人間牧場

〇毎日天気に一喜一憂

 毎日毎日暮らしながら気になるのはお天気です。昨日今日の天気も気になりますが、楽しみにしている旅行や諸行事、特に台風の行方や自分が主宰するイベントなどとなると、向こう一週間の天気まで気になり、新聞やテレビの天気予報を見ながら自分なりに咀嚼して天気を占うのです。自分の小さな力ではどうにもならない天気に一喜一憂しながら、暑いだの寒いだの文句を言いながら暮らすのですから、人間は愚かとしか言いようがありません。

朝焼けはプロローグ、夕やけはエピローグです。朝起きて書斎の窓から東に見える赤く染まった朝焼けの空も、夕暮れ時夕日が沈んでから西の空に見える赤く染まった夕焼けの空も、私は大好きでいつも空を見上げて大きく深呼吸をしたくなるのです。空は神秘的で、科学的なことは分からないまでも月が半月になったり満月になったり、時とともに星が移動して見えるのもこれまた太古の昔から変わらぬ営みで、自然の不思議を感じずにはいられません。

昨日の夜食事が終わって、いつものように妻と二人で散歩に出かけました。西の空にひと際美しく輝く宵の明星金星を見つけました。私たち二人とまるでランデブーでもしているようで、星にまつわる話をしながら、すっかり暗くなった夜道を、それぞれが手持ちのLED懐中電灯で照らして歩きました。昨日は久しぶりに上天気でした。天気予報によると今日はまた天気が崩れるようです。少しずつ春が近づいていることを実感しています。

「お天気を 気にして暮らす 日々ありて 他愛ないこと 行ったり来たり」

「染まる空 見ながら爺婆 言っていた 古いことわざ 思い出しつつ」

「赤い雲 そっと私に 語りかけ 今日はいいこと ありそな予感」

「足繁く 降る雨春を 連れて来る 木々の新芽も 少し膨らみ」

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人間牧場

〇八幡浜蔵福寺での講演会(その2)

 蔵福寺は、真下を通る国道197号がドローンで撮影しているように見え、まるで「天空のお寺」とでも表現したいような場所にありました。講演会は13時30分から本堂で、まず住職さんの読経に合わせて参加者全員が般若心経を唱えてから始まりました。ことさらな演題もなく、生玉さんからブログの書き込みのやり取りでお願いされていた、「超高齢化社会をどう生きるか」「肩の凝らない面白くて楽しいためになる話」というリクエストに応えて、思いつくまま90分ほど喋るのです。

 失礼があってはいけないと、一応背広とネクタイという正装?で出かけはしましたが、まあ普段着の四方山話といったところでした。参加者は30人程だし、聞く人との距離が近いので、紙芝居風なものを用意して喋りました。話した私が言うのも変ですが、反応は上々で最初から最後まで、眠る人もなく笑い声の絶えない講演会となり、講演後のお茶会も私の吹く下手糞なハーモニカに合わせ、「ああ上野駅」や「南国土佐を後にして」などを、全員が大きな声で歌まで唄ってくれました。

 女性に交じり男性もちらほら4~5人いて、中には青年団時代の私を知っている人もいて、嬉しさこの上ないひと時でした。私の妻は八幡浜出身です。私が若い頃憧れた「けいこさん」という名前の女性も一人参加されていて、握手をしたり大盛り上がりでした。このお寺では檀家さんに限らず、来る人拒まずの手合いで日常的にお寺に集まり、畳のヘリを使ってバッグを作るなど、様々な活動をしたり展示会を開いたりしているようで、奥さんの導きや温かく見守る和尚さんの日常に感心させられ、雨の中をほのぼのとした気持ちでお寺を後にして、帰路に着きました。

