人間牧場

〇早起きな私と早起きな息子
 私は余程のことがない限り殆ど毎朝、目覚まし時計の力を借りなくても午前4時に目を覚まします。「歳をとると寝れないの」とよく言われますが、若い頃漁師をしていた癖が治らず50年経った今もその癖は治らないようです。

 夏が来た今は午前5時前に夜が明けるので、諸々FaceBookなどの記事を書いて午前6時にウォーキングに出掛けますが、わが長男息子も今は朝顔に水を遣るのが忙しく、私がウォーキングで家の近くを通ると、今朝も息子は長いホースを解いて車庫上に置いている朝顔の植木鉢に丹念の水を遣っている姿を遠目で見かけました。

 昔から「早起きは三文の得」と言われ、また「早起きの人には金を貸しても大丈夫」という諺があるように、概して早起きは働き者の代名詞のように言われています。もう間もなく私は年齢が八十の大台に突入しますが、年齢の割には元気であれこれ年齢以上の働きをしていると、人から言われています。それもこれも元気な証拠です。これこあらも「元気が一番」に心がけて生きて行きたいと思っています。

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〇真夏の草刈り
 このところ梅雨の中休みといいながら昼間の気温か35度を超える猛暑日が続いていますが、自分の性格から今週中にやるべき草刈り範囲を決めているので、熱中症対策をしっかり取って、先日の草刈りで残っていた、菜園下の石垣と家下石垣の根元の草刈りを2時間ほどかかってやりました。

 

 たまたま土曜日で家にいた長男息子と帰省していた三男から、「歳を考えて無理をしないように」と注意を受けましたが、我関せずで実行しました。石垣の草は本来手で引きますが、そんな時間的余裕はないので、草刈り機で注意をしながら刈りつけました。途中給油をしたり、水分補給をしてすっかり奇麗になりました。

 私と同級生の下の田んぼの持ち主のおじさんが長期入院しているため、田んぼは作り手がなく放任園となって草ぼうぼうです。田んぼを作っていた頃は田植え前奥さんが石垣の草も刈ってくれていましたがそれも出来ず、去年もシルバー人材センターに委託して草を刈りましたが、今年も同じようなことを繰り返すようです。それにしても草刈り作業はまるでサウナに入ったように体中から汗が吹き出し、着ている服もズボンもびしょ濡れとなり、作業後シャワーを浴びてさっぱりしました。

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〇猛暑日に畑で汗をかきながらの草引き作業
 梅雨の中休みといったとこで、昨日今日は天気が回復しましたが、朝から気温が高く、全国各地では35度を越す猛暑日で、静岡では38度を超えたようです。こんな日は冷房の効いた部屋でテレビでも観てゆっくり過ごしたいところですが、1週間余り雨で畑へ入ることが出来なかったため、畑の雑草が伸びていて、今日はインゲン豆を植えた畑とネギ畑の草を引くことにしました。

 普通だと藪蚊が寄って来るところですが、蚊も暑くいのか蚊取り線香をつけずに作業しても刺されることもありませんでした。一番の難敵はやはり何といっても熱さです。麦わら帽子に長靴の出で立ちで、地面にしゃがみこんで草引きを始めると体中から汗が吹き出し、たちまち着ていた作業服はびしょ濡れになりました。それでも10時30分の休憩を挟んで12時まで一生懸命草を引きました。

 最近お年寄りが草引きをしていて、熱中症にかかって亡くなったというニュースをよく聞くので、家の横の畑といいながら心配するのか妻が、時々様子を見に来たり、水分補給と称して冷たいお茶を差し入れてくれて助かりました。お昼になったところで今日に草引き作業は終わりにすることにして、シャワーを浴びて汗を流し、昼から少し午睡を楽しみました。午後からは原稿書きやハガキ書きでお茶を濁したノンビリズムの一日でした。

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〇やっと収穫したトウモロコシ
 植えて間もなく大風で倒れ、その後の大雨で出た穂の重みで倒れ、その都度土を根寄せしても土が柔らかく元通りに戻らなかったトウモロコシですが、そろそろハクビシンに狙われるかも知れないと妻が言うものですから、今夕実が入っていそうなのを7本ほど折って収穫してみました。

