人間牧場

〇カブトムシの飼育

 腐葉土を作るため人間牧場に自作でブロックを積み、落ち葉ストッカーを造っていますが、息子はこの施設を利用して趣味のカブトムシ飼育を始めています。春先、「ブロックの上を金網で覆うにはどうしたらよいか」と息子から相談があり、挙句の果ては私が作ることになりました。早速息子と一緒にホームセンターへ出かけ、金網や算木、釘などを買い求め、春先の暇を見つけて作ってやりました。

金網で囲った落ち葉ストッカー
成虫になったカブトムシ
カブトムシに小便をひりかけれけられました

作った金網蓋を運んで息子と一緒に実験をしましたが、ほぼ計算通りストッカーの上を覆えるようになりました。この数日前から気温がグングン上がり、冬を越したカブトムシの幼虫が成虫になって、腐葉土の中からはい出し始めました。毎日仕事で忙しい息子は、何かにつけて私に言い寄り、金網に留まったカブトムシを捕獲して自宅まで持ち帰るよう頼まれますが、自宅と人間牧場は10kmも離れているので、早々毎日のようには出かけれれないのです。

 それでも少しだけ気になって、昨日は息子の用意した虫籠を持って出かけました。金網覆いの隅にカブトムシを見つけ、手足を傷めないよう角を持って虫かごに入れてやると、カブトムシは元気に動き回っていました。昨日だけで9匹をゲットし持ち帰りましたが、息子は仕事から帰ると倉庫の飼育場に持ち込んで餌を与えていました。7月中に200匹ほどもカブトムシを集め、松山空港で子どもたちへ無償で配るそうです。とてつもない馬鹿げていると思われる息子の夢の片棒を、どうやらいつの間にか私も担がされてしまっているようです。

「牧場の 腐葉土作る ストッカー カブトムシ飼育に 息子あれこれ」

 「夏が来た 腐葉土中から カブトムシ 毎日ゾロゾロ 地上這い出る」

 「頼まれて 金網囲い 作ったが 今度は成虫 回収までも」

 「バカ息子 親バカ上手く 巻き込んで いつの間にやら 夢中にさせて」

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人間牧場

〇自転車修理

 昨日の夕方、外に遊びに行っていた小学校5年生の孫希心が、雨に濡れて泣きながら自宅へ帰ったそうです。聞けば愛用の自転車のチェーンが外れてペタル付近のシャフトに食い込んで故障したそうでした。幸いなことに伊予銀行上灘支店の前で行員さんに見てもらいましたが、手に負えないかったようで、次に郵便局の前で局員さんがネジを外して直そうとしてくれましたが、これもチェーンが外れず断念したようでした。

修理を終えた孫希心の自転車

 今朝若嫁がその自転車を修理屋へ持っていくため、自分の車に積み込もうとしていました。「このくらいのことならわしに任せておけ」と安請け合いしたものの、チェーンは中々外れませんでした。ドライバーを2本突っ込み、軍手をした手で少しずつ解きほぐして、やっとのことでチェーンが外れ、元の歯車に収めることができました。テストしてみましたがしっかり元通りに直っていました。それを見た若嫁は「まあお父さん、器用なのねえ!!」と褒めてくれましたが、「これで修理代5千円が助かりました」と、経済問答になりました。

 実はこに自転車は、先週もパンクをして、地元に自転車屋さんがないので、軽四トラックに私が積んで自動車屋さんに持って行き、パンク修理台2千円を払って直したばかりでした。相次ぐトラブルに孫のテンションは下がりっぱなしですが、逆に私の株価は次第に上昇機運です。これも3世代同居の特典でしょうか。育爺の面目躍如といったところです。孫が学校から帰ると喜ぶだろうと、育爺バカの顔が緩んだ朝でした。

