人間牧場

〇昨日は立冬でした

 立春や立秋の話は季節の話題としてよく聞きますが、立夏や立冬は余り話題になりません。2月4日の立春、5月5日の立夏、8月7日の立秋、11月7日の立冬は、旧暦24節気の一つで、大切な季節の変わり目と言われ、暦的には昨日の立冬から寒い冬の季節となるのです。わが家でも冬の準備は既に終わっていて、このところの朝晩の冷え込みに対応して、コタツや石油ストーブが活躍し始めていますが、孫たちは何かにつけて私たち夫婦の居間に来て、コタツに入って暖を取っています。

ホダ木に生えたシイタケ

 昨日は人間牧場へシイタケ採集に出かけました。シイタケは最低気温が10度、最高気温が20度を下回らないと生えないようで、もうそろそろと思っていました。前日人間牧場へお客さんを迎えた時、お土産にと思ってホダ場を覗いてみると、シイタケが目に止まっていたので、発泡スチロールのトロ箱を持参しましたが、昨年植菌したホダ木にはまばらながら木に勢いがあるのか、分厚いシイタケが生えていましたが、古いホダ木は沢山生えているものの肉厚も薄く、いよいよ最後のようでした。

 採集したシイタケを親類や近所にお裾分けしましたが、昨日の夜はシイタケをつけ焼きにして、新米ご飯とともに美味しくいただきました。少し時期を過ぎた傘の開いたしいたけはカットし、サナに干して干しシイタケを作りました。今日はあいにく雨ですが、これから北風が吹けば、干しシイタケも存分に乾くものと思われます。干しシイタケは生シイタケにない栄養分があるそうで、料理には欠かせません。今晩はシイタケを鍋物にして食べようと、妻は今から張り切っています。菌床栽培のシイタケが主流を占めるようになってきましたが、クヌギのホダ木から生えたシイタケはとても貴重で美味しいようです。さあこれから思う存分冬を楽しみましょう。

  「立冬と 書いた日めくり カレンダー 残り少なく なった気がする」

  「立春に 比べ立冬 気にもせず だけどいよいよ 冬将軍が」

  「牧場の ホダ場見回り 生えている シイタケ採集 みんなに配る」

  「シイタケの つけ焼き新米 食進む 夫婦揃って 美味い旨いと」 

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人間牧場

〇新しいコメ―シャル名刺ができました

 前回1箱100枚×10箱=1000枚印刷した、ギノー味噌さんさんにお願いしてスポンサーになってもらっている、「裏が味噌」という一風変わった名刺が残り少なくなっていました。先日田中社長さんと本社で出会った折、増し刷りしてもOKという快い了解をいただいたので、早速作業にとりかかりました。私の名刺作成手順は、社長さんと名刺の裏側を検討して決まったら、まず年輪塾の清水塾頭にメールでそのことを知らせてレイアウトしてもらいます。

新しくできた名刺

 清水さんとは「裏が味噌」の名刺を発案した時からの腐れ縁なので、忙しくても何を差し置いてでも快く引き受けてもらい、次の印刷工程へ進みます。印刷はえひめ地域政策研究センター主催の地域づくり人養成講座で知り合った今治の村上さんに毎回お願いしているので、要領よく校正ゲラを送ってもらい、田中社長さんにゲラを送ってOKが出れば、印刷に取り掛かるという算段ですが、あれこれのやり取りをしても1週間もあれば、印刷した名刺が宅配便でわが家へ造作もなく届くのです。

 役場現職をリタイアして13年目になるというのに、「裏が味噌」の名刺は人気好評を得て、1年間におおよそ1000枚の名刺が日本全国の出会った人の懐に収まるのです。先日元警察官だった田中社長と高校の同級生Dさんに、5年ぶりに講演会で出会いました。Dさんは最初に出会った時渡した私の名刺を大切に持っていて、私も5年前に一度きりしかあっていないのに、Dさんの名前と顔を覚えていたので、お互いが久しぶりに再会を果たし、田中社長さんにお互い別々にそのことを話しました。

