人間牧場

〇売れない〇〇を売る方法?

 「そんなものがほんとにあるなら教えてください!」という、そのものズバリの本を出しているコピーライター・湘南ストーリープランディング研究所代表の、上川哲也さんを迎えて、昨晩まちづくり学校双海人の例会がありました。受付でいただいたレジメには、★皆さんは何を売っていますか?、★「買いたい!」「また来たい!」につながる売り方とは?、★物語の主人公に必要なもの、①キャラクターを明確にする。②旗印になる強い宣言、★あなたの「物語」はなんですか・、★5W1Hを変える(自分のお店、商品、団体に当てはめて聞こう)①ウリを変える
(What)、②売る時間を変える(When)、③売る場所を変える(Where)、④売る人を変える(Who  Whom)、⑤売る値段を変える(How  much)、⑥売る方法を変える(How)、⑦売る目的を変える(Why)という簡単なもので、その後約1時間レクチャーがあり、「詳しいことは私の本を買って読んでください」でした。

 私は財布を持っていなかったので、多少読んでみたい気持ちもありましたが、「本を買えば著者のサインをしてもらえる」という甘い言葉に誘われることもなく、本を購入しませんでした。ゆえに話を聞き洩らさないようメモを取りながら聞き、ワークショップも積極的に発言しました。結論としてまず鉄板を熱くすると、キャンプの炭火の法則を聞きました。なるほどという感じでした。振り返れば30年も前、私は「夕日」をテーマに「物語」づくりを始めました。「しずむ夕日が立ちどまるまち」をキャッチフレーズに、オンリーワンの日本一づくりのため様々な仕掛けをつくり、10年続けたら物語、30年続けたら神話になると信じてやりましたが、上川さんの話は私のそのままズバリでした。問題はここからです。縮む社会の中で不易と流行をどう使いこなすか、まさに5W1Hのような気がしています。

 「売れな〇〇を売る方法」は色々あります。コンサルの話は紛らわしくて、鵜呑みにすると痛い目に遭います。「人が来ん=コン、人が去る=サルだからコン+サル」とは私のけだし名言です。要は当事者たる私たちがしっかり努力すれば必ず道は開けます。さあもうひと踏ん張り、性根を据えて頑張りましょう。

  「売れないと 人と社会の せいにする いつまでたっても うだつ上がらず」

  「死ぬ覚悟 あれば大方 できるもの やれないことと やらぬは違う」

  「小さくも 年輪刻む 心がけ まずは鉄板 熱くなること」

  「おきないし すぐに消えるは 炭火なり 水かけ消すは 案外身内」 

 

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人間牧場

〇まちの縁側「ミュゼ灘屋」

 私の周りには何かにつけてこだわった人が沢山います。普通の人から見れば一風変わった人たちと思われがちですが、私を含めた変わっていると思われる人間からすると私たちが普通で、周りの人が変わっているような気もするのです。伊予市で門田石油店を営む伊予市文化協会長の門田真一さんもその一人で、長年伊予市のまち屋保存運動に取り組んでこられました。そのシンボルとでも言うべき宮内小三郎邸を中心になって再生され、まちの縁側ミュゼ灘屋としてオープンさせています。

門田さんと木下さん

 そのパンフレットによると「ミュゼ灘屋」の目指すものは次の3つのミッションだそうです。
 ①新しい文化創造・コミュニティスペース
  「みゅぜ」はフランス語のmusee、ミュージアムや美術館など文化創造の場。ギャラリー・ミュージアム・コミュニティスペースとして、企画展やセミナー・ミニコンサート・シアタ 
  -・カフェなどに利用できます。人と人、人と活動、人と地域をつなぐ「まちの縁側」豊かな文化やコミュニティを育みます。
 ②シェアオフィス・コワーキング(協働)スペース
  文化協会メセナ・移住サポート・景観まちづくり・建築専門集団などの協働オフィスとして、市民活動{応援隊」やプラットホームの役割を担います。
 ③歴史文化遺産・宮内小三郎邸の保全活用
  宮内小三郎邸には、主屋ととともに、大洲臥龍山荘の兄弟普請とされる「新隠居」(明治45年 1912)、萬安港建設の年に造られた「古隠居」(文化9年 1812年)五色浜「サザエ掘り」と同じ石積みの堀など歴史的建造物が残されています。伊予市の文化遺産を次世代に継承していくために、瓦募金など市民・企業・団体の幅広い協力や支援の輪を広げます。

