人間牧場

〇台風18号の避難勧告

 瀬戸内海に面した双海町は、背後に石鎚山と剣山に連なる四国山脈があるため、台風銀座と言われる四国であっても、台風の被害は比較的少ない方です。しかし今回の台風18号は九州から宇和海を経て四国南西部宿毛に再上陸し、まるで直撃のようでした。心配された雨も風も予想以上で、これまでに経験した事のないような非常事態となりました。

 昨日の夕方双海町全域に次のような避難勧告が出ました。多分これまで一度も経験した事のないことなので、避難勧告がどういう意味を持っているのかさえ分らず、恥ずかしながら正直右往左往してしまいました。
 種  別 避難勧告
 発令理由 台風警戒のため
 発令内容 18時20分に双海地区に、避難勧告を発令しました。降り続く大雨により、土砂災害が発生する
      危険があります。付近の住民の方は、できるだけ近所の方にも声をかけて、双海地域事務所、
      下灘コミュニティセンターへ避難して下さい。十分な時間のない方は、近くの安全な建物に避難
      して下さい。中山栗田、永木、上三谷、下三谷、上野、宮下は継続して避難勧告を発令。

 台風は時速35キロのスピードで、足早に四国から離れ北進中ですが、その行く手には心配して電話をかけてくれた沢山の知人友人がいます。あなどることなく備えを万全して通過するのを待って下さい。今回の台風は雨風ともに最強です。只今午前3時です。雨も風も収まり、外ではこれまで息を凝らしていた秋の虫たちが、台風通過を喜ぶように大合唱を始めています。

 今日は台風襲来で延期されていた松前町での講演と、孫たちの運動会が行なわれます。あちらを立てればこちらが立たずで、午前中は講演に出かけるため、孫たちの運動会は少し急いで帰って、午後の部からの見学になりそうです。あと2時間ほど仮眠して夜が明けるのを待って外に出て、わが家の被害状況を、恐る恐る確認しなければなりません。遠くで水かさの増した上灘川の水音が聞こえています。とりあえず「お休みなさい」です。

  「怖かった 大風大雨 台風が わが家直撃 避難勧告」

  「他人事の ように日常 思ってた 避難勧告 外に出られず」

  「昨晩は 眠れぬ夜を 過ごしたが 午前3時に やっと床就く」  

  「2時間後 外の見回り 心配の 種は尽きずに とりあえず寝る」 

 

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人間牧場

〇幸せになる習慣と不幸にならない習慣(その2)

 今朝アメーバブログで「幸せになる習慣」を書きましたが、ワードプレスブログでは、「不幸にならない5つの習慣」について考えてみます。

  不幸にならない5つの習慣」
 ①許す
 ②忘れる
 ③リラックスする時間を持つ
 ④小さい成功を重ねる
 ⑤事実と意見を切り離す

 私は生来のせっかちです。ゆえに明くる日の予定を前日頭の中で組み立てながら、自分では時間をコントロールして日々を暮らしているつもりですが、妻に言わせると、「もう長年一緒に暮らしていて慣れたけど、あなたの生き方は時間的遊びがなく息が詰まりそう」らしいのです。出かける時でも「早くしろ」と、細々した出かけるため準備や点検をしている妻に、「まだか」と声をかけ続け、何にもしないで気ばかり焦って急かせます。

 ③リラックスする時間を持つよう、これでも努力しているつもりですが、まだまだその域には達せず、これも性分と諦めかけています。人間誰にでも等しく与えられている一日24時間、一年8760時間を、一日28時間、一年10220時間のように有効に使って生きているつもりですが、この「つもり」という考えが曲者で、せめて一日に1時間、一年365時間程度でもリラックスする時間を持ちたいと思っています。

 成功と言えるかどうかは分りませんが、私は小さい事ながら様々な小さい実践を積み重ねています。毎日の1・10・100・1,000・10,000もそのひとつで、お陰様で心身ともに健康な日々を暮らしています。一昨日私より3つ年上の先輩、つまり75歳のご主人が、「要介護1の認定を受けた」と、ショックを隠し切れない奥さんから悩み話を聞きました。一日1万歩を目指して歩いている小さくささやかな実践も少しは役に立って、健康寿命を保持していると納得した次第です。「不幸にならない5つの習慣」をこれからも実践したいと思っています。

