人間牧場

〇桜吹雪
 季節の移り変わりは早く、先日桜が咲いたと思えば、もう散り始めています。例年だと入学式はさあ倉が散っているのに、今年は今も菜氷の桜が残っています。

 4月8日の由並小学校の入学式は満開の桜でした。ところが4月8日の夜から9日の朝にかけてかなり強い風雨があり、桜の花が一気に吹き飛んで、桜吹雪が舞う花冷えの双海中学校の入学式でした。

 たった一日で散る桜も少し残念にも思いましたが、桜の木の下には散り初めし桜の花びらが道に積もって、それはそれとして風情がありました。

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〇野菜の残材片づけ
  夏野菜の植え付け時期が近づいて、どこか背中を押されるような気焦らしい気になってきました。野菜を植えるには、まず冬野菜の残材を引き抜いたり、雑草を取ったりすることから始めなければなりせん。

 大根は既に引き抜いていますが、白菜やブロッコリー、カリフラワーなどは、食品ロスになるので極力残らないようにしていますが、今年も大量に残って、それらには「もう食べられません」と言わんばかりに、トウが立って黄色や白い菜の花が咲いているのです。

 鍬で掘り上げ、根に着いた土を鍬のセンゴで定年依土を叩きとした後、一輪車に積んで、残材置き場まで運んで処理しますが、これが中々の力仕事で、削った草も大量で、置き場に山積みした場所はうず高く積まれ、満杯のようでした。

 今日で半分は片付きましたが、あとの半分は明日もこう天気に恵まれる予定なので明日にでも処分をしたいと思っています。それが終われば牛糞や石灰を撒いて耕運機で中耕したり、畝を立てて夏野菜の苗を植える予定です。

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人間牧場

〇振り返ると小焼け
 前日は雨を伴った日便りの強い風が吹きました。今年は例年より遅れて咲いた桜も散ってしまったと思っていましたが、そこここの桜はまだ満開のまま咲いていて内心ホッとしました。

 夕暮れ時、茹でたワカメを、いつものように知人や友人におそそ分けするため、翠地区周辺に向かって軽四トラックを走らせました。夕日の時刻表によると今日4月10日の日没時間は18時36分だと記憶していたので、バックミラーに写る西の空を見ながら走りました。

 翠地区は帆が師と西側に山がそびえる谷にありますが、小焼けの空が何ともいえない美しさでした。若し今頃シーサイド公園やJR下灘駅からは綺麗な夕焼けが見えるに違いないと思いましたが、こんな小焼けもいいものだと思いました。

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〇叔父の決意
 私の家は代々漁師でした。漁師の長男に生まれた私も漁師になるため宇和島水産高校に進学し、親父がガンになったため大学進学を諦め地元に帰って7年間漁師をしました。しかし25歳の時体調を崩し漁師が出来なくなり、地元の役場に勤め60歳まで務めました。

 親父は12人兄弟姉妹の長男に生まれました。殆どの兄弟姉妹が町内の住んでいますが、親父や叔父叔母も他界したり高齢になっています。叔母の義理の夫が最後まで漁師を続けていましたが、海難事故で2人の息子を亡くし、叔母も亡くなったため97歳ながら下灘下浜で一人暮らしていましたが、最近脳腫瘍を発症し入院しました。

 昨日退院したという知らせを受け自宅へお見舞いに行きました。愛知県で暮らす息子夫婦が帰郷していました。聞けば高齢ゆえ一人暮らしは無理と判断し、本人を説得納得させ、70歳の息子夫婦が一緒に愛知県へ連れて帰るとのことでした。

 叔父にしてみれば老い先もそんなに長くないので、生まれ育った下灘下浜を離れる決断は本意ではないと切々と私に話してくれました。それでも今月の17日慣れない土地へ旅立とうとする叔父の姿に少ししんみりしました。この叔父がいなくなると私の親類で漁師はゼロになります。何とかしたいけれど何もできない寂しい時代の流れです。