 品種は、1万円札に昨日なった渋沢栄一さんの出身地深谷の友人が亡くなる前毎年送ってくれていたゴールドラッシュという品種です。畑で皮を剥いで見ましたが実入りもよさそうで、今夕妻が湯がいて食卓に出してくれるようです。7本の内3本を私たち夫婦が、後の4本は息子家族に渡してやりました。

 今年の反省点を来年に生かそうと思っていますが、今年は穂が出ると穂を鎌で跳ねたらいいと、息子がどこかからか聞いてきたことを教えてくれ実践してみました。虫や病気に合わず、40本ほど植えているのであと5回くらいは食べれそうだと思っていますが、ハクビシンやカラスに食べられないと勘定してのことです。

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〇合歓の花の咲く頃
 今日は1週間も続いた雨が上がり、久しぶりに気持ちのいい青空で、身の回りの木々や草も昨日までの雨水をいっぱい吸ってどことなく元気で、パワーを貰ったような気分になりました。今朝も気持ちよく朝のウォーキングで6千歩ほどを歩きました。

 ウォーキング途中足元の道をよ~く見ると、女性が頬紅を塗る時に使う刷毛のようなピンクの花が一面に散っていました。風情のある光景に立ちどまって花を眺めながらその上を見ると、大きな合歓の木が崖の上に立っていました。

 合歓の木は、別名「眠る木」といって、夜は葉を萎めて眠るそうです。見上げた時刻的は午前6時30分頃だったので、合歓の木も目覚めて葉っぱを広げていました。思い起こせば私が現職の頃、県下の小中学校の校長先生の前で、「合歓の木学園」の宮城まり子さんが講演をする予定でした。ところが講演の一週間前宮城さんは急逝し、役不足ながら私が代役を務めた経緯があって、合歓の木のことは忘れられない思い出の木なのです。

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〇降り続いた雨・雨・雨
 滅多には人に会わない田舎の道を今朝も長靴を履き傘を差してウォーキングしました。滅多に会わない人に今朝はどういう訳か4~5人に会いました。朝のあいさつ代わりに「よく降るねえ」「雨はもう要らない」「よう降ると褒めるから何ぼでも降る」とまあ他愛のない雨談議でした。


川のように水が流れる承水路


カエルの煎餅

 ウォーキングのコース途中にはコンクリート舗装している急な坂道がありますが、田舎ではこんな「承水路」と呼ばれている側溝のない道が多くあり、日常は車道ながら一旦雨が降ると雨水が流れる川と化すのです。道が川の役目も同時に果たす理に適った方法ですが、長靴を履いて歩かないと足元がおぼつかないのです。

 この時期道にはミミズやカエル、沢蟹などが溢れた雨水から非難するように道に出て歩いていますが、車道ゆえ無残にも踏み潰されて、アオガエルなどはまるで煎餅のような哀れな姿になっています。この1週間降り続いた雨で、川の水は増水し、100mも離れているのに上灘川の増水した瀬音がゴーゴーと聞こえて、少し怖いくらいです。もう雨は沢山です。早く止んで欲しいと祈るような気持ちで歩きました。

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〇私は何を食べて生きているのだろう?
 人間は色々な食べ物を食べて生きていますが、好き嫌いや置かれている環境で、肉食系の人もいれば魚食系の人もいるなどまちまちです。人間は「健康で長生きがしたい」という願望を持っていますが、思わぬ病気にかかり食事を制限されている人は別として、聞きかじりの物を体に良いと信じて食べているようです。

 朝食によく出て来る卵や納豆、牛乳、鮭、ヨーグルト、野菜もはてどんな効能があるのと聞かれると、私自身「え~と」と首をかしげてしまいます。そんなことを気にしていたら生きて行けないので、一週間を目安に食べてないものを少しでも食べるとバランスが保たれるようです。

 私はどちらかというと魚食系で、加えて家では健康に良いからと農薬を全く使わない安心安全な野菜を自分で作って食べていますが、今はジャガイモとタマネギ、それにピーマンやトマトの収穫が出来るので沢山食べています。お陰でお通じも良くすこぶる元気に暮らしています。

 食事を作るのは妻の役割ですが、私は作ってくれる妻に感謝して極力「美味い」「まずい」と文句を言わないように心がけていますが、テレビや雑誌で紹介されているメニューを見て試作して味見とも毒見とも思える「美味しい?」と聞かれると「まあまあ」と答えるようにしています。美味しいと言おうものなら何回も悦に入って作って食べさされるからです。

