人間牧場

〇大きな鰆一本をいただきました

 一昨日外出先から自宅に帰ると、若嫁が「お父さん、いいところへ帰って来てくれました。鰆をいただいたのでお願いします」と頼まれました。見ると細長い発泡スチロールのトロ箱に、かなり大きい鰆が一本丸々入っていました。いつものことなので、「任せとけ」とばかりに、妻の用意してくれたエプロンを掛け、早速家の外の流し台に持って行き、まず砥石で包丁を研ぎ、粗調理を始めました。まな板いっぱいの大きさの鰆の首の部分に包丁を入れ、頭を切り落とし、内蔵を開けて臓物を取り出し、尻尾も切り落として用意したゴミ袋に入れました。

いただいた鰆
いただいた鰆

 鰆は捨てる部分が殆どない魚で、頭の部分は半分に割ってエラを取って処分すれば、全て食べられるのです。3枚に下した身は半分に切ってタッパーに入れラップを掛け、骨や頭、腹身は別のタッパーに入れて素早く冷蔵庫に入れ、残飯を処分してあっという間に調理を終えました。いつもながらの素早さに妻も若嫁も感心しきりでした。息子が友だちにもらった鰆ですが、息子家族と私たち夫婦が全てを半分に分け、切り身はフリーザーに入れて、この3日間夕食に刺身を出してくれました。

 鰆は魚遍に春と書くように春が旬の魚ですが、双海町ではこの時期もサワラ流し網という漁法で鰆が水揚げされています。あえて言うなら寒鰆、春鰆より幾分脂が抜けていますが、私的はマグロより好きで、タマネギをスライスして水で晒して添え、生姜醤油で食べると、新米熱々のご飯との相性も抜群で、今日は残りの切り身を塩焼きにしてくれるそうです。中骨や頭、腹身は生姜を刻んで粗炊きにしますが、たまらない美味しさです。いい素材は余り手をかけず、生が焼くか煮るかくらいが丁度良いようです。

  「いいとこへ 帰ったこれが 幸いと 若嫁鰆 捌くの頼まれ」

  「エプロンを 掛けて鰆を 粗調理 いとも簡単 慣れた手つきで」

  「この3日 鰆三昧 あれやこれ 田舎暮らしは やめられません」

  「退職後 魚の料理 板につき 今は私の 専売特許」

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人間牧場

〇秋の彼岸明け

 今年の秋の彼岸は9月18日に入り、22日を中日として25日に彼岸明けします。彼岸に入る2~3日前にシキビを持ってお墓に出かけ、掃除をしたりシキビを活けたりして、親族がいつ墓参りに来てもいいよう準備をしました。田舎ゆえ私と同じような考えの人も多く、日ごろはひっそりとしている墓地周辺もいつになく人影を見かけましたが、中にはシキビが枯れたままになったり、草生して訪れる人もいないお墓もあるようで、人の世の無常を感じたりしました。

妻の実家の墓地から見える八幡浜湾
妻の実家の墓地から見える八幡浜湾

 わが家の墓地は昨年の7月に親父が亡くなって間もないので、仏事が頻繁にあって、それまで以上に足繁く墓地を訪れるようになっていますが、私がかつてそうであったように息子夫婦も、私たち夫婦ほど墓参りはしません。でも墓参りの習慣だけは何としても子や孫に伝えておきたいと思っています。昨日は妻と二人で、妻の実家である八幡浜へ墓参りに出かけました。午前中は天気もよく、八幡浜湾を見下ろす墓地の急な坂を登りましたが、少し暑いくらいで、墓掃除をしたり持参したシキビを活けたりしただけで、大汗をかいてしまいました。

 実家の兄夫婦もこのところ病気がちで、今年の彼岸は墓地の掃除もままならなかったようで、墓参りの後実家に立ち寄りましたが、私たちの毎年欠かさぬ墓参りを大層喜んでくれました。実家は一人息子が故郷を離れ東京に住んでいるため、墓地の行く末も案じられます。最近はお墓のあり方が随分様変わりして、お墓無用論まで取り沙汰されています。長年連れ添った夫婦でさえ一緒のお墓には入りたくないとか、ペットと一緒のお墓に入りたいとか、お墓事情は様々です。

