人間牧場

〇三年前の自画像

 私が毎日のようにアメーバブログとワードプレスブログの記事は、facebookにアクセスするようになっているので、ショートなコメントとインスタ映えする写真を載せている人に比べると、長文で写真も少ないのでかなり変わっています。人に見てもらったり読んでもらうためより、どちらかというと暮らし記録のつもり、主張のつもりなのでアクセス数は特に気にしませんが、時々読者の目に留まる記事を書くと、アッと驚くほど書き込みがあって、驚いたり返信コメントを送ったりしています。

3年前の自画像
今の私の自画像

 facebookは時々「覚えていますか」という問いかけで昨年、一昨年、3年前の写真が自動的にアップされたりするため、「エッ、こんなことがあったっけ」と驚きながら、その日その時の記事を呼び出して懐かしく読んでいます。昨日は3年前の1月6日の私の自画像が、頼みも操作もしないのにいきなり画面に、「あなたの3年前の写真です」と、PC画面に出て来て大いに驚きました。凡人の私にはそのメカニズムなど知る由もありませんが、感嘆と納得しきりでした。

PC画面のfacebookに登場していたのは、私の3年前の自画像でした。今ならタブレットで自分の写真を撮ることができるようになっていますが、当時はそれもできず多分、誰かに撮ってもらったであろう3年前の自分の写真は、自分で言うのも何か変ですが、今の自分とそれほど変わったような形跡はないのです。試しに昨日の自分の醜い顔をタブレット内蔵のカメラで撮ってみました。まさにビフォーとアフターでした。人間は一日一日を積み重ねて人生を紡ぎます。若い頃は進化著しくても、歳をとると進化どころかいくら嫌だと思っても退化の道をたどります。

 ゆえに、歳をとると写真に写るのを嫌がる人がいます。特に女性はその傾向が強いようです。「手と首は化粧のしようがなく歳相応」とは私の名言ならぬ迷言です。女性はヒアルロン酸やコラーゲン、厚化粧で顔の手入れを怠りませんが、首の老化は止めることができないのです。またいくらネールで飾っても首と同じように手の甲もしわを増してゆくようです。テレビに出てくる顔の美しさを自慢している女優さんも、首と手の甲だけは歳相応です。「首と手の甲を見れば年齢が分かる」、これも私の迷言です。オホホです。

「リンクした facebookに 自画像が しかも3年 前とは参った」

  「そんなには 変わってないと 思うけど 人から見れば 歳相応か」

  「首と手は 嘘をつかない 場所なので 歳を聞かれりゃ 見れば大体」

  「本当は 若いと言って 貰いたい それがどうした 若くもないのに」

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人間牧場

〇果物に囲まれて至福の時を過ごしています

 私たちの町は瀬戸内海に面した気候温暖な町です。南向きの宇和海側から比べると北向きのため、ミカン類の味は今一ですが、それでも年中色々な果物が栽培されていて、収穫の季節になると、あれやこれやと知人友人から果物が届き、ビタミンCの補給に大いに役立っています。年末には少々小ぶりや風傷で傷んだものなど、いわゆる外品と称するものを沢山いただきましが食べきれず、息子や娘の処へお裾分けをしてやりました。

家の中は美味しいミカンで嬉しい悲鳴

 年末には妻の友人の谷江さんにキウイフルーツを沢山いただきました。愛媛県は日本一生産量が多いキウイフルーツの産地で、果肉が緑がかったヘイワードの他、果肉が黄色いゴールドも沢山作っていますが、最近はキウイの葉っぱに潰瘍病が発生し、拡散を防ぐため潰瘍病にかかった畑は、根元から切って焼却処分をしなければならず、農家の方も色々大変なようです。キウイは収穫しても果実が固くすぐには食べられませんが、キウイ10個ほどをナイロン袋にリンゴ一個と一緒に入れておくと、リンゴの酸でキウイが柔らかくなり食べごろになるようです。