  「幸せに なりたい願望 大事だが 不幸ならない ことも大切」

  「時間気に かけて毎日 生きてるが リラックスする 余裕も大事」

  「気をつけて 小さな実践 積み重ね お陰で健康 生きれる感謝」

  「2番目に 忘れることと 書いている これなら多分 100%だ」

 

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〇過去と人の心は変えられない

 長年とまではいかないまでも、昭和・平成と72年間生きてきて思うことですが、「過去と人の心は変えられない」ようです。過去は過ぎ去ったことゆえ、「あの時はこうすればよかった」と、失敗したことを幾ら悔やんでも、手直しすることはできません。また「あの頃は楽しかった」と若い頃の思い出を語ったところで、それは思い出にしか過ぎないのです。

 先日あった下灘鱧祭りの出来事です。その日は9月に入ったとはいえ夏の名残の残暑が厳しく、朝から太陽が照りつけ、お目当ての「鱧御膳(千五百円)」という弁当売り場のテントの前には、長い行列ができていました。その列の中に見覚えのある元県庁職員の姿がありました。たまたまそこを通りかかった私に、昔県庁では偉かったその人は、「こう暑くちゃ、行列までして弁当を買うのはたまらん。昔のよしみでわしと妻の分2つを何とかしてくれないか」と、隣に並んでいる人に聞こえるように私に言うのです。

 それを聞いた私は、「みんな並んでいるので、あなただけ特別扱いすることはできません」と突っぱねると、「漁協組合長はあんたの従兄弟じゃろが。あんたの顔を利かして何とかしてくれ」と駄々をこねられました。「私は顔が利きません」と言うと、「あんたも落ちぶれたもんで力がないのう」と、ぶ然とした口調の言葉を浴びせられました。「昔のよしみ」という言葉の裏に、「わしは昔偉かった。仕事を辞めた今も偉い」と勘違いして胸を張る姿が垣間見えるし、これまで「顔が利く」世界の恩恵を受け続けてきた特権意識も見て取れました。

 現職をリタイアし、無位無官となった私といえど、弁当の2つくらいは頼めば何とかなるかも知れませんが、この人のためにあえて弁当を頼まず突っぱねたこの人は、私の評価を「力がない」と見たようです。自分の思い通りに人は動くものではありません。最も身近な夫婦でさえ、妻が私の思い通りにならないことを考えると、「人の心は変えられない」ようです。でも今になって気付くのは「過去と人の心は変えられない」が、「未来と自分の心は変えられる」ということは確かなようです。

  「過去加え 人の心は 変えられぬ だから毎日 必死に生きる」

  「その昔 偉かったこと 鼻にかけ 勘違いして 私に迫る」

  「今はもう 値打ち力の ない人に なってしまった 自覚し生きる」

  「変えられる 未来と自分 そう思や 勇気と希望 湧いて生きれる」

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〇夏の終わりの後片付け

 935HPという超大型台風が南の海上をゆっくりと北上しています。テレビで気象予報を見ると台風の目が大きく、予報円内に日本列島がスッポリ入る最悪のコースが予想されていて、わが家でもそろそろ台風に供えなけれならないようです。

クレーン台船によるサメ除けネットの撤収作業

 昨日所用でシーサイド公園に出かけましたが、数日前まで賑やかだった人工砂浜も人がまばらで、どこか寂しい感じがしました。沖合いでは台風への供えでしょうか?。夏の間沖合いに張っていたサメ除けネットを、クレーン台船が吊り上げて回収作業をしていました。

 シーサイド公園ができた頃には、サメ除けネットの設置回収も私の仕事で、私が描いた絵図を元に漁協に手づくりしてもらい、私が海に出て指示をしたりしていましたが、今は漁協と業者に一括受注されているようで、漁協組合長が陸側から作業の様子を見つめていました。

 黄色いオイルフェンスのサメ除けネットがなくなると、シーサイドの沖合いはどこか殺風景な感じもしますが、秋・冬・春を経て来年の夏まで砂浜は深い眠りにつくのです。冬になると北西の季節風に乗って、大量のごみや藻場が砂浜に漂着します。私も及ばずながらボランティアで掃除に加わろうと思っています。

