人間牧場

○道後公民館そして妻鳥公民館

昨日は2つの公民館を渡り歩きました。若い駆け出しの頃、地元双海町の中央公民館に13年間の長きに渡って勤めた経験があるので、公民館はどこへ行ってもまるで我が家のように心が安まるから不思議です。それでも自分が講演会を企画し講師を迎えたり参加者を募ったりする側から、講師として招かれる側になるのとは立場が逆転して大違いです。昨日は道後公民館で高齢者に生きがいづくりを、妻鳥公民館では一般市民にまちづくりをそれぞれ90分ずつお話をしました。いずれの公民館も沢山の人が時間通りに集まり大いに盛り上がりました。

道後公民館
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人間牧場

○ミュージカル二宮金次郎の公演前座(その2)

ミュージカル二宮金次郎の前座は僅か10分です。前5分は年輪塾塾長の私が金次郎の小さな銅像と中国の古書大学を手にして喋りました。その後皆で楽団伴奏に合わせて金次郎ソングを、観客を交えて歌いました。全員がこの日のために作ったワインレッドのブルゾンを着て、晴れやかに歌いました。

私は5分間のお喋りがあるので、みなさんのリハーサル風景をタブレット内蔵のカメラで撮りました。多分この写真は誰も撮れなかった貴重な思いでのアルバムになりそうです。早速私のブログにアップした写真を見て、高知県馬路村の木下さんが携帯でコメントを送ってくれました。ちなみに私のPCはただ今故障中で、タブレットでの投稿となりました。

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人間牧場

○ブログ発信ができません

PCが故障したため、毎朝書いているアメーバブログとワードプレスブログを書くことができません。10年余り毎日休むことなく2本のブログを書いてきましたが、ポジティブに考えれば「少し休め」と言うことかも知れません。愛読者の皆さん、悪しからずご容赦ください。

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人間牧場

○PCのインターネットに接続できない

今日は昨日の疲れが残っていたのか?、いつもより30分も寝過ごして、5時30分に目が覚め、ウォーキングから帰ってからのブログ書きとなりました。アメーバブログを書き終え、朝食を済ませ子供体験塾の集合時間に間に合うよう7時50分に自宅を出て、集合場所の翠小学校へ向かったため、ワードプレスブログは、帰宅後夕方からの書き込みになりました。ところが私の焦る心を見透かしたように、PCのインターネットがつながらず、結局タブレット端末での書き込みとなってしまいました。残~念ですが、今日は書きたかった昨日の金次郎ミュージカルの話題は一日遅れの明日にします。

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〇木彫りに挑戦

 私は木とか石とか、自然が長年かかけて作り上げてきたものに興味があり、特に一年にひとつずつ年輪を刻んだ木の木目板や、天を覆うように枝葉を伸ばす大木を見ると、自分の短い人生を重ねながら、その土地にしっかりと根を張り、風雪に耐えて生きてきた木々の凄さに敬服するのです。ゆえに自らが主宰する私塾の名前を年輪塾としたり、高知県奈半利町に住む坂本利男さんからいただいた、150年生の高知県馬路村産魚梁瀬杉で造った台の上に座って、落語ならぬ落伍を演じて、集まった人たちを笑わせています。

坂本さんから貰った魚梁瀬杉の端材
チェンソーで腐った部分を切り落としました

 10年ほど前、その坂本利男さんから魚梁瀬杉で造った木製盛り皿をいただきました。今も特別な料理にだけ大切に使っていますが、その折「暇ができたら何かを作って」と、50㎝四角の魚梁瀬杉の端材をいただきました。その頃は忙しく倉庫の隅に置いたままにしていましたが、昨日孫たちのために造ったミニハウスの看板を造るべく倉庫に入ると、その端材が目に留まりました。看板を造るため自動カンナなどを出していたので、思い切ってその端材をチェンソーで腐ったり劣化している部分を切り落とし、チェンソーで切り目を入れて、ノミと金槌で彫り始めました。端材は杉と言っても年輪がまるで雲のように込み合い、一筋縄ではいかないようでした。

