人間牧場

〇彼岸の入り

 今日は彼岸の入りです。2日前人間牧場の農場内に植えているシキビの木に登って枝を切り、お墓参りの準備をしました。自分の家の墓地は勿論のこと、妻の実家の墓地にも供えなければならないので、シキビはかなりの量が必要ですが、お陰様にてお店で買うこともなく自給できるのですから有難いことだといつも思います。自宅の墓地へは前日、妻と二人で出かけて掃除とお参りを済ませていたので、昨日は午後から夫婦揃って妻の実家のお墓参りに出かけました。

 昨日は北東の風が吹いて、前日の温かさから一転寒さを感じる一日でしたが、天候も回復して抜けるような青空でした。妻の実家の墓地は八幡浜の市街地や八幡浜湾を見下ろす見晴らしの良い場所にあります。臨済宗妙心寺派の大法寺は墓地も広く、何人もの彼岸参りの見知らぬ人と、「こんにちは」「今日は少し肌寒いですね」などと声やあいさつを交わしながら、青石畳の急な坂道を墓地に向かって登りました。2年前に義兄が亡くなっているので、最近は多かった仏事の度に足繁く訪れているので、墓地内はそれほどの掃除もなく、古いシキビを抜いて持参した新しいシキビに取り換えて水を注ぎ、線香を手向けてねんごろにお祈りをしました。

墓地から見える昨日の八幡浜湾

 妻は4人兄弟の3番目の長女ですが、義兄と義妹は既に他界し、2番目の義兄も義兄の妻義姉も病気がちで入退院をしているので、実家に立寄り少し世間話をしてお暇しました。妻と結婚したのは昭和46年ですから、あれからもう47年が経ちました。若かった私たち夫婦も古希を過ぎ、否応なしに老域に入ろうとしています。健康寿命を延ばそうと日々頑張って生きていますが、これまでの人生がこれからを決めるのではなく、これからの人生がこれまでを決めるのだと思い、「意を強くして生きて行きたい」と今は亡き義父母の墓前に誓いました。

 「今年も 春の彼岸が やって来た 墓地に供える シキビを用意」

 「わが家墓地 妻の実家の 墓地用に シキビどっさり 自給助かる」

 「いつのまに 周り縁者も いなくなり 墓地は賑やか 周囲寂しく」

 「線香を 田向け両手を 合わせつつ 強く生きると 先祖に誓う」

 

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人間牧場

〇送られてきた掲載資料と掲載雑誌

 先日私の元へ、佐賀県で開かれた「全国過疎問題シンポジューム報告書」と、「通信文化」という雑誌が相次いで送られてきました。報告書はパネラーとして登壇して発言した内容がテープ起こしされて掲載されていました。雑誌「通信文化」は約2時間にわたって郵政省四国支社で講演した内容が、同じくテープ起こしされて掲載されていました。いずれも事前にゲラ原稿としてメールで私の元へ校正して欲しいと送られてきているので内容は確認済みなのです。

通信文化という雑誌
全国過疎問題シンポ報告書

 いつものことながら話し言葉を書き言葉にすると、どこか違和感があって、特に方言丸出しで喋る私としては、テープ起こし下記事は直し始めると全て直さなければならないので、いつものことながら文字校正程度でお茶を濁していますが、活字になった文章を手に取って読むと、「しまった」と思える箇所が何か所も見つかり、やはり後の祭りとなりました。中でも「通信文化72号」は表紙を見てびっくり仰天しました。

 何と何と目次ならまだしも表紙絵の上に、「特集」「岡野裕基金記念講演会シリーズ」「新しい発想で生きる」「若松進一」という文字が印刷されていて、赤面この上ない恥ずかしさでした。「印刷された文字は直しようがない」とは、かつて10年間で240号(月2回)もの長い間、広報マンとして「広報ふたみ」を書いた苦い経験のある私のけだし迷言ですが、今回もやはり後の祭りでした。聞けば「通信文化」という雑誌は全国の郵政省関係の部署に配布されるそうで、庶民一般の人の目に触れることもないようなので、多少救われますがそれにしても赤面の面持ちでした。