「裏が味噌」の名刺はすっかり有名になって、今や私のかけがえのない看板となりました。「北は北海道から南は沖縄まで」と、自分の行動範囲の広さをアピールしていましたが、さすがにこの1年は東北や九州へは出かけたものの、北海道も沖縄も出かけず終いでした。それでも良くしたもので遠心から求心へと行動範囲は狭まっても、まだまだ元気に県内外へ出かけ、名刺を配り続けているのです。さあ、届いた「裏が味噌」の名刺を使って、田中社長さんに恩返しができるよう存分の働きをしたいと思います。

  「裏が味噌 CM名刺 底をつく ギノーの社長 OK増し刷り」

  「1000枚の 名刺全国 あちこちに 出かけ時には みそ汁添えて」

  「裏が味噌 人を食うよな ロゴ名刺 今や話題を 独り占めする」

  「増し刷りの 名刺懐 忍ばせて 今日も明日も 津々浦々へ」

 

 

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人間牧場

〇屋外でジンギスカン料理パーティー

 私たち夫婦が毎日食事をしているダイニングの灯油温風ヒーターが故障したので、新聞折り込み広告を見ながら、安い代替え品がないか探しました。毎日朝昼晩と3回使うダイニングですが、食事が終わればテレビのある居間に移り、過ごす時間はそんなに多くないし、晩秋のこの頃から春の3月までなので、どうしたものか妻と二人で相談して、結局修理に出して修理代を払うより、買い替えた方が得策だとの結論に達しました。

 早速所用のついでにエミフルのエディオンという家電量販店へ行きました。余り高価なものは必要ないので、客寄せのため言い訳程度に置いているファンヒーターの中から、1万2千円の小型3畳対応の日本製商品を見つけ、在庫を確認してもらい軽四トラックに積んで持ち帰りました。自宅へ帰ると私の書斎前の中庭で、息子家族が屋外食事を始めていました。聞けば息子の友人から北海道旅行の手土産に、ジンギスカン料理一式をいただいたそうで、私たち夫婦も早速ご相伴にあずかりました。

 このところの朝晩の冷え込みで、亀本さんから頂いていた榎に植菌している、キノコのマイタケが生えているのを孫たちが見つけ収穫したそうで、ジンギスカン料理や〆の焼そばにもふんだんに入れて美味しくいただきました。寒くなったこの時期に屋外食事なんて?と思いましたが、ジンギスカンをよく食べる北海道はこんな寒さなどへっやらで、寒い冬を乗り切るために屋外で、ジンギスカンをよく食べるという話を聞いたことがありますが、焼き肉や屋外食事はやっぱり夏が盛り上がるようで、食事が終わると息子は机や椅子を早々に片づけていました。

  「ダイニング 温風ヒーター 故障して どうしたものか? 思案広告」

  「家電店 出かけて一番 安いのを 僅か一万 3年保証付き」

  「息子たち ジンギスカンの 焼肉で 屋外パーティー 夫婦加わる」

  「長閑なり 秋のわが家で 子や孫と のんびり過ごす これも幸せ」

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人間牧場

〇人間の心の値打ち

 私の書斎に、大洲の辻先生に桐板に書てもらった2枚の掲額が2枚あります。一枚は二宮金次郎の「至誠・勤労・分度・推譲」という四つの教え、もう一枚は中江藤樹の「貌・言・視・聴・思」という五事を正すです。いずれも年輪塾の学びの中で学んだ教えですが、これを日々の暮らしの中に生かすことは容易なことではありません。二宮金次郎こと二宮尊徳の教えを、北海道美幌町の友人上杉さんが、毎日のようにfacebookにアップしていて、年輪塾で2年間学んだ尊徳翁夜話233話を復習するような気持ちで読ませてもらっています。

