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〇南予明浜は私と同じDNA(その2)

 愛媛県は東予・中予・南予と、概ね3つのブロックに分かれています。3つのブロックは工業系の東予、商業系の中予、農・漁業系の南予とそれぞれ特徴がありますが、中予と言いながら私たちの町には取り立てた商業もなく、南予と同じ農・漁業中心ですが、過疎や高齢化で次第にその活力を失いつつあり、将来への不安を拭うことはできません。

ジオパークに指定されている明浜
石灰岩を積み上げた耕して天に至ると形容される段々畑
石灰三号が盛んな頃の白い煙が立ち上る高山
研修会

 3日前、南予西予市の明浜町へ講演を頼まれて出かけました。明浜町は宇和町・野村町・城川町・三瓶町と平成の合併で新生西予市となりましたが、基幹国道56号線から離れた場所にあるため、アクセス道路もまだ未整備な所が多く、私たちの町を通る国道378号と同じルートにあるものの、三瓶からも、宇和からも、法華津峠からもつづら折りの道を通らねばなりません。桜で有名な野福峠ルートは改良が進んでいて、一番向こうだのに時間的には一番早いルートのようです。

それでもへそ曲がりな私は、明浜総合支所が高山にあるため往路は宇和から山越えし、復路は三瓶から海岸周りのルートを通りました。狭い道を宇和海の素晴らしい眺望を横目に高山集落にほぼ時間通り40分前に到着し、海の直ぐ傍に支所に入りました。案内されて控室に入りましたが、人権教育研修会だったので、前もってメールで送っていた手作り資料に目を通しながら開会の時間を待ちました。壁にかけていた短冊色紙に「同じ顔 かわる心の うら表 初義」に目が行き、この言葉が講演のテーマになると思い、お話をさせてもらいました。

 それなりの反応を得た講演終了後、支所長さんや担当者に見送られて、海岸周りの国道378号をとりあえず三瓶に向って走りました。道の両側にはウバメガシが生い茂って、まるで緑のトンネルの中を走っているようでしたが、所々改良されているものの、道の狭さは国道ならぬ酷道といった感じでしたが、その分行きかう車も殆どなく、時間的にはそんなに変わらず、三瓶を抜けて八幡浜、ゴゼヶ峠トンネル経由で瀬戸内海側に出て、長浜を通り自宅へ帰りました。

明浜はかつて石灰製造で栄えた町です。そこここに産業近代化遺産とも思える跡が残っていたり、石灰岩を積み上げた石段の段々畑も残念ながら耕作放棄が進んでいるものの、必見の地域で、今度ゆっくり訪ねてみたいと思いました。南予は私のような田舎者には、まるで時間が止まっているようで、とてつもなくのんびりしていて、同じDNAが流れている感じがして、久し振りに人間性を回復したいい一日となりました。

「久方に 訪ねた明浜 懐かしく 知人友人 嬉しい出会い」

 「不便ゆえ 時代毒せず いい文化 遺る地域は どこか懐かし」

 「田舎者 ゆえに私と DNA 同じですよと 方言丸出し」

 「またいつか 俵津文楽 など見たい 歌舞伎くづしの 踊りも見たい」

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〇三度目の正直(その1)

 「二度あることは三度ある」のか、または「三度目の正直」なのか、前日までは半信半疑でした。1回目の7月は集中豪雨の前、2回目の8月は台風と、天気の都合で伸び伸びとなり、8月22日に決めたものの、今度は19号と20号の台風が近づき、「開催するかどうかは当日の朝に決定します」と前日主催者から電話が入り、昨日は半信半疑の朝を迎えました。

まるでドローンで撮影したような展望台からの眺望
リアス式海岸の美しい宇和海

私の緊張の糸も切れかかっていましたが、「予定通り開催します」と連絡をもらうと、どこかホッとしたような気持ちになりました。早速準備をして午後1時過ぎの集会ながら、会場となる西予市明浜町高山までは2時間ばかりかかるので、少し余裕を持って午前11時過ぎに自宅を出ました。明浜町高山へのルートは三瓶から、宇和町から、法華津峠入り口からと色々ありますが、今回は宇和町からの道を選びました。