  「過疎シンポ 講演などが 載っている 資料や雑誌 手元に届く」

  「おそらくは 全国あちら こちらへと 届くであろう 赤恥承知」

  「まあ何と 表紙絵上に わが名前 見つけてびっくり 消すすべもなく」

  「まあいいか この歳ゆえに 諦める 物好きな人 読んだと手紙」

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人間牧場

〇デコポンをいただきました

 この一週間は春としては珍しく雲一つない好天に恵まれ、遅れていたコンニャク芋の植え替えや野菜を植える農作業も順調に進み、切り干し大根も取り込んで、未明に降り始めた雨も骨休めのような気持ちで迎え、少し心に余裕が出てきた感じです。昨日は待ちに待った桜の開花の知らせが高知からありました。開花一番乗りを目指して活動している宇和島市のことを思うと、少々残念な気もしますが、まあベストワンもナンバーワンも大事ながら、オンリーワンだと思って桜の開花を待ちたいと思います。

ドンと一箱いただきました

 昨日はコンニャク芋の植え付けに人間牧場へ行きましたが、人間牧場の河津桜は既に満開で、千本桜の森づくり事業で植えた標準木の枝垂桜もスモモの花も花芽が相当膨らんでいて、今日か明日にも開花するようで、目が離せないワクワクした日が近づいて来ました。昨日は人間牧場の入り口付近に住んでいる、お隣さんである西嶋さんの奥さんがやって来て、少し長い立ち話をしました。先日同居している若い奥さんを病気で亡くしているだけに悲しみも一入で、悲喜こもごものお話でした。

 「帰りにデコポンを差し上げるのでお持ち帰り下さい」と嬉しいお話でした。弁当も持たず農作業をしていたので、早目に切り上げて午後2時ごろ西嶋さんの自宅に立寄ると、立派なデコポンがキャリーに一箱庭先に言われた通り置かれていました。軽四トラックの荷台に積んで持ち帰りましたが、大好物のデコポンを見て妻は大喜びで、早速二人で大きなデコポンの皮を剥き、庭先の縁側に座ってのんびり美味しくいただきました。今日からわが家は贅沢にもデコポンとキャベツの「朝フル」です。 

 「高知から サクラ開花の 風便り 一番目指した 宇和島残念」

 「牧場の 枝垂桜や スモモ花 蕾ふくらみ 間もなく開花」

 「デコポンを ドサッと一箱 いただいた さすが産地だ 甘くて美味い」

 「今日からは デコポン食べて 朝フルだ ささやかながら これも幸せ」

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人間牧場

〇思わぬ蜂蜜

 昨年は蜜蜂を飼い始めてこの方、うなぎ登りで絶好調だった蜂蜜がまったく収穫できずゼロの状態となりました。何が原因かはまだ不明ですが、前年一升瓶で25升も採った浮き浮き気分からの、奈落の底に落とされたような失意は、言葉では言い表せられない悔しさでした。近所で蜜蜂を飼っている人たちも同じような悲哀をなめたとの話を聞いて、多少気は休まりましたが、「何故蜜蜂がいなくなったのか?」という原因も掴めていないだけに、やがて花の季節とともに始まろうとしている蜜蜂の活動期や、蜂蜜のことを思うと、春になると上がるテンションも今一といったところです。

収穫した蜂蜜

 昨日コンニャク芋を掘るため人間牧場へ向かいました。何気なくコンニャク芋畑の上付近に置いている蜜蜂の巣箱を見ると、先日の大風で横に倒れて無残な姿になっていました。早速巣箱に近づいてみると、箱の中にはまだ蜂蜜の入ったままの蜂の巣があって、横倒しになった衝撃で巣が崩れ中から蜂蜜が流れていました。急いで水平線の家の台所から少し大きめのアルミ鍋を持ち出し、蜂蜜を含んだ巣を丁寧に取り出しました。指に着いた蜂蜜をなめてみましたが、純度の高い蜂蜜のようでした。昨年は蜂蜜採集ゼロだと思っていたのに、多分手応えからすると5合くらいはあるようで、思わぬ天の恵みに感謝するとともに、今年はいいことがあるかも知れないと、良い予感を感じさせました。

