人間牧場

〇2奥(億)円?の幸運

 今朝起きてパソコンを開きfacebookを覗くと、今日は「そんな日があるのか?」と思える「スマイルの日」だそうです。「スマイル」は日本語に訳すと「笑顔」でしょうが、わが家は妻も若嫁も容姿端麗とまでは恥ずかしくて、私の口からは言えないまでも、笑顔が絶えない「笑顔美人?」だと勝手に思っています。余り笑わない男性は別として女性の笑顔は相手に爽やかな印象を与えるもので、笑顔の絶えない女性が一人いるだけで、家庭や職場はまるで花が咲いたような幸せな気分になるのです。

%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%82%a4%e3%83%ab 家の中にゴタゴタがあったり、経済的に窮屈だと、いつとはなしに家の中が暗くなるものですが、わが妻は3人の先祖を手厚く介護してあの世に送ってくれ、経済的にも決して裕福でもなかったのに、持ち前の明るい笑顔でどうにか乗り切ってくれました。私が町名変更問題で失意のどん底にあった時も、歌の文句ではありませんが「明日があるさ明日がある」とばかりに、笑顔で励ましてくれました。今私がこうして元気で暮らせるのは妻のお蔭だと感謝しています。(妻は私のこのブログを読まないので何とでも書けます)。

 妻の笑顔は若嫁にも影響したのか、若嫁も妻以上に「笑顔美人」のようで、わが家は2億(奥さんと奥さんを足すと2奥=2億円)の宝くじに匹敵する幸運を掴んだことになるのです。妻は70歳を越えているのに近所の歯科医院に勤めています。若嫁は父親が亡くなった実家の経営する喫茶店で働いています。いずれも客商売のため笑顔は商品と同じで、どちらもそれぞれの職場でお客さんに好感を持ってもらっているようです。若嫁は別として妻はそろそろ引退しなければなりませんが、金で買えない笑顔で長い間働けたことを幸せに思っています。

  「一奥(億)円 当たったような 気持です 爽やか笑顔 わが家の宝」

  「若嫁も 笑顔最高 一奥(億)円 わが家は2奥(億) 笑顔振りまく」

  「知らなんだ 今日は何の日 スマイル日 金はなくても 何とかなるさ」

  「商売は 笑顔も商品 人寄せの 大事な条件 拳拳服膺」

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人間牧場

〇モグラの被害甚大

 台風の接近で温かい南風が吹き、日中は夏を思わせるような暖かさです。しかし目にはさやかに見えませんが、秋は次第に深まりつつあることを実感します。今日も朝起きて菜園に出てみると、野菜には露がたっぷり降り注いでしっとりしていました。ここ数日畑や畑の傍の小路に異変が起こっています。耕した訳でもないのに畑や小路の至る所が掘り返されているのです。イノシシの仕業と明らかに違う荒らされ方の震源はどうやらモグラの仕業のようです。モグラが入ると野菜の根が持ち上げられ、そのうち枯れてしまうのです。

%e3%83%a2%e3%82%b0%e3%83%a9%ef%bc%91%e3%83%a2%e3%82%b0%e3%83%a9 わが家庭菜園は牛糞や豚糞などをふんだんに入れ、有機農業を目指しています。故にミミズが発生し、土が随分柔らかくなってきましたが、どうやらこのミミズを食べにモグラがやって来たようです。モグラは夜行性、加えて土中にいるため、その姿を見ることは殆どありません。故に駆除が難しく、モグラの掘った土の盛り上がった所を踏み潰して、土中のトンネル穴を潰してもまったく効果が無く、やりたい放題縦横無尽といったお手上げの状態なのです。ホームセンターに行くとモグラ捕獲器なるものを売っていますが、値段が少し高いのと捕獲する自信がないため、私はまだ手に入れていません。

