人間牧場

◯義兄の訃報

 この一週間、末期がんを患い自宅で緩和ケアーをしている義兄の元へ、毎日妻とと二人で片道50キロの道を見舞いや様子をうかがうため通っていました。昨日も午前中に見舞って、かなり厳しい病状を実感しながら午後3時頃帰宅しました。

 帰宅して2時間も経たないうちの午後5時頃、妻の実家から義兄がついさっき、亡くなったという悲しい訃報が届きました。覚悟はしていたものの兄弟である妻の落胆は察して余りものがあり、慰めの言葉もありませんでした。妻は寂しさを紛らすように、何かと取り込んでいる実家のために、持参する天ぷらなどの料理を作っていました。

 早速私たち夫婦は再び海岸国道を走って八幡浜まで行き、まだ体温の残る義兄と面会しました。長い闘病生活に疲れ、痩せこけた義兄の顔を見ると涙が止まりませんでした。明くる日からの仏事について相談した後、とりあえず昨日の夜は一旦自宅へ戻りました。

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〇娘の家の新築地鎮祭

 昨年次男が自宅を新築したのに続いて、今度は娘夫婦が家を新築することになりました。場所は今住んでいるマンションから歩いて5分ほどの直ぐ近くに土地を買い求めたようで、私たち夫婦も一度土地を見に出かけていましたが、このほど大安吉日を選んで、新築工事を始めるための地鎮祭に招待され、妻と二人で出かけて行きました。建築業者3人、出雲大社系神主1人の計4人が敷地内にテントを張って、注連縄で囲った祭壇にお供え物を供え、地鎮祭は始まりました。

施主である娘婿の鍬入れ

 施主側出席者は娘婿夫婦と末っ子、それに私たち夫婦の5人でした。神主さんが中々の念者で、少し肌寒い気温ながら神事細々を解説しながら少し長い神事となりましたが、玉ぐし奉奠や鍬入れに私も孫と一緒に参加させてもらい、工事の安全を祈りました。この日は私のその後のスケジュールが詰まっていたので、神事が終ると早々に引き揚げましたが、この上は無事に家が完成することを願うばかりです。

 娘婿は大学に勤めていて、娘も助産師として病院に勤めています。中学二年生と小学三年生の男の孫二人の慎ましやかな家族ですが、娘婿のお母さんのことが少し気がかりなようです。お母さんは住み慣れた大阪の実家を離れ何年か前、息子の任地である松山のマンションに一人で移り住んでいましたが、ほんの最近高齢者福祉施設へ移って暮らしています。早く念願の家を新築してお母さんに見せ、安心させてやりたいという願いもあるようです。これから先もあれやこれやと大変なようです。

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〇叔母のてかがみ投稿

 私より年齢が1つだけ年上の叔母がいます。私の親父は12人兄弟姉妹の長男、叔母は末っ子です。兄弟姉妹が1~3人の現代では、考えられないくらい昔の田舎は子沢山だったゆえに、こんな珍現象は珍しくありませんでした。私が子どものころは同じ家に大家族で暮らしていたので、一つ年上の叔母とはまるで兄弟姉妹のように育ちました。縁あって叔母はわが家の漁船に乗り込んで働いていた近所の人の元へ嫁ぎましたが、数年前夫に先立たれてからは、息子と同居の慎ましやかな暮らしをしています。

てかがみ特集叔母の記事

 わが妻とも年齢が近いため話が会うのか、叔母ではなくまるで姉妹のように頻繁に出会っているようです。叔母は誰に似たのか筆まめで、愛媛新聞の投稿欄に投書したり、てかがみという会にも所属していて、それらが新聞に載る度に、切り抜いたりして保存していますが、今月の21日にも「てかがみ特集」という一面全紙の一番目立つ上の所に、叔母の記事が載りました。早速ダイニングで妻に読んで聞かせてやりましたが、内容があって中々の文章で、内心その文才に多少驚かされました。

