人間牧場

〇令和元年の夕日

 平成から令和に元号が変わって半年余りが経ちました。最初は馴染みのない令和という元号に違和感を持ちましたが、今ではすっかり慣れて、何の違和感も何の間違いもなく使いこなしているのですから不思議です。まだ令和になって間がないため、平成という31年間続いた元号はそれほど古くなったとは思いませんが、気がつけば昭和19年生まれの私は、昭和・平成・令和の3時代を生きているのですから驚きです。

令和最後の夕日夕焼けだと思って見ました

一昨日令和元年の夕日を見ようと、シーサイド公園へ出かけました。既に冬至の日を過ぎているため、科学的には北に向かって、しかも毎日1分ずつくらい日没が遅くなりつつありますが、シーサイド公園から見える夕日は長浜海岸辺りに沈んでいました。この時期は西高東低の冬型の気圧配置が強まって、夕日が雲間に隠れることが多いのですが、今年は暖冬気味で強烈な北西の季節風の洗礼を受けていません。

 新聞やテレビの週間天気予報だと、令和元年の夕日夕焼けを見れる日はそんなに多くないし、私も見る機会はないと思われるので、多分令和最後の夕日見学だと思い、しっかりと見届けました。そして東突堤の先まで歩き、ズボンのポケットに忍ばせていたハーモニカを取り出して、誰もいないことをいいことに、夕日にまつわる曲を2~3曲吹きました。令和2年となる来年もいい夕日が見れますようにと祈りました。

「平成が 令和に替り 半年が 経って違和感 やっとなくなる」

「この冬は 北西強風 休風か? 今年も暖冬 嬉しいけれど」

「歳明けりゃ 令和2年と なりにけり 今年最後の 夕日見納め」

「突堤の 先まで行って ハーモニカ 吹いて一人で 感傷ふける」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇年賀状印刷

 私にとって年末の大仕事はしめ縄作りと餅つき、それに年賀状作りです。驚くなかれ現職の頃には交遊も広く800枚もの年賀状を出していましたが、退職後は年金暮らしゆえ?400枚に限っていますが、それでもこの歳にしては多い方だと郵便局の窓口職員さんに言われています。

やっと出来上がった年賀状

大仕事と自分で勝手に思い込んでいますが、現職の頃から長年ご愛顧の印刷会社に、書いた文面をメールで送り、校正の後印刷してもらっているし、住所録も筆王ソフトを使い入力しているので、届いた喪中はがきなどで微調整する程度なのです。それでもプリンターにかけて印字し終わり、郵便局の窓口に持って行き投函すると、何か一仕事を終えたような気がするのです。

最近は年賀状を出さない人も増えてきたようです。届いた年賀状の中にも「年齢を重ねましたので、年賀状での新年のごあいさつは今年限りで終わります」と予告しているものや、年が明けるとパソコンのメール便に、「ハッピーニューイヤー」などと、メールによる手の込んだ年賀状が届いたりするようになりました。

かく言う私も年金暮らしの身ゆえ、63円×400枚=25200円は多少痛い出費ですが、新年早々全国各地から手元に届く年賀状の嬉しさは格別なので、これから先も続けようと思っています。今年はプリンターミスで5枚もプリントミスをしてしまったので、今日にでも買い求めて後始末する予定です。

「今年も 400枚の 年賀状 プリント終えて 郵便局へ」

「本当は 手書きが一番 いいけれど それも叶わず 文明の利器」

「今年も 色々あった 出来事を 10大ニュースで 記録して出す」

「年賀状 歳を理由に 止める人 何人かいて 出そうか迷う」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇潮風ふれあい公園の桜が満開

 私は双海町役場に勤務していた頃、しもなだ運動公園、ふたみシーサイド公園、潮風ふれい公演という3つの公園の整備事業に関わりました。財政的にかなり厳しい自治体だったゆえに、構想を練ったり国県の理解や助成を受けるのに心血を注ぎましたが、もっと大変だったのはその事業実施とその後の運営でした。

