人間牧場

〇五徳

 昔使っていて今では使わなくなった道具類は沢山あります。金目の物を除けばその殆どは闇から闇へゴミとして棄てられて、「いつの間にか」姿が見えなくなっしまいます。先日隣のおじさんの家の倉庫が古くなったし、おじさんも90歳を超えたので、息子さんが倉庫が壊れる前に整理をしようと頑張っています。私も隣ゆえ見て見ぬ振りもできず、折に触れ再利用できそうなものを処分する手伝いをして、色々な道具類を貰って帰りました。

その様子を見たわが家の同居息子から、「今使わないものを集めると、お父さんが死んだ時、僕が処分に困る」と冗談交じりで言われました。数年前私が毎日書いているブログ記事をプリントアウトして表紙をつけ、毎月一冊作って保存しているのを見て、「お父さんが死んだらそれは紙ごみになるから止めた方がいい」となだめられ、「それもそうだ」と同調しプリントアウトすることを止めました。

立て続けに言われた「お父さんが死んだら」という言葉には実は深い意味があって私の親父、つまり息子にとってはおじいさんが5年前亡くなった時、親父の暮らしていた隠居や倉庫の片付けに、かなりの時間と労力を割いていた私の様子を見ていたからでした。私は親父の遺してくれた細々を、家の横にしつらえている海の資料館海舟館に保存したり掃除をしたりして引き継いでいますが、息子は果たして私と親父2代にわたって集めた民俗資料を、引き継いでくれるかどうか分かりかねています。

一昨日火鉢の五徳を貰って来ました。五徳は火鉢の中の灰に3本の足を埋め込み、炭火の火力でヤカンや釜をでお湯を沸かしたり時は煮炊きをするのですが、五徳とは仁・義・礼・智・信や、温・良・恭・倹・譲、または木・火・土・金・水など五つの徳目なのです。火鉢を見ても「それ何?」と言われ、知っていたり使った経験のある自分が古くなったことを多少恥じらっています。火鉢や五徳の話題が、息子や孫世代に通じないもどかしさを感じています。

「お隣の 倉庫片付け お手伝い 古い火鉢と 五徳いただく」

「お父さん あんたが死んだら 誰がする 一瞬ドッキリ 私のことだ」

「五徳には 五つ徳目 ある話 息子にしたが 軽くいなされ」

「平成が 間もなく終わる わが昭和 ますます遠く 益々古く」

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人間牧場

〇干しシイタケづくり

 一日の最高気温が10度を超え、雨がよく降るようになると、人間牧場や家の裏のホダ場に置いている、植菌しているクヌギの原木からシイタケが沢山生えて、収穫するのが楽しみのひとつになっています。一週間に一・二度見回って大きい物から順次収穫調理して食べますが、残った食べきれない分は隣近所や親類へお裾分けしたり、茎を取りスライスしてサナに干し、干しシイタケを作ります。

保存した干しシイタケ

食物には旨味・甘味・酸味・塩味・苦味の5つがありますが、昆布やトマトに含まれるグルタミン酸、カツオや煮干しに含まれるイノシン酸、シイタケに含まれるグアニル酸などは3大旨味成分と言われていて、日本料理の出汁には欠かせないものです。不思議なことに生シイタケを乾燥するとシイタケに変化が起こり、グアニル酸が生70㎎、干すと1060㎎に増えるのだそうです。

わが家ではしいたけを収穫できる春と秋に干しシイタケを作り、ジップロックのナイロン袋に乾燥剤とともに入れ、ヒジキやワカメ、切り干し大根などとともに保存食として一年を通して使い重宝しています。うどんやそばの出汁は勿論のこと、煮物や巻き寿司などにふんだんに入れてその味を楽しんでいます。シイタケの旨味成分はガン予防やアトピーにも効果があると言われています。しかし原木シイタケの独特な土の匂いが特に子どもに敬遠されたり、嫌な人も多いようです。

 シイタケが生えるこの時期は、足繁く三日にあげずよく雨が降るので、シイタケの乾燥は雨に濡らさないよう特に気を使います。シイタケは水分を多く含んだ林産品なので、出来るだけ早く乾燥するよう、わが家では茎を取り除き、スライスしてカビが来ないようしっかりと乾燥させますが、ヒジキや切り干し大根に、干しシイタケが加わり、わが家の自給率はまた少しアップすることができました。

「この時期に なるとシイタケ 生えて来て あちらこちらに お裾分けする」

「シイタケは 生もよいけど 天日干し 旨味成分 各段向上」

「わが家では ヒジキ・切り干し シイタケと 自給率増え 目標超える」

「食文化 生きるためには 必要と 素朴食べ物 健康第一」

 

