人間牧場

◯やっと一段落

今年は新型コロナウイルスに翻弄され、様々な関わりが中止や延期となり、翻弄され続けてきました。それでも不要不急の外出を避けたりしたため、一位度立ち止まったり、ゼロに戻って見直したりしたため、随分心の整理ができました。

年齢的にも後期高齢者となって、12年クルーの砂時計の6回目のひっくり返しを終え、7回目の最終章が始まり、いよいよ人生の仕上げをしなければならなくなりました。さあもう一踏ん張り頑張りましょう。

先日帯状疱疹にかかり多少難儀をしましたが、健康が第一であることを実感したので、無理をせず少し無理をしたいと思い、昨日は家庭菜園の草取りや耕運機での中耕、今日は山弁を持って人間牧場の細々作業をしに来ています。外界はコロナで騒々しいものの、人間牧場はマスクも要らずすこぶる静かです。

 

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〇キー局のコダテルに思わぬお客様

 新型コロナの影響で今年の第13回地域教育実践交流集会はオンライン集会となりました。昨年開かれた愛媛県公民館研究大会のインタビューダイアローグで私がインタビュアーをしたため、パネリストとなっていたコダテルの浜田さんを中尾さんと二人で打ち合わせのため訪ねたことがきっかけで、230人の参加者を束ねるキー局として、ネット環境の良い八幡浜市向灘のコダテルをお借りしました。

 以来この4~5ヶ月は、中尾さんと平岡さんと私の3人で足繁く通い、すっかりお馴染みの場所となりました。昨日私の出番は午後2時からの開会あいさつと、午後4時15分からの200人夢会議のコメンテータだったので、それ以外の時間なすっかりリラックスして中尾さんや平岡さんそれに大藤さんの仕事ぶりを見たり、分散会をネットで巡回する程度でした。

 そんな休憩時間に懐かしい顔々がやって来ました。まず最初にやって来たのは、伊方町三崎の浅野先生と大学生になった娘さん親子です。三崎町の田村菓子店の美味しいパンを沢山差し入れしてくれました。浅野先生も娘さんもその後のオンライン集会にも参加されたようです。

 次に現れたのは八幡浜市白浜公民館主事の井上恵子さんです。井上さんとは前々日に、私の公民館SDGsに興味を示され、2~3日前にラインでお友だちになったばかりだというのに、何とコダテルへわざわざ美味しいお菓子を持って逢いに来てくれました。何という嬉しいことでしょう。こうして縁は広がって行くのです。ちなみに来春早々に開かれる予定の八幡浜市公民館大会に講演講師として招かれていて、再会が楽しみになってきました。勿論井上さんもオンライン会議に参加してくれました。

「人の家 間借りをしたのに 親子連れ はるばるコダテル パンまで持って」

「2~3日前 ラインで友だち なった人 わざわざお菓子 持って来訪」

「次々と 知人来訪 ほのぼのと 出会い重ねる 師走の一日」

「バーチャルと リアルが混じる あれやこれ 人の心の 有難きかな」 

 

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◯第13回地域教育実践交流会が始まります

今年は新型コロナの影響で、オンライン交流会となった第13回地域教育実践交流会が200人余りが参加していよいよ始まります。私はメイン会場の八幡浜市向灘にあるコダテルに来ています。

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〇干し柿揉み

 家の屋根付き洗濯物干場に吊るしている干し柿が、このところの気温低下や季節風によって頃合いに乾いたようなので、昨日は真新しい白い軍手を両手にはめて、干し柿揉みをしました。

干し柿を軍手をはめて揉みました

 肩揉みの要領で余り強過ぎないよう気を配りながら、一つひとつ丁寧に揉みほぐしました。今年は皮を剥いで干してから程よい天候に恵まれたため、心配していたカビも生えず、上々の出来栄えで、飴色に輝きもう間もなく食べれそうです。

 近頃の子どもは野外に長時間干したり手で揉んだ干し柿を、汚いとか言って余り食べないそうですが、わが家の2人の孫は干し柿が大好きで、出来たら一緒に食べようと約束をしています。

 わが家ではお正月の注連縄神棚に五穀として鰯の田作り、新米、餅などとともに干し柿やダイダイ(小みかん)などを供え、家族の健康を祈ります。そういえば吊るし柿ができる頃になると、そろそろ年賀状の準備にも取り掛からなければなりません。師走は何かと忙しいです。

「干し柿が 冷気冷風 晒されて 程よく乾き 手揉みを加え」

「軍手はめ 次から次へ 揉んで行く 今年は仕上がり 順調のよう」

「近頃の 子ども干し柿 食べないと 聞くがわが孫 大の好物」

「子ども頃 親の目盗み 干し柿を 食べて叱られ 良き思い出に」

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〇榎が届きました

 昨日所用で家を留守にして外出先から帰ってみると、玄関先に大きな榎ともち米の入った紙袋が置かれていました。大洲市田処に住む亀本さんから2~3日前「持って行く」と予告電話があったので、納得の手合いでした。

