人間牧場

〇夕方五時ころ綺麗な虹が見えました

 「五時だのに虹(二時)」なんて駄洒落にもなりませんが、昨日の夕方霧雨程度の夕立がありました。「雨らしくもう少し降って欲しい」と願いながら天を仰ぐと、西日を受けた東の空に綺麗な虹が架かっていました。居合わせた妻に「綺麗な虹が出ている」と話すと、あいにく電話中だったので、私一人でタブレットを持ちだし、双海中学校の体育館の上に弧を画いたに虹の、証拠写真撮影と相成りました。

綺麗な虹でした

 虹は水滴に太陽の光が反射して見える自然現象ですが、七色の虹を見ると何かいいことがありそうな気持になります。多分それは子どもの頃に読んだ虹がテーマの童話本の影響だとも思うのです。一人の男が虹の根元を掘ったら財宝が見つかるという話を信じて旅に出ました。男はいくつもの虹に出会う度、必死になって根元を探そうとするのですが、虹は直ぐに消えて思うように根元をに行き着きませんでした。

 ある晩旅に疲れてついウトウトしていると、夢の中に一人の老人が出てきました。その老人は虹の滝があることを教えてくれました。その日から虹の滝を探し、やっとの思いで虹の滝を見つけました。見上げると滝つぼに落ちる水滴が綺麗な七色の虹を作っていました。その足元に何やらキラリ光る石を見つけました。金の石でした。よく見るとそこには金の鉱脈が帯状に露出していました。

 男はその後まじめに働いてお金をため、その土地を買って鉱山を造り、地域の人を沢山雇って地域の発展に貢献しました。まあこんな筋書きだったようですが、私は虹の根元を探すことなどしないから、相変わらずの貧乏暮らしですが、それでも虹を見る度にどこか幸せになるような気持ちになるのです。私の見た虹はその後はかなく消え去りましたが、タブレット内蔵のカメラで撮影した写真は手元に残っているから不思議です。

「あっ虹だ!! 昨日五時ころ 東空 七色アーチ それは綺麗に」

 「虹見ると どこか幸せ なる気分 自然は偉い ホスピタリティ」

 「子ども頃 虹の本読み インプット この歳なっても 未だ忘れず」

 「消えたのに 写真の記録 残ってる これも文明 凄いことです」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇帰り道でのお参り立寄り尾道千光寺(その4)

 真夏ながら夏至や立秋もとうに過ぎ、随分日の暮れが早くなってきました。宮島や錦帯橋の見学に時間を取られ、加えて事故による渋滞に巻き込まれて、予定していた尾道の街並み散策は時間切れでできませんでしたが、せめて千光寺だけでもお参りしようと、高速道路を尾道インターで一旦降り、カーナビとタブレットの案内を頼りに、千光寺に通じる細い道を走りました。

千光寺境内

尾道の街並み

千光寺は尾道の街並みや尾道水道、恩道大橋を一望できる小高い場所にあります。西に傾いた夕日に照らされた尾道の眺望もどこか懐かしい雰囲気でした。坂道を歩いて上ったり下ったりしながら千光寺に到着し、とりあえずお参りを済ませました。私は願い事など「家族がみんな健康で過ごせますように」程度ですが、妻は軒先に吊るした珍しい数珠を繰りながら、色々なお願いをしていたようです。多分「宝くじに当たりますように」も付け加えたことでしょう。

名刹千光寺はまるで花崗岩の石の上に建っているようで、奇岩のあちこちには、歴史上に生きた有名な人々の言葉があちらこちらに刻まれていますが、興味はあっても無学な私には中々読めないし、意味も分からず難解でした。やけっぱちに鳴いていたセミの声もいつしか弱まる中を、尾道を後に帰路に着きましたが、久し振りの予定のないのんびりした夫婦だけの小さな旅は、思い出を残して終わりました。

「一日に 一分程度 日没が 早くなってる 今日のこの頃」

 「千光寺 名刹らしい 風情あり 数珠を繰りつつ 妻手を合わせ」

 「尾道の 街並み一望 指を差し あれが大橋 あれが水道」

 「喰い忘れ 尾道ラーメン また次と 妻に謝り 尾道後に」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