 一昨日、「物の重さを測るには秤、物の数量を測るには枡、物の値打ちはお金、では心の値打ちはいかなるもので測ればよいか?」という、まるで禅問答のような事が書かれていました。心は人の目には見えないものです。故に「測ることができない」が正解なのかも知れません。それでもあえて値打ちを見出すなら、「至誠・勤労・分度・推譲」の中の分度、つまり分度を定め分度を守るため日々実践すること教えています。

経済面で自分の実力を知り、それに応じて生活の限度を定めることを分度と言いますが、心の値打ちは何も分度だけではなく、至誠・勤労・分度・推譲という4つのサイクル化こそが値打ちだと私は思うのです。一方中江藤樹の「五事を正す」は、貌=なごやかな顔つきで人と接し、言=思いやりのある言葉で話しかけ、視=澄んだ目でものごとを見つめ、聴=人の話を耳を傾けて聴く、思=まごころをこめて相手のことを思うです。二宮金次郎と四つの教えと、中江藤樹の五事を正すを心の戒めとして、凡人ながら生きて行きたいものです。

「北海道 美幌の友人 尊徳の 教えfaceで ほとんど毎日」

  「尊徳の 233話を 教わった 復習しつつ 納得しつつ」

  「金次郎 中江藤樹の 掲額を 毎日眺め 心に刻む」

  「人間の 心の値打ち 秤でも 枡でも測る ことはできない」

 

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人間牧場

〇面河渓谷へ紅葉狩りに出かけました(その2)

 面河山岳博物館から渓谷沿いの遊歩道と車道を約30分ほど歩いて、さらに奥へと向かいました。先日の台風の大風で吹き落ちたと思われる生木の小枝も、落ち葉に交じってあちこちに散らばっていましたが、落ち葉の絨毯の上をカサカサと音を立てて歩くのも中々風情がありました。絶景ポイントや大きな木の下では時々足を止め、見上げたり足を止めてタブレットで写真に撮ったりしましたが、間もなく面河渓の断崖絶壁と広い河原の見えるレストラン前に着きました。

12時ころだったので露店で1杯300円のぜんざいを頼み、座布団の敷かれた広敷に二人で腰を掛け、のんびりゆっくり食べました。その後森林の中を散策したり千畳敷ともいわれる広い河原に降りて、白い根石の上に座って川の心地よい瀬音を聞きながら、思う存分秋の風情を満喫しました。その後元来た道を引き返し、帰りは遊歩道を通らず3つの連なったトンネルを抜けて駐車場まで帰りましたが、石鎚スカイラインの修復を終えて通行できるようになったら、来年は是非土小屋辺りまで足を延ばしてみたいと思っています。

帰りは途中から四国88ケ所札所古岩屋寺へ抜ける道を通って、国民宿舎古岩屋荘前で紅葉を見学して33号線へ出て帰りましたが、昨日は風もなく温かい穏やかな天候に恵まれ、また紅葉も今が一番美しいと思われる時に出かけて良かったと、夫婦で喜びながら帰路に着きました。途中トイレ休憩で立ち寄った面河直売所でジャガイモの串刺しと焼きトウモロコシを食べて小腹を満たし、昼食を忘れていたので、砥部町で遅い昼食を済ませ、星が丘の温泉に入り夕方早く帰宅しました。それにしても新しくできた久万道路から見える杉林の台風被害による倒木被害には驚かされました。

  「久方に 天下の名勝 面河渓 秋の紅葉を 夫婦楽しむ」

  「青い空 山は紅葉 水澄みて 秋の風情を 心行くまで」

  「自動車の 運転できる ゆえなるか 山里遠く 日帰り観光」

  「また行こう 妻も満足 したようだ 遠心目先 求心風向き」

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人間牧場

〇由並小学校6年生のお客さん

 4~5日前、由並小学校6年生の担任の先生から、「六年生のふるさと学習でお宅を訪ねてお話を聞きたいのですが・・・」と電話相談がありました。予定表を見ながら「11月2日(木)午前9時からなら」と相談がまとまりました。さてどうするか?、当日の朝になって考えましたが、そうこうしている内に先生に連れられて子どもたちがやって来ました。少し寒くなったので外の東屋より囲炉裏の部屋がいいだろうと、とりあえずゲストハウスに使っている「煙会所」へ案内しました。僅か45分の短い時間なので、まず子どもたちが用意してきた質問に答えました。6年生にもなると中々難しい質問も多くありましたが、要領よく答えました。

