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〇港の灯台

 双海町には上灘漁港と豊田漁港、それに高野川漁港と3つの漁港がありますが、高野川漁港は規模が小さく突堤だけです。豊田漁港は漁民団地や水産物荷捌き所を備えた瀬戸内海屈指の規模を誇っています。中でも豊田漁港は少年時代漁村で育ち、若い頃7年間家業である漁師をしていたり、役場に入って水産行政を担当し水産物荷捌き所を造ったこともあって、私にとっては今でも愛着のある漁港です。

上灘漁港の灯台

 上灘漁港と豊田漁港には港の出入り口にそれぞれ灯台があって、漁船の道しるべとなっていますが、海図に載っている灯台は、全て光り方が違うのです。でないとどこの灯台か分らないのです。例えばある灯台は光が5秒で休みが5秒、またある灯台は光が2秒休みが4秒という風になっていて、しかも赤や青や黄色をベースにして識別されています。先日ある友人にその話をしたら、始めて知ったと驚いていました。

 余りいい表現ではありませんが、「灯台元暗し」と言われるように、灯台は遠くまで光を届けるのに、仕方がないことながら自分の足元は真っ暗です。せめて私たちは自分の足元には気を配れるようにしなければなりません。子どものころ「喜びも悲しみも幾年月」という高峰秀子主演の映画がありました。燈台守夫婦の心温まる物語だったと記憶していますが、官舎があって燈台守がいた映画に出た灯台も、今は無人になってしまいました。

 今は灯台に頼らずともデジタルのGPSが普及して、船の位置が瞬時に分るようになっています。私が昭和37年に宇和島水産高校の実習船愛媛丸で南太平洋を航海した頃は、ロランが普及し始めていましたが、船の位置を出すのに六分儀という手動の道具で太陽や星の高度を測り計算していました。わが家の庭に出て海の方を見ると、上灘漁港の青い光の灯台と沖合いに浮かぶ青島の白色灯台が見えます。何ともいえない温かさです。

  「わが町の 漁港に二つ 灯台が あって漁船の 道しるべとなる」

  「わが家から 上灘漁港と 青島の 灯台毎日 見えてほのぼの」

  「その昔 高峰秀子 主演した 映画記憶に 残っています」

  「灯台も 時の流れで 役割が 薄くなったが 道しるべです」 

 

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〇道祖神に手を合わせる

 1日14,546歩、2日10,285歩、3日12,533歩、合計37,364歩、これが携帯電話内蔵の万歩計に記録された私の、正月3日間に歩いた歩数です。1日1万歩を目標にしている私としては、かろうじて1万歩を越えた2日を除けばこの3日間は、まずまずの出だしのようで一応ホッとしています。

 正月が過ぎると日没が毎日1分くらいずつ遅くなっていますが、夜明けの時間は殆ど変らず、午前6時のミュージックサイレンを聞きながら歩いている頃でも、まだ東の空は真っ暗でポケットに忍ばせた、LEDの小さな懐中電灯に頼らなければ、自分の存在を人に知らすことができず、足元も見えないくらい真っ暗です。

 そんな中でも何人か毎朝見慣れた人が歩いていて、「おはようございます」「今朝は寒いですねえ」などと、言葉少なにあいさつしながら通りすがって行くのです。そんな中に80歳を越えたおばちゃんがいますが、そのおばちゃんは、道端の道祖神の前を通ると、暗いのに毎朝立ち止まって両手を合わせ祈りを捧げています。

 私もやはり歳をとったからでしょうか、何年か前から同じようにほんの一瞬ですが立ち止まり、風化した道祖神の顔を見ながら、両手を合わせて無心に祈るのです。この道祖神の前には近所の人が供えるのでしょうか、シキビがいつも絶えることなく供えられているのです。日本人の優しい祈る心にホッとしながら、今朝も暗い道をしっかりした足取りで歩きました。

