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◯野菜の防虫ネット張り

 昨日は心配された雨も降らず、絶好の農作業日和でした。畑はまだジュルくて長靴を履かないと作業ができないので、長靴を履いて定植したキャベツの上に防虫ネットを掛ける作業をしました。まずプラスチックの曲がった棒を均等に立てて、その上に白い防虫ネットを被せるのです。この作業は慣れていないので意外と難しく、少し難儀をしました。

 キャベツや白菜を定植してから、畑にやたらとチョウチョやバッタが増えました。チョウチョはキャベツに止まって卵を産み付け、青虫になって葉っぱを食べ尽くすのです。バッタはその鋭い口で白菜の柔らかい葉っぱを同じように食べ、網目のようにしてしまいます。消毒しない方針なので、防虫ネットは最高の防衛なのです。

 昨年買い置きしていた防虫ネットを畝の長さに切り、4列張ったところで棒がなくなり、残りは次に持ち越しました。さあこれで自衛できたか楽しみですが、昨年は何度か大風で吹き飛ばされました。今年は洗濯ばさみで止める裏ワザに挑戦してみましたが、上手く行くかどうか・・・です。

  「農薬で 消毒しない 方針は 骨が折れるが 安心安全」

  「昨年は 台風大風 吹き飛んで 何度も苦労 今年は裏技」

  「白いチョウ 平和の使者に 見えるけど 野菜にとっては 害虫ですよ」

  「さあこれで 何とか防衛 したけれど 大根・カブは 苦悩暫く」

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〇メダカの嫁入り

 昨日友人宅へ、頼まれていた盆踊りのビデオテープを届けに出かけました。かつては役場に勤めていたこともあって、町内のあちこちへ出かけていましたが、退職後はそれもなくなったため、集落の隅々までは行く用事もなく、あいにく道を間違えるほどでした。アポも取らず昼過ぎに出かけたので、留守かも知れないと思いましたが、幸いにもご夫婦在宅で依頼のテープを渡し、庭先で立ち話をしました。聞けばこの集落も高齢化が進んでいるようで、どの家もお年寄りばかりだと嘆いていました。この集落では少子化どころか子どもは一人もいないそうで、はてさて急速に進む田舎の疲弊を実感しました。

友人からいただいたメダカ
友人からいただいたメダカ

 帰り際友人の家で飼っているメダカを見学させてもらいましたが、火鉢や発泡スチロールを庭の隅に置いて沢山のメダカを飼っていました。差し上げるという好意を甘んじて受け、小さな発泡スチロールの箱に入れてもらい持ち帰りました。わが家の玄関先には大小2つの水瓶が置いてあって、妻がメダカと鮒金を飼っていますが、水替え程度の世話なので、可もなく不可もなしといった感じです。間もなく仕事から帰った妻はメダカを見て大層喜び、早速水瓶に移し込んで餌を与えました。小さな10数匹のメダカは住む場所を替えられたストレスもなく、水瓶の中を元気に泳ぎながら餌を啄ばんでいました。

 私はかつて若い頃、東越という集落で、メダカを飼うために古民家を買い求めてやって来た、川口寿雄さんと入魂となり、メダカの学校づくりや、宇宙メダカに深く関わった時期があるので、メダカについてはかなり詳しいのですが、自分でメダカを買うことはしませんでした。妻はメダカを飼いたいと川口さんから数匹いただいて飼い始めましたが、そのうち熱も冷め多分家で生き延びているメダカはその残党のような感じがするのです。メダカは可愛くて比較的誰でも簡単に飼うことができます。隣のおじさんも卵を産ませて増やしていますが、生き物ゆえに餌をやったり水を替えたりしなければなりません。犬や猫のような世話もないので、せめてこれくらいのことならできるかも知れないと思いました。

  「友人に メダカ貰って 持ち帰る 妻は水瓶 入れて喜ぶ」

  「息子・孫 近くの川で 捕ったエビ 水槽入れて 飼って楽しむ」

  「私など 猫・犬飼わず メダカさえ 飼わず植物 一辺倒で」

  「魚遍 目と高書いて メダカ読む こんな造語を 昔作った」 

 

