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〇孫の成長は早い

 上野動物園のパンダんオ赤ちゃんと同じころの、昨年6月13日に誕生した女の子の孫花菜は、その後パンダに負けないようスクスクと育ち、最近は手足をバタつかせながら、ハイハイができるようになってきました。年末から年始にかけて妻が風邪を引き、移してはいけないと思い、私も何かと忙しかったので、松山に住む次男の家へは行く機会を逸していましたが、幸いメールという優れた現代文明機器のお陰で、ほぼ一週間おきに孫の様子が写真や動画で届き、家ではパソコンを使わない妻に、タブレット端末を使って見せてやると、目を細めながら成長の跡を辿って楽しんでいるようです。

ハイハイができるようになりました

 一昨日まちづくりの仕事で北条立岩へ出かける途中、孫の顔を見ようと次男の家へ立ち寄りました。あいにく孫はお母さんのリスリング内でうつらうつらしていたようでしたが、私の押したチャイムの音で眼覚め、眠気眼で私の顔を「どこの人だろう」という手合いで見つめていました。無理もないことで、正月に会ってから約1ヶ月会っていないのですから、当然のことです。抱っこすると半泣きになるので、床暖房の上に敷いたマットにあお向けに寝かせ、寝返りやハイハイをさせようとしました。最初はきょとんとしていたのに、段々慣れておもちゃや私の腕時計に興味を持ち始め、寝返りとハイハイを披露してもらいました。

孫の成長は早いなあと、わが身に積る老いも忘れて思いました。自分では若いと思っていても、昨日ある人の告別式で久しぶりに出会った、かつての仲間は歳相応の姿でした。多分その人から見れば私も歳相応に見えたに違いありません。また今朝の愛媛新聞の文芸欄川柳に投稿している、かつての先輩にあいさつがてら電話すると、年末に大病を患い、やっと回復しつつあるようでしたが、今年88歳の米寿を迎えたそうです。この孫花菜が20歳になる頃に、私は93歳のおじいちゃんになります。子どもは日に日に成長し進化をして行くのに、私は確実に一日一日老化の一途を辿ります。これも人生です。

「一ヶ月 見ない間に 孫成長 早くも寝返り ハイハイ出来て」

 「爺さんの 顔を忘れて 半泣きの 孫を抱きしめ そこらを歩く」

 「この孫が 20になったら 93 歳の開きは これから先も」

 「進化する 孫に比べて この俺は 退化老化の 坂を下りぬ」

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〇野菜が高い

 このところの厳しい寒さで、冬野菜の値段が高くなり、例年だと安い大衆野菜の大根や白菜までが異常なほど値上がりして、世の主婦たちは悲鳴を上げているようです。こんな時は家の横に家庭菜園を持って、多少いびつでも安心安全な野菜をタダでふんだんに食べれる田舎の暮らしに、多少優越感を覚えます。そんな田舎でも秋口の天候不順で、大根も白菜もこの10年間で一番出来が悪い不作に見舞われました。

菜園から収穫した新鮮な野菜

 天気のことゆえ仕方がないとあきらめていますが、来年こそはとリベンジを誓い、春はまだ遠いのですが今年は少し早めに畑の手入れをしようと、今日は久し振りに畑に出てみました。庭のメダカ飼育壺の中に張った氷が夕方になってもまだ解けないほどの寒さだし、時折海風に乗って白い粉雪も舞はじめ、早々に農作業を切り上げましたが、ハコベ草などは寒くても伸び始め、春の近いことを知らせているようでした。

 妻に頼まれて菜園で、ブロッコリー、カリフラワー、九条ネギ、大根、キャベツ、ゴボウを収穫しました。午前中若嫁に頼まれ同じような野菜を収穫してプレゼントしましたが、今晩はこれらの野菜を使って美味しい料理が即卓に並ぶだろうと、今から楽しみです。ついでに芋坪に保管しているサツマイモも取り出したので、明日は久しぶりに芋焼き器で焼き芋でも焼いて食べようと思っています。

 「このところ 厳しい寒さ 続いてる 野菜高騰 主婦は悲鳴を」

  「田舎ゆえ 家の横には 菜園が 多少いびつだ それでもタダで」

  「人生の まるで楽園 ふんだんに 野菜食べれる 田舎の特権」

  「さあ今日は 野菜たっぷり 食卓に 並ぶであろう 夜が楽しみ」

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〇広島県尾道市因島へ(その2)