  「三が日 目標どおり 一万歩 越えて歩いた これから先も」

  「真っ暗な ウォーキングコース 黙々と 一人で歩く 健康のため」

  「道端の 道祖神前 立ち止まり 両手合わせて 感謝の祈り」

  「ご近所の 人が供えし シキビ花 優しい心 枯れることなく」 

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〇煮豚チャーシューを作る

 わが家の庭の隅に少し大き目の冷凍庫があります。漁村ゆえわが家には年中を通して、沢山の魚が届きますが、それらは全て食べきれないので、親類縁者にお裾分けします。それでも食べきれないものは内蔵や鱗を取り、下ごしらえして冷凍庫に保存しています。ゆえに一年中魚に困ることはないものの、冷凍庫の中はいつも満杯で、妻は新しいものが入らないのでいつも四苦八苦しています。

外かまど

 昨年息子が友だちからイノシシの肉をいただいて帰りましたが、とりあえず冷凍庫にしまっていたものを年末に取り出し、外に移動用かまどを用意して、煮豚チャーシューを作ることになりました。食料品の豊富な田舎では有害鳥獣駆除で仕留めたイノシシの肉を時折いただきますが、イノシシの肉は少し臭みがあるので、ジビエなどと話題になっていますが、どちらかというと敬遠されがちです。

 一昨年末イノシシの肉を外かまどで煮込んで、煮豚チャーシューを作ったところ、皆さんから好評を得たので、今年も年末に外かまどで煮物を作るついでに挑戦してみました。冷凍したイノシシの肉の塊をまず2~3度茹ではえ、水を使わずお酒と味醂と醤油と砂糖で味付けをして時間をかけ、焦げないようとろ火でじっくりじっくり煮込みました。そのうちいい匂いが立ち込めてきました。

 何度も菜箸で裏表を返したり転がしたりしながら、煮込んで煮汁が無くなる寸前で鍋を火から降ろすと、まあそれは綺麗な琥珀色の煮豚チャーシューが出来上がりました。包丁でそいで肉片を味見しましたが、臭みもなく完璧に美味しいチャーシューが出来上がりました。家族に試食してもらいましたが大好評でした。チャーシューはラーメンによく合います。作ったチャーシューは冷蔵庫に入れてせいぜい楽しみたいと思っていますが、私は残念ながら日ごろは余り肉は食べず魚系なのです。

  「外かまど 鍋にイノシシ 肉塊を 入れて湯ではえ チャーシュー作る」

  「こころ辺 イノシシ肉は 癖ありて どういう訳か 好まれなくて」

  「自作した 煮豚チャーシュー 中々と 自画自賛して 味見楽しむ」 

イノシシ肉の煮豚チャーシュー
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〇2017年元旦の夕日夕やけ(その2)

 昨日の夕方、自宅の庭から見える双海町のシンボル本尊山が、赤く夕映えに染まるのを見計らって、道の駅ふたみシーサイド公園へ夕日夕焼けを見に出かけました。昨日は風も雲もなく海は穏やかで、既に沢山の人が集って西の空で始まろうとしている天体ショーをじっと見つめていました。

 デジカメを持つと何かと手持ち無沙汰になるもので、沈み行く夕日を気にしながら、砂浜に降り座り込んで渚の寄せ来る波を撮ったり、童謡の小路の歌碑に目が向いたり、また周辺の本尊山や上灘漁港の灯台、空に見え始めた三日月、星々、自分の影などにレンズを向けて楽しみました。

 東突堤には人が落ちないよう鉄柵が設けられていますが、砂浜から見るとまるでその鉄柵が音楽の五線に見え、夕日を見ているシルエットの人影が音符のように見えました。まさに夕日夕焼けの遊び心です。2017年元旦の夕景はもう二度と見ることができない、過去のものになってしまいましたが、私の心の中に焼きつけました。

