◯嬉しいサプライズ
深谷市はかの有名な歴史上の人物渋沢栄一の出身地です。渋沢栄一は旅する巨人と言われる山口県周防大島旧東和町の出身の宮本常一のパトロンなのです。駅まで迎えに来てもらった柏村さんや宮坂自治会長さんの案内で渋沢栄一記念館を訪ねました。
双海より
〇自分の写真を切手にしたハガキが届きました
私は長年地域づくりに関わり、講演会や集会で知り合った沢山の方々と交遊を続けています。長野県木曽町開田高原に住む大目さんもその一人です。もう何年も前のことなので記憶は定かではありませんが、多分高知県馬路村で開かれた全国地域づくり交流集会に記念講演で出かけた折免許証タイプの珍しい名刺を交換したのが始まりでした。
以来交流が始まり、招かれて何度か講演に出かけたり、夏にはトウモロコシ、年末には開田高原で獲れた手打ちのソバまで送ってもらう親しい間柄になりました。大目さんは元木曽町の職員でしたが、私の木のカバンとよく似た木曽桧で作ったカバンを持ち歩いたりしていて、とにかく私と負けず劣らぬアイディアマンです。
先日みかんを送ったところお礼のハガキが届きました。開田高原のソバの花をあしらった絵葉書でしたが、何とそのハガキに貼った切手が大目さん自身の写真で作られているのです。今はお金を出せばお堅い郵政省もこんな粋なことをしてくれることは知っていますが、「ここまでやるか大目さん」てな感じで、何人かの友人に見せてやりました。
1日に3枚もハガキを長年書いている私ですが、最近は忙しさの余りについついパソコンメールで、用を足してしまうことが多くなってきました。北海道オホーツク佐呂間町に住む船木さんも、東温の兵頭さんも、高知県馬路村の木下さんも筆まめで、今朝は早速3枚のハガキを書き、朝の散歩途中郵便ポストに投函しました。
〇弁護士菊地幸夫さんの講演会「子どものお小遣いにまつわる法律」(その2)
昨日は日本テレビの「行列のできる法律相談所」や「スッキリ」をはじめ数本の番組にレギュラー出演している弁護士の菊地幸夫さんをお招きし、「子どものお小遣いにまつわる法律」というテーマの講演会が、内子町立天神小学校で行われました。全校児童とPTA、それに教育関係者も多数集まって楽しい講演会となりました。
弁護士だけあって、「人を殺したら、人を傷つけたら、人を騙したら最高どんな刑に服さなければならないのでしょうか?」という問いかけに、子どもたちは興味津々巻きこまれ、人は信じなかればならないが、「嘘か本当か」「価値があるかないか」「必要か必要でないか」「自分の金銭的能力」などの危機管理能力をしっかり身につけようと話されました。
現代はキャッシュレスの時代で、お金の存在が目に見えにくくなりつつあります。ゆえの難しさもありますが、「生活設計・家計管理」「金融や経済の仕組み」「消費生活・金融トラブル防止」「キャリア教育」など、現代を生きる児童生徒の「生きる力」を育成する金融教育は大切な教育です。折りに触れささやかながら金融広報アドバイザーとしてその必要性を広めたいと思っています。
「何年も 金融広報 アドバイザー やってます 浅学菲才 自覚しながら」
「まず親が 襟を正して 生きること 子どもは親の 生きざま学ぶ」
「キャッシュレス お金中々 見えにくい 全てカード いやいやアプリ」
「現代は 物が豊かに あるけれど 心今一 隙間風吹く」
〇舞たうん138号が届きました
えひめ地域政策研究センターが発行している季刊誌舞たうん138号が送られてきました。P20~21には、私が連載している「特選ブログshin-1さんの日記」という記事が掲載されているので、いつも送られてくる度に、少しドキドキしながらページをめくり、面映ゆい感じで読み返しています。今回の特集テーマは「空き資源を活用した地域活性化」なので、少し視点を変えて「負の遺産をどうするかも考えないと」というテーマで書いてみましたが、早くもV0l.45となりました。早速読んでもらいたい人10人ほどに手渡したり送ったりしましたが、反応が楽しみです。
〇スタートした里山再生ドングリプロジェクト(その2)
