人間牧場

〇いつまでも歳を取らない私

 写真に写った自分の姿は、撮ったその瞬間を的確にとらえて時間を止めてしまいます。ゆえに自分の実像と写真に写った自分の虚像は同一「=」なのに、次第に変化して行くのです。若い女性や女優さんが、自分の若い時の姿態を写真や映像で残したいと思うのは当然で、今年73歳になった私などはまさに醜いアヒルの姿に落ちぶれていますが、「私にだって若い頃があったんだ」と実感するのは、人間牧場の水平線の家に置いている自分の等身大のパネル写真です。

いつまでも歳をとらない私の等身大の写真パネル

 この等身大のパネル写真は、国土交通省が人間牧場で開いた観光カリスマ塾の折、運営に携わった年輪塾の松本小番頭さんが、少ない予算をやりくりして作ってくれたものです。写真撮影はは私の名刺や夕日徒然草の印刷を手掛けてくれている今治の村上さん、パネル製作は新居浜の十亀さんが関わってくれました。元々の発想は宮崎県庁の仕事で宮崎市を訪ねた時、当時宮崎県知事をしていた東国原さんが、トップセールスのため県庁を留守にすることが多いので、県庁の玄関先に来訪者の記念撮影用に作った等身大写真パネルを見たことでした。

 製作した私の等身大写真パネルは、私のトレードマークともいえる「木になるカバン」を持った、ひょっとしたら自分の人生で一番脂の乗ったころの写真なのです。このパネルは私がいようがいまいが、人間牧場を訪れた人を微笑みを持って、歳を取ることもなくいつも迎えてくれています。時には酒に酔った仲間に、外のウッドデッキに持ち出されて横にされたり、逆さまにされて記念写真に納まっているようですが、これもまた悪気のない楽しい悪戯だと思って見逃しています。サプリメントのコマーシャルになぞらえると、私の今の姿と等身大の写真パネルは、使用前と使用後、ビフォアーとアフターって感じです。アッハッハです。笑ってください。

「牧場の 部屋に置かれた 等身大 写真パネルは 歳もとらずに」

  「いいものを 作ってくれたと 感謝する 木になるカバン 持って堂々」

  「私にも こんな時代が ありました 今となっては 虚像だけれど」

  「横にされ 時には逆さに されながら 仲間悪戯 それもまた良し」

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人間牧場

〇卒論を書く石井さん

 私は高校しか出ていないので、昔の大学のことは分かりませんが、最近の学生の中には「双海町のまちづくり」を卒論のテーマにする学生も何人もいて、その都度指導教官からの頼みもあって、指導や助言をしています。勿論卒業論文を指導するような能力が私にある訳ではないので、長年取り組んできた実践事例しか喋れませんが、学生にとっては大学内で教わった理論より、実践から生まれた私たちの論理の方が刺激的だと、中々味な褒め方をして私の意見を求めてやって来るのです。

卒論仕上げのため人間牧場へやって来た石井さん

現場の話は現場で話すのが一番と、昨日は愛媛大学農学部生物資源学科農山漁村地域マネジメント特別コースの石井誠也さんと、下灘コミセン前で午前9時に待ち合わせをして、人間牧場へ向かいました。水平線の家のストーブに火を入れ、ストーブを囲むように座って、石井さんの質問に答える形で約2時間喋りました。石井さんは既にまちづくりによる未来の展望~伊予市双海町の魅力発見に迫る~」という50ページほどの論文を書き上げていて、来年2月10日の卒論発表に向けて仕上げの段階に入っているようでした。

石井さんは伊予農業高校在学中の7年前から、まちづくり学校双海人に当時の担任秋山先生とともに通って一緒に学習をしたり、双海のイベントにも助っ人として加わったりしてくれました。そのことなどが評価され愛大農学部農山漁村地域マネジメント特別コースに進むことができた学生です。いわば双海町が育てたまちづくりの卵です。今年から教員になった宇津博美さんのように立派な社会人になって欲しいと願っていますが、既に就職も決まってフライト間もないようですが、いい卒論が仕上がるよう応援しています。頑張れ石井さん。