 叔母はまだ72歳と若いものの、老人クラブの会計を頼まれてやっているようです。ゆえに老人クラブの会合にはよく出席していて、てかがみに「忘年会」と題して書いた文章には、老人クラブの楽しかった様子が微細に綴られていました。私も既に72歳となり、町内の老人クラブへ入会するよう誘われていますが、「私はまだまだ若くてそんな歳ではない」と見栄を張って入会していませんが、先日も老人クラブへ入会していないのに高齢者サロンの案内が届きました。丁度その日は遠出の出張があって参加できませんでした。

 叔母の文章を読むと、「老人クラブも中々楽しそうだ」とか、「私もそろそろ」なんて気にもなりますが、私にはまだやらなければならないことが一杯あって、もう少しはそんな余裕がないというのが正直なところです。叔母の文章の末尾に書いていた、「何かの役に立ちたいとの思いはあっても、声がかかるのは老人会だけ。せめて元気でいることが医療費と介護費の節約につながると、せっせと畑へ通い野菜づくりに精を出す」、そんな健康で穏やかな老後を送りたいと思いました。

  「人生は 何があるかは 分からない 今を受け入れ 穏やか暮らす」

  「叔母だけど 歳はひとつか 違わない まるで兄弟 同じ環境」

  「新聞の 投稿欄に 叔母の記事 頷きながら 読んで聞かせる」

  「老人会 度々誘い あるけれど さてどうしよう 心乱れて」

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〇今年の10大ニュース

 私の年賀状は毎年、その年1年に自分の身に起こった10大ニュースを書くことにしています。「青春の履歴書」と題したこの取り組みを10年間続けると、10年間の自分史が出来上がるという仕組みになっていますが、さすがに年齢を重ねると、話題や出来事が乏しくなったことを実感するのも事実です。それでも自分で楽しめばいいのですから、適当に思いつくままWriting Calendarの中から10大ニュースを見繕って印刷をしています。

印刷した年賀状

 

 年賀状を読んだ人から、「毎年楽しみにしています」とか、「もっと活字を大きくしてくれないと読めない」などと期待や苦情が寄せられますが、われ関せず馬耳東風を貫いています。時々「70歳を越えたのに何故『青春の履歴書なの?』と聞かれます。私はその都度、自分のこれからの人生において今が一番若いんだから青春でしょうが・・・・」と持論を展開し、馴染みの印刷屋に原稿を送り、印刷をしてもらっています。

 さてさて今年は私にとってどんな年だったのでしょう。今年は常日頃12年刻みの砂時計と言っている、6回目の砂時計最後の年でした。ゆえに目標どおり84歳まで生きるとすれば来年は、7回目の砂時計をひっくり返す最後の機会になりそうです。0歳~12歳=比翼の時代、13歳~24歳=旅立ちの時代、25歳~36歳=冒険の時代、37歳~48歳=量の時代、49歳~60歳=質の時代、61歳~72歳=完成の時代と、それなりにこれまでを生きてきましたが、いよいよ来年から73歳~84歳=余生の時代へ突入します。さあどんな人生が待っているのでしょうか。ある意味不安、ある意味楽しみといったところです。

  「年賀状 今年も私の 10大の ニュース選んで 青春履歴」

  「色々と 激励苦情 あるけれど われ関せずと 腹をくくりて」

  「これからが これまで決める しっかりと 生きて行こうと 決意も新た」

  「来年は 人生最後の 砂時計 ひっくり返し 余生楽しく」

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〇山の上に巨大なモアイ像?

 別名「夕やけこやけライン」の愛称で親しまれている、海岸国道378号を車で走り、道の駅シーサイドふたみを過ぎた大きなカーブを回ると、突然唐崎辺りの山の上に巨大な構造物が見えてきました。「おや?、これは何だ?」と一瞬首をひねりましたが、どうやら携帯電話の電波塔の化粧直しのために、周りに張り巡らせた工事用足場のようでしたが、私には一瞬、イースター島のモアイ像のように見えたので、八幡浜から帰りに、城の鼻辺りに車を止めて、手持ちのデジカメで一枚写真に収めました。

山の頂上付近にモアイ像?