 わが息子は既に年末、ミュゼ灘屋で映画会を開いていますが、私たちも遅まきながら昨晩、ミュゼ灘屋をお借りして2018新春まちづくり寄席を開かせてもらいました。門田さんの案内で中を見せてもらいましたが、歴史的建造物の重みを余すところなく生かした再生に感心しきりでした。こうした古いものに新しい命を吹き込むには様々な困難が立ちはだかりますが、よくぞここまでと、門田さんったちの努力に大きな拍手を送りました。進化論で有名なチャールズ・ダウィンが、「強い者、賢い者だけが生き残るのではない、その時代に適応したものだけが生き残る」という言葉を残しています。古いものに新しい命を吹き込まないと、古いものは遺し伝えることはできず姿を消してしまいます。その役割をだれが担うのか、まちづくり人の役割りと技量が問われています。

  「古民家に 新しい風 吹き込んで 立派に再生 ミュゼ灘屋」」

  「あちこちに 光る匠の 技見事 昔手仕事 感心しきり」

  「この民家 ルーツ辿れば 双海町 客間の欄間 夕日に見える」

  「ダウィンの 言葉彷彿 役割を 担った友に 拍手を送る」 

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人間牧場

〇ミニハウス完成(その2)

最初はマラソン大会で1位になったらツリーハウスを造ってやる」と孫と約束したことが始まりでした。故に庭にある大きなクロガネモチの木の上に、ツリーハウスを造る計画でした。孫奏心は私との約束を信じて、モチの木をダイニングの窓越しに見ながら設計図を書きました。

孫奏心が画いたツリーハウスの絵

約束通りマラソンで1位になったので、とりあえずホームセンターで3mの柱を12本買い、ドリルとノミでほぞ穴を開けたりほぞを造り切り込みました。

ほぞやほぞ穴を丹念に開け作業開始

柱を庭の隅のコンクリート舗装の上に建て、棟上げをしました。

棟までは3.5mの高さ

周囲の板を張ったり出口入り口、窓を造りました。

やっと完成

中からの眺めは最高です。

モデルハウス公開中です。

「裏庭に やっとできたぞ ミニハウス 孫は喜び 庭かけ回る」

  「少しだけ どうだと自慢 したくなり 妻と若嫁 誘ってみたが・・・」

  「二年生 孫が中学 卒業まで これから7年 せいぜい使って」

  「金槌で 手の甲叩き 指に傷 しもやけまでも まるで勲章」 

 

 

 

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〇子ども体験塾(その2)

 魚料理を満腹になるほど食べた子どもたちは、その後保健センターの会議室で、魚のクイズをしました。
 1、イカは危険を感じたらどうやって身を守る?。(①墨をはく、②赤くなる)
 2、トビウオの飛んだ距離、最大で何メートル?。(①100m、②400m)
 3、タコの心臓はいくつある?。(①2つ、②3つ)
 4、せりで魚を買うときに500円はどれ?。(①じゃんけんのグー、②パー)
 5、はりせんぼんの針は何本?。(①350本、②700本)
 6、魚はどうやって寝る?。(①目をあけて寝る、②目を閉じて寝る)
 7、まぐるはどうやって寝る?。(①おしっこをしながら、②泳ぎながら寝る)
 8、ふぐはいつから食べられていた?。(①江戸時代、②縄文時代)
 9、鯛の名前の由来は?。(①かたい、②ひらたい、③めでたい)
 10、次の漢字は何と読む?。(鰯、鯛、海老、鮫、鮗、魚◎)