「天空の 寺のようだと のぞき込む 真下に国道 鉄道見える」

「全員で 般若心経 合唱し 講演始まる 演題もなく」

「肩凝らぬ 楽しい話を リクエスト 思いつくまま 90分も」

「いやあ凄い 色々なこと やっている 奥さん導き 感心しきり」

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〇ついでのついでに亀が池温泉へ

 「お父さん、ここまで来たのだからついでに伊方町の風の丘へいってみない」と誘われ、八幡浜磯津海岸の河津桜を見たついでに足を伸ばし、佐田岬半島にある風の丘へ足を伸ばしてみました。何年か前偶然立寄った時河津桜が満開で驚いたことが記憶にある妻の誘いに乗りました。

風の丘の風車
佐田岬半島には沢山の風車が建っています
まだ少し蕾が固い風の丘の河津

頂上線にある道の駅きらら館を過ぎると、あちらこちらに風力発電の風車が見えるようになってきました。風の丘にも大きな風車が2基あって、足元から空を見上げると3枚羽の大きな風車がゆっくりと回っていましたが、その大きさに驚きながら、少し早い河津桜の花を愛でました。

「お父さん、ここまで来たのだからついでのついでに亀が池温泉へ行かない」とまたまた誘われ、予定もしなかった温泉へ行きました。祭日とあって多くの人が温泉に来ていて、偶然にも保内町に住む従姉妹に逢って旧交を温めたり、何人かの知人友人に出会い立ち話をました。

亀が池温泉は塩サウナなどもあり、久し振りにリラックスしました。実は今日も八幡浜千丈にある蔵福寺というお寺さんから講演依頼があって、出かけることにしています。サンデー毎日の自由人といいながら、このところ年度末で何かと忙しい日々を過ごしていますが、何の予定もなく誘われたり誘ったりしながら、のんびりゆっくり過ごすのもいいものだと、すっかりリラックスして過ごした一日を振り返りました。

「朝突然 河津桜を 見に行こう 妻に誘われ ドライブがてら」

「桜見て ついでに行こう 風の丘 大きな風車 青空見上げ」

「すぐそこに 温泉あるから 行きましょう ついでのついで 足を伸ばして」

「自由人 サンデー毎日 いいながら 年度末ゆえ 会議が多く」

 

 

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〇2020・10の夕日

 昨日の夕方、県立松山工業高校の学校評議委員会を終えて帰宅途中、西の空に綺麗な夕日が見えました。夕日はわがままで「今日は見えるかも知れない」と期待をしても、水平線の上の雲間にあっという間に隠れたりするので、城ノ下のゲートボウル場前の路側帯に車を止めて、とりあえず一直線の国道の向こうに沈む夕日を一枚撮りました。

一直線の海岸国道の向こうに沈む夕日

急いでシーサイド公園まで帰り、東側駐車場へ車を止めて西の空を見ると、冬の少し荒れた海の向こうに沈もうとしている夕日が見えました。風が少しあったお陰で雲の中へ入ることもなく、手持ちのタブレット内蔵のカメラで、まずまずの夕日を写真に収めました。この時期はシーサイド公園も平日とあって散閑としていました。

 多分双海から見える夕日を、ただ訳もなくこれまで見てきた回数は、他のどの人にも負けないくらい多いと自負しているし、双海の夕日を自称日本一だと思って、様々な仕掛けをしてきた私にとっては、これからも生きている限り、愛し続けようと思っています。夕日の不思議なパワーに昨日も新しいパワーを貰いました。

「所用終え 帰宅の途中 西の空 綺麗な夕日 見えてワクワク」

「城ノ下 路側に止めて まず一枚 夕日の写真 胸騒ぎする」

「シーサイド 公園夕日の メッカです 北風の中 抱き合う二人」

「訳もなく 双海の夕日 これまでも 多分これから 先も同じく」

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〇あるおばあちゃんからの電話

 先日の夕方、しわがれた女性の声で、わが家へ電話がかかってきました。「若松先生、ラジオであなたの声を聴き、懐かしくてお電話しました」と切り出されたものの、電話をかけてくれた相手はどこの誰だか名乗らないため、{??????」と首を傾げながら、私の思考回路は必死に声の主を追いかけていました。普通だと「失礼ですがどなたですか?」と聞いてお話をするのですが、相手は少し耳が遠いのか、私にかまわず一方的に話し続けました。