今はすっかり葉桜に

 目の回るような忙しさの中で取り組んだ懐かしい日々も、今となっては思い出の彼方へと遠のきつつつありますが、何かにつけて季節の折々に思い出す光景に出くわすことがあります。先日近所に住む姉が、「潮風ふれあい公園の桜が満開で綺麗だ」と教えてくれました。「エッ今頃桜?」と一瞬思いましたがそうえば現職の頃、講演で出かけた因島でヒマラヤザクラの話を聞きました。環境にも優しいというヒマラヤザクラは真冬のこの時期に咲く珍しい桜で、因島で栽培されているという話でした。

早速話を持ち掛けたところ、青年たちが動いて潮風ふれあい公園までわざわざ苗木を持って植えに来てくれました。当時20本ほどのヒマラヤザクラの苗木を植えましたが、適地ではなかったのか、はたまた管理が悪かったのか生育が悪く、何度か肥料を施し大切に育ててきたつもりでも、残念ながら今では6~7本程度しか残っていません。その中でも一本だけは見上げるほど大きく育ち、今年は11月下旬から咲き始め、先週まで春の桜をしのぐほど見事な花を咲かせてくれました。

ある人が、「進ちゃんたちが植えたんだから『進ちゃん桜』と名前を付けたらどう」と言われましたが、それほどのこだわりもないので、ヒマラヤザクラとして今後も大事に育てて行きたいと思っています。時ならぬこの時期に咲く桜は珍しいので、今年も大勢の人が見に来たようです。このところ忙しくて思うに任せず、昨日桜を愛でに出かけましたが、あいにくも花は散り、葉桜になりつつありましたが、ふれあい公園の管理をしている白方さんから、満開の頃の写真をメールで送ってもらい、バーチャルながら画像で花見をしました。

「公園を 3つも造り あれやこれ 孤軍奮闘 昔懐かし」

「公園に 因島から やって来た 若者たちが 植えた桜咲く」

「冬に咲く ヒマラヤザクラ 満開に なったと姉が 教えてくれた」

「満開の 桜の写真 メールにて 送ってもらい 画像で花見」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇冬至カボチャ

 昨日は一年中で一番昼が短く夜の長い冬至でした。あいにく久しぶりの雨で、子どもたちが楽しみにしていたシーサイド公園でのサンセットロマンチッククリスマス「サンタが空からやって来る」も、変更を余儀なくされたようですが、わが家でも縁起を担いで冬至の七種を食べました。

昨日の夕食に「ん」のつく冬至カボチャ(南瓜)を食べました

 七草と言えば春の七草を思い出しますが、冬至の七種はカボチャ、銀杏・金柑・天草・蓮根・人参・饂飩などを言います。要は呼び名の末尾に「ん」がつく食べ物を食べると「運」がつくというのです。カボチャは南瓜、天草は寒天、饂飩はうんどん=うどんと呼び替えればすべて「ん」がつくので納得です。

冬至には柚子を風呂に入れるのは「ゆず=融通が利く」とか、小豆や唐辛子は「赤いものは目出度い」とか、コンニャクは「砂下ろし」とか、色々ないわれを理由にして食べているようですが、いずれも誰かが根拠を考えた冬の暮らしの知恵のようで、余り当てにはできませんが、犬も食わないおまじないとして信じて食べています。

冬至の日、双海町から見える太陽は、一年中で一番西寄りのコースをたどって大分県大分市辺りに夕日となって沈みます。今日から少しずつ日没が遅くなり、6月22日の夏至の日まで北へ北へと移動して、夏至の日には山口県周防大島東和町辺りに沈みます。悠久の時を超えた太古の昔から変わらぬ自然界の営みなのです。

「一年で 一番夜の 長い日は 冬至カボチャを 食べてのんびり」

「知ってるかい? 冬至七種 末尾には 運つくゆえに 妻宝くじ夢」

「ん=運がつく 半信半疑 食べたから 宝くじでも 当たればいいが」

「今日からは 猫の目程に 少しずつ 夕日が沈む 時間遅れる」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇囲炉裏を囲んで作戦会議