 仲間はペットボトルを使って風車を作り、モグラの嫌がる低周波音を地中に流しているそうで、ひとつ分けてもらって設置してみましたが、一向に効き目がないようなので、さてどうしたものかと思案中です。モグラに加え今年は暑さが長引いているため害虫が異常発生して、折角育ちつつある冬野菜の葉っぱも食害に遭って、被せた防虫ネットも焼け石に水で、悩みは深くなるばかりです。松山祭りが始まった今朝は気温も下がり台風一過の爽やかな秋空が戻ってきましたが、これから暫くは「あ~あ」でしょうか。

  「牛糞や 豚糞入れて 土作り ミミズ発生 土もフカフカ」

  「今朝見ると 畑と小路 掘り返し 耕したよう モグラの仕業」

  「トンネルを 上から踏んで 潰したが 殆ど効き目 無しでお手上げ」

  「夜行性 加えて土の 中ゆえに 姿も見えず どうしたものか」

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人間牧場

〇早いもんだね早くも1年

 昨日facebookを開けると、いきなり私のホームページに1年前の記事が、何の前触れもなしにアップしました。「そうか昨年の私の誕生日であった10月3日には、人間牧場の開設10周年を記念して述べ100人が参加して色々な記念事業をやったなあ」と、あらためて時の流れの早さに驚きながら、記録に残っている記事を読み返しながら、思い起こしました。70歳を越えた私の記憶装置は随分傷んできましたが、パソコンという優れものの文明装置に、何げない日々の暮らしを記録させているお陰で、こうして忘れかけていた過去の記憶が、鮮烈に蘇るのですから凄いことだと実感しました。

10%e5%91%a8%e5%b9%b4%e5%b9%b4%e8%bc%aa%e5%a1%be この1年間に人間牧場を訪れた人は、正式にカウントしたり芳名録に銘記もしていないので、正確には分りませんが、Writing Calemdarに記録している訪問者を粗方数えれば1000人もの人が来て、交流しているのですから驚きです。私はその都度私の持っている浅はかな知識や知恵を披瀝して来ましたが、むしろ来訪者に私が教えてもらったことの方が多いような気がしています。交流はお互いの力が無いと成立しないものです。私も自分なりに加齢による劣化の下り坂速度にブレーキを掛け、進化をしようと努力してきましたが、そのファイティングポーズだけでも意味があるような気がしています。

 さてこれまでの1年と同じようにこれからの1年で、劣化の速度を落とし、いささかの進化ができるかどうか、自分への挑戦だと思って頑張ってみるつもりです。頑張り過ぎると失速する可能性もあるので、とりあえず辻先生に頼んで掲額に書いてもらった金次郎の教えである、至誠・勤勉・分度・推譲の四つを目標としながら、しっかりと生きて行きたいと思っています。念願の「夕日徒然草」も7冊目(181話~210話)を早く執筆して、世に出したいと思っています。目標は二宮尊徳翁夜話の232話なので、まだその道は遠いようですが、何としても・・・・。

  「早1年 時の流れの 早いこと 新聞切抜き いきなりアップ」

  「これまでの 1年よりも これからの 1年さらに グレードアップ」

  「親友が ファイティングポーズ 大事だと 誕生はなむけ メールをくれた」

  「掲額に 至誠・勤労 推譲加え 分度の4つ 大事と書いて」

10周年を知らせる新聞記事
10周年を知らせる新聞記事
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〇72回目の誕生日

 昨日は私にとって72回目の誕生日でした。さすがにこの歳になるとバーズデーパーティもバーズディケーキも無縁ですが、昨日の朝起きると妻が「お誕生日おめでとう」と言ってくれ、若嫁や内孫・外孫・子どもからも電話や言葉で祝意が寄せられました。若嫁からは自分の実家の喫茶店で出している、私の大好きなパンプキンショートケーキを贈られ、facebookでの沢山の祝意とともに、この上ない一日となりました。