◯往復650キロ・13000歩の小さな日帰り旅(その2)

 急な思いつきで夫婦で出かけた広島への旅は、まず天下の名勝安芸の宮島です。汗をかきながら社殿を見学した後、紅葉谷からロープウェイで弥山に登りましたが絶景でした。これまで何度も宮島を訪れていますが、弥山は初めてであり妻も私も感激の面持ちでした。宮島は歴史ある厳島神社と島の殆どの自然林が世界遺産に登録されていて、ロープウェイで上空から眺める景色はまるで空中散歩をしているようでした。

宮島ロープウェイ
宮島山頂付近
宮島山頂弥山

 下山し商店街を歩き、食堂に入って私は名物のアナゴ飯、妻は牡蠣鍋丼を食べましたが絶品でした。それにしても暑い一日で、午前中にもかかわらず大汗をかいてしまいました。食事の後フェリーで宮島故口まで戻り、妻のたっての希望で岩国の錦帯橋を訪ねることにしました。帰省客の影響であちらこちら車が混んでいる旨の情報が流れ、その都度逃げ道を1時間ほど走って迷うことなく錦帯橋へ到着しました。

 河川敷に車を止め、錦帯橋の下を流れる鏡川の清らかな流れを見ながら橋を渡り、武家屋敷通りも散策しました。私にとっても錦帯橋は思い出の場所でもあります。錦帯橋の近くのホテルで開かれた全国大会の講演会で、名人に描いてもらった似顔絵は、その後大きな反響を呼び、私の裏が味噌の似顔絵名刺誕生のきっかけとなりました。宮島は広島県、錦帯橋は山口県ですが、錦川に架かった四重連の太鼓橋も天下の名勝です。

「宮島は 何度か訪ねた 場所なれど 弥山山頂 今度初めて」

 「ロープウェイ 乗って宮島 空の上 下界見降ろす これも趣」

 「妻は牡蠣 私アナゴを 注文し 二つの味を 楽しみました」

 「錦帯橋 宮島県は それぞれに 違うけれども 近くにありて」 

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇わくわく生活体験夕焼け村が間もなく始まります

今年も夏休みが終わった9月2日から9月8日までの一週間、「わくわく生活体験夕焼け村」が始まります。一昨日の夜参加者・保護者に対する事前説明会が行われました。今年は36人の申し込みがありました。東雲大学の学生さん10人と、ジュニアリーダー10人、実行委員なども集まり賑やかでした。

参加者

大学生スタッフ

ジュニアリーダー

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇ビニールハウスのトマト片付け

 少し早めにトマトの味を楽しもうと、家庭菜園の隅に小さなビニールハウスを建て、トマト栽培にチャレンジして3年が過ぎました。今年も3月に植えた30本ほどのトマトの苗は順調に育ち、沢山の実をつけてくれました。途中側窓を開け忘れたり、側窓網が破られて有害鳥獣の被害にも遭い、少し心配したりしましたが、お陰様で無農薬のトマトをふんだんに食べ、親類や知人友人にもお裾分けして喜んでもらいました。

この姿はもう来年まで見れません
新地となったハウス内

 そのトマトがハウス内にジャングルのように茂り、このところの猛暑に耐え切れなくなってしまったので、昨日そのトマトの背丈以上に伸びた茎を剪定ばさみで切り、ハウス外へ出しました。ただでさえ暑い日中の作業だったので、大汗をかいてしまいましたが、更地になった畑に水をまき、牛糞2袋と山から取ってきた腐葉土を客土として万遍なく撒いた後、夕方狭いハウス内に耕運機を入れて中耕しました。この時期は葉物野菜がないので、とりあえず一畝小松菜の種を蒔き、もう一ヶ月もするとこのハウスの中に、冬の間スムージに使うケールの苗を植える予定です。