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〇雨の日のウォーキング

 日本列島の南岸に秋雨前線が停滞しているため、この2~3日ぐずついた天気が続いています。今朝もパソコンのお天気画面や、タブレット内蔵の気象クラウドなどを見ながら、「今日も一日雨かも知れない」と予感しつつ、少し明るくなった5時30分に、長靴・雨傘の出で立ちでウォーキングに出かけました。こんな日は雨に濡れるとやんちゃなためでしょうか、毎朝決ったように出会うウォーキングをしている人にも出会わず、夜明け寸前の薄暗い雨の中を1人歩きました。

長靴に雨傘の出で立ちで雨の中をウォーキング
長靴に雨傘の出で立ちで雨の中をウォーキング

 私のウォーキングコースは山道なので通る車も殆どなく、道の真ん中をわが道を行くが如く堂々と背筋を伸ばして歩きました。道端の草むらからは、秋の虫の低周波音のような鳴き声がどこからともなく聞こえ、季節の移ろいを感じました。やがていつもの目的地で引き返しわが家近くまで帰ると、犬を連れた近所の人に出会いました。私よりひと回りも若いその人は、最近銀行を退職して悠々自適の生活をしているようですが、日課は犬の散歩ながらその犬が年老いて、歩くのもおぼつかないヨタヨタ歩きに見えるのです。

勢いよく流れ出る裏山の清水
勢いよく流れ出る裏山の清水

 故に犬の散歩に付き合い、自分もウォーキングをしているつもりでしょうが、オシッコやウンコに付き合うため、中々先へ進めないようです。「ウォーキング、犬の散歩で犬が痩せ」という川柳そのままではなく、「ウォーキング、犬も主人も太っ腹」てな感じがして、失礼ながら思わず毎朝にんまりして通りすがるのです。最近は犬も室内で飼う人が増えてきました。この犬も室内と室外兼用の柴犬ですが、家の中で犬や猫を飼ったことのない私には、少し疑問符も垣間見えています。

 今朝大きなミミズが、くねりながら道を横切っていました。カタツムリも背中に貝殻を背負い、同じように横切っていました。「早く渡らないと交通事故に遭うぞ」と、声をかけましたが、知ってか知らずでか、のんびりゆっくりでした。最近まで朝のウォーキングのあいさつは、「一雨欲しいですね」とか、「暑いですね」でしたが、昨日今日は「涼しくなりましたね」とか、「もう雨は要りませんね」に変わっています。あれほど欲しがった雨もうんざりの対象のようです。わが家の裏から湧き出ている清水もこの2~3日の雨で、勢いよく出るようになりました。

  「雨の日も 長靴・傘差し ウォーキング 故に体調 すこぶる元気」

  「濡れた道 ミミズくねくね カタツムリ 早く行かねば 車が来るぞ」

  「雨欲しい その癖今度は 雨要らぬ 吾身の都合 あいさつ添えて」

  「老犬に 引っ張られるよう ノロノロと 元銀行員 今朝もお散歩」 

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〇妻の誕生日

 facebookをやっていると、殆ど毎日のように知人友人の誕生日を知らせてくれるので、ささやかながらメールにて誕生日の祝意を伝えていますが、妻の誕生日は家族や子どもにしか分らないので、それほど仰々しくもなく終ります。今年も若嫁が花束を用意し、内孫から「おばあちゃん、お誕生日おめでとう」と手渡され、外孫からも電話でお祝いの言葉が届くと、ただそれだけで妻は感激するのです。