 私たちは誰から生まれ命を引き継いでいるのでしょう。自分の両親、両親の両親と遡って行くと、私の先祖は10代前には何と1024人もの人間がいるのですから驚きです。誰を産み誰に命を引き継いで行くのか、お墓は別として人間のルーツをあらためて考えました。人はどうであれ自分という人間につながる過去や未来をどう考えるのか、息子への委譲も含めて今一度同居している息子夫婦とじっくり話をしてみたいものです。捨てるもの、遺し伝えるもの、そろそろ終活の時期かも・・・・・。

  「今年も 秋の彼岸が やって来た あっという間に 一週過ぎた」

  「墓参り やたら目に付く 枯れシキビ 恐らく彼岸 訪れもなし」

  「最近は お墓無用と 言う人も ペットと一緒 言語道断」

  「人は何故 自分のことだけ 考える 先祖があって 自分があるのに」

 

 

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人間牧場

〇ひこばえの田圃

 最近は稲刈りの時期が場所によってまちまちで、台風の被害を避けるように早い所は8月のお盆が過ぎた、まだ残暑の厳しい頃に刈りますが、用水の関係で田植えが遅いところは、これからが最盛期の所もあるようです。勤め人は土日の休日を当てにし農業をしているのに、台風やこのところのぐずついた天気に翻弄されて、稲刈りが出来ない嘆いている人も多いようです。

ひこばえの青田
ひこばえの青田

 青田が黄金色になり、稲を刈った田圃は丸裸になりますが、暫くほおっておくと稲の切り株から芽が出てきます。これを稲のひこばえと言うのだそうですが、ひこばえはあっという間に青田になり、まるで稲の苗を植えた初夏の早苗と見紛うようになります。やがて何日かすると穂ばらんで、時にはモミになることだってあるようです。聞くところによると水を張り肥料をやれば少しはお米が獲れるそうですが、お百姓さんもそんな暇はないので、ほったらかしにされ、やがて枯れ行く運命にあるようです。

 私は毎年このひこばえを数株いただいて刈り取り、大事に乾燥させてしまって置き、お正月の神棚用海老注連縄を作っています。長さや編む太さが丁度いいし、稲穂までついていて結構目出度く豪華な出来栄えになるのです。最近はこのひこばえの稲穂がイノシシの格好の餌になって、イノシシが増えるというので刈り取られたり、除草剤をやって枯らしてしまう人もあると聞きました。刈り取った死んだはずの稲の切り株から芽が出て、青田になるのも不思議で、凡人の私には理解できませんが、ひこばえもやがて黄金色になり、殺風景な田舎に冬を迎えるまで彩りを添えてくれるのです。

  「稲刈りの 終った田んぼ いつの間に 苗を植えたと 見紛うほどに」

  「切り株の 根から芽が出て 青田なる 不思議な現象 ひこばえという」

  「何株か いただき刈り取り 年末に 神棚用の 注連縄作る」

  「ひこばえが 田舎の風情 思うのは 私だけかも 知れない思う」

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人間牧場

〇グループの全員集会

 私が代表を務めている21世紀えひめニューフロンティアグループは、昭和56年9月に(1981年)に結成したので、もうかれこれ35年が経ちました。若かった私も間もなく72歳になりますが、メンバーもそれぞれ歳を重ねて今を迎えています。「今やれる青春」「1年1事業」「社会への揺さぶり」の三つのテーマを掲げていたものの、それら全てが危うくなりつつあるようで、そろそろ潮時かもと時々考えますが、昨年長年お世話になっている94歳の関さんと90歳の藤原さんに激励され、再起動したこともあって、少し頑張る気風が生まれています。

dscn4714dscn4715dscn4716dscn4717 そんなこともあって昨日の夕方、大野事務局長さんの事務所会議室をお借りして、久しぶりに全員集会を持ちました。全員といっても今治の仲間は参加できず、7~8人の集まりでしたが、それでも予定している世界遺産を巡る旅や、私が中心になって人間牧場でやっている、フロンティアがらみの取り組みについて報告したりしましたが、中心議題は世界遺産を巡る旅のことでした。グループではこれまで原爆ドーム、安芸の宮島、石見銀山、姫路城、飛騨高山合掌造り、屋久島、京都奈良の世界遺産、日光、熊野古道などを巡って来ましたが、今回は奥州平泉を目指しています。