 

 やっと私の思考回路が一人の女性の思い出に辿り着き、私を先生でもないのに先生と呼ぶ声で悟り、「〇〇さんですか」と話すとズバリ当たって、「そうです。その節は色々お世話になりました。私は間もなく90歳になります。私は今特老でお世話になっていて、寂しさを紛らわせるために毎日枕元に置いているラジオを聴いています。先日南海放送ラジオで2週続けてあなたの声を聴きました。未だにお若いですね」と持ち上げられました。「放送の中で『赤とんぼ』という童謡をあなたがハーモニカで吹いているのを聴いて、懐かしく当時のことが思い出され、涙が出て止まりませんでした」。

 「今は特老に入っているため、自分であなたに会いに行くことはできませんが、死ぬまでにもう一度あなたにお会いしたい」と言うのです。年末にお会いしたのに、そのことすら忘れているのですから少し忘れ状が良くなっていると思いながらあれやこれや、中には一方的な話もあって少々長い電話で、再会を約束して電話を切りました。妻を誘って早速週末、その女性の入所している特老へ会いに出かけましたが、お元気そうで色々なお話をして帰りました。

 このおばあちゃんのように身寄りのない人は別として、最近は「歳をとったら特老」という風潮があるようで、住み慣れたわが家で老後を過ごしたり人生を終える人はだんだん少なくなりつつあるようです。かく言う私も他人事ではなくそろそろそんな選択をしなければならない歳だと自覚しました。わが親父は「この家の畳の上で死にたい」という願望通り、親孝行な息子(私)によってわが家で97歳の生涯を閉じました。親父が死んでまだ5~6年くらいしか経っていないのに、「老後は特老」という選択肢が主流となり、近所に住む何人かのお年寄りも「特老」という施設な中に消えて行きました。「人間の一生とは一体何なのか」、考えさせられる今日この頃です。

「おばあちゃん どこで調べた 電話帳 ラジオ聴いたと 電話が入る」

「わが名前 名乗りもせずに 長々と 電話する人 何人もいて」

「わが頭 思考回路が 働いて 名前的中 凄いものです」

「ラジオにて 下手糞ながら ハーモニカ 涙が出たと 喜んでくれ」

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〇ジャガイモ植え

 昨日は午後から、子どもたちが集まって人間牧場の畑にジャガイモを植えました。予定では来週の土曜日でしたが、子どもたちの学校行事と重なったため、急遽変更することになりました。昨日は北西の季節風が吹いて少し肌寒い一日でしたが、心配していた前日の雨も上がり、ぬかるみも殆どなく程よい状態でした。

ジャガイモ植え
看板づくり
看板を立てました
記念写真

水平線の家の板間でジャガイモにまつわる話をした後子どもたちは、長靴を履いて畑に入り、4~5日前に館長さんと主事さん、それに私の3人で立てた畝に、男爵・メ―クイン・北あかりという3種類の種芋を置いて行き、小さなシャベルで穴を掘り、一握りずつ肥料を入れて種芋に土を被せて行きました。

 大人のスタッフは植え終わった畝に、黒いビニルシートのマルチをかけ、畝間に土を被せてシートが風で飛ばないよう丹念に作業をしました。子どもたちは室内で板切れに絵や文字を書いて看板を作り、支柱に釘止めして大きなハンマーで、3種類の芋の在処を表示しました。

その後みんなで記念写真を撮ったり、感想文を書いて終わりました。予定では約3ヶ月後の5月中旬に来年度の開講式でジャガイモをみんなで掘り、色々な料理をして食べる予定です。成長が楽しみです。