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人間牧場

〇確定申告を終えました

 税金とか、計算とか、数字の苦手な私ですが、毎年この時期になると国民の義務として確定申告をしなければなりません。無職のため年金以外これといって決まった収入のない自由人なので、この時期になると招かれて講演などに出かけたあちらこちらから送られてきた、今年度分の報酬・謝金及び賞金の支払調書を整理して、一覧表に項目ごと書き込んで行きます。

 

やっと確定申告を終えました

私の友人で確定申告に詳しい人に助言を受けたり手伝ってもらい記入を終え、収入や支出の証拠書類を揃えて、税務署から送られてきた封筒に入れて、今朝郵便局の窓口で無事投函することができました。やれやれ、ホッと一息、これで一安心です。私の場合招かれた先方から何がしかの謝礼をいただいていますが、それらは全て約10%の所得税が前もって差し引かれているし、旅費実費にも所得税がかかっているので、申告すれば多少ですが還付金があるようです。

 年金生活が長くなりました。妻のパート勤めとやりくりで、退職後の14年間を何とか潜り抜けてきましたが、今年の誕生日で私もいよいよ「後期高齢者」ならぬ「恒輝高齢者」のラベルが貼られることになります。これからは健康を第一の目標にして、とりあえず先日の健康診断で一年後までの賞味期限確認をいただいたので、老いのブレーキをかけながら頑張って生きようと思っていますた。

「税金や 数字苦手な 私ゆえ 旧友助言 受けながら 今年も何とか 申告終える」

「所得税 先に収めて いるゆえに 申告すれば 少しだけれど 還付されます」

「最近は インターネットで 申告を する人増えた テレビ言ってた」

「退職後 早くも10年 以上経ち 今年はラベル ワンランクアップ」

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人間牧場

〇遅ればせながらの反省会

 昨日は夕方午後4時30分から松山市道後の友輪荘で、地域教育実践交流集会の反省会がありました。県内各地から40人程の人が集まり、昨年12月に開かれた国立大洲青少年交流の家での集会や、2月に東予(2月3日西条市中央公民館)・中予(2月16日松山市青少年センター)、・南予(2月9日愛媛県歴史民俗博物館)で開かれたブロック集会など、少しタイトなスケジュールでしたが、それぞれがしっかりと役割をこなし、分厚い報告書をもとに、約1時間余り振り返りの議論をしました。

反省会のあった道後友輪荘
色々な意見が出された反省会
懇親会も賑やかでした

今年最初のゴングの会を5月11日に、また恒例の研究集会を12月7~8日に実施することも決まり、新しい気持ちで取り組むため早々に、ごく内輪の打ち合わせの会合も持たれそうで何よりです。懇親会は2階の大広間で行われました。美味しい料理をいただきながら、酒の飲めない私も昨晩はアルコールゼロのビールをいただき、まるでお酒を呑んだような錯覚になりながら、それぞれの人とあれやこれやの議論をしましたが、親しい仲間との語らいはいいもので、楽しい一夜となりました。

地域教育実践交流集会を心ある人たちと実行委員会を作って立ち上げてから、あっという間に10年以上の月日が流れました。10回を契機に地域教育実践ネットワークえひめという団体を立ち上げ、新しい一歩を踏み出しましたが、8回目から讃岐先生に替わって実行委員長に、また新しく組織したネットワークえひめの代表にもなり、益々重い任を背負わされていますが、レールに乗るまでもう少しの間、みんなと行動を共にしようと思っています。学ぶことの多かったこの10年でした。そんなことを振る返りつつ、同乗した赤石さんと世間話をしながら、私の運転した車で午後9時ころ帰宅しました。

「遅ればせ ながらの反省 記録見つ あれやこれやを 思い出しつつ」

「早いなあ あっという間に 10年が 過ぎて私も それなりの歳」

「アルコール ゼロのビールを 飲みながら 酔った雰囲気 なるから不思議」

「松山は 私活動 フィールドだ 往復2時間 わだかまりもなく」

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人間牧場

◯従兄弟の見舞い

私の親父は12人兄弟姉妹、おふくろは6人兄弟姉妹、親父とおふくろを除けば合計16人もの叔父や叔母がいます。高齢化社会と言いながらもう何人かはあの世に旅立っていますが、その子ども、つまり私の従兄弟従姉妹となると数え切れないほどの数で、顔さえ思い出せない人もいます。その親しい従兄弟の一人が最近病の床に伏せていて、今日見舞いに行きました。

