人間牧場

○ホテルにて

昨晩は鳥取駅近くの鳥取グリーンホテルモーリスという、温泉付のホテルに泊まりました。このホテルへは多分3度目ですが、セキュリティもしっかりしていてとても快適でした。私は余り泊まるところにこだわらない派なので、「寝れれば一緒」くらいに考えていましたが、体を癒すには、ゆったりと過ごせる時間と空間が何よりも大切だと思いました。このところ超ハードなスケジュールで我を忘れていましたが、久しぶりに熟睡の朝を迎え、朝食も沢山おいしく食べて元気回復です。さあそろそろ藤原さんが迎えにやってきます。今日も元気に楽しいおしゃべりを熱意を込めてやりましょう。

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人間牧場

〇二人の孫たちは弓に夢中

 前回の子ども体験塾は町のシンボル本尊山への登山でした。登山を終えて登山道入り口にある天一稲荷神社の拝殿を借りて、昼食やレクレーションを行いましたが、その折私の作った弓でちょっとした遊びごっこをやりました。というのも本尊山は中世の城郭跡地で、郭あには沢山の矢竹が生い茂っていて、その細い矢竹を使って中世の武士たちの戦いの様子を遊びで再現しようとの思いから始まったことでした。

てづくりの弓道具一式
羽根のついた弓矢

当日は初めて弓を引く子どもばかりで弓矢は急ごしらえの段ボール的には、かすめもしませんでした。唯一一人だけ射抜いたのはわが家の孫希心でした。それ以来希心と連れられて始めた弟奏心は、学校から帰ると毎日庭で弓を引きながら遊んでいますが、私も二人のリクエストに応えて、お粗末ながらマイ弓・マイ矢を作ってプレゼントしてやりました。それ以来余程嬉しかったのか、一生懸命練習したお陰でかなり遠くへ飛んだり、段ボールで作った的に当たり始まています。

孫からリクエストがあり、弓矢を入れて背中に背負うような筒も作って欲しいと頼まれました。弓を作った残りの竹の切れ端を利用して筒をそれぞれ作り、矢竹も採りに出かけて持ち帰り、クリアーファイルや菓子箱紙を使って、羽根まで作ってやる念の入れ様に孫たちは大いに感謝して、「おじいちゃんは凄いねえ!!」と、まるで褒め殺しのような言葉を貰いました。田舎では知恵さえ出せば、お金を掛けずに自然の物を利用して遊び道具は沢山作れるのです。まさにハラハラ・ドキドキのワールドです。「危ないから人に目がけては絶対打つな」という約束をさせました。

「前回の 登山遊びで 手作りの 弓と弓矢に 出会って夢中」

 「マイ弓と 弓矢を作り 孫たちに プレゼントして 点数稼ぐ」

 「矢を入れて 背中に背負う 道具まで リクエストする 念の入れよう」

 「田舎ゆえ 遊び道具は 身の回り ゴロゴロ有って」

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人間牧場

〇私の肩書は人間牧場主

 私の最後の公職であった双海町教育委員会教育長という肩書を、市町村合併と定年退職によって失いました。失ったというより長年欲しかった自由を得るため捨てたという方が正しいのかも知れません。以来私の肩書は一時前教育長などと呼ばれていましたが、元や前を嫌う私ゆえ、むしろ自由=自遊人を名乗っていました。しかしそれもどこか不自然なため間もなく止めて、山の上に自費で造った人間牧場にあやかり、人間牧場主を名乗るようになりました。

私の肩書人間牧場主

最初は人間牧場という聞き慣れない肩書に、ドイツのヒットラーを重ねられ、随分首をひねられましたが、名乗り始めてから13年も経つと、すっかり馴染みの名前となり、県内では人間牧場主=若松進一がすっかり定着してきました。それでもまだ初めての人は私の差し出す名刺を見て、「人間牧場って何をする所ですか?」と尋ねられますが、「はい、人間を放し飼いにする所です」と、相変わらず楽しいお喋りではぐらかせています。

人間牧場主を名乗るようになって早くも13年目を迎えています。「人間牧場」や「shin-1さんの日記」というブログで、毎日情報を発信しているお陰と、知人友人の紹介であちらこちらからお声がかかり、講演に出かけたりしていますが、大まかな社会通念の目安は、60歳で定年退職、65歳で再雇用退職、70歳で社会貢献活動を終えて老後のようですが、私は73歳になった今でもまるでセミリタイアって感じで、忙しい日々を過ごしています。早くリタイアして本当の自遊人になりたいという願望を持っていますが、本当の自遊人になるのはもう少し先になりそうです。

