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〇「うん」がついたぞ!!

 今朝5時30分に自宅を出て、ウォーキングに出発しました。今朝はこの冬一番の冷え込みで、手袋をはめていても手足が少しかじかむような寒さでしたが、暗闇の中LEDの小型懐中電灯を点けて、いつもの道をいつものペースで元気に歩きました。やがて川向こうの道を歩いていると靴底に何やら軟らかい違和感を感じました。懐中電灯で照らして良く見ると、何と何と犬の糞を踏みつけていました。

 「しまった~あ」と思いましたが、運の尽きです。立ち止まって片足の靴を脱ぎ、持っていたテッシュペーパーで拭き取りましたが、余り軟らかい糞ではなかったので綺麗に取れたものの、朝の小さな受難に折角の気分爽快も「×▼■・・・・」てな感じで家に帰って、「今日は朝から犬のウンコを踏んで運が悪い」と、妻に一部始終を話すと、「お父さん、何事も考えようよ!!、うん(運)がついたと思えばいいじゃないの」と、逆に励ましてくれました。

 「そうか、そういう考えもあるなあ」と思いながら、若い頃カモメを餌付けしたことを思い出しました。私たちの町は海沿いに面していて、冬になると白いカモメが沢山海岸にやって来て、防波堤や船の舳先にとまり冬を越すのです。その姿を見て「カモメを観光資源に出来ないか?」考えた挙句、カモメを餌付けすることを思いつきました。最初は人間を警戒して中々上手く行きませんでしたが、その内天かすやパンの耳で餌付けすることに成功しました。

 ところが餌付けしたカモメが船の舳先にとまって、大量の糞を落し始めました。私が餌付けをしたことを知った組合長に「うんこならぬうん(運)のつきだ」と大目玉を喰らいました。私は必死に「うんこならぬうん(運)がつく」とやり返しましたが、結果は町長に言い上げられ、上位下達であえなくザ・エンドとなりました。当時のことを思い出す度に、カモメと「うんこ=運」の薀蓄が懐かしく蘇えります。それにしても私の踏んだ犬の糞はどの犬の落し物だったのでしょうか?。アッハッハです。

  「ウォーキング 何やら靴底 違和感が 懐中電灯 照らしてありゃりゃ」

  「暗い道 ゆえに気付かぬ 犬の糞 踏んで気付くは お粗末千番」

  「運のつき 考えようで 運が付つく ポジティブとらえ 前向き生きよう」

  「若い頃 カモメに餌付け したっけな 最後の結末 町長一言」

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〇師走あれこれ

 師走も押し迫り始め、何となくせかされるような気分になっています。正月までにやることは年賀状作り、注連縄作り、餅つき、大掃除と、これからの予定を頭に描きながら日々を過ごしていますが、一番厄介なのはやはり年賀状です。もうそろそろ止めようかとも思っていますが、正月に届く多くの年賀状のことを思うと、なし崩し的にやり始めるのです。私は現職を止めても、また昨年は親父が亡くなって喪中だったため出さなくても、年賀状は600枚を越えて届きました。

出番を待つ年賀状

 「お父さん、今年は何枚頼むの?」と、妻が私に聞いて、とりあえず妹の店くじらが取り扱っているので、年賀ハガキを注文をしてくれました。当てずっぽで「400枚」と頼んでいましたが、パソコンの筆王で住所録を整理していると、どうしても100枚程不足することが分りました。インクジェットの年賀状では印刷できないと、印刷屋さんから普通紙に替えるよう連絡があり、近くの郵便局へ出かけて取り替えてもらったついでに、100枚買い加えたので今日にでも、印刷屋へ持ち込もうと思っています。

 はてさて、私の年賀状はこの20年、人とちょっと変わった作り方をしています。その年にあった私の10大ニュースを時系列的に思い起こして書き込みます。こうしてパソコンに入力しておくと、20年間の出来事がしっかりと記録されて記憶に留めることができるのです。昨年、3年前、5年前、10年前、20年前と遡れば、何でもないような他愛ない出来事ながら、既に自分史が出来上がるという算段です。若い頃のような思わぬハプニングはもう望むべきもありませんが、いいアイディアだと内心ほくそ笑んでいます。さて私の10大ニュースは、間もなくお手元に届く予定です。乞うご期待。な~んちゃって。

