人間牧場

〇ヒマワリの陰干し

 ヒマワリの花を陰干ししドライフラワーにして、カフェの窓辺に飾っている光景は何ともお洒落で、コーヒー(私はコーヒーが飲めないのでティ)などを飲みながら過ごすひと時は、何となく落ち着きます。しかし家庭菜園の一角を長男っ息子に乗っ取られ、余ったヒマワリの苗を植えて2ヶ月余りが経ちました。東に向かって元気に咲いていたヒマワリに元気を貰いながらも、その内すべての花が、その重さに耐えかねて首をうなだれてしまいました。

東屋の梁に吊るし陰干ししているヒマワリの花

 冬野菜の植え付け準備の始まる8月末までには片付けるという約束だったのに、息子は「忙しい」の一点張りで一向に片づけてくれないため、仕方なく茎からうなだれた花を切り落とし、大地にしっかりと根を張った大きな茎は、地堀りクワで引き抜きました。猛暑の中での作業は大汗をかくほどきつく、本来なら私がする仕事でもないだけに、親バカかバカ親か区別がつかぬまま、とりあえずすべての作業を終え、跡地は新地になりました。

 さて、切り取った花はどうするか考えた挙句、とりあえず10本ほどを束にして、東屋の天井梁に太くて丈夫なロープを通し、まるで首でもつれそうな(大笑い)仕掛けを作り、次々と束を吊り下げました。天気は上々で雨の心配もなく、東屋は心地よい木陰の風が通って、この上ない条件で陰干しが続いています。何日かして乾燥が進めば後は種取り作業です。息子は相変わらずの手合いで、土日になれば中山町の十彩会に通い、ヒマワリの後に植えるコスモスの準備に余念がないようです。

「わが菜園 息子頼まれ ヒマワリを 植えたはいいが 世話までさせられ」

「8月で 片付け約束 したはずだ 親子契約 守られもせず」

「東屋の 梁にロープかけ 首を吊る? いえいえヒマワリ 首を吊ります」

「親バカと バカ親同居 あれやこれ サンデー毎日 一喜一憂」

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人間牧場

〇ボロでねじる

 このところ全く雨が降らず、期待していた台風8号のもたらす恩恵にもあずからず、台風は朝鮮半島付近で熱帯低気圧に変わりました。昨日は曇ったり晴れたりを繰り返し、ほんのおさわり程度小雨が降り、期待しながら干していた洗濯物を取り込んだり、息子が庭に広げて乾燥させているヒマワリの種を取り込んだりしましたが、結局空振りに終わってあ~あ~とため息が漏れました。

真っ青な空に真っ白な雲、元気が出ます
一日の終わりを告げる西の空

 私たちの地域ではこうした状態のことを「ボロでねじる」といいますが、庭の隅にある農作業に使っている井戸も危機的状態で、間もなく底水さえも枯れるのではと毎日水位を見ながら天を仰いでいます。台風一過の真っ青な空に白い雲が湧く姿は、残暑は厳しいものの何か晴れ晴れとして心が癒されます。また夕方西の空が茜色に染まると、「明日も雨は期待できない」と思いつつ、天気がよさそうなことに安堵するのです。

 今朝はウォーキングで歩く道すがら、上灘漁港の中突堤から振り返って本尊山や明神山を眺めると、真っ赤な朝焼けが見えました。日々の雑事に追われ、また新型コロナや熱中症を心配して、周りの風景に心を寄せる余裕もなく過ごしていますが、せめて季節の移ろいに目と心を寄せ、生きていること、幸せであることを実感しながら暮らして行きたいと思いました。

「期待した 台風土産 空振りで ボロねじ終わる 昨日の一日」

「外に干す 洗濯物や ヒマワリの 種に一憂 空を見上げて」

「新型の コロナ気になる 熱中症 我を忘れて いたよう気がする」

「真っ青な 空に浮かんだ 白い雲 元気を貰い 今日も生きよう」

 

