人間牧場

◯5年前の写真

 毎日ブログを2本書いてfacebookで公開していますが、人工知能とで言うのでしょうか、時折4年前とか5年前の写真が自動的に再アップされ、そんなに古くもないのに懐かしく思い出したりしています。中でも同居している小学4年と6年の孫2人の成長は、毎日見ているのでそんなに成長した実感が沸きませんが、5年前の写真と比べると、成長の早さに驚ろかずにはいられません。

5年前の孫希心
5年前の孫奏心

 昨日のfacebookに自動的にアップされていたのは5年前の3月3日、孫二人が人間牧場のシンボルであるヤマモモの木に登って遊んでいる写真でした。5年前と言えば孫希心は1年生、孫奏心は保育園年中のはずです。2人とも体格的には大きい方で、今度中学1年生になる孫希心は、既に私の背丈とほとんど変わらないくらい大きく、運動靴のサイズも25.5㎝の私を抜いて26.5㎝ですから驚きです。

今日の孫二人

 「たけのこの太きも親の恵みかな」は高浜虚子の句ですが、このままだと春休みにはひょっとしたら私の背丈も抜かれてしまうかも知れません。今日病院へ検診に出かけた折、待合室の隅に置かれていた背丈を計る身長計で計ったところ、私の背丈は3センチも縮んで165㎝となっていました。進化著しい孫に比べ、退化著しい自分の姿に大きく落胆してしまいました。

「5年前 いきなり写真 自動的 人工知能は 凄いもんです」

「5年経ち 孫もそれぞれ 成長し 間もなく私 抜かれそうです」

「進化孫 私は退化 ああああだ 諦めるしか ないのでしょうか」

「わが背丈 3㎝ 縮んでた 孫に並ばれ 少し落胆」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人間牧場

◯検診に来ています

今日は年に一度の検診日なので、朝食を取らず県立中央病院に来ています。採血検査とエコー検査を終え、待合室で診察を待っています。新型コロナウイルスにかからないよう、今日は今年初めてマスクをしています。

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人間牧場

〇里芋洗い

 今年は里芋が大豊作で、土の中でそのまま越冬している里芋を、何日かおきに、2回に分けて食べるほどずつ掘り出し、私が芋洗い用に端材で作ったX状の道具を使って丁寧に洗います。昔はこの方法を「芋ごり」と言っていたようです。バケツに掘った芋を入れ、水を張ってX状の道具でかき回すのです。やがてX状の道具や芋と芋がすり合って次第に芋を覆っていた皮が剥がれるという算段です。

芋洗い

掘ってすぐの里芋の皮は柔らかくて外れやすいため、水を2~3度替えてかき回すだけで、綺麗な白色の芋肌が出てくるのです。里芋は煮物野菜の王様で、聖護院大根とともに、双海特産の大羽イワシの出汁で煮てもらい、夕食の食卓に出してもらいました。大根類は既にトウが立ち始めていますが、葉っぱを切り落とす首切りをしているものは、まだ当分の間食べられるため、せいぜい楽しもうと思っています。

ちなみに「芋ごり」という芋洗い方法は、時々人間育ての方法の例えとして用いられることが多いようです。つまり芋と芋がお互いをこすり合って綺麗になる共磨きなのです。最近は少子化で兄弟姉妹の数が少なく家庭での共磨きの機会は少なくなり、また児童生徒数の少ない学校でも同級生や上級・下級生との共磨きの機会が少なくなりましたが、それを補うように町内3小学校の生徒を集めて共磨きの機会を増やして効果を上げています。

 里芋は畑の土の中にまだ沢山眠っています。そろそろ時機を見て掘りだし、大きい物は種芋として利用し、残った芋は食用にしてせいぜい楽しみたいと思っています。里芋は水を好む作物なので、夏の暑い頃になると、朝晩谷灌水をしなければなりません。今年の大豊作の陰には、私の夏の努力が実ったものと勝手に思い込み、一緒に食べる妻に自慢しながら味わっています。

