人間牧場

〇わが家の庭モミジ二題

 わが家の書斎から見える本尊山周辺は急峻な地形ゆえ、車道もなく人工林もない、まさに自然林です。そのため本尊山周辺を借景としてる私的には、自然の移ろいを年中感じることができてとても幸せに思っています。今はクヌギなど雑木の芽吹きの季節で、若草色から緑色へと日々刻々と彩を変える姿を楽しんでいます。

葉っぱを広げた枝垂れ緋モミジ
ダイニングから見えるヤマモミジ

 わが家の入り口には畳4畳半ほどあると思われる大きな枝垂れ緋モミジの木があり、今はその芽吹きの季節で、今年も小豆色の葉っぱが伸び始めました。モミジの下はわが家でお祀りしているお地蔵さんの祠へ登る細道で、妻や近所に住む姉たちが毎日のように、モミジの下をくぐり抜けてお参りしてくれています。

 私たち夫婦のダイニングからも、窓越しに裏庭の風景が見えます。朝な昼な夕なの食事時には、この庭を見ながら世間話をしつつ食事をします。私が30年も前に山から拾って来た小さなヤマモミジ苗が、丹精して育てたお陰で立派な庭木となり、冬の枯れ木、夏の緑、秋の紅葉と季節ごとにその姿を変えて、見る目を楽しませてくれていますが、今は鮮やかな目立ちが春の訪れを感じさせてくれています。季節を存分に感じさせててくれる田舎暮らしは最高です。

 「春が来た わが家の庭の あちこちに 木々が色々 彩を添え」

 「本尊山 私の借景 朝夕に 季節感じて 幸せ浸る」

 「窓越しに 景色見ながら 朝昼夕 夫婦揃って 食事楽しむ」

 「山取りの モミジの苗木 丹精を 込めて手入し 今はそれなり」

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人間牧場

〇届いた地域教育実践交流集会報告DVD

 3日前、県教委の社会教育課長さんがこの春の異動で替わったので、地域教育実践交流集会の事務局長である仙波さんと二人でご挨拶がてら、県庁第1別館11階の社会教育課を訪ねました。社会教育課長さんになられた脇水さんは、私が現職の頃定住促進事業で宿泊施設潮風ふれあいの館を造った時の担当者で、その後も私とその当時担当係長だった高岡さんが中心になって作った夢工房でも、一緒に酒を酌み交わしながら熱い思いを語った間柄なので、嬉しい再会となりました。

(DVDに登場している私)
参加者の記念撮影

 社会教育課には双海町出身の中尾さんがいるので、何かにつけて気配りをしていただき、10回目を終えた地域教育実践交流集会の今後の在り方についても議論や協力要請をしましたが、帰り際仙波事務局長さんから、第10回地域教育実践交流集会の報告DVDをいただきました。早速自宅へ帰って自分のPCで視聴しました。昨年の報告DVDは30分でしたが、今回は15分と短くコンパクトにまとめられていました。これまで報告書は事務局がテープを起こしてかなりこだわって作っていましたが、忙しい皆さんにペーパー報告書を送っても、反応は今一だったため、文科省の委託事業採択を受け、思い切って愛媛CATVへ外部委託して製作しました。

 やっと、とりあえずの目標としていた10回目が終わりました。既に11回目から取り組もうとしているネットワーク設立への準備も進み始めていて、明日はその打ち合わせ会が予定されています。組織の変革はそれ相応の覚悟が必要です。自分自身年齢的にはもうそろそろという思いもありますが、組織が定着するまでもう少し、見届けなければならない責任も感じています。DVDを見ながら、あっという間に過ぎた10年間を断片的ながら思い出していました。

 「10回目 DVDを パソコンで 一人視聴し 思いにふける」

 「10年が あっという間に 過ぎ去った 次の10年 どんな思いで」

 「小さいが 10年経つと 物語 20年すりゃ 神話ができる」

 「わが人生 何でこうなる 乗った舟 行き着く先を 見届けながら」

 

 

 

 