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人間牧場

〇2冊の本の執筆

 今年は新型コロナウイルスの影響で、予定していた講演が殆ど全て中止となり、加えてこれまで15年間も足繁く通っていた大学の非常勤講師や客員教授を、75歳の後期高齢者となったのを機に全て辞任したため、家庭にいる時間がかなり多くなりました。そんなこともあって思いつくまま暇を見つけて2冊の本の執筆を同時進行でやっています。

書き始めた人間牧場物語の原稿

 一冊は夕やけ徒然草で、既に地の書・水の書・火の書・風の書・空の書・心の書の5冊(30話×6冊=180話)を発行していますが、二宮金次郎の尊徳翁夜話にあやかり233話を最終目標にしたたため最終書は53話と少し長めです。既に30話余りを書いているのであと少しですが、これが中々難産のようで、今年中に片づけたいと思っています。

 もう一冊は人間牧場物語です。15年前現職を退職した時長年の夢であった人間牧場を造りました。構想10年、建設5年、利用15年はあっという間に過ぎましたが、その折々の想いを加齢による忘却をしない間に書き残しておこうと思いつきました。私は思いついたら何が何でもやる質で、かつて出版した「昇る夕日でまちづくり」などは300ページもの本を僅か2週間で書いたほど早書きなのです。

 既に目次案40項目の35項目辺りまで書き上げていて、そろそろラストスパートといったところです。途切れがちな記憶を呼び起こしながら書いていますが、書き溜めつつあるこの2冊の本を印刷出版するかどうかはまだ決めていません。年金暮らしだし出版に要する費用を借金する訳にも行かず、少~しだけ悩んでいます。まあ悩んでも仕方がないので、コロナでできた暇を有効に使って、残りの原稿を淡々と仕上げたいと思っています。

「コロナ禍で サンデー毎日 暇出来た チャンスととらえ 原稿執筆」

「何のため 書くのと自問 するけれど 出口も見えず それでも書かねば」

「書くよりは 打つというのが 当たってる デジタル文字で 記憶頼りに」

「宝くじ 当たれば資金 出来るけど 買わないゆえに 当たるはずなし」

 

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〇漫画に込められた思い

安心して感染漫画

図書館や本屋さんが遠い位置にある田舎暮らしをしている私にとって、外の人と出会う機会も加齢とともに減り続け、唯一新聞とパソコンが社会の動きを知るツールとなっています。毎日新聞やパソコンを見ていると、世の中のの動きはめまぐるしく、朝の話題が夜にはとんでもない方向に動いて、驚くことが多くそのスピードについて行けないのが正直なところです。

 新聞やパソコンで知り得る情報はすべて真実でもなく、それらを見極める冷静な判断が必要ですが、時には浅学菲才な私の心を揺さぶったり、なるほどと納得するようなことも沢山あり色々なことに気づかされます。そんな中世情を賑わしているコロナについて、新潟県見附市の公式facebookに投稿された「安心して感染したい」という衝撃的タイトルの漫画が注目を集めているようです。

「コロナにうつらない」「コロナをうつさない」は誰しも願うところです。しかし毎日の様に日本の各地では1000人を超す感染者が出ている現状では、自分だけはと思ってもいつ何時自分もその当事者になるかも知れないのです。そんな時自分に言い聞かせるのは、「うつすのも、村八分にするのも、後ろ指をさすのも、陰口を叩くのも、ウイルスじゃない、この『人」』なんだよなあ」というつぶやきが全てを言い表しているようです。

 私たちの身近な場所に音もなく忍び寄るコロナウイルスは、私たち心の弱い人間を試しているようにも思われます。私自身も既に知らない間に感染しているかも知れないと思うと、他人事ではありません。他人を思いやりながら自分というもう一人の自分とどう向き合うか、今年の夏は様々な気づきがありました。

「図書館も 本屋も遠い 田舎住む 新聞パソコン 知識はこれしか」

「会う人も 加齢とともに 減り続け ほおっていたら 誰とも会わず」

「新潟の facebookに 載っていた 漫画話題に なるほど納得」

「結局は コロナじゃないよ 人なんだ つぶやき言い得て 妙なる言葉」

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人間牧場

〇石垣の草取り

 正式に測ったことはりませんが、わが家の敷地は家庭菜園も含めると660坪もあり、北東に細長く伸びています。片方は全て石垣で優に200mはあるようで、石垣の下は全て人の田んぼですが、持ち主のご主人が体調不良で入院して、今年は田んぼを作るのを止めたため草ぼうぼうで、秋が近づき雑草の綿毛のような胞子が飛んで、近所の人も多少困惑しているようです。