誕生日に今年も贈られた花籠
誕生日に今年も贈られた花籠

 昨日は毎年の事ながら嬉しい出来事がありました。所用で外出し自宅へ帰ると玄関先にとても立派な花篭が、メッセージを添えて届いていました。送り主は伊方町瀬戸に住む緒方二三子さんと松山市南吉田に住む西岡真由美さんからでした。お二人のことについては昨年もブログに書きましたが、私が現役でシーサイド公園を立ち上げた時、サプライズで誕生日の花束を贈ってもらったことがきっかけで、もう20年以上に渡って誕生日にお花を贈ってくれるのです。

 それはそれとして涙が出るほど嬉しいのですが、贈られるさしたる理由もないので丁重にお礼やお断りをしていますが、私が元気なうちはと今年も届けてくれました。お返しをすることも出来ずご厚意に甘んじていますが、はてさてどうしたものか思案しています。留守中だったので早速お礼の電話をかけましたが、緒方さんはあいにく留守だったもののご主人が電話口に出ていただき、西岡さんには直接お話をすることができました。

 私のような取るに足らない田舎者にまで、お天道様は光を当ててくれていますが、私もそのことに感謝して人様に恥じぬよう強く生きなければなりません。と同時に社会への恩返しもしようと心に決めて生きています。昨日の朝、若い頃青年団活動でお世話になった福井眞男先生が亡くなったという訃報を、親友の冨田さんが知らせてくれました。今日は広島県尾道市へ出張する予定が入っているため、葬儀に参列できないので、昨晩ルミエールで行なわれた通夜式に参列してお別れをしましたが、先生も「人のため社会のために働け」と激励してくれたような気がした一日でした。

  「今年も 誕生祝い 花籠が 玄関先に 置かれ感激」

  「20年 越えて毎年 届きたる プレゼント主 二人の女性」

  「この上は しっかり生きる 覚悟して 残りの余生 人や社会に」

  「母親の 今日は命日 仏壇に 線香手向け 決意を誓う」

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◯孫たちの釣果

 昨日は久しぶりに晴れた日曜日でした。このところのぐずついたお天気で、孫たちも何となく不完全燃焼といった感じだったので、息子は休みを利用して、3人で釣りに出かけたようでした。夕方3人が「釣れた釣れた!」と言いながら帰ってきました。孫二人はクーラーボックスの蓋を開けて中を見せてくれましたが、釣果はゼンゴ30匹と小鯛、それに小さなモイカでした。

孫たちの釣果
孫たちの釣果

 これまでにも何度か釣りには連れて行ってもらっている孫たちですが、釣果はその度さっぱりだったので、まあすごい自慢で、「これは僕が釣った」と大騒ぎでした。いつものように若嫁から下調理を頼まれましたが、昨日は親類から沢山の魚を頂いて下調理を終えたばかりだったので、丁寧に断りました。若嫁はその後ゼンゴは素揚げにして南蛮漬け、モイカは煮付けにして食卓に出していました。

 その味は格別だったようで、何はともあれ楽しい家族団らんでした。私たち夫婦は叔母の法事で頂いた、折り詰めの残り物に、菜園で収穫した小松菜のおひたし、それに親類から頂いた鯛の刺身でお茶を濁しましたが、若かった頃に比べ食がだんだん細くなって、しかも肉類は殆ど食べない食生活に変化しているようです。

  「久方に 親子で釣りに 出かけたが 釣果それほど それでも自慢」

  「おじいちゃん この鯛僕が 釣ったから 刺身にしてと 真面目にせがむ」

  「美味しいと 南蛮漬けの ゼンゴ食べ 家庭円満 賑やかでした」

  「わが家では 頂き物の 鯛刺身 隣に負けぬ 食卓ご馳走」 

 

