人間牧場

〇ヒジキ刈り

 昨日と今日の2日間、鳥取県大山町から視察研修が来る予定でしたが、鳥取県を襲った大雪の影響で、来るに来られずキャンセルの連絡を受けたので、松山市味生まちづくり協議会の研修が終ってから、スケジュールが空白となりました。風も治まり日めぐりを見ると潮も16日の大潮のようなので、急な思いつきでヒジキ刈りに出かけました。長靴にニット帽を被って防寒し、鎌と海草収獲のために手づくりした網袋を持って、とっておきの場所へ軽四トラックを走らせました。

波の荒い昨日の海岸
磯に生えたヒジキ

 路側帯空き地に車を止め階段を海岸まで降りました。大小の石がゴロゴロ転がる上を歩き、波打ち際まで行くと、凪いだように見えても波はかなり高い状態でしたが、石についたヒジキを丁寧に刈り取って、網袋に入れました。いつものことですが一人でやる作業ゆえ、刈るよりも網袋に入れる手間に時間がかかり、都合1時間ほどで3つの袋に詰め込みました。さあそれからが大変です。かなり高く急な階段を、重い網袋を持ち上がるのですが、これが意外ときつく大汗をかくほどの重労働でした。

 トラックに積んで持ち帰ると、今度は水洗いです。大きなポリ容器に水を張りその中にヒジキを入れ、丁寧に揺らしながらヒジキに付着した小石や砂を落しました。このところの波で洗われ、小石や砂は例年ほど付着していませんでしたが、外庭に設えたドラム缶かまどの上に乗せた大釜に洗ったヒジキを順次入れて、茹でる準備をして昨日の作業を終えました。本当は昨夕火を入れて夜の間に蒸しておきたかったのですが、長靴に塩水が入って濡れたため、風邪を引いたら大変と大事を取って断念しました。

  「研修に 来る人たちが 大雪で 来れなくなって 手持ち無沙汰に」

  「日めくりを 見ると大潮 こりゃいいと ヒジキを刈ること 急に思いつき」

  「濡れないと 思って履いた 長靴に 穴が開いてて しまったしまった」

  「磯遊び いいつつヒジキ ちゃっかりと 自給しました 難儀も楽し」

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人間牧場

〇未来へのメッセージ「希望を育む地域づくり」

 昨日行なわれたえひめ地域づくり研究会議の30周年記念シンポジウムで、「未来へのメッセージ・希望を育む地域づくり」という演題で基調講演をしました。その内容は2つ、ひとつはこれまで・今・未来について、もう一つは司馬遼太郎の「二十一世紀に生きる君たちへ」について話しました。司馬遼太郎の文章は後日として、「未来へのメッセージ」を載せておきます。私が伝えたかったのは、これまでの地域づくりは古里=ふるさと、これからの地域づくりはふるさと=新里です。

壇上で基調講演する私
今朝の愛媛新聞4面に昨日の様子が載りました

 

 

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〇ひな豆の贈り物

 季節は春に向かって確実に動いていますが、この週末はこの冬一番の寒気団が南下し、海沿いに面したわが町では天地を揺るがすような北西の季節風が吹いて、海も山も大荒れです。こんな日は外の仕事ができないため、昨日等は一日中書斎にこもり、ストーブの前で原稿を書いたり本を読んだり、また明くる日に迫ったシンポジウムの構想を練りながら、久しぶりにのんびりゆっくりと過しました。

 ストーブの前に座ると日ごろ食べないみかんやお菓子が目に付きました。中でも前々日漁協女性部の福岡憲子さんが、手づくりして持参してくれたひな豆が目に留まり、熱いお茶を自分で入れて、飲みながら食べました。ひな豆は食油をまぶした干し飯をホウロクで煎り、煎った大豆やひなあられとともに、ぎょうせん飴で絡めて団子状にしたものです。私が子どものころは母親が3月のお雛様の季節が近付くと、手づくりしてくれた思い出の一品です。

 甘いものとて殆どなかった戦後のことゆえ、ひな豆は子どもにとって最高の贅沢でした。干し飯も余ったご飯を水洗いして干した粗末なものでしたが、できたひな豆はまず姉のお雛様に供えられ、それから子どもたちに分けてもらえるのです。残ったひな豆は湿気がこないよう、1斗缶に入れて大切に保管していましたが、それをこっそり食べるのもまた子どもの浅知恵な悪戯でした。

 三袋いただいたので一袋は孫たちにやりました。上の孫希心はそれほど食べませんが、下の孫奏心はひな豆が大好きで、このところ毎日のように食べています。私も「止められない止まらないカッパエビセン」ならぬひな豆の味を大いに楽しんでいます。毎年必ずこの時期に手づくりのひな豆をいただく、福岡憲子さんに感謝しながら、今か今かと春の来るのを待つ今日この頃です。