妻の誕生日に届いたFAX祝意
妻の誕生日に届いたFAX祝意

 私も毎年のことながらささやかなプレゼントをしてやりますが、今年は元愛媛県議会議長の俊成薫さんから、祝意のメッセージがFAXで私宛に届きました。俊成さんとは交遊も深く旧知の仲なので、毎年私の誕生日になると祝意のFAXメッセージが届きますが、今年は妻にまで祝意が届き恐縮してしまいました。俊成さんは筆文字が達筆で、FAXは3枚にも及びました。その中の1枚に「あおいくま」という言葉が書かれていました。

あおいくま
あおいくま

 和顔愛語三百六十五日
 あ⇒あせるな
 お⇒おこるな
  い⇒いばるな
  く⇒くさるな
 ま⇒まけるな
 笑美至福

 プリントされたFAX用紙を妻と二人で読みながら、なるほどと納得しました。妻は9月12日で71歳になりました。私より1歳年下ですが、今のところまあそれなりに体調も良く、まだ現役で近くの歯科医院へパートで勤めています。今年度いっぱいで仕事を辞める予定ですが、長年働き続けてわが家を守ってくれた内助の功は、感謝しても感謝しきれないのです。これまでの人生の徒然に、あせらない、怒らない、いばらない、くさらない、負けないようにと、私を常に励まし誡めてくれました。そろそろ私が恩返しをする番かも知れないと、殊勝にも思いました。

  「今年は 妻誕生日 FAXで 祝意が届き 恐縮千万」

  「あおいくま 妻は私に このことを いつも誡め 導いてくれ」

  「内孫と 外孫祝意 何よりも 嬉しそうです 妻誕生日」

  「また一つ 歳をとったか 誕生日 目出度くもあり 目出度くもなし」

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〇久しぶりの恵みの雨

 今年の夏は、台風の影響以外は殆ど雨が降らず、しかも高温注意報が連日出るなど、厳しい暑さに見舞われました。ゆえに朝晩は家庭菜園に出て井戸から配水した水で野菜に潅水をするなど、かなり難儀をしましたが、ここに来てやっと朝晩しのぎやすくなりました。野菜への潅水から解放されたものの、今度は冬野菜の苗植え付けや、種蒔きの準備で連日大忙しです。

植えた冬野菜も雨で活き活き
大根も貝割れ葉から本葉が出てきました
植えたキャベツや白菜の苗も恵みの天で元気に育ち始めました
植えたキャベツや白菜の苗も恵みの天で元気に育ち始めました

 トマトやピーマンは時期を過ぎて役目を終えたので、竹垣とともに引き抜いて一輪車リヤカーに積んで果樹園の甘夏柑の根元に緑肥として還元していますが、抜いた雑草も一緒に運ぶため、日中の30度近くになる残暑で大汗というべきいい汗をかいています。210日頃に播いた種は既に芽吹き、大根は貝割れ葉の中から本葉が出て、今朝は雨に濡れて倒れるほどに伸びています。

 昨日から日本列島の南に秋雨前線が停滞し、大雨ならぬ小ぶりの雨がシトシトと降っています。一昨日やっと植え終わったキャベツや白菜の苗も今朝までの雨をたっぷり吸って、元気よく成長を始めたようで、何はともあれほっと一息といったところです。ハウスミカンを栽培している農家の小西千鶴子さんが、「水はお金で買えるが雨はお金で買えない」と教えてくれました。確かに雨は自然の成り行きに任す以外手立てはないのです。

 こちらでは「値千金」の雨も、台風がらみの豪雨災害に遭った東北や北海道では、今なお難儀を強いられ、憎い雨と思っていることでしょう。県内のミカン産地では早くも極早生ミカンの取入れが始まったと、昨晩のテレビニュースで報じていました。ミカン農家も今年の夏は干ばつに翻弄され、潅水作業に追われた夏でした。過ぎたるは及ばざるが如し、不足と過不足、毎年日本のどこかで、水で難儀する人たちがいるのです。勿論少なからず私もその一人です・・・。

  「水金で 買えるが雨は 買えません 金言名言 農家主婦弁」

  「種を播き 苗植えた後 千金の 雨がシトシト 朝を迎える」

  「この雨も 被災の人には 恨めしい 不足過不足 ないよう願う」

  「播かぬのに 種の芽吹いた すぐ横に 雑草無数 芽吹き憂鬱」 

 