 本当は今週末の日曜日、人間牧場で年輪塾の塾生による恒例の餅つき大会を計画していましたが、県内で新型コロナの感染が拡大しているためやむなく中止としたため、亀本さんの用意したもち米と、松本さんが用意した餡子が宙に浮き、わが家でやる年末の餅つきで使うことになってしまったのです。

届いた榎のホダ木原木

 榎は年が明けたらヒラタケの植菌をする予定ですが、現在は生木のため一人で移動させにくいほどの重さで、それでも裏庭まで担いで移動させましたが、一番大きな木はリヤカーに積んで移動させ、転がしながら予定の場所へ運び終えました。

 わが家の裏にはヒラタケ菌を植菌した榎のホダ場を作っていて、今年の秋は気象条件が良かったのか、綺麗なヒラタケが沢山生えて、なべ物やすき焼きにしたり、お裾分けして存分に楽しみました。亀本さんありがとうございました。

「届きたる 榎のホダ木 生ゆえに 重くて移動 大汗かいて」

「今年は 気象条件 良かったか ヒラタケ豊作 存分味わう」

「来年の 二月頃には 穴を開け 植菌作業 今から楽しみ」

「あれこれと 田舎暮らしも 悪くない 友の気配り 大いに感謝」

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〇心に残る一冊の本

 一昨日同居している小学5年生の孫奏心から、「おじいちゃん、一緒にお風呂に入ろう」と久しぶりに誘われました。小さい頃は2人の孫を風呂に入れるのが日課で、風呂の中で数を数えるのを覚えさせたり、かけ算を覚えさせたりもしましたが、今は中学1年の兄希心と一緒に一番風呂に入るため私の役目は終わっていますが、久し振りに見る孫の姿はまるで雨後の筍のように大きくなっていました。

私の思い出に残る一冊の本

 二人で湯船に浸かりながら色々な話をしましたが、「おじいちゃんは、今まで読んだ本の中で一番心に残っている本は何?」と尋ねられました。即座に「井伏鱒二という人が書いた『ジョン万次郎漂流記』という本だ」と答えました。小学校5年生の時担任の先生が誕生日の日に、新聞紙に包んでこの本をプレゼントしてくれたこと、主人公である土佐清水出身の漁師ジョン万次郎が、出漁中大しけに遭い乗っていた船が流され鳥島に漂着したこと、アメリカの捕鯨船に助けられ、ホット・フィールド船長と出会い、アメリカのフェアフェブンで勉強したこと、生まれた日本のことが忘れられず鎖国の国日本に帰ったものの捕らえられたこと、幕末から明治維新にかけて幕府に召し抱えられ、勝海舟や福沢諭吉とともに咸臨丸に乗って太平洋を渡ったことなどなどを話してやりました。

 かく言う私も運命こそ違え、漁師になるため水産高校の実習船愛媛丸でオーストラリア近くの珊瑚海まで、マグロを取りに出かけたこと、昭和の咸臨丸と銘打った総理府派遣第10回青年の船の班長として建国200年のアメリカやメキシコ・ハワイを航海したことなどを話してやると、「おじいちゃんは凄い」と言ってくれましたが、元はと言えば小学校5年生の時担任の先生が誕生日にプレゼントしてくれた、「ジョン万次郎漂流記」という本がベースになっているのですから、本の影響は絶大です。

 孫に本の話を聞くと、今はプログラミングの本に夢中になっているそうです。本は色々な空想をかき立ててくれます。私が空想したように孫も何冊かの本を読みながら、一冊の本に出合うことでしょう。楽しみです。孫と時々風呂に入ろうかな~。

「久方に 孫に誘われ 風呂に入る 本の話で 夢中になって」

「そう言えば 井伏鱒二の 小説が 私の心に 火をつけたよう」

「本を読み 空想巡らす 日々欲しい あくせく生きて 忘れかけてた」

 

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〇特産物が宅配便で

 長い間地域づくりに関わっていることもあって、私には県内外に沢山の友人がいます。殆どの人とは年賀状程度のお付き合いですが、中には地域の特産品のやり取りをしている親友も沢山いて、季節季節のグルメと呼ぶにふさわしい旬の物が届くのです。

ホタテ貝
長芋

 昨日は北海道佐呂間町の友人2人から立派なホタテ貝やカキが沢山送られてきました。毎年のことなのでお互い送ったとも着いたとも言わず、届けば知人や友人、子どもたちに小さな袋に小分けして「○○の○○さんから送って来た○○です」と産地・送り主・産物名を言いながら配って歩くのです。

 また昨日は山梨県南牧村の友人からも長芋が沢山送られてきました。長芋はもみ殻を入れた段ボールに入っていて、日持ちがするので、これから当分の間長芋のとろろ汁やすりおろしてお好み焼き風に焼き、ポン酢と鰹節で食べると格別の味がして、嬉しい贈り物なのです。妻はうどんやそばにすりおろした長芋をかけた山かけが好物のようです。

