人間牧場

〇人と機械の違いは何?

 最近は技術革新のスピードがかなり早くなり、私のようなロートルにはついて行けないと、加速度的なスピードに目を白黒しながら諦めにも似た思いで日々を暮らしています。私の身の回りを見渡せば、いつの間にかデジタル機器に取り囲まれていて、学校で習ったことのないデジタル操作を不安を感じながら細々とやっていますが、システム障害が起こるとそれはもうお手上げ状態で、最初から諦めて人の手を借りねば復旧ができないのです。

 最近は公道を走る車でさえ手放しで運転ができ、衝突回避システムが装備され、交通事故に遭いにくい有り難い時代が来ましたが、はてさて人間はこんなに機械に任せて一体何をするために生きているのでしょう。私の乗っている古い機種の車でさえ、カーナビに入力すると誘導の機械的音声が、「次の信号を曲がりなさい」とか、行き過ぎると「元に戻りなさい」とうるさいほど正確に、行く道筋を教えてくれるのです。

 いまに地球や人間が、人間の造った人工知能に占領され、人工知能の奴隷にならなければならない時代がやって来るかも知れない?と、要らぬ詮索をしています。昨日テレビを見ていると、こんなデジタル万能な時代なのに、地球上にはそうした文明と隔絶して、太陽が昇ると起きて活動し、太陽が沈むと眠る古代人のような暮らしをしている人も少なからずいるようです。私たちから見れば物質的に決して豊かでない、その人たちの生き生きとした姿に、現代人が忘れかけているヒントが何かあるような気がしました。

  「人間は 一体何の ため産まれ 何して生きて 行けばいいのか?」

  「そのうちに 人工知能 人間を 使う世の中 来るか知れない」

  「世の中が 進み過ぎるも 不安です 子どものころ 穏やかよかった」

  「着いて行く ことさえできず 離されて 時代遅れを しみじみ実感」

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人間牧場

〇月の引力の見える頃

 私は生まれてからこの方、一時宇和島に3年間遊学したり、宇和島水産高校の実習船えひめ丸乗船(約3ヶ月半)、総理府派遣第10回青年の船乗船(約2ヵ月半)、社会教育主事講習で香川大学遊学(約1ヶ月)以外は、生まれた土地を殆ど離れることもなく、海に面した双海町というふるさとで暮らしています。

月の引力を実感できる双海町の海岸

 ゆえに海が大好きで、夕日に魅せられていることもあって、殆ど毎日海を見ています。海は殆ど同じように見えますが、昔と今では海岸線の様子は随分変り、昨日と今日でさえ干満が約一時間ずつずれているのです。特に春先のこの時期の大潮(新月と満月)は干満の差が大きく、月の姿も日に日に変わって、月の引力の大きさを実感するのです。

 私のような凡人は天動説や地動説の違いさえ、分らぬまま日々を過ごしていますが、人の話を聞いたりものの本を読むと、例えば満ち潮に子どもが生まれる確率が高いなど、引力の人間に及ぼす影響は相当なもののようです。私もこの1ヶ月余りに二度、満月と新月の2回の干潮を利用して海岸で、ヒジキ刈りを行い一年分の干しヒジキをゲットしました。

 下灘と上灘に暮らす漁師さんも旧暦で漁をしており、またお百姓さんも旧暦を参考にしながら畑仕事をしているようです。日々の暮らしは新暦ですが、私たち田舎人の暮らしは今も、月の引力によって成り立っているようです。3日後に迫った5日は24節気の一つ啓蟄です、月の引力に目覚めた虫たちが土の中から這い出す頃、待ちに待った春がいよいよやって来ました。

  「海沿いに 面したわが町 あの人も この人たちも 月の恩恵」

  「私さえ 今年も2回 引力の 恩恵受けて ヒジキ刈り取る」

  「昨日今日 見た目変化は ないけれど 海岸線じゃ 潮の満ち引き」

  「田舎では 月の引力 知らずして 生きては行けぬ 拳拳服膺」

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人間牧場

〇2日続いた講演後の花束贈呈

 2月26日に開かれた、ソロプチミスト大洲の国際女性デー記念講演会では講演後、壇上で素敵な花束をいただきました。身分と顔に似合わぬサプライズに、思わず顔を赤らめて受け取りましたが、花束を渡してくれた女性と思わず握手をしたりして、明らかに舞い上がってしまいました。