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〇教育談議
 先日児童数20人ほどの小さな地元の小学校から、松山市内の児童数の多い大きな学校へ校長先生が転勤になりました。みんなは口々に「ご栄転でおめでとうございます」と祝意を述べられていました。

 小さな学校から大きな学校へ辞令一本で異動を命じられると、「栄転」だと思う人が殆どでしょうが、逆に大きな学校から小さな学校へ異動した場合は「何か不都合なことがあったのか・」と邪推したり口では言わなくても心の中で「左遷?」かもと勘ぐる人もいるようです。

 本来学校には上下の区別などなく、大きいと子どもの名前を全員覚えることも出来ず、むしろ小さいとみんなの顔や名前を全部覚えれるのですからこれほどいい教育環境はありません。教育に限って言えば小さいことの方がメリットは沢山あるのです。

 500人の大きな学校から、20人ほどの小さな学校へ転校してきた子どもが、私の子ども体験塾に来ています。そのお母さんと話したのですが、「前の学校は500分の1でした。今の学校は20分の1です。500回に1回だった出番も20回に1回になり、子どもも『毎日学校へ行くのが楽しい』と言ってくれます。小さい学校は子どもが主役です。転向させて良かったと思います」と、言ってくれています。教育の本質を語る嬉しい言葉です。

「ご栄転 みんな口々 言うけれど 大きいことより 小さなことも」
「500より 20がいいと 胸を張る 名前と顔を みんな覚えて」

 

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〇生き場所がここにもあった屋根の草
 私の家は日本建築で築50年近く経っています。家も50年近くが経つとあちこちが朽ちてくるもので、注意をしないとトイが詰まったり、雨漏りがしたりします。その度に自分でできることは自分で、叶わない時は大工さんや左官さんの力を借りて修理をしています。

 今日何気なく庭に造っている長~い日本瓦葺きの塀を見ていると、あちらこちらに草が生えているのを見つけました。早速脚立を立て登って草を引きました。あんな屋根の上の過酷な条件なのに、種も蒔かず植えもしないのに、草が沢山生えていました。

 お寺の山門の掲示黒板に「生き場所がここにもあった屋根の草」というのを覚えていますが、自然とは偉いもんだとしみじみ思いました。脚立に登ったり降りたりしてすっかり奇麗になりましたが、屋根の草を見ても学ぶことが多くあるようです。

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○フキ泥棒は泥棒にあらずか?
 昨日の昼頃港の見える丘の山仕事が一段落したので、500m上の人間牧場へ上がりました。スモモの花も散り地面のそこここには雑草が勢いよく伸び始めていました。人間牧場の梅林には植えた訳でもないのにフキが辺り一面繁茂しています。ところが柔らかい緑色の葉っぱの一部の葉っぱが刈り取られ無残に葉っぱだけが落ち踏み潰されていました。

 これまでのことを思い起こすと確実に誰かがフキを切取り持ち帰ったようでした。田舎の人はしませんが、都会の人はワラビやツワブキなどの山菜は自然に生えていて、誰でも取っていいと勘違いをしてるようで、「これは作っているの取るな」と注意をすると、「どこに書いている」と逆ギレし胸ぐらをつかんで喧嘩になったこともあるようです。

 何年か前5人ばかりのスカートをはいた女性がやって来て、同じような出来事があり、注意をしてすったもんだをしたことを思い出しましたが、今回は留守中の出来事だけにやれやれでした。せっかく植えている菜の花も蕾を食用に持ち帰る人も後を絶ちません「フキ泥棒は泥棒にあらず」ではなく、フキ泥棒は泥棒です。ご用心ください。帰り際フキを4束ほど収穫し持ち帰りお裾分けして喜ばれました。

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〇人間牧場のシンボルツリーヤマモモの枯れて枝切り
 今日は山仕事が一段落したので、人間牧場のシンボルの樹齢150年のヤマモモの大きな枝が枯れたので、子ども体験塾にやって来る子どもたちが木登りをして遊ぶため、ケガでもしては大変と、チェンソーを使って伐採することを思いつきました。