  「元旦の 夕景見つつ 色々と デジカメ納め 記憶を記録」

  「何げなく レンズを向けて あれやこれ 日ごろ気付かぬ ことに気付いて」

  「何げなく 写した写真 パソコンで 画面呼び出し あれこれ思う

  「もう二度と 2017元旦の 夕景を 見ることないと 思えば愛しい」

まるで五線譜のようです
童謡の小路の歌碑
夕日見学者の群れ
夕日とコラボした三日月
砂浜に映った私の長~い影

 

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〇妹の脳梗塞

 私は5人兄弟姉妹の2番目に生まれた長男です。妻は4人兄弟姉妹の3番目に生まれた長女です。妻は3年前末妹に、つい1週間前長兄に先立たれて、寂しい思いをしていますが、幸いわが兄弟姉妹はどうにか元気に過ごしています。ところがつい3日前の夕方末妹の体調に異変が起きました。自分の言動が少しおかしくなったようなので、旦那にそのことを伝え救急車を要請したようですが、あいにく消防署双海出張所には救急車1台しかなく出払っていたようでした。

 それでも脳梗塞の疑いがあるようなので、旦那は自分の車に乗せ途中で救急車に乗せてもらうよう手配し、松山の平成脳神経病院へ運んでもらいました。救急車内で計った血圧は200を超えていたそうですが、病院で適切な初期処置をして貰ったお陰で、とりあえず年末年始を挟んで1週間ほどは入院をしなければならなくなったものの、今のところ言動に後遺もなく推移をしているようで、ひとまず安心といったところです。

 一昨日近くに住む姉と一緒に、入院している病院へ見舞いに行きました。末妹といいながら年齢が60歳半ばになるとあれやこれやと身体に異変が起こるもので、思い当たることがあるとすれば、日ごろ血圧が少し高めで薬を飲んでいたようでした。妹はもう20年近くも前に務めていた農協を辞め、町内の菜の花畑で有名な閏住に小さな海産物のお店を構え、店は倒れたりもせず小さく繁盛し何とか商売をしていて、多少無理がたたったようでした。

 脳内や内臓は傍目からは何も分らず、気のつけようがないというのが正直なところでしょうが、妹は姉とともに常日頃から定期的にかかり付け医で検査をして万全を期していても、このようなことになるのです。先日新潟県糸魚川市で140件も燃える大火災が発生し世間を驚かせました。家事は初期消火が大事だと言われています。人間の病気も火事と同じように初期処置が何よりも大事です。旦那の機敏な対応が妹の身体を救ってくれました。有り難いことでした。

  「妹が つい3~4日前 脳梗塞 救急病院 運ばれ入院」

  「言動に 後遺症なく 一安心 人事でない 明日はわが身だ」

  「初期処置が 早くて大事に ならなんだ 家族みんなで コンプライアンス」

  「脳内や 内蔵見えぬ 場所ゆえに 時々検査が 必要かもね」

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〇腕時計の電池切れ

 数日前、自分が毎日愛用している腕時計の様子がおかしいことに気がつきました。腕にはめると自動巻き機能が働いて動くのですが、夜腕から外して机の上に置くと止まってしまうのです。これまでにも何度かあった異常なので、多分内蔵電池が切れたのだろうと思い、ついでの時に伊予市内の時計屋さんで・・・と思っていましたが、その時機を逸していました。

命を吹き返した腕時計

 昨日所用で松山へ出かけた帰り道、そのことを思い出して「電池交換470円」と手書きで書いた看板につられ時計屋に入りました。店は開いていて店内に入ると自動チャイムが鳴って来客を知らせましたが、「こんにちは」と少し大きな声で呼んでも、お店の奥からは誰も出てきませんでした。仕方なく外に出て帰ろうとすると、ご主人が自転車で帰って来ました。聞けば近くの銀行へ出かけていたというのです。何とまあ長閑なことでしょう。

 早速ご主人は机に向って私が手渡した腕時計の裏蓋を工具で外し、4~5分で電池交換を終えました。最中お客さんが一人訪ねて来て、「先日修理してもらったが治っていなくて・・・」とやり取りをし始めました。「おいおい私のは大丈夫か?」と思いつつ、「安いなあ」とも思い470円を支払って店を出ました。昨日の夕方から今朝にかけて電池交換した私の時計は狂いもなく動いているようです。

