人間牧場

〇令和最初の美しい夕日

 4月30日・5月1日と2日続きで少しまとまった雨が降りました。令和初日の5月1日には天気が悪く日の出を見ることができませんでしたが、昨日は夕方雨も止んで西空の雨雲を押し上げ、綺麗な夕日が自宅の庭から見えました。令和最初の夕日だと、家族みんなが家の横の東屋で、焼肉パーティーをしながら、夕日鑑賞と相成りました。

 

 いつの間にか太陽の軌道が北寄りに変わり、これからしばらくの間は自宅からも居ながらにして、自慢の夕日を眺めることができるのです。早速手持ちのタブレット内蔵のカメラで、何枚か写真を撮りました。いつの間にかわが家の周辺にも家が立ち並び、昔は私設公民館煙会所の窓から見えていた自慢の夕日も、残念ながら観ることができなくなりました。

 それでも裏庭に登れば、上灘川に架かる長い鉄橋の向こうに沈む夕日を自宅から観ることができるのですから、ある意味幸せです。待ち焦がれた家から見える夕日も、4ヶ月程度で、あと2ヶ月で迎える6月21日の夏至を過ぎれば、早くも日の入りが冬至の日に向って一日一日短くなるのですから、この時期の夕日を思い切り楽しみたいと思います。令和最初の夕日は綺麗でした。

「この二日 天気が悪く 雨降って 夕日も朝日も 諦めていた」

「新元号 令和最初の 夕陽観え 自宅の庭から 家族で鑑賞」

「この夕日 どこかの国の 人たちが 同じ瞬間 朝日拝みて」

「わが人生 昭和は未熟 半熟で 平成成熟 令和完熟?」

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人間牧場

〇この時期に蜂蜜採集

 このところ天候不順で気温も肌寒いほど低く、ハウスで育てた日本ランキンリョウヘンを蜜蜂巣箱の前に置いているのに、蜜蜂の動きが全くなく恨めしそうに空を見上げています。

蜂蜜を垂れ蜜で採集しました

 昨年の8月お盆頃に遅れて入居し、元気に活動していた巣箱からいつの間にか集団脱走し、蜜蜂がいなくなってしまいました。「蜜蜂」という本によると、巣箱から一夜のうちに蜜蜂が大量にいなくなる現象が世界のあちこちで報告されています。「蜂群崩壊症候群」というのだそうですが、10年以上経った今も原因は不明で解決されていないようです。

 分蜂のこの時期ながら、3日前この巣箱をひっくり返してみると、蜜蜂はいないものの、蜂蜜を蓄えた巣が残っていて、早速切り取って採密作業をしました。いつものように切り取った巣を専用の容器に刻んで入れ、垂れ蜜を促しましたが、外気温が低く中々垂れないので、最終的には専用の家庭用サウナに持ち込み、温度をかけて垂れ蜜を促しました。

結果的には、一升瓶2本の蜂蜜を収穫することができました。5月の蜂蜜収穫は勿論初めての経験なので、ホクホクと言うべきでしょうが、むしろ全く気配のない分蜂の方が気がかりで仕方がありません。この連休辺りが最後の分蜂チャンスなので、期待して待ちたいものです。

 かつてアインシュタインは、「蜜蜂がいなくなったら人類は4年しか生きられない」と警告を発していますが、身の周りの果物も野菜も受粉は蜜蜂たちの働きによるものだということを、私たち人間は忘れてはいけないと思います。

「分蜂の 気配なき春 イライラが つのって空し 空を見上げる」

「この時期に 蜂の巣取って 採密を 垂れ蜜中々 思う任せず」

「一升瓶 2本も蜂蜜 採れました 妻の食用 とりあえずゲット」

「蜜蜂が いなくなったら 人類は 4年だけしか 生きれぬ警告」 

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〇平成最後の日

 昨日は、書斎の板壁に吊るしている日巡りカレンダーは、4月29日昭和の日でした。 今日は平成最後の日4月30日退位の日です。西暦を使うこともよくありますが、日常生活では元号を使うため、ある意味日本人にとって歴史的な日かも知れません。