「卒論の テーマは何と 双海町 手助け要請 心を込めて」

  「牧場の 水平線の家 ストーブに 火を入れ二人 仲良く対峙」

  「私にも こんな時代が あったなと しみじみ思う 過ぎ越し青春」

  「世の中に 間近かフライト する前に 卒論しっかり 自分を自覚」

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人間牧場

〇寒い冬に咲く山茶花の花

 「何もこんなに寒い時を選んで咲かなくても、もっと温かい時期を選んで咲けばいいのに」と思うのは私だけでしょうか。冬の花の代表格には水仙や椿などがありますが、今年は冬の寒さが少し早く来たようで、連日朝の気温が5度以下、昼の気温が10度以下の日が続き、道端に咲く水仙は年末だというのにもう満開の所もあるようで、例年開いている水仙まつりは年明け早々の7日・8日を予定していると、早くもダイガラ餅つきの予約が入りました。

山茶花の花

 この時期になるとわが家では、可憐な山茶花の花が庭の生け垣辺りに咲くようになりました。寒さの中でひっそりと人知れず咲くので、余り気が付きませんでしたが、昨日畑仕事をしていて赤紫のそれは見事な山茶花の花がいっぱい咲いているのを見つけ、思わず見とれてしまいました。冬の花は長持ちするので多分来月半ばころまで楽しめそうですが、畑の隅の場所が場所だけにこの山茶花の花を見るのは、どうやら私一人のようで、勿体ないような感じがしています。

 ゆえに山茶花の花を一輪、枝を切って部屋に飾ろうと思って生け垣の根元を見ると、秋口からどこへ置いたか分からなくなって紛失していた剪定ばさみがあることに気が付きました。「こんな所に置き忘れていたのか」と、加齢による自分の物忘れのよさに苦笑しながら、拾い上げた剪定ばさみで切り落とし、一枝は若嫁に、一枝は妻に渡して一輪挿しの花瓶に入れましてもらいました。清楚な山茶花の花を見ながらお茶を飲み、添えてくれた羊羹を食べて至福の時を過ごしました。

 

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人間牧場

〇新しいWritinng Calendarが届きました

 今年の師走はその名の通り、例年にない忙しさでした。12月3日子ども体験塾本尊山登山から始まり、3日長崎県時津町出張、4日久米公民館通学合宿金銭教育、5日双海史談会、6日大洲警察署管内青少年協助員研修会、8日地域実践交流集会準備、9日~10日地域教育実践交流集会、13日ソプラノ歌手二宮典子ディナーショー、15日餅つき準備と年輪塾合宿研修、16日年輪塾餅つき、16日~17日鳥取市元気塾、19日松山市まちづくり協議会交流会、21日~22日三重県松阪市飯南町まちづくり研修会、23日黒山登山・シーサイドロマンチッククリスマス餅つきと、まあ私のスケジュール表にはかなり濃密に予定が書き込まれ、その予定通り忙しいスケジュールを何とか忘れることもなく終えることができました。

送られてきたカレンダー

 三重県松阪市から帰宅してみると、えひめ地域政策研究センターの山本所長さんから、頼んでおいた来年度の商工会連合会発行のWriting Calemdarが送られてきていました。私はこの書き込み予定表を何年も愛用していて、えひめ地域政策研究センターが愛媛県商工会館に入居していることもあって、頼んでいただいて使っているのです。もう一週間もすると、新しい2018年が始まりますが、古い予定表のあちらこちらには既に来年の予定が、忘れないようにするため、かなり沢山書き込まれていて、早速今日にでも暇を見つけて転記しようと思っていますが、今のところ新しい年もまだまだ忙しくなるような雲行きです。まあそれもこれも元気だからできることだと、健康な体に感謝しています。