 早速採集したミツバチの巣を自宅に持ち帰りましたが、垂れ蜜作業で蜂蜜を採りたいと思っています。5合あれば蜂蜜を常食している妻が一年間に食べるくらいはあるようです。今朝宅配便で、息子がインターネットで購入した、巣箱に塗る蜜蝋が届きました。これまでは蜜蜂の師匠である井上さんから頂いた蜜蝋と、自分が作った蜜蝋を塗ってしのいでいましたが、これで何とかシーズンに間に合いそうです。ハウスの中に取り込んだ日本ラン・キンリョウヘンも、このところの陽気で成長が促進され、花芽も動くものと期待しています。今年もせいぜい養蜂を楽しみ、いい結果を出したいと思います。

 「あら不思議 風で倒れた 巣箱から 綺麗蜂蜜 タラリタラリと」

 「昨年は 収穫ゼロと 思ってた 0.5升も 天から恵み」

 「この量が あれば一年 妻食べる 蜂蜜確保 嬉し出来事」

 「今年も いよいよ養蜂 始まると 決意も新た モヤモヤ消せずも」

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人間牧場

〇ゴボウの種まき

 私の愛用しているWriting Calendarの毎日の予定表には様々な予定や出来事が書き込まれています。その右隅に小さい文字で、忘れないようにと思って書いた農作業メモが幾つかあって、歳をとるにつれてその数が増えています。例えば「ミツバチ3号箱入居」とか、「野菜苗植える」とか、時には「ワカメ・ヒジキ採集」などなど多岐にわたっていますが、これが中々重宝で、これまではその年のWriting Calendarしか手元に置いていませんでしたが、最近は使い古した前年、前々年のものまで机の上に置いて、私だけの便利帳として使っています。

ゴボウの種を蒔いた畝

 暖かくなると畑作業が俄然忙しくなります。年度末が近づき会合や講演も一段落したので、暇を見つけて畑に出ていますが、Writing Calendarよりも役に立つのは、毎朝のウォーキング途中に目にする、近所のおばさんの畑です。さすがに早朝の薄暗い頃ゆえ人の気配はありませんが、私の知らない間に畝が立ったり、野菜苗が植えられているのです。2~3日前新しく畝が立ちゴボウの種が蒔かれていました。ゴボウは連作障害を起こす代表的な作物なので、おばさんは3年に一度しかこの畑にゴボウを作っていません。

 私もそのことを見習って、場所を替えて作っていますが、そろそろ蒔き時だと思い、昨日は近所の薬局カウンターに出向いてゴボウの種を買って来て、立てた畝に蒔きました。亡くなった祖母が「ゴボウは柿の新芽が出る頃芽が出るように種を蒔けば間違いない」と、よく言っていたのを思い出しながら作業をしました。種を蒔いた上に豚糞を撒いて一件落着です。本当はもみ殻を振り撒けばいいのでしょうが、もみ殻を小鳥が啄んで悪さをするので、今年は豚糞だけにしました。昨年作ったゴボウもそろそろ終わりです。今日にでも残ったゴボウを掘って、畝を新地に戻したいと思っています。ゴボウのきんぴらも美味しいなあ。妻に頼んで作ってもらおうと・・・。

 「ゴボウの 種蒔きゃ 小鳥がほじくる なんて戯言 考えながら」

 「卓上に 置いた私の カレンダー 3年分を 見ながら作業」

 「滝野川 書いた品種の 種を蒔く ゴボウは血液 サラサラ効果?」

 「柿の芽が 膨らむ頃に 芽が出れば ばあちゃん教え 反芻しつつ」

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人間牧場

〇乾燥シイタケ

 わが家の裏と人間牧場には、旧役場時代の親友井上さんのクヌギ林から切り出したクヌギの原木に、大洲市田処の親友亀本さんに手伝ってもらい植菌した、シイタケ栽培の小さなホダ場があります。ホダ木は4~5年もすると、まるでセミの抜け殻のようにスカスカになって短い一生を終えますが、2~3年に一度補充しているため、まだもう少しは持つものと思われます。そのホダ木に春と秋の年2回、確かなことは素人なので分かりませんが、外気温度が10度~15度くらいになり、雨が降って湿度が上がるとシイタケが生えてきます。