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人間牧場

〇扇子

 今年の夏は雨が降らず干ばつでした。ところが秋になると一転、今度は秋雨前線の影響で雨・雨・雨、家庭菜園のお世話も大変で、毎日ため息をついています。昨日から10月になったというのに、日中の気温は25度以上の夏日が続き、扇風機も未だに終わず風呂上りには大活躍をしています。涼を求めるために木になるカバンに入れて持ち歩いている「五事を正す」の扇子も手放せず、行く先々で風流にも使っていますが、書斎の横棚にも田処のほたる祭りで手に入れた扇子が一本置いています。

dscn4745 年輪塾でお世話になっている大洲藤樹会の辻先生が、書を絵を画いている扇子を開けると、どちらか表か裏か分りませんが、中江藤樹の絵をあしらった「孝」と漢文、もう一方には論語の漢文が書かれています。いずれも凡人ゆえスラスラと読むことは出来ませんが、「子曰く、学びて時に之を習う。亦説(よろこ)ばしからずや。朋有り、遠方より来る。亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。」と続いています。現代語に訳すと、「孔子は言いました~。」で始まるのです。

dscn4744 「孔子はいいました。習ったことを機会ある毎に修復し身につけていくことは、なんと喜ばしいことでしょう。友人が遠方からわざわざ私のために訪ねて来てくれることは、何と嬉しいことでしょう。他人が自分を認めてくれないからといって、不平不満を言うことはありません。何と徳のある人でしょう。」。扇子を広げ仰ぎながらてな調子で読み、意味を噛みしめていますが、「論語読みの論語知らず」と言われるように、読むことさえも意味さえも、お恥ずかしいことに解かりかねています。

 ましてや渋沢栄一の書した「論語と算盤」という本など、思いつくまま時々乱読していますが、奥が深くて意味の理解が出来ずにいます。渋沢栄一は論語と陽明学、武士道を考え方のベースにしてこの本を書いていますが、①個人の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべし、②目の前の成功とか失敗というだけを見ずに、天地の道理を見て誠実にひたすら努力し、自分の運命を開くべしと説いています。中江藤樹の「知行合一」、二宮金次郎の「経済と道徳」、渋沢栄一の「道徳経済合一説」は時代やいい方こそ違え、考えは一緒だと思いながら、今朝もウォーキングで汗ばんだ身体に、扇子で論語の風(かぜ)を吹かせ当てました。

  「扇風機 今年は10月 なったのに 終わず使い お風呂上りに」

  「暑かった 今年の夏は それぞれの 扇子を使い 分け使う」

  「また一つ 生き方学ぶ 論語風(かぜ) 道徳経済 合一大事」 

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〇大学生がやって来た

 「進ちゃん、午後から空いている?」と、昨日の朝雨の中、道の駅シーサイドふたみで来訪者を待っていると、漁協女性部長の松本さんから午後のスケジュールを聞かれました。「多分空いている!!」と言うと、「愛大の竹ノ内先生が生徒を連れて午後1時にやって来るので、付き合ってくれない」とのことでした。いつも急に言われ、いつも気安く引き受ける癖がついているので、12時にわが家で来訪者を見送り、急いで食事を済ませ再び道の駅へ、トレードマークの木になるカバンを提げて午後1時きっかりに到着しました。

dscn4748 昨日は雨の中松山商業高校の生徒がバス2台に乗って遠足に来ていて、イベントホールは全て占領されてしまっていたので、ミュージアムの室内を借りて、竹ノ内先生、鈴木先生に付き添われた大学生宇都宮さんを相手に、じゃこ天のお店を開いた経緯やその後の足取りについて、途中松本部長さんも加わり聞かれるまま、20年間の出来事を一気に話しました。今回は大学生宇都宮さんの卒論用の聞き取り調査らしく、宇都宮さんは聞きたいことを箇条書きにしてくれていたので、大助かりでした。

%e3%81%9f%e3%81%91%e3%81%ae%e3%81%86%e3%81%a1%ef%bc%92 質問に答えながら、シーサイド公園を造った経緯や、平成7年3月16日のオープン当時のこと、その後のこと、今後のあり方について色々と考えてみましたが、私も退職後早12年が経ちました。これまでのことは語れても今や未来に口出すすべもなく、私の出番等ないため気楽といえば気楽ですが、造った張本人としては、想いと現実の間に相当の開きやギャップを感じていて、多少心を傷めているのも事実です。先日中庭に置いている丸木舟が来客の導線に邪魔だから、どこかに移転する手立てはないかと、シーサイドから相談を持ちかけられました。