ソロプチミスト大洲から贈られた花束

 昨日は委嘱を受けている松山市まちづくりアドバイザーとしての招きだったので、そのような話に終始しましたが、講演が終わって演壇から去ろうとすると、「ちょっと待って下さい」と呼び止められ、これもサプライズで大きな花束を受け取りました。私の風貌と花束は似ても似つかぬ感じがしますが、甘んじて受け取りました。

雄郡まちづくり協議会から贈られた花束

 自宅へ帰って妻に花束を渡すと、私の心情を知ってか知らずでか、自分が貰ったように「お父さん花束を貰って良かったね」と言いながら、早速2日とも大きな花瓶を倉庫から持ち出して、玄関や私の書斎に飾ってくれました。広い玄関は暖房もないので花は長持ちしますが、私の書斎は暖房するので、花持ちはイマイチになるだろうと予測し、今朝は暖房も入れずブログを書いています。

 顔に似合わず花の大好きな私にとっては、この上ない花束のプレゼントでした。これまでにも沢山の花束を貰いましたが、いつ貰っても花束のプレゼントはいいものです。花屋などにこのところ行ったことはないので、金額的にどれほどの価値があるのか知る由もありませんが、高いものであることは間違いありません。いただいた相手の心情に感謝し、皆さんの顔を思い出しながら・・・・・。

  「2日間 続けて花束 贈られて 顔を赤らめ 受け取りました」

  「風貌に 似ても似つかぬ 花束を 貰って多少 舞い上がりました」

  「玄関と 書斎に妻が 貰い花 飾ってくれて 家中華やか」

  「ああ嬉し 何にも勝る プレゼント サプライズゆえ 心に残る」

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人間牧場

〇ヒジキの大釜茹で(その2)

 いつものように朝4時に起床しましたが、今朝も放射冷却現象でしょうか肌寒い朝です。今朝は書斎に入り石油ストーブに火を入れました。私の書斎は10畳もありかなり広いので、中々暖かくなりませんが、書斎でブログを書きウォーキングに出るまでの1時間半ほどなので、余り気にもせずストーブを近くに引き寄せ、温もりを感じつつパソコンに向っています。

一晩寝かせた大釜のヒジキ

 そのうち新聞屋さんから新聞を手渡しで貰い、ウォーキングに出かけました。今朝も外は寒く、手袋をはめているものの、手先はかじかみました。このところ遅かった夜明けが少しずつ早くなり始め、春の足音を感じるようになりました。昨晩午後9時に火止めをして蒸しておいた大釜のヒジキが心配でしたが、蓋を取ってみると、まだかすかに温もりが残っていました。

 今日は松山市雄郡公民館で開かれる、まちづくり講演会に出かける予定なので、何人かにお裾分けしようと、ゴム手袋をはめてビニール袋に小分けし、車のトランクに積んで出かける予定です。今日は午後から国立大洲青少年交流の家から来客予定なので、対応してから近所や親類へは配る予定です。はてさて出来栄えお味はどうでしょうか?。

 早くも今日で2月も終わりです。今年も1年の6分の1が過ぎたことになりますが、振り返ってみれば今年は酉年ゆえでしょうか、特に2月は近年にない忙しさで、鳥取、島根、東京、大分と4回も県外へ足を運びました。幸い寒い日々が続きましたが、今のところ風邪を引いたり怪我をすることもなく、体調はすこぶる良く日々を過ごしています。もう間もなく待ちに待った暖かい春がやって来ます。さあ元気に気を引き締めて暮らしましょう。

  「午後9時に 火止め大釜 蓋を取る かすかに温もり ヒジキ上出来」

  「ゴム手袋 はめてヒジキを 小分けする 顔思い出し あの人この人」

  「今日もまた 忙しくなる 心して ついでにヒジキ お裾分けする」

  「酉年は バタバタ貧乏 なんて言う 言葉どおりの 忙し日々を」

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人間牧場

〇人間牧場ただ今人気沢山 

 今月は人間牧場へ来る人がやたらと多く、既に100人を超えています。こんな道なき道のような狭くて急峻な農道を、かき分けてまで来てくれる人に感謝していますが、この時期は寒いので、薪ストーブを焚いて暖を取らねばならず、何かと手間がかかります。でもその分心のこもったおもてなしができると信じて、一生懸命やっています。