 わが家の敷地内に私設公民館「煙会所」という4畳半の、囲炉裏を切った一戸建ての小さなたまり場があります。私が31歳の時青年の船で太平洋を渡って建国200年のアメリカやメキシコを訪問して帰国後、処志の心を持ち親父の協力を得て自費自作しました。葉隠れの狼煙になぞらえ「煙会所」と名前を付けた私設公民館は、その後多くの人を迎え入れ、私の進化に大いに役立ったことはもちろんのこと、双海町のまちづくりの拠点となり、この煙会所で発想した夢が様々な形になりました。

囲炉裏を囲んで
囲炉裏の火は暖かい

 酒を浴びるほど呑んでいた若い頃は、連日煙会所で酒盛りをしていました。そのことも原因のひとつかも知れません。今では酒の飲めない体になってしまい、昔ほどの利用はなくなったものの、むしろ今では隣接する親父の隠居跡とともに、来客対応の応接室となっています。さて先日、煙会所で私が会長をしている子ども教室の主力メンバーで、今までの反省とこれからの活動を考える作戦会議をすることになりました。作戦会議と言っても別に議題がある訳でもなく、雑談の延長のようなものなのです。

庵主である私の仕事は、来客が来る前にまず囲炉裏に火を起こすことです。四畳半の畳の部屋に掃除機をかけ、固く絞った雑巾で畳を拭いたり、便所の掃除をしたりしながら、細かく割った杉板を杉葉と一緒に燃やして火種を作りました。部屋はあっという間に五里霧中のように煙が充満し、その内部屋が暖かくなるにつて上昇気流が起こり、天井部分の煙穴から煙が外に出始めました。炭をつぎ足し火は順調につきました。その内約束の午後6時が近づくといつもの顔ぶれが揃い、食談は始まりました。

平成の大合併前の双海町時代は行政と住民の距離感が近く、打てば響いていましたが、今は行政との距離感が何となく遠く感じられるようになりました。行政職員や議員さんと面談したり協働したりする機会も徐々に減って来ています。それでも自分の住んでいる町を少しでも良くしたいし、特に未来を背負う子どもたちを育成することはとても大事な活動だと思うのです。自分たちに出来ることは何か、子どもたちをどう育てるのかを自らに問いかける、まさに作戦会議のようないい集会でした。

「煙会所 四畳半しか ない部屋の 真ん中囲炉裏 囲んで議論」

「火を起こし 体と心 ほのぼのと 自分に出来る 夢など語る」

「金がない だったら知恵や 汗を出せ 汗も出なけりゃ 辞表出すのみ」

「子どもたち 育てなければ この町の 未来はないと 口角泡で」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇全建ブロック研修会での講演

 私たち素人には会議の名前を聞いただけは何の研修会なのか分からない、「全建ブロック研修会」に12月17日と20日の2日間招かれ、令和元年最後の講演会で出かけました。17日は西予市にある愛媛県歴史文化博物館で南予ブロック、20日は今治県庁舎で東予ブロックの研修会でしたが、愛媛県景観アドバイザーをやっている私の役割は、いずれも景観についての話でした。

いずれの場所も自宅からは少し遠い所にあるため、往復時間と講演時間を含めるとかなりタイトでしたが、景観法の理念とか、景観を巡る諸問題、さらには長年合併前の双海町のまちづくりに長年関わってやった、景観にまつわる話題などを織り交ぜながら、楽しくお話をさせてもらいましたが、集まっている人たちは土木関係の県職技術者なので、日ごろと少し様子が違っていました。

私の関わったまちづくりには、景観という視点がかなり色濃く仕組まれていて、アメニティ計画の策定、夕日の景観、ミュージックサイレンの音景観、ほたる保存と景観、学校と景観、ガードレールと海景観、里山運動と景観、駅風景の景観、水辺の景観、花いっぱい運動による景観などなど、町のイメージがすっかり様変わりするほど景観にこだわった美しいまちづくりを進めてきました。

