人間牧場

〇ふるさと体験塾欠席

 ここ数年は殆ど休まなかったふるさと体験塾ですが、1年前からスケジュールに組み込まれていて、どうしてもキャンセルすることができなかった岡山県津山市での講演に出席するため、実行委員会に無理を言って、今年第3回目となる「船で海に飛び出そう~底引き網体験}」を今回は、お休みをさせてもらいました。さりとて実行委委員長なので企画や準備には深く関わりました。事務局の隅田さんと、講演道中にも何度か携帯電話で連絡を取り合いながらの一日でした。

体験航海に参加した子どもたち
黄色い底引き網漁船に乗船
島民15人ネコ150匹の青島上陸
青島に伝わる盆踊りの説明を聞く子どもたち
底引き網体験
美味しかったお魚料理
本多さんがアップした大漁の鯛を抱えてご満悦な子ども

昨日は好天に恵まれ、海も穏やかで予定通り上灘漁港を出港したようでした。今回は沖合に浮かぶ島民15人ネコ150匹の住む青島に途中寄港する面白い企画を思いつきましたが、青島の紙本分館長さんのお骨折りもあって、愛媛県指定の郷土芸能青島盆踊りの様子も見学させてもらうなど、沖合に浮かぶ青島を毎日見て暮らしているとは言いながら、滅多に訪れることのできない島だけに、参加した子どもも大人も大喜びでした。

 夕方帰宅する途中、隅田さんから何のトラブルもなくプログラムを無事終了した旨の報告があり、帰宅するとメールで当日の様子が画像で送られていました。また同行した子どもの親もfacebookに様子をアップしていました。孫2人も当日の様子を報告してくれました。昨日は孫がお土産にもらったというホウボウのお裾分けを、妻が煮付けにして食卓に並べてくれましたが、新鮮で飛び切り美味しいプレゼントでした。

「行けなくて 残念でした あれやこれ 楽しかったと 画像が届く」

 「ネコの島 興味深々 上陸し 異様雰囲気 聞きしに勝る」

 「刻々の 電話報告 旅先で 聞きつつ最後 何事もなく」

 「孫土産 貰ったホウボウ 食卓に 自分が獲ったと 孫は錯覚」 

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人間牧場

〇夏空に入道雲

 西日本を中心にして、甚大な被害をもたらした7月豪雨から1週間が経ちました。泥沼のようだった畑もこのところの、35度近くになる連日の真夏日でかなり乾いて、そろそろ水が欲しい感じがし始めてきました。降ったら降ったで心配でしたが、天気予報だと当分の間は雨の降る気配もないので、菜園の畑に朝晩水を灌水するホースも準備しなければならなくなりました。

人間牧場に出かけ沖合に目をやると、空も海もすっかり夏空に替わり、水平線の上には大きな沸き立つような白い入道雲が勢いよく湧いて、元気を貰うような感じがしています。雲を見ていると色々な姿形を連想します。観音開きの窓を全部開け、ウッドデッキの木陰に背もたれ椅子を出し、体を横たえて雲の行方を何気なく追いながら瞑想にふけるのも楽しみの一つです。

この時期は縞模様の藪蚊が出て刺されるので、蚊取り線香に火をつけて背もたれ椅子の下に置くことも忘れないようにしなかればなりません。三日前、遅ればせながらツリーハウスの傍に置いている蜜蜂の巣箱に蜜蜂が分蜂したようで、時々静かな羽音を立てて、蜜蜂が上空を西に東に忙しそうに行き交う姿が見えました。人間牧場の夏は平和です。

 

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人間牧場

◯巣立ちの季節

昨日の夕方、息子たちのダイニングで談笑していると、何やら「ゴツン」という鈍い音がしました。みんな一斉に「あれ?、なんの音」とガラス戸の外を見ると、小鳥の赤ちゃんが、ガラス戸に頭をぶっつけ、脳しんとうを起こしていました。「可愛そう」と外に出ようとする3年生の孫を静止し、しばらく皆で見つめていました。

  1. 脳しんとうを起こした巣立ちの小鳥

    その内小鳥の赤ちゃんは、近くまで飛んできた親鳥の声に促されどうにか歩けるようになり、通路の向こうの石の上まで飛びました。小鳥の雛はまだ頭に産毛が生えていて、やっと巣立ちを迎えたようでした。車庫の蛍光灯の上に、今年もつばめが巣を作り親鳥がせっせと赤ちゃんに餌を与えて育てています。