この時期になるとポンカンの収穫も始まり、昨日は所用で人間牧場へ行くと、たまたま隣の西嶋さんの奥さんに出会い、ポンカンを20kキャリーに一箱いただきました。この時期のポンカンは晩柑のためまだ味が乗っていませんが、ポンカン独特の甘い香りが漂って、とても美味しくいただきました。年末には田処の亀本さんが渋柿を、ナイロン袋にドライアイスと一緒に入れた段ボール箱を一箱いただきました。「12月20日後食べごろ」と書いていたので開けて毎日のように美味しく食べています。

久保の武田さん、東峰の赤尾さん、池久保の西嶋からも美味しいミカンが届き、果物大好きな私たち夫婦にとってこの時期は、果物に囲まれて至福の時を過ごしています。食べ過ぎないように注意をしていますが、ついつい手が出てしまいます。孫たちや息子夫婦は、ほかに食べるものが沢山ある飽食の時代に生きているので、私たちが子どもの頃のように手が黄色くなるほど食べませんが、それでもビタミンCの補給効果もあって、風邪を引きにくいようです。

「産地ゆえ 果物多く 毎日の ように食べてる お陰で元気」

  「産地ゆえ ポンカン一箱 20K 持ってお帰り いただきました」

  「家の中 あちらこちらに 果物が 幸せですと おすそ分けする」

  「ビタミンC 食べるお陰で 風邪ひかず 健康家族 農家のお陰」

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〇お墓参り

 新春恒例といえば初詣ですが、私たちの地方ではそれとは別で新春早々の1月4日に、お墓参りをする風習があります。お供え用のお餅と干し柿などを細かく切って準備をしました。本当は息子たち家族も一緒にと思いましたが、息子も若嫁も昨日は仕事始めで朝早く出かけたため、少し風邪気味の孫2人に留守番を頼み、少し暖かくして妻と二人で出かけました。まず自分の家のお墓に行き、年末の新しいシキビを挿していた花器に水をつぎ足し、供え物を置いた後線香に火を点けて平安無事を祈りました。

その後同じ墓地内にある姉の家のお墓や、役場在職中お世話になった丸山元町長さんのお墓にお参りして、近況を報告させてもらいました。双海町もご多分に漏れず過疎化や高齢化、少子化が進み、縮む社会は目を覆うばかりですが、嘆いても仕方なく、自分にしかできないまちづくりへの援助をこれからも続けて行きたいと、非力ながら誓いました。お墓参りの途中に北風敏行さん夫婦に出会いました。北風さんは私より年齢が一つ上の先輩ですが、同じ宇和島水産高校漁業科に遊学中、2年間同じ下宿で布団を並べて寝た間柄なのです。この人も青春の思い出です。

下灘の弟の墓地、親類の墓地、妻の実家である八幡浜の墓地と、毎年のように同じ道をたどって足を延ばし、妻の実家にも立ち寄った後正午過ぎに帰宅しました。お墓参りは様々な人間模様を垣間見ることができます。かつては繁栄を極めた家でも、その後の没落でお墓が草に埋もれていたり、お盆やお彼岸さえ訪ねる人もないお墓もあるようです。私たちのような不信心で親不孝息子・嫁ながらも先祖の供養のため、1年に何度かのお墓参りを欠かさない者もいるのですから世の中は分からないものです。これからも生きている限り、先祖あっての自分と心を戒めて、身体の許す限りしっかりとお墓を守って、やがて息子夫婦にバトンタッチしたいと思っています。

「新春は 初詣するが 墓参り する人少ない 世の中理不尽」

 「1月の 4日は必ず 墓参り 先祖の供養 これから先も」

 「繁栄の 証のような ご立派な お墓も今じゃ 草生え寂し」

 「足伸ばし 元町長の 墓参り 残念ながら 成果も出さず」

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人間牧場

〇私は不器用?