 昨年末、尾道市と合併した瀬戸田町の親友金本さんからメールが届き、「因島で講演をして欲しい」と頼まれました。金本さんとは長い付き合いで、ハートフル講座など彼のユニークな講座に何度も邪魔したばかりでなく、彼の口利きで尾道市と合併した近隣の市町村へ何度も講演に出かけているので、喜んで快諾の返信をしました。このように私には全国に沢山の仲間がいて、今もその口利きであちらこちらへ出かけているのです。

会場の玄関ロビーに張られた告知ポスター
講演会場

「当日は私も聞きに行きます」と返事をもらっていましたが、ふれあいセンターの所長さんの話では、どうやら今流行りのインフルエンザにかかったらしく、残念ながら出会うことができませんでした。私の記憶が正しければ金本さんは多分この春定年を迎える60歳のはずです。今定年を迎える人たちにとっての定年は冬の時代で、給料は55歳から抑制され、退職金も減額される上に、年金支給も基礎年金支給さえも据え置かれ、私のように自由人になることすらできず、仕方なく再雇用に甘んじなければならないようで、同情しきりです。

さて今回の講演は高齢者対象でした。ふれあいセンターの玄関先には、まるでお尋ね者の手配書のような、女性職員が作ってくれたという素敵な告知ポスターが張り出されていました。そのポスターのお陰で、会場は満席となるなど嬉しい集会でした。参加者は高齢者なので出来るだけゆっくり分かり易く話すことに心がけ、90分しっかりと話しました。日本人の寿命は今や世界一となり、百歳まで生きることも夢でなくなりました。でも健康寿命と平均寿命には7~8年の開きがあって、人生の最終章を介護もしくは要介護、しかも介護施設で過ごす人が多くなっていることも事実です。健康寿命を延ばしてニコニコ・ピンピン、最後はコロリンシャンと逝きたいものです。

「親友も 定年迎える 歳となる 冬の時代 どう乗り切るか」

 「定年後 バラ色人生 思ってた 現実厳しく 再雇用しか・・・」

 「再雇用 さえも閉ざされ 難儀する 人も周りにゃ 沢山います」

 「ニコニコと ぴんぴん生きて コロリンシャン 願っているが これが中々」  

 

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〇今日は何の日?

 毎朝書斎の机の上に置いているパソコンに向かって約1時間余り、色々なことを考えながら思うがままに、両手の指先を動かして言葉を紡いでいます。パソコンは電源を入れ自分のパスワードを入れると、画面に様々な情報が出てきます。普通は素早くブログ入力画面を呼び出し書いて行くのですが、時々遊び半分でニュースやスポーツ、オークションなども覗いて、遅ればせながら時代の流れをキャッチしていますが、時代はどんどん進化して、退化の道を進んでいる私にはため息しか出てきません。

 パソコンに画面の端に、「今日は何の日?」と書いた表示が出ています。「まあよく考えるなあ」と感心するほど毎日色々な記念日があります。今朝は気休めに開いてみると、「今日はゴールドラッシュの日」だそうです。お金に縁のない自称貧乏人の私には、ゴールドラッシュと聞いてもピンときませんが、私が少年時代に読み、私の人生に少なからず影響を受けた「ジョン・万次郎の生涯」という偉人伝の主人公中浜万次郎も、その後漂流記を読むと、流れ着いた鳥島で、捕鯨船の船長ホット・フィールド船長に助けられ、フェアフェブンで学校に通わせてもらいながら望郷の念を捨てきれず、帰国の機会をうかがっていました。

ジョン・万次郎はゴールドラッシュに沸く地に出かけ砂金取りをして得た資金でボートを買い、捕鯨船に便乗して琉球まで帰り、ボートで日本の土を踏んだのです。ゴールドラッシュと聞いてジョン・万次郎を思い出しました。自称貧乏人といいながら、またゴールドラッシュと無縁といいながら、つつましい暮らしさえすれば年金で、何とか暮らして行けるわが身を思うと、ひょっとしたらささやかながら幸せなのかも知れません。妻は相変わらず当たりもしない宝くじを買い、ゴールドラッシュを夢見ているようです。そうそう妻は昨年、ささやかながら宝くじで1万円が当たったと大喜びでした。妻にとってはゴールドラッシュでした。