 暇も金も好奇心もあるはずの年齢です。しかし全てにおいて必ずしも満足ではないようで、特に健康不安も垣間見えますが、全員の力で頑張ろうと言う話になり、一番忙しい私のスケジュールに合わせて11月10日~12日までの3日間、阪急交通社のツアーに申し込むことにしました。集会を終って帰宅し、妻にそのことを話しましたが、「もう若くはないのだから、そろそろ播く引きを提案するのもお父さんの役割かも」と助言を受けました。「あの頃みんなは若かった」と、無人等キャンプや丸木舟航海、竪穴式住居製作、フロンティア塾などに青春をたぎらせた過ぎし日々を回顧しつつ、いかんともし難い加齢というお荷物とどう向かい合って生きるのか、考えさせられる一言でした。

  「久しぶり グループ総会 皆元気 欠席会員 近況聞きつ」

  「あの頃は みんな元気で 無人島 朝まで飲んで 夢を語った」

  「10年前 世界遺産を 巡る旅 始めあちこち みんなで訪ね」

  「幕引きを 誰がするのか そりゃあなた 妻の助言を 頷きながら」

 

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人間牧場

〇舞たうん130号

 東京などで発行している雑誌類は、10月1日発行といえば大体1週間前確実本屋に届き、発売日には店頭に並んだりアウトラインは先行して告知されていますが、行政や団体が発行する雑誌類は、発行日が過ぎてもアタフタして、酷いのは一ヵ月遅れのものまであるようです。私が連載記事を書かせてもらっているえひめ地域政策研究センター発行の舞たうんという雑誌が、早々と一週間前の昨日届きました。半官公庁らしく「まだ発行日が来ていないのでそれまでは」と前置き文章が添えられていました。

 今号は「皆が力を合わせ暮らしやすいまちづくりのために」という「協働」がテーマのようです。さて私も26~27ページに「協働の地域づくり」という記事を書いています。10月1日の発行日が過ぎたら、いつものとおり舞たうんを愛読してもらっている何人かに、「読んでください」と手渡ししようと思っていますが、いつもの事ながらとりあえず妻に渡し読んでもらい批評をしてもらいました。妻は文章を書くことなどは殆どしませんが、読んだ感想を述べるくらいなことは出来るのです。「まあまあじゃね」の感想の後に、「よくもまあ毎号書くことがあるねえ」と感心しきりでした。

 皆さん、間もなく届く舞たうん10月号(130号)を読んでください。ちなみに私の記事は「特選ブログshin-1さんの日記」Vol.37です。

 

  「今号は どういう訳か 届くのが 早過ぎ多少 戸惑い隠せず」

  「まず妻に 読ませ批評は まあまあと 言われ次号に よしやる誓う」

  「何年も 書いているのに 上達も せずに執筆 甘んじなら」

  「書く・喋る 実践するを モットーに これから先も 修行修業だ」

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人間牧場

〇婚活

 昨日の夜は月に一度のまちづくり学校双海人の定例会でした。早めに夕食を済ませ会場となっている地域事務所3階のホールへ出かけました。定例会はゲストのレクチャーとワークショップがセットになっていて、今月のテーマは「婚活」でした。話題提供者は事務局の神東さんで、日ごろはおとなしいタイプの神東さんですが、この日ばかりは見違えるように饒舌で、今日まで独身を貫いている自分自身の経験を、楽しくも分り易く解説してくれました。

地域おこし協力隊のお二人
地域おこし協力隊のお二人
神東さんの意味深長な言葉
神東さんの意味深長な言葉

 その後独身である双海町地域おこし協力隊の渡部さん、鬼北町地域おこし協力隊の久保さんの婚活をテーマに、婚活イベントについてワークショップをしました。久保さんは来年の3月で3年間の任期を終える予定ですが、すでに赴任地鬼北町で就農しながら定住する構想を着々と進めていて、とても頼もしく思いました。渡部さんはまだ1年目なのでじっくりこれからといったところのようです。はてさてこの2人に今活イベントによって良きパートナーが見つかるのか、パートナーになる女性から見れば、条件的に不透明な部分が多く、二の足を踏むかも知れないと思いました。