「元や前 冠つけて 名乗る人 多くいるけど 私は嫌い」

  「肩書は 自遊人です 名乗ったら そんなおふざけ やめろと言われ」

  「その牧場 何を飼ってる 聞かれると 人間沢山 飼っていますと」

  「老後とは 老いた後です 私まだ 老前おう歌 気持ちだけでも」 

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人間牧場

〇今年最後のディナーショー

 街中ではイルミネーションが輝き、ジングルベルの音楽が鳴って、赤と白のクリスマス色に染まっています。日本人ゆえ、仏教ゆえ、最初は違和感のあったクリスマスを祝う諸行事にもすっかり慣れて、今では年中行事として定着しています。毎年この時期になると、親友のソプラノ歌手二宮典子さんからディナーショーの招待切符が送られてきます。二宮さんと私は日本銀行松山支店内にある金融広報委員会から、金融広報アドバイザーを委嘱されていて、この数年一緒に金融教育実践校へ出かけたりして、色々と気心知れた交遊を重ねています。

ソプラノ歌手二宮典子ディナーショー
楽しいディナーショーでした

 二宮典子さんはソプラノ歌手、私は人間牧場主という、二人の肩書を聞いただけでは首をかしげるほど縁も所縁もないような感じもしますが、この異質さが受けて二人ともそれなりの引っ張りがあり、何かと忙しく走り回っています。もう5~6年前からディナーショーは、1年に3回招待されるままノコノコと出かけていますが、昨晩の会場となっている全日空ホテル3階のホールへ、午後6時30分の開場10分前に到着し、指定席に座って回転卓に運ばれてくる料理を皿に取りながら食べながら、アルコールのないビールを少々飲みました。

 ステージは食事が始まって40分余り経って始まりました。二宮典子さんがシックな黒いドレスで歌いながら入場してきました。ピアノやクラリネット、ドラム、大きなベースギターの生の演奏が腹底を揺るがせました。まあそれから約1時間半、二宮さんは数多くの歌を息もつかないように延々歌い続けました。外国の知らない歌もいっぱいありましたが、歌が終わる度に大きな拍手が会場を包み大盛況でした。今回は小さな天使も2人登場して歌い、やんやの喝采で会場を盛り上げました。このディナーショーが終わるといよいよお正月の準備です。

  「年三度 全日空の ホテルにて ソプラノ歌手の ディナーに招かれ」

  「野暮男 似ても似つかぬ ディナーショー 真面目腐って 歌に聴き入る」

  「どうすれば あんな大声 出るのだろう 長年日ごろ 鍛錬するから」

  「街中が クリスマス色 彩られ 私までもが 何だかウキウキ」

 

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人間牧場

〇鍬と楔(くさび)

 この冬一番の寒気団が南下し、日本海側では大雪が降っているようです。私の住む四国愛媛県も気候温暖といいながら、朝晩は0度近く、真昼でも最高気温が10度を下回り、しかも関門海峡を通った北西の季節風が吹き荒れ、海岸国道378号の所々では塩水が、まるでシャワーのように車に降りかかりました。こんな日はストーブを焚いた暖かい部屋で、コタツに入ってテレビでも見て過ごすのが一番ですでしょうが、貧乏性の私にはそれも似合わず、戸外へ出て果樹園の地面を鍬で掘り返そうと思いつきました。

鍬はくさびで生き返る

 倉庫から三つ鍬を持ち出し、地面が固くなった甘夏柑の下を掘り返し始めました。夏の間に茂っていた草もいつの間にか枯れて、順調よく土を掘ることができました・ヨモギやオオバコの根が土をはんでいるのを、鍬の背で叩いて解していると、何やら鍬の調子が悪いのに気が付きました。長年使っているため、鍬の根元にガタが来て抜けそうになっていました。作業を中断して倉庫に戻り、鍬をバイスで挟んで抜きました。さらに柄の付け根に打ち込んでいたくさびも取り、柄元を鋸とカンナで削り再び元の鞘に納めました。