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人間牧場

〇改良型ドラム缶かまど

 前日の昼頃、下灘閏住の菜の花畑のすぐ近くで「くじら」という海産物のお店を営む妹がわが家へやって来て、「友人からかまどを2つ貰ったんだけど、進兄ちゃん要らない?」と話を持ち掛けられました。見ると店のロゴマークの入った箱型ライトバンの車の中に、かまどが乗せられていました。わが家はアウトドア―派なので、ドラム缶型屋外かまどは自宅に2つ、人間牧場に1つと合計3つもあるので、そんなに貰っても置き場所に困ると思いつつ、かまどを見ました。

貰った改良型ドラム缶かまど

 車に積んでいたかまどはドラム缶を再利用した改良型で、私の現在使っているのとは違って、ドラム缶の中に鉄筋を溶接して造った、大型ガスコンロを乗せれるよう台がついていました。つまりガス専用のかまどなのです。私たちは普通ヒジキを茹でるのに庭にかまどを持ち出し、薪を使って作業をしますが、最近コンクリートやアスファルト、公園などでは焚火禁止のところが多く、薪専用のこれまでのドラム缶かまどは使えないのです。これだと手持ち保存しているものの殆ど使っていなかった、大型ガスコンロを使った炊き出しにも行えるようです。

 妹は私に有無を言わせず、車から改良型ドラム缶かまどを下ろし、庭に置いて帰りました。「さてどこへ置くべきか」と、目下のところ置き場所を思案していますが、明日は久しぶりに雨が降るようなので、とりあえず倉庫の2階にでも上げて置こうと思っています。夜仕事から帰った息子がこの改良型かまどを目敏く見つけ、「これは便利で、自分たちの町づくり活動に使えるかも知れない」と、早速夢を膨らませているようでした。親が親なら子も子です。

 「妹が 貰ったかまど 要らない?と 有無を言わせず 庭に下して」

 「ドラム缶 中に鉄筋 溶接し ガス台乗せる ように改良」

 「貰っても 置き場所困る 首傾げ 明日は雨故 とりあえず倉庫」

 「わが息子 親が親なら 子も子だと 苦笑いしつ さてどう使う?」

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人間牧場

〇3月の蜂蜜収穫

昨年は養蜂を始めて7年になりますが、最大の不作に見舞われました。1升・2升・5升・10升・・・・25升と毎年うなぎ登りで収穫量を増やしていたのに、昨年は何が原因か分かりませんがゼロ升と、日本ランキンリョウヘンを小さなハウスで育て、これで何とか行けそうと自信を持ち始めた矢先に、とんでもない記録を打ち立て、奈落の底へ突き落されたような傷心の面持ちした。原因が分かれば対策もできるし明るい兆しも見えてくるのでしょうが、こればっかりは他力本願なところがあって、今年もそろそろ分蜂の季節を迎えたというのに、鉢一匹も見当たらず、少し焦りの色を覚えています。

  昨年は殊の外気温が低く、巣箱を置いている人間牧場も積雪があり、冬越ししていたと思われた一箱も蜜蜂がすべて死んでしまいました。春の大風でその巣箱がひっくり返ったので、元に戻そうとすると、巣箱の中に蜜の入った巣がありました。勿体ないとダメ元でその巣を容器に入れて持ち帰り、春の日差しで垂れ蜜作業をしてみました。その巣を金網容器に入れて上からすっぽりナイロンの袋を被せて蜜を採るのです。ところがその巣にはたっぷり蜂蜜が残っていて、何と1升瓶に1本採ることができました。この7年蜂蜜の収穫は遅くても10月までには終わっていたので、3月の収穫は勿論初めてでした。

  昨年はゼロ升カウントだと思っていましたが、お粗末ながら1升の記録が残ることになりました。この蜂蜜は蜂蜜大好きで殆ど毎日のように食べる妻の1年分は十分あるので、妻は大喜びでした。そろそろハウス内のキンリョウヘンも幾つかの花を咲かせようとしています。4月が勝負なので、息子がインターネットで買った、かなりお高い蜜蝋をたっぷり巣箱に塗って、蜜蜂を誘おうとしていますが、せめて10升くらいはと、欲張った淡い期待をしています。