 その結果、合併して双海町という自治体は地図上から消えましたが、あれから15年経っても、「しずむ夕日が立ち止まるまち」というキャッチフレーズそのままに夕日が美しく、四季折々の花もいっぱい咲いて、人口こそ減り続けているものの、誇りに思いながら日々を暮らしています。そのことは次の世代にも受け継いで欲しいと願っています。

「南・東予 ブロック研修 講演に 招かれ持論 大いに語る」

「県委嘱 アドバイザーです 景観の 浅学ゆえに 役にも立たず」

「役場にて 長年やった まちづくり 景観配慮 あれやこれやと」 

「格上の 県の職員 前にして 格下私 寝ぼけたことを」

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇同じ風景でも・・・

 昨日は息子が今度の日曜日、伊予市の商店街で門松講座を開くため、梅の小枝が欲しいというので、人間牧場の梅園に出かけ、剪定ハサミで頃合いな小枝を50本ほど摘み取りました。季節の移ろいは早いもので、この間葉っぱを落した梅の木は、既に花芽を沢山つけていて、年明けには開花する程成長しているようです。

 門松には松竹梅のお目出度いとされる木や竹が使われますが、最近は門松事情も随分様変わりして、しめ縄飾りや門松など古いしきたりだと見向きもしない人が増えているようです。特にかつては正月ともなるとしめ縄飾りを着けた車が沢山走っていましたが、今は殆ど見なくなり、日本古来の正月祝いも随分様変わりしました。

昨日の豊田漁港風景
暑かった夏の頃の豊田漁港の風景

梅の小枝を確保しての帰り道、港の見える丘に立寄り、草刈り機や剪定鋸で少し農作業をしました。暑かった頃の汗をかきながらの伐開作業も遠い思い出となりつつありますが、豊田漁港の見える風景を確保したことが何よりも嬉しく、咲き始めた水仙の花と一緒に柔らかい草の上に座り、のどを潤すみかんを食べながら、一人のんびり風景を愛でました。夏の抜けるような青い海と空の風景に比べ、冬のこの時期は寒さを思わせる色に変わっていましたが、これも又良しの風景でした。

「門松の 講習すると 言う息子 梅の小枝を 調達頼まれ」

「季は移り 早くも梅の 小枝には 花芽がついて 春の準備が」

「お気に入り 豊田漁港の 見える丘 草上座り ゆっくり眺め」

「夏と冬 同じ場所だが 色風景 夏と冬では 趣き違う」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇昔の花嫁道具木製のタライ桶

 私たちが子どもの頃はまだ各家庭に洗濯機が普及してなく、母や祖母はタライと洗濯板で洗濯をしていました。今考えると何とも長閑な時代でした。その当時女性がお嫁に行く時はタンスや下駄箱とともに、木製のタライ桶も嫁入り道具の一つだったようです。

 先日知人の家が新築をするため古い家を取り壊しました。その家は旧家ゆえ色々な古い家財道具が出てきたものの、今の時代には無用の長物なのでその殆どはゴミとして処分されたようです。その家財道具の中に、奥さんが花嫁道具としてお嫁に来る時持って来たという3段重ねのタライ桶がありました。奥さんは思い出の品だけに捨てるのも勿体ないと思い、古い民具に興味のあると思われる私のことを思い出し、「もしよかったら貰ってくれない・・・」と小声で連絡が入りました。

 私自身も、妻「もう歳だから死んだ後のことを考えないと・・・」、息子「何でも集めないように・・・」と日ごろからやんわり釘を刺されているので、少し躊躇する姿を見せましたが、昨日聖カタリナ大学の講義を終えた帰り道、電話のあった奥さんの所を訪ね、かなりほこりを被った三段重ねのタライ桶を貰い受け、自家用車の後部座席にナイロンを敷いて持ち帰りました。

 ほこりを被ったタライはタガの竹輪っかが外れていたので、樫の木の棒を短く切って、金槌で丁寧に叩いてタガ竹輪を締め直しました。半世紀も倉庫にしまい忘れていた古いタライ桶にしては、殆ど使っていないので水垢もついておらず、タワシで丁寧にで水洗いしたら、展示に耐えうる立派な杉正目のタライ桶が見事に蘇り嬉しくなりました。さてどこへ収納展示するか?、今のところ自宅横の海の資料館海舟館の空きスペースもなく思案中ですがワクワク・ドキドキしています。