 

 明日からいよいよ新しい元号「令和」が始まります。昨日は朝から夜遅くまで、31年間続いた平成を回顧するテレビ番組が放送され、自分にまつわる平成の途切れつつ、失われつつある記憶を思い出しながら振り返りました。昭和天皇の崩御で31年前突如として始まった平成は、私にとっても忘れられない思い出が沢山あります。

 ・海外派遣30周年記念論文総務庁長官賞受賞
 ・双海の夕日が全国夕日百選に選ばれる
 ・ふたみシーサイド公園・ふたみ潮風ふれあい公園・下灘運動公園相次いでオープン
 ・子どもの結婚・初孫朋樹誕生(5人の孫誕生)
 ・日本で一番小さな一人だけの地域振興課(別名夕やけ課)誕生、課長就任
 ・双海町最後の教育長就任(双海町役場退職)
 ・平成の大合併で伊予市となる
 ・観光カリスマ百選選任(地域活性化伝道師選任)
 ・愛媛大学農学部客員教授就任
 ・人間牧場建設(水平線の家等)
 ・母親トメ子80歳・父親97歳で他界
 ・金融広報功労金融大臣表彰
 ・ブログ記事毎日執筆連載
 ・年輪塾開講(年輪塾塾長)・処士処志10人認定
 ・千本桜の森づくり事業
 ・長男息子家族と同居
 ・自著本「昇る夕日でまちづくり」「今やれる青春」出版
 ・自著落伍ネタ本「夕日徒然草」地の書・水の書・火の書・風の書・空の書・心の書出版
 ・海の資料館「海舟館」設置

 思いつくまま列記して見ましたが、私の平成も少しまとめておきたいものです。

「板壁に 吊るした日めくり カレンダー 昭和・平成 色々混じりて」

「30年 続いた平成 今日終わり 明日から令和 どんなドラマが」

「新しい 元号令和 私には どうやら人生 最終なりそう」

「わが家には 昭和が4人 平成が 2人同居し 令和に生きる」  

 

 

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〇フジの花の見学

 10連休といっても、別に何処かへ行く予定も決めていないので、クルマの混雑しない近場の私たちにとっては穴場と思える場所へ、ちょっとした暇を見つけて出かけるようにしています。

 昨日は、潮風ふれあい公園のツツジに続いて、妹が菜の花で有名な閏住で開いている海産物の「くじら」というお店に、フジを観に出かけました。前日カラーの花を自宅まで妹が沢山届けてくれた折、「フジが綺麗に咲いて見ごろなので観に来ない!!」と誘われていたのです。

妹の海産物屋の店先フジ棚

早春の頃100日間も咲いた閏住の菜の花はもう既にありませんが、店主の妹が誘うだけあって、紫の房の長~いフジは規模こそ小さいものの見事に咲いて、道行く人が車を止めて花に見入っていました。

尾崎さんの紫フジ棚
尾崎さんの白フジ棚

この花を植えてくれたのは、富貴の尾崎さんです。平成の花咲じいさんとも思える尾崎さんも富貴の国道沿いに色々な花を植えていますが。特に紫と白のフジ棚は立派で、毎年足を延ばして見に出かけていますが、今年も観に出かけました。

妻をモデルに・・・

紫フジは満開、白フジは7分咲きといった咲き具合でしたが、手入も行き届いて今年も立派な花を観ることができました。連休は観光列車伊予灘物語が運行されていますが、列車の窓越しからも白いフジの花は楽しめるようです。必見の価値ありです。

「白い花 何故か名前が カラーです 馬鹿げたことを 言って笑われ」

「妹の 店先広場 紫の フジが見事に 今年も咲いて」

「少しだけ 足を延ばして 白いフジ 花咲かじいさん 丹精込めて」

「田舎者 顔に似合わず 団子より 花が好きだと 安・近・短で」 

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人間牧場

〇連休の魚釣り

 昨日から冬休みとほぼ同じ長さの、春休みにも似た10連休が始まり、孫たちは大した宿題もなくワクワクしているようで、下孫奏心は昨晩から若嫁の実家のおばあちゃん宅に泊まりに出かけ、上孫希心は同級生がわが家へ泊りに来るなど、何かと楽しいことがいっぱいのようです。