 「昨年は 蜂蜜不作 ゼロだった 原因分からず 今年幕開け」

 「大風で 蜜蜂巣箱 転げ落ち 中に蜂蜜 残って1升」

 「1升も あればわが妻 一年分 何とかゲット 妻は喜ぶ」

 「この時期に 思わぬ程の 蜂蜜を こいつは春から 縁起がいいぞ」

 

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人間牧場

◯いよいよ家庭菜園の作業シーズンです

 このところの陽気で気温がグングン上がり、朝晩も日中も作業をすると汗ばむほどです。年度末の行事も一段落し、年度始めの行事も間もなく始まるものの、ちょっとした空白期間なので、暇を見つけて家庭菜園に出て農作業をやっています。

わが家の家庭菜園は基本、無農薬なので豚糞と牛糞をたっぷりやって土作りをしています。豚糞30袋は田処の親友亀本さんに仲介して自宅まで持参してもらい、牛糞30袋は大洲市八多喜の武田さんに注文し、自宅まで配達してもらって使っています。

庭先に届いた牛糞

 昨日その武田さんが牛糞30袋を自宅まで届けてくれました。牛糞は1袋300円で、10袋買うとありがたいことに1袋サービスしてくれるのです。お昼前に届きましたが、さあそれからが大変です。庭先に降ろしてもらった牛糞30袋を一輪車に積んで倉庫の中に運ぶのです。体力に自信があるといっても、3列10段に積み上げるのに大汗をかきました。

 さあこれで豚糞も牛糞も揃いました。菜園にしっかり振り撒いて、ナス、トマト、キウリ、スイカ、トウモロコシなどの夏野菜をしっかり作り、しっかり食べて家族の健康づくりに一役かいたいと思っています。

 「注文の 牛糞届き 倉庫まで 一輪車押し 一人大汗」

 「豚糞と 牛糞使い 土作り 有機農業 中々大変」

 「さあこれで 今年の夏も あれやこれ 野菜作って 家族の健康」

 「いつの間に 麦わら帽子と 地下足袋が 似合い偽物 百姓となる」

 

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人間牧場

〇しまなみ海道へ小旅行(その2)

 私はこれまでにも合併前や尾道市と合併した後の瀬戸田を、講演の度に何度か訪ねていますし、平山郁夫美術館やシトラスパーク、サンセットビーチ、ベルカントホールなどへも立ち寄っていますが、妻はその殆どを訪ねていないので、妻のリクエストに応えて耕三寺を見学しました。かく言う私も耕三寺へは10年来訪ねていないので、要望のまま少し高いと思われる入場料を支払って中へ入りました。わたしが前回訪ねた折は、「未来心の丘」という白い大理石を配置した場所はまだ工事中だったので、少し興味がありました。

未来心の丘
未来心の丘の説明看板

 境内の奥まった高台にはイタリア産の白い大理石を、道に敷き詰めたり配置したりしてできていて、春の太陽の光を受けて、まるで南極の氷山を思わせるようなまぶしさでした。私たちは過去を引きずりながら現在に生きていますが、誰にも分らないこれから生きるであろう未来という世の中は、多分こんな感じなのかも知れないと、周囲に咲いている桜の花や、遠望広がる海を見ながら思いました。12年の歳月をかけて造ったという白い大理石の丘は、直前まで巡った石仏や建築物を配置した耕三寺の境内とは思えない、まるで異次元の空間でした。

白い大理石の未来心の丘
未来心の丘頂上のモニュメントにて

 大理石の石ベンチに座り、これから先の自分の未来について考えてみましたが、遠心的に生きようと思いながらその目的も果たさぬまま今に至っています。これまでの人生がこれからの人生を決めるのであれば、私の人生は自己満足の範囲内でしかありません。これからの人生がこれまでを決めるのであれば、未来的夢は限りなく広がります。求心的に生きてみようと少し前向きな考えに向き始めました。未来心の丘に立って、これからの人生を考えることができたことは、自分にとってとてもいいきっかけになったような気がしました。私と同じ凡人たる妻も少しこれから始まるであろう未来について考えることができたようでした。