 このルートは10数年前1度だけ通ったことがありますが、途中頂上付近に眺望の良い山岳公園という看板があったのを思い出し、人も殆ど訪れないような公園に立寄りました。狭い駐車場には格好いい赤いスポーツカータイプの乗用車が一台止まっていて、車内では人が来ないであろうと思ったのか、若いカップルが車の窓を開けたまま椅子を倒し車内で抱き合っていました。見て見ぬふりをして展望台に上がり下界の眺望を楽しみ、風景を写真に収めましたが、二人は私の存在にやっと気づいたようで、気まずそうに窓を閉め、私の去るのを待っているようでした。

峠から高山集落までの道はつづら折りで、離合に苦労する狭い道でしたが、やっとの思いで私たちの町を通る国道と同じ378号まで出ました。会場となる西予市役所明浜総合支所は、海のすぐ近くにありました。10数年前合併前の明浜町役場だったこの場所を訪ねた時、当時の酒井町長さんが「若松さん所には日本で一番海に近い駅があるそうですが、わが町の役場も日本一海に近い庁舎です」と胸を張られました、津波災害以降市役所施設が海に近いと、災害時の本部通信機能がマヒすることから、余り自慢にならなくなったようだと、昔を思い出し一人苦笑しました。

「大雨と 台風襲来 重なって 何度も延期 三度目さえも」

 「二度あれば 三度目もある 案の定 それでもラッキー 昨日はできた」

 「頂上の 山岳公園 スポーツカー 若いカップル 昼から抱き合い」

 「リアス式 海岸一望 展望台 遠くにかすむ 九州さえも」 

 

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〇朝の散歩再開

 4~5日前から朝晩少し涼しくなったようなので、7月中旬から自制していた朝の散歩を3日前から再開しました。一日1万歩を目指すためには毎朝大体7千歩歩けば、寝る前に1万歩を超す目論みなのですが、朝晩涼しくなったとはいえ今朝は台風接近の影響でしょうか蒸し暑く、すっかり大汗をかいてしまい、朝からシャワーのご厄介になりました。

今朝の綺麗な朝焼け空
今朝の朝顔の花

 朝外に出て東の空を見ると、綺麗な朝焼けでした。川沿いの道を高村電器店まで歩いて引き返すと、北の空に綺麗な虹が架かっていました。今日は何だかいいことがありそうな予感です。自宅に帰ると妻が家の周りに置いているプランターの水遣りを始めていました。私の植えたグリーンカーテンの朝顔のツルもいつの間にか屋根まで届いて、毎日綺麗な花を咲かせています。

 朝の散歩を休んでのはたった2ヶ月なのに、前一ヶ月は夏に向かい、後一ヶ月は猛暑残暑を経て、目にはさやかに見えねども、確実に秋に向って季節は動いています。今朝天一稲荷神社に通じる道端で、無数の赤い爪をした弁慶ガニを見つけました。前々から気になっていた弁慶ガニの様子も調べてみたいと思いながら、タブレットを持って散歩に出なかったことを悔やみました。

「3日前 涼しくなった ようなので 朝の散歩で 七千歩く」

 「台風の 影響だろう 蒸し暑く 今朝は大汗 朝からシャワー」

 「1万歩 目指して毎日 朝散歩 昼と違った 周囲の景色」

 「神社下 弁慶ガニが たむろして 何やらガサゴソ 調べてみたい」

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〇5千点の資料に驚く

 先日海岸国道の唐崎附近を走っていると、沖野先生の資料館の前で偶然にも沖野先生の姿を見つけました。一度資料館を見たいと思っていたので、とっさに引き返して先生に頼み、館内を見せてもらいました。沖野先生は元中学校教師ですが、埋蔵文化財などに造詣が深く、教師時代に埋蔵文化財センターに出向し、また退職後も工事が進められているスマートインターの工事現場の発掘作業にも加わり、色々な発見をされています。

沖野新一さんの書いたレポート

資料館は大工だったお父さんが使っていた倉庫を改造したもので、お世辞にも立派な建物とは言えませんが、中の資料は埋蔵資料、民俗資料、岩石資料など概ね3つの分野に分かれたものが5千点もあるそうで、その容量の多さに度肝を抜かれました。これだけの資料を個人で集められた努力は並大抵ではな、嬉しい限りです。こうした個人の小さな資料館を10ヶ所くらい作って連携させれば、俄然まち歩きが楽しくなるものと、私の他愛のない夢が動き始めました。

 沖野先生の展示資料館に比べれば、私の家の海の資料館「海舟館」など比ではありませんが、私もこれから沖野先生を見習って、少しずつ努力して海の資料館の展示品を増やしたり、活用したりしたいものだと思いました。とりあえず沖野資料館、若松資料館は何とかなるので、心ある人を募って順次進めて行きたいと思っています。帰り際沖野先生から頂いた自著出版物も、帰ってからじっくり読ませていただきましたが、私も書いたり写真に撮ったりすることも考えなくてはならないようです。