 

今日は朝方少し冷え込んだものの、昨夜からの突風も収まり、上孫希心は同級生を伴って父親と約束していた釣りに出かけました。釣りといっても下灘の港防波堤程度からなので、そんなに釣果も期待していませんでした。夕方私たち夫婦がウォーキングに出かける頃、早くも小雨が降り出しましたが、帰宅すると「釣れた釣れた」と大喜びで帰っていました。クーラーボックスを見ると、イワシやアジ、スズメダイなど数は沢山でしたが、大きさは今一でした。

若嫁に頼まれて早速私が粗調理をすることになりました。息子や孫たちの名誉のために、今日は釣果を写真で紹介することを止めましたが、イワシやアジは新鮮だったので、私が頭と内臓を取り除き、若嫁がお刺身とショウガを入れた煮付けにしたようでした。孫も孫の同級生も大喜びで、「美味しい美味しい」と言いながら食べていました。スズメダイはから揚げにして南蛮漬けにしたようなので、明日が楽しみです。

 孫たちも海の近くの町に住みながら、魚を釣りに行くことは殆どありません。かく言う私もこの4~5年は釣りなどしたこともありません。孫たちは再三釣りに行きたいと言っているけど、息子も何かと忙しく、子どもたちの希望を叶えてやることは難しいようですが、せめて夏休みのような時期には、もっと色々なことを体験させてやりたいものです。今度は釣った魚を自分たちで料理させてやろうと、若嫁と相談しました。

「10連休 息子は子どもと 連れ立って 下灘港 釣りに出かける」

「釣れたかな? 釣れた釣れたと 大威張り クーラーボックス 小魚ばかり」

「イワシ・アジ 刺身と煮付け 料理して 美味い美味いと 言いつつ食べる」

「この次は 釣った魚を 料理させ 私相伴 あずかりましょう」

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〇夢工房の送別会

 愛媛県庁職員と市町村職員の交流を目的に20年も前に始めた夢工房というグループも、最年長の旧野村町の藤本さんをはじめ、沢山の人が現職を定年退職し、自由人となってそれぞれが第二の人生を歩んでいますが、今年度は県庁の北川さんと西予市明浜の佐藤さんが退職したので、遅ればせながら松山駅近くのサンルートというホテルで送別会を開きました。

頭は薄くなったり白くなったりの記念写真
退職し自由人となった北川さん(左)と佐藤さん(右)

県内といっても芝さんのように高知県との県境に暮らしている人もいるし、加えて夕方午後6時からの小宴に参加するためにはみんな一苦労といったところです。それでも昨晩は20人近くの人が集まり、久し振りに近況や昔話に花を咲かせました。ふと気がつくと若いと思っている私でさえ今年の誕生日には後期高齢者となるのですから、みんな様々な変化が見られました。

 あれほど浴びるように飲んでいた酒量も、また食欲も随分減って、次々出てくる料理は食べきれないほどで、私のように体の都合で酒を呑めなくなった人もいて、下戸の仲間入りをしていました。日々の農作業ですっかり黒く日焼けした私の顔を見て、「相変わらず元気そうですね」とお世辞を言ってくれましたが、これからも健康に留意して、みんなの見本になるような元気な姿で、次回も再開したいと誓いあいました。

「送別会 一年ぶりに 再会し 近況聞けば それぞれ変化」

「今年は 二人退職 自由人 間もなく全員 リタイア予定」

「県庁と 市長職員 夢工房 20年間 交流深め」

「日に焼けた わが顔見ると 元気そう 言いつつみんな 誉めてくれるが」

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人間牧場

〇ヤッホー、やっとオイコができました

 軽トラ市と友人の小西さんつながりで手に入れた背負子ですが、使えるようにするためには背中の当たる部分に細いロープを巻き付けたり、両肩から腰まで背負う組紐を用意しなければなりません。早速ホームセンターで頃合なクレモナロープを一巻き買い求め、子どもの頃使ってた「オイコ」を頭に描きながらロープを巻き付けたり、仕上げに動かないよう孟宗竹を細く削って両後ろに打ち付け、残ったロープで荷造り紐を取り付けました。