「里芋を 掘り出しバケツ 芋洗い X状の 道具で洗う」

「芋ごりは 里芋どうし 擦り合い 共磨きあい 綺麗になって」

「芋ごりは 子ども育てる 見本です 子どもの数が ちょっと心配」

「今年も 種芋植えて 里芋を 沢山作る 決意も新た」

 

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人間牧場

〇ゴボウの種蒔き

 このところ春が近づいたことを知らせるように、足繁く雨が降るようになりました。雨に濡れた畑には2~3日入れないため、ウロウロしていると1週間も農作業の時機を逸してしまうので、気をつけなければなりません。とりあえずジャガイモの作付けとドングリの苗木を植え終わりましたが、昨日は豆トラで中耕した畑にゴボウの種を蒔きました。

ゴボウの種を蒔きました

 昨年は種を蒔いて芽が出たものの雑草を抜き遅れ、結局はゴボウを作ることができず大失敗に終わりました。わが家は料理にゴボウをよく使います。特にタツクリと鷹の爪を入れて大晦日に作るきんぴらゴボウは、私の大好きな欠かせないおせちで、菜園で作った地ゴボウは形こそよくないものの風味もよいので、今年こそはとリベンジを誓っています。

 昔祖母が、ゴボウの種の蒔き時は、「柿の新芽が膨らんだ頃ゴボウも新芽が出るように蒔くとよい」と教えられていたので、先日ホームセンターで滝野川という品種のゴボウの種を2袋買い求め、満を持して蒔きました。種を蒔いた畝に、蒔いた種を野鳥に食べられぬようテグスを張りました。「鳥目なのに何であんな細いテグスの糸が見えるのだろう」と思いながらやっています。

「昨年は ものの見事に 失敗し 作れなかった ゴボウ種蒔く」

「瀧野川 書いたゴボウの 種を買い 2袋蒔く 今年こそはと」

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人間牧場

◯地域教育実践ネットワークえひめ反省会

 新型コロナウイルスの影響で、各種会議の中止が相次いでいますが、私が代表を務める地域教育実践ネットワークえひめでは昨夕、今年度の反省会が伊予鉄会館で行ないました。やはり新型コロナウイルスの影響でしょうか?、また学校が来週から臨時休校になるため学校関係者は殆どの先生がその対応に追われているため、いつもより幾分少ない参加人数となりましたが、12月の大洲での大会、2月の南予、東予、中予のブロック大会と4つの集会を忙しいながらも無事終え、その報告も多岐にわたり、来年度に向けていい振り返りとなりました。

 会終了後懇親会が賑やかに行われましたが、酒を飲まない私はアルコールゼロのビールで、飲んだ雰囲気を存分に堪能することができました。いつもなら懇親会終了後の帰りは、地元の仲間のアッシー君になるのですが、みんなはそれぞれ二次会のため雨の中、暗闇の街の中へ消えて行きました。私は紛失しながら無事手元に戻ってきた木になるカバンとともに、無事9時過ぎに自宅へ帰りました。思ったより早い帰宅に妻は驚いた様子でしたが、讃岐先生や皆さんの近況を話すと懐かしそうに耳を傾けていました。

 昨日は久しぶりに懇親会で、三崎町の浅野先生と立ち話をしました。浅野先生は中学校の教頭先生をしていますが、弟さんと一緒に三崎町平磯の自宅近くで外国人を受け入れる喜久家プロジェクトという活動をしています。かつて国立大洲青少年交流のに出向していた頃知り合い、その後は最も親しい友人の一人としてお付き合いしていますが、わが家と同じように長男が同居をしていて、家族の人間関係についても共通の話題で時々盛り上がるのです。私は今年度で15年に及ぶ長~かった大学での非常勤講師や客員教授などでの仕事を、最初決めていた通り75歳という年齢を区切りに終えることを話しました。