 数日前、かつて大いに酒を飲み大いに夢を語った県外に住む親友の奥さんから、「主人が亡くなりましたので、年賀のあいさつは残念ながらできませんので・・・」と喪中のはがきをいただきました。県内ならお悔やみ欄や知人友人が訃報を知らせてくれるので、葬儀に参列ることもできますが、遠方の友については不義理を囲わなければなりません。驚いて早速電話入れましたが、電話の向こうで涙を流しながら話す奥さんの心境を察しながら、思い出話をさせてもらいました。「若松さん、あなたが羨ましい」とまだまだ元気な私に、「いつまでもお元気で主人の分もご活躍してください」と、逆に励まされました。来年もポジティブにもう少し頑張りましょうか。

 「今年の 師走とにかく 忙しく ハラハラドキドキ 寒さの中で」

 「一週間 すれば新年 やって来る 今年も何とか 元気で生きた」

 「友人が 送ってくれた カレンダー 来年どんな 一年だろう」

 「くれ迫る このころ喪中 一枚の ハガキが届き 大いに驚く」

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人間牧場

〇サンセットロマンチッククリスマス

 毎月23日は語呂合わせで「ふたみの日」と、双海町では勝手に呼んでいます。昨日は天皇誕生日の祝日でした。双海町では道の駅ふたみシーサイド公園において、毎年恒例のサンセットロマンチッククリスマスが開かれました。前日県内のイルミネーションをお天気キャスターが訪ね歩くNHKのローカル番組で、シーサイド公園から生中継されたため、また数日前の厳しい寒さも和らいだ、少し暖かい天候にも恵まれたため、午後3時ころにはシーサイド公園砂浜には、毎年のことながら信じられないほどの長い行列ができていました。

イベントホールの大きなクリスマスツリー、夜は見事
砂浜にできた長い行列
大空を飛ぶパラグライダー
パラグライダーで砂浜に降りたサンタクロース
プレゼントをプレゼントするサンタさんたち
夕焼けポストでデスクジョッキーするデカ村さんたち

 私たちはダイガラ餅つきに手を取られていたので気づきませんでしたが、えらい人出でした。餅つきが終わった3時過ぎ、空に5つのカラフルなパラグライダーがお目見えしました。乗っているのはトナカイやサンタクロースに扮したパラグライダー愛好会の皆さんでした。やがてみんなの拍手に迎えられてパラグライダーが着地し、用意したささやかなプレゼントを列を作っていた子どもたちに手渡しましたが、子どもたちは大喜びでした。

 昨日はイベントホールの一角にサテライトホールが設けられ、デカ村さんやネコマサキさんたちが、実況中継のような形で放送局を開設して喋りまくっていました。シーサイド公園を作った時私が始めたロマンチッククリスマス「サンタが空から降りてくる」も、夕焼け放送局(今は夕焼けポスト)もこうして、20年にわたって色々な人により受け継がれていることを嬉しく思っています。こうした施設が珍しかった時代とは違い、今は大掛かりな施設が次々と登場していますが、シーサイド公園は身の丈サイズの地道な活動をコツコツやりながら、これからもみんなで支えて行きたいと思います。

「サンセット ロマンチックな クリスマス 子ども沢山 集まり盛況」

  「口開けて 空を見上げる カラフルな パラグライダー サンタやトナカイ」

  「降りてきた サンタに貰う プレゼント 子どもキャーキャー 騒ぎ喜ぶ」

  「サテライト 夕焼けポスト 放送中 いいねいいねと 拍手を送る」

 

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人間牧場

〇お伊勢参り

 「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ・・・」といわれる伊勢神宮へ、念願叶ってお詣りすることができました。前回尾鷲に講演に出かけた時も、近くの高校生レストランで有名な多気町へ講演に出かけた時も、ニアミスって感じでお伊勢さんには立ち寄れなかったし、わが町の氏神様天一稲荷神社の氏子総代をしている時の参拝機会も、残念ながら仕事で時機を逸していただけに、嬉しい50年ぶりの参拝となりました。