「タライ桶 昔は立派な 花嫁道具 今は無用の 長物なりて」

「家壊す このままゴミは 忍びない 私の顔を 思い出したと」

「妻・息子 使わない物 集めるな いつまで生きる つもりとやんわり」

「タガを締め 水洗いして 陰干しし 収納品が また一つ増え」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇真冬だというのに桜の花が咲いています

 先日、人間牧場で年末恒例の餅つきをしました。この日ついたお餅は丸めたり餡子を入れたりして加工し、ビニールの容器に入れ、餅つきに参加した塾生が持ち帰ったり、日ごろお世話になっている人たちに配って回りました。何せお世話になった人が多いので、思いつくまま配るのに夕方までかかってしまいました。

唐子橋付近の路側帯に咲く桜の花

 配り終えて帰る途中、翠小学校奥の唐子橋付近の路側帯に、新年間近な師走だというのに桜の花の咲いているのを見ました。正確にその桜の樹種は分かりませんが、多分この時期に咲く桜の花は、ヒマラヤ桜ではないかと思われます。私が町役場でまちづくりを担当していた頃、広島県尾道市と合併した因島の若者たちが、私の仲立ちで潮風ふれあい公園に何本かのヒマラヤ桜を植えてくれました。

 残念ながらその後の管理が行き届かなかったのか、はたまた気候風土が合わなかったのか数本だけを残し枯れてしまいましたが、今も潮風ふれあい公園の斜面にヒマラヤ桜が何本か残っていて、この木と同じように花を咲かせているのです。温暖化の影響でしょうか?。今日は真冬とは思えないほど気温が上がり、今朝などはウォーキングでさえ汗をかくほど暖かく、ニュースでは11月中旬並みの陽気で20度近くまで気温が上がったと報じていました。

 桜は日本を代表する花木です。春の桜は何とも言えない艶やかさがありますが、まるで狂い咲きのようにこの時期、一本だけ咲いている桜の花もまた風情があり、私は近くに車を止め、一人花見と洒落込みました。お餅配りのお陰で良い花に巡り合いました。

「餅配り 帰りの道で 路側帯 桜が咲いて しばし見惚れる」

「春桜 ほどではないが 秋桜 珍しいゆえ 嬉しくなりて」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇「後世に残したい双海の方言」発刊

 私が代表を務める双海史談会ではこの2年程、2月に1回の例会で双海町の方言について勉強してきました。その途中町内の公民館祭りに展示したり伊予銀上灘支店でロビー展をしたりしましたが、それらの幾つかを収録して、「後世に残したい双海の方言」という冊子にしようということになりました。

発刊した双海の方言集

 銀行のロビー展がご縁で、伊予銀行の地域文化活動助成制度の助成を申請したところ、幸いにも申請が認められ20万円の助成金をいただくことになりました。早速印刷の準備をなった結果、このほど100ページほどのA版「後世に残したい双海の方言」発刊の運びとなりました。

出版記念懇親会をやろうという話になって先日(12月12日)、事務局の中尾さん繋がりの竹山荘(松山市川の郷町)で小宴を開きました。令和元年最後の満月の綺麗な夜だったため、余計心に残る宴席となりました。新しく出版した冊子には双海を代表する365語が収録されています。

早速近々地元小中学校の児童や生徒・先生方に贈呈すべく策を練っていますが、私としてはこの365話を紙芝居にして、あちらこちらに広めて行きたいと思っています。古いものが段々廃れつつある昨今ですが、民俗学的にも方言は貴重な生活文化遺産なので、これからも大事にして行きたいと思っています。

「史談会 方言学習 積み重ね まとめたものを 一冊本に」

「渡り船 銀行ロビー 展示会 文化活動 助成いただく」

「発刊の 運びとなって 祝賀会 令和元年 満月の日に」

「この冊子 生かしこれから まちづくり 紙芝居でも しようと画策」

 

 

[ この記事をシェアする ]