 

 子どもたちは「煙会所」の中を珍しそうに眺めていましたが、天井に収納している看板類を仰ぎ見ながら、「これ何?「これは?」と疑問の館に迷い込んでいました。もう私たちの目の前から殆ど姿を消してしまった囲炉裏にも興味を示し、自在に吊るしてある大きな南部鉄の釜が、上下に上がったり下がったりする姿に驚いていました。その後別棟の海の資料館「海舟館」に案内し、和船模型や海から揚がった展示品について説明したりしましたが、子どもたちはナウマンゾウの化石などを直接手に持って驚いた様子でした。子どもたちの中には孫たちとお遊ぶため時々わが家を訪ねている子もいましたが、初めて見る身近な場所での展示に目を見張りました。

ふるさとの歴史を知ることはいいことですが、古いものが新しいものにどんどん変わり、消えようとしています。特に昔のもにはそれなりの価値を見出し残そうとしますが、近代の物は価値がないと思われがちで、例えば海舟館に展示している炭火を使う一時代前のアイロンや、私たちが子どもの頃に使ってきたやぐら炬燵や湯たんぽは、古いゴミとしてゴミ置き場に捨てられていても、誰も見向きさえもしません。またブラウン管の白黒テレビや手動絞りの洗濯機はもう完全に民俗資料なのです。そう思って見渡せば、まだまだ民俗資料がそこここにありますが、要は誰がこれらを保存するかです。子どもたちの来訪で、久しぶりに民俗資料について考えさせられました。

「六年生 ふるさと学習 わが家来る 囲炉裏の部屋で お目々白黒」

  「海舟館 展示ナウマン 象化石 直接触り 感激興奮」

  「古きもの ゴミかお宝 どっちかな? 陳列すると お宝軍配」

  「小さいが 親父が残した 数々も ささやかながら 社会に貢献」

 

 

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人間牧場

〇えっ、この時期にイカダ作り?

 このところ毎日のように、夕方になると孫の友だちが数人わが家へ遊びにやって来ます。いつもはゲームなどをして遊んでいますが、今回は外で何やら作業をしているようでした。そのうち小学校4年生の内孫希心が、「おじいちゃん竹はない」「おじいちゃん鋸貸して」「ひもはない」などと何度も呼びに来ました。「何をするの?」と尋ねると、「イカダを作る」というのです。どうやら今年の夏に子ども体験塾でやったイカダ作りが頭にあるようでしたが、「こんな寒い時期にイカダを作っても使えない」と言ってやりましたが、悪ガキたちはみんなその気になっているので、子どもたちの求めに応じ、竹や鋸、ビニール紐を渡してやりました。

なんともへたくそな孫たちが作っているイカダ

 学校の行き帰りや遊ぶ途中に相談した子どもたちの理解に苦しむ行動は、思うこととやれることの落差でしぼんだり開いたりしているようですが、私の留守に倉庫の軒先にしまっていた家庭菜園用の竹まで勝手に持ち出され、切断されてしまいましたが、まあ何とか形になりつつあるようです。昨日は紐の結び方やくくり方を手伝わされました。聞けば完成したら海に運んで、無人島探検に出かける計画だそうです。大人の目で見ればこのイカダは素材が竹ですから浮かびますが、子どもたちが乗ることは絶対に不可能です。それでも子どもたちは既に自分が乗る場所や、オールまで構えてやる気満々です。