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〇野菜の苗の定植

 毎年のことですが210日を過ぎ、220日を迎えるこの頃になると決ったように、苗物を作っている親友の水口マリ子さんから、「苗の準備が出来たので、取りに来るように」と電話が入ります。今年も私が山口へ出張中の16日に電話が入ったようなので、明くる日の午前中軽四トラックにキャリーを積んで出かけました。マリ子さんは出かけてあいにく留守でしたが、若奥さんが対応してくれてキャベツ、白菜、ブロッコリー、カリフラワー、などなどの野菜の苗を沢山いただいて持ち帰りました。

いただいた大量の野菜の苗
いただいた大量の野菜の苗

 はてさてこの野菜の苗をどこに植えるか、思案する暇もなくとりあえず、トマトやピーマン、青豆といった夏野菜を雑草とともに引き抜き、牛糞を万遍なくふって耕運機で耕しました。この作業は30度もある残暑の中ゆえ大汗をかき、とりあえず土曜日の午後半日で何とか、畝立てまでの作業を終えました。昨日は午前中中学校の体育祭と来客で手を取られたので、午後から植え付けを始めました。今年は畝幅が少し狭かった感じもしますが、ビニールハウスのトマトの残骸も取り終わり、畑はすっかり秋モードに変身しました。

キャリーに詰め込んだ野菜の苗
キャリーに詰め込んだ野菜の苗

 野菜の苗の定植を全て終えたのは午後6時でした。初老の私には少々ハード過ぎた感じもしましたが、「お父さん疲れているようなので、これを呑んだら」と、息子がギンギンに冷えたノンアルコールビールの蓋を開けプレゼントしてくれました。そのビールの美味しかったことは言うまでもありませんでした。昨夜は風呂に入って汗を流し夕食を済ませた後、マッサージ機で身体を揉み解し少し早めに床に就きました。お陰様で今朝は身体も元気も十分回復したようで、ひとまず一安心です。

 このところ、畑のあちこちにモグラが出没し、折角植えた苗や播いて生えた芽が、無残な姿になっているのも見受けられるようで、心を痛めています。多分牛糞や豚糞などを使って有機栽培を心がけているためミミズが発生し、そのミミズを食べにモグラが出没しているようなのです。毎年のことながらモグラを捕獲する知恵もなく、早速ホームセンターへ出かけ捕獲機の品定めをしなければならなくなりました。上手く捕獲できる保証はありませんが、またまた厄介な出費です。

  「春と秋 野菜の苗を 大量に いただく故に 猫の手借りたく」

  「夏野菜 雑草ともに 引き抜いて 牛糞ふって 耕運機かけ」

  「畝立てて 定規当てつつ 苗植える 性格そのまま 少しゆがんで」

  「菜園に モグラ出没 首ひねる どうしたものか 土中ゆえに」

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〇VHSは古くなりにけり

 私は若い頃から公民館活動やまちづくり活動に関わってきたので、新聞・雑誌のような印刷物に掲載されたことや、ラジオ・テレビで紹介されたことが沢山あります。その殆どは忙しさにかまけて、段ボール等に無造作に入れられ倉庫の隅で誇りを被っています。「暇ができたら整理をしよう」と思ってはいるのですが、退職して12年にもなるというのに暇など一向にできず、多分私が死んだら、このままゴミとして処分される運命にあるようです。

弟が保存していたVHSテープ
弟が保存していたVHSテープ
親友から貰ったVHSデッキ
親友から貰ったVHSデッキ

 先日友人が私の所へやって来て、「弟が撮影した今は途絶えている盆踊りのビデオテープが、どこかにないか探して欲しい」と頼まれました。早速町内に住む弟に電話をかけ、ビデオテープを保存しているかどうか、駄目元で聞いてみました。明くる日弟は自分が撮影した盆踊りの古いVHSのテープを持って来てくれました。背表紙には「昭和54年8月20日・盆踊り」と書かれていました。昭和54年といえば今から37年前ですが、ビデオテープは見つかったけれど、VHSテープをテレビに映す機器は残念ながらどこにも見当たらず、多分私の友人の家庭にもないものと思われます。