 シーサイドには恋人岬のモニュメントや、中庭のモアイ像、屋上のストーンヘンジ、園内路の童謡の小路、日没地図、幸せの手形、愛の鐘、階段式護岸などなど、夕日に関する物語を仕掛けとして沢山造っていますが、これも使わなければ宝の持ち腐れです。丸木舟も想いのない人にはただの邪魔な置物にしか過ぎないのです。中庭の池もいつの間にか潰され、夕日のミュージアムに飾った絵画や書もなくなり、倉庫と化しています。これも時の流れとして諦めなければならないのでしょうか。

  「大学生 卒論書くため やって来た 思いつくまま 当時を喋る」

  「頑張って いるは唯一 じゃこ天の お店だけだと 寂しく思う」

  「あれやこれ 造った宝 持ち腐れ 想いなければ ただのガラクタ」

  「ああ時代 変わったものと 諦める どうすりゃいいの どうなるのだろう」

 

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人間牧場

〇雨の中の草刈り作業

 このところ雨続きで、人間牧場の草刈りも気になりながら延び延びになっていました。昨日は松山工業高校の運動会が雨のため順延となり、午前中は手持ち無沙汰だったため、小雨の中で先日枯れて切り倒し、焼却場まで運んでおいた極早生ミカンの枯れ枝を、焼却処分することにしました。少し濡れて火点きが悪かったため、段ボール箱を入れて種火を作ったお陰で、思った以上によく燃えて一段落しました。

 汗をかいたのでシャワーを浴び昼食を終える頃になると、雨も小休止となり時折薄日が差し始めたので、倉庫から草刈機を取り出し、軽四トラックに積んで人間牧場へ向いました。久しぶりの人間牧場は至る所草が伸び放題となっていました。早速エンジンをかけ手当たり次第草を刈り始めました。雨に濡れた草は面白いように切れましたが、そのうち周辺に霧が立ちこめ雨が降り出し、そのうち本降りとなってしまいました。

 あいにく雨合羽も持ち合わせていなかったし、もう少しもう少しと思って作業を続けた結果、藪蚊に刺されないよう腰にぶら提げていた蚊取り線香も、雨に濡れて消え万事休すです。草刈機タンクのガソリンが切れたところで、ずぶ濡れになったことに気付き、草刈り作業を終えました。軽四トラックの座席が濡れないようタオルを敷き、自宅へ帰ると風呂場に駆け込み、熱いシャワーを浴びてホッと一息つきました。

 草刈りを何故急いだのか、それは今日の午前中人間牧場へ来客があるからです。人間牧場を綺麗に見せる必要はさらさらありませんが、周辺の片付けや室内の掃除は、最低限やらなければならないこだわりだと思っています。ゆえに来客がある緊張感が人間牧場をそれなりに維持できているのです。私設ながら1年間に千人もの人が訪れる人間牧場も、そろそろ息子に譲ることも考えなければなりません。息子もそのつもりで保守や運営に関わってくれていますが、建設して10年が経ち、ほころびも目立ち始めました。いよいよ正念場のようです。

  「人が来る 最低限は やらねばと 雨でずぶ濡れ 草刈り作業」

  「雨に塗れ 風邪でも引いたら どうするの 妻の注意も 馬耳東風だ」

  「この10年 おおよそ毎年 千人の 人が牧場 訪ねて交流」

  「さあ今日も 来客対応 腕まくり どんなドラマが 待っているのか」

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人間牧場

〇9月の五行歌

 数日前、松山五行歌の見山あつこさんから、9月歌会の報告書が届きました。いつもながら歌会の下支えをしてくれている姿に感謝しながら封を切りました。中には先日伊予鉄高島屋で開かれた作品展を松本さんや米湊さん、赤石さんと一緒に訪ねた折のスナップ写真をハガキにして、丁寧にもそれぞれ私信を書いて同封していました。近々会う機会を見つけてそれぞれに手渡したいと思っています。

 さて今月の私の駄作は欠席歌の部で、お粗末ながら四席という朱文字が添えられていました。
  「伊達」と書いたら
  「いたち」と読まれ
  「百足」と書いたら
  「ひゃくそく」と読まれた
  学校で何を習っているの?

