毎年 千人の 人が牧場 訪ねて交流」

  「さあ今日も 来客対応 腕まくり どんなドラマが 待っているのか」

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人間牧場

〇9月の五行歌

 数日前、松山五行歌の見山あつこさんから、9月歌会の報告書が届きました。いつもながら歌会の下支えをしてくれている姿に感謝しながら封を切りました。中には先日伊予鉄高島屋で開かれた作品展を松本さんや米湊さん、赤石さんと一緒に訪ねた折のスナップ写真をハガキにして、丁寧にもそれぞれ私信を書いて同封していました。近々会う機会を見つけてそれぞれに手渡したいと思っています。

 さて今月の私の駄作は欠席歌の部で、お粗末ながら四席という朱文字が添えられていました。
  「伊達」と書いたら
  「いたち」と読まれ
  「百足」と書いたら
  「ひゃくそく」と読まれた
  学校で何を習っているの?

 講評は次のとおりでした。
 「☆ピンポイントで「伊達」や「百足」は習わないと思いますが、漢字がちゃんと読めない人が増えているような
  現状は、作者ならずとも気になりますね。今の時代、パソコンで打って、プリンターで印刷。自分で書かな
  いことや、本を読む人が少なくなったというのも影響していて、学校教育だけのせいではないのでは!の
  感想も出ました。」とのことでした。

 ちなみに出席歌の部一席は永井純子さんの次の歌でした。
  朝起きて
  一番に
  思うこと
  今日もたくさん
  笑えますように

 ちなみに欠席歌の部一席は久我正明さんの次の歌でした。
  年寄りが
  薬を貯めるのも
  札束を隠すのも
  鈴虫を捨てるのも
  みんなポリ袋

  「駄作だが 朱色で四席 恥ずかしい 人の歌見て その佐歴然」

  「今度こそ いつも思うが いい歌が 浮かばず失意 さて次回は」

  「筆まめに いつもお便り 貰う人 顔を浮かべて 私信に感謝」

  「夏が過ぎ 秋が来たよと 言うように それぞれの歌 秋の気配が」

 

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人間牧場

〇漁師の気風

 私は家業であった漁業を継ぐべく、高校は何の疑いもなく宇和島水産高校を選びました。大学進学の時期に親父が病に倒れ、ふるさと双海町へ帰郷して7年間漁師をしました。その後体調を崩して役場に入りましたが、高校時代遠洋航海で珊瑚海まで出漁したり、漁師時代に培った気風はその後の生き方に大きな影響を与えました。私は伊予灘を漁場とする小型底引き網でしたから、早朝1時に起きて漁場へ向わなければならないため、早寝早起き癖がつき、その癖でしょうかあれからずっと、早朝1時ではないものの朝4時に目が覚めて一日が始まる習慣を毎日繰る返しているのです。

 漁師は魚を獲るのが仕事ゆえ、場所と潮時を選ばなければなりません。まったく同じ場所に網を入れても、潮時を間違えると魚は獲れないばかりか、網まで破ってしまうのです。最初はそのことが分らず不漁を嘆きましたが、そのうちまるでジグゾーパズルのような幾つもの条件を組み合わせると、魚が獲れることが本能的に身につき、自分だけにしか分らないオリジナルな魚を獲るためのストーリーが出来上がるのです。「漁師は魚が獲れなければ狙う魚を変え、道具を変え、場所を変え、潮時を変える」、これが漁師の知恵なのです。「魚が獲れない」ことを人のせいや日和のせいにしない生き方は、仕事を変ってからも随分役に立ちました。

 私は35年間役場に勤め、教育委員会で社会教育、産業課で水産、企画調整室でまちづくり、地域振興課で地域活性化を担当、退職してからもこの12年間、人間牧場を中心に充実した生き方ができたのは、若い頃身につけた漁師の気風のお蔭だと感謝をしています。長年傍で見てきた妻は私のことを「マグロのような人間」と言います。私にとっては、最大の賛辞だと思っていますが、マグロは死ぬまで休むことなく泳ぎ続けます。多分目標としている85歳まで、少なくとも後13年間はマグロのように人生の荒波を元気に泳ぎ続けることでしょう。これって幸せかも・・・。