収穫したシイタケ
干しシイタケ

 この時期はホダ場へ行くのが楽しみで、無数に生えたシイタケを収穫します。今年も先週あたりからシイタケが出ていますが、スケージュールが積んで見回りができず、収穫のために持って行った発泡スチロールの箱には収まりきらないほどありました。シイタケはドンコと言われる少々小ぶりな傘の開き過ぎない香りのよいものが上等とされていますが、少し遅かったため既に傘が開き過ぎたものもありました。帰るとすぐに生食用と干しシイタケ用に選り分けました。

 傘が開き過ぎていたり、少し変色したものは干しシイタケにすれば別に問題もないので、まな板の上に載せて包丁で茎を切り取り、傘の部分を荒くスライスしてサナに干しました。このところ上天気が続いているので、この3~4日で干しシイタケが出来上がります。干しシイタケは聞くところによれば栄養価も高いそうで、ヘルシーな食べ物として重宝しています。干しシイタケは煮物や料理、それにうどんの出汁に使うと、うまみ成分が増してとても美味しいダシがでるのです。シイタケも自給できるなんてこの上ない幸せだと妻は大喜びです。

 「クヌギの木 仲間に貰い 切り出して 仲間手助け 植菌ホダ場」

 「この時期に なるとシイタケ 目を覚まし にょっきり顔出し 私収穫」

 「時期逸し 開き過ぎたる シイタケは スライスサナで 乾燥します」

 「出汁・煮物 干したシイタケ 万能で 妻の料理は 最高の味」

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人間牧場

◯一足早いお花見

 妻の実家は南予の八幡浜です。46年前に結婚した頃は八幡浜へ行くのに、曲がりくねった道を2時間近くもかかっていましたが、佐田岬半島の付け根に瞽女トンネルが抜け、海岸国道378号を走ると50分ほどで行くことができ隔世の感がします。

妻をモデルに早咲きの河津桜
風車

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人間牧場

◯全国地域リーダー養成塾中国・四国ブロック情報交換会in伊予市

 地域活性化センター主催の標記研修会が3月10日と11日の二日間、まちの縁側ミュゼ灘屋で開かれました。私は地域教育実践交流集会へ出席しなければならなかったため参加できませんでしたが、二日目の今日はエクスカーションの目的地が双海町だったため、ブロック幹事の松本さんから頼まれ、午前中人間牧場での研修を引き受けました。

研修風景

 随分春めいたといっても前日の朝は遅霜が降りるなど寒さが予想されたため、朝少し早めに朝食を済ませ、午前7時30分に自宅を出て人間牧場へ向かいました。研修会場となる水平線の家の室内に設置している薪ストーブに火を入れるためです。早速ストーブに火を入れると部屋はたちまち暖かくなりました。

今日はいい天気に恵まれました

 今年の冬は人間牧場界隈も雪が積もったり、色々なものが大風で吹き飛んだりしましたが、人間牧場への進入路にも沢山の枯れ葉が落ちて見苦しいので、みんなが来る前に熊手で掃き清めました。お陰で大汗をかいてしまいました。間もなく一行15人がやって来て、早速松本さんの進行で研修会が始まり、「不燃人から可燃人へ!」というタイトルで1時間ばかりレクチャーしたり意見交換したりしました。

 人間牧場を造ってから13年がアッという間に過ぎました。今では人間牧場もこんな僻地ながら年間約千人もの人が来るようになりましたが、最初の目論見通り沢山の人が学びにやって来ています。これからももっともっと想いを高めて、いささかなりとも社会の役に立ちたいと思っています。