落ち葉を拾い集め腐葉土を造るため、人間牧場の片隅にブロックを積んで落ち葉ストッカーを数年前に造りました。ブロックを積む作業は慣れないこともあって難儀をしましたが、幸い親友浜田さんたちの手助けもあって、多少いびつながら何とか出来上がり、晩秋に何度か落ち葉を拾い集めて踏み固めて腐葉土を作っていますが、その腐葉土内にカブト虫が卵を産み、夏になると何匹かカブト虫を捕獲したので、このストッカーをカブト虫の養殖場することを思いつきました。
相前後して息子は昨年、大洲市柳沢で養豚を営む親友の石岡さんに、野積み豚糞の中で発生したカブトムシの幼虫を沢山貰って成虫に育て、松山空港で帰省客に配り大好評を得ました。気を良くした息子は、落ち葉ストッカーの上を網で囲って、成虫化したカブト虫を捕獲する作戦を立てました。いつの間にかその作戦の片棒を担がされ、網囲いや捕獲まで私の役目になったような雰囲気でした。
近所に住むかつてシーサイド公園の所長をしていた大野さんから、ドングリから育てたクヌギの木の苗木をいただいたので、ストッカーの周辺に10本ほど植えましたが、虫や雑草にやられたものの何本かは成長を続けていて、早いものは私の背の高さまで伸びています。そのことで荒れる里山を再生できないだろうかと、里山再生ドングリプロジェクトなることを思いつき、今年の秋にはドングリを拾って、種を蒔く予定です。
藤原さんの協力も得て、早速300個ほど集めたので、昨日は種を蒔く準備をしました。プランターや箱に土を入れ、早速私が拾って来た100個をバケツに水を張って入れ、沈んだ良質のものを土に埋めました。全部が芽を出すとは思いませんが、とりあえず今年は試験的に300個ほど蒔いてみようと思っています。今年の冬はわが家のダバという、かつてみかんを作っていた荒れた畑を開墾して、クヌギの木を植える準備を始めようと思っています。15年経ったら成木になるという成長の早いクヌギの木ですが、15年経ったら私は89歳になります。果たして生きているかどうか?。初老老人の他愛のない夢の実現やいかに・・・(ワッハッハ)です。
「カブト虫 ひょんなことから 始まった 里山再生 ドングリプロです」
「まず最初 ドングリ拾い 集めます 種蒔き準備 汗をかきつつ」
「今年は 300個種 蒔く予定 大きく育て 願いを込めて」
「クヌギの木 成木なるころ わが年齢 90歳か 生きているやら?」
〇フォークソングで学ぶ人生いろいろ(その2)
会場17時30分、開演18時の講演ライブは時間通り、観客40人ほどが古民家の座敷に並べられた座布団に座って始まりました。開演前清水さんから、「挨拶をしてください」といつものことながらいきなり頼まれました。内気・無口・口下手?を自称する私ですが、断ることもできずステージもないステージに立ちました。
この古民家には何度も訪れていますが、柱にかかった柱時計はいつも12時丁度を指しています。かつては家族の誰かが毎日ネジを巻き、毎日時を刻んでいたであろう時計の、まるで時間が止まっているような雰囲気や、窓の外に聞こえる虫の音、それに私たちが若かった頃聞いたフォークソングについて、アドリブもいいとこで思いつくままお話をさせてもらいました。
やがて前座の公演が終わると、いよいよメインゲストである浪速のフォークシンガー鎌倉研さんの講演ライブです。心に沁みる歌が次々披露され、つなぎの話術も参加者を巻き込んで笑いや拍手が起こり、中々のものでした。びっちり2時間、観衆を引き付ける腕前の裏には悲喜こもごもの人生模様が垣間見えました。
私たちは毎日1秒の休みもなく動き続け、過去という足跡を残し今に至っています。生きている限りこれからも死ぬまで1秒も休まず動き続けますが、ギターの音に乗せた歌声を聞きながら過去の思い出、これからの生き方を思いました。人の前で歌も歌えず、楽器もハーモニカ程度しか奏でられませんが、私の心を揺り動かされたのは確かです。
ヘッドライトに照らされた山道と、海沿いの元来た道を引き返し、午後10時ころ帰宅して妻の用意してくれていた遅い夕食を食べながら、タブレットで撮った何枚かの写真を見せて、妻に昨日のライブの模様や、参加した仲間からの伝言を伝えました。