 子どもたちは明日にでも海に運び出そうと考えているようですが、寒くなったこの時期に海へは持って行けません。さてこのイカダを来年の夏までどこへ保管してやるか、う~ん、頭の痛い問題です。現代の子どもはゲームのような与えられた遊びしかできないと思っていましたが、どうしてどうして逞しいものです。大人はあれはダメこれは無理と、大人の視点で子どもの発想の芽を摘み取ってしまいます。刃物だって「人を傷つけては危ない」からと、取り上げて使わさせませんが、与えれば鋸もカッターナイフも上手に使って遊んでいるようです。何はともあれ今回のイカダ作りに関して私は、よきサポーターになってやろうと思っています。

「孫たちが イカダを作る 材料の 竹が欲しいと 相談されて」

  「この時期に イカダ作って どうするの? 無人島探検 行くのだと言う」

  「馬鹿げてる 大人はすぐに 子ども夢 芽を摘み取って 安心してる」

  「育爺の 仕事は孫の 夢育て できたイカダを どうすりゃいいか」

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人間牧場

〇双海町のシンボル本尊山へ登る(その2)

 山は下から山姿を眺めるのと、山頂から下を眺める二つの楽しみ方があります。下から見ることは造作もなく見れますが、上から下を見るのには登るという行為が必要なため、30分ほどで登れる標高120m程度の低い山でも、私のようにある程度歳を重ねると、有害鳥獣に遭わないだろうか?、道に迷わないだろうか?、滑落してケガをしないだろうか?などなどの心配が頭をよぎり、それなりの覚悟が必要です。それでも何度か上った時に見た山頂からの絶景が忘れられず登るのです。

本尊山山頂付近の急峻な頂
シーサイド公園や上灘市街が見える西側の眺望
瀬戸内海の島々が見える北側の眺望
小網集落や道後平野を一望できる東側の眺望
眼下に双海中学校が見える南側の眺望
わが家も眼下に・・・

 昨日は少し気温が低く肌寒かったため、また台風一過の青空が広がり山登りには絶好のコンデションでした。竹笹の生い茂る登山道を25分登ると、中腹の鳥居や共聴アンテナのある場所に着きました。同行した隅田さんと幸さんの二人は早速持参した鎌で、17日に子どもたちが休憩場所にするためカヤを刈り始めました。私は危険個所の確認と手持ちのタブレットで、生い茂る草を除けながら写真を2~3枚撮りました。その後一番の難所である急な坂道を這うように、歩いて頂上を目指しました。

 西はシーサイド公園や双海町上灘の市街地、南は双海中学校やわが家、東は小網の集落や道後平野、北は瀬戸内海の島々と綺麗な海が、多少雑木類で視界が効かない部分もありましたが、ほぼ360度のパノラマが見えました。まさに「絶景かな!!」でした。早速タブレットで写真に収めましたが、自慢できる風景でした。子どもの頃から本尊山に登っているわが息子はこの風景をいつも自慢していて、登山道の整備をしたいといつも語っていますが、仕事や活動が忙しく中々前には進んでいません。そろそろ親子でそんな地道な活動もしなかればと思っています。

11月18日には子どもふるさと体験塾の一行50人が本尊山へ登山する予定です。本尊山は中世の城郭跡で、そこここに往時をしのぶ歴史的に価値の高い郭や石類群、堀切が残っています。このままだと荒れるに任せて人を寄せ付けない場所になるでしょうが、何とか心ある人の志を集めて、息子が言うようにせめてまず最初は登れるようにしたいものです。そんな馬鹿げた人はいないでしょね。親子でやるしかないかも・・・・。

「見上げれば 綺麗な山も 分け入れば 竹と雑草 人を拒んで」

  「山頂に 登って下界 見渡せば 東西南北 視界開けて」

  「中世の 城郭跡の 史跡群 これも魅力だ 次代に伝え」

  「真っ先に やらねばならぬ 登山道 整備は誰が これも難題」

 

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人間牧場

〇祭りの後の後の祭り

 遅い大洲地方の秋祭りを残して、県内の殆どの地方祭が終わりました。今年は地方祭と国体や身障者スポーツ大会が重なり、例年になく県内が活気に満ち溢れていましたが、秋の長雨や二度の台風接近で気を揉んだ人たちも大勢いたようです。私たちの地方祭は10月23日でした。ところが長雨と台風接近で神社境内や辻々の幟も立てられず、大人神輿や獅子舞は出たものの、宵宮と祭り当日町内を練る子ども神輿は、安全上の理由から早々と中止が決定し、楽しみにしていた子どもたちにとっては、学校が休みだっただけに寂しい祭りとなりました。