 先日早生みかんに続いて紅マドンナを送りましたが、昨日は町内に住む妻の友人の農家さんからキウイフルーツ、近くに住む叔母から内子町産の富有柿が届きました。キウイフルーツはナイロン袋にリンゴを入れて熟成させ、柔らかくなったら食べるし、富有柿は追熟させながら食べています。今年は秋の天候が温暖だったため海の幸山の幸ともに豊作豊漁で、食欲の秋を大いに楽しむことができています。

「北海道 離れているが 宅配で ホタテやカキが 生きたままです」

「送ったり 送られたりの いい関係 全国名物 旬味届く」

「届きたる 産物それぞれ 小分けして 知人友人 子どもに配る」

「今年は 豊作豊漁 届きたる 産物どれも 味は最高」

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〇半影月食

 このところ好天が続き、昨日の早朝ウォーキング時にはビーバームーンと言われる満月のお月様が、西の空に美しく輝き、月の残照が海面に映えとても綺麗でした。

 昨晩は月が地球の陰に隠れる半影月食が見られるというので、夕食を済ませた午後7時ころ寒さを感じる外に出て、東の空を見上げました。孫たちは寒いため自分たちのダイニングから窓越しに眺めていました。

 残念ながら「そう言えば月の上の方が少し欠けたように見えるかも?」程度の、ぼやけた状態でしか見えませんでしたが、天体の不思議を垣間見ることができました。

「子ども頃 ウサギが餅つき していると てっきり思い 眺めて団子」

「あの月に アポロが行って 持ち帰る 石を万博 展示していた」

「そういえば 欠けたようだと 思うほど それでも見たと 家族の話題」

「住む地球 月の引力 頂いて 暦を見つつ 生きております」 

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〇一円玉の行方

 今日の朝、家の庭を歩いていると砂利を敷いている玄関先に1円玉が落ちていました。1円玉は白銀色をしているので遠目で見ると、100円や500円と同じように見える硬貨なので、恥ずかしながら淡い期待を持って近づいて見ましたが、残念ながら1円玉でした。私はその1円玉を拾って居間に入り、「玄関先でお金を拾ったのだが、誰か落とさなかったか?」と尋ねると、一斉に私の方に注目が集まりました。

 「なんぼ」と家族が聞くので私が「1円」と言うと、「な~んだ1円か」と言って私は無視されました。唯一小学校5年生の孫奏心が、「警察へ届けたら」と言いました。はてこの1円玉を警察に届ける勇気もなく「ネコババ?」して、私の書斎のボランティアに使うために日ごろ少額のつり銭を入れている缶々貯金箱に入れました。

 私は長年にわたり金融広報アドバイザーとして活動していますが、時々学校で行われる講座の後の子どもの質問に「もし1円玉を拾ったらどうするか」という子どもの素朴な質問を受けることがありますが、聞くところによると子どもが1円玉を拾って駐在所へ届けても、駐在所のお巡りさんは拾得物の調書は取らず、届けた善行を褒めてその1円をご褒美にくれるそうです。

 「1円をバカにする者は1円に泣く」ということわざ通り、1円が足らなくても欲しい買い物はできません。1億円も元は1円の集まりなのです。毎日ニュースでその日の東証株価が紹介されていますが、ダウ平均で「〇〇円〇〇銭」と言っていますが、現在の通貨には1円以下はありません。机の上に1円玉を置いて口を近づけフッと息を吹きかけると宙に浮くほどアルミ硬貨の1円玉は軽いものですが、軽いながら1円はお金の基本であることを忘れてはなりません。

「玄関先 1円玉が 落ちていた ゲスな私は 100円かも?と」

「金 拾うた なんぼだった 1円と 言うとみんなは な~んだ1円」

「1円を バカにする者 1円に 泣くとことわざ 戒めている」

「駐在所 届けるべきか 迷ったが そんな素直な 勇気もなしに」

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◯神頼み

 最近は義務教育のはずの小学校や中学校でも入学試験があると聞いて、私たちのような田舎に住んでいる者は「ウソ〜?」と思うに違いありません。ところが私たちの近い場所である松山では、愛媛大学付属小学校があり、中学校も中高一貫校が何校もあるのです。

 そういえば私たちの同級生の中には、小学校を卒業すると新田中学や東雲中学、愛光中学などに進学する子どもも何人かいました。思えば私のように中学校を卒業する頃高校に進学するかどうか迷っていた頃、それらの人は既に将来を見据え受験のための勉強をしていたのですから、私たちが追いつくはずもないのです。

 それでも長い年月が経つと、スタートが遅れたはずなのに人生の辻褄が合い、それなりに幸せに暮らしているのですから世の中は分からないものです。さて私には5人の孫がいますが、昨年度は外孫が中学受験でした。今年度は外孫が大学受験です。神頼みで合格するとは思いませんが、妻は神社へ行き合格祈願のお守りを頂いて渡してやりました。ささやかなじいちゃんばあちゃんの心です。

「何処を出た 学歴よりも 大切な ものはやっぱり 人との出会い」

「大学の 受験に挑む 孫一人 只今葛藤 合格祈る」

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