 「瀬戸田町 指折り数え まだ足りぬ それほど来てるが まだまだ奥が」

 「耕三寺 丘の上には 白大理 これが未来の 世の中なのか?」

 「これまでは ただがむしゅらに 遠心を 目指し生きたが これから求心」

 「少しだけ 自分の未来 思い馳せ モヤモヤの中 少し光が」

 

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人間牧場

◯ひな祭り

昨日は小西千鶴子さんからお誘いがあったので、仕事から帰った妻を誘って久保公民館で開かれていた、ひな祭りに出かけました。昨日はこのところずうっと続いている上天気で、各地の桜が例年になく満開だったので、各地で花見の小宴が催され、少し人の出足が少ないようでしたが、公民館の広間には、お雛様が飾られていました。その前の座卓に出された小西さんたちの作った自慢の中華そばを、夫婦で美味しくいただきました。

久保公民館の広間を飾っていたシンプルザベストの雛飾り。

 

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人間牧場

〇貧乏人が欲しい「金のなる木」

 貧しくても「明るく生きる貧乏人」を自認する私ですが、驚いたことに貧乏人が狙う「一発逆転満塁ホームラン」に等しいと思われる宝くじを、これまでに一度も買ったことがないのですから驚きです。同じ貧乏人の妻は私と違って、毎年のようにせっせと宝くじを買っていますが、夫たる私の貧乏くじの影響を受けて、未だに一発逆転の大当たりは当たらず、それでも昨年は1万円が当たったと、ささやかなプレゼントに大喜びをしていました。

シーサイド公園で見つけた金のなる木

 先日通りすがりのガーデニング店に何気なく立ち寄りました。私の名前を知っている女性の店主が、愛想よく声をかけてくれました。女店主「何をお探しですか?」。私「はい、金のなる木を探しています」。女店主「えっ1!!、金のなる木ですか?、そんな苗木があったら私も欲しいですね」と大笑いしました。「まあお茶でもおひとつどうぞ」と、お洒落な机の前の椅子に座ってお茶までいただいたので何も買わない訳にはいかず、雑談の末店頭に置いてあった種物コーナーで、インゲン豆やトウモロコシの種を2~3袋買って帰りました。

 帰宅途中シーサイド公園のじゃこ天のお店に立寄りましたが、ここでもお茶をご馳走になり、「金のなる木」の話で大いに盛り上がりました。「進ちゃん、金のなる木だったら、ほらそこに一本ありますよ」と指した指先に、少し大きめの丸いプラスチック容器に植えられたサボテンがありました。何年か前にこのサボテンが別名「金のなる木」だと聞いたことがありますが、なるほどと頷きながら傍に寄ると、そのサボテンに綺麗な花が咲いていました。

 実はこれと同じサボテンがわが家の玄関先にもありますが、寒さに弱いのか殊の外寒かった今年の寒波に遭い、息も絶え絶えといったところです。知人のある家庭で、この金のなる木の枝を五円玉の穴に差し込んで、まるで金のなる木に相応しくして育てているのを見たことがあります。その家庭の内情は知る由もありませんが、まあそれなりのお金持ちのようなので、金のなる木の効果かも知れないと思いました。金のなる木の花はとても可憐で綺麗でした。

 「宝くじ 買わない私 当たらない 買ってる妻も 何故か当たらず」

 「園芸店 金のなる木は ないものか あったら先に 店主買いたい」

 「シーサイド 公園園内 ほらそこに 金のなる木が あると指指す」

 「金がない だから幸せ かも知れぬ あればあったで 心配絶えず」 

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人間牧場

〇ハウスにトマトを植えました

 「へそ天」という気象言葉があります。へそを出して寝ても風邪を引かない陽気になったことを言いますが、その言葉のように、日本一暑い高知県四万十市では日中の最高気温が26度を超え、日本の各地で3月としては観測史上最も高い温度を記録したと、テレビで報じていました。この温度はまさに異常としか言いようがなく、殊の外寒かった冬を体験しているだけに、私たちには体に変調をきたしそうで心配です。