 モアイ像といえばふたみシーサイド公園の海に面した中庭に、3体の偽モアイ像が立っています。これは私がシーサイド公園の整備を担当した時に発想した、夕日の守り神なのです。3体のモアイ像は海に向かって右(東)は夏至の日に沈む夕日(山口県周防大島東和町辺り)、真中は春分・秋分の日に沈む夕日(大分県姫島村辺り)、左(西)は冬至の日に沈む夕日(大分県大分市辺り)をそれぞれ見ています。当時このモアイ像を造る計画は予算の関係で、一旦立ち消えになりましたが、庵治石で有名な香川県庵治の若手石工さんたちに私の話が伝わり、原材料費だけという安価な値段で設置することができたのです。

 ゆえに山の上に見えた電波塔を一瞬巨大モアイ像と見紛ったのも無理からぬことだと、自分自身で納得し思わず微笑みました。私がまだ見果てぬ夢として持っているのは、春分・秋分の頃双海町から見える夕日は、地球の裏側ブラジルのリオデジャネイロの朝日なので、双海町のシンボル本尊山頂にリオのような大きな石像を建てたいのです。そんな夢を見ていたこともあっての見紛いだったのでしょうが、他愛のない夢なのです。夢には実現できる夢も、実現できない夢もあります。でも夢を見ているだけでも幸せな気分になるのですから不思議す。「夢なき民は滅びる」かも・・・・・。

  「山の上 突然巨大 モアイ像? ハラハラドキドキ ジーンときました」

  「そういえば シーサイド公園 中庭に 昔造った モアイ三体」

  「昨日は 偶然冬至 西寄りの 大分辺り 海に夕日が」

  「この町の シンボル山の 本尊山 頂上付近 夢の頂」

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〇大事な落し物

 先週の土曜日は人間牧場で餅つきと年輪塾の学習会がありました。ゆえに朝から大忙しの一日でしたが、その日に娘の家が新築のための地鎮祭をすることになり、輪をかけて移動にも時間がかかり、餅つきの後片付けをするのに人間牧場へ再び帰ったのは、辺りがすっかり暗くなった午後5時過ぎでした。妻に手伝ってもらいとりあえず軽四トラックに細々の小道具を車に積み込み、パック詰めしたお餅を日ごろお世話になっている皆さんに40軒も配り、やっと9時前に自宅へ帰りました。

 自宅の入口で灘奥から走って来たパトカーとすれ違いました。荷物を下ろしたところで、本能的に着ていたジャンバーのポケットに手を突っ込みましたが、免許証が入っていないことに気がつきました。車の中や持ち物など紛れ込んでいるかも知れないと、何度探しても見つかりませんでした。「弱った。どうしよう」と思いながら自分の夕方からの足取りを思い出しましたが、人間牧場の入口付近の路上で、ポケットに入れてていたデジカメが滑り落ちて拾った記憶が蘇えり、「ひょっとしたらあの時かも?」と思い始め、いても立ってもいられなくなりました。

 「人間牧場へこれから探しに行く」と言う私を、妻は「山道は危ないから明日にしたら!!」と止めましたが、「その日のことはその日に」と、イノシシでも出そうな暗い夜の山道を人間牧場まで引き返し、持って行った大きい懐中電灯で照らしながら探しました。この時期の山道はかなりの落ち葉が落ちていて、風でも吹いたら落ち葉の下に埋もれてしまうので、トラックのヘッドライトもつけて探しました。カメラを落として拾った記憶の場所に免許証は運よく落ちていて、安堵の胸を撫で下ろしました。

 「ハ・ト・ガ・マ・メ・ク・テ・パー・パー」とは、私が外出する時の確認事項です。ハ=ハンカチ、ト=時計、ガ=がまぐち(財布)、メ=免許証・・・・などですが、車を運転する時免許証は当然必携なのです。時々免許証をどこへ置いたか置き忘れて探すことがありますが、携帯電話のように着信音で探すことも出来ず、出掛けの忙しい時に限って右往左往するのです。ラッキーにも遠い人間牧場の夜道で見つかったことを拳拳服膺し、二度とこのようなことがないようにしようと、自分自身の心に誓いました。10時過ぎ自宅に戻って長い一日はやっと終りました。