いざ内宮へ
鳥居をくぐり橋を渡って内宮へ
本殿前にて
神宮前の賑わい
おかげ横丁の古い芝居小屋

伊勢神宮は20年に一度遷宮されるという別格な神宮で、内宮外宮の区別もつかぬほど広大な敷地がありますが、今回は松阪市飯南町の中村さんのガイド付き案内だったので、とてもラッキーな参拝でした。鳥居をくぐって川にかかった橋を渡り、玉砂利を踏んで内神宮の聖域に入りましたが、平日の夕暮れだというのにひっきりなしに参拝客が往来していました。無事本殿に参拝することができて心を洗われ、清々しい気持ちになりました。

 50年前伊勢神宮にお参りした時の私は、双海町青年団長として青年団の南紀・伊勢研修旅行を引率していました。確かまだ独身で願い事は遠い昔のことゆえもう忘れてしまいましたが、本殿に向かって「素敵な女性と結婚できますように」と手を合わせたに違いありません。その通り3年後に素敵な?わが妻と昭和46年に結婚し、4人の子宝にも恵まれ45年が経ちました。既に老域に達していているため欲も高い望みもありませんが、家内安全と日々の健康を、深々と頭を下げて祈りました。

「50年 一昔前 参拝す 結婚したい 祈った通り」

 「50年 今も昔も 変わらない 神域玉砂利 踏みしめながら」

 「50年 色々あった 今がある これから先も 平穏無事に」

 「50年 後には私 この世には いないはずです ゆえにしっかり」

 

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人間牧場

○懐かしい親友との出会い

昨日の講演会の会場で思わぬ親友に出会いました。飯南町の森本哲生さんです。元飯南町役場職員だった森本さんとは東京で開かれた農林省の情報化戦略会議で、大分県大山町の緒方英雄さんと共に出会いました。その後メールとてなかった時代故、ハガキや手紙での交流が続いていましたが、飯南町と聞いてもしやと思っていましたが、何と何と会場へ私の話を聞きに来てくれたのですから大いに驚きました。森本さんはその後国会議員となり大いに活躍をされたことを風の噂で聞いていましたが、今は野に下り有間野住民協議会の会長としてまちづくりに関わっていました。

40年ぶりに出会った中村さんといい20年ぶりに出会った森本さんといい、私の人生の節々で出会った大切な人々は数知れません。「人は人により人となる」です。多くの人に支えられて生きてきたことに感謝する一日でした。

 

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人間牧場

○どこでもドアー

漫画のドラえもんではありませんが、私の書斎に最近珍しい「どこでもドアー」のような珍しい模型がお目見えしました。建築関係の仕事をしている長男息子は、私に似て趣味でまちづくり活動をしていますが、最近ある研修会の講師として松山城の歴史についてレクチャーするらしく、寸暇を惜しんで勉強したり、資料作成をしている様子でした。「どこでもドアー」に似た代物は宮大工の友人が製作したお城の城門で、説明用に全て取り外しができるビックリするような精巧な作りです。

先週の日曜日現地松山城で無事エクスカーションで役目を終えたようですが、この城門模型は息子にとって大切な宝物になったようです。

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人間牧場

〇三宅島から届いたカサブランカの花

 「お父さん、三宅島の佐久間さんから今年も綺麗なカサブランカの花が届いたよ!!」と、出生先の雪の積もった鳥取県から帰る途中の、松山駅まで迎えに来てくれた妻が車の中で言いました。もう何年も前、東京で開かれた全国監査委員の研修会で私の講演を聞いた佐久間さんの口利きで、東京都の市町村議会議員研修会に招かれ、加えて三宅島まで講演に招いてくれたりしたのも三宅島の佐久間さんでした。東京都とは言いながら三宅島は四国からは余りにも遠い太平洋に浮かぶ島ゆえ、深い交流もままなりませんが、こうして律義にも毎年花を届けてくれる佐久間さんの心の優しさに、思わず目頭が熱くなりました。