 家の細々を一手に引き受けて、あれやこれやも頼めば、必ず見事にこなしてくれていた親父が無くなって2年半が経ちました。畑で鍬を使えば柄を折り、鋸を使えば刃を折るといった風に、何かにつけて小さなトラブルを作っていた私を見て、「お前は不器用だ」と何度烙印を押されたことでしょう。その都度自分自身の非力さを嘆き、「私は生まれつき不器用」だと、ある意味ネガティブに信じ込んでいました。ところが鍬の柄が折れれば自分で治し、石垣が崩れれば自分で積み替えなかればならなくなると、「親父が生きていたらなあ」と思いつつ頼る人もいないので、見よう見真似でやってみると、親父ほどは上手くいかなくても、それなりにできるようになり始めました。

昨年の台風で崩れた石垣などは、まったく未経験ながら、自分の積み替えた石垣がその後立派に復元し、「私は不器用?」と思っていたのに、最も近い存在の妻に褒められたりするとまんざらでもなくなり、「私は器用かも?」と思うようになり始めました。誰と比較して器用なのかは分かりませんが、少なくとも同年代の人に比べるとダントツだと過信の域を広げつつあります。年末に作った正月用のしめ縄も、このところ孫と造り始めたミニハウスも、まあそれなりの出来栄えに満足していて、親父が倉庫に残してくれた沢山の道具類を、少しずつ手入れをしながら使い始めています。

このところ、孫のリクエストに応えてミニハウスを造るため、親父が使っていた2本のノミを砥石で研いで使っていますが、道具類は手入れが一番で、研いだノミは見違えるような働きをしてくれています。不器用さが復活したように、ノミを叩かずカナヅチで手の甲を2度も3度も叩いて、赤く腫れあがっていましたが、そのうち慣れて無駄な動きもなくなり、作業効率が良くなって日常の作業が見違えるように改善され始めています。もう勤めていないので、「日曜大工」ではなく「毎日サンデー大工」として、時折ホームセンターへ立ち寄って、日曜大工の道具類を品定めするなど、ご隠居さんてな感じも出始めた今日この頃です。

「不器用の レッテル貼られ 自分でも 疑いもなく そうだと長年」

 「親父死に 親父の役目 する人も なくってシブシブ 器用開眼」

 「まあ器用 妻の一言 目が覚めた やればできると 思い始める」

 「ノミで穴 ノミを叩かず 手の甲を カナヅチ叩く 目から火花が」

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〇健康を損なう主な要因

 これまでは自分の健康のことなど、余り気にもせず今日まで生きてきましたが、70歳の坂を超えるとさすがに体のあちらこちらに、些細な体調の変化が出始めてきました。別に気にするほどのことではないものの、日本人の健康寿命が72歳程度のことを思ったり、同年代の人が病気になって脱落する姿を目の当たりにするようになると、もっと日々の暮らし方に気を付けなければ、家族に迷惑をかけることになるかも知れないと、自分に言い聞かせ始めています。

 健康を損なう要因は色々あるようです。①喫煙、②ウイルスの感染リスク、③環境汚染、④過剰飲酒、⑤過食・栄養バランスの偏り、⑥外出やコミュニケーション不足、⑦体形の変化、⑧腸内フローラ(有用菌・有害菌・中間菌)、⑨怪我、⑩ストレスなど様々です。タバコはこれまで吸ったことがないし、お酒も18年前にきっぱり止めたので、吸うたり呑んだりする人たちに比べると、健康を損なうリスクは極端に低いようですが、体の中の自分の知らないところで起こる体調変化はどうすることもできないのです。

一番重要と思われる食事については、毎日料理を作って食べさせてくれる、妻のお陰で随分助かっています。妻は成人病の原因になる糖分・油分・塩分を控えた料理を心がけてくれいるので、食べる私が暴飲暴食にならないよう気を使って、ご飯と野菜と魚を中心に食べています。同じものを食べても基礎代謝の盛んな若い頃は、体内分解能力が優れているので何ともありませんでしたが、基礎代謝の落ちる私の年齢になると、過多な食べ物は余剰エネルギーとして体内に蓄積してしまうのです。

そのために食べたものを消化する運動をしなければなりません。歳を取ると運動がきつくなったり怠慢になったりしますが、筋力は歳を取っても鍛えられるのですから、頑張らずに頑張ろうと思っています。私は何が原因か分からぬC型肝炎ウイルスにかかり、昨年はハーボニーという1錠7万円もする高額な飲み薬を84日間飲んで体内のウイルスをやっつけました。近所に住む元気だった従弟も突然リンパ腫にかかり昨年末から治療に専念しています。何が起こるか分からないのが人間の体です。健康を損なわないようにしたいものです。