「若かった 頃に歌った フォーク聴き 脳内記憶 スライドモード」
「挨拶を 突然言われ ええ加減 止まった時計 みんな喜ぶ」
「過去思い 未来を想う 山里の 秋の夜風を 仲間とともに」
「また会おう 美人のマダム 近づきて 握手する手は まるで恋人」
〇石原裕次郎に負けない長~い足
私は自称足の短い典型的な田舎暮らしの日本人です。若い頃は足の長い格好いい石原裕次郎に憧れましたが、結果的には醜いアヒルの子のままで74歳を迎えているものの、女性にもてなかった程度の不利益で、さしたる不都合もなく生きています。毎年この時期になると、分身と思われる私の影が、それは見事な足の長さに変身させてくれるのです。
昨日の夕方シーサイド公園へ夕日を見に出かけました。砂浜に下りてモニュメントを入れた写真を撮り終え振り返ると、足の長~い影が見えたので、嬉しくなって写真に撮りました。あの有名だった永六輔さんが元気だったころ、ハガキをやり取りする幸運に恵まれましたが、永六輔さんから頂いたハガキの中の一枚に、「夕日はどこかの朝日」と書かれたものがありました。
永六輔さんは残念ながら亡くなりましたが、私にとって自分の考えを変えてくれたこのハガキは、忘れられないお宝として、今も大事に木になるカバンに入れて、全国各地を持ち歩いています。永六輔さんの言葉を借りれば、自転・公転を繰り返す地球上では「夕日はどこかの朝日」だし、振り向いて見る自分の影足が長くなることもこれまた納得の手合いです。
以来私は自分の足の短さにコンプレックスを持たないようになりましたが、ひょっとしたら石原裕次郎より長いと、バカなことを思ったりしました。自分の顔写真ならまだしも、影を写真に写す愚か者は、今日も元気で10月8日の朝を迎えています。既に朝の散歩で万歩計は7千歩を越えています。
「若い頃 自分の短足 嘆いてた 女性にもてず 多少は残念」
「砂浜に 映った自分の 黒い影 まるで足長 おじさんのよう」
「振り替えりゃ 夕日どこかの 朝日です 永さんハガキ 価値観変える」
「馬鹿だねえ 自分の影の 写真撮る 自分で納得 足の長短」
〇エミフルでお買い物
今日は、北に去った台風25号の影響でしょうか?。松山の秋祭りだというのに日中は30度と真夏のような暑さでした。それでも深まる秋の気配を感じつつ、妻に誘われて松前町のエミフルへ、コタツ布団を買いに出かけました。妻の買い物には普通余り付き合わないのですが、買う予定のコタツ布団がかなり大きいので、どうしてもと懇願されました。
主婦足る妻は新聞折り込みで届くチラシをチェックして、「20%off」とか、「ポイント10倍デー」など、一番得する買い時を心得ていて、どうやら今日がその日のようでした。広い店内のどこに目当ての商品があるかも知っていて、「お父さん、こっちこっち」と、いつ覚えたのかまあ慣れたものでした。早速店員さんと商談が成立し、私がそのコタツ布団を駐車場まで運ぶ間に、他の買い物も済ませていました。
それにしてもエミフルはとても広い商業施設です。先日友人が立体駐車場に車を止め、買い物をしたものの自分の車を置いた場所が分からなくなり、誰にも聞けず約1時間も車を探すのにかかったという話を聞いていましたが、私は屋外の駐車場だったし、難なく辿り着きましたが、妻は近くまで来て自分の車の前を通り過ぎてしまい、二人で大笑いをしてしまいました。
松前町に住む友人から聞いた話によると、最近エミフルによくお年寄りが行くそうです。エミフルは雨が降ろうが外が寒かろうが暑かろうが、仲は空調が効いて、健康のために歩いたりベンチに腰を掛けて休んだり、たま~に買い物をしたりして、いわばエミフルが健康増進や息抜きの場所にしている人が何人もいるのだそうです。「へえ~」と感心して話を聞きましたが、私はどちらかというと人混みの中は余り好きではありません。故に今年2回目の訪問でした。
「わが妻に 懇願されて エミフルへ コタツ布団の 運び屋役で」
「まあ広い 人も多くて 迷いそう 友人車 どこへ置いたか?」
「雨の日も 暑さ寒さも 気にせずに 体力増進 快適空間」
「私には 賑やか過ぎて 肌合わぬ ショッピングする 妻は活き活き」
