人間牧場

〇トンネル上の斜面に咲く黄色い花

 私の家から10キロほど離れた双海町下灘池久保という地に、人間牧場を造ったのは今から13年も前のことでした。以来足繁く殆ど一人で、時には来訪者やイベント参加者たちと一緒に、時には殆ど軽四トラック時には普通車で通っています。大勢の部外者は奥西周りのルートですが、私一人の時は下浜のJR予讃線下を抜ける細い一車線トンネルのルートを通ります。途中の山道は道が狭いので離合もできず少し危険なので注意をしながら登ります。

トンネル上の斜面に咲く黄色いカタバミの花

 実はこのトンネルは、空中からは見えないため、戦時中は地元の人の防空壕になったという逸話が残っています。80歳で亡くなった母親の話だと、空襲警報が出た時生まれて間もない私は、母の背中に背負われてこの防空壕に逃げ飲んだそうですが、ゼロ歳ゆへ記憶の端にもそのことは残っていません。先日人間牧場での畑仕事を終えてこのトンネルに差し掛かると、マッチ箱のような一両編成の気動車が走りました。トンネル上の斜面を見ると、何やら黄色くなっていました。

 この場所は、地元の人が毎年水仙の花が芽を吹く前の晩秋の頃、草を刈って水仙を育てていますが、水仙の咲き終わったこの時期だと、黄色い花は菜の花かも知れないと見まがうほどでした。よく見るとこの花はカタバミの花の一種のようです。カタバミにはピンクの花もありますが、黄色い花もあるようで、それはそれとして群生すれば景観となり綺麗でした。多分この花は夜になると咲いた花を閉じる眠り花だと思いますが、とても綺麗でトンネルとJR予讃線によくマッチしていました。

 「戦時中 母の背中に 背負われて 空襲警報 逃げ惑うよう」

 「ひっそりと 咲くカタバミの 花綺麗 風情がありて トンネル似合う」

 「この花は 夜花閉じる 眠り花 人間に似て 睡眠十分」

 「マッチ箱 形容される 一両の 列車長閑に ガタンゴトンと」

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人間牧場

〇野草を食べる

 春になると野山に山菜と称する色々な食べ物が見え隠れします。ウドやワラビやゼンマイ、ツクシなど、田舎に住んでいるとその気になれば、自然の恵みをタダで採集して食べることができるのです。何年か前ワラビやゼンマイなどの山菜に含まれる苦み(灰汁)に発がん性があると報じられてから少しためらったものの、一年中食べる訳でもないのでと開き直って、特にツワブキやヤマブキは家の周りや人間牧場の敷地内に植えた訳でもないのに自然に生えていて、誰はばかることもなく採集できることから、結構食べています。

灰汁抜きをしているツワブキ

 この時期になると、綿帽子を被ったツワブキの新芽が出てきます。三日前来客を案内して人間牧場を案内した折、そこここに生えているツワブキを引き抜いて持ち帰りました。ツワブキは美味しいのですが、一番の難点は皮が剥きにくいのと、灰汁が強くて灰汁が手に着くと指先が抹茶色になることです。日に当ててツワブキがシンナリれば幾分剥き易いので、昨日は日当たりのよい隠居の縁側に座って剥きました。ボールに水を張り剥いたツワブキを次々と入れる、瞬く間に灰汁が出て、水がまっ茶色になりました。薄手の使い捨てビニール手袋を両手にはめて作業をしましたが、それでも灰汁が浸透して手を茶色に汚しました。

 水で灰汁を抜いたツワブキは茹ではえて、メバルやハギなどの魚と一緒に煮つけると、これはもう絶品の山菜料理となるのです。今夜あたり妻が作ってくれるようで楽しみにしています。ヤマブキも新葉を出し始めましたが、ヤマブキはもう少し大きくなったら引き抜いて、佃煮にして食べます。人間牧場の梅林には半日日陰の条件が好きなヤマブキが次第にその勢力を伸ばして、草刈りもできないほどはびこっています。ヤマブキはお裾分けしてあげると喜ばれるので、例年通り今年もそのつもりで手ぐすねを引いています。

 「牧場の あちこち生えた ツワブキを 採ったはいいが 皮剥ぐ難敵」

 「山菜を 食べるとガンに なるという いつしか忘れ 味を楽しむ」

 「子ども頃 ツワブキ嫌い だったのに いつの間にやら 好物なりて」

 「ツワブキは 漢字で書くと 石蕗と 何で書くのか それも知らずに」

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人間牧場

〇犬寄の雛祭り

 同じ街といっても旧中山町と旧双海町、別々の町といっても旧双海町にも犬寄、旧中山町にも犬寄という同じ地名の集落がある、旧中山町犬寄に住む高市礼子さんから、「吊るし雛祭りに来ませんか!!」と、毎年この頃になると、妻にお誘いがあるようです。これまでにも2度夫婦で見学に行ったことがありますが、ほんの2~3日前新聞にその予告記事が載っていたので、上天気に誘われて昨日の午後、妻と二人で出かけました。