  「シーズンが 終りサメ除け 取り外す クレーン台船 威力を発揮」

  「どことなく 寂しい感じ 砂浜は 来年春まで 深い眠りに」

  「オレンジの 色鮮やかな 直線が 消えて景色が 殺風景に」

  「砂浜に 今年もごミが 大量に 漂着予測 掃除の覚悟」

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〇大風で割れてしまった大壷

 一昨日は低気圧と前線に南風が吹き込み、海沿いに面したわが町では、通称「やまぜ」というかなり強い南風が二日間に渡って吹き荒れました。「風が吹いたら桶屋が儲かり雨が降ったら下駄屋と傘屋が儲かる」とは昔の諺ですが、わが家の玄関先に置いてメダカを買っていた大壷が、強風にあおられてひっくり返り、無残にも割れてしまいました。

大風で無残に割れた大壷

 運の悪いことに大壷の、水が少し濁ったので水替えをしようと殊勝にもわが息子は水を抜いていたようです。そこへ孫たちが虫捕り網を4~5本差し込んでいたため不安定となってこの始末です。わが家には親父と私で集めた大壷が幾つかあり、その殆どは東屋の軒先に並べ、民芸風に飾っていますが、割れた大壷は自慢の一品だっただけに、悔やまれてなりません。

 被害届けも出せないし、好意で水を抜いた息子や虫捕り網を差し込んだ孫たちを責めることもできず、結局は泣き寝入りといったところです。昨日は傷心の面持ちで割れた大壷の欠片を片付けましたが、親父が存命中大事にしていた大壷だけに、「あ~あ」とため息が漏れました。

  「天も地も 揺るがすほどの 南風 大壷転がし 割って去り行く」

  「朝起きて 参上目にし 落胆す 大事な大壷 木っ端微塵に」

  「形ある 物は壊れる 妻は言う 人の気持も 考えないで」

  「また一つ 親父の思い出 なくなった わしもいつかは こんなふうなる」 

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〇綺麗なニラの花咲く頃

 餃子といえばひき肉とニラが欠かせない存在ですが、そのニラも今ではビニールハウスで、一年中作られている野菜作物です。昨日家の横の果樹園で草刈をしていると、みかんの木の下に咲く綺麗な真っ白い花を見つけました。草刈り機のを止めてよく見ると、野生のニラの花でした。野菜は元々どれも「野の菜」、つまりこのニラのように野生だったのでしょうが、人間の都合に合わせるように、品種改良など人の手が加えられ、店頭で売られるようになりました。

果樹園で見つけたニラの花

 ニラの花や茎を傷めないよう、周囲の草を刈りました。冬までには花が実を結ぶものと思われるので、今年は種を取って来年は畑に蒔いて作ってみようと思っていますが、まずはニラの葉っぱを採集して餃子に使うか、妻に頼んでニラ雑炊を作ってもらい食べてみたいものです。ニラの白い花を見て、餃子やニラ雑炊などの食べ物を思い出すような野暮な人間には、季節を楽しむ風流等残念ながら似合いません。facebook仲間からは早くも彼岸花の話題が届くようになりました。ニラの葉っぱは彼岸花の葉によく似ていますが、彼岸花は毒花です。くれぐれもご用心です。

 そうそう、先日ツツジの枝に絡まって咲ていた、名前の分らない白い花のことをfacebookにアップしたら、西条の工藤さんからその花の名前は「スイカズラ」だと書き込んでもらい、長年の疑問が解けました。スイカズラの白い花は既に散ってしまい、ツツジの木を守るために、ツルは惜しげもなく根元から切り取り処分してしまいました。今は秋ミョウガが白い花を咲かせながら出始めています。出たミョウガの酢漬けをご飯のお伴にするのも、ももう直ぐです。

  「草刈の 途中見つけた 白い花 野生のニラと おもって残す」

  「ニラの花 見ると餃子や 雑炊を 思うは野暮な 男ゆえなる」

  「秋ですね 家の周りじゃ 花たちも 季節の変化 教えてくれる

  「マンションじゃ こうはいかない 季節感 秋を存分 楽しみながら」

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〇カラス天狗面

 いつの頃からかは定かではありませんが、私は面を集めています。今やその数も50体近くになっていて、自宅横の倉庫を改造して造った、手づくり海の資料館「海舟館」の板壁に、今は亡き親父が飾ってくれていて、自分で言うのも変ですが、よくぞ集めたって感じです。