巣の下には私の愛車を置いていますが、ボンネットの上は毎日フンで汚れていますが、妻は「もう少しだから我慢して」と私に自制を求めています。昨日も外出する時フンを水洗いして落しました。妻は私には厳しいのに、ツバメには優しいのです。若いツバメ?の方が私よりいいのでしょうか?。

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〇一歳の孫が歩き始めました

 5月から12月まで、長期間研修に横浜へ出かけている次男息子から、「花菜がどうやら歩き始めたようだ」と一昨日メールが入りました。遠く離れていてもパソコンやスマホを使ってリアルな様子を、毎日確認できるのですから便利な時代になったものですが、その様子は松山から横浜を経由してわが家へ届くのです。

やっと歩き始めた孫花菜

 4~5日前に、大雨の被害に遭っていないか心配で、息子の家へ妻とお二人で出かけた時孫は、まだ伝い歩き程度でしたが、送られてきた動画ではテレビに向かってチョコチョコ歩く姿が見え、内孫2人も巻き込んでその歩く姿に、みんなで拍手を送りました。まだ言葉は意味不明ですが、最近は近くの児童館にも親子で出かけているようで、仲間も増えているようです。

子どもの成長は早いもので、「這えば立て、立てば歩めの親心」です。「子を持って知る親の恩」とも言われていて、戦争末期の昭和19年に生まれ、私の成長など二の次だったのだろうと思っていましたが、親はいつも子どもん成長に目を細めるもののようです。俄然週末に出会うのが楽しみになってきました。目下のところ孫の成長はわが家の希望の星です。

「横浜を 経由の動画 届きたる 孫の歩きに 思わず拍手」

 「他愛ない 孫の成長 楽しみに 爺婆顔を ほころばせつつ」

 「少しずつ 上向き成長 する孫に 比べ私は 下向き退化」

 「田動物 生まれりゃすぐに 歩くけど 人間一年 せずば歩かず」

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〇梅雨が明けました

一昨日の夕方、梅雨明けを予感するように、久し振りに穏やかな夕焼けが見えました。青空・太陽・入道雲・夕焼けは久しぶりです。長雨への対応で、どことなく沈みがちだった気分が浮き浮きしてきました。

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〇海は偉いな大きいな

 家の周りは今回の大雨で、まるで水攻めに遭ったようで生きた心地がしませんでした。穴という穴から水が噴き出し、満水となった水路から水が溢れ、幸い倉庫で済みましたが、倉庫の中は床下浸水し、自慢していた自作の芋坪も、あえなく水没してしまいました。2階の窓から見ると家並みの向こうの上灘川は、茶色く濁った水が堤防を越えて早苗の田んぼに入っていました。

見たこともないような大きなソコニベ

 不思議なことにこれほどの大雨大水なのに、前面に広がる伊予灘の海は何一つ文句も言わず、全ての水や汚物を受け入れているのです。まさに「海は偉いな大きいな」です。昨日は漁師さんも久しぶりに船を出し漁に出かけたようで、夕方親類の叔父さんから「魚を取りに来るよう」電話が入り出かけました。魚はトロ箱から尾びれがはみ出すほどの大きな「ソコニベ」でした。

 私も海沿いに面した町に住んでいるので、これまでにも色々な魚を見てきましたが、これほど大きな「ソコニベ」は初めてで、早速家に持ち帰り外の流し台で鱗を引き、出刃包丁を研いで3枚におろしました。中骨やヒハラ、頭は煮付け用にぶつ切りし、かなりの量の身は4つに分けて、トマトやスイートコーンを貰った親友宅へお裾分けしました。

 勿論同居の息子嫁にもお裾分けし、昨晩の夕食は美味しい刺身とアラのみそ汁で至福の時を過ごしました。このソコニベも今朝まで大雨の流れ込んだ海で泳いでいたのかと思うと、不思議な気持ちになりましたが、大雨が運んだ大量の栄養分は、餌となって魚を育てるのです。知らない所で連鎖を繰り返す自然は、大きなホスピタリティだと実感しました。

「あれほどの 大雨降っても 受け入れる 海は偉いな 大きいなです」

 「大雨で 休んだ漁師 沖に出て 久方ぶりに 浜に活気が」

 「ソコニベを 出刃包丁にて 3枚に おろし知人に お裾分けする」

 「昨晩は 美味しい刺身 舌鼓 元気回復 わが家も復興」

 