 浅野先生は驚いた様子でしたが、私の持論は「自分の身の振り方の目安は、引き受ける時は周りの人に相談し、辞める時は周りの人に相談することなく自分で決める」ことを基本にしていることを話しました。それが当たっているかどうか人それぞれですが、お陰様で高校しか出てない学歴のない私にでも声がかかり周りに相談した結果、浅学菲才ゆえ悩んだり時には苦しんだりもしましたが、15年間も大学の教壇に立つことができました。今は内心ホッとしていて、大学に関わらなくなってこれから出来るであろう時間的余力を、地域や人のため、あるいは自分のために使おうと思っています。

「反省会 コロナウイルス 中止せず 区切りを終えて これでよかった」

「アルコール ゼロのビールを 飲みました 酔った雰囲気 味わいながら」

「懇親会 懇意な先生 立ち話 お互い近況 報告し合う」

「引き受ける 時は周りに 相談し 止める決断 自分で決める」 

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人間牧場

〇クヌギの木の苗床植え替え

 一昨年の晩秋、プランターに蒔いたドングリがほぼ100%芽を出し、その後順調に育って20㎝ほどの大きさに成長しました。そろそろ根も詰まってきたようなので一週間前から、植え替えに挑戦しこのほど終わりました。まず植える畑に豆トラを入れて中耕して準備をしました。早速プランターから苗木を抜こうとしましたが、ドングリから出た根は長く伸びて絡み合っていました。一つ一つ根を解したり、長く伸び過ぎた根は剪定ばさみにで切って短く詰めました。

クヌギの木の苗植え替え

 プランター4つとパン箱1つの根を解すのにかなりの時間がかかりましたが、中耕した畑に目印の溝を掘り、一本一本丁寧に手スコップで穴を掘って植えて行きました。一列に20本程度を6列植えたので目標だった100本を超える成果です。今年は肥料を施したり除草をしたりしながら大事に育てて、来年の春には50㎝ほどの苗木にして、豊田漁港の見える丘のあちこちに植林する計画です。既に予定地の伐開も終えていますが、今年は柔らかい草が生えると思われるので、年に2~3回は草刈りをしたり片付けて準備をしたいと思っています。

1週間ほど前、この作業中に無理がたたったのかぎっくり腰になってしまいました。体調を崩せば元もこもなくなるのでしっかりと体調を整え、計画している里山運動を何としても成就したいと思っています。今回植え替えたクヌギの木の苗が順調に育ち、来年植林して順調に生育すれば10年間でクヌギの森が出来る予定です。ドングリの種が芽を出し、小さな苗になりました。気の遠くなるような10年の一大プロジェクトはまだ緒に着いたばかりです。10年後私は85歳の予定です。楽しみです。

「なんぼまで 生きるつもりと 妻が聞く 死ぬまで生きると 大笑いしながら」

「ドングリの 種を蒔いたら 芽を出して やっと苗木の 片鱗見える」

「中耕の 終わった畑 穴を掘り 植え替え完了 大きく育て」

「金かけず 1から始める プロジェクト 10年先を 夢見黙々」

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人間牧場

〇書いた記憶のない文章

 先日青少年教育施設に勤めているAさんという女性から、「私の書いた文章をパンフレットに使いたいので承諾して欲しい」旨の電話が入りました。「どんな文章でしたか?」と尋ねると、「子どもは創造的な遊びで大きく育つ」というタイトルの文章のようでした。藪から棒のような話でしたが断る理由もなく、「どうぞご自由にお使いください」と承諾し、「すみませんがその文章を、メールででも私の所へ送っておいてください」と頼みました。

Aさんから送られてきた、私がかつて書いたと思われる文章

 私は毎日少し長めのブログを2本書いたり、自著本を数冊出したり、色々な雑誌などに頼まれて四六時中文章を書いているので、これまでに書いた文章の全てを覚えている訳でもないので、Aさんからメールで届いた文章を見ても、「いつ頃書いたのだろう?」と記憶の糸を手繰るものの、傷んだ私の体内記憶装置はびくとも作動しませんでした。それでも読むほどに私でしか書けない独特のものがあって、これは自分の書いた文章に間違いないと納得することができました。