 隅田公民館主事が出題し、私がレクチャーを加えましたが、かなり盛り上がりました。私は宇和島水産高校を卒業しているため、海や魚のことについては多少知っているつもりなのでこれからも折に触れ、子どもたちにお魚や海のことについて教えてあげようと思っています。さて皆さんは何問正解だったでしょうか?。ちなみに正解1は①、2は②、3は②、4は①、5は①、6は①、7は②、8は②、9は②、10はいわし、たい、えび、さめ、このしろ、ちくわでした。

クイズを楽しむ子どもたち

  「お魚の 料理と試食 した後で、魚のクイズ 楽しく学ぶ」

  「魚偏 ◎と書いたら 何と読む 落語にあった ちくわだそうな」

  「魚偏 湯呑に書いた あがり呑み 納得しつつ お鮨をつまむ」

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〇今年第1号のお客さん

 自宅横の私設公民館煙会所、海の資料館海舟館、人間牧場と3つの施設を持っているので、全国から年間千人ほどの人が私を訪ねたり、主催事業に参加するためやって来ます。家の敷地内にある煙会所や海舟館は造作もありませんが、人間牧場は少し離れた場所にあるため、来訪リクエストが沢山あるものの、私のスケジュールもあるので、中々思うに任せません。それでもたっての希望があれば、団体は奥西経由で、知人友人ならば下浜経由で出かけています。

四国中央市からやって来た井川さんとツーショット

 昨日は2月5日に予定されている四国中央市で予定されているまちづくり講演会の事前打ち合わせのため、公民館主事の井川さんが見えられました。午前10時に道の駅シーサイドふたみで落ち合う約束だったので、10分前に出かけると既に井川さんは到着していて、立ち寄ったじゃこ天のお店で、おばちゃんたちにコーヒーの接待まで受けていました。雪で行けいないかも知れないと前置きし、私の軽四トラックに乗ってもらい、人間牧場へ出かけましたが、何とか出かけることができ、寒い時期だしストーブを焚く暇もなく1時間半余りで引き返し、再会を約束してシーサイドで別れました。

井川さんは既に「昇る夕日でまちづくり」という私の自著本を読んでいて、双海町出身の人が私にくれた、「自分のふるさとを変えないで」という手紙への、返しのくだりがとても印象に残ったと話してくれました。この本を出したのはもう20年近くも前のことなので、中身を全て覚えてはいませんが、嬉しい反応が私の心を少し揺さぶりました。と同時に来月予定の講演会は性根を据えて話そうと思いました。昨日は午後3組、夕方1組の来訪がありました。今年も忙しそうです。(早速井川さんからfacebook友だちの依頼があり、承認ボタンを押しました)

「煙会所 人間牧場 海舟館 3つそれぞれ 来訪多く」

  「講演の 事前相談 やって来た 若い主事さん 牧場案内」

  「自著本を 事前に読んで 来るあたり やる気満々 意気投合し」

  「訪ね来る 人に教えを 請いながら 成長すべく 来る人もてなす」

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人間牧場

〇使わなくなりつつある辞書類

 35年間地元の役場に勤め、その間町の広報「ふたみ」を10年間にわたって担当し、毎月2回も殆ど一人で240号のタブロイド版広報を発行しました。原稿を書くためにはまず読まなければならないし、調べなけれればならないため、色々な辞書のご厄介になりましたが、中でも国語辞典と広辞苑は手元に置き、それ以外調べ様がないので毎日のように分厚い辞書を擦り切れるほど首ったけでめくっていました。私が広報の役目を外れた頃ワープロが出始め、その後パソコンでインターネット検索ができるようになり、今では余程のことがない限り辞書を引くこともなく、辞書類は書斎の隅でさみしく眠っています。