立秋も過ぎ、お盆が終わればいよいよ秋蒔きのシーズンが始まります。今年はその目安となる210日は9月1日のようだと、今朝旧暦暦を見て思いました。昨日は雑草に覆われた空き地の草も取り、ハウス内と同じように牛糞を振り撒いた後を耕運機で中耕しました。こうしておくとそのうち降るであろう一雨で土が柔らかくなり、耕作適地となる予定です。今年は世話の甲斐あってオクラとピーマンとキューリが大豊作で、ナスもそれなりに出来、食卓を賑わせています。

「今年も 大豊作の ビニハウス トマト三昧 やっと終わりぬ」

 「ハウス内 まるでサウナの ようでした 大汗かいて トマト片付け」

 「牛糞と 客土を終えて 耕運機 中耕跡地 今度は葉物」

 「来年は あれこれ思い 巡らせる 野菜つくりも 日々の楽しみ」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇ブライダルからセレモニーへ

 私は若い頃公民館に勤務し、生活改善運動の一環として冠婚葬祭の改善に力を入れました。町営の葬儀祭壇、花輪やお返しの廃止、洋服の成人式など、当時としては斬新な取り組みで注目を集めました。特に1万円の会費制結婚式は多くの人が賛同し、公民館に結婚式用の祭壇まで造ったほどでした。故に私は頼まれて結婚披露宴の司会をこれまでに、537組もやっているのですから驚きです。

 私が公民館から人事異動で離れた頃から町では青年の流出が始まり、そんな冠婚葬祭への取り組みもいつの間にか姿を消しました。今にして思えば結婚披露宴を町内でするだけで、酒屋や料理屋、写真屋が繁盛したブライダル産業も、遠い昔の出来事になってしまいましたが、ブライダルとともに葬儀事情も随分様変わりしました。残念ながらわが町にはセレモニーホールがないため、人が亡くなると今は市内になりましたが、伊予市郊外のセレモニーホールで葬儀をする人が殆どになりました。

 私も歳相応になったため、残念ながらブライダルへの出席は殆どないのに、セレモニー出席は連日のようにあります。葬儀は身内を除けば案内は殆どなく突発的にやって来ます。また新聞のお悔やみ欄で知ることも度々です。幸い昨日は私が会長をしている事務局から訃報のメールが届き、今日の葬儀に予定が既に入っていて参列することが叶わないため、昨晩午後6時からの通夜に参列しました。私の親類の叔父や叔母も段々高齢になって、ある程度の覚悟が必要になってきました。かく言う私も・・・・。

「若い頃 連日あった ブライダル いつの間にやら セレモニーです」

 「公民館 生活改善 先頭に 立って奮闘 昔話に」

 「わが周り お年を召した 方ばかり 口じゃ言えぬが そろそろあの世」

 「メールにて 訃報が届く 時代です 予定キャンセル 出来ず通夜行く」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇虫刺されと擦り傷が絶えません

 夏は草刈りのシーズンです。今年の夏は暑く、昼間は35度を超える猛暑日が続いているので、「熱中症になったら大変だから、やらないように」と、妻や家族に注意されていますが、そういう人たちは誰も私の草刈りを手伝おうとしないので、結局のところ自分の農作業が遅れるだけなの話です。小まめに休憩や水分を補給するなど十分注意をしながらボチボチやっています。

この時期の草刈りは、ブトや藪蚊といった小動物にも悩まされます。そのため腰に缶入り蚊取り線香をぶら下げて作業をしますが、汗をかくとその水分と匂いにつられてアブがまとわりついてきます。アブは背中に止まると服の上から噛みつくので注意をしなければなりませんが、後ろに目がついている訳でもなく、追っ払っても追っ払っても執拗に止まるのです。時々腕に止まったのを見つけて叩き落そうとしますが、敵もさるもの一瞬の間に逃げてしまうのです。