 でも久保さんの熱意ある話を聴く限り、もし私が当事者の女性だったら、選びたくなるような力強さでした。私たちが若い頃は「家付き、カー付き、ババー抜き」などと揶揄され、長男や3K仕事従事者(きつい、汚い、金にならない)が敬遠されたりしましたが、今も多少そのような傾向は無きにしも非ずですが、現代は「本人次第」志向は強いようです。神東さんの話を素材にして4つのグループに別れワークショップをしましたが、中々面白い婚活イベントがありそうです。

 私たちのグループでは、「おせっかいおばさん・おじさん」をテーマに農家の長女に婿入りして、「花嫁・家・農地・仕事・財産・経済」を一気に獲得する作戦を思いつきました。家業を絶やしたくないものの跡継ぎがいない農家は結構あるので、おせっかいおばさんにそれらの情報を集めてもらい、例えば私がコーディネーターとなって橋渡しをするような作戦も、悪くはない話です。そのためには相手の女性に好かれるような、自分自身の自己改革も必要では・・と提案し拍手をいただきました。婚活は地域づくりの永遠のテーマなのかも知れませんね。

  「婚活を テーマの例会 盛り上がり ワイワイガヤガヤ 他人事肴」

  「若い頃 家付きカー付き ババー抜き 言われたけれど 何とか結婚」

  「幸せは 本人次第 いつの世も その点二人 合格点だ」

  「婚活は 地域づくりにゃ 永遠の テーマですから みんな頑張ろう」

 

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人間牧場

〇ミョウガの甘酢漬け

 昨日の夕方、台風の雨と風もどうにか収まりました。毎年この時期になると野生の秋ミョウガが出るので、もしやと思い、長靴を履いて裏山に分け入りました。ミョウガの茎の根元をよく見ると、ミョウガのありかを示すように、乳白色の花が沢山咲いていました。手を突っ込んで一つ一つ丁寧にもぎ取り、持っていた小さなバケツに入れましたが、10分ほどでバケツいっぱいになりました。

裏山に自生しているミョウガ収獲
裏山に自生しているミョウガ収獲

 家の裏山から湧き出ている清水の水場に持って行き、花をちぎったり水洗いをして妻に渡しました。妻は早速8リットルの漬物用広口瓶を倉庫から持って来て水洗いし、お湯を沸かして熱湯消毒した後、私が渡したミョウガをもう一度丹念に水洗いしてザルに上げ、水気を取って広口瓶に入れました。後はラッキョウを漬ける要領で、二杯酢を沸かしてミョウガの入った広口瓶に注ぎ込みました。

ミョウガの酢漬け
ミョウガの酢漬け

 これで一件落着です。余熱が取れたらしっかりと蓋を閉め、1~2日で美味しいミョウガのカリカリ漬けが出来上がるのです。色素も入れないのにミョウガの中から、ピンク色のポリフェノール色素が溶け出して、目にも鮮やかな何ともいえない色あいになります。昔から「ミョウガを食べると物忘れがひどくなる」と言われていますが、私たち夫婦の物忘れのいいのは歳のせいではなく、ミョウガのせいかもしれないと笑いながら話しました。

 酢の殺菌効果でしょうか、ミョウガの酢漬けは常温でも1ヶ月くらいは保存が効くようで、これから当分はお茶漬けの添え物として楽しみたいと思っています。歳をとるとあれやこれやの漬物類が口に合うようになりますが、健康のためには漬物類で塩分過多にならないよう注意をしなければなりません。幸いミョウガの酢漬けは塩分ゼロなので、その心配はないようです。食欲の秋です。新米の美味しい季節となりました。徳島県佐那河内村の原さんからスダチも届き、秋の味覚を満喫しています。

  「田舎ゆえ その気になれば いくらでも タダの恵みで 食卓豊か」 

  「裏山に 分け入りミョウガ 収獲し 今年も酢漬け 明日は食べれる」

  「物忘れ いいのはミョウガの 食べ過ぎと 口を揃えて 笑って食べる」

  「ピンク色 ポリフェノールの 色素出て 何とも綺麗 何とも美味い」

 

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〇八幡浜市日土を訪ねる(その3)