「一週間 計画早め ジャガイモを 畑に植えて 春の来る待つ」

「男爵と メークィンそれに 北アカリ 三種種芋 在処看板」

「三か月 すればジャガイモ 収穫だ 黒いマルチを かけて促成」

「終わったと 思えば早くも 次予定 繰り返しつつ 子ども成長」 

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人間牧場

〇愛媛新聞朝刊一面

 一昨日県内に住む女性知人から電話がかかってきました。「一昨日の愛媛新聞朝刊の一面に載っていた菜の花を見に仲間と行きたいので案内して」とのことでした。男性ならいざ知らず、熟年ながら女性が何人もやって来るという嬉しさから、一も二もなく引き受けてしまいました。

愛媛新聞1面に載った菜の花畑

ところが予定していた昨日は、朝から小雨交じりのあいにくの天気でした。シーサイド公園で11時に待ち合わせ、閏住の菜の花を見に行きましたが、とても綺麗に咲いて皆さん大喜びでした。曇天で気温も上がらず少し肌寒さを覚えるほどだったので、所望だった人間牧場にも行く予定を諦め、わが家のゲストハウス私設公民館煙会所で、持参した弁当を食べながらお喋りをすることにしました。

 急いで煙会所の囲炉裏に火を起こし、炭火で暖を取りながら色々な話に花を咲かせました。帰り際にはわが家庭菜園の大根や聖護院、挙句の果ては寒さの中で私が一生懸命作って間もない切り干し大根まで所望され、お土産に渡しました。昨日来た年代の女性は、金あり暇あり好奇心あり、子育ても終わって悩みもほどほどな健康な人たちなので、ご主人をさておきこうしてうごめきながら楽しく、ストレスを発散しているのです。

 甲斐性のない私を選んで結婚したばっかりに、同じ年代でも未だに金もなく暇もなく働かされ、この女性たちとはえらい違いの人生を生きている妻に、少々済まない気持ちになりました。

「新聞の 一面紹介 菜の花を 見に行きたいと 案内依頼」

「熟年の 女性集団 来るという 幾つになっても 鼻の下長く」

「菜の花を 見た後わが家 煙会所 囲炉裏囲んで 弁当広げ」

「暇と金 好奇心まで 勢ぞろい 旦那寂しく 家で留守番」

 

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〇映画「君の笑顔に会いたくて」鑑賞

 妻は名前ばかりですが更生保護女性会には入っているのものの、日中は仕事の都合で中々参加が出来ず心苦しいようです。そのこともあって映画のチケットを役員さんから二枚買い求めていました。一昨日の夕方更生保護女性会が主催する、「君の笑顔に会いたくて」という映画を観に二人で出かけました。iyo夢みらい館はまだできて間もないため、駐車場整備が遅れているので、少し遠い伊予園芸の駐車場に車を止め、歩いて会場へ入りました。

 私は昨年子ども体験塾の社会見学を引率して、iyo夢みらい館へ行ったことがありますが、妻は初めてとあって、図書館併設の素晴らしい建物にビックリしていました。昼の部と夜の部2回上映と聞いていましたが、夜の部もそれなりの入りでした。映画は東日本大震災の甚大な被害を受けた宮城県名取市が舞台で、夫と一緒に小さな食堂を営む傍ら、保護司として社会での立ち直りを支援する、一人の女性の物語でした。

子どもたちの更生への社会の不理解や、子どもを守るべき家庭の崩壊の現実に出会い、沢山の悩みを抱えながらの活動でした。そんな折保護観察所から一人の保護観察中の少年の担当を依頼されました。5年前の津波で命を失った息子が、子どもの頃親友だった少年でした。事業に失敗した父親は少年を連れて夜逃げ同然でこの街をから消え、音信も途絶えていました。

荒れた姿で現れた少年やSNSの援助交際で家庭の母子関係が崩壊した少女の更生活動を通して、現代の社会が抱える数々の問題解決に逞しく挑む保護司女性の暖かい人間愛に思わず涙を流して観ましたが、とてもいい映画を妻と二人席を並べて観ることができました。