 私には腕時計が目下のところ3個あります。今回電池交換してもらった腕時計は、東京へ講演に出かけた折使っていた腕時計が動かなくなり、講演に支障をきたすため通りすがった東京駅の地下売り場で、たった千円で買った代物です。講演に使うにはデジタルでも象形数字でも駄目で、極力大きなアラビア数字のものが便利なので、千円といえど使い勝手がよく、もう20年を越えて愛用していますが、年老いつつある私のように、まだまだ消費期限は残っているようです。

  「東京で 買った千円 腕時計 電池換えれば まだまだ動く」

  「こんにちは あいさつするが 出ても来ず 田舎のお店 長閑なもんだ」

  「電池換え 470円 いたします 手書きの看板 目に付き入る」

  「講演に 使う時計は 文字盤が 大きく見やすい これが一番」   

 

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〇イチゴハウス

 夜が長く昼が短いこの時期に、イチゴに少しでも昼の時間を長く感じて貰おうと、農家の人は夜中ハウス内に電気をつけて栽培しています。素人の私などは「電気代が勿体ない」などと思うほど、煌々と灯りを点けているのです。多分間もなく真っ赤で甘いイチゴができることでしょう。

昨晩電気をつけたイチゴのハウス前を通りました。

 

 

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〇カレンダーの吊るし替え

 昨日の夜、今年の仕事納めを終えた息子が、私のために来年の大きな日めくりカレンダーを、持ち帰ってくれました。昨年は欲しくても手に入らず、今年1年は月めくりカレンダーを仕方なく使っていただけに、嬉しくなって早速今年使っていたカレンダーを外して、新しいものに取り替えました。

板壁に吊るした来年の日めくりカレンダー

 著名な書家榊莫山が御暦と揮毫した大型日めくりカレンダーには様々な情報が入っています。例えば来年は平成29年ですが、右上には大正106年、昭和92年と表示しています。大正生まれの人や私のような昭和生まれの人間にとっては、意味のある表示ですが、新しい年号平成も既に来年は29年となるのですから驚きです。

 カレンダーにはその日の吉凶や旧暦、月の状態などが詳しく書かれていますが、吉凶等余り信じてはいないものの日常的には仏滅や大安、友引などを意識しなければならないため、結構重宝情報満載です。私は家庭菜園で野菜を作っているので、旧暦での季節の変わり目は、野菜の植え付けにこれまた大事です。

 このカレンダーで私の一番のお気に入りは、「今日の言葉」です。世界中の著名な歴史上の人々が言った金言が、365日全てに書き込まれていて、毎日この言葉に納得したり教えられたりしながら、日々を過ごすことができるのです。時にはこの言葉を引用してブログに記事を書くこともあります。さあ4日後に迫った来年は私や家族にとって、どんな希望の年になるでしょう。日めくりカレンダーを毎日めくるのが楽しみです。

  「2年ぶり 息子がくれた 日めくりは 色々情報 詰まって楽し」

  「一番は 何といっても 日々金言 自分当てはめ 納得生きる」

  「仏滅や 友引よりも 大安で あって欲しいと 願っています」

  「菜園に 種を播いたり 苗植える 目安旧暦 案外重宝」

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〇家族葬

 昨日は享年80歳で亡くなった義兄の葬儀でした。他のことならおおよその見当がついて、粗相のないようやることができるのですが、こと葬儀となると私のように田舎に住んでいて、四六時中葬儀に参列したり、親類が多くて葬儀に深く関わっていても、中々先が読めず不安になるものです。ましてや親が死んで初めて喪主になる若い人などは、どうしてよいか分らず右往左往します。義兄の葬儀も東京で暮らすひとり息子が、親父の危篤の知らせに心が動転し、葬儀の段取りはもっぱら私と隣に住む義兄夫婦が相談に乗りました。