「自転車が 故障べそかき 濡れながら 孫が帰った 育爺出番」

 「任せとけ 言ったはいいが 自転車の 修理骨折れ やっと直りぬ」

 「お父さん あなたは器用 若嫁に 誉めてもらって お株上昇」

 「よくもまあ 傷めるものと 感心す 成長証 納得しつつ」

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人間牧場

〇旅先にて

 私は住んでいる四国内なら自分の車を運転して出かけますが、海を渡って少し遠出をする時には、高齢期を迎えていることもあり、家族から「公共交通機関を使うよう」注意されています。さりとて私の行く場所は過疎地や田舎が多く、夜の移動もしなければならないので、はてさてどうしたものかと毎回悩んでいます。今回の鳥取行きもスケジュールが立て込んで日帰りだったので、JRの列車で行くことにしました。

名探偵コナン列車
丸い形をした特急しおかぜ
まるで新幹線のような列車
瀬戸大橋から見えた瀬戸内海に沈む夕日と夕焼け

 列車の旅は気楽なもので、社内で居眠りをして休めるし、愛読書を読みながらタブレットを使って交信もできるし、何よりも面白いのは沿線の風景を楽しむことができるのです。今回も特急スーパーいなばで移動中、列車がスイッチバックしたり、大原という駅の近くに「宮本武蔵駅」というのがあることを知ってびっくりしました。早速タブレットで調べたり、宮本武蔵名言集を呼び出して読めるのも嬉しいお土産でした。私のタブレットには親友冨田さんが炊事してくれた自著本「夕日徒然草」が6冊電子辞書化されているので、宮本武蔵に思いを馳せながら、五輪の書ならぬ「地の書・水の書・火の書・風の書・空の書・心の書」を愛読しました。

 最近は地方を走る列車もデザインが凝っていて、特急しおかぜの先頭列車は丸型、鳥取駅で見かけた特急列車はまるで新幹線みたいな格好良さでした。また鳥取駅に停車していた普通列車の側面には鳥取出身の漫画家青山さんが書いた「名探偵コナン」の漫画が画かれていました。復路瀬戸大橋からは綺麗な夕日夕焼けまで見れるお土産までついていて、列車の旅ならではの満ち足りた気分で小旅行を終えました。

「歳だから 列車で行けと 妻が言う 老いては妻に 従うことに」

 「列車旅 まるで少年 タブレット 持ってあれこれ 眠る間もなく」

 「大原の 駅で宮本 武蔵駅 近くにあると 知って驚く」

 「窓際に 座って車窓 眺めつつ 荷物にならぬ 土産沢山」 

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人間牧場

〇とっとりふるさと元気塾開講式(その2)

 昨日は片道6時間、往復12時間をかけて、瀬戸内から瀬戸大橋を渡って日本海に面した鳥取市で開かれた「とっとりふるさと元気塾に講演に招かれ、日帰りで出かけました。鳥取駅まで迎えに来てくれた事務局を務める藤原一輝さんと倉吉の福田京子さんと落合い、近くのカレー店でカレーを食べたり紅茶を飲みながら打ち合わせを兼ねた昼食会をしました。その後会場となっている国府町総合支所2階会議室へ入り、いつもは余り使わない事前に送っていたパワーポイントのテストをしながら、開会を待ちました。

 その内塾長の市長さんも見えられ、開校式や藤原さんの年間スケジュール説明を終え、いよいよ私の出番となりました。少し力を入れて写真をセレクトして作ったパワーポイントだったので、時間が足りず少し心残りとなってしまいました。会場には何年か前私の町や人間牧場、それにわが家にも研修で来られた顔見知りの人が何人もいて、少し切り口を変えた話をしましたが、まあそれなりに役目を無事果たすことができました。

 昨日は台風接近や梅雨明けぬ悪天候を予想していました。それもそのはず前々回は大雨で列車が不通となり、高速道路を使って岡山まで送ってもらい、前回は大雪で列車が大幅に遅れるなどの経緯があるので心配していましたが、30度を超す暑い一日だったものの雨にも遭わず大助かりでした。講演が終わった後福田京子さんに鳥取駅まで送ってもらい、列車を乗り継いで無事11時前に自宅へ着きました。往復12時間の移動は多少疲れたものの、今朝は元気を回復して朝を迎えています。