  「今年も 師走読んで 字の如く 押して迫って 慌しくも」

  「年賀状 もうそろそろと 思いつつ 今年も出すと 決めて準備を」

  「年賀状 注連縄飾り 餅つきと あれやこれやが 目白押しです」

  「パソコンの お陰省エネ これまでの 住所録あり 随分助かる」

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〇ハマチを12本捌く

 海の近くの漁村に住んでいると、都会では考えられないような出来事に沢山出くわします。昨日の朝町内の有線放送で、「ハマチが沢山獲れたので、漁協の魚市場で3本千円でお分けします」と放送がありました。朝の食事時だったので、息子は発泡スチロールの箱を持って、軽四トラックで5分ほどの魚市場へ買い出しに出かけました。そのうち何と12本も持ち帰って来ました。

 昨日はごみ出しの日なので、急いで処理をすれば内蔵などをゴミに出せるかも知れないと言うので、結局私が粗調理を引き受ける羽目となりました。とりあえず妻の割烹着を着せられ、長靴を履いて家裏の外流し台で、大きな出刃包丁を研いで、頭と尻尾を落とし内臓を取り出し、頭を真っ二つに割ってエラを取り、残飯の処理をして若嫁がゴミ出ししてくれましたが、まあそれからが一仕事です。

 粗調理した部位を水道水で綺麗に洗い、水気を取ったあと早速3枚に降ろす作業に取り掛かりましたが、12本もの大量ゆえ1時間ほどもかかってしまいました。昨日はこの冬一番の冷たさで、ましてやハマチは氷詰めされていたので、手がかじかんで思うような包丁捌きは出来ませんでした。綺麗に水洗いし三枚に下ろしたハマチの身部位はヒハラをそぎ、タッパーに入れてラップし素早く冷蔵庫に収納しました。

 娘や息子、それに知人にもお裾分けしてやりましたが、娘や息子の家へは畑から大根を引き抜いて一緒に持って行ってやりました。昨日の夜はハマチの刺身にブリ大根の煮付けが食卓に並び、1匹僅か333円のかなり大きかったハマチはご馳走の手合いで胃袋に収まり、大満足でした。これから2~3日はハマチの照り焼き、ハマチのづけ丼、ハマチの刺身などを大いに楽しみたいと思っています。魚党の私としては幸せです。

  「海の町 漁師の町ゆえ 放送で 3本千円 何とまあです」

  「12本 ハマチをまな板 包丁で 次々捌き 腕前披露」

  「子どもたち 知人友人 お裾分け 料理の腕も 随分上がって」

  「ブリ大根 ハマチの刺身 勢揃い 満足の手合い 何たる幸せ」

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〇サンセットロマンチッククリスマス

 最近巷では、12月に入ると町中がクリスマス気分で、あちらこちらにきらびやかな電飾が点灯し、クリスマスの曲が流れ、まるで別の世界へ来たような感じすら受けます。わが家でも息子たちのダイニングには2人の孫たちのためにクリスマスツリーが飾られ、大きくて赤い靴下の中に入れるサンタさんへのプレゼントのお願い手紙を、せっせと書いているようですが、はてさて今年はどんなクリスマスになるのでしょうか。

 2~3日前、孫2人にせがまれて、道の駅ふたみシーサイド公園へサンセットロマンチッククリスマスのイルミネーションを見に、午後5時半頃出かけました。元々このサンセットロマンチッククリスマスは、私が現職のころ始めた事業ですが、当時はイルミネーションも珍しかったので、かなり話題になりましたが、今は職員さんが細々とやっていて、それでも12月23日にはサンタに扮した人がパラグライダーに乗って空からやって来るとあって、プレゼントを貰うためにやって来る子どもたちには今もかなり人気のようです。

 シーサイド公園の中ほどにある、イベントホールの内外に飾られたイルミネーションは、とても綺麗で孫たちも白い椅子に座って「綺麗、綺麗」と誉めながら見とれていました。そのうちお店が閉まる時間になったので帰ることにしましたが、孫たちのお目当ては、おじいちゃんに何か買ってもらおうとの魂胆でした。玄関先の自動販売機でソフトクリームを買い求め、まだ母親が仕事から帰っていないことをいいことに、2人はダイニングに入り手を洗いうがいをしてから、ソフトクリームを美味しそうに食べていました。氷菓は夏の食べ物と思っている時代遅れの私には、何とも理解できない孫たちの行動に少し驚きました。