 鍬の柄に鉄のくさびを打ち込まないと、鍬の刃はすぐに抜けてしまいます。「くさびを打つ」という言葉がありますが、僅か厚さ5mm、長さ2~3cmほどの鉄のくさびが、これほど重要な役割を担っているとは知る由もなく鍬を使っていましたが、改めてくさびの威力に感心させられました。農作業用道具は日々の農作業を支える大事なものですが、これら全てにお百姓さんの長年の汗と知恵が込められています。人間世界も人と人とを結ぶ接点に、くさびのような人間が必要です。そんなことを思いながら修理の終わった鍬で、少しの間畑の土を掘り返しました。お陰様で身体がポカポカと温まりました。

「寒いねえ 会う人ごとに 声かける この冬一番 寒気が南下」

  「寒い日は ストーブコタツ 部屋の中 テレビ見ながら 過ごすが一番」

  「鍬を持ち 果樹園畑 掘り返す 鍬の不具合 途中で修理」

  「鍬根元 小さい鉄の くさび打つ 見違えるよう 少し汗かく」

 

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人間牧場

〇双海町で火事

 昨日の午後2時半ころ、町内の有線放送で「双海町池久保で火事!!」という緊急放送がありました。友人のお母さんの葬儀から帰った直後だったし、池久保という地名と聞けば、「もしや火元は人間牧場では!!」と思い、少し心が動転しました。火元がどこか探しようもなく、妻が消防署へ連絡を入れる消防署本庁が出て、「火事の火元は個人情報やプライバシーを守らなければならないから、教えることはできません」と断られました。妻が「池久保には私の家の所有する人間牧場という施設があって、火元なら大変なので教えてください」と問い詰めると、「火元は若松さんではありません」と言われて多少ホッとしたものの、火事や類焼を心配しているのに個人情報もないもんだと、多少疑問に思いました。

 それでも納得できず、葬儀帰りの式服を急いで着替え、地域事務所へ行きましたが、前述のとおり個人情報を理由に教えてもらえませんでしたが、漏れ聞いた忙しく対応する職員の会話の中に、どうやら人間牧場のすぐ近くの畑中さんという人の家の倉庫が火元という確証をつかみました。昨日は寒波襲来でかなり強い北西の風が吹いていたので、近所の人家への類焼を心配しましたが、昨日休みだった今朝の5面社会面の愛媛新聞の事件・事故欄によると、「伊予市で倉庫と倉が全焼、11日午後2時半ごろ、伊予市双海町串の木造一部2階建て倉庫と木造2階建て倉=同所、農業畑中さん(61)所有=計120平方メートルを全焼した。伊予署によると、倉庫と蔵には農機具や使わなくなった日用品などがあった」と書かれていました。

 年末押し迫った師走の火事は、火事が起こった人にとってはとてもつらい出来事です。その夫婦を知っているだけにいたたまれないような気持ちになりました。これから年末にかけて火を使うことが多いので、お互い気を付けなければなりません。異常乾燥注意報や強風波浪注意報がでるこの時期はなおさらのことです。先日公民館祭りの折、消防署の人たちが消火器の使用訓練をしてくれました。私も妻も参加しましたが、その時は「消火器の点検もしておこう」と妻と二人で話し合ったこともすっかり忘れていました。今日は思いを新たにして忘れないうちに消火器の点検をしておこうと思っています。

  「有線で 火災発生 池久保と 放送ありて もしやもしやと」

  「消防署 電話をしたが プライバシー 個人情報 たてに取られて」

  「一ヶ月 前に消火器 訓練を 受けた時には 消火器大事と」

  「物忘れ ひどい夫婦にゃ 味噌やいと 効き目もなしで 今頃思う」

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人間牧場

〇赤いブルゾンジャンバー

 国立大洲青少年交流の家で開かれた第10回地域教育実践交流集会の2日目の目覚ましトークを前に、年輪塾小番頭の松本さんから一枚のブルゾンを手渡され、「塾長さん、このジャンバーを着て壇上へ上がってください」と言われました。目覚ましトーク・インタビューダイアローグのインタビュアーとして、約90分間4人の登壇者を相手に回し人の役目をする台本が、グルグル頭の中で渦巻きました。

小番頭が作ってくれた赤いブルゾンジャンバー

 ブルゾンを着て壇上へ上がることはできるが、「どこでどう参加者に違和感なく気づかせるか?」、中々難しい宿題でした。幸い今年は近江聖人中江藤樹が鳥取米子から大洲に来てから400年という意義ある年だし、大洲青少年交流の家の真鍋所長は年輪塾の塾生でもあり、辻先生に書てもらった「五事を正す」という掲額も所長室の入り口に飾っているので、結局は「地域教育とまちづくり」というダイアローグのテーマでの討論会のまとめを中国の古書「大学」で開眼した中江藤樹と二宮金次郎の数奇な運命になぞらえました。