裂き織の要領で編んだ組紐
取り付けてそれなりに出来上がったオイコ

さて組紐ですが、あちらこちらのホームセンターや道の駅など八方手を尽くしましたが、ネット通販でも見つからず、結局自分で造ることを思い立ちました。組紐は裂き織の要領で、まず木綿の布を用意しなければなりません。妻が私のために手縫いして使っていた寝巻用の着物浴衣をカッターナイフで捌き、適当な幅に裂いて布紐を作りました。残っているロープを適当な長さに切って縦糸となるロープを4本組み合わせました。

そのロープに裂いた木綿の布を裂き織の要領で編んで行くのです。これがかなり手間のかかる作業で、不器用ゆえ慎重に編んで行きました。最初と最後は抜けないようにロープに巻き込みましたが、妻が「お父さんも中々器用じゃねえ」と感心させるほど、自分でも予想以上の出来栄えで、95点といったところです。編んだ組紐を取り付けて、まるで二宮金次郎のように背負ってみましたが、背と肩の当たり具合もバッチグーでした。

 私はこの出来上がった背負い子(オイコ)に、紙芝居の箱を括り付け、人間牧場やまちづくり活動に活かそうと目論んでいます。そのためにはまだ紙芝居風の台本を作る作業が残っています。絵心もない私ゆえ、まだまだ紆余曲折が予想されますが、後期高齢者のレッテルを間近に控えた初老人の、ささやかな小さな夢の実現に多少心をときめかせています。それにしても私は親父から存命中、散々言われ続けていたほど不器用でもなく、まあ普通の人間だと自分で納得した「オイコ」作り作業でした。

「友人に 頼んでオイコ 手に入れた 使えるまでに 紆余と曲折」

「ロープ買い 頭で描いた 手作業で オイコ何とか 無事出来上がる」

「不器用の レッテル親父に 張られたが 中々どうして 出来栄え上々」

「妻縫った 浴衣をほどき 裂いた布 使って肩当て 裂き織お見事」

 

 

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人間牧場

〇姉の家の断捨離手伝い

 私の姉は、わが家からほど近い所に住んでいます。長年小さいながら地元で自動車修理工場を経営していましたが、義兄が65歳になったのを機にスッパリ廃業しました。小さな自動車修理工場でも、止めるとなると道具類も半端ではなく、かなりの労力を割いて片付けたものの、車庫に使っている跡地建屋内にはまだ残骸が残っていて、綺麗好きな姉の悩みの種のなっていて、何かにつけて相談され、その都度断捨離の手伝いをしています。

軽四トラックに積んだ可燃ごみ

最近義兄の体調が今一なので、100歳まで生きた義父の隠居家の庭の草刈りも昨年に引き続き、私が引き受け草刈り作業を終えましたが、今度は自宅の断捨離を手伝うよう頼まれ、伊予市の馴染みの廃品回収業者に電話を入れて来てもらい、私と姉が分類し、燃える物は私の軽四トラックに積み、姉と二人で高野川の清掃センターまで運んで処理してもらいました。幸い雨にも遭わず400円ほどで処分することができ、姉は大喜びの一日となりました。

 昨日は清掃センターへ行った折、今春の人事異動で清掃センターへ移った親友松本さんの働いている事務所にも立ち寄ることができました。身近な人がゴミ処理などに関わるようになると、何故かゴミに対して意識が向くようになるもので、ゴミの分別やゴミの減量など、自分にできるゴミに対する向き合い方が、今まで以上に変わりそうでした。夕方姉が沢山のイチゴをお礼にと持って来てくれました。