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〇消えてなくなった下灘商店街
 私たちが子どもの頃は、道も車も発達していませんでした。ゆえに庶民の暮らしは歩いて行ける距離に諸々があって、今の暮らしと比較するとすこぶる不便ながらも村の中に商店街があって暮らしが完結していました。

 ところが道と車が普及すると暮らしが一変し、時間とスピードが短くて速くなり、地元の商店街では満足のいく商品が手に入りにくくなり、商売も他市町村に客を奪われ、立ち行かなくなり一軒また一軒と店を閉め、気がつくと、商店街は商工会や行政の努力もむなしくいつの間にか無くなっていました。

 今日下灘の旧商店街を通りましたが、自分を起点に左右それぞれ100mを見渡しても人も犬も猫も見ることはありませんでした。まさに「灯が消えた」状態で、かつての面影は「〇〇商店」「〇〇洋服店」などの看板のみとなってしまいました。町内から3~4年前ガソリンスタンドがなくなり、私たちはガソリン難民です。

 昇降客の減少を理由に、わが町民の足と言われるJR予讃線海岸周りの存続問題が起こっています。起死回生を狙ってやった夕焼けコンサートが引き金となって約40年間存続してきましたが、さてどうなることやらです。皮肉にも相変わらず超人気駅となっているJR下灘駅や、観光列車伊予灘ものがたりが焼け石に水とならぬよう切に願っています。

 

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〇最近よくあるデジタルトラブル
 昨日パソコンで原稿を書いていると、いきなりエラー音が鳴り始めました。よくあるウイルス詐欺のようなので、アクセスせず全ての電源を切り、電話の近くのコンセントを引き抜いて、しばらくして再起動すると何事もなく元通りに復旧しました。

 今日史談会の研修会に参加して、架かって来た電話の通話が終わると、いきなりスマホのライトがつきました。暗闇でライトをつけて歩いたり探し物をしている人を時々見かけますが、私はこれまでスマホのライトなど使ったことがなかったので、どうして消すのか分からず、みんなに助け舟を出し、結果的には一度電源を切り再起動するとライトは消えました。

 子どもでも知ってるこんな初歩的な操作を知らないのですから、恥ずかしくて仕方がありませんでした。今晩スマホの師匠である高2の孫にライトのつけ方消し方を教えてもらいました。デジタルトラブルに出会う度に自分の非力さを嘆いて、もう使うのを止めようと思うこともありますが、一方ではこんな便利な物はないとトラブルを忘れて相変わらず場渡り的に使って一喜一憂しています。

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人間牧場

〇パソコンの記憶力の凄さに感服です
 私が旧双海町の広報「ふたみ」を担当したのは、教育委員会に在籍していた若い頃でした。ただでさえ忙しい社会教育を担当しながら1日と15日の毎月2回、何が何でも絶対出版しなければならない仕事でした。当時の原稿書きは全て鉛筆で書いたり消しゴムで消したりして仕上げていました。

 その後終わりごろ自分でなけなしの財布をはたき自費で買ったワープロを使うようになり幾分楽にはなりましたが、今思うと月2回×10年=240号の記事を殆ど自分で書いて印刷に回し発行したのですから、これだけでも凄い足跡です。そのことがきっかけで苦手だった書くことが少しだけ得意になり、退職を機にアメーバブログ「shin-1さんの日記」、ワードプレスブログ「人間牧場」に加え最近はFecebookを書いています。

 20年前人間牧場を造り、高知県馬路村魚梁瀬千本山から切り出した150年生の杉の木り株をいただき親父が台座に加工してくれ、水平線の家の板間の置き、その上に座布団を敷いて落語ならぬ落伍をやろうと思い立ち、その台本を書き始めました。30話できると地の書・水の書・火の書・風の書・空の書と粗末ながら印刷製本して出版しましたが、10周年の時心の書(第151話~第180話)を出版しました。

 今年10月5日に人間牧場開設20周年記念事業を迎えるのを機に、第181話~第213話を木の書(第181話~第212話)としてまとめようと、散逸していた原稿をパソコン内で探しましたが、昨日と今日でパソコンの中からそれらを見つけることが出来ましたが、パソコンの記憶力には脱帽です。まさに民俗学者宮本常一の「記録しないものは記憶されない」でした。原稿の在処が分ってホッとした一日でした。

 

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