  「家の前 パトカー見えて 大慌て どこへ置いたか 右往左往す」

  「デジカメを 落とした時に 免許証 ひょっとしたらと いても立っても」

  「牧場へ 一人夜道を 引き返す 懐中電灯 頼りに探す」

  「免許証 落ち葉の上に 鎮座して 私来るのを 待ってるように」

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〇みかん王国八幡浜のみかんオブジェ

 昨日病の床に伏せっている義兄のお見舞いに、妻と八幡浜まで出かけました。妻の実家は九州へ渡るフェリー乗り場や、八幡浜魚市場が直ぐ近くなので、道の駅みなっとへ新聞で紹介されていたみかんのオブジェを見に立ち寄りました。海沿いの広場には、みかん2万個を使った半円球のオブジェが見事に出来上がっていて、みかん王国八幡浜が自慢するだけのことはあるなあと、感心しながら妻と2人で見学しました。

立派なみかんのオブジェ

 私の関心はみかんをどんな風に固定しているのだろうでしたが、金網で作った半円球体にゴムバンドで固定しているようでした。ゆえにゴムバンドがみかんに食い込んで、多少いびつな感じもしましたが、中々の出来栄えでした。最近はみかんの国ゆえでしょうか愛媛県内では、各地でみかんをアレンジしたクリスマスツリー等もお目見えし、また松山空港では不定期的に蛇口からオレンジジュースが出るなど、インターネットやマスコミを通じて全国にそれらの話題が流れて、それなりの効果が出ているようでした。

 道の駅ふたみシーサイド公園を造った張本人としては、他の追随を許さないほど話題の豊富だった時代から比べると、シーサイド公園のちょう落ぶりが少し気になります。今は蚊帳の外にいるので、まあこれも時代の流れと受け止め、諦めなければならないのかも知れませんが、いつか誰かがそのことに気づいて復興して欲しいと願っています。昨日少し時間があったので、1時間ほど先日の大風大波の時化で打ち上がった、の漂流ゴミを掃除しました。ほんのちょっとのボランティアでしたが、これもまたささやかな私に出来る恩返しなのです。

  「妻実家 八幡浜まで 行きました 道の駅にて オブジェ見学」

  「2万個の みかんを使い 半円球 手間暇掛けて みかん宣伝」

  「道の駅 知恵と汗出し 若い頃 寝ても覚めても 元気にするため」

  「少しだだけ 砂浜掃除 私にも できることあり 恩返しかも」

 

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〇今年最後の年輪塾(その2)

 昨日は人間牧場で年末恒例の餅つき大会と、今年最後の年輪塾学習会を行ないました。私塾年輪塾も10年間の学習を経てそれなりに成長してきましたが、今後はこれまでの学びを基調としてさらに塾生が人間性を高め、自分の志を行動に移せる「処志」を育てようと、塾長である私と塾頭の清水さんがその思案を考えました。

既に今年夏大洲市田処大杉年輪塾で処士検定を行い、塾生の真鍋幸一さんが見事難関を突破して、処士第1号認定の運びとなりましたが、その頃はまだ処士をどう育てるか明確な指針がありませんでした。そこでまず処士を処志に改めることとしました。また処志総括を私と人間牧場に置き責任の所在を明らかにしました。また処志を育て指導を行なうため師範を置くことにしました。師範は造詣の深い清水塾頭と、前大洲藤樹会長辻さんにお願いすることにしました。

 私は昨日あいにく学習会全てに参加することは出来ませんでしたが、処志総括の看板を掲げたり、処志師範をお願いした清水塾頭に師範代の看板授与を行い、その後は処士1号となった眞鍋さんの卓話や、今後の処志育成の手順などについて説明をして今年最後の学習会を締めくくったようです。私の思惑としては来年度、塾生5~6人に処志検定に挑んでもらい、2~3年で処志10人の名札を人間牧場へ吊るす予定にしています。年輪塾も新たな展開をし始め、来年もいい予感がし始めました。

  「わが牧場 処志総括の看板を 10年目にして やっと吊るして」

  「処士1号 みんなの前で 卓話する さすがさすがと 感心しきり」

  「処志師範 博学2人 任命し さあこれからは 性根を据えて」

  「来年は 5~6人が 処志目指し 認定看板 授与する予定」

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人間牧場

〇果物に囲まれて幸せな日々

 温かかった晩秋も終わり、いよいよ本格的な冬の到来です。昨日は寒波襲来で朝から突風を伴った、みぞれ交じりの雨が波状的に降り、遠くに見える牛の峰のパラグライダーランデング場には、薄っすらと雪の積もっているのが見えました。わが家の庭の片隅にも、積雪ほどではありませんでしたが、雪が少しの間解けずに見えました。