高市さん宅の中庭
吊るし雛
ひな祭り
菜の花の丘
菜の花の丘にて

 高市さんの家には何度かお邪魔をしたことがあるので、付近の道路横に車を止めて庭に入ると、既に沢山の見学者が集まってお茶の接待を受けていました。私たちも顔見知りの人と雑談をしながらお茶をいただき、吊るし雛や様々なお雛様を第一会場、第2会場と見て回りましたが、10人ほどのグループで作ったという、目の覚めるような見事な装飾に感心しながら見せていただきました。その後高市さんの自宅の展示を見てお暇し、犬寄の松浦さんたちがやっている菜の花の丘を見学させてもらいました。

 菜の花といえば双海町の閏住が有名ですが、菜の花の丘もとても素晴らしく、丘の上からの眺めもとても綺麗でした。顔見知りの松浦さんたちがやっている太鼓の練習場の中へ入り、女性ながら住民自治佐礼谷の会長を務める松浦さんと、お茶をいただきながらお話をさせてもらいましたが、長年よく頑張っておられる姿に頭が下がりました。地域を守り、遺し伝えることは容易なことではありません。ましてや地域には自分たちの力だけでは解決できない様々な問題がありますが、悲観することなくポジティブにとらえ、希望を持ってやりさえすれば何とかなるものです。お互い頑張りましょうと励まし合いながら別れました。

 「いや綺麗 ため息交じりの 誉め言葉 山里不便 だけど人来る」

 「真似しない 真似のできない ことすれば オンリーワンの 地域生まれる」

 「吊るし雛 10人ほどが 一年を かけて手作り グレードアップ」

 「菜の花の 丘の上から 下界見る 長閑な春の 午後のひと時」

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人間牧場

〇すっかり有名になった下灘駅も元を正せば・・・

 もう33年も前の出来事なのですっかり古くなって、私の体内記憶装置では正確な年月さえも忘れてしまいそうですが、記憶を辿れば昭和61年6月30日、その前年に無人駅になった下灘駅のプラットホームを使って、夕焼けコンサートを開きました。相談しても殆どの人が反対する中で、何人かの若者の協力を得て実施したコンサートは予想以上の観衆を集め、NHK西日本の旅という僅か15分ほどの番組で全国に紹介されました。

長閑な下灘駅の風景

 以来夕日をテーマにしたまちづくりによって双海町は一躍有名になりましたが、かつて日本で一番海に近い駅と形容された下灘駅は、青春18きっぷのキャンペーンポスターに取り上げられた幸運があったり、一年に一度開くコンサートも心ある人たちに33回も受け継がれ、すっかり有名な駅になりました。最近ではデジタル情報が拍車をかけ、加熱過ぎるほどの露出度ですっかり愛媛を代表する観光地となったことは嬉しいことですが、手放しでは喜べない問題も起こっています。

 さて、昨日は遠来の友人とともに、人間牧場での花見を楽しんだ後、下灘駅へ立ち寄りました。駅前に卵型の牽引車を利用して開業した下灘コーヒーもすっかり定着して、顔見知りの広田さんが店番をしていて、雑談を交わした後、手持ちのタブレットでプラットホームの待合い屋根舎を写真に撮りました。観光列車伊予灘ものがたりでも、観光パンフレットでもすっかりお馴染みとなっている屋根舎は、「何もない」と表現するにふさわしい風景で、海と空が同化した下灘ブルーに映えていました。

 夕暮れ時ともなると人混みで撮れなくなる写真でしょうが、ベンチに座って昼寝を楽しむ観光客の睡魔を邪魔いないよう、その風景もまた絵になる光景だと思って撮りました。長閑な田舎の春の風情でした。1kmほど先の閏住の菜の花も今が満開です。ふと33年前の42歳だった若き頃の、例え反対や失敗があっても負けまいと、猪突猛進していた自分の姿を思い出しました。自宅に帰り、分厚い縮刷版広報ふたみの昭和61年8月号をめくりながら、記録から記憶を蘇らせました。