ハウス内にトマトの苗を植えました
今年は色々な種類のトマトを植えてみました

 この陽気は家庭菜園を手掛ける者にとっても、手放しで喜ぶことはできません。もう少しの間、食べようと思っていた大根、キャベツ、ホウレンソウ、ブロッコリー、カリフラワーなど、名残の冬野菜は軒並みグングン伸びて、ついには食べられなくなり、仕方なく廃棄処分の運命を辿っています。もう一つ厄介なのは畑の隅に3年前造ったビニールハウスです。冬場は陽が当たらないため温度が足らず、スムージー用のケール栽培と、養蜂に使う日本ラン・キンリョウヘンの防寒のために使っていましたが、陽が当たるようになってくると、室内温度は30度近くまでグングン上がり、脇窓を開けないと、高温で植えているものを焼いてダメにしてしまうのです。

 一昨年から始めたビニールハウスでのトマトの促成栽培を今年も思いつき、1列7本×2列=14本のトマトの苗をホームセンターで買って帰り、3日前に植えてみました。朝晩の水やりと日中は側窓開きを忘れないようにやっていますが、露地栽培より約1ヶ月早いトマトの栽培は、1本180円もする少々お高い苗なので失敗知ることもできず、投資効果を得た昨年の経験を活かして、手間暇かけて無農薬による美味しいトマトせいぜい楽しみたいと思っています。

 「菜園の 隅に造った ハウスにて トマト栽培 見よう見真似で」

 「日中は 30度超す ハウス内 気配りせねば トマト育たず」

 「日本ラン 蜜蜂分蜂 間近にて いよいよ勝負 準備おさおさ」

 「忙しい だからやるんだ 意を強く 持って毎日 気丈に生きる」

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人間牧場

〇一円玉の天気

 天気予報用語で、「一円玉の天気」というのがあります。一円は円単位の基本で、これ以下に「銭」という単位はあっても、お金として流通していないため円は一番下の単位で、一円玉は崩しようがなく、つまり天気が崩れないという意味です。そのことわざのようにこのところ日本列島がスッポリ移動性高気圧に覆われ、毎日毎日雲一つない上天気が続いています。今年の冬は殊の外寒かっただけに、一気に日中夏日近くまで上がって暖かくなった気温に、戸惑っているのは私たち人間ばかりではなく、あれほど待ち焦がれた桜も、たった3~4日であっという間に満開を迎え、早くも散りはしないかと心配している今日この頃です。

花びらの小路

 一昨日妻が隣町長浜のかかりつけの医院へ健康診断をしに行くというので、夕方別の所用のついでに同行しました。実はこの医院は私の妻の妹の縁戚なのですが、開業してまだ10年近くしか経っていないのに、今月末をもって医院を閉じるそうです。何が原因か分かりませんが、察するに人口の年々減り続ける田舎で病院を経営することは容易なことではないようです。思えば伊予市内にも同じような運命を辿って閉じた医院もあるようで、折角医者になるため多額のお金をつぎ込んで憧れの医者になっても、内情は大変なようで、漏れ聞けば閉院したあとの先生は、緩和ケア―往診の医院に移って仕事を続けるようです。

健康診断が終わったその足で所用を済ませ、妻と二人で少し遠回って内子町の枝垂桜を見に行きました。旧内子町役場のすぐ横の川沿いに立派な幹に成長した枝垂桜がかなり植えられていて、枝垂れた枝に沢山の花を見事につけていました。既に花は満開の峠を越えて散り始めていて、道や川面に沢山の花びらが落ちて風情を醸していました。私たち夫婦はこの何年か、暇を見つけて近く遠くの桜の名所を訪ねるようにしています。まだ妻が近所の歯科医院にパートで勤めているので、土曜日の午後や日曜日、しかも近くへしか出かけられませんが、それでも二人に共有の人生の一ページに、よき思い出のアルバムを今年も加えることができました。

 「このところ 一円玉の 上天気 雲一つなく 風も穏やか」

 「毎日の ように友たち 花便り そうだ私も 馬を誘って」

 「お隣の 内子役場の すぐ横の 川沿い枝垂れ 桜見事に」

 「待ち焦がれ いたのに桜 はや散って 何ともはかない 道を歩きぬ」 

 

 

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