「パソコンの 画面毎日 面白い コーナーありて 遊びのつもりで」

 「何気なく 今日は何の日 クリックを ゴールドラッシュ 私にゃ無縁」

 「偉人伝 読んでジョン・万 憧れる お陰で海越え アメリカ行った」

 「わが妻は 昨年末に 宝くじ 一万円で ゴールドラッシュ」

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〇キンリョウヘンのお引越し

 昨年は大不作に見舞われ、蜂蜜の収穫ゼロという結果に終わり、落胆この上ないシーズンでした。ゆえに今年こそはとリベンジを誓っていますが、冬の間にやるべきことは巣箱の製作と設置場所の見直し、それにミツバチの誘因に欠かせない日本ランキンリョウヘンのお世話です。特に大寒に入ったこの時期にはキンリョウヘンを、昨年同様冬の寒さから防寒して、一日でも早く花を咲かさなければなりません。そのため家の裏のラン置き棚からキンリョウヘンをハウスの中へ取り込まなければなりません。

キンリョウヘンの棚置き場は空っぽになりました

ハウス内に取り込んだキンリョウヘン

 独学なので時期的にいつがいいのか分かりませんが、余り早過ぎるとランが弱るので、昨年同様大寒に入ったこの時期を選び、昨日20鉢ほどのキンリョウヘンを、1鉢づつ少し離れたビニールハウス内にとりあえず取り込みました。ビニールハウスはトマトの苗を促成栽培で2月末に植える予定なので、ハウスの隅にアルミスチールを下敷きして、その上に置きました。ビニール内の室温に慣れたら、草を引いたり肥料を施して、花が少しでも早く咲くよう世話をしたいと思っています。

 日本ランのキンリョウヘンは、日本ミツバチが好んで集まる大事な道具です。私のミツバチの師匠である西予市野村町山奥組の井上登さんに、毎年切り花を届けてもらい対応してきましたが、出来るだけ自立をしようと、1鉢を2鉢に、2鉢を4鉢にと株分けしたお陰で、既に20鉢を越えました。仮にこの鉢のキンリョウヘン全てに花が咲けば、井上師匠の力を借りずに養蜂ができることになります。はてさてそんなささやかな夢を叶えたいと思う今日この頃です。今日も一段と冷え込んで、東京では大雪混乱とか・・・。やれやれです。

  「大寒の 寒さを除けて ハウス内 取り込み花を 咲かせる算段」

  「植物に 冬の寒さを 覚えさせ 春が来たぞと 目覚め促す」

  「昨年の 完敗徹を 踏むまいと 綿密作戦 冬の間に」

  「日本ラン キンリョウヘンを 株分けし やっとここまで 努力賜物」

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〇二宮金次郎の銅像との出会い(その1)

 私はひょんなことから二宮金次郎と深くかかわるようになりました。そのきっかけは小学校2年生の時、母校下灘小学校の校庭に建っていた「二宮金次郎の銅像」を見て、「金次郎さんは何の本を読んでいるのだろう?」とふと考えるようになったことです。ある日その衝動を抑えきれず、背の高さ以上もある台座の上に難儀をして登りました。運悪くそこを通りかかった校長先生に見つかり、「危ないから降りてこい」と叱られ、金次郎が手に持っていた本を見ることもなく渋々下りて、校長室へ連れて行かれました。べそをかく私に校長先生は、「あんな危ない所へ何で上がったのか!!」と問い詰めました。私は「金次郎さんが何の本を読んでいるか知りたかったのです」と答えると、「馬鹿たれ、あの本には『いろはにほへと』と書いている」と言われ、それから約1時間校長室の板間でお仕置きの正座をさせられました。