 赤いブルゾンの背中にかかれた、「KINJIRO」の白抜き文字は見事な広告塔になりました。ダイアローグの大役を終わって壇上から降りると、何人もの人が私の所にやって来て、名刺を交換しながら「大学」や「五事を正す」、赤い「ブルゾン」が欲しいとねだられましたが、私は義兄の法事に行く時間が迫って、お後よろしく会場を後にしました。来年2月2日には松山市民会館で劇団わらび座によるミュージカル金次郎が行われる予定です。赤いブルゾンジャンバーの波紋はさらに広がりそうな気配です。

  「この赤い ブルゾンジャンバー 着て上がれ 小番頭から 言われアドリブ」

  「90分 司会しながら あれやこれ 考えながら 機会伺う」

「ブルゾンを 着て壇上に 上がったが 似合っているか 全く分からず」

  「ブルゾンで また新しい 物語 できそな気配 お後よろしく」

 

 

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人間牧場

○貰った竹トンボ

昨日の夜の交流会は大いに盛り上がりました。交流会の呼び物は何と言っても、全国から集まった参加者が持ち寄ったおみやげ品の競り市です。勿論毎年のことながら競り人は私で、双海から参加した冨田さん、小西さん、本多さん、赤石さん、隅田さん、宇津さんに手伝ってもらい、たくさんの商品を格安で競るのです。今年もお酒の勢いや雰囲気に飲まれた参加者の財布の紐は緩み放しで、次々と、あっという間に、あれほどの品物を一つ残さず処分してしまいました。私は競り人を務めて買うことができなかったので、松山の本田市議さんが哀れに思ったのか、竹トンボを2つくれました。2人の孫へのお土産ができました。売上は4万円弱で、このお金は集会の運営費に使う予定です。

本田さんから頂いた竹トンボ
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人間牧場

〇ツリーハウスの設計図

 小さかった内孫二人も、いつの間にか小学校2年生と4年生になって、大人の言葉が理解できるようになり、私も妻も毎日会話を交わしながら同居の楽しさを存分に味わっています。2年生になっている孫奏心は、数日前から勉強の合間を縫って何やら設計図のようなものを書いています。私との雑談で、庭の隅にある大きなクロガネモチの木の上に、ツリーハウスを作りたい夢を語っていましたが、「設計図を画いたらどう?」と、私が言った一言が心を動かしたのか、スケッチ帳に窓越しに見えるクロガネモチの木を画き、自分の思っているツリーハウスの絵を描き加えていました。

孫奏心が画いた釣りハウスの設計図

私から見れば、小学校2年生にしては中々の力作なので褒めてやると越に入って色々説明し、「おじいちゃん、設計図を描いたのだから冬休みにはツリーハウスを造ってね」と懇願されました。はてさてどうするか?、孫の夢を実現してやりたいし、さりとて余り軽少だと危険だし、「う~ん困った困った」です。私流に頭の中で孫奏心の設計図を思い浮かべながら、とりあえず孫の夢を叶えようと思い立ち、ホームセンターへ立ち寄ったついでに、長さ3mの小ぶりの柱を1本千円で10本購入し、軽トラに積んで持ち帰りました。

今は仕事が忙しく、まだ新年を迎えるまでに鳥取や三重などへ県外出張する予定もあるので少し先のことになりそうですが、どうしたら上手くできるか真剣に考え始めています。孫の夢とお爺の現実が重なり、まさにバーチャルとリアルの融合です。妻は「危ないから止めた方がいい」と消極的で、息子は傍観、若嫁だけが大賛意すが、冒険のできる非日常な人間牧場ならいざ知らず、庭の一角に造るとなるとそれ相応の品格も必要なので、私の財布をはたいて、孫の夢に賭けてみようと思っています。どうやら面白い初夢になりそうな雲行きです。

「内孫が ツリーハウスの 設計図 画いてじいちゃん 造ろうねだる」

  「2年生 大人の言葉 早通じ 夢を共有 できるようなる」

  「よしじいちゃん ツリーハウスを 任せとけ 胸を叩いて 強気発言」

  「初夢に なりそう孫も 喜んで 毎日我に すり寄り会話」

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