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人間牧場

〇面白い表現

 この4~5日、裏山が2度も崩れて被害に遭った経験のあるわが家では、家族全員が心配しながら大雨に翻弄され、心身ともに疲れ果てましたが、今朝書斎の窓から雲一つない抜けるような青空に、眩しい朝日が差し込んで、嬉しい朝を迎えています。各地から大雨の被害状況がfacebookで届いたり、安否確認やお見舞いのメールが届き、その都度返信をしてきましたが、やっと収束って感じで、今日は濡れた物を干したり、雨で傷んだ家庭菜園の修復作業をしようと、食事をしながら妻と話しました。

 この3日間交通手段を絶たれたため身動きが取れず、私たち夫婦と息子家族4人の6人の家族が一日中家にいて、色々なことを話しました。「30年に一度なら、30年後親父はもうこの世の中にはいないので安心しろ」と言う息子の言葉に、自分の余命の短さを思いましたが、今朝年輪塾々生の大洲市田処に住む亀本耕三さんから、安否確認のメールが入りました。亀本さんは「コンビニはローソン、田処は農村」「フランスはシャンソン、田処は農村」などと洒落た言葉を思いつき、私たちを笑わせていますが、今朝も新しいギャグに思わず笑ってしまいました。

「日本は自衛隊、田処は爺衛隊」だそうです。確かに今回の未曽有の大雨被害では、派遣要請された自衛隊が大活躍で、国民から大いに感謝されています。ところが一斉に起こった全ての被害に自衛隊が対応できるはずもなく、田処ではみんなが協力して重機を出し、土砂崩れで孤立した自分の地域の一か所の道を、自力で復旧したそうです。その主力メンバーは高齢者と言われる年齢の人たちで、「自衛隊ならぬ爺衛隊」と呼ぶにふさわしいようでした。「なるほど」とにんまりしながら納得しました。私を含めた高齢者はとにかく元気で、日本の宝です。

「あれやこれ 日本の自衛隊 頼りなる あちらこちらで 活躍感謝」

 「自衛隊が 来ない地域は 爺衛隊 歳はとっても ふるさと守る」

 「何日か ぶりに青空 朝日見る どこか元気が 出るよう予感」

 「わが家でも 一番頼り なる人は 爺の俺だと 大雨自認」

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人間牧場

〇蜜蜂巣箱の床上浸水

 昨日は息子も若嫁も、妻も孫も全員が大雨で臨時の休みとなり、久し振りに一日中家族みんなが揃って過ごしましたが、私と息子はテレビの気象情報を見ながら時々外に出て、雨合羽と長靴の出で立ちで家の周りや裏山の側溝掃除を足繁くやりました。天気の日は側溝などの存在すら忘れていますが、昨日のように大雨が降ると側溝を溢れた大水が勢いよく流れて、詰まると小さな被害を引き起こすのです。

床上浸水した蜜蜂の巣箱

 昨日見回りの途中、裏山から鉄砲水のような水の吹き出し口を見つけました。その水が折角入居している蜜蜂の巣箱を直撃して、底板に泥水が流れ込んでいました。蜜蜂にとっては床上浸水といったところで、逃げ場を失った蜜蜂が4~5匹入り口付近で助けを求めているような雰囲気でした。急いで底板の底上げを思いつき、倉庫から替えの底板を用意して、息子に手伝ってもらって巣箱を持ち上げ、やっとの思いで応急処置を終えました。

蜜蜂は人間様と同じく雨が苦手のようで、雨が降る日は余程のことがない限り、巣箱の中でじっとしていますが、昨日は床下浸水に驚いた蜜蜂が、羽根を乾かすためでしょうか、出たり入ったりしていましたが、夕方にはその行動も収まりました。今朝も小雨が降っているので、おとなしく巣箱の中で過ごしているようです。早く雨が上がることを、私も勿論蜜蜂も祈っています。蜜蜂は繊細な小動物です。住環境が悪いと思えば巣毎どこかへ立ち去り移住してしまいます。そのまま定住してくれることを願っています。

「蜜蜂の 巣箱床上 浸水し 4~5匹何とか してくれ騒ぐ」

 「床を上げ 応急処置を したお陰 騒動収まり ホッと一息」

 「大雨で 人間様も 蜜蜂も 緊急事態 人間第一」 

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〇送られてきた二神島豊田造船所資料集

 昨日の昼頃、一通のレターパックが届きました。送り主は親友の豊田渉さんからで、封を切り中から出てきたのは神奈川大学日本常民研究所発行の、「二神島豊田造船所資料集」という150ページに及ぶかなり分厚いA版の報告書でした。豊田さんは旧温泉群中島町役場の職員でしたが、平成の大合併で中島町が松山市に合併して市役所職員となって定年退職した後も、再雇用でBGなどを経て現在は松山市役所中島支所で離島関係の仕事をしています。