 「縮み行く 日本の田舎 このままじゃ 消えてなくなる 心が痛む」

 「わが牧場 年間千人 やって来る 何を求める 風の中ゆく」

 「ストーブに 火を入れ人を 暖かく 迎える準備 私の仕事」

 「大震災 あれから7年 経ちました 奇しくもその日 地域を語る」

熱弁を語る私
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人間牧場

〇人間牧場の河津桜が満開です

 4年前人間牧場へ河津桜の苗を植えました。親指ほどの大きさ、自分の背丈ほど高さの小さな苗木でしたが、植えて間もなくイノシシに荒らされて桜の苗木は無残にも引き抜かれてしまいました。幸い荒らされた日に雨が降り、そのあくる日に私が見つけて植え直したため、何とか活着して昨年初めて花をつけました。その後成長を続け今ではかなり大きくなって、今年は雪に埋もれた日もある寒い冬を越して、数日前から蕾がほころび始めていました。

満開の河津桜

 昨日の夕方裏庭に置いているシイタケの原木に生えたシイタケを見て、急な思い付きで人間牧場へホダ場の様子見に出かけました。このところの三寒四温や降雨に助けられて、ホダ木には沢山のシイタケが生えていました。シイタケを収穫した後上に上がって河津桜の木を見ると、薄ピンク色の花が満開でした。かなり強い風が爆ついて吹き花を揺らしていましたが、夕日に映えた桜の花は風情があり、一人で花見をしました。

人間牧場の梅林も梅の花が満開に咲いていました。この季節は日中でも肌寒く、自宅から遠いことや年度末の何かと慌ただしいスケージュールもあって、毎年のことながら梅の花を楽しむ余裕など残念ながらなく過ごしています。余命を考えると移り行く季節をもっともっと楽しまなければなりません。明日の日曜日には午前中全国の人が人間牧場へやって来て、松本さんの紹介で小さいながら研修会が持たれます。午後にでも妻を連れて花見でもしようかと思っていますが、どうなることやらです。

「4年前 植えた桜が 花つける 早咲きゆえに 今が満開」

「牧場は これから花が 楽しめる 梅に続いて桜にスモモ」

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人間牧場

〇会議のダブルヘッター

 昨日は忙しい一日でした。朝8時過ぎから公民館の隅田主事さんと自宅で子ども教室実行委員会の打ち合わせを行い、その後人間牧場へお客さんを案内した後、急いで国立大洲青少年交流の家へ向かい、午後の運営委員会の事前打ち合わせを行いました。午後1時30分からの会議は運営委員長として議長席に座り、約2時間皆さんの意見を取りまとめましたが、青少年交流の家は大洲へ青年の家を誘致する頃、愛媛県青年団連合会の会長をしていたこともあって、もう45年間もお付き合いが続いているのですから驚きです。加えて今年度から私が塾長を務めている年輪塾の処士眞鍋幸一さんが、青少年の家の所長になったので、益々関係が深くなって抜き差しならなくなってしまいました。

国立大洲青少年の家運営委員会
子ども教室実行委員会

 会議終了後急いで帰宅し、間近に迫った講演の打ち合わせのためにやって来たお客さんと自宅煙会所で談笑し、午後7時から私が実行委員長を務めている、双海町子ども教室の実行委員会に出席し、短い時間ではありましたが今年度の反省と来年度の計画について意見の集約をしました。ふと気が付くと昼食も夕食も忘れていて、帰宅後妻に笑われながら手料理を食べて昨日の忙しさを振り返りましたが、今日は再び大洲へ向かいJA女性部の講演が予定されているので、少しだけ準備をして忙しかった一日を終えました。

 「お父さん、もう若くはないのだから、余り無理をしないようにしないと、病気にでもなったらどうするの!!」と妻に叱られました。2日前に検診に出かけて検査や内診した結果が良かったことで、少し元気が出たような錯覚を覚えていますが、妻の言うように年齢を考えて活動しなければと自分に言い聞かせました。私はどうやら「マグロ人間」のようで、多分死ぬまで泳ぎ続けることでしょう。何日か前の新聞に「一生青春・一生勉強」という言葉が載っていました。これからもかく生きようと思いました。

  「この歳に なってもあれや これやあり どうやら私 前世はマグロ?」

  「午後と夜 2つの会議 とり仕切る みんなの意見 引き出しながら」

  「お父さん 妻から言われ 戯言で 私お前の 父さんじゃない」

  「あら今日は 昼飯食うを 忘れたり それでも死なず こうして元気」 

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