「国道で 偶然人影 見つけたり 頼んで中の 資料見学」

 「5千点 よくも収集 したものと 説明聞きつ 感心しきり」

 「金掛けず 倉庫改造 これがいい 海舟館も 同じ目論見」

 「もう少し ふんどし閉めて かからねば 決意も新た 早速構想」 

 

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〇まるで台風の北上競争みたい

 いよいよ秋の台風シーズンです。今朝パソコンで台風情報にアクセスすると、台風19号と20号が、まるで競争するように同じ進路を辿りながら北上を続けていて、予報円がダブって見づらいほどです。19号は発達してかなり大きく、予定していた講演会が大雨や台風で2度も流れているので、22日の開催は三度目の正直になるかも知れないと気を揉んでいます。

台風19号と20号が追いかけっこしながら北上しています

 この2~3日、朝晩の気温がぐっと下がり、少し涼しく感じるようになり、うすい掛布団の温もりに、季節の変わり目を肌で感じています。暑い夏は涼しい秋や少し寒くても冬がいいと、相変わらず身勝手な考えで過ごしていますが、やはり寒いのは苦手で、少し気が重たく感じる今日この頃です。

昨日は外出したついでに、赤いガソリンタンクをトランクに積んで、耕運機や単車用のガソリンを買って帰りました。タンクに満タンのガソリン18ℓはかなり重く、息子に頼んで車から降ろしてもらい、ついでに耕運機のタンクにも給油してもらいました。いつの間にかガソリン18ℓが重たく感じる年齢になりました。

「南から 台風2つ 競争を しているように 只今北上」

 「二度あった 三度目正直 あるかもと 腹をくくって 連絡を待つ」

 「猛暑嫌 だけど寒いの もっと嫌 身勝手私 オロオロしてる」

 「ガソリンの 満タンタンク いつの間に 重いと感じ 息子手助け」

 

 

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〇ビデオレンタル「めんたいぴりり第2部」視聴

 日本に帰国し博多港で再開した俊之と千代子は博多の長洲にて、食料品店「ふくのや」を経営するようになりました。住み込みの従業員や近所の人々との暮らし、俊之が絡んで復活した博多祇園山笠の仲間たちとのやり取りも面白かったですが、博多華丸演じる海野俊之と富田靖子演じる海野千代子夫婦の泣き笑いドタバタの演技は、どこか私たち夫婦にも共通する話題があり、一緒に見ながら大いに会話を交わしました。

 「のぼせもん」の俊之は、何かにつけて夢中になり、色々と手を出すもののいつも失敗ばかりですが、明太子づくりにだけには熱中し、苦難の末「博多と言えば明太子」と言われる有名な産物をつくり上げました。主人公や明太子などと比べると、その比ではありませんが「反対や失敗に遭っても夕日に夢中になったあなたと、どこかのぼせもんは似ている」とは、一緒にテレビを見た妻の弁でした。

 過ぎてしまえば過去の出来事は、まるで笑い話のようですが、かく言う私も主人公の海野俊之に負けるとも劣らない「のぼせもん」で、今もその片鱗を覗かせつつ細々と生きています。日々の積み重ねが人生ですから、持っている夢を実現すべくこれからも悔いのな人生を送りたいと思っています。妻曰く「えっ、この歳になってまだ夢を追いかけているの?。私を巻き込まないでね」でした(大笑い)。お後が宜しいようです。

「ドラマゆえ オーバー表現 しているが わが人生も 小さなドラマだ」

 「ビデオ見て 妻の存在 気づきます 妻と息子の 狙い目ズバリ」

 「書き残す 記憶確かな 今の内 書棚埋もれた 資料を基に」

 「久方に めんたいぴりり 面白く 泣いて笑って 夫婦で視聴」

 

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〇夏の終わり・秋の始まり

 西日本豪雨の災害で止まっていた予讃線海岸周りの列車も動き始め、昨日は久しぶりに夕焼けビールトロッコ列車が、長い鉄橋の上を夕日を眺めながらのんびり走っていました。私たちの暮らしは日常の暮らしに戻りましたが、山の中に入るとあちらこちらに土砂崩れの爪跡が残っていて、「多分もう治らないのでは?」と懐疑的で、少しむなしい気分になります。私が役場に勤めていた頃は、災害が起こると役場職員総出で災害ヵ所を回って測量し、有利な災害復旧補助金を貰って復旧しようと、みんなが必死になったものでした。