最近まで元気だった従兄弟は、この1ヶ月ほど食事が進まなくなって、家族の話だと点滴で体力を維持しているとのことでしたが、幸い地元のお医者さんの在宅緩和ケア―と思える手厚い往診を受け、住み慣れたわが家で暮らしています。見舞いに行った私の来訪を大層喜んでくれ、思い出多き積もる話を沢山しましたが、その顔には多少涙が滲んでいました。

ふと、人間は何のために生きるのだろうと思いました。生命保険のコマーシャルではありませんが、「万が一ではなく二分の一の確率」と言われるように、今日本人の死因は二人に一人ガンになるのだそうです。高齢期にガンを患えば、ガンの増殖は遅いものの、体力的なこともあって手術も抗ガン剤を施すこともできず、苦しみながら終末を過ごさなければならないのです。

昔は「生きたくても生きれなかった時代」でした。今は人生百年と言われる長寿社会となりました、「生きたくなくっても生きれる時代」と言いつつ、やはり人間は少しでも長生きしたいのです。迫り来る老いの足音が少しずつ近づいてきていることを実感するようになった今、私はこれからどう生きればいいのでしょうか。強がっても人間は寂しいかな、結局この世から去らなければならないのです。

「兄弟の 多い家系に 生きてます 叔父叔母沢山 高齢迎え」

「このところ 病の床に 伏せている 従兄弟の見舞い やつれてびっくり」

「万が一 ではなく今は 二分の一 ガンの確率 次第に高く」

「結局は 人間誰しも この世から 消えてなくなる 寂しい限り」

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人間牧場

〇鯛の尻尾

 わが家は3代続いた漁家でしたが、私が体調を崩して地方公務員になったため、愛媛県立宇和島水産高等学校漁業科を出たというのに、残念ながら漁家は途絶えてしまいました。親父は鯛網の腕の良い漁師だったため、一代で財を成すほどではなかったものの、それなりに稼ぎそれなりに自分の兄弟姉妹12人の長男として、若死にした祖父に代わり、自分の兄弟姉妹や私たち兄弟姉妹を独り立ちさせてくれました。

 鯛網漁師だったため、子どもの頃から高級魚である鯛を、嫌というほど食べて育ちましたが、私たちの住んでいた元の家の台所の柱には、まるでお守りのように鯛を調理する度に、出刃包丁で切り落とした鯛の尻尾が貼り付けられていました。何の意味があるのかも分からぬまま不思議に思って見過ごしていましたが、2~3日前友だちからかなり大きな鯛を貰い、私が粗調理をしました。

鯛の鱗を専用の鱗取りで剥がし、頭と尻尾と内臓を取り3枚におろしました。その時何を思ったのか、あるいは元漁家のDNAが祖巣させたのか、いつもはそのまま捨てる尻尾を、外の調理台の周りを囲っている、ステンレス製の壁に水洗いして貼り付けました。鯛の尻尾は水に濡れていたため、落ちることもなくピタリと壁に張り付きました。粗調理や調理台付近の掃除を終え、残飯処理をして一段落しましたが、鯛の尻尾を張り付けたことはすっかり忘れてそのままの状態でした。

明くる日、たまたまそれを見た若嫁が、「鯛の尻尾が壁に貼り付けてあるが、何の意味があるの?。そう言えば私も子どもの頃自分の家の台所の柱に、鯛の尻尾が貼りつけられていたのを覚えている」と言うのです。私たちの年代ならいざ知らず、若嫁がこんな風習を知っていることにも驚きました。「鯛の尾びれは尾っぽなのか尻尾なのか?」と二人で他愛ない話をしながら大笑いをしました。親父も亡くなっているので、知る由もない鯛の尾びれを張り付る風習の意味は、もう聞きようもありませんが、「う~ん」でした。

「子ども頃 鯛の尻尾を 台所 柱貼り付け お札のように」

「実家でも 子どもの頃に 見たという 若嫁記憶 私も記憶」

「何気なく 粗調理した 鯛尻尾 ステンレス製 壁に貼り付け」

「鯛尻尾 今となっては 聞く人も 亡くなり真意 分からぬままに」

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人間牧場

〇金のなる木があったらなあ~

 自称「貧乏人」の私ですが、「ボロは着てても心は錦、どんな花より綺麗だよ」と、歌手水前寺清子さんの歌を思い出しつつ、日々つつましやかながらも楽しく暮らしています。貧乏人は「お金があったらなあ~」と、いつも他愛のないお金持ちになることを夢見ています。わが妻もその典型で、一年に何度か宝くじを買い、「お父さん、一億円当たったら旅行に連れて行ってあげる」などと、当たらなかった宝くじに失望しながら再々チャレンジしています。