かつて下灘小学校にあった金次郎の銅像
讃岐幸治先生から頂いた金次郎の銅像

 その後長い年月を経ても、「金次郎は何の本を読んでいるのだろう」という私の素朴な疑問は消えませんでした。30歳を超えたある日、愛媛県内で一番古い100年の歴史のあるわが町の翠小学校の校庭に建っている金次郎の銅像を見て、再びその疑問が蘇り、校長先生の許しを得て台座の上に上がり、左手に持った本を見て驚きました。その本には「いろはにほへと」など書いておらず、「一家仁一國興仁 一家譲一國興譲 一人貪戻一國作乱 其機如比」と26文字の感じが、ずらずらと書かれていました。浅学な私に読めるはずはなく、紙と鉛筆で拓本を取り校長先生に読んでもらうよう頼みましたが、残念ながら校長先生も読めませんでした。わが町には当時5つの小中学校があったので、早速各学校の校長先生宛に「読んでくれませんか」とFAXを送りましたが、読めないとの返事でした。仕方なく県教委の国語の指導主事の先生に送ったところ、これが中国の古書「大学」であることが分かったのです。

 その後大阪梅田の古書外の店先で、偶然にもノジが抜き古ぼけた「大学」という袋綴した本を見つけて舞い上がり、1万円の値札だというのに5千円に値切り手に入れました。大学どころか寺子屋へもロクに行っていない金次郎が蛍の光窓の雪を明かりに独学で大学を学び、後の人生の支えや心の戒めとしたことは大きな驚きです。私たち年輪塾の調査によると愛媛県内には現在182体の欽次郎像があり、全国には数えきれないほどの像があるにもかかわらず、その存在や意味すら忘れられようとしています。私の持っている小さな像は長年懇意の愛媛大学名誉教授讃岐幸治先生から頂いたもので、さしずめ県内では183体目の銅像ですが、生きた時代こそ違え、近江聖人中江藤樹もまた伊予大洲藩風早の地で、「大学」と出会い志を立てているたのですから、私のような凡人こそ大学や二宮金次郎の生き方にもっともっと学ぶ必要があるのです。

「わが母校 灘校ですと 言ったなら えっ?と驚く 下灘小中」

  「わが母校 運動場の 隅に建つ 金次郎さん 上がって怒られ」

  「わが母校 金次郎さん 今はなく 野口英世に 替わって久しく」

  「わが母校 金次郎さん 今どこに? 腕折れゆえに 写真のみしか」

 

 

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〇今日21日はお接待の日

 このところ妻が風邪を引いて調子が良くないため、何かにつけて不便です。妻は普通近くの歯科医院にパートで働きに出ていますが、従業員の少ない医院ゆえ、妻が休むと医院が回らないため風邪を引いたくらいで休むこともできず、また1週間に月曜日と金曜日には夕方の部もあって、そのためいつものことながら回復が遅れてしまうのです。今日は21日お大師さんの日で、家の入り口付近にあるお地蔵さんの縁日でした。

パックに詰めた赤飯

 わが家では毎日21日にはお赤飯を炊いてお供えしたり、近所や親類に配るお接待をもう30年以上にわたってやっていて、毎月21日の前日になると、もち米を水洗いしてかしたり、小豆を茹でたりして準備をします。昨日は地域実践交流集会南予ブロック会があって出かけるため、出かける前にもち米の玄米を近くの自動精米所へ約10㎏を測って持って行き、精米をして帰ってから出かけました。夜遅く帰宅すると妻は風邪気味ながら毎月のようにもち米を研ぎ、小豆を茹でて準備万端していました。

今朝はウォーキングから帰ると、妻がガス釜にもち米と茹でた小豆を入れて炊こうとしましたが、あいにくガス釜の調子が悪く火がつかないと書斎へ呼びにやって来ました。外に出て何度かアタックするとガス釜に運よく火が付き、20分ほどで炊き上がりました。炊き上がった赤飯を神棚や仏壇、お地蔵さんに供えたのち、20余りのパックに詰めてまず近所へ、そしてその後いとこの3回忌と七回忌法要に出かける途中で無事配り終えることができました。

 毎月お接待の21日が来るのが、やたらと早く感じるようになったと妻が言うように、私も加齢とともにそのような感じがしてなりません。これから何年続くか分かりませんが、これからも気力と体力の続く限りお接待は続けようと妻と話していますが、健康あってのものだねなので、健康に注意をして頑張ろうと思っています。