 最近マダニのことも気がかりです。私はまだマダニの実物を見たことがありません。息子も孫もマダニに噛まれお医者さんで治療してもらいましたが、マダニで命を落とす人もいるそうなので、注意をしなければなりませんが、小さいゆえ注意をしても防ぎようがありません。私の体は手や首筋など外に出ている場所を中心に、虫刺され跡や擦り傷が絶えません。その都度薬を塗ったりリバテープを貼ったりして対応しますが、そんな小さなことを気にしていたら、農作業は進みません。日焼け止めを塗ることもなく、麦わら帽子と手袋くらいで急場をしのいでいます。

「この時期は 手や首筋に 虫刺され 擦り傷増えて 痒くて痛い」

 「マダニとは どんな生き物 まだ私 その姿など 見たこともなし」

 「ある知人 マダニに噛まれ 亡くなった 気にしていたら 仕事せず済む」

 「ああ今日も 暑くなるなと 腹くくる そろそろ秋の 準備作業を」 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇7月歌会の結果

 いつも忘れて督促をいただく、松山五行歌の会の見山あつこさんから、7月の歌会結果報告書が送られていました。私はいつも欠席歌の部なので、いつものように出席歌の部の一席から読み始めました。今回の一席は見山あつこさんの次の作品でした。
    雨が止まない
    止んでくれない
    出番がありませんようにと
    祈りながら準備する
    非常用持ち出し袋

 

実家のジイジと

欠席歌の部に載っている私の駄作です。
    一升餅
    背負って歩く
    孫娘
    爺婆四人
    老いも忘れて

次のような講評コメントが添えられていました。
 ☆一歳の誕生日を祝う伝統行事「一升餅」愛媛でもまだ続いているのですね。当の本人はわけがわからず重いお餅(約2キロだそうですよ)を泣きながら背負っている場面も想像できますが、四人のジジババや家族に見守られて誕生日を祝ってもらえる赤ちゃんは幸せです。お孫さんは将来もっと重い荷物を背負わなければいけないときもあるかと思いますが、健やかに成長して欲しいです。という感想も。

 その後ろに次のような添え書きメモが朱色で囲ってありました。
 【メモ】伝統行事「一升餅」とは
 お餅は昔から出産・誕生・祭り・正月・五節句など、ハレの日の重要なものです。一升には「一生」の意味が掛かっていて、おめでたいお餅と合わせることで、「一生食べ物に困らないように」「一生、健康でありますように」といった願いが込められています。また、一升餅の丸く平地たい形には「一生、円満に過ごせるように」という意味合いもあるようです。背負えても背負えなくても、一升餅はどちらもめでたい!立ち上がれたら身を立てられる、座り込んでしまったら家にいてくれる・家を継いでくれる、転んだら厄落としができたといわれます。どちらにしろ縁起の良い一升餅です。

「わが孫に 一升餅を 背負わせて 破顔一笑 家族は平和」

 「五行歌に 一升餅の ありのまま 書いて送ると こんなコメント」

 「幸せは 感じる心 あれやこれ 家族の成長 私死ぬまで」

 「この孫が 結婚するを 見届ける 私何歳 生きればいいか?」

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇天辺がなくなった麦わら帽子

 今年の夏はとにかく暑い!!と感じます。殆ど毎日のように行っている農作業も、ささやかなボランティア活動も全て屋外なので、日焼けなど別に気にしなくてもよい年齢でも、熱中症対策としてひさしの広い麦わら帽子を愛用していますが、照り返しの太陽の日差しは殊の外強く、「お父さん、黒くなったねえ!!」と妻に言われたり、時たま会う友人からは、日焼けが元気のバロメーターだと思っているのか、「お元気そうで何よりですねえ!!」と言われる始末です。朝晩洗面台の鏡に映った醜いアヒルである自分の顔を見て、「黒くなったなあ!!」と、自分で納得しています。