豊田さんが送ってくれた本

豊田さんは私たちの町の沖合に浮かぶ二神島の出身で、神奈川大学の日本常民文化研究所は、二神島の旧庄屋二神家の文書を譲渡され、30年にわたって島の歴史や民俗などの追跡調査を行っていますが、その一環として豊田さん自身の実家が営んでいた豊田造船所について、調査や執筆をしたようで海の資料に興味のある私は、早速ページをめくりながら貴重な資料を読ませていただきました。瀬戸内海から姿を消した船のに関する資料の数々に、驚きを禁じ得ませんでした。

早速勤務中の豊田さんにお礼の電話を入れ、それらの資料や造船時に使った、今も残る道具類の保存について意見を交わしました。豊田さんは愛郷心の強い人間で、これまでにも若い頃から「よもぎ」という新聞を発行したり、離島青年協議会のメンバーとして活躍してきました。また私たちと一緒に由利島で「無人島に挑む少年のつどい」や「丸木舟建造航海」にも深く関わってくれましたが、今は島を離れ松山市久米窪田に移り住んで、再雇用で毎日中島本島へ高速船で通っています。

 1921年に渋沢栄一により創設されたアチックミュージアムは、周防大島出身の民俗学者宮本常一の手によって大きな成果を収めました。戦時中日本常民研究所に改称され、その後1982年には神奈川大学に招致され現在に至っていますが、高度成長により散逸したり散逸しようとしている様々な生活文化に光を当て、調査研究をしてこのようにデーター保存することはとても意義深いことなのです。いつの日か私も親父の残した資料を調査研究して残しておきたい衝動に駆られました。

「親友が 送ってくれた 一冊の 報告書見て 感動一気に」

 「瀬戸内の 海岸沿いは 一変し 昔の姿 忘れ去られて」

 「わが家にも 昔の歴史 あれやこれ そのうち記録 残さなければ」

 

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〇コンニャク畑の草引き

 このところ息子から頼まれ暇を見つけて、人間牧場のカブトムシ養殖場で成虫になったカブトムシを探し、持ち帰る作業を手伝っています。この3日間で20匹ほど捕獲しましたが、息子は夜10時ころ仕事から帰ると、それらのカブトムシを倉庫の中の飼育場へ持ち込み、せっせと仕分け作業をしています。昨日の朝も雨合羽を持って出かけると運よく雨がやんでいて、7匹をゲットしましたが、折角雨合羽を持参していたので、コンニャク畑の草引きをすることにしました。

草引きを終えたコンニャク畑
秋にはこんな大きなコンニャク芋が収穫できる予定です

 この時期は藪蚊が沢山出て体中にまとわりついて刺すので、蚊取り線香を腰にぶら下げての作業です。この歳になって思うことですが、若い頃やお酒を呑んでいた頃は、幾ら蚊取り線香をつけていても余り効果がなく刺されていましたが、藪蚊も私のような高齢者の血は美味しいご馳走と思わないのか、有難いことに思ったほど刺されなくなりました。地べたを這うように泥まみれになりながら、1時間ほどの農作業をしたお陰で、2枚の細長いコンニャク畑は綺麗に草を取り除くことができました。

まるでキリンの首のようなまだらな模様のある茎の周りには、コンニャクの小さな芽が沢山生えていましたが、それを雑草と一緒に引き抜かないよう気をつけるのも一苦労でした。私は子どものころからコンニャクは嫌いな食べ物なので殆ど食べないのに、人間牧場の体験メニューにどうしても欲しいのでコンニャク芋を栽培していますが、思えばこれも滑稽な話です。最近はコンニャク作りの名人で親友の西岡さんに芋を差し上げ、作ってもらう悪賢いことも覚えています。雨が上がったらもう一枚の残ったコンニャク畑の草引きをする予定です。

「雨やんだ ちょっとの隙間 利用して コンニャク畑 草引き挑戦」

 「カッパ着て 地べた這うよう 草を引く 蚊取り線香 腰にぶら下げ」

 「歳とった 私の血など 旨くない 藪蚊も相手 選ぶ権利が」

 「コンニャクの 嫌いな私 芋作る 滑稽話 一人苦笑す」

 

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