 「体内の 記憶装置が 古くなり 思い出すのに 時間がかかる」

 「若かった 42歳の あの頃は やる気満々 何でもやった」

 「無人駅 やがて廃線 予想して 何としてでも 残す一心」

 「下灘の 駅は最近 超がつく 有名なりて 少々困惑」 

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人間牧場

〇いつの間にか子どもが減って・・・

 3月22日(木)、孫たち2人が通う由並小学校の卒業式に招かれ出かけました。楽しみにしていた校庭の桜の花はまだ蕾で少々肌寒く、家を出る時妻が風邪を引いてはいけないと、腰の付近にホッカイロ―を張ってくれ、体育館内には大きなストーブが焚かれていたので、寒い思いもせずにすみました。由並小学校の今年の卒業生は僅か7人でした。

7人の卒業生
卒業式
在校生

 このところ卒業生の数は10人ほどで推移をしていますが、さすがに10人を切ると「少なくなって寂しいなあ」という声が、来賓の雑談でもあちこちから聞こえていました。由並小学校は今年度開校130年の節目を迎え、小さいながら様々な記念事業が行われました。この日いただいたファイルケースには全校生徒の写真と、私も参加した人文字航空写真がプリントされていました。

 これまでの卒業式はステージを使わず、フロアーでの対面方式でしたが、今年度は130年という区切りの年でもあるので、ステージを使った格調高い卒業式に替わっていました。小さな学校、少ない卒業生なので、校長先生の式辞の中には卒業生一人一人の名前や思い出が沢山出て来て、とても印象的でした。孫希心は今度5年生になります。孫奏心は今度3年生になるので、まだ3年間は運動会を見に行けるのですが、子どもの数が減ることを「仕方のない出来事」とは思いたくない異常事態です。

 「七人の 卒業生を 送る式 どこか寂しく どこかほのぼの」

 「校長の 式辞の中に 7人の 名前沢山 スモールベスト」

 「贈られた クリヤーファイル 130年 歴史つないだ 重みありあり」

 「コラ4人 加えて2人の 孫たちが 通った通う 楠の木見守る」

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人間牧場

〇春分の夕日夕焼けを楽しむ

夕日夕焼けには色々な見方や楽しみがあります。夕日のメッカふたみシーサイド公園には夕日夕焼けの様々な仕掛けを造っていますが、そんな豆知識を持って450mの園内カラー舗装歩道や、海に突き出た3本の突堤を歩くと、少々寒いこの季節でも結構面白い遊び心の視点で見ることができます。早速カメラ散歩の幾つかを紹介しましょう。

恋人の聖地剪定記念モニュメントのハート形穴から見える夕景
石に刻んだ日没地図と夕日
ガラス張りのイベントホールはまるでゴールドの宝箱です
ガス灯風街路灯も絵になる光景です
夕日に照らされた童謡の小路の歌碑
寄せては返す波も趣があります

「その昔 自分手掛けた 公園に 出掛け散策 写真に収め」

「撮り方を 変えれば表情 面白い 自慢の夕日 夕やけアップ」

「腕悪い 自認の私 出来栄えを カメラのせいに しては納得」

「写真撮り facebookに アップする 仲間沢山 見ているようだ」

 

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人間牧場

〇わが家の庭先に春が来た

 このところ名残の冬と迎える春の目には見えないせめぎ合いが続き、北国では時ならぬ大雪が積もったと、昨晩のテレビニュースで報じていました。松山では開花宣言が出た桜も、わが町では冬の季節風が、桜の花芽を乾燥させて固くするため、例年松山より4~5日遅れての開花なので、もうそろそろだろうと心躍る春の到来を心待ちにしています。

玄関先のプランターに植えたサクラソウ
ゴルフ場で貰った馬酔木

 庭先に植えているアジサイの新芽も、裏庭斜面のユリの新芽も、目の覚めるよな鮮やかな若草色で春を告げています。今自宅の庭で一番の見ごろは妻が晩秋の頃、プランターに植えたサクラソウです。冬の寒さに耐えてその名の通り桜に似た濃いピンクの花を咲かせていますが、プランターの土替えや植え替えに、妻に頼まれいささか手伝っていることもあって、思わず「綺麗に咲いてありがとう」と、声を掛けたくなるのです。

 花木も椿類の花が咲き始めていますが、その中に房状に花をつけるアセビがあります。私が若い頃中山のゴルフ場開発に伴い、敷地内の多数の雑木が伐採・抜根された折、勝手にどうぞという許しを得て、2本ばかりいただいたものです。わが家の庭に植えてもう30年以上経ちましたが、今ではこうして毎年立派に花を咲かせてくれるのです。アセビは漢字で馬酔木と書く毒花だそうですが、綺麗な花には何とやらです。