  「ひな豆が 今年も届き 嬉しくて ストーブの前 お茶を飲みつつ」

  「ひな豆の 思い出今も 忘れない 母の笑顔も 頭の中で」

  「甘いもの なかった昔 ひな豆は 子どもにとって 最高贅沢」

  「一斗缶 入ったひな豆 母の目を 盗んで食べた 淡い思い出」 

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〇史談会での学び

 2ヶ月に一回の割合で年6回開かれる双海史談会も、早いもので65回を数えました。史談会は双海町史改訂版の発行に携わった人たちが中心になって10年前に始めましたが、中心的役割を果たしてもらった初代会長の中嶋さんは既に亡くなり、新しい人に引き継がれ今日を迎えています。幸い中尾先生が事務局長を務めてくれているので、ゆるぎない活動が続いていることは何よりも嬉しいことです。 

大久保八十八ヶ所の古文書
皆さんに話す駒沢さん

 先日行なわれた例会では大久保八十八ヶ所が取り上げられました。元役場職員で石久保に住んでいる駒沢一憲さんが、病床にありながら年月をかけて調査し、磯田先生や公民館職員のバックアップで、その全容がほぼ解明されたことは賞賛に値する出来事で、例会には駒沢さんも古文書を持ち込んで話をしてくれました。3月11日には史談会のメンバーで、大久保八十八ヶ所のおもだった場所を訪ねる計画も決まりました。

 2月25日に子ども体験塾で正法寺や石久保公民館周辺の25ヶ所を歩いて回るウォーキングも予定されていて、先日その下見調査も行いました。facebookへの小西さんの書き込みでふと気がつくと、仲間内で回ろうと始めた上灘八十八ヶ所参りも、まだ半分しか回っておらず、みんなの日程が合わず立ち消えになっていた参拝ウォーキングを、ご指摘どおり一つひとつ片付けなくてはと、自責の念に駆られました。

 ふるさとの歴史は紐解けば紐解くほど色々な事実が分り、とても楽しく学んでいます。双海の歴史を観光に生かせないかと、これまではそういう視点で歴史を見ていましたが、これからはむしろ地域の人々に遺し伝えることに主眼を置いた活動にも、気を配らなければなりません。それが今に生きる私たちの務めなのかも知れません。駒沢さんに感謝しつつ・・・・。

  「ふた月に 一回開く 史談会 新たな事実 次々明らか」

  「執念で 八十八ヶ所 調査した 資料説明 かつての同僚」

  「これまでは 観光ばかり 目を向けて いたがこれから 遺し伝える」

 

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〇忘れられない2001年2月10日

 明日に迫った2001年2月10日が近付くと、何となく胸の高鳴りを感じます。2001年2月10日はハワイ沖で宇和島水産高校の実習船えひめ丸が、米原子力潜水艦グリーンビルに衝突され、実習生ら9人が亡くなった日です。時の流れは早いもので、あれから16年が経ちましたが、今年は17回忌となるため、愛媛県知事さんや在校生も現地ハワイの慰霊碑を訪れ、鎮魂の祈りを捧げたようです。

自著本「昇る夕日でまちづくり」
私が乗船した初代愛媛丸の記事

 宇和島水産高校の卒業生であり、初代愛媛丸に乗って南太平洋珊瑚海まで遠洋航海した経験のある私にとっても、この日は一生忘れられない悲しい思い出の日なのです。偶然でしょうか?。この日は南海放送本町会館7階のテルスターホールを借りて、自費出版した自著本「昇る夕日でまちづくり」の出版記念パーティを行なう日でした。朝から特老夕なぎ荘近くの畑で、会場を飾る菜の花を取り自宅へ持ち帰って準備をしていると、近所に住む姉が事故の一報を告げにわが家へやって来ました。

 ニュースで事故の様子がテレビに映し出される度に、立ち上がれないほどのショックを受けました。出席を予定していたマスコミ関係者の何人かは対応のため欠席しましたが、200人ほどの参加を得てパーティは盛会の内に終りました。自著本にえひめ丸に乗船した思い出を書いているだけに、思いも一入だったことが昨日のことのように思い出されます。今朝は書斎本棚に並んでいる自著本「昇る夕日でまちづくり」をめくりながら、過ぎ越し日々を思い出しました。

  「早いなあ 17回忌が やって来た 心の襞に 残った記憶」

「自著本を 書斎本棚 取り出して 懐かしみつつ ペラペラめくる」

「沈没と 出版記念 重なって 右往左往の あの日あの時」

「来年は どんな気持で 迎えるか 行く当て知れず 歳を重ねる」

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〇地域教育実践南予ブロック交流集会

 先週の土曜日、愛媛県歴史文化博物館で開かれた、地域教育実践南予ブロック交流集会に、年輪塾小番頭の松本さんと一緒に出かけました。松本さんも私も交流集会の実行委員なので、暇を見つけ足繁く参加していますが、博物館までの往復道中は、まちづくりや町内の出来事について、お互いの意見をすり合わせるまたとない機会なので、車内ながら2人で大いに語り合いました。