人間は口で物事を喋ったり、脳を働かせて文章を書いたりして、自分の想いを相手に伝えようとします。その根底にあるのはこれまでの経験と様々な学びで蓄積したものが、言葉や文章となって表現されますが、毎日の様にそうした学びで得たことを蓄積する一方、忘れるという人間独特の手法によって廃棄処分されるのです。未来は未知ですが私の考えだと人間は、過去の体験を基にした「なつかしい未来」を創ろうとしているのかも知れません。ふと気が付いて考えれば、かつて私が子どもの頃から今日までに経験した創造的な遊びが、未来の自分の目指す方向なのかも・・・。そういえば人間牧場も里山運動も「なつかしい未来」を創る活動や運動のようです。

「電話にて 私の書いた 文章を 使いたいので 承諾してと」

「はてそんな 文章書いた 記憶なく それでも断る 理由もなしに」

「メールにて 届いた文章 読んでみる 確かに私の 書いた足跡」

「体内の 記憶装置は 傷んでる 認知兆候 既に始まる」

 

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人間牧場

〇夕暮れ時のウォーキング

 今日の夕暮れ時、ちょっと時間が取れたので、タブレットを持って上灘川沿いをウォーキングしました。いつもは午前5時から午前6時頃通る暗い道も、小川のせせらぎの音やウグイスの初鳴きを聴きながら、目に映るそこそこの風景を写真に撮ったりしながら歩くと結構楽しいものです。

夕日とジェット機の飛行機雲

一本橋付近まで来ると西の空の夕日夕やけがとても綺麗に見えました。夕日のすぐ横に白い一筋の雲が現れました。航跡の先端をジェット機が速いスピードで飛んでいました。双海町上灘上空は沢山の飛行機が毎日の様に飛んでいて、特に夜になると飛行機の点滅ライトが西に東に北に南に飛び交っています。

野生の黄色い菜の花が道端に沢山咲いていました

 この時期は春の花の代表選手である黄色い菜の花が至る所に咲いています。種を蒔いた訳でもないのに自然に種が落ちて発芽し、自然に花を咲かせるのです。菜の花は黄色と緑のコントラストもよく、やはり春には欠かせない花の一つです。

あぜ道に咲き始めたレンゲソウの花

 鉄橋の下あたりまで来ると、田んぼのあぜ道に早くもレンゲソウが咲いていました。例年だとこの辺りでは3月中旬に咲くようですが、やはり暖冬の影響でしょうか?。レンゲの花の咲くのが年々早くなるようです。子どもの頃は月遅れの節句(4月4日)に、弁当を作ってもらいレンゲ畑の真ん中で弁当を食べながら、遊んだことを思い出しました。

上灘川に架かる長~い鉄橋

 上灘川に架かる長い鉄橋を山側、真下、海側から見るのも迫力があります。コンクリート造の太い橋脚や鉄製の橋は、夕暮れ時だったので郷愁を覚えながら見とれてしまいました。日ごろ何気なく見慣れている景色も中々いいものです。

「暇見つけ 一人夕暮れ 散歩する 幾つか写真 撮りつつのんびり」

「ジェット機の 後ろに白い 雲の帯 夕日に映えて 絵になる光景」

「菜の花や レンゲの花が 咲き揃い ウグイス初鳴き 春が来たぞと」

「コンクリの 太い橋脚 鉄橋を 角度を変えて 口開け見上げ」

 

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人間牧場

〇ヒジキの加工

 昨日は旧暦の2月2日大潮でした。本当は前日の新月の日に磯に出てヒジキを刈りたかったのですが、不運にも4~5日前からぎっくり腰を患っていて、それどころではなかったのです。昨日はそのぎっくり腰も随分よくなり、伊予市街の整骨院で朝一番再度診療してもらって帰宅しました。昼食を終えて仕事に出かける妻からは、「再発したら大変だからじっと養生するように」と釘を刺されていましたが、午後2時過ぎ手持ち無沙汰なため、軽い気持ちで鎌などの七つ道具を軽四トラックに積み込んで、とっておきの磯に出かけました。