「健康を 損なう要因 色々と あるが自分で 極力努力」

  「タバコ・酒 口にしないは いいことと 病気のリスク ひとまず安心」

  「昨日今日 何が起こるか 分からない 人間身体 注意してても」

  「気にし過ぎ 病気になった 人もいる 気にせず気にして 元気に暮らす」

 

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〇満月の早朝ナイトウォーキング

 今朝は天気の良い日に起こる放射冷却現象の影響で、毎日早朝5時過ぎに出かけるウォーキングで外に出てみると、屋外駐車の息子の車のフロントガラスに薄く霜が降りていました。ふと西の空を見上げると、それは綺麗で見事な満月の月が出ていて、目が慣れるとまるで白夜のような明るさでした。普通は用心のためLEDの小さな懐中電灯を点けて歩くのですが、今朝はその必要もなく、毛糸の帽子を被り、軍手をはめてのウォーキングです。

満月の月明り

 妻は風邪をひいていますが、年末年始で休みの妻の傍に、朝から晩まで四六時中いながら、風邪をうつされることもなくすこぶる体調がいいようで、今朝などはウォーキングというより軽いジョギングでいつもの道を小走りしましたが、お月様という天然の夜間照明に照らされて、半分の距離の約1.5㎞を快調に走ることができました。ポケットに忍ばせた携帯電話内蔵の歩数計によると、昨日は初も出に出かけたことも夕日鑑賞もあって、目標の1日1万歩をはるかに超えた1万5千歩を刻んでいて、今年も順調な滑り出しのようです。

 いつもの日は闇夜の中を歩くと五里霧中で、周りの景色は見えず風の音や自分の足音しか聞こえませんが、白夜のウォーキングでは辻々に置かれている石仏や、歩く道の行く手も遠くまで見えて、とても印象的でした。何気なく日々を暮らしていると、月の光の明るさなど日ごろは何も感じませんが、潮の満ち引きだって月の引力のなせる業だと思うと、自然のパワーの偉大さをつくづく感じます。月に代わって今度は東の空から朝日が顔を覗かそうとしています。正月2日朝6時30分、今日も穏やかな一日になりそうです。

「ウォーキング 出かけるために 家を出る 西の空上 見事な満月」

  「月明り こんなに明るい ものなのか 懐中電灯 持たずに歩く」

  「潮干満 月の引力 知ってるが パワーの凄さ あらため実感」 

  「風の音 歩く足音 聞くだけの 日々の歩きも 結構楽しい」

スーパームーン
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〇氏神様へ初詣

 輝かしい2018年の新春を迎えました。今日は何をするでもなくのんびりコタツで、枚数の多い新聞を読んだり、届いた年賀状を見たり、また全日本社会人駅伝をテレビで見たりして、のんびりと過ごしました。兄弟姉妹や親類の人たちが年賀にやって来るので、午前中は家を空けることもできませんでしたが、孫たちが嫁の実家へ行ったし、おせちを食べ過ぎたので、腹減らしのつもりで、近所の天一稲荷神社と、三島神社へ、少し遅めの初詣に妻と二人で出かけました。

三島神社の社殿
三島神社の楼門

 今日は前日の大晦日の雨を伴った荒れた天気が嘘のように穏やかな天気でした。まず天一稲荷神社では急な石段を登り、夫婦揃って家族の健康と幸せを祈りました。次に本郷の三島神社へ行きましたが、400段を超えるという長い石段を楼門、社殿へと登りました。裏道を利用すると車で難なくお詣りできるのですが、夫婦は既に前期高齢者ながらまだまだ足腰は丈夫なので、国道沿いに車を止めて歩いてお詣りをしました。