わが家の裏から見える夕日もそろそろ山の端に隠れます
双海中学校に通じる長い一本道の道路の向こうに沈む夕日

 今は合併して自治体の規模が大きくなり、総合支所と名前はついていますが支所に配属されている人の数も激減し、日々の職務をこなすのが精いっぱいで、とても突発的な災害に手が回らないため、本庁に報告するのが精いっぱいというところです。これも致し方のない時代の流れでしょうが、このまま災害復旧が遅れたり放置されると、次の大雨が二次災害を起こし、壊滅的になってしまうと、限界集落と呼ばれる地域に住む人たちは、誰もが心配しています。

 今年は台風が2つも本土に上陸し、前日発生した19号も変な動きをして北上を続け、本土上陸を伺っています。稲の穂が垂れるこの時期は台風のシーズンです。今年の210日は9月1日のようですが、このところの雨の降り方は、1時間に100㎜などと、常識では考えられないような雨量で、心配の種は尽きません。昨日から急に秋めいてきました。やけっぱちに鳴いていたセミの声も心なしか、最後のあがき声のようにも聞こえます。夜明けが遅くなり日暮れも足早になってきました。昨日は散歩の途中、双海中学校に通じる長い一本道の向こうに夕日が沈む姿が見えました。

「夏終わる 秋が始める 今頃が 季節の変わり目 肌で実感」

 「今年の 夏はあれこれ あったなあ 思い出しつつ 机を整理」

 「西日本 豪雨災害 あちこちで 山崩れあり 治るか懐疑」

 「一日に 一分程度 早くなる 日没寂し 初秋夕暮れ」

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〇カミキリムシは1匹10円でした

 私たちは人間の目で見える世界の中に生きています。私の身長は167㎝なので、150㎝そこそこの高さで見ていますが、空を飛ぶ鳥たちはまるでドローンのように、空中から下界を見下ろし、時には地上に降りて上空から見つけた獲物を食べて生きています。

ゴマダラカミキリと思われるカミキリムシ

 一方虫には蜂のように羽根のついた飛ぶ虫と、アリのように飛べない虫に大別されますが、虫たちは地上を自分たちの目的に沿って這いずり回って暮らしています。人間が害虫と思っている虫たちも、それなりに知らない部分で地球の環境を守るために貢献していることを思うと、やたらと殺すことはできず、「一寸の虫にも五分の魂」だと思うのです。

 昨日庭先で綺麗な色のカミキリムシを見つけました。私が子どもの頃は、このカミキリムシがミカンの木の根っこを食い荒らし、木を枯らしてしまうことから、1匹10円の賞金が懸けられ、子どもたちはミカン園を這いずり回ってカミキリ虫を捕まえ、農協に持って行って換金し小遣いを稼いでいました。今はそんな動物虐待をすることもなくなったため、庭先でしょっちゅう見かけるようになりました。

カブト虫は子どもたちに人気がありますが、私に言わせるとカミキリムシも独特の模様があって、カブト虫より素敵な昆虫だと思うものの、子どもたちはカミキリムシなどには目にもくれず、カミキリムシから言わせるとまるで天国のような生活を送っているようです。インターネットで調べてみると、カミキリムシには種類が沢山あって、まさにワンダーランドです。面白い世界です。カミキリムシはどんな世界を見て暮らしているのでしょうか?。

「鳥の目や 虫の目人の目 色々な 世界広がり 楽しそうです」

 「庭先で カミキリムシを 見つけたり 自然の造形 思わず見とれ」

 「その昔 カミキリムシに 賞金が 懸けられ子ども 小遣い稼ぎ」

 「カブト虫 夢中になるが カミキリも 結構種類 多くて楽しい」

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〇知らなんだ「お盆玉」

 子どもの頃私たちは、お正月に「お年玉」を貰って育ちました。そのうち子どたちに「お年玉」を渡すようになり、年老いた今は孫たちに「お年玉」を差し上げています。貰う方も渡す方も満足していますが、最近「お盆玉」なるものが巷で流行り始めているそうです。「お盆玉」って何?」と初めて聞いた時は驚きましたが、どうやらお盆に帰省した子どもたちに、おじいちゃんやおばあちゃんが渡すお小遣いのようで、商魂たくましいデパートなどでは「お盆玉袋」なるものを店頭に置いているそうですが、よく売れているようです。