 坂本さんから貰った木製大皿などには及ぶべきもありませんが、これから1年くらいをかけ、暇を見つけて彫って行こうと思っていますが、不器用を自認する私ゆえ、はてさてどうなることやらです。こんな時になるとついつい3年前に亡くなった、器用だった親父のことを思い出し、時すでに遅しながら「生きていたら助けてくれたのになあ」としみじみ思いました。倉庫を改造した家の離れ「海の資料館海舟館」には、親父の遺品がこれでもかというほど、ずらり並んで残されています。私の物などあっても、必ずどこかに親父の手が加えれれているのです。この歳になったので、少し親父の真似事でもしましょうか。

 「高知県 馬路村産 魚梁瀬杉 端材貰って 倉庫眠らせ」

 「高知県 友人貰った 木の器 不器用ながら 見よう見まねで」

 「チェンソー 自動カンナを 使い分け 木彫り挑戦 どうなることやら」

 「ありそうで なさそう時間 使い分け 今しかできぬ やりたいことを」

 

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人間牧場

〇畑の草取り作業

 家庭菜園で野菜を作るようになって一番嬉しい季節は冬です。白菜やキャベツなどの葉物野菜に加え、カブや大根の収穫ができることもさることながら、雑草に追いまくられなくて済むからです。しかしそんな束の間の楽しみも、立春を迎えるこの時期になると既に終わりに近づき、早くも畑ではハコベ草などがはびこり始め、ほおっておくと作物を覆ってしまうほどになるのです。

今年初めて作付けしたニンニク
玉ネギ畑
美味しそうな雪のように白いカリフラワー

 昨日は風もなく比較的穏やかな日和だったので、午後畑に出て玉ネギとニンニク畑の草を引きました。玉ネギもニンニクも植えてから収穫するのに7か月以上もかかる息の長~い作物ですが、今年は植えて間もなく振り撒くはずの除草剤を撒かなかったため、例年より草が目立ち中腰での作業は、冷たい外気温で指先がかじかみ、思うほど進みませんでしたが、何とか玉ネギとニンニク畑の草を取りました。

除草が終わった畑に肥料を万遍なく撒きました。豚糞や牛糞などの有機肥料を撒いて中耕したところに植えていますが、化学肥料も追い肥としてこれからの成長にには欠かせないと聞いていたし、2月中旬を過ぎて追い肥をやると玉ネギにトウが立って、玉ネギが固くなって食用に適さなくなるとも聞いているので、今年最後の追い肥です。

 畑の中ではブロッコリーやカリフラワーが収穫期を迎えています。ブロッコリーの深い緑とカリフラワーの白色は、食卓に彩を添えてくれます。マヨネーズや胡麻ドレッシングで食べても美味しいし、チーズフォンやシチュウー具材としてもよく使います。そろそろ大根を特製ケンツキ器で短冊にして、干して作る切り干し大根も作らなければなりません。そろそろジャガイモの植え付け準備も・・・と、楽しくも少ししんどい農作業を思いながら過ごす今日この頃です。

「山は雪 だけど畑じゃ 雑草が 早くも伸びて 尻に火が付く」

  「玉ネギと ニンニク畑 中腰で 草取り作業 指先かじかむ」

  「ブロッコリー カリフラワーを 収穫し 食卓鮮やか 彩添えて」

  「手伝って くれる人なし 菜園の 野菜収穫 あちこち配る」

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〇原稿を書く・送る

 3日前、上灘漁協女性部の松本洋子部長さんから、「原稿を書いて」と依頼を受けました。聞けば昨年農漁業改良普及員のOBさんが双海町へ視察研修に来た折、松本部長さんに頼まれて同席してこれまでの経緯を私が話したことを覚えていて、古い顔なじみの世話役さんから「詳しいことを後ほど書いてください」と頼まれましたが、「そんな暇はない」「原稿を書く能力がない」「私はもう古い」などと言いがかりをつけて断っていたのに、相手は書いてくれるものと信じていたらしく、あれやこれやごねた挙句、結局熟年女性の口車とパワーに寄り切られて、しぶしぶ書くことになりました。

 私は原稿依頼をため込むと苦痛を感じるたちなので、早速一昨日は書斎にこもってA43枚の原稿を書き上げ、松本部長さんに「修正があれば直しますから」と言って手渡しました。頼んで間もない早書きに驚いた様子でしたが、昨日の朝松本部長さんから「年間売り上げ高」の一部修正と、「メール便で送りたいのでメールアドレスメモをじゃこ天のお店に取りに来て送って欲しい」と外出先へ携帯電話がかかってきました。昼前帰宅途中メールアドレスメモを貰いに行き、原稿修正して送ろうとしましたが、私の新しいパソコンではどうしても添付ができず、結局夕方仕事を終えた公民館の隅田さんに助け舟をしてもらい、発送してやっと役目を終えました。