60年ぶりの大改定広辞苑

 今日、岩波書店発行の広辞苑が60年ぶりの大改定、10年ぶりに7版出版というニュースが流れました。少しお高く分厚い辞書なので、またインターネット万能な世の中になったゆえ、1万件以上の新しい言葉が載っていると言われても、果たして買うかどうか、欲しい気持ちもありますが微妙なところです。まあこれまで散々お世話になった辞書なので、恩返しのつもりで買わなければ罰が当たるかも知れないと思いつつ、はてさてこれからの余命人生においてどれほどの必要性があるのか?とも思い、妻に相談したら、「自分が使わなくても、家族が使うのだから何を勘弁してでも・・・」と有難い理解を得ました。

 それにしても印刷したペーパー活字に触れる機会がこんなに減るとは、だれが予測くしたでしょう。新聞を除けばデジタル文字は朝から晩まで読みますが、ペーパー活字は余り読まなくなりました。人間牧場の書棚に書斎の蔵書を運んでから13年近くが経ちましたが、それほど不自由もなく、また時々調べ物をするためそれらの蔵書を再読しますが、殆どはもう紙ごみ同然になってしまいました。多分私が亡くなれば、小遣いをはたいて買ったこれらの蔵書は、息子の手によって人間牧場の空き地で燃やされたり、トラックに積んで古紙回収業者に引き取ってもらうことでしょう。嘆かわしくも寂しい気がする広辞苑7版出版のニュースでした。

 「60年 ぶりに改定 広辞苑 今は書斎の 隅でひっそり」

 「毎日の ようにつばつけ めくってた 懐かしきかな 辞書の数々」

 「ペーパーの 活字少なく デジタルの 文字が主流の 現代社会」

 「退化する はずだと納得 歳をとる 文字を忘れりゃ すぐに手助け」

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人間牧場

〇年輪

 人間牧場を造って間もなく、高知県奈半利町へ講演に出かけたご縁で、高知新聞の販売所を営んでいる坂本利男さんから、高知県馬路村産魚梁瀬杉の切り株をいただきました。駐車場の空き地に置いていたそれは一見みすぼらしい汚れた切り株でした。引き取りに行くのも遠いゆえ、坂本さんに頼んで着払いの宅配便で送ってもらいましたが、その後わが家の倉庫に一旦置いたものの、親父に「邪魔なのでのけて欲しい」と言われました。元々きり株などの細工が大好きな親父に事の来歴を話し、暇があったらテーブルにするよう話しました。「わしには無理だ」と言いながらそのあくる日から、親父はせっせと汚れを落としたり、自動カンナで削ったりしていましたが、運の悪いことに切り株に挟まっていた石片で自動カンナの刃をダメにしてしまいました。

田中大介さんから送られてきた「年輪経営」の本

 それでも何の文句も言わず10日ほど頑張って、立派なテーブルに仕上げてくれました。出来上がったテーブルは高知県馬路村魚梁瀬の千本山にあった年輪を150年も刻んだものだけに、大人3人でやっと持ち上げる重さなので、とりあえず水平線の家の板間に運びテーブルに使おうと思いましたが、偶然にもその上に座布団を敷いて落語ならぬ落伍をやることを思いつきました。そのことが縁で150話を目指す落伍ネタ本「夕日徒然草」を、既に6冊180話執筆出版してるのですから話は発展するものです。

 昨年末の12月29日に、伊予市街の味芳という割烹で、いつもお世話になっているギノー味噌の田中社長さん一家の食事会が行われ、どう言う訳か私一人が招かれました。田中さんは5人の子宝に恵まれていますが、5人とも旧広田村の山村留学で親元を小さい頃に離れた生活を経験しています。長男は既にギノー味噌に入社して製造部門の課長をしていますが、次男大介さんは東大経済学部を卒業後「かんてんぱぱ」で有名な伊那食品工業株式会社に入社して、営業ノウハウを学びながら修行中で、この3月末で修業を終えギノー味噌へ帰って来るようです。