 神社の境内には見慣れた家族連れが次々とやって来て、久し振りの出会いに驚きながら、立ち話の会話を交わしたりするのも、氏神様ゆえの出会いだと思うのです。今日は上田元教育長さんの娘さんに何十年かぶりに出会いました。既に老域に達していましたが、若い頃の面影が今も残っていて、嬉しい再会となりました。私はいつものことながら神様にあれやこれやとお願いすることはしません。先日旅先の三重県で伊勢神宮へ参拝する機会に恵まれましたが、その時も欲張った願い事はしませんでした。神様や仏様にお願いする他力本願ではなく、自力本願を旨として、今年もいい一年でありますよう祈っています。妻は欲ばってあれやこれやを祈っているようでした。

「元旦は 何をするでも なく過ごす これもまたよし 余裕余裕だ」

  「氏神に 妻と二人で 初詣 健康幸せ ただそれだけを」

 

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〇大晦日の決意

 今日は2017年の365日最終日です。自分の人生においてもうこんな日を73回も経験していますが、「もういくつ寝るとお正月」と心待ちにしていた若い頃と違い、これではいけないと思いつつ、「ああまた一つ歳を取るのか」と、加齢をネガティブに捉えてしまう自分もいるのです。「正月は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」といったところです。

満開のカサブランカ

 わが家の玄関先にそれは見事なカサブランカの花が満開に咲いて、香しい匂いを漂わせています。この花は数日前東京都三宅島の佐久間さんが送ってくれたものですが、昔の出会いを忘れることなく律儀にもこうして、毎年のように花束を送ってくれる人のことを思うと、来る2018年も頑張ろうと少し勇気のようなものを感じます。105歳で亡くなった日野原先生が自著本「生き方上手」で、「老いは衰弱でなく成熟だ」と言っていますが、73歳はまだ青二才のような気がしています。

 実は来年度、ある大学の非常勤講師として学生に、「地方行政論」を教えて欲しいと、ある人を介して要請がありました。90分1コマを15コマだそうです。私はこれまでにも愛媛大学の法文学部で非常勤講師として年間60時間、地域活性化論を10年余り、農学部では客員教授として3年間同じように地域活性化論を講義しました。大学も出てない高卒の私ゆえ大学の内情が呑み込めず、愛媛大学では随分自分流に苦労しましたが、その経験があるゆえさてどうしようか迷っていました。

わが家へ訪ねて来た北原さん親子

 明日から新しい年が始まるゆえ、今日は朝からあれやこれや雑事をしながら、さてどうするか考えた挙句、勧めてくれた人に夜8時になって、浅学を恥じながらやろうと決意し快諾の連絡を入れました。先日21世紀えひめニューフロンティアグループのメンバーである北原さんがわが家へやって来ました。学校の教員を早期退職し悠々自適の生活をしていましたが、2年前63歳にして群馬県の大学に2年間遊学したのです。遊学を決意するにあたって私に相談にやって来た経緯もあり、帰郷すると必らず連絡をくれていましたが、早くも2月には卒業だそうです。あれやこれや周りの人に触発されながら、また一から出直して理論ならぬ、私がこれまでの人生で学んだ論理を、若い学生たちにレクチャーしようと持っています。来年も夢を追いかけれる一年になりそうです。

 「大晦日 雑事に追われ あれやこれ しながらさてと 思い巡らす」

 「衰弱じゃ なくて成熟 なるほどな 頷きながら 挑戦決意」

 「玄関に カサブランカの 花が咲く まだまだやれる これからショウブ」

 「この歳に なっても声を 掛けられる 嬉しいことと 恥も忘れて」

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〇飲み屋さんの小便器

 胆のうにポリープが見つかり、18年前に摘出手術を受けました。その影響でしょうか、手術後63キロあった体重が減り始め、あっという間に13キロも激やせしました。「若松の進ちゃんはガンで余命いくばくもない」と、人の不幸を喜ぶ人たちの間でうわさが広がりました。自分でも「これはおかしい。ひょっとしたら不治の病では?」と疑ったのも当然です。その後元気は回復したものの体重は一向に増えず、今も当時のやせたままの55㎏をキープしています。

氷の入った小便器

 手術を担当した県立中央病院の先生に「お酒は?」と聞くと、「ビール1本程度なら」と言われました。それまで浴びるほど飲んでいたので多少ためらいもありましたが、「ビール1本程度だったら飲まない方がいい。飲むんだったら100、飲まないのなら0」と、すっぱりお酒を飲むことを止めました。最初はテレビCMでビールを飲む姿が映し出されると、禁断症状とでもいうのでしょうか、心が乱れましたが初志貫徹して今に至っています。