  「若いころ 漁師経験 したお蔭 六感働き 大いに羽ばたく」

  「幸せは 南(みな身)にあると 教えられ マグロのように 泳ぎ続けて」

  「人生も 残り少なく なってきた これから大事 一生懸命」

  「元漁師 私の肩書き 誇らしく これから先も 名乗り続ける」

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人間牧場

〇大きな鰆一本をいただきました

 一昨日外出先から自宅に帰ると、若嫁が「お父さん、いいところへ帰って来てくれました。鰆をいただいたのでお願いします」と頼まれました。見ると細長い発泡スチロールのトロ箱に、かなり大きい鰆が一本丸々入っていました。いつものことなので、「任せとけ」とばかりに、妻の用意してくれたエプロンを掛け、早速家の外の流し台に持って行き、まず砥石で包丁を研ぎ、粗調理を始めました。まな板いっぱいの大きさの鰆の首の部分に包丁を入れ、頭を切り落とし、内蔵を開けて臓物を取り出し、尻尾も切り落として用意したゴミ袋に入れました。

いただいた鰆
いただいた鰆

 鰆は捨てる部分が殆どない魚で、頭の部分は半分に割ってエラを取って処分すれば、全て食べられるのです。3枚に下した身は半分に切ってタッパーに入れラップを掛け、骨や頭、腹身は別のタッパーに入れて素早く冷蔵庫に入れ、残飯を処分してあっという間に調理を終えました。いつもながらの素早さに妻も若嫁も感心しきりでした。息子が友だちにもらった鰆ですが、息子家族と私たち夫婦が全てを半分に分け、切り身はフリーザーに入れて、この3日間夕食に刺身を出してくれました。

 鰆は魚遍に春と書くように春が旬の魚ですが、双海町ではこの時期もサワラ流し網という漁法で鰆が水揚げされています。あえて言うなら寒鰆、春鰆より幾分脂が抜けていますが、私的はマグロより好きで、タマネギをスライスして水で晒して添え、生姜醤油で食べると、新米熱々のご飯との相性も抜群で、今日は残りの切り身を塩焼きにしてくれるそうです。中骨や頭、腹身は生姜を刻んで粗炊きにしますが、たまらない美味しさです。いい素材は余り手をかけず、生が焼くか煮るかくらいが丁度良いようです。

  「いいとこへ 帰ったこれが 幸いと 若嫁鰆 捌くの頼まれ」

  「エプロンを 掛けて鰆を 粗調理 いとも簡単 慣れた手つきで」

  「この3日 鰆三昧 あれやこれ 田舎暮らしは やめられません」

  「退職後 魚の料理 板につき 今は私の 専売特許」

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人間牧場

〇秋の彼岸明け

 今年の秋の彼岸は9月18日に入り、22日を中日として25日に彼岸明けします。彼岸に入る2~3日前にシキビを持ってお墓に出かけ、掃除をしたりシキビを活けたりして、親族がいつ墓参りに来てもいいよう準備をしました。田舎ゆえ私と同じような考えの人も多く、日ごろはひっそりとしている墓地周辺もいつになく人影を見かけましたが、中にはシキビが枯れたままになったり、草生して訪れる人もいないお墓もあるようで、人の世の無常を感じたりしました。

妻の実家の墓地から見える八幡浜湾
妻の実家の墓地から見える八幡浜湾

 わが家の墓地は昨年の7月に親父が亡くなって間もないので、仏事が頻繁にあって、それまで以上に足繁く墓地を訪れるようになっていますが、私がかつてそうであったように息子夫婦も、私たち夫婦ほど墓参りはしません。でも墓参りの習慣だけは何としても子や孫に伝えておきたいと思っています。昨日は妻と二人で、妻の実家である八幡浜へ墓参りに出かけました。午前中は天気もよく、八幡浜湾を見下ろす墓地の急な坂を登りましたが、少し暑いくらいで、墓掃除をしたり持参したシキビを活けたりしただけで、大汗をかいてしまいました。