 伊那食品は「年輪経営」を基本理念に業績を上げている優良会社です。年末の食事会で「年輪」について意気投合し意見を戦わせました。一昨日大介さんから「リストラなしの『年輪経営』いい会社は『遠きをはかりゆっくり成長』という伊那食品工業会長塚越寛さんの1冊の自著本が、メール便で送られてきました。興味があったので開封後すぐに読破しましたが、随所に影響を受けたと思われる二宮金次郎の教えがちりばめられていました。私も年輪塾を開塾以来二宮金治郎の教えに共鳴する一人なので、とても参考になる一冊でした。若い大介さんに感謝しています。ちなみに人間牧場に置いている馬路村産魚梁瀬杉の切り株を見ていると、この杉は何度か原因不明の古傷を抱えたまま成長しています。この事実も経営理念に通じるものがあるようです。

  「高知県 馬路村産 魚梁瀬杉 切り株遠い 旅して嫁入り」

  「食事会 たった一回の 出会いにて 年輪議論 忘れず一冊」

  「年輪は 積めば積むほど 強くなる 年輪教え 拳拳服膺」

  「年輪は 歴史の傷を 巻き込んで 成長すると 戒めている」

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〇白髪がいいかハゲがいいかどっち

 昨日近所の人が集まって焚火を囲みながら雑談していました。昔はどこにでもあった焚火を囲む風景も、今ではすっかり見られなくなって寂しい思いをしていますが、田舎のグランドゴルフなどをやっている小さな広場の空き地では、掃除で出た枯葉や会員が持ち寄った薪を危なくない程度燃やして、暖を取っているようでした。話の話題は会員の頭のことでした。「ハゲと白髪とどっちがいい」と、大笑いしながら他愛のない話で大いに盛り上がっていました。

 「ハゲより白髪がいい」とハゲをさげすむような話になると、頭に毛が殆どない人が、これまでの心境を語り始めました。その人は若い頃から髪の毛が少なく、今まで相当悩んだとのことで、一時は高いお金を出してアデランスというカツラを買って使っていましたが、風が吹けば気になり風呂に入れば気になりで、毎日頭のことが気になって仕方がなかったようです。でも若い頃から近視眼で、眼鏡をかけなければならなかった眼鏡コンプレックスを持っていた奥さんから、「ハゲだの眼鏡などという身体に関する、どうにもならないコンプレックスに神経を使うのはもう止めよう」と提案があって以来、ハゲをネガティブでなくポジティブにとらえるようになって吹っ切れたそうです。

 その人も今では「ハゲの哲学」を語り、「ハゲのどこが悪い。風呂に入ると頭を洗うのも造作がないし、帽子を被れば何のことはない。公麿だって本当はハゲている」とハゲたツヤツヤと光り輝く頭を撫でながら自慢していました。その説得力ある言葉にみんな大笑いをしながら納得の手合いでした。白髪の人も負けじとばかりに「わしの頭はシルクハットだ」と自慢話です。見れば焚火を囲んでいる人はみんな70歳を超えた人ばかりで、「どうりで」です。かく言う私の頭はどちらかと言うと白髪です。「親父の頭を見れば息子の将来の頭の姿が見えてくる」そうで、そろそろ髪は長~い友だちを意識せざるを得ない年齢になりました。アッハッハです。

  「お年寄り 焚火囲んで 大笑い ハゲか白髪か どっちがいいか」

  「恐れ入る ハゲの哲学 語る人 まるで自慢を しているようだ」

  「そういえば 鏡に映る 頭見て 晩年親父 似てきた感じ」

  「気にしない 年頃なった 証拠です 悩んだ昔 懐かしそうに」

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〇年賀状の当選番号で3割引きのお買い物

 成人の日の昨日は孫たちの冬休み最後の日でしたが、朝から冬としては珍しいシトシト降りの雨が一日中降りました。ゆえにツリーハウスの作業もできず、前日フジの新聞広告で調べた年賀状の当選番号を持って、妻と二人で松前町のエミフルへ買い物に出かけました。当選番号は下1桁が10%、2桁が20%、3桁が30%の割引で、運よく405番の3桁割引が一枚見つかり、気持ちよく買い物をしました。私はウォーキングシューズ、妻はスラックスズボンが目当てでしたが、土曜日を加えると3連休だし、冬休み、加えてお正月のお年玉を貰った子どもたちで、店内の店内は親子連れや成人式で着飾った若い人たちでかなり賑わっていました。