 お酒を飲んでいたころの年末は、まるで松山から双海町へ通っているように、連日連夜馴染みの店を飲み歩き、大いにノミニケーションを楽しみました。今は馴染みだった店へ行くこともなく、ひっそりと暮らしていますが、それでも時折ウーロン茶党ながら付き合い酒に付き合わされて出かけますが、昨日行ったのおっ宮の店先に白い塩をこんもりと盛っているのを見ました。店内に入りトイレに入ると、男子トイレの小便器の中に、これでもかというほど溢れるように氷が入っていました。

 最初は小便をしていいのかどうか一瞬迷いましたが、塩盛りは縁起を担いで大入りを期待してのことでしょうし、小便器の氷は臭み消しや衛生面での気配りでしょうが、温かい小便をかけても大量の氷は解けることなくありました。酒を飲まないという自分の体内に潜むもう一人の自分との約束は、多分もう破ることはないだろうと思うと、行きつけ馴染みだったお店の女将さんや、愛称で呼んでいた若い女性店員さんの顔が思い浮かびました。今頃どこで何をして暮らしているのでしょうか。そう言えば先日飛行機の中で偶然にも店をたたんで久しい女将さんと隣の席に座りました。何日かして、「懐かしくて涙が出るほど嬉しかった」とお便りハガキまでいただきました。酒はやはり神代の昔から「元気の出る水」のようです。

        「割烹の 玄関先に 塩盛って 商売繁盛 大入り満員」

  「小便器 氷をいっぱい 詰め込んで ためらいながら 用を足したが」

  「若い頃 連日連夜 飲み屋街 繰り出し飲んだ 今は懐かし」

  「スナックの 愛称呼んだ あの子らは 今頃どこで 何をしている」

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〇始まったツリーハウス造り

 孫たちが冬休みになりました。冬休みになっても孫たちは公文や公民館の「冬休み宿題講座」に出かけたりして、午前中は結構忙しそうですが、午後は友だちと楽しく遊んでいます。ところが「マラソン大会で1位になったらツリーハウスを造ってやる」と約束していた2年生の孫奏心が、約束通り本当に一位になってしまい、多少困惑していました。「困まった困まったこまどり姉妹」「しまったしまった島倉千代子」です。「約束するんじゃなかった」と後悔しても後の祭りです。孫奏心は「冬休みになったら」と約束していたので、冬休みになると、まるでストーカーのように私にまとわりついています。

始まったツリーハウス造り

 設計図まで自分で書いているので、何としても夢を叶えてやりたいと思い、密かに1本1000円程度の杉柱を10本ほどホームセンターで購入していたので、一昨日から孫奏心とともに、木組みの準備をしました。ツリーハウスと言っても自宅の庭に造るので美観を損ねないようにしなければならないし、腕白盛りの孫たちが遊ぶので安全第一にしなければなりません危ないので、庭の大きなクロガネモチの木の近くに造る計画です。

 それぞれ6個の穴を4本の柱に開けるのですが、採寸した後ドリルで穴を開け、親父が愛用していたノミを研いでホゾ穴を24か所も開けました。時には金槌で手を叩いたり散々でしたが、昨日までに何とか穴開け作業を終えました。今朝も起きるなり孫奏心は私の書斎へやって来て、「今日もしよう」と熱いラブコールです。戸外の風は今日も冷たく、寒さに震えながらの作業ですが、乗り掛かった舟ゆえ、何とか形にしてやりたいと思っています。はてさて今日も寒く、今日も忙しい一日になりそうです。

 「マラソンで 一位になったら 願い事 叶えてやると 言うんじゃなかった」

 「孫の夢 ツリーハウスを 造ること 冬休みだか 冬繁忙だか」

 「毎日の ように孫たち つきまとい まるでストーカー どうしたものか」

 「育爺の これも大事な 仕事だと 鬼嫁言われ 返答もなく」 

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