真っ黒に日焼けした私
天辺が破れた麦わら帽子

 ところでこの3年間愛用してきた麦わら帽子がついに劣化し、頭の天辺がちぎれてなくなってしまいました。主な原因は麦わら帽子を被ったまま木々の下を潜り抜ける際、容赦なく麦わら帽子の天辺やひさしを木々にぶち当てるのです。頭を怪我から守ってくれているのですから麦わら帽子には感謝しなければなりませんが、木陰なら天辺がなくっても、むしろ通気が良いのでしょうが、雨や炎天下ではその役目が果たせなくなってしまいました。どうやらそろそろお払い箱のようですが、3年間も愛用している麦わら帽子なので、棄てるに捨てきれず、今朝のゴミ出しにもためらって出せませんでした。

「見すぼらしいしみっともないから、天辺の破れた麦わら帽子はかぶって外にないで」と妻は言い、既に新しい麦わら帽子を買ってくれていますが、古い時代の人間のサガでしょうか、「勿体ない」の心理が何かにつけて働いてこの有様です。気がつけばワンテンポズレていると自覚さえする私には、余りにも急速に進化し続ける現代は、鶴田浩二の歌ではありませんが、住みにくい世の中になった」ものでございます。鶴田浩二の歌を知っている私は相当古いです(大笑い)

「日焼けした 私の顔を 見た友人 お元気そうでと お世辞の言葉」

 「3年間 お世話になった 麦わらの 帽子天辺 青空天井」

 「見すぼらしい 被らないでと 妻が言う 通気がいいと 理由をつけて」

 「古いねえ 勿体ないと いう心 鶴田浩二を 知ってる世代」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇次の里山保全作戦(その2)

 緑のダムとか緑の保全といわれ、戦後日本の各地で進んだ杉や桧といった針葉樹を植林した森の、50年を超すような大きな立木に育って森をなしているというのに、最近の大雨で土砂もろとも崩れている姿を、よく見かけるようになりました。崩れている場所をよ~く見ると、杉や桧の根はそんなに地中深く岩を割って、食い込んでいないことに驚かされます。地滑りに強いと言われていた竹も意外と表面で細根が絡んでいるものの、今回の大雨の土砂崩れ現場でも、竹藪が犠牲に遭っていました。ところが同じ針葉樹の松の木は離島の水もないような岩肌に深く食い込んで、白砂青松の景観を作っていることに驚きますが、クヌギなどの落葉雑木林も国土の保全には必要だと言われています。

3年前に10本から始めたクヌギの植林
順調に育っているクヌギの木

 カブト虫を飼い始めてから、そのことに少しずつ気づき、里山保全や水資源、土砂崩れ防止、動植物の循環型自然を再生する活動が必要であると思うになり始めています。ミカン園の防風林として植えていた杉の木が残って景観をなしている人間牧場に3年前、初めて10本のクヌギの木の苗木を植えました。この苗木は近くに住む友人の大野さんが、ドングリから芽を出させて育てたものをいただきダメ元で植え、2本は枯れましたが、8本は根を張って太り始めています。息子はそのことに気を良くしたのか、母がみかんを作っていたものの放任園となっている駄馬の畑を開墾して、クヌギの森を作ろうと、大袈裟にも里山保全を思いつきました。

 早速駄馬の荒れた畑の下見を行い、この秋ごろから草や雑木を取り除く作業を思いついています。200本が目標ですがとりあえず、100本の苗木を確保したり、今年の秋には近所のクヌギの木の下でドングリの実を拾い集め、種を蒔くことから始めようと思っています。妻は私と息子のこんな他愛のない話を小耳を挟み、「お父さん、自分の歳は幾つだと思っているの?。10年経ったら83歳になるのよ。ドングリを蒔いて芽を出させるなどそん夢みたいなことを・・・」と笑っていますが、まさに夢物語です。でもこんなささやかな余り金のかからない夢に親子で挑戦するのも悪くはないことだと、バカみたいなことに真顔で取り組んでいます。アッハッハです。(大笑い)

「大袈裟な 里山保全 ホラ吹いて 親子真剣 妻に笑われ」

 「10年後 歳を考え 首傾げ それでも親子 夢を追いかけ」

 「バカ親子 また始まった 呆れ顔 私を巻き込む やめてと妻に」

 「わら一本 クヌギ一本 革命だ 小さなことを 一人二人と」

[ この記事をシェアする ]