西予市下宇和地域づくり協議会の皆さん

 サンデー毎日と言いながら、私のスケジュールは基本的には先着順にしています。しかし長年お世話になっている親友や友人の頼みとなるとこれはまた別で、何とかしたいと思うのは当然のことなのです。昨日は12時からソロプチミスト大洲の講演会に招かれていましたが、西予市下宇和の親友から午前中研修を受け入れて欲しい旨の連絡が入りました。その話は、「移住促進の話も聴きたい」、「弁当も頼んで欲しい」と段々大きくなりました。

 手助けを頼んでいた移住促進の本多さんに頼んで、私が前段1時間、本多さんが後段1時間お話をすることになりました。私は午前8時に自宅を出て、まず人間牧場で掃除と薪ストーブに火を入れました。その後待ち合わせ場所の、下灘コミセン前まで迎えに下山し、皆さんのバスを先導、奥西経由でほぼ時間通り10時に上の道から歩いて到着、私が「住民参加のまちづくり」について、1時間レクチャーしました。

 11時にシーサイドで注文弁当を受け取った本多さんは、人間牧場へやって来ました。つみれ汁をストーブにかけて温めるる準備ができたので、本多さんに後のことをお願して、私は後ろ髪引かれる思いで下山し、国道沿いで待ってくれていた妻の自家用車と交代し、大洲へ向いました。今日の昼頃下宇和地域づくり協議会の上甲さんに電話を入れましたが、皆さん喜んで帰られたそうで安心しました。さあ次の日曜日には次の団体がまた研修にやって来ます。

  「このところ 人間牧場 次々と 訪ね来る人 人気沢山」

  「あれやこれ 忙しいのに 輪をかけて 人も仕事も 集ってくる」

  「この時期は 暖を取るため ストーブを 焚いて迎える 余計忙し」

  「1ヶ月 百人越えて 人が来る 年間千人 半端じゃないぜ」   

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〇子ども体験塾大久保八十八ヶ所巡り(その2)

 頂上の11・12・13番石仏に参拝した子どもたちは、イノシシが荒らした畑中の道を歩き、石久保集落内の細い石垣路路を通って、路肩崩壊でやむなく移転することになり、道端に仮安置されている14・15番へと進みました。その後は下り道で、お接待をしてくれるという駒沢さん宅下の広場に集りました。駒沢さんは脳梗塞を患い多少不自由ながら子こどもたちが大久保八十八ヶ所を歩いてくれることを大層喜び、眺望が開け瀬戸内の海に浮かんで見える島々についても話してくれました。

隅田主事さんが手づくりしてくれたマップ
駒沢さん宅広場でのお接待

 お接待は駒沢さんの奥さんがタコ飯を炊いて、おにぎりを作ってくれていました。またデコポンを半分に切り手動オレンジ搾り器で搾っ、100%ジュースをサービスしてもらい、子どもたちはデコポンをお土産にいただくなどして大満足の手合いでした。その後石久保公民館広場周辺の76・77・78・79・80・81番の石仏を巡り、帰り道83.86・87.88番で打ち止めとし、スタートしたゴールの場所へ、予定通り11時に全員が事故もなく帰ってきました。大人も多数参加して、半日コースのとてもいい巡拝でした。

ハイポーズ

 2週間前宮本館長さんと隅田主持さん、それの私の3人で事前踏査し、その後隅田さんが一番難所の山道を歩いて、道順をしっかりと頭に入れ、簡単なマップを作って参加者に配布し、回った場所でスタンプ印を押すよう配慮してくれていたお陰で、大助かりでした。マップ裏面の9つのクイズも、子どもたちの気を引き付けるグッドアイデァでした。子どもたち相手のプログラムは、ハラハラ・ドキドキ・ジーンとする工夫が必要です。その意味では100点満点でした。来週は子どもおもしろ大作戦で草木染に挑戦します。楽しみです。