大釜でヒジキを茹でる
薪を割るのも一苦労でした

 まだ潮の引くのが不十分でしたが、腰に負担をかけない程度ヒジキを刈りました。今年は暖冬の影響でヒジキの根元に別の海草が付着しているので、先の方を刈り車に積んで持ち帰りました。ヒジキをポリ桶に水を張って入れ、綺麗に水洗いして数日前からこの日のために用意していた大釜に入れながら、軒先の置いている薪を割ってかまどに火をつけ、茹でる作業開始です。ヒジキの加工は手間のいる作業です。薪に火をつけてから延々4時間も火を切らさないよう焚き続けなければなりません。

昨日の午後は良い天気でしたが、夕方から雨模様になるという天気予報通り、周りが暗くなる午後7時ころになると大粒の雨が降り出しました。大型の懐中電灯を点け、傘を差しながら20分おきに薪をくべ、8時30分頃に最後の薪をくべて火止めしました。昨晩大釜の中で一晩蒸されたヒジキは、今朝一番で蓋を取ってみると、程よい柔らかさに仕上がっていました。今日はこの茹で上がったばかりのヒジキを小袋に小分けして、親類や仲間にお裾分けしようと思っています。腰の具合も何とか持ち直してきました。早く治さないと農作業も待っています。

「このところ ぎっくり腰を 発症し おとなしくしろと 妻に言われて」

「新月は 大潮時と なりにけり いてもたっても いられず行動」

「磯に出て 少しだけれど ヒジキ刈る 釜で茹で揚げ 昨晩蒸して」

「加工した ヒジキみんなに お裾分け 腰の痛みも 忘れあれこれ」

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人間牧場

〇新鮮なお魚が届きました

 このところ春が近づいていることを実感するように、お天気が一日おきに目まぐるしく替わって、アップダウンの大きい気温寒暖の差は老いの身?にとって、体温調整が難しく体に堪えるようになりました。それでも妻の、終盤に入った冬野菜を使った手作り料理のお陰で、風邪も引かず心配なコロナウイルス肺炎にもかからず、ぎっくり腰になった以外は今のところ元気に日々を暮らしています

懇意な漁師さんから届いたお魚

先日漁師をしている懇意な友人から、カナガシラやホウボウ、アジなどの小魚がトロ箱に一箱届きました。カナガシラもホウボウもあちこちにトゲがあるので、専用の軍手をはめ、鱗を引いたり頭を出刃包丁で取ったりの粗調理を私がしました。現職の頃は見向きをする暇もないほど忙しく、家事に手を出す余裕などありませんでした。退職してから魚の粗調理だけは私の仕事に位置付けてやっていますが、今では包丁さばきもすっかり板につき、妻に重宝がられています。

 瀬戸内の小魚は粗調理するのに手間暇がかかりますが、生でも煮ても焼いても味は抜群で、魚の大好きな私にとってはこの上ないご馳走となっています。わが家はその昔漁業を生業にしていました。故に漁師さんの親戚も多いのですが、殆どの人が高齢で廃業し、魚を貰うことが殆どなくなり寂しい思いをしています。しかし長男息子の漁師をしている同級生や新たに懇意な漁師さんも出来て、こうして時々お魚が届くのです。これもまた幸せです。

「新鮮な 瀬戸内小魚 届きたる 早速私 粗調理する」

「小魚は 少々手間だが これもまた 楽しみながら ひと手間かけて」

「一匹の ウマヅラ皮を 剥いた後 肝を取り出し 三枚おろす」

「食卓に カワハギ刺身 肝つきで カナガシラ煮つけ 味は南蛮」

 

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