長~い石垣の草取り

 私の家のすぐ下は、草刈りが出来ない奥さんの了解を得て、長く細く草刈り機で草を刈ってあげて喜ばれましたが、これまで田んぼの季節になると奥さんが1日をかけて石垣の草を引いてくれていました。しかしそれも叶わなくなったため、今日は午前中脚立を立てて、上がったり降りたりしながら石垣の比較的上の、私がツツジを植えている部分を中心に、大汗をかきながら草引きをしました。

 初夏になると当たり前のように田起こした田んぼに水が張って田植えをし、お盆が過ぎたこの頃になると黄金に色づいた稲刈りが行われていましたが、田んぼの持ち主も病気が回復しても高齢で、機械類が故障していため投資も出来ず、恐らく来年も不耕地となり、今年以上に雑草がはびこるのではないかと、近所の人たちはわがことのよう心配をしています。耕して天に至る急峻で狭い山田ならいざ知らず、比較的便利がいいと思われる田んぼがこのようになるのですから、将来のことが心配です。

 昨年田んぼに面した石垣の上に植えたツツジを何日もかかって剪定してすっきりさせましたが、今日の草取りでさらに綺麗になりました。来年は息子の協力も得てさらに綺麗にしなければならないと心に誓いました。歳を重ねつつあるというのに私の野良仕事の量は減るどころか増える一方です。今日は少しお疲れモードのようなので少し早く床に就こうと思っています。

「これまでは 下の田んぼの 風景を 当たり前だと 思っていたが」

「作り手が 病気で耕作 しなくなり たった一年 荒れるに任せ」

「雑草の 胞子が綿の ように飛ぶ 不耕地問題 身近なところで」

「また一つ 仕事の量が 増えました 後期高齢 重い荷物に」

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人間牧場

〇長年のコンプレックス

 私は自他ともに認めるほど字が下手で、子どもの頃から字の上手な人を羨ましく思っていました。どうしたら字が上手く書けるか練習もしてみましたが、結局は長続きせず、自分の字が下手のは親から受け継いだ遺伝子のせいだと自分を納得させて生きてきました。一番困ったのは体調を壊しそれまでやっていた重労働の漁師が出来なくなり、ひょんなきっかけで役場に転職してデスクワークが仕事になったことでした。

届いた達筆な残暑見舞いのハガキ

 当時はワープロやパソコンのない時代で、タイプラーターはあっても殆どは手書き文字でした。上司から「若松さんの文字は特徴があってハンコが要らない」などと、褒めようのない文字を半分腐されもしましたが、丁寧に書くことを第一にして得意の弁舌でカバーしながら何とかその場をしのぎ、終盤普及したワープロとパソコンに助けられて、35年間の役場勤めを無事終えることができました。

 もう20数年も前、「一日3枚のハガキを書いたら人生が幸せになれる」という言葉に出会い、それから毎日毎日3枚のハガキを飽きもせず書いていますが、ハガキを書きながらいつも心の隅に「字が下手「」というコンプレックスを感じています。それでも腐ることなくハガキを書き続けているのですから、余程強心臓の持ち主だと、自分自身呆れ返っています。

 私が毎日3枚ハガキを書き投函してると、私宛のハガキも沢山来るようになって、ハガキによるアナログ交流の輪がどんどん広がっていまが、中にはとっておきたいようなとても綺麗な筆文字のハガキもくるのです。世の中には達人がいるものです。字が下手なことをコンプレックスと考えず、これが私の個性だと思い、恥ずかしながらこの達人に今朝、勇気を出してハガキを書きました。これから投函しに郵便局へ出かけます。