  「石仏に 刻んだ文字も 風化して 中々読めず 子どもも苦労」

  「イノシシの 荒らした畑 横目見て 穏やか春の 日差しの中を」

  「海一望 広場でおにぎり ジュース等 お接待され みんな喜ぶ」

  「順不同 24個の 石仏に 子ども無意識 手合わせ祈る」

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人間牧場

〇携帯電話の忘れ物

 前日夜、小さな旅に出るため旅先での携帯電話の電池切れを心配して、充電器に差し込んだまま朝を迎えました。家を出る時いつものように、カバン持った、財布持った、コートと手袋持ったなどと自分で復唱し、妻も荷物を持って車庫の車に乗るまで見送りながら、「忘れ物はない?」と私に聞き返し、私も「ないない」と軽い気持でスタートしました。

 午前7時前下灘の綿井ガソリンスタンドで給油して、お金を払う時、いつも入れているズボンの右側ポケットに携帯電話が入っていないことに気がつきました。「しまった。どうしよう?」と思ったのは当然で、三崎港から渡るフェリーの大分佐賀関港に、送迎をしてくれる縄田さんが待ってくれていて、その連絡が取れなくなってしまうのです。自宅まで引き返す時間的余裕もなく、「まあいいか」と諦め午前9時30分発のフェリーに乗りました。

 船内では持参したタブレットも海上ゆえ、電波の調子がいまいちで、悶々の不安がつのり始めました。幸い港に出迎えの縄田さんの笑顔を見た時は内心ホッとしました。縄田さんの車の中も講演中も、携帯電話は必要なかったのですが、旅先での状況や帰宅時間を妻に伝えることもできず、少し不安を持ちながら無事旅を終えました。それにしても日ごろ何げなく使っている携帯電話がないと、こうも不便なのかと納得しきりでした。

 私は人様のようなスマートフォンではなく、まるで時代遅れのようなガラケーのNTTドコモ携帯電話を今も使っています。パソコン機能のあるタブレットを持っているので、旅先でブログを書いたり調べものをするなど、色々なことができます。そろそろスマートフォンの時代かなと思いつつ、年金暮らしの悲哀を味わいながら、安上がりな経済を考えて日々を暮らしていますが、私も知らず知らずの内に情報化に飲み込まれて暮らしているようです。

  「携帯を 忘れて旅に 出たゆえに 何かソワソワ 不安先立つ」

  「出迎えの 親友笑顔 見てホッと これで何とか 過せそうだと」

  「携帯を 忘れて妻と 若嫁に 歳だ歳だと からかわれました」

  「いつの間に 携帯依存 これ病気? 電磁波影響 これも気になる」

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人間牧場

〇今日は大分県へ出かけます

 東京から帰って間がないというのに、今日は西の九州大分おんせん県へ出かける予定です。今月は鳥取県、島根県、東京都、大分県と県外に出る機会が多く、目をパチクリさせながら行く先々で小さな旅を楽しんでいます。

 今日はこれから夕やけこやけライン~潮風メロディーラインを経て三崎港から佐賀関に渡り、日田市で一仕事して元来た道を引き返す日帰りの旅です。帰りは夜遅くになるので、気を引き締めて忘れ物をしないよう出かけます。

 そういえば今日は金曜日、孫たちは遠足だそうで、鬼嫁は朝早くから起きてダイニングで弁当を作っています。遠足を楽しみにしている孫たちも、「おじいちゃん、おはようございます」と元気に起きて来ました。心配した大荒れの天気も収まり、今日はいい天気のようです。さあ今日も一日が始まります。ワクワク・ドキドキ・ジーンとするような予感のする一日が・・・・。

 「さあ今日は おんせん県の 大分へ 出かける準備 怠りなきよう」

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〇東京での思い出話(ホテルでの朝食)
 ホテルでの朝食はバイキングでした。自宅にいる時と同じように午前4時に目が覚め、タブレットでブログを書いて、午前6時30分から始まる1階のレストランへ一番乗りしました。沢山のバイキング料理の中から好みのものを小皿に入れてお盆に乗せ、好みの席で食べるのですが、貧乏人の本性が覗くのか、食べなきゃ損という本心なのか、ついつい取り過ぎてしまうのです。この日の朝も、昼ごはんはもう要らないほど美味しく食べました。