 ところがところがです。その2日後偶然にも私の親友である清水さんが、頼んだ訳でもないのに、ビデオデッキを私の所へ持って来てくれたのです。何というタイミングの良さでしょう。早速一両日中に友人にビデオテープが見つかったことを知らせたいと思っていますが、必要であればビデオデッキも一緒に貸してあげたいと思っています。それにしても平成になってからだけでも28年が経ちました。あれほど持て囃されたVHSなど使う人は殆どなく、今やDVDが主流の時代になっているのですから、VHS主流の昭和も、勿論昭和19年生まれの私も古くなったものです。

 やっとガラ携が使えるようになったと思えば、今度はそれさえも時代遅れとなって、スマートフォンが主流の世の中になり、5歳の子どもさえ遊び道具に使っているのですから驚きです。情報化が進めば進むほど私たち昭和に生まれた人間は、住み辛くなることは確かです。長生きすることも大事ですが、適当な時に住み辛いこの世におさらばするのも、選択肢の一つかも知れません。嘆かわしい時代に生まれ育ち、生きなければならなくなったものです。

 

  「友人に 頼まれテープ 聞いてみた 弟きっちり 大切保存」

  「つい昨日 ようだと昭和 思うけど 平成だけでも 28年」

  「VHS 今時それすら 見る機器も 見当たらなくて 困ったものです」

  「長生きも 大事だけれど 適当な 時期にこの世に おさらば一考」

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〇全国公研集会分科会のファシリテーター

 山口県山口市で開かれた全国公民館研究集会山口県大会に、県公連から推薦を受けて分科会のファシリテーターという仕事で参加しました。この大会も今回で第38回目だそうで、思い起こせばもう古い話になりますが、公民館主事をしていた若い頃、つまり38年前の第1回公研集会が香川県で開かれた時、何と私が分科会の司会をしているのです。当時はファシリテーターなどという言葉でなく司会者でしたが、午前中3時間、昼食を挟んで午後3時間の合計6時間をたった一人で司会をしたのですから、今では考えられないような出来事でした。

分科会会場の様子
分科会会場の様子

 昨日の分科会は9時に開会し、12時に終る3時間の司会だし、今回私の分科会は2事例の発表の後質疑を行い、参加者200人が6~7人でグループを作って話し合う、今流行のワークショップ形式討議を1時間取っていたので、フアシリテーターとしては大ラクチンで、どおってこともなく進行しました。ただこの分科会には助言者が用意されていないため、ファシリテーターがその役目を含めてやらなければならず、多少気を使いましたが、事例発表と質疑、グループ討議と発表も、思った以上に上手く絡んで、私のまとめの話も最高に盛り上がり、最後に名刺交換で役目を終えました。

 一足早く分科会を終えた仙波さんと長島さんに、私の会場まで迎えに来てもらい、仙波さんの運転する車で、小郡~山陽自動車道~尾道~しまなみ海道~今治~水ヶ峠を経て、無事奥道後まで帰ってきました。仔馬タクシーの社長さんである仙波さんには往復10時間の運転をしてもらい、私は後部座席で居眠りや雑談をしながら、まるで大名旅行のようなリッチな小旅行となりました。仙波さんは地域教育実践交流集会の事務局として、私は実行委員として、また今年度は実行委員長として、お互いこれからも重い役割を果たさなければなりませんが、この2日間長島さんを交えて二人であれこれ話せたことは、全国大会の副産物として、大きな価値がありました。同行させてもらった仙波さんと長島さん、それに大内さんと阿部さんに感謝しています。