 実家の兄夫婦もこのところ病気がちで、今年の彼岸は墓地の掃除もままならなかったようで、墓参りの後実家に立ち寄りましたが、私たちの毎年欠かさぬ墓参りを大層喜んでくれました。実家は一人息子が故郷を離れ東京に住んでいるため、墓地の行く末も案じられます。最近はお墓のあり方が随分様変わりして、お墓無用論まで取り沙汰されています。長年連れ添った夫婦でさえ一緒のお墓には入りたくないとか、ペットと一緒のお墓に入りたいとか、お墓事情は様々です。

 私たちは誰から生まれ命を引き継いでいるのでしょう。自分の両親、両親の両親と遡って行くと、私の先祖は10代前には何と1024人もの人間がいるのですから驚きです。誰を産み誰に命を引き継いで行くのか、お墓は別として人間のルーツをあらためて考えました。人はどうであれ自分という人間につながる過去や未来をどう考えるのか、息子への委譲も含めて今一度同居している息子夫婦とじっくり話をしてみたいものです。捨てるもの、遺し伝えるもの、そろそろ終活の時期かも・・・・・。

  「今年も 秋の彼岸が やって来た あっという間に 一週過ぎた」

  「墓参り やたら目に付く 枯れシキビ 恐らく彼岸 訪れもなし」

  「最近は お墓無用と 言う人も ペットと一緒 言語道断」

  「人は何故 自分のことだけ 考える 先祖があって 自分があるのに」

 

 

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人間牧場

〇ひこばえの田圃

 最近は稲刈りの時期が場所によってまちまちで、台風の被害を避けるように早い所は8月のお盆が過ぎた、まだ残暑の厳しい頃に刈りますが、用水の関係で田植えが遅いところは、これからが最盛期の所もあるようです。勤め人は土日の休日を当てにし農業をしているのに、台風やこのところのぐずついた天気に翻弄されて、稲刈りが出来ない嘆いている人も多いようです。

ひこばえの青田
ひこばえの青田

 青田が黄金色になり、稲を刈った田圃は丸裸になりますが、暫くほおっておくと稲の切り株から芽が出てきます。これを稲のひこばえと言うのだそうですが、ひこばえはあっという間に青田になり、まるで稲の苗を植えた初夏の早苗と見紛うようになります。やがて何日かすると穂ばらんで、時にはモミになることだってあるようです。聞くところによると水を張り肥料をやれば少しはお米が獲れるそうですが、お百姓さんもそんな暇はないので、ほったらかしにされ、やがて枯れ行く運命にあるようです。

 私は毎年このひこばえを数株いただいて刈り取り、大事に乾燥させてしまって置き、お正月の神棚用海老注連縄を作っています。長さや編む太さが丁度いいし、稲穂までついていて結構目出度く豪華な出来栄えになるのです。最近はこのひこばえの稲穂がイノシシの格好の餌になって、イノシシが増えるというので刈り取られたり、除草剤をやって枯らしてしまう人もあると聞きました。刈り取った死んだはずの稲の切り株から芽が出て、青田になるのも不思議で、凡人の私には理解できませんが、ひこばえもやがて黄金色になり、殺風景な田舎に冬を迎えるまで彩りを添えてくれるのです。

  「稲刈りの 終った田んぼ いつの間に 苗を植えたと 見紛うほどに」

  「切り株の 根から芽が出て 青田なる 不思議な現象 ひこばえという」

  「何株か いただき刈り取り 年末に 神棚用の 注連縄作る」

  「ひこばえが 田舎の風情 思うのは 私だけかも 知れない思う」

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