 私は5人兄弟姉妹のの長男です。弟一人は和歌山に住んでいますが、姉・弟・妹と私の4人は幸い同じ双海町に住んでいて、何かにつけて出会うことが多いのですが、4人とも少し歳を重ねてきました。弟は連れ添いに先立たれているものの、息子家族と同居し、妹は閏住でくじらという店を経営しながら息子家族と同居、まあそれなりにつつましやかながら幸せに暮らしていますが、これから先も兄弟姉妹が仲良く暮らしたいと思っています。

「姉の家 修理工場 廃業し あれやこれやと 断捨離手伝う」

「お馴染みの 廃品回収 業者さん あれやこれやを サービス引き取り」

「この春の 異動で親友 異動した 職場を訪ね 元気な姿」

「兄弟や 姉妹みんな 歳重ね これから助け 合いつつ生きる」

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人間牧場

〇庭のモッコウバラが咲き始めました

 24節気の一つ穀雨(4月20日)が過ぎ、気候は春を通り越して一気に夏モードとなりました。このところ天気が安定していましたが、乾燥注意報が出るなどカラカラで、植えた野菜苗のためにも一雨欲しいと思っていた矢先、昨夕から雨が降り始め、今朝は穏やか苗目の朝を迎えています。

 この季節になると毎年庭に植えているモッコウバラが咲きはじめます。他のバラと違い小ぶりの黄色い花を沢山つけることから、お気に入りのバラで、昨日は近所に住む人たちもやって来て、庭の濡れ縁に座り、お茶を飲みながら世間話に花を咲かせました。

 家庭菜園の隅に約100mに渡って植えているツツジも咲き始め、わが家は一年中で一番花の多い季節を迎えています。今年はあと1週間で平成から令和へと年号が移り、間もなく10連休がやって来るので、ツツジ周辺の草を刈って、綺麗な姿で新年号を祝いたいと思い、昨日は延びた草を綺麗に刈り終えました。

「穀雨過ぎ 間もなく立夏 下ズボン 脱いで肌着も 半袖に替え」

「庭植えた モッコウバラが 咲き始め 濡れ縁座り お茶を楽しむ」

「わが家では 一年中で この時期が 一番花が 多く嬉しい」

「平成の 後片付けを 念頭に 令和迎える ささやか準備」

 

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人間牧場

〇ブルーベリーの花

 裏庭のの小さな片隅の畑に植えているブルーベリーの花が、今年も沢山花をつけました。最初の頃は大きな植木鉢で栽培していましたが、出歩くことの多い私は、朝の水遣りをついつい忘れてしまい、折角咲いたりなった実をダメにすることが多くなり、路地に下ろすことにしました。

今年も高宇さんの花が咲いたブルーベリー
スズランのような釣鐘状の花

ブルーベリーは強酸性の土壌を好むため、露地栽培が難しいと聞いていたので、路地に下ろしても果たして上手くいくかどうか、半信半疑でした。6本の内1本は枯れ、あとの2本も元気な方ではありませんが、3本は適地だったのか毎年沢山の花を咲かせ、自家消費できる程度以上に実をつけています。

厄介なのは野鳥による食害で、完熟した実は野鳥に狙われ、私と野鳥の知恵比べもまた楽しみの一つになりました。ブルーベリーは他の植物より春の目覚めが早く、スズランのような釣鐘状の可愛らしい花をいっぱいつけて、今が花の見ごろです。大きなダルマのような蜂の仲間が羽音を立てながら蜜を吸いにやって来て、居ながらにして受粉してくれています。

 気温が上がるこの頃になると、自然の降水だけでは間に合わず、追い水をかけて育てなければなりませんが、植木鉢で育てていた以前のように水遣りの苦労もなく、今のところ順調に育っています。ブルーベリーはアントシアニンがたくさん含まれていて、小さいながらも目にいい果物なので、老眼の進んだ妻は生食やジャムにして楽しんでいます。

「今年も 小さな畑の ブルーベリー 沢山花つけ 豊作予感」

「強酸性 土壌分析 するすべも 知らずに露地で 何とか栽培」

「老眼の 進んだ妻は ブルーベリー アントシアニン 喜び食べる」

「スズランの ような可憐な 花をつけ 蜂類受粉 手助け羽音」

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