  「懐かしい 38年 前のこと 思い出しつつ 壇上座る」

  「おそらくは 全国大会 行くことも もうない思い 感慨深く」

  「壇上に 上がってマイク 持つ途端 勝手に口が 動き饒舌」

  「2日間 約10時間 便乗し まるで大名 有難きかな」 

 

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◯山口県に来ています(その2)

 全大会が終わると小ホールにて、明くる日の分科会打ち合わせがありました。私が担当するのは第7分科会のファシリテーターです。山口県の分科会担当者や発表者を交え、短い45分程度でしたが、おおよその流れを確認し、シャトルバスに乗って交流会が行われるホテルニュー田中に到着し、クロークに荷物を預けて宴会場に入り、午後6時30分から賑やかな交流会が2時間に渡って繰り広げられました。

 お酒を飲まない私は、ウーロン茶を飲みながら名刺交換をしたり、同席した方々と近況報告をしたり、余興に耳と目を傾けながら食事を摂りました。チンドン屋さんや土産物が当たるクジが間延びして延々続き、多少閉塞感も漂いましたが、次期開催県高知県の誘致あいさつで幕を閉じました。私と県公連事務局長、県教委の先生の3人は湯田温泉駅まで歩き、9時半頃新山口駅まで列車で帰り、駅前のホテルにチェックインしました。

 昨日は朝早くから夜遅くまで、とても長〜い一日でした。いつもより少し早めの午後11時40分頃に床につきましたが、旅先といえど、日課は恐ろしいもので、いつも通り午前4時に目を覚まし、持参のタブレット端末で少し短めのブログをとりあえず2本書いています。今日は第7分科会のファシリテーターという大事な仕事が待っているので、食事を済ませたら再び列車で湯田温泉駅まで引き返し、9時前に会場入りしてお役目をしっかり努めたいと思っています。

 今回の全国公民館研究集会は会を重ねること38回です。奇しくも私は公民館に勤めていた頃、高松市で開かれた第一回のこの大会で司会をしています。その時の司会ぶりが評判となって、何と何とその後連続して6回も司会を担当させてもらい、その活動がご縁で私の名前が全国的に知られることとなったのです。いわばおこがましくも出世作となったのですから、因果応報です。故に今日はしっかりと性根を据えて頑張りたいと思っています。

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〇今日は山口県へ行きます

 今朝は早起きして、これから山口県で開かれる全国公民館大会に行く予定です。身支度を整えながら台風13号の行方が気になって、PCのお天気コーナーや、タブレットに内蔵している気象クラウドを見てみましたが、台風13号は温帯低気圧になったようで、台風情報から姿を消しているようで、先日鳥取へ出張した折、台風の影響で特急列車がストップし、帰るに帰れず難儀をしたことを思い出しながら、何はともあれ台風の影響も殆どなく旅立てることを嬉しく思っています。

 今朝はこれから奥道後まで走り、松山の親友仙波さんと落ち合って車に同乗させてもらい、しまなみ海道を通って山口入りすることに、昨日急遽決めました。讃岐先生も同行する予定でしたが体調不良で欠席のため、私の席が確保できたらしく、仙波さんのご好意に甘んじることにしました。今日は全体会や終了後の打ち合わせ会、交流会に出て新山口で一泊し、明日は第7分科会のファシリテーターという重い役割が課せられているので、しっかりと役目を果たそうと思っています。

 さっき少し激しい雨が降りました。昔なら天気の行方等分らず不安だらけでしたが、今はPCのお陰で、この雨も間もなく止みそうで、傘も必要ないような雲行きです。妻は早立ちする私が遅れないようにと、昨晩は目覚まし時計をセットして寝たようで、先ほどその目覚ましアラームが鳴り、朝ごはんの準備をしてくれているようです。「携帯持った」「財布持った」「資料入れた」と、いつものように妻にくどくど確認され、最後には常用している「お薬持った」まで点検される始末です。「はい持ちました」。妻に手を振って見送られ行って来ます。帰りは明日の夜遅くになります。

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