 私たちが子どもの頃はお祭り、お節句、お盆、お正月は4大年中行事で、それは賑やかでした。また同じ町内でも下灘は20日、上灘は23日だったため、親類や知人友人が呼ばれたり呼んだりしながら交游していました。祭りの前日両親と妻は、朝早くからお祭りのおご馳走の準備のため夜遅くまで働いていました。わが家は鯛網の漁師だったため、料理はもっぱら魚中心で、自分の船で漁獲した沢山の鯛が用意され、親父は自慢の腕で鯛の活け造りを作り、大きな皿の上に盛り付け、漆塗りの立派な双輪台の上に飾って座敷に置きました。

 やがて昼頃になると着飾った親類や知人友人が入れ代わり立ち代わりやって来て、飲酒を伴った無礼講の宴会は深夜まで延々と続きました。勿論子どもたちも神輿守をしたり、神社の山門に構えた出店で、貰った小遣い小銭をポケットで握りしめ、他愛のない綿菓子やくじなど買い求めて楽しんでいましたが、今となってはそうした風習や遊びも消えて、寂しい田舎の風景だけが残っているようです。来年は台風のいたずらで中止になった神輿だけでも孫たちに、担がせてやりたいものです。

「今年は 遅い台風 やって来て 幟と神輿 見ることもなく」

  「お祭りは 人を呼んだり 呼ばれたり 交遊楽しく 無礼講にて」

  「座敷中 鯛の料理が 並べられ それは見事な お祭りでした」

  「歳のせい 昔はよかった 言うけれど 本当に昔は よかったですよ」

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人間牧場

〇目に見えないもの

 愛媛県内では国体に続いて、身体障害者のスポーツ大会が開かれていますが、身体に障害を持った人たちのハンディを乗り超えて活躍する姿を見るにつけ感動し、健常者である私はもっと頑張らなければと、勇気をいただくような気分になっています。昨日はあいにくの台風接近による大荒れの天気でした。それでも各地でスポーツ大会や文化祭など、秋のイベントが開かれていました。私もお誘いがあってボランティアとして、多少のお手伝いをしなければならず出かける予定があったため、地元双海中学校フェスタに参加することができませんでした。

学校評議員をしているので双海中フェスタの案内状をいただきましたが、玄関先に置いていた案内パンフのその中に、詩人宮澤章二の「行為の意味」という次の詩が載っていました。
  -あなたの<こころ>はどんな形ですか
  と ひとに聞かれても答えようがない
  自分にも他人にも<こころ>は見えない
  けれど ほんとうに見えないのであろうか
  確かに<こころ>はだれにも見えない
  けれど<こころづかい>は見えるのだ

  同じように胸の中の<思い>は見えない
  けれど<思いやり>は誰にでも見える
  それも人に対する積極的な行為だから
  あたたかい心が あたたかい行為になり
  やさいし思いが やさしい行為になるとき
  <こころ>も<思い>も 初めて美しく生きる
  -それは 人が人として生きることだ

 私たち健常者は目に見えるものの中で暮らしています。しかしよくよく考えれば、私たち健常者にさえ心も思いも見えないのです。でもこの詩で述べているように、人の温かい心づかいや思いやりは見えるのです。 まず一緒に暮らしている妻や家族に、そして周りの人にささやかな心づかいや思いやりをしたいと思います。

 「そういえば 心と思い 見えません 心づかいと 思いやりなら」

  「人間は 目にも見えない ことなどに 一喜一憂 不思議や不思議」

  「まず妻や 家族に優しい 思いやり 心づかいの 練習始め」

  「目に見える 行為の意味を 噛み締めて これから先の 人生生きよう」 

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