奥伊予太鼓保存会の演奏
夜の交流会

 今年は12月に大洲で交流集会を開きましたが、2月4日南予で、2月5日に東予で、そして2月18日に中予で、それぞれブロック集会が持たれるので、松本さんも私も何かと大忙しです。この日は南予ブロックと言いながら、開会あいさつを全体実行委員長の私がすることになっていて、その日の愛媛新聞朝刊10面地方版の「伊予弁」に載った市川和人さんの記事を読みながら、雑談めいたあいさつとなりました。

 オープニングは奥伊予太鼓保存会の賑やかな演奏でした。園児から高齢者まで総勢37人の太鼓集団の活動は、文化的価値も非常に高く、見応えがあり大いに盛り上げてくれました。その後4つの分散会が行なわれ、全体会インタビューダイアローグ「地域づくりへの思いを語る」は、浅野長武さんがインタビュアーとなり、高校生や大学生が日ごろの活動を通じた地域づくりについて熱く語りました。

 最近感じることですが、地域に開かれた学校づくりと言いながら、小学校や中学校は学力向上を理由に少し腰が聞けていますが、高校や大学は逆に開かれ過ぎるほど地域活動をしています。この日も宇和島水産高校のフィッシュガールズや、三崎高校の三崎おこしに加え、愛媛大学の観光まちづくりについて熱く熱く語ってくれました。私たちの発想が既に古いと感じるほどの熱い意見に、胸を熱くした一日となりました。

 夜の交流懇親会も昼間の参加者80人の半数以上が参加して、旧国道沿いの十石という居酒屋で行なわれ、南予の熱い思いを肌で感じることができました。私は明くる日3時半起床で鳥取へ向わなければならなかったため、午後8時過ぎに退散しましたが、松本さんは明くる日東予のブロック会にも参加してくれたようです。

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〇鳥取県大山町生涯学習大会

 昨年山口県山口市で開かれた全国公民館研究集会の分科会に、愛媛県公民館連合会からの推薦で、フアシリテーターを頼まれ出かけました。県公連の専門委員や公民館OBの公友会の会長をしているものの、第一線を退いている私にとっては、少し首をかしげたくなる役目でしたが、「呼ばれたら刑務所以外どこへでも行く」をモットーにしている私は、首をかしげるどころかむしろ喜んで出かけました。

百人一首大会
冬の味覚松葉ガニを堪能しました

 長年社会教育とつながっていることもあって、有り難いことに山口大会では、様々な出会いがあり、特に分科会で旧友である鳥取県大山町の入江さんと久しぶりに出会い、その後昨年の11月、入江さんが合併前の中山町時代に交友のある徳永さんと一緒に、職員を誘いわが町へ遊びにやって来て、今回の生涯学習大会での講演へと結びつきました。大会担当の徳永さんと、演題を「人づくり・まちづくり・未来づくり」にしようと相談がまとまりました。それというのも大山町では「大山町未来づくり10年プラン」がスタートしていて、事前に送られてきた資料の中にそのことが読み取れたからでした。

 会場となった「保健福祉センターなわ」では、午前中百人一首の大会も行なわれていて、昼食は給食センターが用意した地産地消の菜めし、じげ野菜のちゃんこ風、鶏肉の梅誰だれかけなどが振る舞われ、発表や講演には予想をはるかに越える180人もの参加者が集り、熱気ムンムンでした。町長さんや教育長さんとも顔見知りで、また楽屋へは金田先生はじめ何人かの人が訪ねて来てくれ、その余勢をかって熱のこもったお話をさせてもらいました。

珍しいイギス料理

 実は今週末の12日と13日の2日間、偶然にも大山町の下中山の地域づくり団体が双海町へ視察にやって来る予定になっていて、その夜はふれあいの館で交流会をしたり、人間牧場へ案内をするようになっていて、中山温泉で開かれた懇親交流会には、その人たちも参加して賑やかな宴席となりました。昨年11月にわが煙会所にやって来た池本公美恵さんや金田順子さんも同席し、まあそれは賑やかな懇親会となりました。松葉ガニやイギスなど珍しい食材も堪能するほど食べました。

楽しかった交流懇親会

  「山口で 出会ったことが 震源に なって再三 再四広がる」

  「今週は 大山町の 人が来る 交流重ね 人生楽し」

  「カニ嫌い 手が汚れるからと わがままを 言いつつ横の 女性に甘え」

  「瀬戸内に 住んでいるけど 日本海 美味い魚に 舌鼓打つ」 

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◯中山温泉で「いい湯だな!!」

 昨夜は鳥取県大山町の中山温泉のそばにある公共の宿に泊まりました。いつ来たかは定かでありませんが、おぼろげながら記憶を辿ると、多分10年も前に講演に招かれた折、温泉を楽しんだようなのです。

 温泉の好きな私は早速温泉を楽しみました。いい湯質で極楽極楽でした。さあ身支度して間もなく帰路に着きます。

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◯早起きは三文の得

 いつもは朝4時の起床ですが、今朝は30分早い午前3時30分に起きました。昨日は集会の後の懇親会に参加して帰宅が遅かったため寝るのが多少遅れたため、目覚まし時計のご厄介になりましたが、松山駅まで妻に見送ってもらい、特急しおかぜに乗ることができました。今日は早起きは三文の得を満喫したいと思います。

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