  「巷では 早くもイルミ ネーションが ジングルベルの 音楽添えて」

  「元々は 私が始めた シーサイド クリスマスツリー 今に続いて」

  「綺麗だね 孫と一緒に 見るツリー 孫の目当ては ソフトクリーム」

  「あれこれと 物騒世の中 だけれども やっぱり平和 まるでメルヘン」

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〇アロエの花

 昨日ウォーキングの途中で、JR予讃線の鉄橋の袂付近の斜面に咲くアロエの花を見つけました。私の住んでいる双海町は瀬戸内海の伊予灘に面しているため、気候は一年中比較的温暖で、1~2月の厳冬期に時々氷点下近くまで下がるものの雪も殆ど降らず、まあ住むのには文句のない場所なので、露地のあちこちには暖地系の植物が枯れもせず冬越しをしています。

 アロエは肉厚のサボテン系植物で、やけどや虫刺されなどに効くことから、各家庭の庭先で良く見かけますが寒さに弱く、昨年は10年ぶりの寒波でわが家の鉢植えも一部枯れましたが、露地植えのアロエはさすがに強く、枯れることなく枝葉を広げ、この時期になると特徴ある赤い花を咲かせて楽しませてくれるのです。持っていたデジカメで写真を写していると、近くのおばあさんが家から出て来て、「アロエは医者知らずというのよ!!」などと教えてくれ、世間話に花を咲かせました。

 何年か前高知県四万十市旧西土佐村へ出かけた折、親友の和田修三さんがアロエの工場見学に連れて行ってくれました。アロエを搾ったエキスは美肌効果のある化粧品になるそうで、また最近は飲料としても売られていますが、毎朝食べているヨーグルトにも無色透明のアロエの果肉が入っていて、胃腸の調子を整える効果があるのか、便秘にならないようです。今年はこのところ比較的温かくて、寒い時期に咲く水仙の花が早くも咲き始めました。花の少ないこの時期だけにアロエの花は一際美しく感じました。

  「JR 予讃線沿い 斜面咲く アロエの花に 思わず見とれ」

  「持っていた デジカメ一枚 アロエ花 冬のこの時期 綺麗な姿」

  「何年か 前に訪ねた 西土佐で アロエ工場 見学したっけ」

  「アロエ入り 朝食パンに 添えられた ヨーグルト食べ 胃腸快調」

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〇今朝はマラソン大会

 ブログ書き、ウォーキング、朝食と朝のお勉めを終わって一休みしていると、孫から「マラソン大会をしよう」と誘われました。朝のウォーキングで6千歩も歩いているので、「う~ん」と渋りましたが、折角の誘いゆえ断わることもできず参加することにしました。3年生の孫希心は翠小学校まで、1年生の孫奏心は仲ノ宮の橋まで、私は巳道利建設までと距離を決め、スタートしました。

ホワイトボードに書いた孫奏心の誓いの言葉

 孫2人はスタートダッシュしてそのうち視界から消えました。私は歳相応を考え早足で歩く程度のジョギングマラソンでした。そのうち孫奏心を視界に捉え、折り返しの帰りは2人で話しながら帰りましたが、孫希心は私たちの倍の距離なので中々戻ってきませんでした。私たち二人が帰った後、心配した母親が車で迎えに出ようとすると息を弾ませて帰ってきました。

 孫希心はインフルエンザにかかって学校を一週間休み、楽しみにしていた構内マラソン大会に出場できませんでした。また孫奏心も自信があったのに不本意な結果になったため、2人とも自分自身にリベンジを誓っているようで、今日はその思いの詰まった小さな小さな3人だけのマラソン大会となりましたが、私にとっては少しきつい走りでした。私も今年の冬は少し走ってみようかと、歳のことも忘れて思いを巡らせています。

 今日は孫たちのお陰で9時までに、手持ちの携帯電話内蔵の万歩計で1万2千歩も稼ぎ、少しルンルンといったところです。今日は午後、ガンが再発した義兄の病院医師説明に妻と一緒に出かける予定です。平均寿命と平均健康寿命の差は概ね7~8年だそうです。つまり人生の最終7~8年は介護や要支援の暮らしが予想されるのです。快食・快眠・快便の自立型高齢者になれるよう、今から準備を進めています。同居の孫たちのお陰で、マラソン大会?にも参加できて幸せです。