「中国の 山超えここは 鳥取市 市長塾長 開校熱弁」

 「県民の 人口わずか 57万 小さいけれど やることでかい」

 「大伴の 家持似した 人もいて 古代のロマン 生かした活動」

 「腕により かけて作った スライドを 使い私も熱弁振るう」

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人間牧場

〇私の話を聞いたアンケートの結果

私はこの歳になっても、あちらこちらから講演や講義のオファーがかかり、浅学菲才も顧みず請われるままに出かけています。その内容たるやまちづくり、教育問題など様々で、相変わらず楽しそうにやっています。最近は私の話を聞いた人からハガキが届いたり、ホームページへのメール書き込みがあったり、嬉しい反応に喜んでいます。

いただいた先日の講演に対する記入意見

講演先では講演後にアンケート調査をしている主催者もいて、好意的な意見には穴があったら入りたいような気持になることもしばしばですが、「あなたは今日の講演はどうでしたか?。次の質問(大いに満足・やや満足・不満・参考にならなかった)に〇をつけて下さい。と、講演の終わった私の目の前でやられるのは何となく後味の悪いものです。

先日県庁を訪れた際、担当者から先日行われた研修会で、私が話した講演に対する記入意見をまとめたペーパーを渡されましたが、歯の浮くような好意的な意見が大勢を占めていて、とりあえずホッとしたものの、恥ずかしい限りでした。

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人間牧場

〇朝顔のグリーンカーテンづくり

 普通の年は沖縄、奄美、九州と、南の地方から順番に梅雨明けして行くのですが、今年は九州、四国、中国、近畿を通り越して、奄美からいきなりまだ6月だというのに、関東地方が梅雨明けした模様だと気象庁から発表がありました。この数日「やまぜ」と呼ぶ南西の風が吹き荒れただけに、梅雨入りが例年より早かった分早い梅雨明けを期待していますが、南西の海上では台風が発生して北上を続けているので、むしろ梅雨末期の大雨の影響を心配しています。

書斎の窓辺に取り付けた朝顔のグリーンカーテン

3日前、立ち寄った水口種苗店で今年も朝顔の苗を貰ってきました。今年は孫たちの花づくり運動も朝顔でなく小型のヒマワリなので、プランター3箱に土を入れ、1個に2本ずつ植え付けました。活着し伸び始めたので、私の書斎の前庭にグリーンカーテンを作ろうと思いつき、スイカ畑の網囲い用に使った残りの青竹を使い、倉庫に締まっていた網を取り出して、取り付け始めましたが、急ににわか雨が降り出し、多少濡れたものの夏の雨故寒くもなく続行して作り終えました。

夏の花と言えばグラジオラスやヒマワリ、百日紅など色々ありますが、私は子どものころから朝顔の花が大好きで、朝起きて目の覚めるような色とりどりの朝顔の花を見ると、元気が出るような気がするのです。今日で6月も終わり明日から7月が始まりますが、順調に行けば朝顔は梅雨雨の恵みを受けてあと10日もすれば、グリーンカーテンのように書斎の窓に緑陰を作り、花を咲かせてくれるものと思われます。日々の暮らしに彩を添えてくれる楽しみがまた一つ増えました。

「種苗店 貰った朝顔 プランター 3箱に植えて 6本育て」

 「支柱立て 園芸網を 脚立にて 書斎の窓辺 軒先張って」

 「温暖化 グリーンカーテン 少しだけ お役に立てば それもまたよし」

 「朝顔の 花見て元気 貰おうと 日々の暮らしに 彩添える」 

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人間牧場

〇久しぶりのJR下灘駅

 最近は人間牧場に行く機会が多く、足繁く海岸国道を通ります。その度に下灘駅を上に見て通りすがりますが、行く途中見上げた駅のプラットホームに黄色いひまわりの花が見えました。「ああもうそんな時期か!!」と思いつつ、「そうだ帰りに立寄ってみよう」と思いました。平日の昼間昼前だったにもかかわらず立寄った駅では、4~5人の若者が思い思いのひと時を過ごしていました。

海をバックに咲く黄色いひまわりの花

秋になるとコスモスの咲くプラットホーム横の畑には、地元の人が育てたひまわりの黄色い花が夏の訪れを告げるように咲いていました。カメラを持たなかったことを後悔しましたが、偶然にもこの日、親友の前田さんが下灘駅に立寄ったことを、facebookに写真付きでアップしていたので、許しを得てシェアさせてもらいましたが、写真技術の下手糞な私とは違い、写真一枚一枚に主張を感じました。