これだけ食べました

〇東京での思い出話(ホテルの窓から見える都会のカラス)
 カラスは田舎の代名詞のように思われますが、どうしてどうして、都会でもカラスは人間様の食べ遺した食べ物を餌に、しっかりと生きています。ある動物医学者が調べたところ、都会のカラスは栄養過多のため成人病に似た兆候があるそうです。レストランから見える街路樹の上に、カラスの寝床を見つけました。多分カラスにとってはここが一番安全なマンションなのかも知れません。

都会のカラス

〇東京での思い出話(ホテル屋上のゴジラ)
 泊まったホテルグレイスリー新宿の8階屋上に、今ではすっかり有名になったゴジラのモニュメントがありました。映画会社東宝系のホテルなので、ロビーにはこれまで話題になった、ゴジラの映画名場面も展示されていました。東南アジア系と思われる外国人が沢山、自撮り棒を使って賑やかに記念撮影していました。私も負けじとばかり写真を撮りました。

ホテルグレイスリー新宿のゴジラ
屋外ストーブ

〇東京での思い出話(露天暖房)
 東京の屋外は意外と寒いのに、ホテルの露天屋外デッキでは沢山の人が飲食しながら談笑していますが、その人たちを温めるため、露天に幾つものガスストーブが置かれていました。傘のような暖かい温度を滞留させる装置がついていて、人間牧場にも一台欲しい感じがしました。幾らぐらいするのでしょうか?。

「東京は 田舎にないもの いっぱいで 見るもの聞くもの 異文化ギャップ」

「東京の ホテル屋上 ゴジラ出て 外国人が 自撮り棒撮り」

「バイキング ついつい食べ過ぎ 本心が覗いているよう 恥ずかしながら」

「騒々しい やっぱり 田舎落ち着くと 思ってみるが 田舎寂しい」

 

 

 

 

 

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人間牧場

〇3時間余り前まで東京にいたのに・・・

 1ヶ月前、地域教育実践教育の発表で東京へ行く話が持ち上がった時、スケジュール表を見て2月21日の夕方、南予地方局の消費者講座で金融広報アドバイザーとして、大洲市菅田の公民館へ出かける予定が既に入っていました。今回の東京出張に同行する仙波さんに相談したところ、「羽田発午後3時の飛行機に乗れば松山空港へ午後4時30分には到着するので、多分大丈夫でしょう」ということで少し安心して東京へ行くことを決めましたした。

菅田公民館での消費者講座

 昨日はその予定通り事が運ぶかに見えました。ところが羽田では天気はよかったものの思わぬ強風が吹き、飛行機の離陸に30分も時間がかかり、強風を避けて飛行するという機内アナウンスも重なって、機内では腕時計を見ながら、自分ではどうしようもない飛行機の遅延に、眠るに眠れず少しソワソワしました。結局飛行機は無事午後5時前松山空港に到着したものの、車を止めていたコナンパーキングの駐車場出しと、空港周辺から松前町に至る道の車の渋滞に巻き込まれてしまいました。

 それでも伊予インターから高速に乗って、少しスピードを上げながら大洲インターまで走り、何とか会場である菅田公民館へ10分前に辿り着きました。前もってこのことを伝えていた南予地方局の浅野さんも、私の到着時間が気になったようで、寒い玄関先で私の到着を待ってくれていました。急いでホールに入りそれから1時間余り、緊張の面持ちで「高齢化社会に生きる」という演題で話をさせてもらいました。会場には金融教育研究校に指定され、度々学校にお邪魔している肱東中学校の校長先生や沢山の顔見知りの人も集まっていて、3時間余り前まで東京にいたとは思えない、高速交通の恩恵を感じながら、とても賑やかな集会となりました。東京から自宅に帰らず大洲市菅田へ出かけ、講演を終えて帰宅した私のタフな姿に、妻は感心しきりでした。私自身も内心驚いています。

  「3時間 余り前には 東京に いたというのに 大洲で講演」

  「飛行機と 車乗り継ぎ 移動する 高速交通 便利世の中」

  「タフだねえ 妻が驚く 自分でも 内心驚く 一日でした」

  「東京と 田舎の違い まざまだと 異文化ギャップ これも勉強」

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