 「三十年 前に貰った 馬酔木花 まるでスズラン 房状の花」

 「サクラソウ 私が植えた 妻自慢 私も土替え 手伝いました」

 「春が来て 庭のあちこち 花盛り 田舎の庭は 植物図鑑」

 「冬耐えて 咲いてくれたか 庭の花 綺麗綺麗と 誉めてやりたい」 

 

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人間牧場

〇まちづくり学校双海人、今年度最後の例会

 昨晩はいつもより30分早い午後6時30分から、まちづくり学校双海人の今年度最後の例会があり出席しました。主な予定は高校生の時からまちづくり学校双海人の活動に参加し、そのことが縁で農学部に進み、この春愛媛大学を目出度く卒業する石井琢也さんの、双海町をテーマにした卒業論文発表があるので楽しみにしていましたが、期待にたがわず約40分ほどいい発表をしてくれました。石井さんのような若者には県内に残って欲しかったのですが、それも叶わず岡山の会社に就職するそうで、未だ若者を地域への受け入れできない悲哀をしみじみ思いました。余談ですが石井さんは卒論を書くに当たって私へのインタビューや、私の「昇る夕日でまちづくり」を参考文献としていて、随所に私の名前が出ていて恐縮してしまいました。

卒論を発表する石井さん
退職と聞いてみんな驚きました

 この日は愛媛県の人事異動の内示があったようで、いつも出席してくれるMさん(女性)は定年まではまだまだ程遠い年齢なのに、県庁を退職するそうで、これまた青天の霹靂でした。東京の地域活性化センターへ出向していた3年間の活躍を思うと残念でなりませんが、思うところあっての惜しまれながらの転身に、みんなで大きな拍手を送りました。一度きりの人生だからと不惑の年を迎える頃になると、みんな色々なことを考えます。過ぎてしまいましたが、かく言う私にも身に覚えがあり、色々悩んだものの結局は一歩踏み出す勇気もなく、結局は退職まで勤めてしまいました。それでも26歳で病気のため転職したものの、役場での35年間の仕事には悔いはなく、60歳で再就職もせずに自由人の道を歩めたこともさらに悔いのない選択でした。

 昨日は年度末の謝恩会でした。昨日は小西千鶴子さんがたった一人で、シーサイドの調理場で皆さんの食べる料理を作っていました。私も「ヒジキが欲しい」「ワカメが欲しい」「切り干し大根が欲しい」という小西さんのリクエストに応えて、自家製の食材を運んで僅かでささやかながらの貢献をしました。それにしても雨で農業が休みと言いながら、ハウスの農作業もあるであろう小西さんの献身と料理の腕にはほとほと感心しました。人のために働く姿は美しいものです。昨晩は夕食を済ませて出かけたため、これらの料理を存分に味わうことはできませんでしたが、浜田校長さんからいただいたアルコールゼロの缶ビールを飲みながら、まちづくり談議にふけりました。

 「7年も 双海に通い まちづくり 仕上げの卒論 大きな拍手」

 「彼もまた 残りたいけど 残れない 県外転出 少し寂しく」

 「内示あり 親友県庁 退職し 新しい道 模索し歩く」

 「腕の良い 田舎のおばちゃん 手作りの 郷土料理に 舌鼓打つ」

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人間牧場

〇日本ラン・キンリョウヘンの手入れ

 桜が咲く頃になると、私の体内がどこかムズムズしてきます。そろそろ蜜蜂の巣箱の準備をしなかればならない時期なのです。昨年は何が原因か未だに分かりませんが思わぬ大凶作で、蜂蜜収穫ゼロ(正確には先日残りの巣箱から5合程度の収穫あり)で、このところうなぎ登りで順調に収穫量を増やしていただけに、意気消沈した一年でした。今年こそはとリベンジを誓っていますが、はてさて原因もつかねぬままの出発になりそうです。

ハウス内のキンリョウヘン
キンリョウヘンの花芽

 それでもきちんとやるべきことはやろうと心に決め、蜜蜂の師匠から頂いた日本ラン・キンリョウヘンの世話をし、殊の外寒かった大寒頃にキンリョウヘンをビニールハウス内に取り込んでいました。春の兆しも感じられるようになったので様子を見にハウス内に入ると、キンリョウヘンの緑の葉っぱの根元に、赤くて小さな蕾が出ているのが幾つか確認できました。早いものは花房をつけ、あと10日もすれば開花しそうな雲行きです。