21日のお接待の日に従兄弟で、まるで下灘駅の駅守のように活動している西下さん宅を訪ねましたが、車はあるのに家の玄関は鍵がかかり、あいにく留守でお接待の赤飯を持ち帰った経緯があるので、気になっています。今日にでも電話を入れて所在確認をしたいと思っていますが、57年前集団就職列車で同級生をこの駅から見送ったこと、54年前宇和島水産高校の実習船愛媛丸で遠洋航海に旅立つ日、親父に送られてこの駅から旅立ち、3か月後マグロを担いで帰ったこと、47年前わが妻と見合いし初デイトにこの駅から出かけたものの、列車の中で妻の顔を忘れて大失態したこと、33年前無人駅のプラットホームを舞台に夕焼けコンサートをやったことなどが、つい昨日の日のことのように断片的に思い出されました。

私にとってこの駅は、北島三郎の歌「終着駅は始発駅」かも知れませんが、今はまだ「始発駅」の思い出の方が多いものの、確実に一日一日終着駅が近づいていることは確かです。海をバックに咲くひまわりの花に、少し元気をもらったような立ち寄りでした。今日は遠来の友が人間牧場へやって来るので、下灘駅に案内しようと思っています。

「行き帰り 下灘駅を 見上げつつ 素通りひまわり 花目に留まり」

 「久しぶり 訪ねた駅に ひまわりが 沢山咲いて どこか懐かし」

 「気がつくと カメラ忘れて しまったと 思いながらも facebookで」

 「この駅は 私にとっても 始発駅 あれやこれやと 思い出多く」

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人間牧場

〇私は先生ではありません

 昨日は金融広報委員会の仕事で、四国中央市の中曽根公民館へ行きました。四国中央市は愛媛県の一番東に位置していて、徳島県や高知県へ行くジャンクションとしてよく通る街ですが、最近は通過することが多く、カーナビの力を借りて、間違うこともなくほぼ完璧に予定の時間通り40分前に到着しました。前後して主催者である愛媛県東予地方局の担当者も見えられ、公民館の玄関に入りましたが、事務所に人の気配がなくいくら呼んでも音沙汰なしでした。

(立派な中曽根公民館大ホール)

 「困った」と思いつつ2人で勝手に上がり込み玄関ロビーで待ちましたが、開会の時間が迫っていたので大ホールに入りました。昨日の相手は老人クラブ女性部の75歳を超えた50人ですが、ほぼ予定通りの人数が既に座って開会を待っていました。やがて代表の開会のあいさつで、私の「超高齢化社会を生きる」と題した講演は始まりましたが、代表者が私を「若松先生」と紹介されました。

 普通人の前で講演するような人は、学歴のある、そしてプロフィールもそれ相応の人でしょうが、私はそんな大それた人間でもない学歴も肩書もない、どこにでもいるような「普通の田舎のおじさん」なのです。先生と呼ばれる人は学校の先生やお医者さん、政治家などなので、「私は先生ではありません」と否定のあいさつから始めなければならないので、多少面倒だと思っているのに、時にはステージに架かった懸垂幕には演題の横に「人間牧場主・年輪塾々長若松進一先生」と歯の浮くような文字で書かれて赤面してしまうのです。

 私は大学へも行っていないので学歴が殆どありませんが、学習歴は人様並だと自負しています。青年団活動8年間や公民館主事13年間から始まったこれまでの学習歴は、自分を大きく成長させてくれました。死んだ親父が「学校へ行かなくても学ぶことはどこででもできる」と、口癖のように言っていたことを自分の戒めとして、今も学習を怠らないように心がけ生きています。

 「先生と呼ばれるほどの人でなし」はけだし名言で、これからも普通のおじさん、いやおじいさんとして、残りの人生を世のため人のため、ささやかながら尽くしたいと思っています。講演の前にあれほど「私は先生ではありません」と言ったのに、昨晩帰宅してパソコンメールを開くと、参加した女性の一人から「若松先生、今日はいいお話を聴かせてもらってありがとうございました。~後略」とお礼や感想のメールが入っていました。返信メールに「私は先生ではありません」と前書きして返信をしました。大笑いです。