久しぶりに使った天狗面

 先日私が実行委員長を務めている子ども教室の、「わくわく生活体験夕焼け村」のさよならイベントで、キャンドルサービスをやった折、火の神役を頼まれましたが、牛の峰地蔵尊の守り神という発想を思い立ち、収集面の中からカラス天狗面を選んで壁から取り外し、持参して仮装しました。

 いきなりカラス天狗面を被った火の神が薄暗いホールへローソクの火をかざして出て行ったものですから、円陣を組んだ子どもたちもスタッフも大いに驚き、あっけに取られていましたが、効果は抜群だったようでした。昨日はそのカラス面を「海舟館」の壁に、元に戻して飾りました。気がつけば伊予銀行上灘支店でロビー展に貸し出したりしたこともありましたが、今ではすっかり忘れられた存在となっていました。

海の資料館海舟館に展示している面

 展示物は飾って自慢したって仕方がありません。幸いわが海舟館はゲストハウス「煙会所」とともに、来訪者がかなりあるので、少し展示に見せる工夫をしてみたいと思いました。そのためにはまず展示している面の写真を撮って、一覧表を作らねばと思い始めました。はてさて目論みどおりできるかどうか・・・・。

  「海舟館 展示している 面外し カラス天狗を 使って仮装」

  「火の神に 扮した私 面被り 子ども大いに 驚きました」

  「50体 以上もあるが 無造作に ただ掛けているだけ 少し反省」

  「あれこれと 思うけれども 忙しい 理由に何も 先に進まず」

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〇タブレット端末の写真

 世の中には目に見えるもの見えないものがあります。人の心の動きなども多少顔や動作に出たりしますが、その全てを読み取ることはできません。ましてラインで結ばれたネット社会などは、パソコン画面にどのようにして送受信されているのか、浅学菲才で凡人な私には到底理解もできないのです。

自動送信されるタブレット端末撮影の写真

 4~5年前移動中の通信手段としてタブレット端末を手に入れました。本当はスマートフォンを持てばいいのでしょうが、折角使い慣れたガラ系の携帯を手放す気にもならず、経済的な安上がり効果もあって、タブレットを愛用し楽しんでいます。1年前娘婿から、タブレット端末で撮影した写真は自動的に、わが家のパソコンに送信されていることを聞きました。

 お陰様で今まで愛用し頻繁に使っていたデジカメより、タブレット端末内蔵のカメラの方が、よりワイドで鮮明に撮れるので、目下のところブログで使用する写真は、ブレットで撮った写真を多用してお茶を濁しています。いやはや何がどうなっているのか、訳も分らないながら便利な世の中になったものです。

 若嫁が最近スマートフォンを手に入れました。孫2人は親のスマートフォンを使ってゲーム等を楽しんでいるようですが、私もそろそろスマートフォンへ移行すべきか迷っているこの頃です。世の中の情報技術の進歩革新は目覚ましく、ロートルな私にはついて行くことさえできません。「昭和生まれ」、「時代遅れ」という2枚のレッテルを貼られた私ですが、はてさてこれから余生をどう生きればいいのでしょうか?。山本リンダの歌ではありませんが、「困っちゃうな!!」です。「えっ!!、山本リンダって誰?」。古い古い。

  「タブレット 端末写真 パソコンに 自動送信 便利世の中」

  「説明を しろと言われて 首を振る 浅学凡人 とてもじゃないが」

  「目に見えぬ 情報飛び交う 世の中に なって私は 時代遅れだ」

  「困っやうな 山本リンダ 言ったなら それ誰?ですか? 言葉通じず」

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〇あらし山年輪塾楽農ワークショップ(その2)

 清水和繁さんのあらし山邸室内で、金次郎バンドとやぎたこさんのコラボ合奏を終えた私たちは、青木さん、近藤さん、上田さんの下準備した芋煮鍋用の食材を、外広場まで運んで調理をしたり、倉庫からみかん箱キャリーを出して観月ライブの準備をしました。そのうち次々と近所の農家の人たちも見えられ、鍋の芋煮が煮えたのを見計らって夕食を兼ねた宴会が始まりました。