 講評は次のとおりでした。
 「☆ピンポイントで「伊達」や「百足」は習わないと思いますが、漢字がちゃんと読めない人が増えているような
  現状は、作者ならずとも気になりますね。今の時代、パソコンで打って、プリンターで印刷。自分で書かな
  いことや、本を読む人が少なくなったというのも影響していて、学校教育だけのせいではないのでは!の
  感想も出ました。」とのことでした。

 ちなみに出席歌の部一席は永井純子さんの次の歌でした。
  朝起きて
  一番に
  思うこと
  今日もたくさん
  笑えますように

 ちなみに欠席歌の部一席は久我正明さんの次の歌でした。
  年寄りが
  薬を貯めるのも
  札束を隠すのも
  鈴虫を捨てるのも
  みんなポリ袋

  「駄作だが 朱色で四席 恥ずかしい 人の歌見て その佐歴然」

  「今度こそ いつも思うが いい歌が 浮かばず失意 さて次回は」

  「筆まめに いつもお便り 貰う人 顔を浮かべて 私信に感謝」

  「夏が過ぎ 秋が来たよと 言うように それぞれの歌 秋の気配が」

 

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人間牧場

〇漁師の気風

 私は家業であった漁業を継ぐべく、高校は何の疑いもなく宇和島水産高校を選びました。大学進学の時期に親父が病に倒れ、ふるさと双海町へ帰郷して7年間漁師をしました。その後体調を崩して役場に入りましたが、高校時代遠洋航海で珊瑚海まで出漁したり、漁師時代に培った気風はその後の生き方に大きな影響を与えました。私は伊予灘を漁場とする小型底引き網でしたから、早朝1時に起きて漁場へ向わなければならないため、早寝早起き癖がつき、その癖でしょうかあれからずっと、早朝1時ではないものの朝4時に目が覚めて一日が始まる習慣を毎日繰る返しているのです。

 漁師は魚を獲るのが仕事ゆえ、場所と潮時を選ばなければなりません。まったく同じ場所に網を入れても、潮時を間違えると魚は獲れないばかりか、網まで破ってしまうのです。最初はそのことが分らず不漁を嘆きましたが、そのうちまるでジグゾーパズルのような幾つもの条件を組み合わせると、魚が獲れることが本能的に身につき、自分だけにしか分らないオリジナルな魚を獲るためのストーリーが出来上がるのです。「漁師は魚が獲れなければ狙う魚を変え、道具を変え、場所を変え、潮時を変える」、これが漁師の知恵なのです。「魚が獲れない」ことを人のせいや日和のせいにしない生き方は、仕事を変ってからも随分役に立ちました。

 私は35年間役場に勤め、教育委員会で社会教育、産業課で水産、企画調整室でまちづくり、地域振興課で地域活性化を担当、退職してからもこの12年間、人間牧場を中心に充実した生き方ができたのは、若い頃身につけた漁師の気風のお蔭だと感謝をしています。長年傍で見てきた妻は私のことを「マグロのような人間」と言います。私にとっては、最大の賛辞だと思っていますが、マグロは死ぬまで休むことなく泳ぎ続けます。多分目標としている85歳まで、少なくとも後13年間はマグロのように人生の荒波を元気に泳ぎ続けることでしょう。これって幸せかも・・・。

  「若いころ 漁師経験 したお蔭 六感働き 大いに羽ばたく」

  「幸せは 南(みな身)にあると 教えられ マグロのように 泳ぎ続けて」

  「人生も 残り少なく なってきた これから大事 一生懸命」

  「元漁師 私の肩書き 誇らしく これから先も 名乗り続ける」

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