 「先生と 言われるほどの 人でない まずは否定し 講演入る」

 「先生と 呼ばれて嬉しい 人もいる 私なんぞは 価値もないので」

 「学歴は ないが学習 歴はある 親父の言葉 思い出しつつ」

 「学歴が 人の値打ちを 決めるなら 私は何の 値打ちもないな」

 

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人間牧場

〇子どもたちが海岸清掃

 沖縄に続いて一昨日鹿児島県奄美地方が梅雨明けしたと、テレビのニュースで報じていました。今年は梅雨入りが例年より早かったので、ひょっとしたら梅雨明けが早いかも知れないと、淡い期待を抱いていますが、前日の夕方孫希心から「開眼掃除に使うので火ばさみを用意して」と頼まれていたので、登校時に手渡しして持たせました。

(灘町海岸を清掃する由並小学校児童)

シーサイドビーチ砂浜を清掃汁由並小学校児童

 朝食を終え準備して人間牧場へ草刈りに出かける途中、灘町海岸で由並小学校の子どもたちが全員出て清掃活動を行っていました。東駐車場に車を止めて灘町海岸とシーサイドビーチ砂浜に出て、清掃の様子を遠望しながら写真に収めましたが、私の姿に気がついた小学校3年の孫奏心が手を振って応えてくれました。

 梅雨が明ければ間もなく、灘町海岸とシーサイドビーチには連日沢山の人が涼を求めて訪れる予定です。8月5日には恒例のトライアスロン大会も予定されていて、小さな子どもたちの善意ある清掃行動は、何よりも嬉しいプレゼントです。かつて毎朝午前5時から3時間、休むことなく12年間、シーサイド公園を清掃した昔のことが懐かしく思い出されました。

「火ばさみの 用意頼まれ 孫渡す 偶然清掃 している様子」

 「双海町 梅雨が明ければ 夏は来ぬ 連日大勢 涼を求めて」

 「子どもたち 小さい力 数勝負 砂浜海岸 すっかり綺麗」

 「毎朝の 3時間の 清掃12年 今は懐かし 思い出となり」

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人間牧場

〇消毒って?

 私は過疎地の田舎に住んでいます。ある意味のんびりしていて、たまに東京に出かけ帰ると、「この町は時間が止まったようだ!!」と思ったりもしますが、私のように年齢を重ねると今の世の中のスピードにはついて行けず、田舎暮らしがいいと自分に言い聞かせ、納得しながら自分流に生きています。

消毒という農薬散布

私の仲間には農業をしている人が沢山います。夏のこの時期は草刈りや農作物の消毒、摘果作業など、汗をかきながら忙しそうに働いていますが、会話の中で時々気になるのは、「消毒」という言葉です。小さい頃から耳にする言葉なので余り気にはなりませんが、時々少し疑問に思うこともあります。

「消毒」という言葉で思い出すのは、子どものころ転んだり刃物で切ったりしてケガをした時、綿にたっぷりオキシドールを沁み込ませ、傷口を消毒してもらいました。今は無くなりましたが、その後に赤チンを塗って包帯をして化膿するのを防いでいました。それはまさに「消毒」という言葉通り毒を消していたのです。

ところが農作物に農薬を振りかける行為も、オキシドールや赤チンと同義語の「消毒」では合点がゆかないのです。農作物の側から考えれば病気や害虫から守ることはある意味「消毒」なのでしょうが、農薬をかけた農作物は毒を消すどころか、毒を振りかけていると思うのです。こんな疑問を投げかけるのは私一人でしょうか?。

「転んだり 切り傷したり その度に オキシドールや 赤チン消毒」

 「作物に 農薬振り撒く こと同じ 消毒ですと 違和感もなく」

 「農薬は 農の薬と 書きまする 農毒じゃない 作物言ってる」

 「世の中にゃ 首をかしげる こと多い 凡人私 素朴な疑問」

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