 まずどんな葬儀にするか考え、将来のことを考えると付き合いや、葬儀の義理を日常の付き合いで返すことも出来ないので、新聞訃報掲載や香典受け取りを止め、ごく身内だけの家族葬にすることを決めました。それでも祭壇やお寺とのやりとり、通夜葬儀の段取りなど細々決めることが一杯あって、かなり難儀をしましたが、極力お金をかけず、しかも故人の人格を重んじるよう気を配って準備を進めました。昨日は9時納棺、11時から葬儀告別式、12時30分出棺、13時葬儀場、法要会食などをほぼ予想どおり行なって、午後3時に無事全てを終了することができました。

 昔は葬儀はその人の最後の一花なので、出来るだけ豪華に出来るだけ沢山の人に来てもらうことが一番でしたが、今は残された遺族が葬儀後どういただいた義理を返すのか考えて、つつましやかな、それでいて温かみのある家族葬が多くなったようです。あの世に旅立った義兄には申し訳ないという多少の心残りもありましたが、いい葬儀だったと親族みんなが納得しました。はてさて多分30年以内に行わなければならない、自分たち夫婦の葬儀はどのようにされるのでしょうか?。「葬儀のことより挨拶をしなければならないことが気になって・・・」と胸の内を明かした、若い喪主の偽らざる心境吐露を聞きながら、喪主になるであろう息子の挨拶は?・・・なんて考えて苦笑いしました。

  「ごく内輪 家族葬ゆえ 心配を したが中々 いいものでした」

  「馴れてない ゆえに葬儀の 先読めず 右往左往の 連続でした」

  「葬儀より あいさつ気になり めちゃ緊張 喪主を務めた 息子大汗」

  「さて私 自分の葬儀 人がする 見れないゆえに どうなることか」

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〇義兄の死と自分の今後

 私のようないわば破天荒な人生と違い、25日に享年80歳で亡くなった義兄は慎ましやかな人でした。若い頃から両親と家業である削り節製造海産物屋を自宅工場で営み、両親亡き後は夫婦で跡を継いで家業に精を出していましたが、10年前喉頭ガンを患って声帯を取ってからは家業をたたんで、無言の人生を送っていました。元々読書が趣味程度の物静かな人だったので、元気な頃からそれほど人生について深い会話を交わしてはありませんし、声帯を取って会話ができなくなったこともあって、余り自分の存在感を示すような人ではありませんでした。

 この10年、喉頭ガンが肺に転移してからは入退院を繰り返し、最近は体全体にガンが増殖して末期がんと診断され、自宅で緩和ケアーを受けることを本人も納得希望し、この2ヶ月懸命の闘病生活を行ないました。近所の医院とガンセンター、それに医師会がタッグを組んでくれたお陰で義兄も、最後は多少苦しみながら家族と自宅で過ごせたことが心の救いとなりました。痛くても声が出ないゆえそれさえも伝えることができなかった義兄の心情を思うと、やりきれない気持でいっぱいです。

 2年前に義妹を天国に見送った妻の悲しみも、言葉には出しませんが察して余りあるものがあり、死期を告げられていたこの10日ほどは、毎日のように仕事から帰った妻を連れて、50キロ離れた妻の実家まで兄を元気付けるため出かけたことも、幾分気休めにはなっていますが、それにしてもこれほど慎ましく、これほど真面目に生きてきた義兄に、神も仏もないものよと、多少恨みも残っています。まあこれも人生と今となっては諦めるほかないのが正直なところです。身近な人の死は自分の人生を省みることが多く、ましてや老域に達しつつある自分の今後をどう生きるか、大いに考えさせられています。

  「物静か 最後は声帯 取ったゆえ 余計心情 察して余る」

  「神仏 何で真面目な 義兄まで こんな仕打ちを するのでしょうか」

  「身近人 亡くなる度に 老域に 達しつつある 自分省み」

  「まず健康 保持するために しっかりと 心と体 鍛えなければ」 

 

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