お年玉に加えお盆玉となると、年金暮らしの高齢者には有難くない出費増ですが、お盆玉を貰って喜ぶのは貰う子どもだけではなく、渡すおじいちゃんやおばあちゃんも同じなので、新手の良い風習かも知れません。この話を妻にすると、妻は何を思ったのか早速小さな袋を手作りして4人の孫たちに、「お盆玉」を渡していたようです。わが家の財布持ちは妻なので、お礼の言葉には「おばあちゃんありがとう」と枕詞がつき、私にはついでに「おじいちゃんありがとう」でした。

 最近の子どもは「6つのポケット」と言われているように、父方の祖父や祖母、母方の祖父や祖母、両方の叔父か叔母を加えて、誕生日、子どもの日、お年玉などなど、お小遣いを貰うことが多く、小銭を握りしめ駄菓子屋通いをした私たちの子ども頃とは大違いで金持ちです。殆どの親がそれらのお金を貯金管理しているようですが、家庭の事情もあってお小遣いの使い方には一筋縄では行かないようです。お小遣いの使い方から子どもは経済の世界へ一歩足を踏み入れますが、正しい経済と道徳の関係を親が知って導くと、経済トラブルに巻き込まれにくい、いい大人に成長することも確かです。

「お年玉 知ってはいるが お盆玉? 最近流行 初めて聞いた」

 「最近の 子ども6つの ポケットを 持って金持ち 親より資産家」

 「子ども頃 小銭を握り 駄菓子屋へ 貧しかったが 懐かしい日々」

 「小遣いの 使い方から 経済の 世界へ一歩 足を踏み入れ」 

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〇童心を忘れないDNA

 今年の夏は格別の暑さで、連日の猛暑で熱中症が多発し救急車の出動も記録更新でした。熱中症で亡くなった人も沢山いて、その殆どが冷房があっても使わない、勿体ない精神の高齢者だと聞けば、他人ごとではないと胸が痛みます。察するに国民年金で細々と爪に火を灯すように暮らしている高齢者にとって、冷房を使うと電気代が跳ね上がり生活費を圧迫するため、使いたくても使えないという人も沢山いるようです。

今年は長男息子がカブト虫を空港で無償配布するという、イベントの準備に巻き込まれ、連日人間牧場へ通ってカブト虫の捕獲手伝いを余儀なくされたため、例年にない忙しさでした。いい大人がカブト虫を飼い、しかもそのカブト虫を虫かごに入れて無償配布するなんて、正気とは思えないことだと、最初は呆れてものが言えませんでした。今も多少その疑問は心の奥底に残っていますが、妻が「息子もあなたと一緒でまるで少年のよう」と言うように、私も若い頃見ず知らずの子どもたちを無人島に運び、20年間も活動しているのですから、妻の一言には返す言葉もありません。

昨日、息子は夏休みだったので、自分の子ども2人の自由研究に付き合っていました。3年生の次男は海の生き物調べ、5年生の長男は上灘川の源流を探るだそうで、この2日間私の軽四トラックに乗って3人で出かけたようでした。3人とも水に濡れたり泥んこになって帰ってきましたが、台所の机の上にメモや収集物を広げて、楽しそうにやっていました。発光ダイオードを発明した学者が、ふるさとの展望台に、自分の思いを書いているのを、先日芋づるを取りに行った折、伊方町瀬戸で見つけました。

「童心を忘れたら終わりだと思っている」のその次に、「何でも不思議だなあと感動する心」「何でも見てやろうと思う好奇心」「一体どうなっているんだろうと首を傾げてくなる心」「自分の周りは知らないことだらけだと呆れ返る心」の大切さを述べていました。無人島に夢中になった私、カブト虫を育て空港で無償で配布している息子、海や川を探し回る孫と、わが家の同居3代は取り組こそ違え、「童心」そのものです。今迎え火を焚いてわが家へ帰省している4年前に亡くなった親父も、小さな僅か5トンの漁船で伊豆半島まで出漁しています。どうやら若松家には「童心を忘れない」DNAがあるようです。

「童心を 忘れず今も 生きている 元気の源 どうやらこれだ」

 「わが息子 まるで少年 妻が言う 私も孫も みんな低能」

 「迎え火を 焚いて只今 里帰り してる親父も 同じでした」

 「わが家には 童心忘れぬ DNA 笑って生きよう これから先も」

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