〇ゴミの漂着
今年は週末になると台風がやって来て、予定したイベントや集会が中止や延期になって、気を揉む日々が続いています。最近は気象予報の精度が高く、台風の進路も雨の状況も前もって掌握できるため、早目の対応が取れるようになりましたが、判断や決定、連絡などにはそれ相応の手間がかかり、特に飲食が伴うものについては仕入れや準備期間もあり、何かと大変なようです。
昨日の朝所用で道の駅シーサイド公園へ立ち寄りましたが、450mの砂浜の渚には大量の漂着ゴミが流れ着いていました。かつて道の駅を担当していた頃は、毎朝5時に公園へ出かけ、人が来るまでにこれらのゴミを片付け、大汗をかいていましたが、今は掃除をしてもらう人を雇っているようなので、大助かりながら早い対応は望むべきもありません。
私も時々及ばずながら熊手と一輪車で人知れずやっていますが、今年のように度々大雨が降り台風が来ると、南の肱川と東の重信川から海に流れ出た大量のゴミが、4~5日後には漂着ゴミとなって海岸に大量に流れ着くのです。最近は漂着ゴミを現場で焼却処分することを禁じられていて、折角集めたゴミが次の台風の大風で散乱してしまうこともしばしばです。台風シーズンが終わるのもつかの間、今度は北西の季節風に乗って大量の海藻やゴミが流れ着きます。ゴミと人間の闘いは半永久的に続く予定です。
「河川から 流れ出たゴミ 潮に乗り 海岸漂着 美観損ねる」
「大雨と 台風悪戯 毎週の ように続いて お疲れモード」
「この公園 誰が造った はい私 だったら掃除 やらねばならぬ」
「秋過ぎりゃ 今度は北西 季節風 ゴミは年々 その量を増す」
〇トイレットペーパーの幅
わが家には本宅1階と2階、隠居と煙会所の4カ所にそれぞれトイレがあります。田舎ゆえいずれも合併浄化槽処理の水洗トイレです。本宅2階のトイレは息子たち家族専用で、本宅1階のトイレは、私たち夫婦と孫二人が使っています。それゆえトイレの掃除は有難いことに、何と息子が週に一回程度掃除をしてくれるのです。トイレにはトイレットペーパーが備え付けられていますが、昨日孫が学校から帰ると直ぐに、我慢して帰ったのかトイレに駆け込みました。
孫2は小学校3年と5年ゆえ、まだ恥も外聞もなくトイレのドアを開けたまま平気で用を足しています。時々見る気もなしに見ると、トイレットペーパーを遊び半分で引っ張り出して手にグルグル巻きをして使っています。聞けば2階のトイレのペーパーは2重になっているのに、1階のペーパーは1重だからと小理屈を並べていました。トイレットペーパーの使い方に目くじらを立てるほどのことではありませんが、勿体ない世代の私たち夫婦は何かにつけて、ついつい教育的指導とばかりに注意をしてうるさがられるのです。
毎日使うのに余り考えたこともないトイレットペーパーについて調べてみると、幅は114㎜のようです。これはアメリカの4.5インチを基本に決められているようですが、最近トイレットペーパーの原料である古紙が不足気味で、107㎜と少々短めのペーパーもあるようで、僅か7㎜しか違わないのに、使用時にトラブルで手が汚れることもあるようだという話を聞きました。新聞紙の切ったものやちり紙を、落とし紙として使った経験のある私たち世代にとっては、ウォッシュレットも含め隔世の感がしますが、114㎜を頭に入れて用を足すと、また違った趣があります。
落語ではありませんが、公衆トイレに「備え付けのもの以外流さないで下さい」と注意書きをされているのを見て、じゃあ大便はどう処理すればいいのか迷ったという、笑い話にも納得しきりです。それにしてもわが家のトイレは、トイレに入れば自動的に蓋が開き、終わって立てば自動的にセンサーが働き流して蓋が閉まる優れものです。「トイレは文化」というそんなキャッチフレーズも最近は当たり前になってしまいました。
「孫たちが トイレットペーパー よく使う 勿体ないと 注意何度も」
「何気なく 使っているが 幅いくら? 知らないままで 使ってました」
「ペーパーの 幅はどれでも 114 アメリカ真似て お尻清潔」
「わがトイレ 蓋の開き閉め 自動です 便利な世の中 人間退化」