金のなる木に咲いた花

何年か前、椿さんにお参りに行った時、沿道に並んだ出店の植木屋さんに立寄り、「金のなる木はありませんか?」と店番をしている主人に聞きました。「お客さん、金のなる木があったら私も欲しいです」と返されました。それから雑談めいた話になりました。「この店にクロガネモチ・マンリョウ・センリョウ・ヒャクリョウという木は売っていますか?」と尋ねると、「はい全部売っていますと言うので、ご主人に「クロガネモチは金持ち、マンリョウは万両、センリョウは千両、ヒャクリョウは百両で、『金のなる木』として売ったら売れますよ」とお話ししました。

 「あなたは面白い人ですね。来年は考えてみましょう」とのことでした。その明くる年、椿さんにお参りしての帰り道、昨年笑い話をした出店の植木屋さんに立寄ると、テントの向こうに展示している木々の中に何やら面白い看板を見つけました。「縁起のよい金のなる木は如何でしょう!!」と書かれていて、クロガネモチの木には「くろ金持ち」、マンリョウの木には「万両」、センリョウの木には「千両」、ヒャクリョウの木には百両」と、遊び心半分の札をつけて売っていました。

ご主人は私の顔や話したたことをよく覚えていて、「お陰様で今年は金のなる木シリーズがよく売れています」と言って、小さなサボテンのような鉢植えをタダでお礼にくれました。これも巷では「金のなる木」と言われているようで、先日菜の花ウォークのイベント会場で、餅つきボランティアに参加した際、シーサイド公園の片隅に花をいっぱいつけた金のなる木を見つけ、懐かしくなって写真に収めました。植木屋さんから頂いたわが家の鉢植えの金のなる木も大きくなって、今年も花を咲かせていますが、私の努力が足らないのかまだ一向にお金は貯まりません。

「椿さん 植木屋店先 ご主人に 金のなる木は ないか尋ねる」

「クロガネの モチノキ気がつきゃ 金持ちと 読めるじゃないか ご主人喜ぶ」

「あくる年 私の提案 即実行 妙案お礼に 金のなる木を」

「この話 まるで落語の ネタのよう 私も中々 やるではないか」

 

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人間牧場

〇自分の講演している写真

 私は招かれてあちらこちらでお話をしています。ゆえに沢山の人の前でお話しすることは余り苦にならず、生来の楽天的な性格もあって、大学での講義は別として、余程のことがない限り人様のようにレジメやパワーポイントを用意することも殆どせず、アドリブで思いついたことを話しています。

上毛町でのまちづくり講演

中土佐町での生涯学習講演

先々週の土日、土曜日は福岡県上毛町、日曜日は高知県中土佐町と、移動距離も半端でないかなり離れた2カ所の講演をこなしました。福岡県も高知県も考えてみればお隣の県ですが、船に乗ったり列車に乗ったり、また自家用車で移動したりと、旅慣れた私でも高知県中土佐町からわが家に帰宅した時は、ホッとしました。

今回の旅で私は、携帯電話とタブレットを自宅に忘れたため、連絡がかみ合わず大失態を演じてしまいました。日ごろは何気なく使っている携帯電話とタブレットですが、二つの道具が日常の暮らしにどれほど役立っているかを、思い知らされた3日間でした。自宅からの電話も、相手先との連絡も、また日常旅先で書くブログ記事も書けず、傷心の面持ちでした。

私が講演している様子は自分自身では残念ながら撮影は不可能ですが、両方の事務局担当者から、それぞれの会場で講演している写真が、有難いことに後日メール便で送られてきました。早速記録のつもりで今朝のブログ記事に取り上げましたが、「こんな様子で話しているのか!!」と、少し恥ずかし面持ちになりました。

「携帯と タブレット忘れ 旅に出る 何とも不便 傷心面持ち」

「隣県と 言いつつ福岡 高知県 海を渡って 山街超えて」

「講演を している写真 メールにて 送ってもらい 恥ずかしいやら」

「自分では 絶対撮れない 写真ゆえ 大事に保管 ブログ挿入」 

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人間牧場

〇「うれしいひなまつり」歌の間違い

 私たちの地方でお節句というのは一月遅れの4月4日で、その時期になると家族総出で座敷にお雛様を出して飾っていましたが、私たちの関心はお雛様よりお雛様の前に飾るひな豆や菱餅、それに甘酒でした。またお節句に母ちゃんが夜なべをして作ってくれるお花見弁当は、盆と正月がいっぺんに来たような喜びでした。