  「おじいちゃん マラソン大会 やろうよと 誘われ参加 フーフー言いつつ」

  「1年の 孫にも勝てぬ おじいちゃん 行く先々が 思いやられる」

  「わが寿命 延ばすも大事 だけれども 健康寿命 確保命題」

  「もう少し 走れるように この冬は 練習重ね 孫と同等」 

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〇秋の終わり・冬の始まり

 最近は気候の変化が曖昧で、いつまでが秋でいつまでが冬か分らぬまま師走を迎えています。私が子どものころの1年納めの大相撲九州場所など、もっともっと寒かったと記憶しています。暖房器具の整っていなかった昔ゆえと納得もしていますが、それでもさすがに自分自身が72歳の初老になると、このところの寒さは身に堪え、自宅では一年中半袖半ズボンで過している息子の姿を見て、羨ましく思うのです。

寒いけどイチョウの黄葉はいまが見ごろです

 わが家の前に聳える双海町のシンボル本尊山周辺は今が紅葉の盛りで、ハゼの濃い赤い色は少し落葉したものの、黄色味を帯びたクヌギの色が何ともいえない風情を醸しています。わが家の果樹園の直ぐ隣の畑に植えているイチョウは、今が紅葉の真っ盛りで、黄色というより黄金に近い色で一際人目を引いています。隣の畑の持ち主は銀杏を採集する目的で、このイチョウの木を植えたようですが、高齢になってこの2~3年体調が思わしくないらしく、まったく姿を見せなくなりました。

 それをいいことに、落ちた銀杏の実は野鳥やイノシシなど有害鳥獣の餌となって、毎夜のように出没して、その余波でわが果樹園も有害鳥獣の洗礼を受けています。有害鳥獣は夜行性ゆえ深夜徘徊をするので、現場を目撃していないため正確なことはいえませんが、餌となるミミズを求め畑のあちこちを掘り返して遊んでいるようです。またヤマイモを掘って食べたと思われる大穴もあちらこちらに見られ、諦めるしかない悪態の行動にため息を漏らしています。北風が強く吹いてイチョウの葉っぱを落とすと、間もなく寒い冬がやって来ます。あと100日は寒さに耐えなければなりません。今日も寒い一日になりそうです。

  「いつからが 冬なのかさえ 分らない イチョウは今が 秋の盛りだ」

  「寒いねえ 朝のあいさつ この言葉 歩いている人 殆ど高齢」

  「拾い手の いない銀杏 格好の 有害鳥獣 餌場になりぬ」

  「歳取ると 寒いの苦手 だけれども 健康維持する ために戸外へ」 

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〇上灘川の鯉

 昨日の夕方、前日から強く吹いた北西の季節風も幾分収まったので、一万歩を目指す仕上げのウォーキングに出かけました。いつもは通らない市営住宅付近の上灘川沿いの道を歩きながら、ふと上灘川を覗き込むと、堰堤下の深みに、沢山の鯉が泳いでるのが見えました。黒い鯉に混じって黄金や紅白の鯉が泳いでいましたが、中に見覚えのある鯉を何匹か見つけました。

川で泳ぐ私が放流した鯉たち

 実はわが家には10年ほど前まで池があって、鯉を沢山飼っていたのです。存命だった親父は昔から凝り性で、飼っていた鯉は一匹数十万円もするものもいて、近所では話題になり見学に来る人もいるほどでした。私も忙しく、また親父も寄る年波で世話も思うに任せず、ある日突然止めると言い出しました。高価で立派な鯉は鯉飼育仲間に無償で譲り、浄化槽一式も世話になった業者に差し上げ、残った鯉は上灘川の深みに放流したのです。

 放流しても多分水に流されてその内いなくなるだろうと思っていましたが、どうしてどうして鯉は放流した場所に住み着き、同じように放流された鯉とともに、今に至って生き延びているのですから驚きです。川の生態系を考えると、在来種以外の生き物を入れることは決して好ましいことではありませんが、島根県津和野町内を流れる川に沢山の鯉が放流されて泳いでいる姿を見たことを思い出しましたが、久しぶりに親父に出会ったような懐かしさでした。

 ちなみに鯉を飼っていた庭の池はその後、補修をして地下室に生まれ変わり、その上に日除け用の小屋まで私と親父が協働して建て、ちゃっかり梅干しや梅酒の冷暗保存庫として使い重宝しています。地下室には年代物の梅や梅酒が沢山収納されているので、年末までには中の保存物を外に出して、年一回の大掃除をしようと思っています。