 私は毎日毎朝2本のブログを書いてアップしています。私のブログは少々長文なので毎朝1時間余りかけて、日々の出来事や思いを書いていますが、原稿書きはそれとこれとはまた別問題で、中々大変です。でも毎日のブログ書きが知らず知らずのうちに自分の書く能力を高め、原稿の出来不出来は別問題として、相当スピーディになりました。これも日常訓練のお陰だと思っていますが、どうやら「原稿を書いて」と頼む人たちは、「原稿はお湯を掛けたらすぐできる」くらいに思っているのでしょうが、1日に1,600字×3枚=4800字の原稿書きは中々骨が折れるものなのです。昨日はその余力で2000字のもう一本の原稿を殆ど書き上げ、寒い冬ゆえ書斎にこもって充実した1日となりました。

 「原稿を 書いてください 依頼され ごねた挙句に 押し切られたり」

 「原稿は お湯を掛けたら すぐできる 思っているふし ありあり見えて」

 「ため込むと 発想力が 湧かなくて 拙文ながら 早く仕上げる」

 「新しい パソコンゆえに 原稿を 送る方法 分からず手助け」

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〇手編みの帽子が届く

 昨日の夕方外出先から帰宅すると、郵便局員さんが宅配便を届けに来ていて、学校から帰ったばかりの孫二人が宅配便受け取り用のシャチハタ印を、電話台の引き出しから取り出して受け取ってくれていました。送り主は松前町に住む私の従姉妹からでした。その後双海中学の学校評議員会に出席して帰宅すると、仕事から一足先に帰った妻が、宅配便を開けていて、バッグ3つ、毛糸の帽子2つ、ネックオーマー1つに手紙が添えられていました。

ノジが抜き穴の開いた毛糸の帽子
洋子さんが編んでくれた帽子とネックオーマー

私には父親・母親につながる沢山の従兄弟・従姉妹(いとこ)がいます。この度手作りのバッグと手編みの帽子やネックオーマーを送ってくれた洋子さんは、松前町に住んでいる中の良い同級生です。子どもの頃は悪ガキだった私ゆえ、学校で先生に怒られたり立たされたりすると、同級生なので親に知らされ余り好きではありませんでしたが、そんな思い出も消えてからは家族ぐるみの付き合いとなり、今では同級生ゆえ特に親しくなって、私のブログの愛読者にまでなってくれているのです。

先日下灘の軽トラ市に農作業の服装のまま出かけた折、帰る途中で妹の経営するくじらというお店に立寄りました。私の被っていた穴の開いた毛糸の帽子を見て、「進兄ちゃん、そんな破れた帽子は恥ずかしいから止めたら」と言われました。そういえば私の被っていた毛糸の帽子は、指2本も入るような大きな穴が開くなどノジが抜き、お払い箱にしてもいい見すぼらしいものになっていました。格好など我関せずながら、「それもそうだ」と思っていた矢先の以心伝心のプレゼントに大喜びをしました。

早速今朝は破れた帽子とおさらばして、洋子さんが手編みして送ってくれた毛糸の帽子にネックオーマーという暖かい出で立ちで、朝のウォーキングに出かけました。手袋は先日高松市に住む親友の溝渕雅子さんが送ってくれた手袋でした。今朝も外は氷点下に近い寒さでしたが、お陰様にて冷たさをしのぐことができました。これも幸せというのでしょう。洋子さん、雅子さんありがとうございました。今日も私は元気です。(早速お礼の電話を昨晩入れましたが、洋子さんはあいにく入浴中で、ご主人と短いお話をしました)。

「その帽子 穴が開いてる 恥ずかしい 止めたらどうか 妹言われ」

  「そういえば 指の2本も 出る穴が 開いていました それでも温い」

  「嬉しいね 以心伝心 宅配便 帽子届いて 早速今朝は」

  「プレゼント 毛糸の帽子 手袋で しっかりガード ウォーキング出る」

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〇大型木製ケーブルリール

 先日松山の設計事務所に勤めている息子から、「大型の木製ケーブルリールを貰えるのだが・・・」と電話連絡がありました。とっさにリールの様子は想像できましたが、はてさてどこへ置けばいいのか迷いながら、孫たちのために最近庭に作ったミニハウスの傍に置いて、遊ぶための机にしたらどうか思い立ち、譲り受けることにしました。早速仕事が休みだった息子は、昨日軽四トラックで出かけたようで、外出先から帰ってみるとわが書斎前の庭に大2つ、中2つの計4つがデンと置かれ、折から降り出した雨に濡れていました。