外は雨でも風でも空調施設が完備しているし、きらびやかで夢のような商品が所狭しと並んでいるので、まるで春が来たような雰囲気でした。聞くところによれば近所のお年寄りは、何を買うでもなく猛暑や厳寒期にはエミフルに散歩のつもり・体力づくりのつもりでやって来て、通行人の列に加わったりして、暇な時を過ごすのだそうです。まさに「枯れ木も山の賑わい」といったところのようです。私たち夫婦のように、自然を友として日常を暮らしている者にとって、エミフルのような商業施設の喧騒は人混みだけで疲れてしまうので、日常的には一年に4~5回といったところで、久し振りの買い物となりました。

混雑を避けて少し早めの11ぞ30分頃に、エミフル内の蕎麦屋で昼食を食べました。この蕎麦屋の蕎麦はいつものことなら美味しくいただき満腹・満足の手合いでした。その後エミフルを出て所用を済ませ、星ケ岡の温浴施設に入湯し、忙しかった年末年始の疲れを癒しました。私も妻も今日からいよいよ本格的な始動です。今年の年末年始は孫との思わぬ約束で、毎日のように寒い戸外の庭先に出て、日曜大工に明け暮れましたが、心配した風邪を引くこともなく過ごすことができました。さあ今年も歳相応で頑張らずに頑張りましょう。

「雨降って 作業ができず 年賀状 3割引きの 買い物出かけ」

  「私靴 妻はズボンを品定め 3割引きで 得した買い物」

  「人混みは 見ているだけで 疲れます 田舎者ゆえ 自然が一番」

  「年末と 年始の疲れ 温泉で しっかり取って 今日から日常」

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〇息子たちの無謀な挑戦

 真冬の寒いこの時期に、しかも夜間たった2~3人で、伊予市街から南予の大洲市まで歩くという計画を息子から聞いた時、「夏の暑い頃の涼みがてらのナイトウォークなら分かるが、馬鹿げてる。止めなさい」といい、家族全員のひんしゅくをかいました。それでも息子と公民館主事の隅田さんの決意は固く、1月5日金曜日の夜予定通り伊予市を出発したようでした。気になりながらも疲れて寝込んでしまったため朝目が覚めて孫に、「お父さんは帰ったか?」と聞くと、「まだ帰ってない」というのです。

 昼前疲れて消衰しきった息子が帰ってきました。聞けば長浜辺りで激しい雨風に遭い、少し雨宿りしたものの止む気配がないため、冷たい雨風に濡れながら遅れに遅れて10時ころに目的地の大洲へ着き、列車で帰ったそうで、帰るとバタンキューでした。子を思う親としては「何という馬鹿げた無謀な挑戦」だと思いますが、それをやり遂げた息子には、少しばかりの小さな拍手を送ってやりましたが、誉める越に入るので面と向かっては誉めるどころか、「余り無理をするな」と戒めました。

 妻は、「あなたの若い頃を見ているようだ」とか、「誰の子でしょう。似んでもいいことばかり似て」とか、開いた口が塞がらないような諦めっぽい言葉を私にしました。いつものことながらいいことは「自分似」、悪いことは「あなた似」なのです。ある部分納得しているものの、最近息子はやることなすこと私に似て来たようにも思えるのです。地域づくりと称して街中で映画祭を開いたり、カブトムシを松山空港で無償で配ったり、一銭にもならないことをまあやりたい放題です。それでも親に似て私心を捨て、地域づくりに興味を持ち、実践しつつあることは誉めてやりたいし心境です。

「この寒い 真冬の夜に ウォークする 無謀思える あえて挑戦」

  「何のため? 意味もないのに やりたいと 思うことこそ 若者特権」

  「雨風に 行く手阻まれ 雨宿り それでも濡れて 進んだ勇気」

  「馬鹿げれる やらない人は 口々に 言うかもしれぬ やった満足」

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