 チェンソーのエンジンをかけ、小切りしながら30分ばかり作業をしましたが、エンジン音が春本番の山々に木霊して賑やかでした。近所の畑で農作業をしている顔見知りの人が、「何事か?」と覗きにやって来ました。「進ちゃんも器用で何でもやるな~」と褒めてくれました。

 すっかり奇麗になりましたが、枯れているので割り木には割れないため、先日修理した薪置き場へ運び入れ体験塾の野外炊飯用に使いたいと思っています。山仕事も結構楽しいものです。

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〇徳島県佐那河内村から佐那人がやって来る
 今年の新春早々、徳島県佐那河内村から、3人の若者が人間牧場へやって来ました。佐那河内村といえば徳島県唯一の村で、原元村長との長い付き合いは私が愛媛県青年団連合会の会長をしていた頃からの顔見知りで、何度か村へ講演に訪れ、村の人たちも人間牧場やわが家へ訪れるなど、細々ながら交流が続いていましたが、一昨年の下灘駅夕焼けプラットホームコンサートに佐那人というグループが出演してから、何かと騒々しい交流となりました。


(メンバーの日下さんがFacebookで配信した新聞記事)

この若者たちは神出鬼没で、車に寝泊まりし何処へでも出かけ、どこででも勝手のライブをやり、その模様をSNSで配信していますが、まあやりたい放題といったところです。その佐那人が来週の14日日曜日に、人間牧場でライブをやりたいと申し出がありました。急な思い付きゆえ観客はゼロ、いわば人間牧場の私のためにだけライブをやるという贅沢極まりない計画です。

 年輪塾の浜田さん、松本さん、それに笑いヨガの玉井さんには声をかけていますが、どなたさまもお忙しい方ばかりであり降って湧いたライブ話だけに、まあこの程度でお許しを願いましょう。さて来週は入学式やら実行委員会など相変わらず忙しいスケジュールが待ち受けていますが、そろそろ晴れの日を選んで夏野菜の植え付け準備や、港の見える丘の広くなった畑の草刈りや野焼きも始めなければなりません。忙しくなりそうです。

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〇「歳だから背の高さ以上高い所へは上がるな」
 3年前、庭に植えている高さ4mもあるクロガネモチの木に脚立を立てて登り、剪定をしていました。若い頃は何ともなかったのに、歳のせいでしょうか近頃は少し怖くなって足がすくみますが、それでも自分以外する人もいないので、やらねばと使命感に燃えてやっていました。

 

 すると立てた脚立の足元がぐらついて倒れ、乗っていた私も地上に落下して、嫌という程地面に叩きつけられました。息子家族のダイニング前の中庭だったため、孫の友だちが数人ダイニングにいたので、孫たちが駆け寄り直ぐにウッドデッキまで運んで寝かせてくれ、様子を窺ってくれました。

 その日から1週間は腰や肩を打っていて、風呂に入るのも、布団の中で寝返りを打つのも大変で、どうしたものか思案していましたが、家族に勧められて近所のたけます診療所へ行きレントゲン検査を受けました。打ち所が良かったのいうべきか、脊椎や腰や肩、それに頭も異常がなく、日が経つにつれて回復しました。

 医師から言われたのは「もう歳だから自分の背丈以上高い所に上がらないように」と教育的指導を受けました。以来その言葉を守ろうとしていますが、今日昼頃時ならぬ集中豪雨が降り、トイが詰まっているところが2ヵ所見つかりました。「そんなこと言ったって」と脚立を立て屋根まで登り詰まっていたトイの掃除をしました。

 そのうち帰宅した妻に見つかり「あれほど言っていたのに危ないったらありゃしない。怪我でもしたらどうするの」と叱責されました。私は「よくぞ掃除をしてくれてありがとう」と言い褒めてくれるものと思っていましたが、少し当てが外れました。まあこんな日常です。

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