あらし山山荘
あらし山山荘
玄関先で行儀よくお客を迎える福助さんの置物
玄関先で行儀よくお客を迎える福助さんの置物

 退職をしてから松山のマンションと、八幡浜市日土の生家の二居住地を、程よく使って暮らしている親友の清水さんから、月見がてら年輪塾をやるので来ないかと誘われました。清水さんは既に他界した両親が暮らしていた生家を、最近リフォームしたようなので、興味もあって仲間とともに喜んで出かけました。日土は急峻な地形ながらみかん所で、清水さんの家はミカン畑の中に、まるでお城の石垣のようにせり出すように建っていて、折からの台風余波の南風が窓からもがり笛を立てて吹き込んで、残暑を吹飛ばしていました。

観月演奏会
観月演奏会

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 リフォーム工事で板張りフローリングをしたようですが、そこここに古民家の風情が残り、特に玄関の上がり口に、すすけた「福助」さんの置物が座布団の上に行儀よく座って、私たちに無言の教えを示していました。神様や仏様を大事にする篤農家らしい落ち着きがあり、そこここに清水さんの人徳を育んできた足跡を感じました。この日は2時間ばかり清水さんを中心に年輪塾の学びをしたあと、庭先に出て観月会が行なわれました。あいにく月は殆ど見えない曇りでしたが、集落の向うにはまるで北斗七星と見紛うほど行儀よく並んだ、人家の明かりがぼんやりと霞み、とても印象的でした。

一芸もここまでくると凄いこと
一芸もここまでくると凄いこと

 やがて清水さんと近藤さん、兵頭さんの3人がギターやバンジョウ、バイオリン、コカリナなどを使って演奏を始めました。雨ニモマケズ、KINJIRO SONG、私の子供たちへ、私に人生と言えるものがあるなら、おおスザンナ、琵琶湖就航の歌、故郷、カントリーロード、若松一家だバカボンボン、野に咲く花のようにの、計10曲を披露しました。この日のために毎週集まって練習しただけあって、見事な演奏でした。私もご指名を受け手持ちのハーモニカで即興宜しく、月の砂漠と高校三年生の二曲を披露しましたが、お恥ずかしい限りでした。3時間近くに及んだ楽しい交流会も、ぱらつき始めた小雨で水入り中締めとなり、私と松本さんはお暇して帰路につきました。

 いい仲間との語らいは楽しいものです。年輪塾の塾生は一芸に秀でていて、私のような下手糞なハーモニカで、お茶を濁す無芸な人間は、少し肩身の狭い思いがしますが、それでも次までに練習して少しでも腕を磨いておこうと、心を新たにしました。年輪塾で私が提唱する「処」ともいえる「あらし山」が、日土の山奥にできました。また一芸もそれぞれがグレードを高めつつあります。私はこの日清水さんを通じて、辻さんに頼んでいた「二宮金次郎の教え」である、「至誠・勤労・分度・推譲」という掲額を受け取り、雨に濡らさぬよう大事に持ち帰りました。中江藤樹の「五事を正す」とともに大切に使い、日々の暮らしの誡めにしたいと思っています。

  「山奥の あらし山なる 山荘に 仲間が集い 観月楽しむ」

  「処を造る 仲間の想い 凄いこと 田舎に住んでも 心は錦」

  「一芸を 披露するため 集って 練習積んで この日に備え」

  「茫漠と 過ぎ去る日々に 少しだけ 味付けすれば 悔いなく過せ」

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人間牧場

〇砂浜Tシャツ展

 17日から今日までの3日間、道の駅ふたみシーサイド公園の砂浜で、恒例のTシャツ展が開かれています。この3日間はあいにく雨が降ったり止んだりの天気でしたが、雨が小休止することもあって、かなりの人が見学に訪れていたようです。わが家でも孫2人が書いた絵をTシャツにプリントして出店しているので、家族みんなが見学に出かけたようです。私も準備の穴掘りや支柱立てにボランティアとして参加したので、松山へ出かける前に気になり、立ち寄り見学しました。

砂浜Tシャツ展
砂浜Tシャツ展

 実行委員会も実力をつけていて、ファーストフーズのお店も沢山出て、砂浜周辺も今年は昨年より出品枚数も多く、200点を越えているようで、子どものスペースは網で仕切られたり、防波堤の上に展示されたりして見応えのある展示でした。当初目指している500枚の目標にはまだまだ届きませんが、来年が楽しみです。シーサイド公園には他の道の駅にない450mもの砂浜や暖傾斜護岸等がありますが、まだまだその利用は未知数なので、みんなで知恵を出し合って盛り上げて行きたいものです。