「字が下手と コンプレックス 持っている 練習しても 上達もせず」

「世の中にゃ 達筆な人 いるもので 先日届いた ハガキに感心」

「近頃は 下手な文字でも 個性だと 開き直って 一日3枚」

「アナログを 自称している 私ゆえ これから先も ハガキは書きたい」

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人間牧場

〇真っ赤な収穫物

「真っ赤に燃えた~太陽だから~」と、若い頃口ずさんだ「恋の季節」を思い出すような、連日の暑さです。そんな中畑に出て真っ赤な作物を2つ収穫しました。一つはトマトです。トマトは雨に弱く、今年のような梅雨の長雨が続くと、腐敗防止の農薬を使わないわが家では、折角なった実が腐ってしまうのです。今年も仕方がないことと諦めていましたが、ところが何と何とこのところのカラカラ天気で作柄が回復し、トマトの収穫が出来るようになったのです。

真っ赤に熟れた完熟の無農薬トマト
今年も豊作の真っ赤な唐辛子

 間もなく夏野菜はその役割を終えて秋植えの冬野菜にバトンタッチしますが、水をかけなかったトマトは砂漠化した畑に順応し、甘いトマトとして生き残り、毎朝妻の作ってくれるトマトのスムージーは私たち夫婦の夏バテ防止に大いに役に立っています。赤と言えばもう一つ思い出すのは唐辛子です。毎年畑の隅へ言い訳程度の5本ほど植えていますが、真っ赤に熟れたので昨日摘み取りました。収穫した唐辛子は丹念に茎を短く切って、今日から天日乾燥を始めます。

 天日乾燥が終わればナイロンの袋に入れて冷蔵庫の奥にしまいます。わが家では南蛮漬けや野菜の浅漬けなど、何かにつけて唐辛子を使った料理をしますが、細かく輪切りにした唐辛子は見た目にも鮮やかで食欲をそそります。今年も沢山収穫することができたので、半分ほどは知人友人にお裾分けしてあげる予定です。真っ赤なトマトも深紅の唐辛子も暑さを連想させてくれますが、これからも続く残暑をコロナや熱中症に負けず、家族で元気に乗り切ろうと思っています。

「猛暑日が 続いて毎日 フーフーと 汗だく過ごす 残暑の中を」

「ここに来て トマトが元気 回復し 連日収穫 味を楽しむ」

「唐辛子 真っ赤に熟れて ハサミ摘む これから数日 天日乾燥」

「何につけ 料理に使う 唐辛子 わが家の定番 味は格別」

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人間牧場

〇顔も畑も夕日までも日焼け色

 戸外に出たり農作業をする時は、日焼け防止用に麦わら帽子を被り長袖のシャツを着ていますが、このところの暑さで顔も手もすっかり日焼けして、「インド人もびっくり」するほど黒くなってしまいました。特に無防備な手の甲の日焼けはひどく、先日3歳の孫娘がわが家にやって来た時手を繋いで歩いたら、孫娘の白鳥にも似た色白な手に比べ私の手の甲は、まるで「醜いアヒルの子」のようでした。

日焼け顔
里芋の日焼け
昨日の秋の夕日、明くる日の今日も猛暑日

 私たちが若い頃は日焼けした顔=健康=逞しさを象徴するもので、日焼けなどほとんど気にせず暮らしていました。勿論その頃は日焼け止めクリームなど男性の塗る化粧品ではなかったため、私の記憶では日焼け止めクリームを体に塗った記憶は殆どないのです。最近は紫外線で肌を焦がすと体に良くないと言われているため、海水浴場で過ごす男性でもしっかりとUVカットの日焼け止めクリームを塗りたくっているようです。

 朝日が昇る5時過ぎにウォーキングに出かけ、日中は農作業で戸外へ出て、夕方夕日が沈むまで、食事や休憩を除けば殆ど戸外で過ごしている私ですが、梅雨が明けてからこれまでずうっ~と雲一つない好天に恵まれた畑は、一変して太陽のもたらす水不足と高温障害で、特に水の欲しい里芋の葉っぱなどは日焼けが始まり、黄色く変色し始めました。一雨欲しい所ですが、この土日週末も雨は余り期待できないようです。