  「早来たか 21日 そう思う 今朝も赤飯 炊いて接待」

  「お隣の 90過ぎた おじいさん 赤飯配る 私に手合わせ」

  「妻が風邪 日頃は何も しないのに 今度ばかりは 米つきバッタ」

  「ああ今日も 接待すんで ホッとする 近頃日々が あっという間に」

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○週末は何かと忙しい
現職を退職して13年になります。退職するとサンデー毎日になるはずでした。ところがところがです。全国講演を含めると毎日が忙しく、まるで月月火水木金金のサンデー毎日です。特に週末は3つも4つもの会合が重なり、正直戸惑っています。今日も内子町と松山市、それに西予市での会合が重なりましたが、開会のあいさつをしなければならない役割もあって、結局は西予市にある歴博が会場の第2回地域教育実践南予ブロック交流集会に参加しています。今夜は懇親交流会もあるので、帰りは遅くなりそうです。

 

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〇指がしもやけになりました

今年は例年になく年末年始の気温が冷たかったのか、あるいは年末年始にかけて庭の隅に孫のリクエストに応えてミニハウスを造るため、何日も戸外で作業したためか、理由は定かではありませんが、両手の指が少し腫れてむずがゆくなっています。どうやら子どもの頃によくなったしもやけのような気がするのです。暖房器具や衣類の整っている現代に、しもやけができるなんてと最初は信じられませんでしたが、風呂上りにメンソレータムを丁寧に塗ったお陰で少し快方に向かっているようです。

冬休み期間中私と一緒に戸外でミニハウスを造る作業をした2年生の孫奏心の手を見ましたが、しもやけにはなっておらず、環境に順応できなかったのはどうややら私だけのようでした。聞くところによるとしもやけはビタミン不足も影響しているようですが、わたしはみかんが大好きで毎日食べているので・・・?、う~ん、原因は分からずじまいです。まあ5度以下の気温の戸外で長くいることは極力避けてたいと思っていますが、明日は一年中で最も寒くなる大寒の入りです。妻は既に風邪を引いているので、うつらないよう気を付けます。

しもやけになった手の指

 

 

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〇灘町海岸の清掃ボランティア

 シーサイド公園のすぐ隣に灘町海岸という小さな砂浜があります。シーサイド公園の砂浜がバーベキュー禁止のため、夏になると沢山のキャンパーが訪れ、バーベキューを楽しんでいますが、今は訪れる人もなくひっそりとしています。この時期は北西の季節風が漂流物ゴミを打ち上げ、美観を損ねています。年末に地元の灘町区民が掃除をしたものの、またまた大量のゴミが打ち寄せました。

海岸でゴミを拾う子どもたち
沢山拾いました

 先日子ども体験塾の折、ワンチャンスボランティアとして、子どもたちが寒い灘町海岸に出て、プラスチックゴミを中心に清掃活動をしてくれました。まああるわあるわで、あっという間に用意したゴミ袋がいっぱいになりました。集めたプラスチックゴミはみんなが手で、地域事務所のゴミストッカーまで難儀しながら持ち帰り処分することができました。昨日外出のついでに灘町海岸に降りて、持っていたゴミ袋に5つほど一人でゴミを拾い、自宅まで持ち帰りました。次のプラゴミの日に出そうと思っています。

 海岸に流れ着くゴミは相当な量ですが、いつも思うのはゴミの中に人間が捨てたゴミ、しかも燃えないゴミが大量にあるのです。どこかで誰かが無意識のうちに捨てるゴミは、人間の力で除去する以外方法がないのです。ゴミは美観を損ねるだけでなく、海は生物が沢山住んでいるので、誤って食べたりする生態系への影響も心配です。人間は暮らしを便利にするため知識を使って色々な物を作りますが、下手をすると回り回って、地球を汚して自分たち人間の首を絞めてしまい、取り返しのつかないことになってしまいます。海岸の掃除をする度に考えさせられます。ゴミを拾う人は捨てないのであれば、ゴミ拾いをしてくれた子どもたちは、これからもゴミを捨てない人間になることでしょう。

 「海岸の 打ち上げられた ゴミの山 いつものことだが 心が痛む」

 「ナイロンや プラスチックは 人間が 便利な暮らし するため作る」

 「このゴミを 海の生き物 ひょっとして 餌と間違え 食べると大変」

 「大人捨て 子どもが拾う 何でだろう 大人の私 顔を赤らめ」

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