いい作品がずらりでした
いい作品がずらりでした

 私も急ぎ足ながら全てのTシャツに画かれた写真や絵、文字を一つ一つ見て回りましたが、それぞれのTシャツに主張があって、とてもいい雰囲気でした。見学者が審査して表彰もされるようですが、孫たちも海の町に住んでいるだけあって、お魚の絵を上手に書いていました。孫たちは隣に用意された空気の入った遊び道具に夢中になったらしく、汗と雨とで泥んこになって帰り、お昼ご飯も外のウッドデッキで食べて楽しそうでした。今年私は出展しませんでした。今朝も雨が降っています、多分展示したTシャツは雨に濡れて洗濯物を干したようになっていることでしょう。まあそれもまた良しです。

「目標は 500枚だと 胸を張る 少しずつだか グレードアップ」

「砂浜を 上手く使って 芸術の 秋を表現 とても爽やか」

「孫たちも 絵を書きプリント してもらい 自画自賛して どうだとばかり」

「今日も雨 まるで洗濯 干し場です 少しだけでも 晴れるといいな」 

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〇八幡浜市日土を訪ねる(その2)

 私が日土の清水さん宅を訪ねるのはこれで3度目です。前回訪ねたのはもうかれこれ5年前ですから、どの道を行けばいいのか少々不安でした。妻が所用でどうしても自家用車を使うため、私は軽四トラックを使うことにしました。午後1時30分にしもなだ運動公園前で松本さんと待ち合わせして、海岸国道378号線を走りました。ゴゼヶ峠の長いトンネルを抜けて保内町へ入り、若松蒲鉾店辺りから谷に沿って日土を目指しました。途中日土東地区に立ち寄ったため、清水さん宅到着は集合時間5分前となってしまい、清水さんを含めた10人ほどの会員は既に到着して、改装なった古民家母屋の畳の間で早速、年輪塾あらし山塾が始まりました。

年輪塾の学習
年輪塾の学習
生きることの意味を話す清水塾長
生きることの意味を話す清水塾長

 まずそれぞれが持参した中国の古書「大学」の素読を順番に行い、清水塾頭が解説する方法で2時間ばかり学習しました。尊徳翁夜話の中から59話、1話、80話、100話、114話、218話、21話、142話、38話、39話、207話、176話、42話をそれぞれ読み出し、さすが塾頭だけあって大学と夜話の相関をたっぷり解説してくれて堪能しました。大学も夜話も難しいと思えば先に進めませんが、自分たちの暮らしに置き換えると案外理解しやすいようです。そのあと宮沢賢治の「農民芸術概論要綱」について議論を深めました。その冒頭に「おれたちは農民である。ずいぶん忙しく仕事をしてつらい。もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい。われらの古い祖父たちの中にはそういう人も応々あった。」とか、「曾つてわれわれの祖父たちは乏しいながら可成楽しく生きていた。そこに芸術も宗教もあった」と述べられています。

 清水さんが言わんとしていることは、この宮沢賢治の文章に凝縮されていると思いました。自分の祖父伝来の家をリフォームして、宮沢賢治の生き方に共鳴するように再起動した清水さんの生き方に、自分自身の生き方を重ねながら、さてこれからの人生をどう生きるか考えました。作家童門冬二が小説中江藤樹の中で「処士」について述べていますが、私は「処士」を「処志」と位置づける運動を興そうとしています。つまり「処」は人が集る寄り所となる場所であり、「志」は「こころざし」です。清水さんは私が私設公民館「煙会所」や「人間牧場」を手に入れたように、「あらし山山荘」を手に入れました。他の年輪塾の塾生も、「処」と「志」を手に入れるよう努力して欲しいと願っています。

  「久方に 日土山奥 あらし山 訪ね私塾の 学び大学」

  「田舎住む 人の殆ど ぶつぶつと やらないことを やれない言いつつ」

  「芸術を 持てば田舎に 住むとても 日々の暮らしが 生き生きできる」

  「私塾にて 処志を育てる 運動を 興した矢先 山荘できる」

 

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