 大型木製ケーブルリールは横倒しにすれば、ただ置くだけで格好のアウトドア―机になりますが、わが家の敷地は660坪もあって置き場に困ることはないものの、それでも風雨にさらせるとすぐに朽ち腐ってしまうので、防腐剤は塗るもののはてさてどこへ置くか、息子や孫と相談して置き場所を決めねばなりません。一番大型の1個は人間牧場へ持ち込んで使おうと思っているので、早速今日にでも善は急げとばかりに運んでおこうと思っています。

 大型リールの円盤はよーく見るとまるで人面にそっくりで、留め金のボルトが目に見え、口のようなくぼみもあって、人が笑っているようにも見えると、孫が見つけてはしゃいでいました。妻は「また変な物を貰って来た。片付かない」と、親子二代にわたる変人ぶりを見て、笑いながら呆れ返っていました。今は寒く戸外でのパーティなどできませんが、春から秋にかけてこのリールを最大限活用して、孫たちとアウトドア―の活動を楽しみたいと思っています。

  「わが息子 誰の子どもか 知らないが いつの間にやら 親と同じに」

  「軽四に 積んで帰った リール見て はてさて思案 生かす手立てを」

  「こんなもの 捨てる運命 可哀そう 勿体ないと 命再び」

  「ここが口 ここがお目目と 孫が言う 頷きながら 家族微笑む」

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人間牧場

〇もしも体中が顔のような皮膚だったら・・・

 毎朝歯を磨いたり顔を洗うため洗面台に向かいます。水道の蛇口をひねり、まるで氷水のような冷たい水を手ですくって顔を濡らすと、それまで起きているのに眠っていたような体が、いっぺんに目覚めシャンとします。そんな時顔の皮膚の強さを無意味なことながら時々思うのです。私のささやかなお宝である何人かの人に貰った葉書の中に、冒険家として北極まで歩いて行った河野兵市さんから頂いた一枚があります。時にはマイナス50度近くまで下がる北極に再び挑んだものの、氷の割れ目に落ちて残念無念ながら帰らぬ人となりましたが、何度か出会った時面の皮の話になって大いに盛り上がったことを覚えています。

痛みかけた毛糸の帽子

 あれほど寒くても人間の顔は服を着せなくてもへっちゃらなのです。「もしも体中が顔の皮膚のようだったら、服を着なくても冬でも大丈夫では・・・」ととてつもなくバカなことを話したら、河野さんも同感だと言ってくれました。今年の冬は殊の外寒く、寒さに弱い私などはヒートテックの肌着をユニクロで買ってもらって、厚着をして耐えていますが、これほど医学が進んだ時代ですから、顔の皮膚をIPS細胞などで増殖し、体中に移植すれば、ストーブを焚いて二酸化炭素を振り撒かなくても済むのになあと、訳の分からぬことを考えていますが、こんな愚かな考えをするのは私だけでしょうか?。

 「♯犬は喜び庭駆け回り 猫はコタツで丸くなる~♭」。ご存知童謡「雪やこんこん」の一節です。最近は犬や猫をペットとして家の中で買う人が増えてきました。聞くところによると最近は犬の数より猫の数の方が多く逆転したようですが、寒さに弱い猫は別として、犬は寒い雪の中でも元気に走り回ります。南極に置き去りにしたタローとジローが酷寒の南極で生き延びた南極物語の感動シーンは忘れられませんが、最近は犬も過保護で服を着せて散歩している姿をよく見かけるようになりました。人間も過保護になって、そのうち顔にも服を着せることが流行る時代が来るのかも知れません。嘆かわしい世の中です。

  「朝顔を 洗う姿を 思う度 顔はどうして 寒くないのか」

  「もしもです 体全体 面の皮 覆い被せば 服を着なくも」

  「バカなこと 考える暇 あったなら もっとましなこと おやりなさいよ」

  「吉宗の 時代のようだ 犬や猫 服を着せられ 暖房の部屋」

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