  「ウォーキング 川を覗くと 見覚えの ある数匹の 鯉が泳いで」

  「10年も 前に放流 生き延びた 鯉に親父の 思い出重ね」

  「庭の池 今は地下室 なりにけり 梅干し梅酒 一杯格納」

  「わが家も 何事もなく 見えるけど そこここすっかり 様変りして」

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◯北海道から届いたハーブティ

 寒くなったと言っても四国愛媛は暖かく、日中は10度以上で、北国の人から羨ましがられています。その寒い北海道北見市に住む親友北川恵子さんから、今年も沢山のハーブティが宅配便で送られて来ました。私はコーヒーを飲まないどちらかというと緑茶派ですが、紅茶やハーブティも時々飲みます。特にハーブティは北川恵子さんの影響で大好きになりました。

 北川さんと知り合ったそもそものきっかけは、船木耕二さんが代表を務める社会教育集団オホーツク寒気団の招きで、北海道へ講演に出かけた折でした。北川さんはその数年後船木さん一行とともに双海町へ訪ねて来ていただき、ハーブティのプレゼントとなったのです。私はどういう訳か子どものころから、「けいこ」という名前の女性に憧れていて、たまたま北川さんの名前が恵子さんだったこともあり、何かと気になる女性なのです。(大笑い)

 木箱に入れて送られてきたハーブティはオレガノ、ジャーマンカモミール、カレンデュラ、レモンタイム、コモンマロウ、ペパーミント、セージ、アップルミント、ラベンダー、レモンバームの10種類です。ペパーミントやラベンダーくらいなら知っていますが、舌を噛みそうな名前にただただ驚き、さてどうブレンドして飲もうか、思案六方といったところです。効能と煎れ方も詳しく説明書が添えられていました。

  「ハーブティ 北の国から 南国へ 心を込めて プレゼントされ」

  「コーヒーを 飲まない私 ハーブティ 飲んで精神 癒してみよう」

  「ナイロンの 子袋入れた ハーブ見て まるで脱法 一瞬思う」

  「蓋取ると 箱の中から いい匂い 北の友人 元気だろうか?」

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〇中江藤樹の五事を正す

 大洲で開かれた地域教育実践交流集会で、私は今年も浅学を省みず、言われるままに2日目のめざましトーク、インタビューダイアログのファシリテーターという大役をやりました。今を否定することを革新と言いますが、この9年間、私なりに自分に与えられた役割の中でこの交流集会にアクションを起こしてきたつもりです。世の中には「不易と流行」という言葉があるように、変えてはならないものと、変えなければならないものがあるのです。

中尾さんが早起きして作ってくれた五事を正すのスライド
中尾さんが早起きして作ってくれた五事を正すのスライド

 9回続けたことを伝統という反面、9回も続けるとマンネリの謗りを免れないこともいっぱいあって、そこをどう克服するかが大きな課題です。今年は三角形のピラミッドで言えば一番底辺の部分を底上げするため県内の東・中・南予というブロックで集会を持つことにして、それぞれのブロックで既に新しい実行委員会も立ち上がり動き出しています。上手く行くかどうかはこれからですが、これぞまさしく今までにない革新なのです。

 今年も集会の会場は国立大洲青少年交流の家で行ないましたが、「何故大洲なのか?」は殆どの人が余り考えもせず、多分どこでやっても同じだと惰性に流されている部分があることを実感して、2日目の朝中尾さんにお願して、私がいつも木になるカバンに入れて持ち歩いている、中江藤樹の「五事を正す」という言葉が書かれた扇子の言葉をパソコンに入力してもらいました。近江聖人中江藤樹は大洲にゆかりの深い儒学者です。

 「地域の教育力を高める新しい風」がテーマだったインタビューダイアログの締めくくりの言葉として、大洲の教育力から学び、今治の継獅子から学んだことを集った人に意識付けしました。広島から集った多くの若い学生はスクリーンに映し出され、私が解説した「五事を正す」という言葉を熱心にメモをしていたようです。年輪軸で学んだことを日々の暮らしの中で生かさなければ、それこそ絵に画いた餅となってしまうのです。手前味噌ながらいい締めくくりだったように思います。

  「今否定 せねば何にも 変らない 革新運動 幾つになっても」

  「何故大洲 教育力の 底流に 中江藤樹の 教え脈々」

  「熱心に 五事を正すを メモしてる 若い学生 いつかどこかで」

  「不易とは 変えてはならない 流行は 変えることです 少しずつでも」

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