玄関に飾られたカサブランカン花

 一昨年亡くなった親父が若くて元気な頃、木の葉のようなわずか5トン30馬力の若吉丸に乗って、三宅島や神津島辺りまで県外出漁したり、私も愛媛県立宇和島水産高等学校の実習船愛媛丸に乗って赤道を越え、珊瑚海まで遠洋航海に出かけた折、行きと帰りに三宅島付近を通過したことを思えば、縁の深さを感じるし、敬愛してやまない歴史上の人物ジョン・万次郎の生涯も、暴風大しけの伊豆諸島付近の海を経て鳥島まで流され捕鯨船に助けられた経緯もあって、伊豆諸島や三宅島への想いは一生涯忘れることのできないものなのです。

 送られてきたカサブランカの花はそれは見事なもので、妻は早速花瓶に入れて玄関先に飾りましたが、時折わが家を訪ねてくる人たちは、花の少ないこの時期だけに、「まあ珍しい、綺麗なカサブランカの花ですね」と褒め讃えてくれるのです。その度に津桃若嫁も、「実はこの花はお父さんの友人で、三宅島に住む佐久間さんという方がわざわざ送ってくれたものです。綺麗でしょう」と一言添えて紹介しているようです。演歌ながら鳥羽一郎の「カサブランカ」という歌を懐かしく思い出しながら口ずさみました。今日にでも佐久間さんにお礼の便りをしたためようと思っています。

  「雪積もる 参院鳥取 帰るなり 迎えの妻が 花の知らせを」

  「玄関の 大きな壺に 花いっぱい 季節外れの カサブランカ見る」

  「三宅島 東京都だが 遠い島 いつか再び 訪ねてみた」

  「律儀さに 思わず目頭 熱くなる 古き親友 思い出しつつ」

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人間牧場

〇砂の美術館

 八上での講演会が午後になって、午前中のスケジュールが空いたので、藤原さんの案内で鳥取砂丘入り口の砂の美術館を見学させてもらいました。鳥取駅からそう遠くない位置にありますがこの日は朝から平野でも20㎝の積雪に見舞われ、自慢の砂丘も降る雪で視界が効かず見えませんでした。それでも美術館内には日曜日とあって、朝から沢山の見学者が入っていました。アメリカのフロンティアをテーマにした展示物は、薬品などを一切使わず砂を水を打ちながら固めただけという信じ難い砂の塊を、鏝で削りながら丹念に仕上げて行くのだそうです。

砂の美術館内部

鳥取砂丘も雪でした

どこまでも続く雪道

 体育館のような屋根と周りを囲った館内には大小20ほどの展示物が並んでいましたが、そのド迫力に最初から最後まで感嘆の声を上げました。これまた勿体ない話ですが、せっかく作られているこれらの展示物は、一年に一度全て壊して、世界中から集められた砂のアーテストたちによって造り替えるという、信じ難い話も聞きました。2階の展示室に地元産手すき和紙を何枚も張り合わせて作ったという、それは見事な純白の大きなクリスマスツリーが飾られていました。館内の砂の造形物が大きいのでそれほど大きくは感じませんでしたが、天井まで届く見事なものでした。

 砂は元はと言えば一粒です。「小さな砂の一粒も積もれば富士の山となる」という歌を小さい頃聞いたことがありますが、砂には自然が作り出す鳥取砂丘のような景観もありますが、同じ砂でも砂を固めて人間が作る造形もまた一味違った楽しみ方です。私の机の上には5分計の砂時計が置かれています。一粒一粒落ちて時を刻む姿に自分の人生を重ねながら、85年計の自分の人生砂時計は、もう12年分しか残っていません。ゆえにこれからの12年間は毎日毎日悔いの残らないような生き方をしなかればなりません。砂それぞれ、人生もそれぞれです。

「砂固め 鏝で削った 作品が 所狭しと 迫力誇示し」

  「外は雪 館内砂の 造形群 アメリカ歴史 テーマの作品」

  「わが机上 5分計なる 砂時計 速いと思う? 遅いと思う?」

  「子ども頃 小さな砂の 一粒も 積もれば富士の 山だと聞いた」

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