北の国から届いたリンゴ

 師走に入ると交遊も何かと広がり、わが家の廊下には、色々な人から送られたり貰ったりしたみかん、紅まどんな、キウイフルーツ、冨有柿、リンゴなどの果物が、行儀良く段ボール箱に入れられて、食べてもらうのを待っているようです。廊下は暖房していないので果物の追熟を遅らせ、腐敗防止にもなる最適な保存場所でもあるのです。

 私たち夫婦はこの果物を、朝はリンゴやみかんをスムージーにして飲み、昼は柿やキウイフルーツの皮をむいで食べ、夜は紅まどんなを食べたりと、まあ果物三昧の日々です。この時期の果物は糖度が高いので食べ過ぎには用心するよう言われていますが、食べたら歩く、歩いたら食べるよう注意をしていますが、果物大好きな夫婦にとっては極楽極楽です。

 南西部のみかんを送ると、北国からはリンゴが届くてな調子で、2~3日前には長野県富士見町の旧友北村さんから美味しいリンゴが沢山届きました。早速遅ればせながらみかん類を送る準備を進めています。果物ではありませんが、北海道鵡川町の旧友菅原さんから今年もシシャモが届き、早速ご相伴に預かりました。

  「果物が 長い廊下に 行儀良く 並んで保存 何て幸せ」

  「今朝リンゴ 昼はキウイと 柿食べる 夜はマドンナ 糖分気をつけ」

  「歩いたら 果物食べる また歩く どっちも大事 健康増進」 

 

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人間牧場

〇軽四トラックのエンスト

 昨日今日と本格的な冬の到来を告げるように、天気が目まぐるしく急変し、朝方晴れていたと思えば昼過ぎには激しい雨が降り、」夕方からは天地を揺るがすよな北西の季節風が吹き荒れました。こんな日はサンデー毎日なので、コタツにでも入ってテレビを見ていれば良さそうなものを、土曜日に迫った人間牧場での餅つきの準備のため、朝から一人で忙しく働きました。

エンストした軽四トラック

 まず餅取りに必要なモロブタ、セイロなどの小道具を倉庫から取り出し、冷たい水で水洗いをして粗干ししました。その後息子に軽四トラック助手席に頼んで積んでもらったもち米の玄米を、JA農協前の自動精米機まで運び、300円を投入して白米にしましたが、2ヶ月前30キロのこの米袋を持ち上げてぎっくり腰になった経緯があるので、慎重にも慎重を期して持ち帰りました。

 昼食後蒸し器を中央公民館まで借りに出かけましたが、駐車場を出ようとしてエンジンスイッチを入れても、車のセルモ-ターが動きませんでした。歩いて自宅まで帰り自動車修理工場へ電話で修理を依頼しましたが、どうやらバッテリーの不具合のようで、とりあえず代替バッテリーで動くようにしてもらい、荷物を積んで人間牧場まで運びましたが、荷物を運び入れ終わると霰を伴った大雨となりました。

 それでも臼を倉庫から出したり、杵やセイロをかじかんだ手で水洗いしたりして、一通りの準備を終えました。あいにく雨合羽を持ち合わせていなかったので、多少雨に濡れたため寒くなって早々に引き揚げましたが、妻は夕方仕事から帰るともち米を洗ったり、細々と準備を手伝ってくれました。明日はご飯と味噌汁を炊かなければなりません。今日は松山でまちづくりの研修会が予定されていて出席しなければなりません。まさに師走という言葉どおりの忙しい日々が続いています。

  「餅つきや 食事の世話の あれやこれ 目には見えない 準備一人で」

  「軽四の トラック何故か 故障して バッテリー不具合 応急処置で」

  「何げなく いつも酷使し 使ってた 深く反省 早速洗車す」

  「昨日今日 明日も師走と 呼ぶように 西に東に 走り回って」

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