わが家の玄関先に飾った小さなお雛様

日本中では3月3日がひな祭りです。わが家内孫は2人とも男の子なので雛飾りはしませんが、1週間前妻は玄関の靴箱の上に、小さなお雛様を飾ってくれました。子どもの頃から聞き覚えのある「うれしいひなまつり」という歌を、ハーモニカで吹きながら口ずさんで歌ってみました。ところがこの歌には幾つか間違った表現がしていると、最近指摘されているようです。

それは「お内裏様とお雛様」というくだりです。私たちはお内裏様がお殿様、お雛様が姫様と思っていましたが、金屏風の前に座っているお殿様とお姫様の二人一対をお内裏様と呼ぶのだそうです。この歌の「二人並んで」だとお内裏様とお雛様で合計四人になってしまうようです。お雛様はお内裏様以外の総称をいうのだそうですが、今頃になって言われても直しようもないご指摘です。

最近流行りの「チコちゃん」ではありませんが、何の疑いもなく「ボ~っと生きてる」私たち平凡な庶民にとって世の中には、知らないことや間違いを信じ込んでいることが余りにも多いようです。これまで4人の孫全てが男の子だったのに、わが次男息子夫婦に初めて女の子が誕生して、昨年のこの頃は雛飾りを見に出かけたことが、つい昨日のように思い出されます。何日か前お雛様を飾ったので見に来るように電話が入り出かけましたが、歩けるし言葉が喋れるようになった孫の目には、どんなお雛様飾りに見えているのでしょう。

「ひな祭り お内裏様は 殿様と 信じ込んでた ボ~と生きてた」

「ひなまつり 歌思い出し ハーモニカ 吹いて玄関 お雛様見る」

「ひな祭り ひな豆菱餅 甘酒に 加えお花見 弁当思い出」

「もうそんな 時期かと思う ひな祭り 近頃光陰 新幹線並み」

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人間牧場

〇雨の中の菜の花祭り

 「春に3日の日和なし」と言われるように、春が近づいたのかこのところ晴れ・晴れ・雨と、2~3日の周期でよく雨が降ります。最近は洗濯物が乾かなくてもコインランドリーがあるので別に困りませんが、屋外でのイベントは食を伴うものが多いため、準備や客足、それに売れ行きなど天気に左右されることが多く、気を揉んでいる人も多いようです。

ピザ焼きボランティアをしている仲間たち

昨日は双海町に春の訪れを告げる、菜の花ウォークの日でした。ふたみシーサイド公園~JR長浜駅間を歩くイベントでしたが、朝から雨が降ったり止んだりとあいにくの天気でした。私は息子と午前中人間牧場でシイタケの植菌作業をしていて、帰り道閏住の菜の花祭りの会場に立寄りました。松本さんや富田さん、渡部さん、米湊さんも手伝ってピザ焼きや餅つきが行われていましたが、雨のため客足は今一って感じでした。

餅つきボランティアをする私

私は午後1時30分から予定しているダイガラ餅つきの、手臼ボランティアを頼まれていたので少し早めに行き、準備をしながら賄い料理の美味しいカレーをいただきました。餅をつく頃には雨も上がり、早く帰ったウォーキング参加者も加わり、ギャラリーも加わって賑やかにダイガラ餅つきをしました。白餅・紫芋餅・ヨモギ餅の3臼をつきましたが、新居浜から松山明子さんはじめ多数の知人女性が伊予市を訪れていて、思いがけない嬉しい再会となりました。

誰でもピアノを弾く聖カタリナ大学の白川さん、この後私も弾きました・・・

イベントホールには、誰でも弾けるピアノが一台置かれていました。聖カタリナ大学のご厚意で、イベントのために借用したそうですが、私も聖カタリナ大学の非常勤講師を務めていて、顔見知りの白川君はじめ、学生たちも多数見えられ会話を交わしたり、私もお粗末ながら求めに応じ、「赤とんぼ」や「夕焼けこやけ」などを弾いて、みんなを驚かせてしまいました。

「天気が良ければ」と、イベントに雨が降る度思いますが、考えようによっては雨もまたよしです。人の集まる所へ出掛ければ、それぞれの想いを持った人と出会います。時には旧友と、時には見知らぬ人と出会い、立ち話をしながら音信を確認する、昨日も嬉しいいい沢山の出会いがありました。

「雨の中 合羽まとって ウォーキング 途中あちこち 何を思うか」

「あちこちで 親しい仲間 ボランティア 下支えする みんな活き活き」

「ホール内 置かれたピアノ 弾きました 拍手いただき 有頂天なる」

「旧友が 思いがけなく 立ち寄って 立ち話する 懐かしみつつ」

 

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