観月ライブな集った観客
美味しかった大鍋芋煮

 呑むほどに食べるほどに交流の輪が広がり、農村特有の穏やかな夕暮れが近付きました。午後6時からはふたたびメインゲストであるやぎたこさんの観月ライブが始まりました。食べながら呑みながら幾種類もの弦楽器の演奏にあわせて、びっちり2時間洋曲を聞きました。残念ながら博学でない私には、音楽の全てを理解することは出来ませんでしたが、それでも軽いノリで身体を揺らし、時には手拍子を叩きました。

やぎたこさんの熱演熱唱

 私たち一行はとりあえずの中締め午後8時で失礼し、愛媛新聞の浅野さんの車を、夜道ゆえ国道378号まで誘導するような運転で、帰宅の途に着きましたが、運転してもらった水本さんと同行した浜田さんと、あれやこれや楽しいお喋りをしながらの帰路でした。来年は人間牧場も浜田さん、松本さん、亀本さん、木下さんの4人が処志検定に挑戦する予定なので、忙しくなりそうです。

いい雰囲気でした

 それにしても昨日は、異文化ギャップを存分に感じる一日でした。本来なら郡中開町200年祭の一環で、長男息子や松本さんが中心になって昨日の夜開催された、町家での屋外映画祭に参加してやらねばならないところでした。しかしそれも叶わず少し心残りでしたが、まあ良しとしましょうか。9時頃に帰宅すると家族は全員息子の映画祭に行っていて、あいにく留守でしたが、10時前に家族が、11時頃に息子がそれぞれ帰宅しました。いい映画祭だったそうでした。

  「あらし山 名前をつけた 古民家で 洋曲ライブ 分らぬままに」

  「存分に 異文化ギャップ 味わって 体内活力 不思議に湧いて」

  「ご近所さん 集り洋曲 聞きながら 美味い芋煮に 舌鼓打つ」

  「農村の とばりの中に 7つ見ゆ 街路の明かり 北斗七星」 

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人間牧場

〇消費者支援講座

 昨日は今治市立花カルチャーセンターで開かれた、東予地方局県民課主催の消費者支援講座に招かれました。今治へは海岸周りと山周り、それに高速道路の3ルートがありますが、昨日は奥道後~水ヶ峠トンネル~玉川経由の山周りを選びました。このルートは2週間前今治で開かれた、公友会の折にも仲間を乗せて走っているので、片道75キロを約2時間と予測し、玉川からは仙遊寺~西谷の農面道路を走り、目論見どおり30分前に到着しました。

盛況だった立花カルチャーセンターでの講演会

 控室でセンター長さん自身が作ったというイチヂクをいただきながら、世間話に花を咲かせましたが、イチヂク作りのノウハウを少し教わったし、帰りにお土産にいただいた日本イチヂク、西洋イチヂクが飛び切り美味しかったので、来年はイチヂクの挿し木に挑戦してみようと思うようになりました。はてさて講座の講演は10時に始まりました。金融広報委員会から届いた講師派遣依頼書には参加者55人とありましたが、用意した椅子が足らず、慌てて追加する盛況ぶりでした。

 昨日の演題は「超高齢社会の生き方(生きがい、ボランティア、相続、金銭トラブル)」でした。相変わらずのアドリブで90分ほどお話しましたが、打てば響くほどに反応も良く、楽しい講演会となりました。参加者は殆どというより3人を除けば全て女性で、あらためて男性高齢者の出席が少ないことにも問題があるように思いました。男性の健康寿命は72才前後、女性の健康寿命は78歳前後だと言われいますが、平均寿命と健康寿命の差である8~9年間は介護若しくは要介護が必要です。人生の終わりの人生を若い人のお荷物になって生きねばならないのは、何としても避けたいものです。そのために男性高齢者も進んで人の中へ入って欲しいと願っています。

  「3ルート どれを選ぶか 迷いつつ 山周り道 選んで走る」

  「山道や トンネル抜けて 目的地 思惑通り 迷うことなく」

  「予定より 人数多い 集会は こちらも張り切り 熱弁ふるう」

  「男性の 姿ちらほら 思いきや たった一人で 少し寂しく」 

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