 早速根元に生えた雑草やコケを取り除き、ジョロでたっぷり水をやりましたが、キンリョウヘンの手助けを得て、今年は何としても蜜蜂を巣箱の中へ誘い込みたいと思っています。息子もインターネットで少々お高い日本ミ蜜蜂の蜜蝋を買ってくれたようで、昨日宅配便で届きました。天気が回復したら巣箱へ蜜蝋を塗る作業をしようと思っています。蜜蜂はわがままな小動物ゆえ、こちらの思い通りにはなりません。最近は近所で蜜蜂を飼う人が増え、激戦の様相を呈しています。今年はとりあえず10升くらいは収穫したいと、淡い期待を持っています。

  「日本ラン ハウスに入れて 冬を越す 昨日見回り 花芽確認」

  「昨年は 大凶作で まるでゼロ 泣くに泣けない 原因分からず」

  「最近は 猫も杓子も 蜜蜂に 手を出し激戦 スキルアップを」

  「桜咲く そろそろシーズン 蜜蝋を 巣箱に塗って 準備万端」

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人間牧場

〇人の前で話す難しさ

 講演などで、手を挙げてもらって参加者に聞いたところ、「人の前に立つと上がってしまって、思っていることの半分も言えない」とか、「自分は人の前で話すのが苦手である」などと、半数以上の人が人の前で話すことにコンプレックスを持っているようです。かく言う私も若い頃には人の前に立つと原稿を書き覚えたつもりの話も記憶が飛んで、大失敗をした経験が何度もあり、「これではいけない」と頑張れば頑張るほど気になって、失敗の上塗りをしたものです。一番の失敗は双海町青年学級委員長をしていた23歳当時、青年学級の指導をしていた主事さんの発案で、「ラブレターの書き方」をテーマに学習したことを活かして、NHK青年の主張に応募しようという話になり、60人ほどの学級生が400字詰め原稿用紙3枚の原稿を書き、NHK松山放送局へ送りました。一つの町から60通もの応募があったのは後にも先にもなかったらしく、当時は随分話題になりました。応募して10日ほどが経つと応募した全員に一枚の葉書が届きました。「あなたの原稿は素晴らしい。またどうぞ」でした。

 ところが私に届いた葉書だけには「あなたの主張が原稿審査の結果選ばれました。〇月〇日、NHK松山放送局で愛媛県大会を行いますので〇〇時間までに受付へお越し下さい」と書かれていました。驚いたのは私だけではなく、学級生全員の驚きでした。さあそれからが大変です。私は原稿用紙3枚に書いたことを一字一句間違わないよう、小学校で借りたオープンリールのテープレコーダーと腕時計を相手に、全て暗記するための猛特訓しました。「これなら大丈夫」と自信を持って臨みましたが、スタジオの熱苦しいライトと熱気、それに審査員の視線も加わって、覚えていたはずの原稿を全て忘れ、頭の中はセピア色どころか真っ白になりました。焦れば焦るほどにっちもさっちも行かなくなりましたが、開き直って自分の普段思っていたことを方言丸出しの普段の言葉で喋りました。体中大汗をかき私の挑戦は終わったかに見えました。「ところがところが」です。全員の発表が終わって結果発表があり、何と第14回NHK青年の主張の愛媛県代表は双海町の漁業若松進一さんです」とコールされ、ささやかなファンファーレが鳴りました。何という青天の霹靂でしょう。まさに逆転満塁ホームランでした。

 以来私は原稿を書いても全て記憶する努力を止め、アドリブ話術に徹するよう努力した結果、いつの間にか思ったことどころか、今は思っていないことまで言えるようになりました。「生麦・生米・生卵」「隣の客はよく柿食う客だ」「ウリ売りがウリ売り売ってウリ売り帰るウリ売りの声」「坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた」「お綾や親にお謝り、お綾や八百屋にお謝りとお言い」「新春早々、新進シャンソン歌手による、新春新進シャンソン歌手ショー」などなど、車の中でたった一人をよいことに、上がらないための練習をしたことも今はよき思い出です。話が苦手な人は、「覚えていることを全部間違わないように全部話さなくっては!!」と焦ります。そうすると頭の中が混乱して順序がバラバラになり、結論に結び付けることができず、「あの人の話は一体何を言いたかったのだろう」となってしまいます。簡単な筋道のメモを見ながら話すのも一案です。話がうまく転ぶようになると、周りの人の自分を見る目が変わってきます。自分の価値を上げるためせいぜい努力しましょう。

 「失敗を 何度も何度も 繰り返す そのうち上手く 喋れるように」

 「私など 思ったことの 半分も 言えなかったが 今では進化」

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