「女性会 会員だけど 日常は 活動参加 できず幽霊」

「ワンコイン 二枚のチケット 買い求め 妻と二人で 映画鑑賞」

「大震災 被災の街で 保護司さん 少年少女 更生実話」

「映画観る 君の笑顔に 会いたくて 涙腺緩み 涙流して」

 

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〇15年間の大学授業を終える

 私の最終学歴は高卒です。その高校しか出ていない私が、こともあろうか愛媛大学法文学部の非常勤講師に就任したのは今から15年も前のことでした。法文学部長さんから懇願され、私の得意としていたまちづくりについて、「地域活性化論」というテーマで、年間60時間30コマ、4単位の講義を週一のペースですることになりました。それまでにもまちづくりや地域活性化などについて、大学などで請われるまま講演や講義を行っていましたがいずれも断片的で、年間60時間30コマという私にとっては途方もなく多い講義を、どのように組み立てればいいのか随分悩みましたが、自ら作り大学提出後許可してくれたシラバスに沿って何とかスタートしました。

一緒に学んだ学生たちと記念撮影

 最初は大学の雰囲気に圧倒され、また大学へ行っていないのでそのシステムさえ分からず悪戦苦闘しましたが、学生たちの協力もあって授業は人気を集め、気がつけば10年の歳月があっという間に過ぎました。その後引き継ぐような形で農学部長さんから客員教授就任の要請があり、「地域活性化論」という同じテーマのもと講義をすることを受諾しました。客員教授になったため他の人と2人一部屋の研究室が与えられ、それなりの働きを3年間やりました。こんな私にとって過酷な仕事は70歳までと心に決めていたのですが、前町長の上田さんから聖カタリナ大学の非常勤講師として、「地方行政学」なるものを教えて欲しいと懇願されました。得意の「地域活性化論」ならいざ知らす、このテーマは何が何でも重過ぎると辞退を重ねましたが、最終的には2年間の約束で引き受け、後期30時間15コマ2単位の講義を引き受けてしまいました。

 聖カタリナ大学の北条キャンバスは、松山市街を越えた旧北条市にあります。自宅から45㎞もあって、片道1時間半、往復3時間の通勤と、役場に35年間勤めて行政に携わったとはいえ、「地方行政学」という慣れない講義には少々骨が折れましたが、昨日は2年間の最終講義の日を迎え無事大任を終えました。講義終了後3回目のレポートを学生全員に提出してもらい、お世話になった教務課にごあいさつに伺い、多少寂しい気持ちで大学を後にしました。愛媛大学法文学部・愛媛大学農学部・聖カタリナ大学人間社会学部とバトンを引き継いだ15年間は私にとって、思い出多い出来事でした。今日から冷や汗を流しながらの講義をしなくても済むのですから「ヤッホー」です。これからは学生の成績表を作成して大学に提出し、これまで講義に使った色々な資料の整理を行い、段ボールに入れて封印する予定です。

「大学も 出てない私 大学の 教壇立って 学生相手に」

「短くも 長い大学 15年 終わってみれば あっという間に」

「大学は 出てないけれど 15年 熱心勉強 学生より上」

「教育は 共学だった 色々と 学ぶことあり 感謝忘れず」

 

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◯梅と桜が同時に開花

昨日は立春でした。立春の声を聞けばどことなし春めいて心が浮き浮きします。昨日はじゃがいも畑の中耕と畝立てに出かけましたが、人間牧場の梅園の梅の花は満開、河津桜の花も咲き始め、いよいよ春本番といったところです。

いつもの年だと梅が咲いても桜やスモモが咲いても、別に花見をするでもなくやり過ごしていましたが、せっかく咲く花々なので、今年は妻を誘い小まめに足を運び、花を楽しもうと思っています。

 

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