「この20日 好天恵まれ 上天気 朝から晩まで 日焼け洗礼」

「3歳の 孫の手白鳥 わが手指 醜いアヒル 気恥ずかしくて」

「日焼け止め クリーム塗った 記憶なし この歳今さら 面倒くさい」

「里芋の 葉っぱ高温 障害で 枯れ始めたり 何とかせねば」

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人間牧場

〇今年は芙蓉とヒマワリの夏でした

 私は顔に似合わず花が大好きで、公民館やまちづくりの仕事を通して、今ではすっかり有名になった双海町の桜、菜の花、水仙、酔芙蓉、アジサイ、ツツジなどの花々を町内各地に植えてきました。個人的には夏の時期グリーンカーテンとして毎年朝顔を植えたりして育てていますが、正直なところ花は水遣りや除草などの世話が大変で、失敗ばかり繰り返しています。

 昨年の晩秋近所の人から珍しい真っ赤な花の芙蓉の剪定枝をいただき、挿し木したところ20本ほど活着し見事な深紅の花を連日のように咲かせ、家族の目を楽しませてくれていますが、ここに来て連日の35度を超す折からの猛暑で、鉢植えにしている10鉢ほどの水遣りが、多少遅れ気味になっています。

 今年は今まで経験したことがないほどひまわりに縁の深い夏でした。息子が中山の十彩会の皆さんと育てた、ヒマワリ畑で開かれたイベントに妻と二人で出かけたり、余った苗の処分に困りわが家の家庭菜園に植えて育てたりしました。今はひまわりのシーズンも終わり、息子はひまわりの種を収穫して、天日干しに余念がないようです。

天日乾燥中のヒマワリの種

 私も家庭菜園の夏野菜がそろそろ終わりに近づいたので、ひまわりを抜いて雑草を取り除いて中耕し、そろそろ秋植え野菜の準備をしなければなりません。息子は自家菜園で首をうなだれているヒマワリの花を間もなく切り取り種を取って、天日乾燥する作業をやるようですが、ひまわり油か食用にはできないものかと、また馬鹿げた夢を追いかけようとしています。

「今年は 赤い芙蓉と 黄ひまわり 身近に咲いて 夏を彩る」

「シーズンを 終えたヒマワリ うなだれて 切り取りサイン 出してるようだ」

「暑い夏 太陽向って 咲く花に 元気貰って 乗り切れそうだ」

「食用と 油を搾る 妙案に 夢の風呂敷 またまた広げ」

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人間牧場

〇ペルセウス流星群

 お盆休みの13~15日の3日間、松山に住む中学一年生の外孫尚樹がわが家へ泊りにやって来ました。わが家には中学一年生の内孫希心と小学五年生の奏心がいて、歳も近いことからお互いが楽しみにして、3日間だけでしたがあれやこれやと楽しそうに遊んでいました。

 13日には両親に連れられて潮風ふれあい公園へ、ペルセウス流星群を見に出かけたようで、帰るなり「流れ星を20個以上も見つけた。とても綺麗だった。」と少し興奮気味に話してくれました。双海町は田舎ゆえ、特に小高い山の上にある潮風ふれあい公園は人家からも少し離れていて人工的明かりも少ないため、内外から多くの人が訪れていたようでした。孫たちもいい思い出になったようでした。

 今朝の愛媛新聞朝刊門欄の隅に「単眼複眼」というコーナーがあり、松山市の八木啓一さんが、ペルセウス流星群を見に来られたことが載っていました。「伊予市双海町へ、涼とペルセウス流星群を求めて訪れました。時折ピカッと光る流れ星は鮮烈で心和みます。宇宙のチリとは思えません。瀬戸内の穏やかな景色とのマッチングに感動です。(13日撮影)」と書かれていました。

「流れ星 子どもの頃に 願い事 しながら見てた 思い出かすかに」

「夏休み 内孫外孫 連れ立って 潮風公園 星の観察」

「ペルセウス 流星群と いうそうな 20個見たと 孫たち興奮」

「新聞に 投稿記事を 見つけたり 夜の写真は 中々難し」

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